GIOGAME   作:Anacletus

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この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。


第四十六話 回顧射程

第四十六話 回顧射程

 

国破山河在、城春草木深。

 

詠まれたのはどれだけ前の話だろう。

 

その詩は今も変わらぬ真理を教えてくれる。

 

だからこそ、もはやそんな詩すら詠めない祖国を思う。

 

自分の生まれたあの都市は今もあるだろう。

 

しかし、国破れ、己の手で山河を崩し、残る人すら棄てた時、感慨を覚える者が残っているだろうか。

 

民は草木も育たぬ荒野に泣き、毒を撒いては日々の糧を育てた。

 

菜を洗う水は濁り、川の流れは淀んだ。

 

あらゆる穢れを喰らいながら、金を求めて貧しさに身を捧げ、それでも一生懸命に生きていた。

 

だが、それも限界に近い。

 

滅びゆくのは誰のせいだと聞けば、祖国の者は誰でも国と敵国と答えるだろう。

 

世界を敵に回しても金と暴力で全てが解決するのだと信じている者は多いに違いない。

 

権力は如何様にも人を動かすのだと誰も疑いはしないのだ。

 

だが、自分すら信じていた構造はただ見方を変えただけで崩壊した。

 

金では買えないものがあった。

 

権力では手に入らないものがあった。

 

祖国には無いものが其処にはあった。

 

祖国の者が聞いたなら、それは欺瞞だと嗤うだろうか。

 

それとも幻影だと蔑むだろうか。

 

いや、きっと売国奴めと罵るだろう。

 

それはきっと見たものにしか分からない。

 

必死に生きているから、自分達の中にあるとすら知らない。

 

例えば、それは手を繋いだ時に感じられるものだ。

 

例えば、それは共に笑い合った時に気付くものだ。

 

例えば、それは同じものを感じれば共有できるものだ。

 

―――絆。

 

敵だから。

 

通じ合えないから。

 

今も多くの国が憎み合っている。

 

そう思っていた。

 

しかし、それは真だろうか。

 

否、それは欺瞞かもしれない。

 

人を無智のままにしておきたい人間がいる。

 

知れば、変わるかもしれない。

 

変われるかもしれない。

 

その可能性を摘んでしまう者達がいる。

 

都合の良い事だけを教えて生かせば、楽だからだ。

 

そして、そうした方が楽だから身を委ねてしまう者が大半なのだろう。

 

思考の停止。

 

疑うものには罰を。

 

それだけで都合の良い誰かが出来上がる。

 

ただ与えられた情報を咀嚼する為だけの存在が出来上がる。

 

そう成りたくはないと思う。

 

自分で考えて答えたいと思う。

 

そう思える自分でいたいと思う。

 

「ヒサシゲ」

 

まだ拙い異国の言葉で。

 

そう彼を呼ぶ。

 

振り向いた顔にただ一言を告げたかった。

 

沢山の事を教えてくれた人に教えたかった。

 

今、自分は幸せなのだと。

 

どんな事があっても前を向いていけるのは貴方のおかげなのだと。

 

もう自分はただ与えられたものを考ずに飲み込んだりする人間ではないのだと。

 

「お帰りなさい」

 

それが小さな虎と呼ばれる少女の初めて誰かの為に浮かべた笑顔だった。

 

 

言葉に詰まった。

 

不意打ちを喰らった。

 

だから、久重は驚いていた。

 

喜びに抱き付いてくるソラ・スクリプトゥーラと布深朱憐の重さを感じながらも、微笑む小さな虎に目を奪われた。

 

「随分と良い顔するようになったな。小虎(シャオフウ)」

 

人が行過ぎていくロビーの中、少しだけ驚き、戸惑った様子で、頬の赤い顔が伏せられる。

 

「・・・・・・はい」

 

その二人の様子に朱憐とソラは固まった。

 

「(う、迂闊でした・・・まさか、虎さんが此処まで日本の貞淑な女性像を学んでいたなんて!?)」

 

「(ひさしげ。嬉しそう・・・うぅ・・・何か負けた気がする・・・)」

 

亜麻色のドリルが不安げに揺れ、金色の長髪が控えめに震える。

 

思わぬダークホースが自分達以上に久重の心へ食い込んでいる事に気付いて、二人は女としての危機感を持って見守った。

 

「それであいつは何処行った? 一緒じゃないのか?」

 

少女達の付き添いで来ているはずの雇い主の姿が見えずキョロキョロと久重が辺りを見回す。

 

「あ、久重様。そのこちらを」

 

朱憐が小さな端末を差し出す。

 

スゥッと立体的に人の画像が浮かび上がる。

 

『やぁ、お帰り。久重』

 

「録画か?」

 

久重の言葉に朱憐が頷く。

 

『ああ、とりあえず行っておくけどコレは録画だから。今、此処に彼女達を乗せてきたついでに少し旅行に行ってくる。ちょっとアメリカに用が出来てね。二週間かそこらで戻ってくるから、それまではソラ嬢の端末にある通りに仕事をして動いて欲しい。【シャフ嬢】や【軍閥】や【米軍のあの部隊】や【僕の知り合い】その他諸々の襲撃者対策は大体終わってるから、君一人でも大丈夫なはずさ』

 

「いきなりだな・・・」

 

『君はきっと【いきなりだな】とか言ってるだろうけど、第二GAMEが終わった後にもうアメリカに行くのは決めてた事なんだ。それが国内のガチもののテロリスト排除やらウィルステロの動向見極めやらで忙しかったから今まで伸び伸びになってただけでね』

 

「なんでもお見通しか」

 

『まだ空港内部ならここまでにしておいて後の部分はクーペの中で見るといい。鍵は渡してあるから僕が帰ってくるまで壊さないで使う事。壊したら借金に加算だからね?』

 

「了解」

 

相変わらずだなとの呟きを飲み込んで久重が向えの三人を見回した時だった。

 

カサリと久重の背後から音がした。

 

「・・・ひー・・・ちゃん?」

 

三人の少女達が今まで意識の端に止めていた白いパーカーに身を包んだ少女に視線を合わせる。

 

「ひぅ!?」

 

印度から非公式に脱出してきた少女カウルがビクビクしながら久重の背中に引っ込んだ。

 

「あの・・・久重様? その子は・・・」

 

朱憐が怪訝そうな顔になった。

 

「ああ、知らないのか。ソラ、事情は聞いてるか?」

 

「一応」

 

ソラがコクリと頷いた。

 

「色々説明するのはクーペの中にしよう」

 

そのまま外へと歩き出した一行はクーペに乗り込むと久重の運転でその場を後にした。

 

 

「それで久重様。その・・・この子はどういう理由で一緒に?」

 

本来の持ち主以上に危うげなく運転する久重が大体の事情を三人に聞かせた。

 

助手席にはソラ、後部座席には左右を虎と朱憐に挟まれてカウルが縮こまっている。

 

「・・・つまり・・・拉致誘拐してきたという事ですか?」

 

微妙に半眼な視線で朱憐が運転席を見つめる。

 

「う・・・人聞きが悪いな。これでも結構人助け的に連れてきたつもりなんだが」

 

「でも、ひさしげ。印度政府から公式で指名手配されてるみたい」

 

ソラが己の端末を後部座席に渡した。

 

虚空に浮かび上がる画像には一枚の新聞が出ている。

 

新聞の内容は全て英語。

 

虎が「?」という顔をしたのを見て朱憐が翻訳した。

 

「えっと・・・【この日、上院議会の―――議員宅から一人娘である―――さんが誘拐された。犯行に関わっていたとされる誘拐犯は現在各国で大ヒットを飛ばしている日本製ANIME【神裸フリークス】内の人気マスコットキャラ【ヒランヤちゃん】の着ぐるみに扮しており、現在警察が全力を持って捜査中である。

 

尚、この騒動により印度国内での同ANIMEの再放送が延期される事態となったが、根強いANIMEファンからの要望が多数TV局に寄せられた事から再び再会される運びとなった。

 

犯人からの要求が無いことから警察では目的は暴行ではないかとの見方が出ており、ネット上では早くも犯人探しが始まっている。

 

卑劣な犯罪を許しておけないと【神裸フリークス】ファンも【あのペ○野郎を生かしちゃおかねーF○CK】等の合言葉と共にこの活動へ加わっている模様だが目下犯人の情報は一つも出てきていない】という事らしいですわ」

 

虎がしばし沈思黙考の後。

 

「ヒサシゲ。セイハンザイシャ?」

 

と、のたまった。

 

「違うから!? というか、さっき説明したよな!? つーか何処でそんな単語覚えてきたんだ!? お父さん許しませんよ!?」

 

助手席からも少しだけ冷たい視線を久重に向けられる。

 

「ひさしげ・・・小さい子好き?」

 

「何だろう。涙が出て止まらない帰国初日とかマジ勘弁してください」

 

「久重様の日ごろの行いのせいだと思いますけど」

 

「いつの間にかオレが年下好きに思われている?!」

 

衝撃の事実に青年が戦慄く。

 

「違うの・・・?」

 

「違う・・・?」

 

「違うんですか?」

 

ソラと虎と朱憐が同時に首を傾げた。

 

「違います!!」

 

「「「?!!」」」

 

そのやり取りを今まで黙って見ていたカウルが強く否定の声を上げる。

 

今まで大人しかった様子からは想像できない音量に他の女性陣が驚いた。

 

「ひーちゃんは・・・ひーちゃんは私を助けてくれたんです!! ずっと一人でもうダメなんだって!! 全部諦めるしかないんだって!!! そう思ってた私をッッ、私を・・・・・!!!」

 

ソラと朱憐が同時に溜息を吐いた。

 

【ま・た・か】と。

 

「今、何かサラッと重要な事を諦められたような気がするのですがおぜうさん達!?」

 

喚く久重にソラが完全に半眼な視線を向ける。

 

「ひさしげってそういうところが天然なんだと思うの・・・」

 

「何が!?」

 

朱憐が隣の涙目なカウルの頭をそっと優しく撫でながら半眼な視線でやはり前の座席を睨む。

 

「久重様は優しさの限度とか自分の行動が誰にどう思われるかとか。もう少し考えるべきですわ」

 

「何か責められてる!?」

 

二人分の圧力に即座に負けた青年は理不尽だと精神的に追い詰められながらも事故るわけでもなく車の運転を続けた。

 

そんな車内にラジオから緊急ニュースが飛び込んできたのはクーペが大手牛丼チェーン店の駐車場に止まった時だった。

 

第二次日中近海事変の幕開け。

 

青年と少女達はそれを何も言わず聞く事しかできなかった。

 

 

(・・・ふぅ・・・さすがに銃弾では死ぬのは・・・ぅ・・・勘弁・・・)

 

近くに人が通れるくらいの排水溝があったのは行幸。

 

警察のサイレンが聞こえてくるのを尻目に横に寝かせた襲撃者のポケットを幾らか漁るとあっさり手錠の鍵は見付かった。

 

手錠を外して投げ捨てる。

 

手に食い込んだ得物の破片と銃弾は気絶しそうな痛みの中で抉り出したので今はのた打ち回りたい程度しか痛みは感じない。

 

焼けた鉄でも押し当てられたような激痛に気が遠くなるものの、手を貫通しなかっただけマシだと思う事にした。

 

横目に少女を見る。

 

ポケットの中身から学生手帳が出てきたので情報的にはこちらの方が優位だろう。

 

霜山円子(しもやま・えこ)。

 

どうやら有名な私立の女子高生徒。

 

一年生という事は去年までは中学生。

 

かなり可愛いと思うのだが、そんな学生が拳銃を手にして復讐を誓い徘徊しているとは尋常ではない。

 

現場から回収した拳銃を格子の間から漏れてくる外灯の明かりで見る。

 

市場に出回っている代物ではないのがすぐに分かった。

 

近頃の銃は何かと高性能であり、拳銃でもID認証が無ければ撃てない仕様な事が多い。

 

トレンドとしては安全装置を多量に積んで素人にも扱い易く安全管理がしやすいものが世界的には売れている。

 

しかし、回収した拳銃にはID認証の装置も安全装置らしきものも詰まれていなかった。

 

それどころかちっぽけな掌サイズであるにも関わらず強化プラスチックやセラミックの部品が見当たらない。

 

最近はカーボン系の素材を安価に成型する技術が普及したせいで銃の重量自体がかなり軽くなったとも聞く。

 

そんな中でズッシリと重量のある拳銃が売れているなんて聞いた事がない。

 

となれば、たぶんは密造。

 

銃規制の厳しい日本にあって密造拳銃を手に入れるのはかなりの骨だ。

 

警察のネット捜査では拳銃の売買をかなり厳しく監視している。

 

安易に裏の売買サイトなどで手を出せばお縄となる可能性は高い。

 

そんな可能性を推してまで女子高生が拳銃を手に入れるというのはどれだけの執念かしれようものだった。

 

「・・・ぅく・・・?」

 

どうやら気付いたらしい。

 

顔を上げるとキョロキョロ辺りを見回してボーっとしていたが、こちらに焦点が合った瞬間ハッとした表情になる。

 

「―――わ、私も殺すのね!」

 

身構えられる。

 

涙すら浮かべられる。

 

「・・・はぁ」

 

思わず脱力してしまった。

 

未だに疑われているのは心外な話だった。

 

「なら、どうして君は殺されてない?」

 

「そ、それはこれ以上の罪を重ねれば刑が重くなるからでしょう!!」

 

とりあえず誤解くらいは解いておくべきかと袖から得物を出した。

 

「!?」

 

悔しそうに今にも睨み殺しそうな顔で唇を噛んだ少女の前にそっとソレを見せる。

 

糸の先に括り付けられているのはかなり太い針だ。

 

人間の体温において復元する形状記憶合金の塊であり、三つの復元が可能になっている。

 

近頃は形状記憶合金も温度の域によっては二つ以上の形を復元できる。

 

特殊な加工が必要だったが、それでもそれなりの知識と根気と金さえあれば作れる程度の代物。

 

三十三度以上で多少大きな剃刀程になり、三十二度以下では針状に再度復元される。

 

本来の形は更に百度以上で復元するが、そこまで使った事は無い。

 

「君の言った殺人現場で殺された人間を僕の暗器が殺す事は可能だ。でも、僕の暗器では現場のようには殺せない」

 

「な、何を今更言い訳なんて!?」

 

そっと自分の手を傷つけないよう得物を手に乗せて復元する。

 

「これは人の体温で復元する独創の暗器で、僕以外には使っている人間がいない。同じような事を考える人間がいたとしても常人には使えない。そして、新聞に書かれているようには絶対に殺せない」

 

「どうしてそう言えるの!!?」

 

「君の言ってた殺人事件では被害者は犯人に後ろから狙われて、髪を絶ち切って首を落とされ、殺害された」

 

「そ、それがどうかしたって言うの!?」

 

「大量の毛髪が落とされたのは新聞でも読んだ。けど、髪は人間の体温よりも明らかに温度が低い」

 

「ッ」

 

言われた事に気付いたのか。

 

少女の瞳が揺らぐ。

 

「僕のコレは復元しても一本せいぜいが4Cm。例え後ろから首を落とす為に投擲したとしても、殺害には二本必要になる。首を落とした瞬間に引き戻したら針状になるからどっちにしても髪は切り落とせない」

 

「―――貴方がやってない理由になんてならないわ!」

 

「なら、好きにすればいい」

 

拳銃を床に置く。

 

「君は本当に殺したか定かでない相手を拳銃で撃ち殺して警察に連行されることになる。刑務所から出てきた時には本当の犯人がいたかどうかすら分からなくなってる」

 

そのまま背を向ける。

 

これでもまだ撃たれるなら、仕方ない。

 

「・・・・・・・・」

 

歩き出すと後ろで銃を拾う音。

 

「もし、貴方が犯人ではないとしても・・・貴方は警察に行くべきです」

 

「君がもしも通報すれば、僕も君の事を通報する。霜山円子さん」

 

気付いたのか。

 

ポケットを探る音。

 

「―――貴方!?」

 

「電子情報上の隠蔽が上手くいっていたとしても調べられればすぐにバレる。君は犯人を捜す時間もなく逮捕されて、結局犯人を見つける事が出来ない」

 

生徒手帳をヒラヒラさせると悔しげな声が呻いた。

 

「わざわざ自分で復讐を企てるなら、君にとって一番の痛手は捜索できなくなる事。僕が犯人かどうか確証が持てないまま事件を終わりにするなら、それでも僕は構わない」

 

「くッ!?」

 

構えられる音。

 

「今、もしも僕を撃てば、近くにいる警察に君はすぐ拘束される」

 

迷っているのか撃たれなかった。

 

「待ちなさいッッ!!」

 

「これ以上待つ理由がない」

 

「待ちなさいよ!!!」

 

まるで泣きそうな声に仕方なく振り向く。

 

「貴方が本当に彼を殺した犯人じゃないって言うなら、それが本当なら、私に協力しなさいッッ!!!」

 

やけっぱちになっているのか。

 

ヒステリックとまではいかないものの、かなり本気で撃ちそうな勢いで叫ばれる。

 

「警察に任せておけば?」

 

「警察なんて!? 私の証言一つ取り上げてくれなかったのに!!」

 

溜息を吐く。

 

「・・・一つだけ聞く」

 

その瞳を見つめた。

 

「殺された人は君の何?」

 

動揺からか銃口が揺れた。

 

「私の・・・兄さんよ」

 

涙が一粒ポロリと零れ落ちる。

 

「わ、私の目の前で・・・目の前でッ・・・兄さんは・・・ッッ」

 

感情を抑えきれなくなった手が震えていた。

 

「・・・・・・協力してもいい。ただ、条件が三つ」

 

「な、何よ・・・!!」

 

「一つ。君も僕の探しものに協力する事。二つ。こっちの事情に首を突っ込まない事。三つ。見付かるにしろ見付からないにしろ探している最中に拳銃は無し」

 

「それが・・・貴方の条件?」

 

「僕が安心して協力できる条件を満たせないなら、この話は無かった事にする」

 

「な、なら、私からも条件を言わせて貰う!!?」

 

「それが受け入れられるものなら」

 

「私からの条件は二つ。貴方の身辺情報を全て。もう一つは・・・どんな事があっても誰かを殺したりしないで」

 

「矛盾してると思わない?」

 

「私は兄さんを殺した奴を破滅させられるならそれでいいの。でも、だからって・・・他の誰かを殺してまで・・・復讐を達成したりしない」

 

銃口が下ろされる。

 

「・・・信じよう」

 

振り向いて近づくとビクリとされた。

 

凶悪犯に面と向かって対する度胸は無いらしい。

 

さっきの銃撃は余程に怒りが後押ししていたのかもしれない。

 

手を差し出すものの、取られる事はなかった。

 

「名前・・・まず名前を教えて」

 

見上げてくる瞳があまりにも真剣だったからか。

 

「久木鋼(ひさぎ・はがね)」

 

すんなりと名前を教えていた。

 

「・・・・・・そう、なら私は貴方を久木と呼ぶわ」

 

そうして奇妙な関係が始まった。

 

片や兄を殺されたお嬢様。

 

片や世間を騒がす通り魔。

 

何処にも接点の無い二人はそうして同じ方角を向く事となった。

 

同類(サンプル)を未だ一人も発見できていない夜。

 

運命というものがあるならば、確かにその夜が自分の運命の日だったのだろうと僕は後で気付く事になる。

 

核の文字が紙面に踊り、夜出歩き難くなったのはそれから二日後の事だった。

 

 

霧の中を歩めば、覚えざるに衣湿る。

 

主に人は知らぬ間に周辺の環境に影響されているという事の例えだが、佐武戒十は今現在の警察組織が正にそれではないかと思うようになっていた。

 

あの記憶を失う事になった誘拐事件以降、問題なしと判断されて退院した佐武は様々な事件を盥(たらい)回しにされ続けた。

 

それは佐武に誘拐事件を忘れさせる為の嫌がらせ、というよりは・・・まるで上層部そのものが混乱しているかのような印象を彼に与えた。

 

巨大な力を持つ警察権力すら上回る何かが蠢いている。

 

それは政府か。

 

それとも財界か。

 

あるいは政治家か。

 

又は諜報組織に類する何処かか。

 

真実が分からずとも確かにその影が佐武の目には見え隠れしていた。

 

中国との戦争やら国内の左翼の排斥活動に忙しい政府は目に見えて移民労働者に焦点を当てた治安維持・警備を警察に要請している。

 

しかし、それに警察が上手く応えているかと言えば答えはNOだ。

 

警察上層部にも派閥やら属するグループがある。

 

右翼系の政治組織の者がいれば、保守派議員と繋がりの深い者もいる。

 

各省庁との太いパイプを持っている者はそれぞれの省庁の意思を代弁し、逆に警察の意思を外部に運ぶ渡り鳥としての役割も持っている。

 

近頃の主役は外務省とパイプのある者で主導権を握っているが、各派閥や省庁の利権・柵が戦争という危機を前にしてエゴを剥き出しにしている為か、上層部の意思決定速度は遅滞していた。

 

「それで我々に何の御用でしょうか。警視総監殿」

 

初め呼び出された時には何の冗談かと佐武は思った。

 

警視総監直々の呼び出し。

 

会った事もないトップから家に呼び出されるような覚えは無い。

 

誘拐事件に付いては表向き無かった事にされている。

 

そこで失われた命すら・・・表向きは捜査中の事故という事で処理されていた。だというのに・・・臭いものには蓋の精神が行き届いた組織の長が何故その臭いものを見た人間を呼び出したのか。

 

「・・・・・・此処に君達を呼んだのは他でもない。とある事件に付いて調べてもらいたくてね」

 

男が椅子に付いたまま、デスクの中から一冊のファイルを取り出した。

 

「事件?」

 

佐武の横で声が上がる。

 

それはテロリストを追いかけていたはずの佐武もよく知る男、宮田坂敏だった。

 

「十数年前の【黒い隕石】事案当時の事件で君達二人に再捜査を依頼したい」

 

「依頼?」

 

佐武はその不自然な言葉に内心首を傾げた。

 

「再捜査・・・ですか。見ても?」

 

宮田の言葉に警視総監が僅か躊躇する素振りを見せる。

 

「出来れば、やるかやらないかを決めてから見る事をお勧めします」

 

「「・・・・・・」」

 

近頃のガチガチな右翼系高官が珍しくない警察官僚の中でも柔和でフレンドリーと評判の警視総監が顔を固くしながら言う時点で二人にはそのファイルが地獄の扉にも等しいのだと理解出来た。

 

「この件は極秘でね。公安や第十六機関、外事の管轄下で処理するには不適当・・・だから、私はここ最近起きている【一連の事件】に関わってきた君達に頼む事にしたんです」

 

「待ってください!? 【一連の事件】ってのは何の話ですか!?」

 

佐武は思わぬ所からやってきた情報に身を乗り出した。

 

「君はこの警察という組織の中で最も【事件】への接触率が高い」

 

「接触率・・・」

 

警視総監の言葉は佐武が近頃の事件で感じていた諸々の違和感を射抜くものだった。

 

「宮田君と君を選んだのは【警察官】として全てを理解する立場に置いても問題ないと判断したからだ。もし、この件に関わるなら、これから設立される【特案捜(とくあんそう)】の人員として君達を招聘したい」

 

「特案捜?」

 

宮田が目を細める。

 

「特殊案件専従捜査係。私の直轄で活動する場所で明日発足する事になっています」

 

佐武が警視総監を睨み付けた。

 

「其処に・・・其処に入れば・・・全て分かるんだな?」

 

雲の上にいる人間に対する態度ではなかった。

 

佐武に警視総監が頷く。

 

「君達の持っている違和感の七割方は氷解するだろうね。しかし、もしもこの件を引き受けるなら、君達には大きな危険が伴う」

 

「はっ。こちとらこの間からケチの付きっぱなしですよ。警視総監殿」

 

「その危険は警察組織ではまったく歯が立たない・・・そう言ってもかな?」

 

佐武が唇の端を吊り上げる。

 

「オレは・・・警察官だ。怪獣が相手だろうと軍隊が相手だろうと市民の安全を守るのが仕事だ」

 

絶対に引かないとの佐武の回答に宮田は苦笑した。

 

これ程までに言い切る人間を宮田は他に知らなかった。

 

「どんなに君達が奮戦しても【これから起こる事件】の九割方は解決できず過去に沈んでいく運命かもしれない」

 

「警視総監。私は・・・いえ、私達は警察官です」

 

宮田の声に警視総監が笑みを作る。

 

「・・・君ならそう言うと思っていましたよ」

 

佐武が宮田に視線を向けた。

 

「お前のとこは・・・放っておいて大丈夫なのか?」

 

崩れた口調で話しかけられても宮田はそれを訂正しなかった。

 

「心配はしていません」

 

「なら、決まりだ」

 

佐武が古びれたファイルを見つめる。

 

「明日付けで辞令が降りると思うからよろしくね。それとそのファイルの名前を教えておくよ」

 

警視総監がファイルを宮田に渡した。

 

「名前、ですか?」

 

「【Mファイル】 そのファイルは昔からそう呼ばれてる」

 

「Mファイル・・・昔の海外ドラマを思い出すな」

 

佐武の言葉に警視総監が笑った。

 

「はは、似たり寄ったりでしょう。そのファイルは三十数年前から代々警視総監が受け継いできたもので通常では考えられない迷宮入りにせざるを得なかった事件だけが載っている代物ですから」

 

佐武と宮田が並んで、汗の滲む手でファイルを開いた。

 

「君達が主に捜査する事件は最初に入れ込んでおきました」

 

二人が促されてファイルを開く。

 

「殺人事件、ですか?」

 

宮田がページを捲った。

 

「外字秋定(がじ・あきさだ)教授・・・外字?」

 

佐武が聞いた事のある苗字に眉を顰め、二ページ目に釘付けになった。

 

「そこに載ってる事件は最初のページに入れ込んでおいた事件を除いて新旧全て後回しにしていいですから」

 

「どういう事ですか?」

 

「その事件さえ、解決したならば・・・これから起こり得る全ての問題は日本を脅かす事もなくなるだろうという事です」

 

「脅威・・・?」

 

宮田の声に警視総監が一人窓の外を見上げる。

 

「戦争、こちらに侵出している【連中】、この国を破滅に追いやろうとする【彼ら】、果ては更なる植民地支配を望む【米国】に至るまで・・・全て黙らせられるという事ですよ。三十数年前、そのファイルの大本を作った公安の鬼女はこのファイルが継続され秘密裏に引き継がれる事を予期していなかった。警察という組織の体質を考えれば、こんなファイルは消滅するだろうと完全に破棄しなかった。だが、だからこそ誰にも知られず引き継がれたソレは我々警察の最後の切り札となる」

 

ゴポリと何かが滴る音がした。

 

「歴代の警視総監達は時の総理や政治家達からすら、そのファイルを隠蔽した。それは日本国民を守る最後の盾が自衛隊でも無ければ米軍でもない・・・警察という組織に他ならない事を知っていたからです」

 

振り返った男の姿に二人が息を飲んだ。

 

「警視総監!?」

 

「おい。大丈夫か!?」

 

駆け寄ろうとした二人が手で押し留められる。

 

「そのファイルの全事件は一つの線で結ばれています」

 

椅子に寄りかかった体が震える。

 

「君達は今日此処には来なかった。そういう事に―――してください」

 

口元から溢れるものを吐き出しながらも緩まない眼光が二人を釘付けにしていた。

 

「何を馬鹿な事を!?」

 

宮田が救急車を呼ぼうと端末に触ろうとしたものの、その手が血塗れの手で押さえられた。

 

「宮田君。どうやら僕は此処までのようだ」

 

「!?」

 

「最後の頼みとして今からこの手帳の通りに行動してください」

 

デスクの上に置いてあった小さな手帳が宮田に押し付けられる。

 

「警視総監!? 貴方は何を知っていると言うんですか!?」

 

「全てを話す時間は・・・早く此処を・・・」

 

グラリと傾いだ体がデスクの上に倒れ込む。

 

「警視総監!!!」

 

「―――お願いだ・・・宮田君・・・」

 

思わず近寄ろうとした二人にそれでも「逃げ・・ろ」と短い言葉が呟かれ、途切れた。

 

「今、救急車を!!」

 

端末をコールしようとした佐武の手を宮田が抑えた。

 

「―――佐武警部補。行きますよ」

 

「な!? 何言ってんだ!? 宮田さん!?」

 

「この手帳に書いてあります。自分が死んだらそれは攻撃を受けたからだと。攻撃を受けて自分が死んだ場合、速やかに其処から逃げなければ、同じ目に会う可能性が高いと」

 

「これは人為的なものだって言うのか!?」

 

「行きましょう。絶対に救急車を呼んだり誰かに連絡を入れるなと書かれてあります」

 

「おい?! 待てよ!? 正気か!!?」

 

「警視総監は・・・数少ない友の一人です。彼の意志を・・・彼の死を無駄にしてはいけない・・・」

 

宮田の握り締められた拳から血が滴る。

 

佐武は警察官としての己を捨て切れず叫んだ。

 

「オレ達は警察官だ!!!」

 

「【これから起こる事件】の九割方は解決できず過去に沈んでいく運命だと彼は言ったんですよ!!?」

 

「―――そんな、まさか!?」

 

宮田の言いたい事を悟って佐武が動かなくなった警視総監を見つめる。

 

「我々が彼に出来る事は彼の死の真相を探り、もし出来るならば犯人を追い詰め、司法の場に引きずり出す事だけです!!! 早く!! 我々が死んでは誰にも真相の究明は不可能になる!!!」

 

佐武は唇を噛み締め、己のやるべき事を悟り、頷いた。

 

(必ず、貴方の仇は取りますよ。警視総監・・・)

 

後ろ髪を引かれながら早足で二人はその場から去った。

 

次の日、警視総監肝いりで設立されたものの当の本人が心筋梗塞で亡くなった為に閑職扱いとなった係へ二人の刑事が配属される事となる。

 

数日後、事件にもならず捜査もされなかった警視総監の葬式に参列した佐武と宮田は誓った。

 

ファイルの全ての事件を解決する事を。

 

それから三日後、第二次日中近海事変を機にファイルに記された事件の捜査は進展を見せていく事になる。

 

【特案捜(とくあんそう)】へ最初に持ち込まれた事件は海上保安庁と海自からのものだった。

 

日中近海事変において拿捕された四隻の空母内部で起こった大量無差別殺人。

 

国が非難される事を恐れて公には伏せた事件が極秘扱いとされながらも、何故か二人の下へと降りてきた。

 

【血海事件(けっかいじけん)】と一部で俗称され、不可解な殺傷方法から解決困難とされた特殊事案は【Mファイル】内の一つの事件と符合していた。

 

【黒い隕石】が降ってくる前年にGIO所有の研究所で起こった事件の資料にはその一件で生き残った五人の名前が記載してあった。

 

荒崎完慈(あらさき・かんじ)。

 

波籐雅高(はとう・まさたか)。

 

亜頭小夏(あず・しょうか)。

 

國導仁(こくどう・じん)。

 

御崎彰吾(みさき・しょうご)。

 

過去に続く扉を叩こうという二人の警察官の挑戦は誰にも悟られる事なく、もう始まっていた。

 




恐怖とは何処か恋に似ている。
失恋とは何故か死と隣り合わせだ。
幸せはいつもそこにある。
呆気なく壊れる儚さの上に乗っている。
第四十七話「恋のテロリズム」
奪うなと誰もが足掻いた。
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