この国には五月の初頭に数多の祝日が重なります。 人はそれを大型連休と呼び、世の老若男女は家族旅行をしたり実家に帰省したりと各々の望む行動をとります。
それは晶と紗路の親が不在の高校生チームも例外ではありません。
二人はとある人物からのメールを受け、街の小さなスーパーマーケットに足を運んでいました。
「急に好きな食材を持って来いとは言われてもなあ……、パンに合うものって何だよ」
「無難にいくならジャムとかだけど……、誰かと被りそうだから避けたいわね」
「いっそジャムに加工される前のものを持って行くか!」
「高いからダメよ」
紗路は晶の両手にある果物を元の場所に戻させます。
第二次パン祭りをするからパンに合うものを持って来て——、それが心愛から送られたメールに書かれていた内容でした。 第一次で作ったパンがお客さんに好評だったらしく、今度は紗路と晶も呼んで更に美味しいパンを作ろうという企画です。
最初は持って行くものがなく、それを買うのも躊躇っていた紗路でしたが、
『作ったパンは食べ放題だよ!』
この一文に釣られてしまいました。 彼女の好物はメロンパンです。 つまり、容易に一本釣りされたのは仕方のないことなのです。
「なるべくいっぱい美味しいパンが食べれてかつみんなの持ち込んだ食材に頼らないものがいいわ。 果物はコスパが悪くて論外、ていうか生鮮食品は全部アウトね。 そうなると加工食品一択だわ。 でも、ありきたりなものは被る可能性もあるから……」
「そんな深く考えなくてもいいと思うけどなあ」
「ダメ。 調子乗って買い物して二月の中旬にお金が尽きてバイト代が入るまでの一週間ストーブ無しで水とモヤシだけの生活になる人だっているのよ? あなた貧乏舐めてるの?」
「落ち着いて紗路。 目が据わってる。 女子高生にはあるまじき目になってる。 はい戻ってきてびよーん」
「のばひゅなー!」
語りながら目の光を消していく紗路の頬を軽く引っ張ります。 右手で女の子の頬を引き、左手で陳列棚を漁る。 周囲から見ると何とも言えない不思議な光景でした。
生鮮食品を取り扱う陳列棚から加工食品を扱う方に目を移してみます。
並んでいるのは様々なスープやスポーツドリンクなどをはじめとする粉末状の素。 安価で量が多く、好きな濃さに調節できるので、家庭から学校の部活動、その他スポーツ団体にも人気の一品です。
その時、晶の中にとてつもない閃きが生まれました。
「紗路、これを見て」
「ふぁひ……、ひょひょあの素?」
自信に満ちた顔で見せるのは大手菓子メーカーの森永園から発売されているココアの素。 今年で発売二十周年を迎えるベストセラー商品です。
無意味に頬をぐにぐにといじられ、若干苛立ちを見せるものの、紗路は晶の言葉に素直に反応します。
「ココアの素とかけまして、ラビットハウスで働く保登心愛とかけます」
紗路は何を言い出すんだこいつは、という目を向けますが、
「……そにょここりょは」
一応、返してくれました。
紗路の慈悲を噛み締め、晶は自分の編み出した渾身のなぞときを披露します。
「どちらも身を粉にしていますッ!」
どやぁ。
「…………」
「……どや?」
「まじゅこにょ手をはなひなひゃい」
「あ、はい」
言われるがままに手を放します。
引っ張られていた方の頬をさすりながら紗路は、
「五十九点くらいね」
「むむっ、微妙な点数。自分で言うのもなんだけど、中々に上手いと思うのに…… 」
「心愛は身を粉にするほど働いてないわ」
「そういうこと!?」
至って真剣そうな顔で生々しい事実を暴露してくれます。 最初の出会い以外はオフでしか心愛を見ていない晶は彼女の働きぶりはよく分かりません。 ですが、紗路の口ぶりから真面目とは言えないものだというのが伝わりました。
「で、これを買うつもりなの?」
「うん。 美味しそうで安くてその上ユーモアがある……、完璧だ」
「そんな大袈裟な……、って、これポイント十倍の対象商品!?」
「お、ほんとだ。 気付かなかった」
「どうして早く言わないの! この商品は通常ポイントが十ポイントで十倍にして百ポイント。 今あるポイントが九千九百十一ポイントだから……、一万十一ポイント! ギフトカタログが貰える! 買いよ! これに決定!」
「紗路の目が今までに無いほど輝いてる……!」
「アイロン、ソファー、高級フライパン……、うへへ……」
紗路はココアの素よりも選べるギフトカタログに心を捕らわれていました。
幸せそうな表情を見るのも一興ですが、心愛たちとの約束の時間は迫っています。 晶は恍惚の表情を浮かべる紗路の意識を戻すため、心を鬼にして、
「紗路、もう時間が」
「あなたもいるから二人でお鍋も捨てがたいわね。 しゃぶしゃぶセットとちゃんこ鍋セットならどっちがいい?」
「しゃぶしゃぶ!」
「しゃぶしゃぶ……、いいわ! お鍋だなんて何年ぶりかしら……!」
晶の頭からも約束の時間が消え去りました。
ただでさえ時間が押していたのにギフトカタログ談義に花を咲かせていて遅刻しないわけがありません。
ガッツリ三十分ほど遅れて到着したラビットハウス。 店先には理世が立っていました。
腕を組み、目を細め、遠くを見つめるその姿に二人はある共通した考えが浮かびました。
とても怒っていらっしゃるのではないか——、晶は冷や汗を流し、紗路は青ざめます。 恐怖で足が竦みます。
「……お、やっと来た。 遅かったじゃないか二人とも。 道にでも迷ったか?」
「ひぃっ! ま、魔女裁判だけは勘弁してください!」
「な、なんの話だ?」
「きょ、極東軍事裁判にかけられる……!」
「だからなんの話なんだ!?」
自分を見て恐怖する理由が分からず、理世は混乱します。
ですが、デキる先輩はここからの対処が違います。 理世は敢えて事情は聞かず二人を落ち着かせ、店内に誘導しました。 如何なる場合にも冷静な指揮官の鏡です。
店内には既に智乃、心愛、千夜が集まり、珈琲を飲みながら待機していました。
二人が入ってくるやいな、心愛が駆け寄ります。
「二人ともおっそーい! 私たち、一時間前には集合してたんだよ?」
「ごめん心愛……、ちょっとギフトカタ……、んんっ、欲望に負けて……」
「今回は一モフモフで許してあげる!」
「うん……、うん? なんで私モフられるの!?」
「罰の抱擁っ!」
「みきゃっ!?」
容赦無く紗路がモフられます。 心愛のモフり手としての腕が遺憾なく発揮されます。
もみくちゃにされる紗路を尻目に晶は今回のパン作りの場所を提供してくれる智乃の側に行き、
「ごめんな智乃ちゃん。 せっかくお店を休みにしてくれてるのに遅れてちゃって……」
「気にしないでください。 丸一日お休みなんですから、時間はいっぱいあります。 紗路さんも晶さんも社会経験のためのバイトで忙しいのは知ってますから」
「……ま、まあね。 理解して貰えて助かるよ」
「二人ともお嬢様とお坊っちゃまなのに敢えてアルバイトという社会経験を通して更に自分を磨こうとするなんて、素晴らしい向上心です。 尊敬します」
「…………」
恐怖とは違う意味で晶の額に冷や汗が浮かびます。
紗路の家庭は言わずもがな、晶の家庭も決して裕福とはいえません。
父親はごく普通のサラリーマンで母親もパートで働いています。 二階建ての一軒家にはまだローンが十年以上残っており、仕送りも特にありません。
二人をお嬢様とお坊っちゃまと勘違いしているのは智乃だけでなく、心愛や理世までもがそう思っています。
原因は間違いなく通っている学校でした。 全校生徒の九割がお嬢様という環境とそれに伴う変な噂が勘違いを生み出しているのです。
訂正しようにもするタイミングが掴めず、
「ほんとに尊敬しちゃうわ。 理世ちゃんもそう思わない?」
「ああ。 私には到底真似できないよ」
唯一、真実を知る千夜が悪ノリするので誤解が広がっていきます。
「……じ、時間が惜しいし、早くパン作りを始めよう! な、紗路?」
「そそっ、そうよ! 早く始めて早く食べましょ! だから離しなさいっ!」
「紗路ちゃんったら恥ずかしがり屋さんだなあ。 あ、それとも食いしん坊さん?」
「うるさーいっ!」
紗路は無理やり心愛を引き離して柱の後ろに逃げ込みます。 側には理世がいるので防御は完璧です。 一先ずは場の空気が落ち着きました。
それを確認した智乃は、
「そろそろ厨房に行きましょう。 道具はあらかた準備してあります」
「待って智乃ちゃん! もう少しだけ紗路ちゃんをモフモフさせて!」
「ティッピーで我慢してください」
「わあい! やったあ!」
「智乃ォ! ワシを生け贄にするつもりかあっ!?」
智乃が頭に乗せた兎——、ティッピーを心愛に渡しました。 やけに渋い声が店内に響きましたが、深く考えず、涼しい顔をして厨房へ向かう智乃についていきます。
「ここです」
「……こりゃまたなんて立派な」
案内された厨房は喫茶店の域を超えた設備が整っていました。 真っ先に目に入った大型オーブンの使い所なんて想像もつきません。
広々とした厨房の中央にある巨大なステンレス製の調理台にはパン作りに必要な最低限の材料と器具が取り揃えられています。 肝心の中身になる食材は各自の持ち込みです。
全員エプロンと三角巾を装着し、髪の長い智乃、理世、千夜の三人は髪をまとめてパン作りの準備を完了させます。
「それじゃあ、各自、持って来た食材を出してー!」
麺棒を天高く突き上げ、気合い十分な心愛の声に、各々は持ち込んだ食材を出します。
最初に調理台に食材を出したのは晶でした。
「俺と紗路はココアの素だ! 心愛だけにな!」
堂々とポイント十倍対象の森永園のココアの素が登場します。 晶なりのユーモラスが含まれた一品です。
晶渾身のその一品に心愛は、
「お揃いだ! 実は私もココアの素なんだよ! 私だけに!」
「ナイスユーモアだよ心愛! まさかこのネタが被るなんて……、感動した!」
「私たち気が合うのかもね!」
「だな!」
意外なことで意気投合しました。 ユーモアセンスの同調に思わずお互いに手を握り合います。
「あんたたちも単純ねえ。 千夜もそう思わな……?」
「く、く、くぬぬ……!」
紗路は千夜に同意を求めようとしましたが、悔しそうに震えている姿を見て、言葉を止めてしまいます。
その姿に紗路の幼馴染としての——、否、乙女の勘が敏感に働きます。
「千夜……、もしかして晶が心愛と仲良くしてるのに……」
「心愛ちゃん、私というものがありながらっ!!」
「そういう怒りのベクトルなの!? 変に勘ぐった自分が恥ずかしい!」
「心愛ちゃんがその気なら、私が智乃ちゃんのお姉さんポジションになるんだから! 智乃ちゃん、この抹茶粉でパンを作って私たちの姉妹力を見せつけましょ!」
「任せてください。 千夜さんの上品な抹茶粉の苦味とうちオリジナルブレンドの珈琲粉のコクのある苦味が合わされば、心愛さんの素なんて敵じゃありません」
「対心愛ちゃん連合!」
「爆誕っ」
千夜と智乃が麺棒を構え、対心愛連合を結成します。 歳以上の雰囲気を醸し出す二人の相性は抜群です。
「ヴェアアアアアアっ!? 智乃ちゃん盗られるぅううううううっ!!」
「千夜に姉ポジションを奪われたショックで心愛が倒れた!?」
女性から発せられるとは思えない奇声を上げて心愛が倒れました。 冗談抜きの本気の倒れっぷりに晶は後ずさりしてしまいます。
まだ始まってもいないのにテンションは最高潮。 収拾がつく気配はありません。
どうにかこの状況を打破しようと、紗路は教官気質のある理世に協力を呼びかけます。
「理世先輩!」
「何も言わなくていい。 紗路の言いたいことは分かっているさ!」
「さすがです先輩!」
「私たちもコンビを組むぞ!」
「予想の斜め上を行った!?」
「ココナッツパウダーとココアの素が合わされば美味しい菓子パンになること間違いなしだ!」
「ココナッツパウダー……、あれっ、まさかみんな粉状のものしか持ってきてないんじゃ……」
「いくぞ紗路! 最も美味しいパンを作るのは私たちだ!」
「そ、そうですね! 頑張りましょう、はい!」
理世の熱意に丸め込まれ、唯一冷静だった紗路もハイテンションになります。
こうして誰も気づかないまま、パン作りタッグバトルの火蓋が落とされました。
「……紗路ちゃんたちのが一番、かな?」
その一言で焼きたてのパンの香りが漂う店内に心愛の膝が落ちる音がしました。
味を勝負をするからにはそれを審査する人間が必要です。 しかし、審査員が作った本人たちでは意味がありません。
そこでラビットハウスに急遽招待されたのが、
「急なお願いだったのにありがとうございます、胡桃先輩」
「いいのよ。 私も美味しいパンが食べられるって聞いたらいてもたってもいられなくなっちゃったもん」
「いっぱいありますから、好きなだけ食べてってくださいね」
「うん!」
紗路の言葉に頷いて、胡桃は皿に山盛りになっているパンを手に取り、美味しそうに頬張ります。
「負けた……、私のもちもちパンが……」
「そんなショック受けなくてもいいんじゃない? 胡桃さんがたまたまココアが好きじゃなかったって可能性も……」
「私を嫌いになっても、私のもちもちパンは嫌いにならないでぇえええっ!!」
「そういう意味じゃないぞ!?」
晶の言葉の意味が心愛に勘違いして捉えられます。 まるで胡桃が悪女のような扱いになってしまいます。
もちもちパンへの愛を叫んだ後、心愛は瞳に炎を灯しながら立ち上がります。 智乃の肩を手で掴み、
「智乃ちゃん! 明日からより高レベルなもちもちパンを作るために特訓だよ!」
「珈琲の銘柄を見分ける特訓をしてください」
「農家育ちの胡桃ちゃんの舌を唸らせるようなパンを作っちゃうんだからっ!」
「胡桃さんの舌を唸らせる珈琲を淹れてください」
恐ろしく話が噛み合っていません。 心愛の熱気と智乃の冷気のぶつけ合いです。
その会話を聞いていると、ふと、晶に一つ疑問が生じました。
「……どうして胡桃さんのこと知ってるの?」
晶と紗路は体験入部の際に知り合い、アルバイト先などを紹介しましたが、心愛と智乃はその場にいませんでした。 何故二人が胡桃を知っているような口ぶりなのか、晶には分かりません。
すると、珈琲を飲んでいた理世が晶の疑問に答えます。
「前にみんなでフルールに潜入しに行った時に紗路が紹介してくれたんだ。 胡桃は私と趣味が似ていたからすぐに打ち解けたよ」
「なるほど……、へえ、趣味が似てるんですか」
「……な、なんだ、問題あるか」
「胡桃さんと趣味が似てるってそれ、フルールの制服みたいな可愛いフリフリ服が好きってこむぐっ」
「……たった今からお前には守秘義務が課せられた。 口にすれば軍法会議ものだ」
「りふぇさん! ふぃかいふぃかい!」
お互いの鼻がくっつきそうな距離まで近づき、理世が口を塞ぎます。 目が本気です。 軍人である父親譲りの覇気を纏った視線は見たものを恐怖に落とし入れるはずが、色々なもの押し付けたり、柑橘系のいい香りを振りまいているせいで晶は別の意味で大変なことになっています。
「ま゛ーっ!?」
理世と晶の急接近、もとい脅迫に気付いた紗路が謎の叫び声を上げます。
本人たちは真剣にお話をしているだけですが、周りから——、特に紗路にはそう映っていません。
「あ、あ、あ、あなたっ、なに理世先輩にくっついてんのよお!?」
「ぶはっ……、ち、違うんだ紗路! これは理世さんの趣味のせいでおふっ」
「なんだお姉ちゃんに甘えたいのか? 晶は甘えん坊な弟だなあ!」
「だ、抱きついた! 確信犯じゃない変態っ!」
「紗路ちゃん、理世がCQCかけてるだけだよ」
胡桃の指摘も興奮状態の紗路には届かず、一層思い込みを強めさせます。 冷静な人間はほぼいなくなり、どんちゃん騒ぎが巻き起こります。
そんな混沌から一歩引いた位置で千夜は一口珈琲を飲み、
「今日も平和だわ」
窓から青い空を眺めてのんきに言うのでした。
時間軸は心愛、智乃、理世、千夜の四人がパン作りをした後になっています。 パン作ってる描写は省いてるけど。
これでメインの登場人物がほぼ全員繋がりを持ったので物語を回しやすくなった…はず。