歩きます。
進みます。
曲がります。
またまた進みます。
「……遠い」
晶は率直に感想を述べます。
この街ってこんな複雑だっけ?
十年ほど暮らしていた街でこれほど歩いた経験はありませんでした。
肩に担いだボトンバッグが鉛の重りに、転がしているスーツケースが鉄の鎖に思えてきます。
明らかに歩くペースが落ちてきている晶を見て、理世が足を止めます。
「重いのなら持つぞ?」
実に漢らしい台詞でした。
本来なら男である晶が言うべき台詞を堂々と言い放ちます。
本当ならありがたく受け入れたい親切です。 しかし、この提案を受け入れると何か大切な物を失う気がした晶は首を振って拒否しました。
更に数十分歩きました。
これだけ長く歩いていると自然と視線も下の方に降りていきます。 冷たい風がそれに拍車をかけます。
晶の太ももに限界が近づいてきペースが落ちてきた時、理世が先ほどのように足を止めました。
男が疲れたなんて言えない—–、
男なりの意地でした。
大丈夫だ、との意を伝えようと口を開こうとすると先に理世が、
「着いたぞ、ここだ!」
前方に指を指して言います。
それを聞いた途端、晶の体に生気が戻りました。
視線を上げると、建物の一階部分を全てガラス張りにしている店を見つけました。 全国チェーンをしているファミリーレストランでした。
「やっとか……、ありがとう理世さん。 こんな遠くまで案内してもらって」
「気にするな。 私もいい運動になったよ!」
「何かお礼ができればいいんだけど……」
「お礼なんていらないよ。 それよりも早く行ってやったらいいんじゃないか?」
理世が笑みを浮かべて指を指します。
晶が指の示す方向を見てみると、ガラス越しに手を振っている黒い髪の女の子がいました。
六年ぶりに会う友人——、宇治松千夜です。
遠目から見ても六年前とは比べものにならないほど成長しているのがわかりました。
「……うん。 ほんとにありがとね!」
短くお礼を言い、駆け足で店内に向かいます。
「千夜によろしくなー!」
理世の声に親指を立てて返事をします。
静かにはしゃぐ自分がいることを自覚しながら晶は店内に入って行きました。
店内は十二時というお昼時なこともあってとても混雑していました。 待合室にまで人が続いています。
「いらっしゃいませ。 何名様でしょうか?」
「連れが先に来てるんです」
「かしこまりました。 ではお席にどうぞ」
店員との最低限のやり取りを終え、窓側の席に直行します。
一番奥の窓側の席まで足を進め、そこで止まりました。
座っていた少女と目が合います。
「久しぶりね晶くん」
「久しぶりだな千夜」
六年ぶりに会ったにしては実に素っ気ない挨拶でした。 お互いにただ一言を交わしただけです。
それだけでも十分でした。
話したいこと、聞きたいこと、やりたいこと。 あまりにも多過ぎるそれはちょっとやそっとでは消化しきれません。
ここで消化を始めればもう止まりません。 積もり積もった思いは濁流のようになだれてくるでしょう。
だから、あえて我慢します。
荷物を千夜の隣に置き、晶はテーブルを挟んで向かいの席に座ります。
「六年ぶりのこの街はどう?」
「けっこう変わってるところがあってビックリした。 でもそれ以上に千夜を見てビックリだよ」
「あら、何にそんなにビックリしたの?」
「すっごく大人びたとこ。 まるでお姉さんキャラだ」
「ふふふ、キャラじゃなくてほんとにお姉さんだもの」
「ほほう……誰のお姉さんなのかな?」
「もちろん紗路ちゃんのよ!」
「知ってた!」
思い浮かべてた人物が被ったのがおかしくて笑います。
二人の思い浮かべた少女——桐間紗路(きりましゃろ)も幼馴染チームの一員です。 肩ほどまでのウェーブのかかった綺麗な金色の髪とツンとした性格をしているのが特徴です。
もちろん、彼女もこの場に招待されています。
ですが、晶がこの街に来るというのは知らされていません。 サプライズでビックリさせようという千夜の計画が実行されているからです。
紗路のやつ、まだかなぁ。
晶は紗路の到着を今か今かと待ちわびます。
「……噂をすればなんとやら、ね」
千夜が目配せをしました。
晶は立ち上がって確認したい衝動を抑えます。
耐えます。
堪えます。
我慢します。
体が震えます。
「来たわよ千夜。 もう、なんでこんな遠いファミレスを……、ん? その人はだ」
「ひっさしぶりー! しゃーろー!!」
「うわっひゃえっ!?」
姿が見えた瞬間、晶は我慢できずに立ち上がりました。
突然の大声に驚きおかしな声を発する紗路を無視して、その脇の下に手を差し込みます。 何が起こっているか思考の追い付かない紗路はあたふたして抵抗できません。
直後、紗路の体が中に浮きました。
「ぴゃあああああっ!?」
「あっはは! かるーい! 全然変わってないなあ!」
「ななな、何なのよアンタ! 誰なのよお! 千夜も見てないで助けなさいよお!」
「よく見て紗路ちゃん。 その顔に見覚えはない?」
紗路は混乱する頭の中を一度リセットしました。 千夜の言う通りに自分を持ち上げている青年を観察します。
やや細めの体格ですが紗路より遥かに高い身長です。 清潔感のある短い黒髪は何かのスポーツをやっていることを連想させました。 小豆色の瞳はキラキラと光りを放つが如く輝いています。
確かな既視感を紗路は感じました。 けれど、決定的に記憶を掘り起こすものが足りず、思い出せません。
難しい顔をする紗路に晶は首を傾げます。
その時、紗路の目に色褪せたマフラーが映りました。
紗路の体に電流が走ります。
晶のしているマフラーが決定的な引き金になり、記憶を呼び起こさせます。
「そ、そのマフラー……もしかしてあなた晶!?」
「そうだよ! よかったあ思い出してくれて!」
「喜ぶのはいいけど、その前に降ろして!」
「ああ、ごめんごめん。 嬉しくてつい……」
照れ笑いをしながら晶は紗路を床に降ろします。 瞳からは、まだ、熱は抜けていません。
落ち着きを取り戻し席に戻る晶を紗路はまじまじと見つめます。
「……あなた身長伸びたわね」
紗路の記憶にある晶の身長はせいぜい自分と同じくらいでした。
しかし、今、自分の目の前にいる彼は優に百七十センチを超す身長です。 その成長ぶりには驚かざるを得ません。
「あれから六年も経ったんだよ? これくらい伸びても普通だって。 ほら、そんなことより座った座った!」
「ひ、引っ張らないでも分かるからっ」
晶は紗路の手を掴み、隣に座らせます。
店に呼ばれた三人が揃いました。 六年ぶりに幼馴染チームの再結成です。
やっと落ち着くことのできた紗路は、コップに入った水を一口飲むと、
「こういうことなら一言くらい言ってよね。 突然すぎてビックリしちゃったじゃない」
「紗路ちゃんをビックリさせるのが目的だったもの。 言えるわけないわ」
「だったらせめて場所を選びなさい! お店の人に迷惑かけちゃうでしょ!」
「は〜い」
「絶対分かってない……!」
千夜のふわふわとした返事に頬を膨らませます。
二人にとってはいつものやり取りでした。 千夜のペースに紗路が乗せられ振り回される。 出会ってから今日まで続く一種の習慣のようなものでした。
そんな光景を晶はニコニコしながら眺めます。
あまりにも楽しそうにしてるので紗路はムッとして、
「……なに笑ってんのよ」
すると晶は、表情を崩さないまま、
「いやあ……、二人のやり取りを見てると、本当にこの街に戻ってきたんだなあと思ってさ」
頬をかきながら、ちょっとだけ恥ずかしそうに言いました。
また、三人でいられるのが嬉しい。
生まれ育った故郷を十歳という幼さで離れることになった晶が、今、再び二人に出会って感じた率直な気持ちが込められていました。
紗路と千夜は互いに目を合わせます。
言葉にしなくても、お互い言いたいことは分かりました。
紗路は仕方なさそうに、千夜は目一杯優しさを込めて、
『おかえりなさい』
「……うん、ただいま」
晶の目はほんの少しだけ赤くなっていました。
気がつくと、時計の針は七時を回ったあたりでした。
あれだけ我慢しようと心に決めていた"消化"をついやってしまい、実に七時間近くぶっ通しで話し続けていたのです。
それに気付いた三人は直ぐさま荷物をまとめ、店員さんに頭を下げ、逃げるように店を出て、現在は帰路についていました。
「時間を忘れるとはまさにこのことね……七時間も話してるとは思わなかったわ」
「やっぱりあの程度じゃ半分も話せなかったな」
「まだ話し足りないの!?」
「六年分もあるんだから全然足りないよ!」
「多過ぎるわよもっとコンパクトにしなさい!」
紗路は六年分の思い出をそのまんま語ろうとする晶に話をまとめるように言います。
最初は久しぶりに会った晶に緊張していた紗路でしたが、話し込んでいるうちに徐々に思い出が蘇り、殆ど昔と変わりなく接するようになっていました。
昔と違って身長差があり、手が届かない紗路は頭を叩いたり、肩を揺らすことはできないので脇腹を肘で小突いています。
軽く口論する二人を見て千夜は、
「なら、ウチにお泊りして話せばいいんじゃないかしら?」
「は、はぃいっ!?」
「いいね! その手があったか!」
紗路はさも当然のように提案された意見に声を裏返らせ驚きました。 対して晶は指を鳴らしてそれに賛成します。
「紗路ちゃんもいいって言ったし決まりね! 帰ったらお布団とお茶の用意しなくちゃ!」
「言ってないし! 私たちもう十六歳なのに本気なの千夜!?」
「晶くんが引っ越す前日も三人で一緒にお泊りしたじゃない。 問題はないと思うんだけど……」
「あれはまだお互い子供だったからよっ!」
「まだ二十歳じゃないから子供よ?」
「そういうことじゃなーいっ!!」
紗路は腕をブンブン振って千夜に抗議します。
年頃の女の子としては幼馴染とはいえ異性と同じ部屋で一夜を過ごすにはいささか抵抗がありました。 いくら打ち解けてきたからといっても飛躍し過ぎています。
続けて文句を言ってやろうと、意気込む紗路でしたが、横から肩を叩かれたことにより一度抗議を止めます。
叩いたのはもちろん晶でした。 二十センチ以上ある身長差で紗路を見下ろしています。
晶は笑顔でうさぎ柄の包装紙に包まれたキャンディを差し出しました。
「これでも舐めてちょっと落ち着いたら?」
「ん、ありがと……あむっ」
紗路はなんの抵抗もなくそれを受け取り、素早く包装紙を剥がして口の中にキャンディを放り込みます。
ほんの一瞬だけ渋い顔をすると、突然、ピタリと立ち止まってしまいました。
晶は紗路の顔を覗き込み、
「今日は三人で千夜の家に泊まって話がしたいんだけど、紗路はいいかな?」
その言葉に返す紗路は、
「泊まるぅ! 三人でおしゃべりしたぁーいっ!」
まるで別人でした。
ほんのり顔を赤らめ、弾けるような笑顔で紗路は了承してしまいます。
「紗路は可愛い!」
「かわいーっ!」
「紗路は優しい!」
「やさしーっ!」
「だから三人で泊まっても問題ないよね!」
「もんだいなーしっ!」
「ついでに下宿先が紗路の家なのも別にいいよね!」
「ぜんぜんおっけー!」
流れるように言質が取られていきました。
特に最後の発言は容易に聞き流して良いものではないのですが、テンションが限界値を超えてしまっている紗路にはどうでもいいものでした。
まだポケットの中に残っているキャンディに晶は関心します。
「相変わらず凄まじい効果だなあ……」
「あんまり使い過ぎるのもダメよ?」
「分かってる。 ……事前におばさんが手紙で知らせてるとはいえ、多少は渋るだろうからその対策に持ってきただけだからさ」
「紗路ちゃんの本音が知りたくて使うのもよ」
「……そ、そんなことに使うわけないじゃないか」
「どうかしらねえ?」
千夜の鋭い指摘を曖昧な返事で躱します。
からかうような視線を向けられながらも、口笛を吹いて明後日の方を向いて誤魔化します。
「千夜も晶もおっそーい! 早く行かないと時間がなくなっちゃう! はーやーくー!」
「おっとと!?」
「きゃっ!?」
一通りはしゃぎ回った紗路は歩調の遅さに痺れを切らし、二人の手を掴み、走り出します。
「千夜の家までかけっこよー! びりっけつには罰ゲームだからねー!」
「手を繋ぎながら走ってるのにびりもなにもっ……、って足速いなおい!?」
「ま、まって紗路ちゃん、あ、足が追いつかなっ」
「人間きゅーこー! あははっ!」
ハイテンションで爆走する紗路に手を引かれ、晶も千夜も半ば引きずられるような形で走ります。
やがて三人の幼馴染チームの姿は、薄暗い夜道へと消えて行きました。
色々と描写不足の部分はあるかもしれない……次話で補足できるようにします。