――――あれから更に三日が経った。
今日も脱出を賭けて一日一回の斬り合いを実行中。
もはや日課と化しているその決闘は、いつの間にか太陽が昇り切った真昼に行うという時間設定が設けられており、時間になったらどちらからともなく剣を持ち、自然と開始しすることになっている。
その時間帯に意味はなく、ただ自然と太陽を見て「ああ、今日も始めるか」といった感じで始まる、恒例行事の確認みたいなものだ。
……ただ今日は空が灰色。どんよりとした曇天で今にも降り出しそうな濃い雲が覆っていて、太陽は一切その顔を見せず、昼間だというのに日差しの温かさの気配も感じられなかった。
「はあああああああああっ!!!」
自らを鼓舞するかのように、大きな声で叫び剣を振り回す。
縦一文字に、横に薙ぎ払い、袈裟斬り、突く。
荒々しい刃の乱流。しかし決してやけくそになって力任せに振るっているのではない。一瞬一瞬の動作一つ一つに本気で取り組み、通常以上に力を込めている必殺の連続。
その多くは避けられ、防がれる結果に終わるが、それでも剣が肉に食い込み、手傷を負わせる量は着実に増えていくのを実感する。
日を増すごとに確実なスキルアップ。
私が感じた疑念の通りに、この戦いは高度な訓練となり、少しづつではあるけど確かな成長を促す結果になっていた。
最初の頃こそ地力の差を経験によって補い、翻弄されてきたが、今では一部覚醒させての戦闘が当たり前になっており、そして、その状態でもある程度は拮抗した戦いができるようにはなってきている。
――だけど。
「……くっ!」
全身を捻るように動き相手の攻撃を躱す。そしてその勢いのまま剣を握っている右手へと刃を奔らせる。
しかしその動きを読んでいたかのように、身を翻しながらリーチの内側を逃れ、そのまま回避されてしまった。
迷いのないその動きには、内心少しだけ動揺してしまったが、それを表に出すことはなく剣を震わせ〝盾〟を起動。まずは相手の動きをどうにかして止める作戦へと変更した。
どこでもいいから当てさえすればいい。そこで今までのような力を込めた大振りは止め、小さく逃げ場をなくすように、空間を細かく斬り続ける。
……しかし、ようやく捉えた直前、覚醒化した左腕に生えている五本の杭のような爪の一本が、まさに今から繰り出す斬撃の軌道上へと勢いよく撃ち出された。
結果、杭を弾くことはできたが、その勢いによって私の腕も後方へ大きく弾かれることになる。
剣先に少しでも触れさえすればバランスを崩さずに負えない。そう考えての〝盾〟だったが、逆に私自身の体制を崩す原因になってしまい、追撃を中断して一時撤退を余儀なくされてしまった。
――確かに技術は上がった、相手の動きや立ち回り方なんかも理解できるようになってきた。
……しかしこのように、私が仕掛ける攻撃は、ことごとく防がれ、避けられる結果に終わってしまう。
当たったとしても小さな軽傷に留まり、……少なくとも高速再生を使わせるぐらいのダメージは、三日前以降一度も付けることは叶わないでいる。
その原因は一体何か。
能力が上がったことに対する慢心ゆえか。
それとも……いつの間にか殺意の熱も憎悪の猛りも失っている、私の思いが足りないのか。
もしくは、あの時の言葉が今でも――――。
「……ここまでか」
その時、ほとんど防戦で済ませていたアベルが攻めに転じた。残り四本の全ての杭を、一斉に私に向かって射出する。
まったく予期していなかった攻撃に一瞬虚を突かれるが、反射的に〝盾〟を継続中の大剣を正面に構えて、辛うじて防ぐ。
……しかし、その直後に襲ってきた脇腹に飛び込んできた蹴りには何の手立てもなく、そのまま直撃してしまった。
「ぐはっ!」
ジャストミートした一撃は重く、大きく後方へと吹き飛ばされる。地面に激突することで前面と背面の二つの方向から痛みが重なり合う。
……でも、まだ戦える。戦意は挫けてはいない。
戦えるんだったら負けてはいない。負けていないのなら勝つまでとことんやるまでだ。
ダメージのせいで体が若干鈍く感じるが、それでも精一杯の速度で体制を立て直す。剣を構え、相手を見据え、戦闘の継続を伝える。
……だが、いつまで経っても追撃が来ることはなく、それどころかどことなく気怠そうな雰囲気を出している。
「腹減ったな」
そんな様子のアベルに怪訝に感じるが、一応警戒は緩めずに柄をしっかりと握りしめる。
だが引き締めている私とは対照的に、向こうのやる気は見る見るうちに萎んでいるようで、やがて妖魔化すら解き、背を向けて歩き出し始めた。
「少し予定ができた。今日は終いだ、あとは一人で訓練なり休むなり好きにしてろ」
「はぁ?」
武装を解除したかと思えば突然の中止宣言。……一体何言ってんだこいつは?
「ちょっと! 何を勝手に……」
「ああ、勝手だ。だがそれがどうした? この戦いのルールを取り決めたのは俺、つまり俺がルールだ。それに、このままやったところで結果は見えている」
「……そうね。あのままやってたら、私に負けてたかもしれないしね」
自分でもよくこんな虚勢が晴れるものだと思う。
誰がどう見ても、苦し紛れの負け犬の遠吠え。それを聞き、挑発に乗ることはせずにアベルは鼻で軽く笑う。
「どう捉えてもらっても結構だが、せめて精神的にまともになってから吠えろ。悩みこんでナヨナヨした小娘をいたぶるような趣味はない。そういうサディスティックなものが欲しければ自傷行為でもしていろ」
……やはりバレていたか。事実、あのまま戦ったところで勝ち目はゼロに近かっただろう。肉体的に成長していても心が荒んでいたら意味がない。
そう言いたいことを言ってアベルは離れていった。もちろん逃げ出さないように釘を刺しながら。
もちろん、止めようとは思った。勝ち目が薄いだけで全くないわけではない。体力もまだ残っている。
背後を向いて武装解除しているのならむしろチャンス。そのまま斬りかかれば勝機は十分にあるはず。
そう思った、すぐに構え直し駆け出そうとした。
――――しかし、〝思う〟だけで私は何一つ実行せずに、ただ遠くなっていく背中を眺めていることしかできずにいるだけだった。
◇◇◇
日も落ちて、辺りはすっかり闇へと閉ざされる。
アベルはまだ帰ってきてはおらず、私はわざわざ義理も必要性もないのに薪をくべて暖炉の火を灯し、それをただじっと見つめている。
パチパチと薪が燃える小気味いい効果音とともに優しく揺らめく陽炎の変動は、発する暖かさも加わりどこか落ち着きをもたらしてくれていた。
故に何も考えることはせず、流れに身を任せて追憶の情景へと思考を没頭させる。
最初に流れてきたのは幼少期の思い出。無垢で何も知らず、目に見える範囲だけが世界の全てだった、幸福で閉じられた空間。
父がいて、母がいて、祖父がいて、祖母がいる。
毎日が楽しくて飽きがこず、やがて誕生した新たな生命を祝福する自分がそこにいた。
だがそんな幸福も長くは続かない。
何度思い出しても痛くて重苦しい、消えることのない最悪の傷の到来によって。
――――豹変した祖父――――逃げまどう自分――――寸でのところで斬り飛ばされる首。
あの日に、私の人生の全てが消滅し、新しい世界が始まってしまった。
その手始めに、愛する大人たちは皆いなくなり、同時に、他の大人たちは恐怖に煽られたように迫害を始めだす。
いつも挨拶を交わしていた近所の人が無視する。付き合いがあり食料品などを分けてくれた人が来なくなった。
道端を歩けば人が散り、家に籠れば外から私を狩り立てるような言葉の暴力。
理解ができなかった。どうして自分がこんな目に合うのかが分からない。何よりも辛くて悲しいことがもうすでに起きたのに、それ以上に襲い掛かってくる身に覚えのない暴言と差別。
自分が体験している全ての理不尽さが、家族を失った悲しみよりもずっとずっと辛く心に重しを与えた。
逃げ出すのにはそう時間はかからなかった。
小さな手を取り、遠くの町にいる親戚を頼りに歩き続ける。荷物を抱えた子供が立った一人で町と街を横断するという自殺にも似た行為。
走って転んで怪我をして、息を潜めて追いかけられる。そんなことを繰り返しているうちに何とか生き残り、いつの間にか町へと辿り着く。そこで私は――――。
…………戦士に身を落とした者の多くは、望まず強制的にそうなったのがほとんど。きっかけのみで捉えると、全員といっても過言ではない。
よく分からない間に無理やり体を弄りまわされ、血反吐が出るほどの訓練を強要され、やりたくもない戦火に放り投げられる。
おそらく攻撃型よりも防御型の方が多いのはこういった理由が原因なのだろう。
自由意思なしに組織に拾い上げられるという経緯自体は皆同じだが、そこから先の意識は自分のもの。しかし、恨みや正義感以上に恐れや絶望を強く持つ者の方が多いのは必然のように思える。
多くの同期が悲しみに暮れて痛みや悪夢を慰め合っている。ただの子供が何もかも失い兵器として生まれ変わることを強要されているのだから当たり前だ。
どこもかしこも悲壮感漂う異常な空間。その中で私は…………安堵していた。
劣悪な環境下であり、生と死が常に隣り合わせ、人間扱いされているのかも怪しく、実際存在の半分は化け物に移し替えられた。
化け物扱い? それがどうした。そんなもの、人だった頃に散々言われ続けたじゃないか。
声高らかに主張しても、いくら人である証拠を見せようとも、向けられてくるのは猜疑と恐怖の目ばかり。事実を否定され続けられるよりは、本物の人外へと変わった方がまだ気が楽だ。
半人半妖にされたことで不安はもちろんあったし、後悔なんて幾らでも出てくる。
……でも、他の皆が感じているような絶望は少なく、涙も思っていた以上に出てこなかった。
ここにいる少女たちは全員おんなじ。似た境遇で似た経歴で似た経緯で連れてこられ、そして同種の存在へと変えられる。それを指示している上の連中も無機質で何を考えているのかも分からず、ただ作業的に接するのみ。そんな監獄のような場所だけど。
……だけど、そんな冷たい場所でも、親しかった人たちから常に拒絶されるような孤独感を味わうよりは、ずっと、ずっと暖かかった。
どんな形でも人と触れ合い、友人も作ることができ、自分の存在を正当に評価される。
狂い切った組織に身をゆだね、欠片ほどの忠誠心もないのにも関わらず、反抗の意識がゼロなのはそういうことだ。
ちゃんとした居場所として機能しているのだったら、どんなに居心地の悪い空間でもなくてはならないもの。誰かとまともにコミュニケーションが取れる。たったそれだけ、でも最も重要なこと。
私は私の世界に多くを望まない。ただ誰かの世界と交わる機会が得られるのならそれだけでいい。
迫害されても同情と共感してくれる存在さえいれば安心できた。
私のことをちゃんと理解してくれる人が欲しかった。
淋しくなければ――――それだけでよかったんだ。
「帰ったぞ。……なにぼさっとしている」
「っ!? えっ?」
声が聞こえ、振り向くといつの間にかアベルが部屋の中に立っていた。
「い、いつからそこに?」
「いつからって、普段通り帰宅したから扉を開け、室内へと上がり込んで声をかけただけだが? 何をそんなに驚く要素がある」
……まさか、ドアの開く音も誰かが入ってきた気配も感じられないほど、気が抜けていたというのか私は。
「……ふん。まぁどんな状態でいるのかはお前の自由で、それについて俺がとやかく言う筋合いもないが。一応、ここが敵対関係者の住処だというのを理解しているのか? 真近の気配も感じ取れず、不在時に逃げ出そうとした痕跡も見当たらない。一体何を考えているんだお前」
理解が苦しむ、と言葉を捨てながら上着を壁に掛ける。
理解……。そんなもの私だってしていない。
……ここ最近の私はどこか変だ。
以前はあんなにも熱意をもって帰還を望んでいたのに、今ではまるで毎日行っている日課の一環のような形で、戦闘を行っているのみ。我武者羅に逃げ出そうと意気込んでいた心は、今の私にはどこにもない。
それに不在の間逃げ出そうとしなかったのも、今になってようやくそのことに気が付いた。
確かに、アベルはどこへ行くのかも告げなかったので不確定要素だったことは否めない。知覚できるようなすぐ近くなのかもしれないし、時間だってどれほどかかるのかも分からない。もしかしたら逃げようとするのを警戒した罠だったのかも。それでも確かに大きなチャンスの一つだったのは間違いなく……。
――――いや、やめよう。
私は気付いているはずだ。どこへ向かい、何を行ってきたのかなんて。
故にあったのは不確定ではなく確かな空白。妖力を消す薬もまだ残っているし、逃げようと思えばいつだって逃げられたはずだ。……それなのに。
約束を守るかのように律義になにもせず、ルールを厳守するかのように動こうとしない。
あんなものはただの口約束。強制力はさしてなく、破ったところで責められることもなければ、守ることでのメリットもない。
でも私は何もせずに、ただじっと帰りを待っていた。
それも帰ってきたことに気が付かないほど気が緩んでいる状態で。
……その間、こいつが一体何をしていたかを知っているくせに――――。
「…………ねぇ、少し聞いてもいい?」
「ん? なんだ」
アベルは返事と同時に振り返る。相変わらずその顔には何の敵意も警戒心も見当たらない。
「覚醒する前……化け物になる前は一体どんな風だったの?」
「どんな、とは?」
「一度覚醒したら物事の価値観がガラッと変わる。倫理や善悪、信念に至るまですべてが反転し妖魔のそれになって、それが当たり前になってしまう。……そう教わってきたし、疑う余地のないことなのは知ってる」
「まぁ戦士としての常識だな。それで?」
「……でもあんたは、なんというかイメージと違う。こうやって普通に話せているし、しぐさや行動のほとんどが想像とは違ってすごく自然で、妖気を感じ取らないと人と接しているのかと勘違いしてしまうぐらいに」
妖魔は人を食い、私たちはそれを止めるために狩る。
そもそもの思想や目的が対立しきっている。分かり合えることも、手を取り合えることも不可能のはず。意識が完全に妖魔化した以上、妖魔同様別の生命になった、そのはずなのに。
調子が狂っている原因の一つもそこなのかもしれない。いつものように別種の敵対生物として扱ってくれていれば私はいつまでも〝戦士〟としての意識のままで居られたはずだ。
しかしこいつと暮らし始めて二週間。接しているとどこまでも人間らしくて、疎外感や孤独感は一欠けらも感じることはなかった。
「だから覚醒する前とどれくらい変わっているのか気になって。昔からそんな適当な感じだったの?」
「さてな。自分自身を客観的に見つめるなんて器用なことはできないから、どこがどう変化したのかなんて知らんし興味もない。大体、勘違いしているようだが今お前が言ったように価値観が変わるだけだ。性格まで別物になるわけじゃない」
「でも、今まであった覚醒者の大体は好戦的で狂暴な連中ばっかりだったけど? ……それに、目の前で覚醒するのを見たことあるけど、以前とは大分雰囲気違っていたし」
「心の奥底ではそういう側面もあるってだけだろ。それかもしくは、他人に対して常に強気でいられるのは妖魔の本能みたいなものだからじゃないか? 古より人間を食ってきた天敵とやらなんだろ、あいつら。長年頂点にいた感覚をたった数十年で忘れるとは思えんし、妖魔寄りになった俺たちにもその性質が受け継がれていたとしてもおかしくない。実際、精神と力が噛み合ってないような奴はその変化が顕著だ。弱くて幼い心が強烈な内なる力に飲み込まれて、あっという間に狂暴な覚醒者の出来上がりってことだな」
なんとも適当な理論だが、納得できないわけじゃない。
普通に考えるとおかしな話だが、同族が私たちに狩られまくっているのにもかかわらず、私たちが来ることを知って逃げ出したり対策を立てていた妖魔なんてあまり見たことがない。
「でも、あんたはそんな自意識過剰になっているようには見えないけど」
「こんなのは根がただ怠慢なだけだろ。興味が出なければやる気も出ないし労力も使いたくない。……ああ、だとすると、覚醒前に比べて言うほど変わってないとも言えなくはないな。昔からこんなものぐさな感じだった気がする」
くっくっく、と小さく笑う姿はどこまでも人間に見紛うほどで、血に飢えた怪物には見えなかった。
「なら――――《人間》だった頃は?」
「あん?」
笑うのをやめ、小さく私を一瞥する。一瞬だけ貫いてきたその目には、今まで感じた人間らしさなどが一気に削げ落ちているように見えた。
「……さぁな、昔過ぎて覚えてない」
僅かな間のあと、再びいつも通りの顔に戻っていた。……でも私の目には、どこか空虚な気配を漂わせているように感じる。
「なんで? 自分自身のことでしょう?」
「一体何十年前の話だと思っている。ただでさえ覚醒前の自分と乖離している実感があるというのに、それ以前の自分なんてほぼ他人のようなもので興味もない。他人事の記憶なんて自然と摩耗し消えていくだけだ。物事の価値観が変貌してしまえば、それは別人になったと同じになる。あったところで実感も何も感じない。そんなものにどうやって執着など湧く?」
「……なら昔の自分は好きじゃないわけ?」
「好き嫌いではなく関心の話だ。餓鬼だった頃の俺はもうどこにもいない。唯一存在を証明している俺の頭の中も、そのほとんどが消えかけの残りかすだ。それなのに今更昔の自分がどうとか言われても正直反応に困る」
いつもと同じような気軽な返答、大した想いも乗せずに何の気なしに答えを言う。
どういうことか私には、それがすごく悲しく見えていて、段々とアベルを直視できなくなってきた。
なんというか、こいつのこんな顔、見たくはない。
「でも今言ってたじゃない。覚醒しても根本的な人格はそのまま、変わったように見えても、それは本来持っていた側面の一つでそれに狂暴性が付与しただけだって。覚醒さえしてしまっても根っこの部分が変わらないんだったら、戦士になる前も同じような性格だったんじゃないの?」
どういうわけか、私は今の話に慌ててフォローを入れている。
別に暗い話でもないし落ち込んでいるわけでもない。完全にただの余計な気遣いで、第一、曲がりなりにも敵に対して一体何をやっているんだろうか。
……でもなんというか、自分を否定しているようなアベルの言動に、なぜかは分からないけど、これ以上そんなことを言ってほしくないと思っていた。
「確かに組織に育てられる時点で今までの人生とは別物になるのは分かるけど、戦士時代もそんないい加減な性格だったって言うんだったら、心が弱くて周囲に合わせるように仮面を被っていたとは思えないし、境遇が変わる程度で自分を否定し続けるような脆い人間じゃなかったんじゃない、きっと」
「……」
二回も別の生き物へと生まれ変わり、最初期の自分などとうに抜け落ちているというが、覚醒という強烈な変化でさえ変わらないものがあるのだったら、それ以前の変化なんて然したるものではないのではないだろうか。
それに、今まで何体もの覚醒者と出会ってきたが、どれもやけに傲慢で私たちをあからさまに見下していた。あれが戦士時代の心の弱さの反動、なのかは分からないが、アベルにそんな要素はあまり見られない以上、その説が当たっていてもアベルには当てはまらない。私はそう思っていた。
「そんな風にぶっきらぼうにしてるけどね、多分、今と同じでものぐさで何考えてるのか分からなくて、でも、それ以上に強くて優し――――」
「そこまでにしておけよ小娘」
最後の言葉を遮るように、アベルが濃厚な妖気を迸る。
苛立ちのような怒気を混ぜ合わせたそれは、至近距離から私に襲い掛かり、息を吐くこともできずに全身から一斉に汗が噴き出した。
「お前、今自分が何口走ろうとしたのか分かっているのか? 見当違いの評価も甚だしい。悪いがお前に俺の過去なんぞ理解してもらうつもりもないし、される謂れもない。なんの同情かは知らんがどうでもいい慰めはそれ以上止めろ。不愉快だ」
有無を言わさないように、言葉に乗せて私に強烈な圧力を加える。
それと同時に、いつのまに妖魔化したのか、巨大な杭となった片腕が、私の喉の手前へと止まっていた。
「これ以上ふざけたことを言ってみろ、いくらお前を手元に置きたいといっても寛容になるのは限度がある。なにもされたくなかったなら、口を閉じて大人しくしていろ」
これは脅しではないのだろう。実際やろうと思えば次の瞬間には私を好きにできる。武器も持っていない私とこいつとでは、本来それくらいの力量差が確かにある
一言でも余計な言葉を零したのなら、即座に目の前の杭が喉元を引き裂くのであろう。これまで至りつくせりとも言えるような扱いだったが、何の躊躇いもなく実行すると、全身でそう伝えている。
だから、私がアベルに対して今示す行動は、一つしか考えられない。
「――お、お断りよ」
「あ?」
「自分で言ったんでしょ、こうして一緒に暮らしているけど私たちは敵同士だって。戦士が覚醒者に対して邪魔になる行動を取るのなんて当たり前じゃない。その後に襲ってくる報復も命の危機も、もう何度も何度も体験して、今更怯むなんてことはないから!」
精一杯の虚勢。
実際のところ、何度も体験しているからといって死の恐怖自体が失うことはなく、汗もダラダラで吐きそうなぐらい気持ちも悪い。
そもそもな話、本来私はここまで強気でも反抗的な性格でもない。これ以上波風立てずに静かに沈黙していく。それが私にとっての最善の選択のはず。……なのに。
「……ほう。なら俺をイラつかせるだけイラつかせて、その結果首を刎ね飛ばされるのも辞さないと?」
「本当にできるんだったらね! ……そもそも今の生活も全部あんたの気分次第でどうとでもなるじゃない。唐突に飽きたりして、遠くない未来に同じようなシチュエーションが起こるかもしれない。遅かれ早かれ来る結末に怯えたりなんかしない」
「身の安全は保障すると、最初に何度も伝えたはずだが?」
「信じられると思う!? もう何日も一緒に暮らしているのに、自分のことを何一つ話さないような奴のことを!」
そうだ。こいつは何も喋らない。
私が訊ねる以外で自分を語らず、また喋るにしても本当に最低限で、重要そうな個所はのらりくらりと。
そしてそれを私の方から指摘すると……この有様。
何を考えているのか分からない。
どういう目的なのかも分からない。
知りたくて聞いてみたところで答えてくれない。
理解しようと近づいても躱されるのみ。
こうして私に爪を立てている理由にも理解が…………なんで私はそこまで理解したがるんだろう?
「今更そんなことを蒸し返すのか。不安を持つのは分からんでもないが、こうして命を危機にさらすほどの内容とは思えんがな」
「っ! そ、そうよ! 私を攫った訳を聞いても、よく分からないの一点張りだったじゃない! そんな自分自身の行動の意味さえも理解していない奴の言うことなんて……」
「黙れ餓鬼」
妖気の気配が膨れ上がったと思うと、喉に押し当てていただけの爪を開き、五本のうちの二本を使って私の喉を挟み、締め上げた。
「が、あっ」
「よくそんな好き勝手に吐けたもんだな。二度と口を開けないようにしてもいいんだぞ? ああ!」
そのまま体を持ち上げ、勢いよく壁に向けて放り投げた。
衝突と同時に小屋全体が激震に震える。近くにあった樽やロウソク立ては衝撃で飛び散り、打ち付けられた壁は小さく陥没していた。
「う……、げっほ! げほ!」
「俺のことを自分のことも理解していないといったがな、お前自身はどうなんだ。行動どころか自分の感情の出どころすら理解していない分際で、偉そうに垂れるな」
「はぁ……はぁ……――――え?」
私の、感情?
「俺はお前を拾った行動に対してうまく理由付けは出来てはいないが、それでも、俺が実行しようと判断し、その心に従った結果だ。そこに嘘偽りはない。だがお前はなんだ? 自分に嘘を塗り固めて、わざわざ自分の心に制限を掛けている。そんな奴が自分自身を理解していないと説教するだと? こんな馬鹿な話がどこにある」
「なに……を、言って?」
「散々戦士としての使命やら覚醒者との立ち位置やらを語っていたが、そんなもののどこが真実だ。ガタガタ震えながら絞り出していたのが丸見えだったぞ。もし本当に仕事に対して胸を張っているんだったら、もう少し気丈に振舞えよ。そうでなかったなら、あんな言葉はただの辻褄合わせにしか聞こえないな」
確かに私は仕事に対して誇りを持っていないし、さっきの反抗だってらしくないって自覚はしている。
でも真実ではないとはどういう意味? 戦士は妖魔を狩る存在で、そこに嘘偽りなんて……。
「まだ分からないのか? じゃあ聞くが、なぜお前は俺に素直に従っている?」
「はぁ、はぁ……そんなの、あんたの方が力があって、拒否権がないからに決まっているじゃない」
「そうか、なら次だ。戦士の使命とはなんだ?」
「……人間の天敵である妖魔や覚醒者を狩り、人々を救うこと」
「では最後の質問だ。なぜお前は――――――――人食いに行こうとする俺を止める意思が欠片もないんだ?」
………………え……?
「言っておくが、知らなかったというのはなしだぞ。俺が何しにどこへ向かったのかなど、少し考えれば子供にだってわかる」
アベルの言葉に何も反応ができない。たったその一言で頭の中が真っ白になった。
突きつけられたそれは、まるで頭の中に掛かっていた錠を粉々に砕かれたような感覚が出てくる。自身の奥底にあった
さっきも一度は考えた、でも、深くは考えずにすぐに沈殿させていった。簡単なはずなのに無視を続けた一つの意味。
考えたくはなかった、認知したくなかった思考が次々と湧いてくる。
言い訳はできない。私は知っていたし確信もしていた。
だって力の差があったから。
――――違う。それでも止めようとするのが人間としてのあるべき姿だ。
一日一回というルールがあって。
――――そんなもの、強制力も細かい決まりもないただの敵側の言いつけだ。そんなものが理由になんてなりはしない。
だけど私は生き残る必要が。
――――戦士として命をかけると言ってたのはどこのどいつだ?
でも――――でも、でも、でも、でも、でも、でも!!!!!
『お前、本当は人間のことなんてどうだっていいんだろう?』
「――――あ」
三日前にアベルから告げられた言葉が思い出される。
その一言だけで終わってしまった、しかし今もなお、強く重くのしかかっている言葉。
今になって再び大きくなり、何度も頭の中で復唱されていく。
カチッ、と……何かがはまる音が聞こえた。
「ああ……、そうか」
覚醒者との共同生活。戦士の使命。人食いの見逃し。
一見矛盾しているように思えるが、その実、見方を変えればしっかりとまとまりを持った内容になっている。
それは――――どうでもいいから。
妖魔を狩ること――それはただの仕事内容。そこには何の感情も思い入れもない。……それによって救われた命、救えなかった命なんてどうだっていい。
覚醒者と住まうこと――自分の命が保証され逃げ出す機会だってちゃんとくれているのだから文句はない。食事の事情だって私が口を挟むことでもないし、変に声を荒げて今のバランスが崩れるのを望みはしない。
そう、私はこの生活が思ったよりも嫌いではなかった。
剣の鍛錬をし、定期的に模擬戦に近い感覚で戦闘を行い、疲れたら木陰で休み自然のせせらぎを堪能。夜になれば小さな食事をとり寝床で休む。そんな半人半妖となってからおそらく最も穏やかな時。
心地よかった。命を無駄に投げ出さないで済むような毎日が。煩わしく機械的な指令もなければ嫌悪と畏怖の視線にさらされることもない。ゆっくりと静かに過ぎていく一日を、私は躊躇なく受け入れていた。
もちろん帰ることを諦めてはおらず、戦闘も毎回手を抜かずに全力で行ってはいるが、実質的にはサボりの言い訳でしかない。自己中心的な身勝手な行動。
私の命が助かりたい、その影響で消えていった人間の命なんて知らない。
この休憩時間を堪能したい、その間に脅かされた人々の生活なんて興味がない。
思えば、私が人間のために戦ったことなんて一つもなかった。
そのほとんどが仕事と割り切って事務的に。それか、自分以外に命を懸けるとしてもそれは仲間のため。共に戦っている同じ戦士たちのために使っている。
人のために……この命を使ったことなんてない。
何度も死にたくないと懇願されながらも、私がこの手で首を刎ね飛ばしたクラリッサ。
その亡骸に最後まで顔を向けられなかったのはどうしてだろう?
仲間を殺したことへの罪悪感? 六人いたはずの一人が消えた喪失感? 覚醒してしまったことに対する悲しみ? それとも――――その姿が自分自身と被った自己嫌悪故なんだろうか?
「私って…………人間のことが好きじゃなかったんだ……」
頬を伝う雫が何なのかは分からない。
ただ、だからなんだということはないんだけど。それを知ってしまったのが、なぜかどうしようもなく悲しくて、悔しくて、その水滴を拭うことすらしたくはなかった。
◇◇◇
「……ねぇ、いつから気付いていたの?」
しばらく泣き、その間沈黙を保ってくれていたアベルに訊ねた。……空気、読んでくれたのだろうか?
「別に正確に理解していたわけじゃない、大体こんな感じだろうとふわっと予測を立てていただけだ。そもそも、もう何日も二人っきりでずっと一緒にいるんだぞ、相手がどんな感じの性格かなんて大体分かるだろ」
お前は少しも分からなかったようだけどな、そうおどけて見せる。
そこまでの洞察力はあんたぐらい、と言いかけたがやめた。
実際私は全然理解していなかったんだ。相手のことも……そして自分自身のことも。
「自分の醜い部分を自覚するというのは、確かに目を背けたくなることではあるが、一回通り過ぎるとどうということはなくなるぞ? むしろ自分の本質を曝け出しているわけだから清々しいぐらいだ」
「……なにそれ経験談?」
「まぁそんなところだ。そもそも覚醒自体それを全面的に自覚する行為だしな」
「そうね……だとするとやっぱり私は覚醒なんてごめんよ」
こんな弱い心なんて、知りたくもなかった。
「弱い心なんてなにもお前だけが持っているものじゃないだろ。元が人である以上誰しも持ち合わせているものだ。深く気に病んでいてはキリがないぞ」
「……アベルも、何かあったの? こういう見たくない、思い出したくない何か」
「どうだろうな……、さっきも言ったように昔の感情なんて大した思い入れもないし、反転した以上ほとんどが忘れかけている。ただ……そうだな。覚えているとしたら一つだけ」
アベルは目を瞑り、思いに耽るかのように天井を仰ぐ。
「餓鬼の頃、俺は英雄に憧れていたようだ」
「……英雄?」
その答えの意味が分からずに思わず問い返した。
「そうだ。そこらじゅうの餓鬼が大体は夢見る、不可能を可能とする絶対的正義の味方。人知れず悪を倒し、それでいて視界に映る全員を笑顔にできるような存在に。バカバカしいことに、俺は本気でそれになれると信じ切っていたらしい」
くだらないと吐き捨てながら自称気味に笑う。
しかし、私は笑うことはせずに聞き入った。……どこか既視感に苛まれながら。
「当時は行動の果てにはより良い結果が必ず付きまとうと本気で信じていたんだ。笑える話だろ? 幾ら結果を出そうがその過程が知れ渡らなければ意味がない。認知されないものは認知されないままで、成功はともかく失敗の方は容易く知れ渡り、そうして挫折していく」
自己を顧みず人々のために動く。
それはまさに童話の英雄そのものでかっこいいのだろう。憧れを抱くのも頷ける。
……でも私は知っている、そんな完全無欲な人間など存在しない。
常に人のために動きながらも誰からも愛されることがない孤独感なんて……到底耐えられるものではない。
「最終的には全部が憎たらしくなってきた。守ろうと意気込んでいた対象たちが醜くてしょうがなくなってな、そう考える自分にも自己嫌悪を覚え、最終的に行き着いた先はこのザマだ。今となってはどうしてそんな想いを抱いたのかも忘れ、ただの化石となって錆びついているよ」
――――似てる。性格や雰囲気は違っていても、これまでの行程や考え方がすごく。
英雄に憧れた。英雄になろうとした。
急に周囲の態度が豹変し始め、周りが嫌いになった。挫折を繰り返していた結果、周囲が憎たらしくなった。
私は弱い自分が嫌いで、アベルは醜い自分が嫌いだった。
どことなく生き写しのような経歴。だからだろうか? 私があそこまでこいつに興味を持ち始めていたのは。
「……ふふふ」
「どうした? なにがおかしい」
「あ、いや、別に馬鹿にしているつもりじゃないのよ……ただ少しだけだけど、知ることができたから」
これは多分、そういうこと。
アベルのことを理解したがってたのは、きっと心のどこかで一番の理解者だって気付いていたから。
色々と嫌なことを自覚されてきたけど、この情報だけは、少しだけ暖かくてう嬉しいと思った。
「……なんだか随分と表情がすっきりしてるな。ついさっきまであれだけ傷心していたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?」
「何言ってんの、あんたのせいで心も体もボロボロじゃない。ちょっと笑ったくらいで変な勘違いは止めてもらいたいわ。まだ体中痛いし、少しでも気が緩むと泣いちゃうくらいよ」
「ほう、そうか……そうだろうな。なら手を貸してやる」
そう言いながらアベルは近づいてくる。私は引き起こしてもらえると思い、素直に右腕を伸ばそうとする。
――しかしその手を取ることはせず、代わりに体全体を使って、私に覆いかぶさってきた。
「………………へ? ……え、ちょっ! な、なに!?」
「なにをそんなに慌てているんだ、慰めるのに手を貸すと言っただろう。こういう時、抱き合って寝てやるのが男の甲斐性とかいうやつじゃないのか? よくは知らんが」
て、手を貸すってそういう意味だったの……? ってそうじゃなくて!
「で、でもこんなこと許すなんて一言も……、第一! 覚醒者とそんな関係になるなんてこと……」
「俺は別に相手が戦士だからって気にはしないぞ。それにさっきお前に黙っていろと言ったのにもかかわらず黙らなかったからな。まぁ、その罰だとでも思って諦めろ」
「う、……そ、それはそうかもしれないけど。だけど、私は」
「――――アエラ」
はっ、と口を止める。
今、名前で……。
「何度も言うが俺はお前に惚れてるんだと思うし、これも何度も言うがここにいる以上拒否権はない。興味が出たら妥協しない性格だし、同時に譲りもしないからな。……まぁあれだ。だから一通り楽しんだ後に殺したり捨てたりとかはしないから、そこぐらいは安心してろ」
微妙に最後が締まらないセリフだが、なぜか私の体から力が緩んでいくのを感じた。
抵抗しなくちゃいけない。覚醒者と一晩共にするなんて前例もないしもってのほか。相手は人食いの化け物だし自分とは違う存在。
でも足も手もまるで動こうとはせず、物理的な対応はできそうもない。
だから私はせめて、熱が上がっている顔を上げて、口を開いて言葉を紡ぐ。
「わ……私、……おなか開いちゃってる、んだよ?」
今の私の精一杯の抵抗。
その言葉にアベルは面を食らったようだが、すぐに噴き出して朗らかにこう言った。
「……俺だって昔はそうだ」
さっきとは別の意味となった水滴が頬を伝う。
戦士になって最も聞きたかった一言が私の胸を貫く。歓喜と安堵が同時に浮上し心の泥を溶かしていった。
雲が流れ、月の優しさが包み込む。
その夜、私は一つの純粋さを失ったが、変わりに久しく忘れていた〝愛〟を、私の奥底へと刻み付けられた。
これがこの物語のある意味一つの節目です
寂しがりな少女の話は一区切りを迎え、次話から世界が色々と進みだします