《音ノ木坂学院》スクールアイドルプロジェクト(仮)発足から数日。
海未作の歌詞が完成し、ことり雪兎による衣装制作の進捗も順調、朝夕の厳しいロードワークにもメゲることなく穂乃果とことりに少しずつではあるが体力がつき始めた今日この頃。
「だけど肝心の曲がまだなんだよねぇ」
放課後の神田明神にて夕方の基礎練習前の準備運動を行いながら雪兎が唯一の懸念事項を独りごちた。
未だに歌う曲がないということを覗けば順風満帆。しかし、いくら追い風が吹いていてもそれを推力に変える帆が――ライブで歌うべき歌がなければ意味はない。現在の彼らはまさに帆を欠いた船であるのだ。
それ故か皆の注目は自然と作曲者を説得中の穂乃果に集まる。
「穂乃果、説得の方はどうなのですか?」
「うん! 今日は西木野さんに腕立て伏せをしてもらったよ」
何かしらの成果を期待して海未が聞いてみたが返ってきた答えは予想よりはるか斜め上であった。
「腕立てって、説得する相手にいったい何をやらせているのですか貴女は……」
「何か考えがあってのことじゃないかな。さすがの穂乃果ちゃんでもさすがに意味もなく腕立て伏せをさせたりしないよ。多分……」
「むぅ、海未ちゃんもことりちゃんもひどいよぉ! 前に海未ちゃんにやれって言われた笑顔のままでの腕立て伏せ、アイドルは大変なんだよって伝えようと思ってやってもらったんだよ!」
呆れる海未とフォローが尻すぼみになることりに穂乃果がぷんすかと怒って理由を説明するが腕立て伏せをやらせたと言う事実に変わりはない。
「仮にそうだとしても、それを伝えるために交渉相手に腕立て伏せをさせるなんて……うん。やっぱり穂乃果はユニークだ」
「うぅ、穂乃果を褒めてくれるのはユキちゃんだけだよぉ。ありがとう」
「いえ、穂乃果。雪兎は決して貴女を褒めている訳ではありません」
どちらかと言えばバカにしているニュアンスなのだが雪兎の言葉を都合のいいように勘違いしたまま穂乃果は本日の説得模様の説明を続ける。
「あ、あと海未ちゃんの書いた歌詞は渡しておいたし、ここで練習してるって伝えておいたから、もしかすると来てくれるかも――」
「きゃぁぁぁぁああああっ!」
と、穂乃果がそこまで言ったところでいきなり階段下から甲高い悲鳴が響きわたった。
「なに、今の?」
「女の人の悲鳴だよね。何かあったのかな?」
「さぁ? どこかの素直になれないツンデレさんが、こっそり意中の相手の様子を見に来たところで不運にもわしわし魔に捕まり哀れにも“わしわし”されたんじゃない。おお! ブッダよ寝ているのですか!」
「例えにしてはえらく具体的ですね。と言うか雪兎、最後のは何ですか? それにここはお寺ではなく神社ですよ」
まさに見てきたかのような例えだがここは荘厳なるトリイを構える神田明神。マッポーめいたアトモスフィアが漂っているわけではない。故に雪兎の先の言葉はあくまで想像だ、いいね?
「いや別に深い意味はないよ。まぁ、下の方も下の方で助けを呼ぶ声が聞こえないところから察するに何事もなかったようだし、そろそろ練習に入ろうか」
身体も程良くほぐれたところで基礎練習を始めようと雪兎が皆に声をかけるが、ここで珍しく練習大好きな海未が待ったをかけた。
「練習を始めるのに異論はないのですが雪兎、その前に一ついいですか」
「うん? 何かな海未?」
「先ほど話していた曲についてです。穂乃果が説得を続けているようですが成果が上がらない以上、説得に見切りをつけて既存の楽曲を使うべきだと私は思います」
「ええぇ!? でも海未ちゃんっ!」
ここに来ての方針転換に説得を一任されている穂乃果が抗議の声を上げるが、海未は穂乃果を見据え今がいかに危機的状況であるかを言って聞かせる。
「穂乃果、貴女こそわかっているのですか? 曲がオリジナルである以上ダンスの振り付けも考えなければいけませんし、何よりそれを踊れるように練習しなければならないのですよ。それを考えるともう本当に時間ギリギリです」
「でも海未ちゃん、穂乃果ちゃんだってがんばってるんだからもう少し待ってあげても――」
「それでライブができませんでしたでは本末転倒でしょう。それに、このファーストライブを成功させなければ学院のアピールなんて夢のまた夢です」
海未だってオリジナル曲の価値は十分に理解している。
しかし彼女たちの目標はあくまでファーストライブの成功であり、曲はライブを成功させるための一要素でしかない。いかにオリジナル曲が完成を待つに値するだけの価値があろうともライブに間に合わなければ意味がないのだ。
「だからこそ私は改めて提案します。ファーストライブの曲はオリジナルではなく既存の曲でやるべきです」
「それはそうかもしれないけど……」
「穂乃果ちゃん……」
海未の語った理由がもっともであるだけに穂乃果とことりは彼女の提案に反論できない。提案した海未も海未で苦渋の選択故に力なく下を向いてしまう。
オリジナル曲は諦めるしかない。
そんな悲観的な雰囲気が彼女たちの間に立ちこめる中、響いたのは雪兎の朗らかな声だった。
「海未は相変わらず負けず嫌いだね。初めは“アイドルはなしです!”なんて言って乗り気じゃなかったのに、今じゃこんなにスクールアイドルに燃えているなんて」
海未との勝負事に勝つ度“もう一度です!”を何度繰り返されたことか。その度に手加減なしの全力全開で叩き潰す雪兎も大概大人気ないのだが、まぁそれはいいだろう。
「茶化さないでください。今は大事な話しをしているのですよ」
「うん、知ってる。だから少し肩の力を抜こうよ。確かに残された時間は少ないけれど大事な話だからこそ結論を急ぐべきじゃない。それに故人曰く、果報は寝て待てって言うでしょ。歌詞も渡したということだし、もう三日ほど待ってみようよ。それでダメなら既存の曲を使う。これならどう?」
ふざけた様子から一転、雪兎が示してみせた対案に海未はしばらく思案に耽ると人差し指と中指を立てて言った。
「……二日です。それ以上は待てません」
「わかった。確かにその辺りが本当にギリギリのラインだしね」
こうして説得期間の延長を取り付けた雪兎は穂乃果に向けてウインクと共に人差し指と中指を立てて見せた。
「やったぁ! ありがとうユキちゃん、海未ちゃんも!」
「よかったね、穂乃果ちゃん」
手と手を合わせその場でピョンピョンと飛び跳ねる穂乃果とことりの姿に海未も表情を和らげるが、それでも改めて穂乃果に釘を刺す。
「ですが、本当にこれが最後ですからね」
「わかってるって。大船に乗ったつもりで任せてよ!」
「まったく貴女という人は……。頼みましたよ穂乃果」
「うん! よぉぉし、今日も練習がんばるぞぉぉ!」
穂乃果の元気の良いかけ声と共に三人の鬨の声が響きわたるが、こと曲に関しては状況は何も変わっていない。ただタイムリミットが引き延ばされただけだ。
しかし彼女たちに悲観的な雰囲気などもはや微塵もない。あるのはより良い結果を信じて今できることをやろうとする強い想いだけだった。