放課後の弓道場。
そこでは白筒袖の上衣に紺袴の弓道衣に着替えた海未が霞的に向かって弓を射ていた。
足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会――射法八節の内の六つの行程を流れるようにこなし弓を引き絞る姿はその射を見るだけで必中を予感させる美しいものだった。
そして離れ。
いつもならここで的に中たるイメージが浮かび、そのイメージ通りに矢は的に飛んでいくはずなのだが、今回海未の脳裏に浮かんだイメージは全く別のものだった。
『みんなのハートを打ち抜くぞぉ!』
それは可愛いらしいアイドル衣装に身を包み、煌びやかなステージの上で笑顔を振りまく自分の姿であった。
「っ!?」
まさかのアイドルイメージに海未の心が乱れる。
弓道は正射必中。
心が乱れれば射も乱れるが必定。結果、指から離れた矢は的にかすることもなく安土に突き刺さった。
「(な、何を考えているんですか私はっ!?)」
「外したの? いつも皆中の海未が珍しいね」
「い、いえ! たまたまです」
驚きの声を上げる他の部員にそう返しつつ、海未は残心もそこそこに二本目の矢をつがえ、打起こし、引分ける。
そして会に入り、こんどこそ必中のイメージを練ろうとするが――。
『ラブアローシュゥゥゥット!』
イメージは無敵に素敵に悪化していた。
中たりの有無は語るまでもないだろう。
「……も、もう一度です!」
その後もう一手、計四本を射たが中たりはなし。常日頃なら必発必中の海未にとっては惨憺たる結果であった。
「ああ、いけません! 余計なことを考えては!」
必死にそう言い聞かせてみるものの、依然として頭の中から消えてくれないイメージに海未は身を投げ出すようにしてうなだれた。
そんな海未に呼びかける声が二つ。
「海未ちゃーん! ちょっと来てぇ!」
「練習ガンバッテルトコロ悪イネ。ハハハ……」
声の方を振り向いて見ればそこに居たのはなぜか妙に肌ツヤの良いことりと、どこかやつれた感じのある雪兎だった。
そんな二人に連れられ弓道場を出た海未はため息と共に愚痴を漏らす。
「穂乃果の所為です。全然練習に身が入りません」
「て事は海未ちゃんも少しはアイドルに興味があるってこと?」
「っ!? いえ、それは……」
そこで口ごもると言うことは無言の肯定に他ならない。
海未だって年頃の女の子。アイドルに憧れないはずがないのだ。
しかし憧れだけで成れると夢想できるのは子供の特権だ。年を重ね現実との折り合いの付け方を覚えた今となっては悲しいかな、出来ないことに対しての言い訳が先立ってしまう。
「……やっぱり上手くいくなんて思えません」
故にそう答えた海未に対し、やつれた状態から回復を果たした雪兎が頷きつつ言葉を返す。
「そうだね、海未の言うこともよくわかる。素人がアイドルだなんて、考えなくても無謀なことは確かだしね」
「そう思うのなら雪兎からも穂乃果に諦めるよう言ってやってください」
「それはごめん。だって僕は穂乃果の言葉に可能性を感じたんだ」
「可能性……ですか?」
「そう、可能性。確かに無謀かもしれないし無茶かもしれない。だけど目の前に道があってそれが未来に通じているかもしれないなら進んでみるべきだと僕は思う」
「それにいつもこういう無茶な事って穂乃果ちゃんが言いだしてたよね。ねぇ、海未ちゃん覚えてる? 昔、大きな樹に登ってみようって穂乃果ちゃんが言いだして三人で登ってみたけど降りられなくなっちゃった時のこと」
ことりの言葉に海未と雪兎も昔を懐かしむように過去を振り返る。
「忘れるわけありません。何せ雪兎と出会う切っ掛けになった事件なのですから」
「ああ、あれは僕も見たときは驚いたよ。だって女の子が三人、樹から落ちかけてたんだから」
そう、それこそが雪兎と三人のファーストコンタクト。
生涯忘れる事はないだろう衝撃的な出会いだった。
「穂乃果ちゃんは私たちが後込みしちゃうところを、いつも引っ張ってくれる。あの時だって受け止めるから飛び降りろって言うゆきくんの言葉に一番に飛び降りたのは穂乃果ちゃんだったもん」
「覚えてる覚えてる。穂乃果は何の疑いも躊躇いもなく飛び降りたなぁ。その後ことりも飛んでくれたけど、最後に残った海未がなかなか飛び降りてくれなくて苦労したよ」
「し、仕方ないではないですか。大人ならまだしも私たちと歳の変わらない小さな女の子に受け止めるからと言われても飛べる訳がないではありませんか!」
「今も昔も僕はナイスガイな男の子だけどね!」
「でも結局、穂乃果ちゃんに『海未ちゃんなら絶対できる!』って励まされて飛び降りたよね」
「ほ、穂乃果とことりを受け止めてみせたのですから大丈夫だと判断したまでです!」
「あれ? 僕渾身のナイスガイな男の子宣言が何気にスルーされてるよ」
「全く、その樹登りの件と言い穂乃果の思いつきに付き合わされて碌な眼にあった試しがありません。穂乃果はいつも強引過ぎます」
「あれれ? ねぇねぇ二人とも、今も昔もナイスガイな僕の話聞いてるよね?」
「でも海未ちゃん、後悔したことある?」
「っ!」
ことりのその言葉に海未の脳裏に甦えったのは沈む夕日の鮮やかで美しい茜色と、自分を優しく抱き留めてくれた雪兎の暖かさ。こんなにも世界は綺麗で、人は暖かいのだと実感した瞬間の感動だった。
穂乃果に振り回されて散々な眼にあってきた事は確かだ。覆しようのない事実だ。しかし同時にいつもの日常を過ごすだけでは見えない景色を、感じることのできない体験を、人生を豊かにする素晴らしい機会をくれたのはいつだって穂乃果だった。
「見て」
その事に海未が気がつくと同時にどうやら目的地に到着したらしい。足を止めたことりが海未にその先を見るように笑顔で促す。
雪兎が何かを言っていた気がするが、まぁ気にするほどの事でもないだろう。
「よっ、はっ! ほっと、ととととっ!?」
ことりの視線を追った先、校舎裏の一角で穂乃果が一人ダンスのレッスンを行っていた。
しかしそれはお世辞にも上手いとは言えないお遊戯会レベルの素人ダンス。たちまち足を絡ませ盛大に転けてしまう。
「あいったぁぁぁああいっ!」
お尻を強かに打ち付け悲鳴を上げる穂乃果であったが、それでも彼女の表情に諦めの色はない。
「ふぅ。本当に難しいや、皆よくできるなぁ。よし、もう一回!」
立ち上がり再度下手くそなステップを踏む穂乃果を眺めながら、ことりは海未に宣言する。
「ねぇ、海未ちゃん。私やってみようかな、スクールアイドル」
「えっ」
「海未ちゃんはどうする」
「……私は――」
隣を向けば笑顔のことり。前を向けば直向きに練習に励む穂乃果。後ろの雪兎は――無視されたショックからか地面に“の”の字を書いてイジケているので今は良いとしよう。親友である彼女たちからそこまで言われ、この光景を見せつけられては海未の答えは一つしかなかった。
またしても尻餅をつく穂乃果に歩み寄ると、海未は穂乃果に向かって笑顔と共に右手を差し出した。
「海未ちゃん!?」
「一人で練習しても意味がありませんよ。やるなら四人でやらないと」
「海未ちゃん……っ、うん!」
「ふふっ。雨降って地固まるだね」
こうして穂乃果、ことり、海未、雪兎の四人で《音ノ木坂学院》スクールアイドル結成――とはならなかった。
「ふぅーんだ。どうせ僕はナイスガイとはほど遠い、見た目女の子ですよ妖精さんですよーだ。いじいじ……」
「ユキちゃんもそんな端っこでイジケてないでこっちこようよ! これから四人皆でスクールアイドル始めるんだから、せっかくだし円陣組もう円陣!」
「いじいじ……ああ穂乃果、盛り上がってるところ悪いんだけどね」
「なに、ユキちゃん?」
海未の参加によってテンションが天元突破している穂乃果に対し、彼女が大きな勘違いをしている事に気が付いた雪兎はイジケるのを辞めると居住まいを正した。
そして雪兎から語られる衝撃の真実。
「何か僕まで人数に数えられてるけど、僕は参加しないよ。スクールアイドル」
「「「……えっ?」」」
「だから僕はスクールアイドルには参加しないよって言ったの」
雪兎まさかのスクールアイドル不参加宣言であった。
「「「ええええぇぇぇぇぇっ!?」」」
もちろん雪兎も参加するものだとばかり思っていた三人娘にとって、この宣言は寝耳に水だ。
不参加を表明した雪兎に穂乃果が詰め寄る。
「な、なんで!? ユキちゃんはスクールアイドルに賛成じゃなかったの!?」
「うん、賛成だよ」
「じゃあ、何で!?」
「賛成はしたけど参加するとは一言も言ってないよね」
「あっ……」
「……たしかに聞いてないね」
雪兎の弁舌に穂乃果とことりが論破されかかるが、彼の弁に対し海未が異議を唱える。
「けれどそれは詭弁ですっ! では貴方が私に語った可能性とやらはどうなるんですか!?」
「うんまぁ、そうだね。これは口で説明するより見てもらった方が早いかな。三人ともちょっとこれを見て」
そう言って雪兎はジャケット内側のポケットから私物のタブレット端末を取り出すとスクールアイドルのポータルサイトを呼び出して三人に見せた。ちなみに取り出されたタブレット端末は大きさ的に胸の内ポケットには収まりきらないサイズであることを併記しておく。
閑話休題。
そこにはスクールアイドルたちがアップロードしたプロモーションビデオや常時投票にて順位が変化するランキングなどが大々的に映っているが、雪兎はそれらを跳ばし下の方に小さく張られたリンクからスクールアイドルのレギュレーションについて書かれたページを表示させる。
「スクールアイドルは男女の垣根や人数の制限は特になくて、唯一のルールは高校に在籍している生徒であることってことだけど、もう一つルールとは別の不文律がある」
そう言って雪兎は三人にもわかるようにその一文を指さした。
『男女混成のグループはランキング対象外とする』
当然と言えば当然か。男性アイドル、女性アイドルのグループは多々あれど男女混成のアイドルグループなんてプロでさえも居やしない。
それを考えれば妥当なルールだのだが――。
「うん?」
「それがどうしたの?」
「なにが問題あるのです?」
どこに問題があるのかさっぱりだと言わんばかりに三人は首を傾げる。
だって女の子四人で始めるのだ。この一文のどこに雪兎が参加しない理由があるのだろうか。
「あのね君ら、何度も言うけど僕は男の子なの!」
「「「あああっ!」」」
「ちょっ、本気で忘れてた訳じゃないよね!?」
「い、いやぁ――」
「そんなことは――」
「ありません……よ?」
「何か最後が疑問系だったような気がするけど……こほん、とまぁ男女混成のスクールアイドルは組もうと思えば組めるけどランキングには反映されない。学院のアピールのためにスクールアイドルをやる以上、ランキングに載らないのは致命的だ。だから男の子である僕はスクールアイドルに参加しない。オーケー?」
「ぶぅ。ユキちゃんはどこからどう見ても男の子には見えないんだから黙ってればバレないよ」
「学院に男子生徒として籍を置いている以上、調べられれば一発アウトだよ。廃校から学院を救う上で今考え得る最善の一手だからこそ不要なリスクは負うべきじゃない」
学院のアピールのためにスクールアイドルをやる以上、雪兎の言葉は正論だ。だが正論だとしても雪兎と一緒にスクールアイドルをやる気でいた三人は不満たらたらであった。
「そ、そんなぁ……」
「ゆきくんが参加しないなんて……」
「雪兎だけずるいです……」
「まぁまぁ。参加しないって言ってもステージに立たないってだけで練習に付き合ったり、衣装や振り付けとかについては一緒に考えたりはするから。ねっ」
こうして紆余曲折はあったものの高坂穂乃果発案、《音ノ木坂学院》スクールアイドルプロジェクトは穂乃果、ことり、海未の三人でスタートしたのであった。