GIOGAME   作:Anacletus

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この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。


第四十二話 遠き地の姫君

一人で眠る事が怖くて誰に向けているかも分からないまま微笑む。

 

胸の奥から零れていく何かを留める事はない。

いつかこの身が大地に融けたら、あの故郷を思い出して帰ろう。

例え、この手が何にも触れず、掴まないのだとしても、この声が誰にも届かず、聞こえないのだとしても、行動を起こした事はきっと無駄じゃない。

だから、夜が来る度に怯えるのはこれでお終い。

赤、青、黄、緑、紫。

全てを塗り潰す鈍色の夕景に虹が巡って―――風が―――。

 

ぽむぽむ。

 

そんな風に頭が撫でられた。

「え・・・・・・」

ずんぐりむっくりした白い手だった。

「・・・・・・?」

友達として楽しい日を経験させてくれた手だった。

「どう・・・して・・」

大きな背中が私の前に進み出る。

「・・・・だ・・・め・・・」

生きている彼が、これからも生きていくはずの彼が。

「・・・・・あぶ・・・な・・・い・・・・」

巻き込みたくなかった。

「・・・・に・・・げ・・・て!」

死んで欲しくなかった。

けれど、そんな私の声に喋らないはずの彼はとても力強く言った。

 

【よく頑張った】

 

パンと渇いた音がして。

 

「――――!!?」

 

悲鳴すら上げられなくて。

 

「い・・・やッッ?!」

 

今日の事を全て後悔しようとして。

 

【もう、大丈夫だ】

 

何事も無かったように声は優しく響き。

 

【すぐ終わらせる】

 

大きな背中は前に進んでいく。

 

「あ・・・・・・」

 

【だから、『テメェは黙ってオレの活躍を見てろよ』・・・約束だ】

 

私はその日、恋をした。

 

「・・・・はい」

 

震える声で泣きながら、人生でただ一度の恋をした。

 

雲は風に去り、祝福の虹が今、降り注ぐ。

 

 

 

第四十二話 遠き地の姫君

 

【世界の果てまで霧に覆われて、例え貴方が見えなくなっても、私はきっと貴方の傍にいます。想い届かず、果てる日が来ても、きっと・・・・・・】

 

そんな無駄に長い日本語で書かれた看板が設置され、あちこちで作業員が忙しく舞台の設営に勤しむ会場で、一人浮いた存在が現場監督に怒られていた。

 

と言っても飛び交うのは日本語ではなく英語。

 

更に言えば、現場監督含め、殆どの立ち働く者が日本人ではない。

 

浅黒い小麦色の肌が汗して働く最中でその存在の異様さは際立っている。

 

『新入り・・・こういう事は言いたくないがお前は日本で何を学んできたんだ?』

 

ペコペコと頭を下げたのはずんぐりむっくりした着ぐるみだった。

 

基本的に人間の体型ではない。

 

全体的に丸い輪郭に尻尾と耳が付いている。

 

目と鼻がちょこんとあるだけで中の人間がどうやって呼吸しているのかは謎だ。

 

可愛いと言えるがチープさが際立つ作りかもしれない。

 

ただただペコペコする着ぐるみに怒り心頭の様子で監督が切れた。

 

『貴様!? 【ヒランヤちゃん】はな!!! んなペコペコ頭下げたりしねぇんだよ!!?』

 

「?!」

 

ビクッと身を竦ませた着ぐるみに対して監督は淡々と語り始める。

 

『主人公のマスコットの癖にいつも尊大で敵が出てくる度に主人公にダメだししまくる毒舌キャラで不遜な態度が可愛いんだよ!!? それなのにテメェは何だ!? ペッコペッコしやがって!? それで【ヒランヤちゃん】のつもりか!?』

 

何か虚しい程に労働の厳しさを叩き付けられたらしく。

 

着ぐるみ【ヒランヤちゃん】がグッタリする。

 

『このANIMEイベントに来る『神裸フリークス』が大好きなファンにどう言い訳する気なんだ!? お前は日本人かもしれないが何も【ヒランヤちゃん】の事が分かってねぇ!!? あの毒舌の裏で実は健気に自分の命を削って詩亞ちゃんを守ってる獣の姿がまるで分かってねぇ!? 今から事務所に言って漫画貸して貰ってこい!!』

 

「(漫画あるのか・・・)」

 

そんな事すら初めて知った【ヒランヤちゃん】がボソっと日本語で喋った。

 

『詩亞ちゃんのコスプレイヤー達に毒舌も言えないようじゃクビも考えておけ!!? いいか!? 分かったか!?』

 

監督がそのまま他の設営スタッフに促されて場を後にした。

 

一人ポツンと残されてトボトボと白いマスコットは外へと歩いていく。

 

会場を出るとムッとするような湿度と暑さだった。

 

超高層ビル群が乱立する一角が遠方に見えている。

 

「(漫画見せてもらうか)」

 

巨大なドームから数十メートル先にはプレハブが幾つも立っていた。

 

漫画を見せてもらう為に歩き出した着ぐるみは思う。

 

何処で何を間違えたのだろうかと。

 

海外での実入りの良い仕事を紹介してもらったはずなのだが、いつの間にか日本製ANIMEイベントのマスコットキャラの中の人となってしまった。

 

最初は暑さに耐えながら着ぐるみで子供達向けに風船でも配るのかと思っていた中の人だったが、事態はそれよりも深刻な様相を呈している。

 

中の人に求められたのはガチなANIMEイベントキャラクターとしての役。

 

日本製とはいえANIMEとか見ない生活をしていた為、予備知識など一切無い。

 

それなのにマニアック(いや外国に売れるくらいなのだからその筋ではメジャーなのかもしれないが)なANIMEのマスコットキャラを演じ切れというのは原作漫画すら知らなかった身からすると厳しい。

 

不意に置かれているベンチにドッカリと腰を下ろしたくなり、中の人は一息入れる事にした。

 

ベンチに座って深呼吸するも吸えるのは着ぐるみの埃っぽい空気だけ。

 

しかし、契約上着ぐるみを脱ぐ事はできない。

 

設営スタッフ&マスコットキャラクターの中の人という立ち位置で働いているのだが、契約内容の中には「中の人などいません」という類の条項が入っていた。

 

もしも、特定の部屋以外でそれを脱いでしまうと賃金は半減。

 

殆ど外国で仕事をする意味が無い。

 

早く着ぐるみを脱いで深呼吸しようと立ち上がろうとした時だった。

 

『あ・・・ひーちゃん!!?』

 

着ぐるみを見つけて駆け寄ってきたのは十歳程の少女だった。

 

伝統的な衣装(サリー)などは着ていない。

 

ジーンズにトレーナーにスニーカーという何の特徴も無い恰好は・・・妙に浮いている。

 

それは少女の可憐さからかもしれない。

 

野暮ったい衣装に反比例するかの如く。

 

少女には育ちの良さを感じさせる気品があった。

 

この国にしては珍しくあまり彫りの深くない顔をしている。

 

ただ目鼻立ちはかなり整っていてそこらを歩いている人間が振り返るレベルかもしれない。

 

『あ・・・そっか。詩亞ちゃんは日本人なんだから、日本語・・・』

 

ハッと何かに気付いた少女はこほんと咳払いをする。

 

「ひーちゃん。こんにちわ」

 

かなり流暢な日本語だった。

 

とりあえず中の人は申し訳程度に付いているヒレみたいな手でグッと親指を立てて誤魔化す事にした。

 

「日本語通じてますか・・・?」

 

何処か自分の日本語が信用できないようで少女が上目遣いに聞く。

 

まったく問題ないと中の人が頷くと少女の顔がパッと輝いた。

 

「ひーちゃんに会えて嬉しいです・・・お、お友達になってください!」

 

思わず乗りで言ってしまったのかもしれない。

 

紅い顔でちょっと恥ずかしそうに告げてくる少女にやはり中の人はコックリと頷く。

 

すると少女は感動した面持ちで「えへへ」と笑った。

 

「その・・・インドに来てくれて嬉しいです」

 

横に座った少女の言葉にジェスチャーで自分もだと答えると少女が怪訝そうな顔をした。

 

「あ、あの・・・いつもみたいにお喋りしないんですか? 『こんな国ホントは来たくなかったんだけどな』とか『まったくオレと友達になりたいなんて馬鹿な餓鬼だ』とか」

 

流暢過ぎる日本語から繰り出される破壊力満点の毒舌。

 

正しくない日本語はこうして蔓延するのだろうと妙に感心するものの、対応に困った。

 

喋るのは禁止されている。

 

というかイベントでは予め録音された声にそって演技する事になっていたので喋る必要が無かった。

 

それゆえに英語しか出来なくても採用されたのだが、子供の夢は壊したくない。

 

「・・・・・・」

 

「ひーちゃん?」

 

そっと日本語で少女の掌に「話せない」と書く。

 

「え・・・」

 

少女の顔が困惑に染まった。

 

一瞬、少女を失望させたか疑われてしまうのではないかと思った中の人だったが杞憂に終わった。

 

ハッと少女が気付いて真剣な顔で頷く。

 

「第七話みたいに言葉を封じられてるんですね!?」

 

知らない話キター。

 

とか中の人が狼狽している間に少女の中でストーリーが一人歩きしていく。

 

「大丈夫です! 私、ひーちゃんが喋れなくても七話みたいに役立たずでも気にしません!!」

 

役立たずだったのかよ。

 

内心でツッコミつつ、切ない気分で中の人が頷く。

 

「あ、あの・・・ひーちゃんはインドは始めてですか?」

 

コックリと【ひーちゃん】が頷くと少女が何かを決心したかのように立ち上がった。

 

「その・・・街を歩いてみませんか? ひ、ひーちゃんには私の国を一杯好きになって欲しいんです!」

 

本来なら中の人はその申し出を断ったはずだ。

 

何故なら、自分は仕事をしに来ているのであってインド観光をしているわけではない。

 

そして、今の内に漫画を読破して完璧な演技をしなければクビにされかねない。

 

だが、少女の瞳は何処までも真剣だった。

 

ただの子供が気軽に誰かを誘っていると他の人間からは見えるかもしれないが、その必死で真剣で何処か追い詰められてる感すらある瞳に・・・中の人は頷く以外の選択肢を持っていなかった。

 

首が立てに振られるとパァーッと笑顔が更に輝く。

 

「それじゃ行きましょう・・・」

 

ちょこんとヒレみたいな手を握って少女が先導して歩き出す。

 

「あ、忘れてました。私、カウル・・・カウルって言います」

 

そこに妙なマスコットキャラ【ひーちゃん】と少女【カウル】のコンビが結成された。

 

 

インド。

 

正式名称インド共和国。

 

嘗てイギリスの代表的な植民地だった国は今、人口過多の超大国となった。

 

半世紀掛けて識字率は九割以上に向上し、国内の格差も縮小。

 

中間層が大幅に増加し、貧困層は三億人を切る。

 

インド経済の牽引約である情報サービス産業は此処半世紀において成長は鈍くなっているものの、未だ経済の一角に厳然として君臨し、巨大な国内市場を抱えてもいる。

 

【黒い隕石】直後の大混乱により人口十七億人の内五億人を失ったものの、今も国としての体裁は保っている数少ない大国。

 

それが南アジアの中心インドと言えるかもしれない。

 

インドは国ではなく大陸に例えられる程に多数の民族と言語が乱立する国として有名だが、現在は国内の建て直しの為、英語とヒンディー語を強力に推進し子供達を教育している。

 

故に他国の言語まで学ぶのは並々ならない努力が必要なはずで如何に少女が日本文化を愛しているのか中の人には透けて見えた。

 

「此処のお茶が美味しいって評判なんです」

 

日本にもある大手チェーン店を背に何か遣り遂げた的な汗を掻きつつカウルは自慢げだった。

 

とりあえず、ジェスチャーで「パンフレットがポケットから丸見え」と伝える中の人だったが、少女は「日本にもあるんですか!?」と何処をどう解釈したのか驚きの声を上げる。

 

微妙にズレたやり取りをしながら二人は衆目を集めつつ、ムンバイの市街地を歩いていく。

 

あちこちで商店に入ったり、店先のショーウィンドウを眺めたり、近頃ようやく再び普及したらしい自動販売機で水分補給したりと・・・二人の珍道中的インド観光は続いた。

 

「少し休みましょう」

 

牛がノソノソと歩きながら横切っていく公園の中でベンチに腰を落ち着けた二人は、というよりカウルが一方的に自国の流行やら歴史やらを楽しそうに話し始める。

 

それに頷いたり、ジェスチャーを使って答える【ひーちゃん】の図は何処か笑いを誘うものだった。

 

「まだ、この国には一杯問題あります。貧しい人、カースト、未だ続く混乱、全部解決するのに百年じゃ足りません。でも、どうにかなると思います。だって・・・皆生きてるから・・・」

 

懸命に何かを伝えようと言葉を手繰るカウルの頭を【ひーちゃん】が撫でた。

 

目の前の少女は大人になろうとしている。

 

小さな体で懸命に背伸びをしている。

 

それが分かった。

 

「あぅ・・・」

 

顔を真っ赤にして俯いたところは年並みなようだと中の人が撫で続ける事に決めた時だった。

 

「?」

 

【ひーちゃん】は辺りを見回して気付いた。

 

七人。

 

見えるだけでそれだけの人間がこちらに視線を向けてきていた。

 

それだけなら珍しいのだろうという話で済ませられる。

 

だが、全てが着ぐるみではなく少女に向けられた視線ならばどうか。

 

「あの・・・どうかしましたか?」

 

少女をそっと立たせて公園から出る。

 

着ぐるみ姿のまま路地を歩いていると後ろから付いてくる気配。

 

鈍色の看板越しに背後を確認し、全員が付いてくるのを見つけて・・・中の人は少女を抱えて走り出した。

 

「ひゃう!? ひ、ひーちゃん?」

 

目を白黒させる少女を抱えたまま、一般人に見える追跡者を越えるスピードでムンバイの街中を走破する。

 

十数分の逃走の後。

 

ようやく振り切ったと感じた中の人は一息吐いてビルとビルの合間にあるベンチに腰を下ろした。

 

「ど、どうかしたんですか!? ひーちゃん!」

 

不安そうな少女が狙われているとすれば、誤魔化しておくのは良くないだろう。

 

小さな手に「沢山の人間が後ろから付けていた」と書かかれた。

 

すぐにカウルはハッとした様子で俯いた。

 

「・・・そろそろお家に帰ります。今日はとっても楽しかったです・・・」

 

そっと立ち上がったカウルが笑みを浮かべる。

 

「私なんかのお話を聞いてくれてありがとうございました。詩亞ちゃんとの楽しいお話期待してます」

 

その言葉に潜むものに中の人は気付いた。

 

カウルと名乗った少女はアニメのキャラクターが現実にいない事くらい知っているのだと。

 

そして、それを知っていても目の前の怪しい着ぐるみと話したかったのだろうと。

 

そもそもどうしてイベント前の会場近くに少女がいたのか。

 

イベントの事を知っているなら、そもそも当日に来るべきだ。

 

でも、そうしなかった。

 

つまり、イベントが無いと知っていても来たかった理由があったのだ。

 

「さようなら・・・」

 

駆け出した少女の背中には拒絶があった。

 

何を背負っているのか。

 

今にも押し物されそうな何かが乗っていた。

 

「・・・・・・おい」

 

【何だい? ちなみに君の給料は今日一日で一万七千円くらい下がったけど】

 

着ぐるみに内臓されている通信機器一式が遥か彼方にいる中の人の雇い主と会話を可能にする。

 

「教えろ。全部だ。聞いてたのは知ってる」

 

【僕的にはあんまり関わらない事を勧めるよ。何故かって? 楽しそうに話してるから調べてみたんだけど・・・あの子の問題はこの国の未来を左右する重大なものだったよ。外国人の僕達が手を出すような問題じゃないし、手を出したところで何の利益にもならない。いや、下手したら不利益になるかもね】

 

「ああ、そうかい」

 

【それどころか。もしも関わろうものならかなりの厄介事を背負い込まなきゃならなくなる】

 

「それで?」

 

【・・・やれやれ・・・『平和五原則(パンチャ・シーラ)』って知ってるかい?】

 

「何だソレ?」

 

【事はそう簡単じゃないって話さ】

 

黄昏時の世界には雲が広がりつつあった。

 

 

カウルは走っていた。

 

その小さな体を弾ませるようにして。

 

(絶対、巻き込まない・・・遠い所に行かないと・・・)

 

列車に紛れ込めれば、逃げ切れるかもしれない。

 

もし、そう出来なかったとしても、【最低限の準備】は出来ている。

 

懐に入っているものを意識してカウルは身を震わせた。

 

(楽しかったな・・・)

 

今日一日の思い出がその脳裏に甦る。

 

初めて街を散策した。

 

楽しい事ばかりだった。

 

隣には【彼】がいた。

 

もう叶わないと思っていた夢の一つが叶った事を純粋に喜んだ。

 

例え、その先に何一つ希望など無いとしても。

 

(・・・お母さん・・・・・・)

 

少女カウルの人生はインド南部で始まった。

 

母と二人暮らし。

 

【壊された民】(ダリット)。

 

カーストにすら属さない最下層。

 

そんな身分ですらない身分に生まれた事を少女は恨んだ事なんてない。

 

ただ、その身分のせいで母が傷つく事だけは我慢ならなかった。

 

人権なんて言葉をその当時知らなかった。

 

それでも少女はどうにかして母が楽に生きられればいいと思っていた。

 

(・・・あの頃は・・・食べるものも無かったっけ・・・)

 

暮らしは酷く貧しかった。

 

物乞いをした方が食べられるのではないかというくらいに。

 

それでも少女の母は路地に子を放り出さなかった。

 

大事に大事に抱き締めた。

 

母が抱き締めてくれるだけで他の全てがどうでも良くなってしまうくらいに少女は嬉しかった。

 

どんなに貧しくても母と一緒に生きていけた。

 

そんな風向きが変わったのは少女が体を売ろうかどうかと悩むような歳になった頃の事。

 

母は娘を養子に出した。

 

その日の事を今も少女は覚えている。

 

弁護士という立派な服を着た人間が母と話していた。

 

そう、それは少女の父からの申し入れだった。

 

父の事を何一つとして知らなかったものの、それでも立派な服を着た人間を雇えるくらいにはお金があるのだと知って、断ろうとする母に少女は自分から進んで言ったのだ。

 

養子になると。

 

お母さんが楽に暮らせるようになるならと。

 

見た事もない車に乗せられて運ばれた先で出会った父は優しそうな人だった。

 

少女に父は今までの事を話した。

 

愛人として囲っていた母を正妻との間の確執から手放してしまったのだと。

 

穏やかに大人の汚さを語る父に少女は怒りを覚えなかった。

 

カーストですらないアチュートとたぶんヴァルナの中でも最上位の家の人間では釣り合わなかった。

 

それが理解できるくらいには少女も世の中を知っていた。

 

父は少女に言った。

 

今までずっと探していたのだと。

 

母と結婚は出来ないが生活の保障はすると。

 

少女を養子にするのはこちらからの最大限の誠意と見て欲しいと。

 

それを承諾した少女はその日からお屋敷に住まう事になった。

 

容易されたのが部屋でなく家というだけでもう少女には冗談にしか聞こえなかった。

 

母と時折会う事が許された事もあり、少女の不満なんてない日々が始まった。

 

沢山の家庭教師が付いて、沢山の知識を得て、学ぶ事が楽しくて・・・いつか母と暮らせるような職に付くのが少女の夢となった。

 

母の年収よりも多い小遣いを殆ど貯金しつつ、遊ぶという事も学んだ。

 

どう遊べばいいのか分からなかった少女だったが、屋敷の衛星放送に出ていた一つの番組に夢中になって以来、その番組に出てくる主人公「ごっこ」をして遊ぶようにもなった。

 

恥ずかしいから屋敷の使用人達が寝静まった夜にこっそりとだったが、とても楽しくて止められなかった。

 

少女にとっての問題らしい問題と言えば、友達がいない事くらい。

 

それでも寂しいという程ではなかった。

 

母がいた。

 

寂しくなれば母に会いにいけた。

 

でも、そう長くそんな幸せは続かなかった。

 

母が死んだと知らせを受けたのは屋敷で生活するようになってから二年程経った頃だった。

 

若い頃からの無理が祟ったのだと医者は少女に告げた。

 

一ヶ月は泣き伏したかもしれない。

 

だが、いつまでも泣いていては母に申し訳ないと少女は泣くのを止めた。

 

少女の未来はもう心の中で決まっていた。

 

いつか、母のような人間を出さない為に働く人間になろうと。

 

けれど、その夢は呆気なく壊れた。

 

それは少女が自分の学んでいるものに疑問を持った事に始まる。

 

貞淑な妻として。

 

いつも学んでいるとそんな言葉を聞いた。

 

よく耳にした言葉に違和感を覚えて、ふと家庭教師達に聞いた。

 

自分は将来何になるべきかと。

 

教師達は口を揃えた。

 

良き妻になるべきだと。

 

(私は・・・・ただの・・・)

 

少女は答えを知りたかった。

 

だから、屋敷を訪問した父にそれとなく「とある願い」を頼んで反応を伺った。

 

学校に行きたいというありふれた願いだった。

 

しかし、その願いに対して父の態度は冷たく一変した。

 

その時点で少女は全て納得した気分となった。

 

自分が何の為に育てられているのかを察した。

 

それから少女は父を観察するようになった。

 

表面上は何も変わらないよう装いながら。

 

やがて、父の隙を付いて少女は情報を集めた。

 

政略結婚の道具に使われるなら、その相手くらいは知っておきたかった。

 

カーストの元では同じヴァルナの人間としか結婚できない。

 

それらしい情報を見つければ、相手くらいは特定できるはずと少女は・・・訪問していた父の端末を覗き見る事に成功し、現実を知った。

 

(・・・私は・・・本当に・・・道具だった・・・)

 

そこには信じられないような内容が書き込まれていた。

 

(その日から・・・眠るのも怖くなって・・・何も手に付かなくて・・・)

 

震える毎日が続いた。

 

しかし、それでいいわけが無かった。

 

母はこんな時、どうするだろうか。

 

そう考えたのは一度や二度ではきかない。

 

幾度も幾度も少女は考えた。

 

これからどうするべきなのかと。

 

自分はどうすればいいのだろうかと。

 

(答えなんて・・・一つしかなくて・・・)

 

少女は逃げる事にした。

 

何もかもから逃げる事にした。

 

黙って運命を待っている事なんて出来なかった。

 

溜めた小遣いを片手にして。

 

裕福そうに見えないよう服まで買い込んで。

 

少女は屋敷から逃げる事にした。

 

もしも、掴まった時にはどうするのか全てを覚悟して、自分の足で旅に出た。

 

でも、世界は少女の想像なんて超えていた。

 

逃げる方法まで考えていた少女は自分が逃げられるような立場ではないのだと理解した。

 

一人で逃げて、暴漢に襲われそうになって、一人で逃げて、宿も取れなくて、一人で逃げて、国境なんて遠過ぎて、疲れて、疲れて、疲れて。

 

(誰もが追ってくる気がして・・・)

 

少女を追う人間達は確かにいて、怖くて、懸命に走って、逃げ続けて、夜も眠れなくなって、誰もいない場所を見つけては昼に少しずつ眠って・・・。

 

(いつの間にか・・・あそこにいた・・・)

 

もう限界なのだと何となく少女は自分の体調を理解していた。

 

だからなのかもしれない。

 

当ても無く逃げていたと思っていたのに・・・いつの間にか・・・とても行きたかったイベント会場の前にいた。

 

(楽しかった・・・)

 

イベントは開かれていなかったけれど。

 

きっと、母が死んでから一番楽しかった。

 

「ようやく見つけました。お嬢様」

 

前を見ていなかったせいで少女は角の先にいた誰かにぶつかっていた。

 

「ぁ・・・ぅ・・・?!」

 

干上がった喉が唾を飲み込む。

 

小雨が振り出していた。

 

その濡れた路地に優しそうな顔の男が、少女の家庭教師の一人がいた。

 

「さぁ、帰りましょう。旦那様がお待ちです」

 

「ぃ・・・ぃや・・・」

 

首を横に振って、思わず後ろに下がった少女は懐にあったものを取り出して首に当てた。

 

「来たら・・・死にます!!!」

 

「おやおや。これは困った・・・」

 

本当に困ったような仕草で頭に手を当てた男が腰から黒光りするものを取り出す。

 

「―――?!」

 

「死ぬ覚悟があるなら受けてみますか?」

 

いつも優しかった家庭教師の顔で少女に男が笑う。

 

少女の中で迷いが生じた。

 

その一瞬を男は見逃さず撃った。

 

しかし、撃たれたのは足。

 

血すら出ない。

 

ただ、銃の先から飛び出した小さなパットと細い糸から電流が奔った。

 

ビクン。

 

刹那、痙攣した足が縺れて少女が倒れ込む。

 

「―――ぁ?!」

 

『目標を確保。各班はその場で待機。車両を回せ』

 

少女の瞳に涙が滲む。

 

声すら喉の筋肉が引き攣って震えた。

 

「これも国の為です」

 

少女は引き攣り動きの鈍い首を横に振る。

 

「貴女の半分はアチュートだが、貴女の半分はブラフミンだ。外国人とはいえ、将来の皇帝となる『かもしれない』者には丁度いいでしょう。そう嫌がる事もないのでは?」

 

本気で男の瞳には理解できなさそうな色が浮かんでいた。

 

それを見て少女は「ああ」と理解する。

 

【彼】に語った夢は未だこの地では夢にしか過ぎないのだろうと。

 

 

【インドと中国は基本的に犬猿の仲で過ごしてきた。世界第一位と二位の人口を抱えてるんだ。そりゃ衝突もするだろうって話は表向き。ただ仲が悪いだけじゃない。経済と貿易では密接な関係があった】

 

「過去形なんだな」

 

【あの隕石事件以降、中国では軍閥が各所に税関を設けた。それが近頃の中国とインドの貿易を阻害する要因になっててね。結局、貿易額は過去の三十分の一にまで縮小した。それでも嘗ての条約は軍閥の一部が引き継いでて相互不可侵てのが結ばれたままだったのさ】

 

「それが『平和五原則(パンチャ・シーラ)』って奴なのか?」

 

【そう、それが『中印両国の中国チベット地方とインドとの間の通商と交通に関する協定』の主な内容だ。けれど、此処に来て中国の態度は硬化した。そして、あの騒ぎだ。日本との関係を悪化させた軍閥連合内部でどうやら拡大主義が承認されたらしくてね。国境を接してる国々には今物凄い勢いで軍が放出した武器を手にした武装移民が流入してる】

 

「・・・まだ戦争状態にはなってないって話じゃなかったか?」

 

【表向きはね。でも、実際には低強度の紛争地帯となってる。あの最後の局面でGIO側の衛星支配の力が一瞬あちら側に渡ったのは話したと思うけど、それで国境監視用衛星が軒並み妨害・撹乱されて建て直しには後二ヶ月くらい掛かる。その間に今まで国内で鬱屈した生活を強いられていた国民に武器を与えて国境を開放すれば・・・後は分かるよね?】

 

「中国が戦争を仕掛けたんじゃない。国民が難民として押し寄せているだけだって言いたいんだろ?」

 

【正解。さぁ、此処からが本題だ。そんな詭弁で一番問題になるのが軍閥内部で今までインドを押さえていた一派閥。このままでは自分達の支配地域が戦争状態に突入してもおかしくない。インドはあの隕石事件以降穏健派が大量に死んでいて残ってるのは強硬派が主流。此処で国境に一億以上の難民が押し寄せれば・・・他の国々が何とか自重していた『開戦』って火種が発火する】

 

「つまり?」

 

【その軍閥に上手い事考えた奴がいたのさ。この状況をどうにかして自分達の利益にできないかって。そこで誰かが閃いたんだろうね。武器を供給しているものの国際社会に対しての言い訳で兵隊は動かせない。難民による戦争を掌握するのは難しい。なら、逆の側に立てばいいんだってね】

 

「ピンチがチャンスになるタネは?」

 

【国土割譲。そして、軍閥連合の殆どをインドを主力とした国連軍が破った後、占領・独立に際して樹立される新政権の主要ポスト】

 

「どうしてこう売国奴ってのは何処にでも湧くんだ?」

 

【僕に言われても・・・そして、その最初の段階を踏む為には邪魔な条約があるわけだ。それが『平和五原則(パンチャ・シーラ)』なのさ】

 

「それでどうしてあの子が関わってくる?」

 

【自国民の鎮圧と他の軍閥の崩壊後、当事者の癖に何食わぬ顔で『反省した! これからは友好を結ぼう』なんて言う為には決定的な象徴と繋がりが必要になる。だから、現在インドの上院(ラージヤ・サバー)を仕切ってる一番上の人間に軍閥側が打診したのさ。『嘗ての皇帝の血筋を確保した。これに見合う婚姻相手を』と】

 

「嘘みたいなホントの話か?」

 

【ああ、インド側からすれば帝政が復活した時、自分達が政治に口出しできる環境を得られるなら、万々歳だろう? それでその花嫁に・・・あの子が選ばれた。その『結納金(ダウリー)』として密約は果たされるわけだ。平和の条約は誰にも知られない内にこっそりと破棄される事になるだろうね】

 

「つまり、戦争後・・・統治の道具にされるのか?」

 

【いや、その前に軍閥側へ引き渡されるらしい。要は約束の手形なんだよ。もし相手が約束を違えなければ、あの子は生きて戦後最大の婚姻を果たす。しかし、戦争であの子が死ぬような事があれば、約束は無しにして他国に中国は占領されたまま消え去る。あの子を囲って生き残れば、その軍閥は一人勝ちできるって寸法さ】

 

「・・・外道め・・・」

 

【これが日本にとって朗報だってのは理解できるはずだ。第二次日中戦争は回避される。いや、もし軍閥連合が何とかまとまって戦争を始めて継続できても核を失った以上、抑止力は無い。西からインド、南からASEAN、東から日本と亜米利加、北から露西亜と囲い込まれて戦争は長期化する前に終わると僕は予想するよ】

 

「そうか」

 

始動するNDが全身の筋肉から疲労を取り去り、酸素を取り込ませ始めた。

 

【軍閥連合はもう互いに誰かが裏切っているんじゃないかと疑心暗鬼に陥り始めてる。此処で連合の繋がりを瓦解させる事ができれば、当分日本は安泰と考えていい】

 

「だから」

 

躍動する全身から叩き出される速度は人間を越えていく。

 

「見逃せってのか?」

 

【茨の道という事を覚えておくといいって話だよ。この話にそれ以上の意味は無い】

 

二キロ先。

 

その背中を捉えて、速度が増す。

 

「オレには誰も彼も子供を寄って集って道具にしてるようにしか見えない。密約の手形にするとか。上手く行けば日本が平和になるとか」

 

着ぐるみの中。

 

唇の端が吊り上げられる。

 

「今のオレには関係ないな」

 

【言い切るね】

 

「ああ、何故なら今のオレは」

 

短い足が思い切り跳んだ。

 

「ただのアニメイベントの毒舌マスコットキャラだ!!!」

 

少女の傍に降り立って、青年は思う。

 

どんな理由があるにしろ。

 

どんな利益があるにしろ。

 

子供から未来を奪う人間におもねたくはない。

 

だから、少女を安心させた後。

 

目の前の、周囲にいる、全ての追跡者達に青年は言った。

 

「掛かって来い。お前らに日本のANIMEって奴を教育してやる」

 

クイクイとヒレみたいな手で挑発した青年に男達が四方八方から突撃し、群がった。

 

 

その日、襲い掛かった男達は一様に己の上司へこう報告する事となった。

 

『信じてくれ!? 【ヒランヤちゃん】は・・・カンフーマスターだったんだ!!?』

 

カウルを追う部隊の人員が全て入れ替えられ再編成されるのはそれから数時間後の事だった。

 




惹かれ合うように蠢く者達がいる。
陰謀と言う名の傲慢に導かれて。
弱き者は怒り。
強き者は嘆く。
第四十三話「少女達の軌道」
その道程に必要なのは安き友か。
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