桐間家の朝は千夜のギャルゲー式起床ラッパで始まります。
『紗路ちゃーん、しゃーろーちゃーん、と、あーきーらーくーん。 早く起きないと遅刻よー』
防音性の欠片もない部屋に鳴るけたたましい金属音が紗路の重い瞼を開かせます。 枕元にあったはずの目覚まし時計は部屋の隅で静かに横たわっていました。
カーテンの隙間から漏れる朝の日差しが母譲りの金色の髪を輝かせます。 ひどい寝癖と今にも死にそうな表情さえなければお嬢様の起床です。
やかましい金属音の発生源を止めるべく、のろのろとベッドから起き上がり玄関に向かって歩き、
「ふぎゅっ」
「ぐえっ」
何かに躓き、可愛らしい声とともに盛大にこけます。
柔らかい物体の上にのしかかるのと同時にカエルのゴム玩具を潰したような音が紗路の耳に入りました。
目を開ける余裕はありません。 ぺたぺたと手で触って柔らかい物体の正体を探ります。
そして、人間らしき形をしているのを確認しました。
「……おもい、しゃろ」
微かに聞こえた呻き声から辛うじて働く紗路の脳は物体の正体を布団に包まった晶だと断定します。
布団は桐間家にベッドを二つも置く余裕はないとの理由で晶が持ち込んだものなので、包まっているのは晶以外ありえません。 違ったら通報対象です。
「……しつれいね。 まだ、さんじゅう……」
晶の発言に何とか反論しようしますが、あっさり睡魔に負けて途中で力尽きてしまいます。 仲良く二人で死体ごっこの状態です。
『あ、それと晶くんが見たがってた紗路ちゃん尽くしのアルバムが見つかったの』
「——おはよう千夜。 そいつを今すぐ寄越しなさい」
跳ね起き、駆け抜け、扉を開く。 各ステップを一秒で終え、千夜の元に紗路が現れました。 世界を狙える速さです。
「今の話は目を覚ましてもらうための嘘よ」
「……タチが悪い嘘は嫌い」
「ごめんなさい。 けど、目は覚めたでしょ?」
「まあね……、あいつ起こしてくる」
朝に弱い体質と精神攻撃による強制覚醒のダブルパンチを受けて若干不機嫌になりつつも、未だに惰眠を貪っている幼馴染を起こしに戻ります。 自分だけ夢の中なんて許せません。
「起きてるよ」
晶が起きていました。 玄関と部屋を繋ぐ扉の前で眠たそうに突っ立っています。
「いつの間に起きたの」
「紗路が飛び起きた反動をモロに喰らって目が覚めた」
「ん、ごめんなさい。 朝ごはん用意するから顔洗ってきていいわよ」
「それは俺がやる。 紗路のが時間かかるんだから先に使って」
そう言うと晶は千夜におはよう、と挨拶をしてから部屋に戻っていきます。 千夜も一言じゃあね、と言って玄関に一リットル入りの牛乳パックを置いて去って行きました。
とり残された紗路は無言で洗面所へ向かいます。
桐間家はトイレと洗面所が玄関から直通しているので、すぐに鏡一枚と銀の蛇口と成る白い簡素な洗面台がお出迎えしてくれました。
今時の洗面台にはお湯も出る親切なものもありますが、ここにあるのはそんな親切設計ではありません。 春夏秋冬、己の使命に従って冷たい真水だけを吐き出し続けます。
冬は過ぎ去ったとはいえ、まだ肌寒い時期。 冷たい水は肌と意識を引き締めます。
「ゔぁああ……ちべたいぃ」
なんとか冷水の苦行を乗り越え、近所の銭湯で貰った手ぬぐいで顔を拭きます。 意外と分厚い生地で作られたこの手ぬぐいは紗路のお気に入りです。
調子が戻ったところで改めて鏡と対面します。
映し出されるのは爆発した髪の毛。 癖っ毛も相まって二次災害。 復興には手間がかかりそうでした。
「……十五分で片付けてやるわ」
紗路は静かに宣言します。
右手には自作の木製ブラシを、左手には主に植物への水やりを目的とした霧吹きと装備に抜かりはありません。 寝癖を駆逐してやろうという意気込みが満ち満ちています。
「ふっ」
水を吹きかけ、
「ほっ」
ブラシでねじ伏せ、
「とぉうっ」
整えます。
これを十数回、宣言通り十五分ほど反復して行うと、いつもの髪型に戻りました。
「今日も完璧ね!」
心も体も通常運転で鏡に向かってウインクを一発かまします。 毎朝、鏡の前でのウインクは年頃な乙女のささやかな楽しみでした。
毎回やった後に恥ずかしくなって悶えるのもセットです。
隠れて乙女モードを全開にしていると、部屋の方から良い匂いが漂ってきます。 鼻がきく紗路はすぐにそれが味噌だと分かりました。 乙女モードは排水口に消えていきます。
匂いの糸に引かれるように部屋へ歩くと、扉の前で晶と鉢合わせになりました。
「適当に作った。 盛っておいてくれたら嬉しい」
「ご苦労さま。 あとはやっておくわ」
目をこする晶と短くやりとりをして、入れ違いで部屋に入ります。
晶に頼まれた通り朝食を盛り付けるために年期の入った食器棚から二人分の皿とお茶碗を用意します。
「あちちっ」
つい先程まで火をかけられていた小さな鍋は蓋まで熱々になっていました。 火を止めてもなおグツグツと聞こえる音は、まるで地獄の釜です。
寝巻きにしているジャージの裾で手を保護してから蓋を取り、お椀に掬います。 それでも熱は手に伝わりました。
「これでよしっと」
湯気を立たせる味噌汁をお盆に乗せてテーブルに運び、冷蔵庫から昨日の夕食の残りであるマカロニサラダとおにぎりを出して朝食の完成です。
「……この時期の冷水は顔に優しくない」
ちょうど顔を洗い終わった晶も部屋に戻ってきました。 この程度で何言ってるんだこいつ、と思いましたが、口には出しません。 来るべき冬に真の地獄を味わってもらいます。
二人揃ったところで部屋の端に積まれてある座布団を敷き、朝食を目の前にします。
「いただきます。 あ、おはよう紗路」
「いただきます。 ん、おはよ」
起床後の挨拶も兼ねて手を合わせます。
熱い味噌汁に息を吹きかけ冷ましながら飲んでいると晶が、
「今日から部活動勧誘の解禁日だったよな」
「あー……、ほんとだ。 もう入学式から一週間も経ったのね」
壁に掛けられたカレンダーを見ればはや四月の中旬。 学校の定めた"部活動勧誘解禁日"です。
「紗路は何か部活に入ろうとかって気はないの?」
「そんな余裕ないわよ。 スポーツ科のあなたと違って、普通科の私たちは授業が遅くまであるの……、そこからバイトだし」
紗路はお椀を置いて言いました。
二人の通う学校には"普通科"と"スポーツ科"という二つの学科が存在します。
普通科は国の定めた学習指導要領に沿った普通教育が行われる学科です。 幅広い分野のうち基礎的なものを扱い、普遍的な教育を行うのを目的とします。 近年では大学進学を志す生徒が多く集まる学科となっています。
対するスポーツ科も国の定めた学習指導要領に沿って教育が行われる場なのには変わりありません。しかし、ここに所属する生徒たちは学力や素行に加え、高いスポーツ技術と、学校によっては部活動への加入義務が求められます。
部活動は学校の主要な広告塔の一つです。 学校の魅力をストレートにアピールするのにこれほど適したものはありません。 一種のブランドです。
この学校のスポーツ科は普通科よりも授業数が一コマ少なくなっています。 そして、空いた時間で普通科の生徒より部活動の練習をするという仕組みです。
晶の場合はこの時間にだけ部活動をして後はバイトをするという形をとることを学校側に認められています。 晶は紗路のバイト代だけで生活するような畜生になる気はありませんし、何よりそれだけでは生活できません。
「俺のバイト代を足しても余裕がないのか」
「収入が倍以上になっても、消費が同じくらい増えてるもの。 たいして余裕はないわ」
「ならば中学時代のバイト貯金を崩して……」
「将来のためにとっておきなさい。 ていうか、なんでそこまで私に部活させたがるのよ」
「紗路にも俺が部活で培ったものを感じて欲しいんだ」
「どうせ仲間との絆とかなんかでしょ? 私、そういうのに興味ないから……」
「勝利、地位、名誉、どれも最高だよ」
「……あなたって、思ったより爽やかじゃないのね」
欲望に忠実な発言に顔を引きつらせます。 見た目に反する言葉の衝撃は中々のものです。
そのまま部活の話題で話しを続けながら箸を進めていると、
「……体験入部だ」
「はあ?」
「今日はせっかく午前中で学校が終わるんだから色々な部活に体験入部しようよ!」
「体験入部って……、部活に入る気もない人がやっちゃダメでしょ」
「カレンダーによると……、紗路のバイトは四時からかあ。 よし、これなら十個くらい行ける」
「人の話を聞きなさいよお!」
「聞いてるよ! んじゃ、授業が終わったら中庭に集合で!」
「……はいはい。 行けばいいんでしょ、行けば」
一人でテンションを上げて勝手に予定を立てる晶に、紗路は呆れながらも同意しました。
「別に興味あるわけじゃないけどねっ」
どうやら興味津々のようです。
放課後、紗路と晶は約束通り中庭に集合し、部活動案内のパンフレットを覗き込んでいました。
裏表のビッシリと書かれた部活動の数は優に四十は超えます。 普通の学校ではありえない数です。
「こんな多かったらどこから行けばいいか分かんないわ……」
「運動部を除外するってのは? 紗路はあんまり体育会系のイメージないし」
「そうね。 文化部に絞れば選びやすいかも」
パンフレットの文化部一覧には文学部、演劇部、被服部、園芸部、科学、料理部、庶民研究部などと、王道からマイナー、果てはオンリーワンまで揃っています。 多趣味なお嬢様方が多いのを伺わせるレパートリーです。
とはいえ絞っても二十近くある部活。 どうしても決め切れずにパンフレットとにらめっこをしていると、
「園芸部なんて紗路にピッタリだと思うけど。 ほら見て、野菜とかの他にハーブも育ててるんだって。 うちの裏庭でもハーブ育ててるし、話が合うかもよ?」
「園芸部かあ……、うん、場所も中庭から近いし、最初はここに行きましょ」
晶の提案に乗り、まず園芸部へ行くことにしました。
園芸部の活動場所は中庭から出て渡り廊下を通り抜けるとすぐの校舎裏にあります。
歩き始めて一分もかからず目的の活動場所に到着しました。 渡り廊下を抜け、目に映った光景に抱く感想は、
「ここの部活……、園芸部というか、農業部だよね」
「ええ……、農業部ね」
真っ先に目にしたのは巨大なビニールハウス。 その数、実に六つ。 更にその奥には田んぼらしきものと、ビニールハウスに収まりきらなかったのであろう野菜を植えている畑までありました。 辺りでは部員と思われる生徒たちが体操服で忙しそうに作業しています。
農業してる園芸部を呆然と眺めていると、此方に気づいた少女が一人、駆け寄ってきました。
「君たち、体験入部に来た一年生?」
「は、はい。 忙しそうですけど……、大丈夫ですか?」
「このくらいの忙しいさなんていつものこと。 それに、貴重な新入部員候補を見逃すわけにはいかないから意地でも体験入部してもらうんだからっ。 ささ、こっちへどうぞ!」
「そ、そうですかあ、あはは……」
体験入部するだけで正式入部する気はさらさらないです、とは、言えない状況でした。 栗色の髪を揺らして張り切る先輩に心の中で謝罪します。
張り切って歩く先輩に罪悪感を抱きつつ、紗路と晶は一番手前のビニールハウスに入ります。
足を踏み入れたと同時に五感が感じ取ったのは、多湿高温の空気とほのかな甘い香りでした。
「ここのビニールハウスでは、暖かい国や地方で育つ植物を育ててるの。 街のお花屋さんにも出荷したりしてるのよ」
「本当に園芸部なんですかそれ」
「立派な園芸部よ。 ちょっと大学と提携したり科学部と共同で品種改良を行ったり部費が学校で一番多かったりだけど——、ちゃーんとした園芸部」
「……やっぱお嬢様学校の考え方とかスケールって違うんですね」
「お嬢様だなんてとんでもないわ。 うちの部員はみんな実家が農家の百姓よ」
「百姓ですか……、つかのことお聞きしますが、山はおいくつ持ってます?」
「山? うーんと——、三つくらいかなあ」
そんな百姓がいてたまるか。
晶と紗路の心がシンクロしました。 農家の娘でもお嬢様のようです。
自称百姓の大地主の説明は続き、それに従ってビニールハウスを転々と移動します。 どれにも部員たちの熱意と愛情をたっぷり注がれているのが分かる立派な野菜や花が育てられていました。
五つのビニールハウスの紹介が終わり、いよいよ六つ目に移ります。
「なんだか最初のビニールハウスに比べてスッとした香りがする」
「この香り……、ハーブかしら?」
「正解。 ここはハーブを中心に香草を取り扱ってるわ。 休日には街で露店販売もしてるの。 最近はフルール・ド・ラパンていうお店が定期購入してくれるのが決まって部員も大張り切りよ」
「ああ、フルールの新しいハーブの購入先ってここだったんですね」
「あら、フルールを知ってるの?」
「最近始めたバイト先なんです。 おきゅうっ……、雰囲気がいい店なので」
「バイト先!? き、君、まさかあの制服を着るの!?」
「はい。ホール担当はそういうことになってますし」
「は、恥ずかしくなっちゃったりしないの……?」
「馴れですよ、馴れ。 初めは恥ずかしいですよ? けど、だんだん黒と白のエプロンドレスが可愛く思えてくるんです。 特に店長の趣味で付けさせられるロップイヤーがいい味を出すんです!」
「紗路が洗脳されてる……」
驚愕の表情を見せた女子生徒は二、三歩後ろに下がり、地面に座り込んでしまいます。
何事かと心配して近づいてみると、
「わ、私、あの制服を着てみたいのっ」
「ほへ?」
「ハレンチなのは分かってるんです……、でも、私だって一度くらい膝丈より短いスカートを履いてロップイヤーを付けて可愛く『いらっしゃいませー』とか言ってみたい!」
「ハレっ……!?」
「きみの名前を教えて!」
「き、桐間紗路です」
「紗路ちゃん! こんな私でも働けるかなっ!?」
「フルールのホール担当は人不足ですから全然大丈夫かと……、先輩かわいいし」
「ありがとう! 私の名前は葉山胡桃(はやまくるみ)。 二年生だよ。 詳しいお話を聞かせて欲しいんだけど、時間あるかな?」
「四時までならいくらでも聞いてください。 あ、せっかくですし時間になったらフルールに来ちゃいます? 店長に紹介しますよ」
「いいの!? 行く行く!」
胡桃は立ち上がり、紗路の手を握って嬉しそうに飛び跳ねます。
結局、二人は時間がくるまでバイトのことや栽培しているハーブについて語り合いました。
「——その間に晶くんは何をしてたの?」
「不良野良うさぎと一緒にハーブ齧ってた」
「ふふっ、まるで本物の兎ね」
時間になり、フルール・ド・ラパンまで紗路と胡桃を見送った晶は、自らのバイト先である甘兎庵で千夜に今日の出来事を話します。
「園芸部だけしか見れなかったけど、紗路は息抜きになったかな?」
「充分息抜きになったと思うわよ。 話を聞くだけでも紗路ちゃんの楽しそうな顔が目に浮かぶわ!」
「なら、まあ、いいか……」
「……もしかしてその先輩に嫉妬してる?」
「嫉妬? んー……」
千夜の指摘に腕を組んで考えてみます。
可愛い先輩、同じ趣味、意気投合。 紗路と胡桃の間に存在するキーワードを並べて、自分の心と照らし合せ、
「……さすがに女の子に嫉妬するほど嫉妬深くはないよ」
そこまでではないと、千夜の指摘を突っぱねます。
「それはそれで心配だわ。 女の子同士の恋愛だってあるのよ?」
「超レアケースを持ち出されてもねえ」
「万が一に備えるのは大事よ! 嫉妬の練習をしなくちゃ!」
「嫉妬って練習するものなのか!?」
「ここがあの女のハウスね……、はい! 私に続いて!」
「えぇ……、こ、ここがあの女のハウスね」
「いい感じよ! ここがあの女のハウスね! はい!」
「ここがあの女のハウスね!」
「もっとお! ここがあの女のハウスねっ!!」
「っ、ここがあの女のハウスねっ!!」
「やかましいよアンタたち! 大声張り上げるなら他所でやっとくれ!」
千夜の祖母に一喝され、二人の嫉妬練習会は早々に幕を閉じました。
葉山胡桃ちゃんは物語の進行を円滑に進めてくれるすごいオリキャラだよ。 出番はぼちぼち。
書いてる時に期間が空いてしまって前半は地の文重めに後半は軽めになってます。 不安定な文で申し訳ありません。
あと十話くらいのうちに安定できるようになりたいです。