翌日、紗路と晶は四つ足テーブルを挟んで向かい合っていました。
場所は千夜の家にあたる甘兎庵の隣にある物置き——、ではなく、紗路の家です。 屋根に穴が開きかけていてツタ植物が勝手にグリーンカーテンを形成していたとしても立派な家です。
そんな冷たい隙間風が吹く部屋で紗路はこれでもかというほどのふくれっ面をして晶を睨みつけていました。
原因は明確でした。
「なんであなたの下宿先がうちなのよっ!!」
ダンッ! と、テーブルを叩きその原因を吐き出します。
男子高校生である高山晶の下宿先が"一人暮らし"の女子高校生である桐間紗路の家。 なんて安っぽい恋愛小説のような設定が自身の身に反映されるなんて紗路は思ってもみませんでした。
しかも相手は仲の良かった幼馴染ときます。
いっそ赤の他人の方が良かった!
紗路は切実に思いました。
ふくれっ面のまま睨み続けていると、黙っていた晶は参ったなあと、頭をかきながら、
「おばさんに紗路が心配だからって頼まれたって説明したじゃん。 ちゃんと手紙だって送ったはずだよ?」
「その手紙を千夜が間違えて持ってたから知らなかったのよ!」
「それを俺に言われても……」
「うぬぁあああっ!!」
ぶつけようの無い感情に駆られ、紗路はベッドに飛び込み、びたんびたんと跳ねます。
平和な木組みの街といってもこのご時世、セキュリティもへったくれもない家に女の子を一人暮らしさせるというのには母もいささか不安を感じていたはずです。
そこに娘と非常に親しかった男の子が木組みの街へ戻るとの話が飛び込んできたのです。
いろんな意味でふわふわな母は思い付いてしまったのでしょう。
そうだ、この子に一緒に住んで貰えばいいんだ、と。
紗路には嬉々として行動する母の姿が目に浮かびました。 自分のためを思っての行動を責める気にはなれません。
なので、
「千夜のおバカあっ!」
「ぐべっ!?」
千夜への怒りを込めた枕を晶に投げつけます。
唐突なやつあたりを受けた晶は変な声を上げて後ろへ倒れてしまいました。
「あっ……、ご、ごめんなさい!」
「……くん」
「……?」
「くんくん」
「!?」
ちょっと何をやってくれたのか理解出来ませんでした。
倒れたまま顔面に直撃した枕を受け止める——、ここまではいいのです。 自己防衛本能を否定するほど紗路も理不尽ではありません。
では、普段から自分が使い込んでいる枕の匂いをかがれるのはどうか。
紗路の顔がみるみるうちに赤くなっていきます。
「……紗路の匂いがする」
晶は至って真剣そうな顔で呟きました。
ぷちんっと、頭の中で何かの糸が切れました。
「こ、こ、この変態おバカぁああああああ!!」
耳まで真っ赤にしながら持てるだけの力を振り絞り大音量で怒声を飛ばします。 タオル、目覚まし、クッションも追加で投げられます。
遠くまでよく響く高い声は防音性の欠片もない家から辺りに拡散され、
「紗路ちゃん!」
「ち、千夜! なんで窓から……」
「お赤飯炊こうか!?」
「変な勘違いするなあっ!!」
更なるトラブルと誤解をを招きました。
騒動の後、タイミング悪く晶の荷物を運んだ引越し業者が家に来て、更に紗路の機嫌は斜めの方向に行ってしまいました。
まだいいって決めてない! と、興奮する紗路を宥めてなんとか引越しの作業を終えた晶でしたが、家主の機嫌を損ねてしまうという問題を抱えてしまったのです。
すると、ある程度状況を察した千夜が晶にアドバイスを与えました。
『引っ越し蕎麦ならぬ引っ越しカップをプレゼントしたら?』
つまり、好物で釣る作戦でした。
「カップってこんなに種類があるんだね」
「そうね」
そこで晶は親友である千夜のアドバイスを受け、紗路を半ば無理やり陶器屋に引っ張って来ました。
街の角にある小さな陶器屋は西洋風のカップや皿を数多く揃えていました。 手頃なお値段のものからお高いアンティークものまで種類は幅広いものです。
これならいける!
晶は心の中でグッと拳を握り、成功を確信します。
「ねえ紗路」
「……なによ」
「そ、そろそろ機嫌直してくれたら嬉しいなあ……、って思ったりして」
「ふんっ」
「ほら、このカップなんか紗路の雰囲気に合っていいと思うよ!」
「へえ……私に"コーヒーカップ"を勧めるのね?」
地雷を踏みぬきました。 晶の持った成功の確信が失敗の確信へと変貌していきます。
ですが、諦めるわけにはいきません。 真正面から浴びせられる紗路の怒りオーラをひしひしと感じながら晶は脳をフル回転させ、解決策を模索します。
目を閉じ、唸り声を上げながら必死に考えていると、背後から何やら視線を感じます。
「もしかして紗路と……晶じゃないか?」
「り、理世先輩!?」
「あ、理世さんだ」
視線の正体はラビットハウスでアルバイトをする少女、理世でした。
「なんで理世先輩がここにぃ!?」
「バイト先で新しく仕入れるカップの下見をしに来たんだ。 そっちはどうしてここに?」
「き、聞いてくださいよ先輩!」
「え?」
紗路は晶の横を通り抜け、理世の背に隠れます。
「こいつ私の枕の匂いを嗅いでくるんですぅ!」
「なに!? 晶……お前、変態だったのか!?」
「ち、違う! 路が枕を投げつけてきてそれがたまたま顔面に当たっただけ!」
「嘘おっしゃい! くんくんしてたじゃない!」
「俺は前世が犬だったんだよ!」
「無理のある嘘をつくなぁっ!」
両者ともに主張を譲りません。
火花を散らせる二人を交互に見て、理世は一度落ち着かせようとします。
「とりあえず落ち着け! 話は聞いてやるからまずは外に出るぞ!」
まるで野良猫同士のような喧嘩を仲裁し、理世は一先ず二人を店の外に連れて行くことにしました。
「……なるほど。 だいたい事情は分かった」
店の近くにあったベンチに三人、二人を隔てるように真ん中に座りながら理世は頷きました。
二人が同棲を始めたことを除き、ことの経緯を聞いた上で、
「まず第一に原因を作った晶が悪い。 それはいいな?」
「うん……」
「いくら投げつけられたからっていきなり枕の匂いを嗅がれたりしたら誰でも怒るさ。 ましてや紗路は女の子なんだから。 ……もし私ならコイツで撃ってたかもしれないぞ」
懐からモデルガンを取り出し言います。
晶は顔を青ざめ、両手を挙げて降参のポーズをとりました。
理世のぴったりとくっ付く紗路は当然だと言わんばかりの顔をします。
「けど、問題は紗路の方にもある」
「うぇえっ!?」
「紗路は少し意地を張りすぎだ。 それにやつあたりで晶に枕を投げてきっかけを作ったのは紗路だろ? 」
「うう……、それはそうですけど」
バツの悪そうな顔で紗路は視線を泳がせます。
二人が似た様な様子になったのを見計らい、理世はベンチから立ち上がりました。 二人は何事かと目を丸くして理世を見ています。
「お互いに悪いところがあったから、お互いに謝る! 喧嘩両成敗だ!」
その言葉を聞き、晶と紗路は同時に横を向きます。
目が合いました。
先に口を開いたのは晶でした。
「えっと、無神経なこと言ってごめん……、ちょっと浮かれ過ぎてた。 幼馴染って関係に甘え過ぎちゃったかな」
「わ、私こそ変に意地張ったり、やつあたりしちゃって……、ほんとにごめんなさい。 あなたが幼馴染だからって強く当たってた」
晶の謝罪に紗路も返しました。 お互い幼馴染という関係から行き過ぎた行動を反省します。
沈黙が流れます。 目を合わせたまま一言も話しません。
数秒後、それを破ったのは、
「……なんか面と向かって謝るのって恥ずかしいな」
「確かに……、ふふふっ」
ほんのり顔を赤らめた二人の笑顔でした。
「まったく、人騒がせな後輩たちだよ」
後輩たちの問題の解決を見届け、理世は安堵の息をつきます。
「ご、ごめんなさい理世先輩。 私たちのトラブルに巻き込んじゃって……、代わりに出来ることがあったら何でも言ってください!」
「うん。 理世さんの頼みなら何でも聞くよ!」
「と、唐突だな!?」
晴れやかな表情の二人に言い寄られ後ずさります。
目の前のトラブルを解決するのに手を貸しただけのつもりだったので、二人の提案は特に考えてもいないことでした。
断ることも考えてみたものの、そんな空気ではないのは火を見るよりも明らかなので選択肢から外れます。
顎に手を当てて少し考え、
「……なら、一つお願いするか」
一つのお願いを思いつきました。
三人の足は再び陶器屋に伸びていました。
「先輩、ほんとにこんなことで良かったんですか?」
「いいんだよ。 ラビットハウスでカップの新調の話が出た時から私も自分のが欲しかったんだ」
自分のカップを選んで欲しい——、それが理世の二人にしたお願いでした。
張り切ってカップを探し回る晶を眺めながら会話は続きます。
「そういえば今更なんですけど、先輩はどうしてあいつのことを……」
「昨日、紗路たちの集合場所のレストランまで案内したんだ。 その時に今年から共学化するうちに入学することとか、紗路と千夜の幼馴染だとかいう話を聞いてな」
「あいつを案内してもらったり、私を兎から助けてくれたり……、理世先輩にはいつも迷惑ばかりかけてますね」
「中学の時からの付き合いじゃないか、気にするな。 それに、私は兎を追っ払う役目からは解任されそうだ」
「えぇえっ!? 理世先輩が追っ払ってくれなきゃ誰が!?」
「……お前、けっこう鈍感なんだな」
「ほえ?」
カップを手に持ちキョトンとする紗路に理世は苦笑いしました。
側にいるデカイ幼馴染はまだ理世ほどの立ち位置にはいないようです。
「紗路これ見て! これなんてピッタリじゃないかな?」
「でかーいっ!?」
「理世さんはビッグな女の子だからね。 カップもこのくらいがいいと思うんだ」
「だからって人の頭が入りそうなサイズのカップでいいわけないでしょ!」
「紗路は理世さんがビッグな女の子だと思わないの?」
「寛大な心を持ってるとは思うわよ。 でも女の子にビッグなんて言うのは失礼なことで……」
紗路は理世に聞こえないように小声で晶と話しつつ、理世を見ます。
スラリと長い足、枝毛もない手入れの行き届いた艶やかな髪、男女ともに魅了する整った顔立ちに平均より少し高い程度の身長。 紺色のジーンズと同じ素材のジャケットが年齢以上に大人びて見せます。
外見にはこれといってビッグな要素は見当たりません。
「ふう……やっぱり店内だと暑いな。 脱ぐか」
理世は一人呟くとジャケットに手をかけ、脱ぎました。
「なっ……」
「ほわぁあ……」
晶の紗路は目を見開き、無意識に体の動きを止めます。
ジャケットの下から現れたのは"山"でした。 肌にピッタリ合うタイプのシャツが余計に強調しているのを差し引いても三千メートル級の山が二つ並んでいます。
圧倒的、未知の衝撃でした。
「どうした二人とも?」
硬直する二人に理世は不思議そうに声をかけます。
「美人で性格が良くておまけにスタイルもいいなんて……」
「はぅう……非の打ち所がありましぇん」
「んなっ!? ど、どこを見てるんだお前たち!」
二人の注目が自分の胸に注がれているの気付き、理世は慌ててジャケットで胸を隠します。
「紗路、俺はやっぱりこのカップがいいと思うんだ」
「私もそう思うわ。 理世先輩の大きな心と母性の象徴にはこれが合ってるわ。 あなたレジお願い」
「了解した」
「うわぁあああ! 待て待て待て! そんな基準で選ばないでくれえっ!」
晶は両手に抱えるほどのサイズのカップをレジに持って行こうとしますが、寸前で理世に抱き止められました。
「……フジヤマクラス」
「っ、や、やかましい! 今すぐ別のを選べ!」
不用意な発言をした晶の腰が力一杯締め付けられ、悲鳴を上げます。 力の加減もなにもありません。
「しゃ、紗路ヘルプ! 死ぬう! 死ぬう!」
「理世先輩、このマグカップはどうでしょうか! 重厚なフォルムがたまりませんよ!」
紗路は咄嗟に近くにあったいくつかのマグカップから二つを適当に選び、理世に見せます。
「兄弟用のやつか。 けっこう可愛いな」
「兄弟用? ……あ、ほんとだ」
マグカップには『SISTER』、『BROTHER』という文字と色違いの兎がデザインされていました。
晶の腰から理世の腕が離れます。 晶が密かに残念そうな顔をしました。
理世は紗路の手にある『SISTER』のデザインのマグカップをもう一つとり、
「よし。 三人でこれを買おう!」
「私たちもですか!?」
「今日の喧嘩解決祝いにな。 大丈夫、私が買うから気にするな」
「迷惑をかけたのは私たちなのに、そ、そんなのダメです! ……あなたが払いなさいっ!」
「任せろ。 中学時代にバイトしてたから金はある」
晶が紗路の要求にある程度は応えられるようにと用意した資金は三つのマグカップを買うのに十分な額でした。 自信を持って返事をします。
レジに持っていくと、若い女性の店員は三つの兄弟用のマグカップを見て、
「ご兄弟ですか?」
冗談っぽく尋ねます。 違うと分かってのものと思われる言動でした。
不意打ち気味の言葉に三人は顔を見合わせます。 兄弟という新鮮な響きは一人っ子たちに思わせるものがありました。
店員はニコニコと返答を待っています。
「……意地っ張りな妹が一人いるな!」
晶が切り出しました。 十中八九、紗路のことでしょう。
「む、無駄にデカイ弟もいるわね!」
紗路も晶に続きます。 こちらは晶のことです。
残された理世は紗路を自分に寄せて、晶を中腰にさせました。 そして張り合う二人の肩に腕を回し、
「世話の焼ける弟と妹をまとめる姉です!」
無邪気に笑って言いました。
原作でいうとラビットハウス三人組が紗路と出会うところでした。 理世はいいお姉さんポジションだと思ってます。