子供の頃、よくおばあちゃんが寝る前に聞かせてくれた。
こわい悪魔と戦う英雄、そして愛らしい一人のお姫様のお話。
小さいころから皆に愛されていたお姫様は、ある時一人で森へと出歩く。一人で進む初めての冒険。未知への体験に心が躍っていたが、夢中になりすぎて深く深くへと進み、やがてこわい悪魔に出会ってしまった。
悪魔はとても恐ろしい存在で、お姫様は縮こまってただ震えることしかできない。そんな彼女を救ったのは、自分と同じように小さくて、自分よりもとっても勇気のある一人の男の子だった。
それが二人の最初の出会い。
小さな少年はやがて大きな英雄となり、様々な事件を解決する。
怪物を退治し、盗賊から村を守り、貧しい人たちを助けた。
たまにお姫様の元を訪れては、そんな冒険話を語ってくれる。お姫様は彼の話が大好きだったが、ある時ふと疑問に思っていた。
『どうして誰も貴方の話をしないの?』
多くの事件を解決してきているのに、英雄さん自身の噂話一つ聞かないのだ。
彼はこう言った。
『僕は感謝のためじゃない。皆の笑顔が見たいだけなんだ』
誰も感謝しない。誰にも見つかることもなく、救った相手がわからない。誰も分からないから例え正体を明かしたところで嘘つき扱いで終わるのだろう。しかし、彼はそれで良いという。
英雄はとても気高い心で、一人で戦っていた。
知っているのはお姫様一人だけ。そして少しも疑うこともなくその話を信じた。彼が嘘をつく人間ではないことを誰よりも知っていたから。
誰からも大切にされているお姫様は、そんな誰よりも強い英雄に憧れていた。
ある日、遠くの地で悪魔が現れるという話を聞く。
その悪魔は昔出会ったのよりもずっと強くて、ずっと怖く、恐ろしい相手であるという。
英雄は旅立つ。悪魔を倒して困っている人々を救うために。
お姫様は心配してやめるよう言った。しかし、彼の決意は固く、止めることはできなかった。
ならばその代わりにと、お姫様は祈った。無事でいてくれるようにと、見事倒して帰って来るようにと、また楽しいお話を聞かせてくれるようにと。
信じて信じて、いつまでも祈り続けていた……。
お話はここで終わる。
結末が明確ではないスッキリしない終わりだったので、おばあちゃんによく不満をぶつけていた。
そうすると、おばあちゃんは決まって笑い、『お前はどんな話の続きがいいんだい?』と問いかけてきた。
私はそのたびに理想的な結末を述べた。悪魔を退治し、故郷へ戻り、今までの功績全部に皆気付いて、お姫様と結婚して幸せになる。そんな模範的なハッピーエンドを。
それを聞くとおばあちゃんはにこやかに笑って頭を撫でる。それがほぼ日課ともいえる一日の終わりの儀式。
結末に対してブーブー文句を言っていたが、なんだかんだ言って私はこの童話が大好きで、何度聞いても飽きることはなかった。
この話には様々な登場人物たちがいたが、私はとりわけ主人公でもある英雄が好きだった。
女の子なら普通、愛くるしいお姫様を夢見るのだろう。確かにそれも捨てがたかったが、それ以上に英雄の強さに心を奪われていた。
誰よりも強く、心も清らかで、優しくて誇り高い。そんな彼がお気に入りで、そんな彼のようになりたいと願っていた。
そして日が昇ったら棒を振り回して剣士の真似事。仕事を行っているお父さんを無理やり悪者に仕立て上げて、修行と称した正義の味方ごっこ。もちろん現実的な成果などほとんどなく、生まれていたのは父の苦笑いくらいだったであろう。
それでも私は望んでいた。
あの話の英雄のように、強い力と心。それをもって皆を助け、誰からも尊敬されて誰もが私を信じてくれる。そんな立派で大きな大人になれるのを。
体を動かして、腕を振り回しながら、穢れのない未来を私は夢見ていた。
……そんな無邪気な
あぁ……なんて馬鹿な子供。誰からも好かれたいのなら素直にお姫様で妥協すればよかったのに。
なぜ気付かないのだろうか? 目先のことばかりに目を向けて都合の悪い現実を見ず、少しの疑問も抱くことはない。
だってそうだろう。様々な愛に溢れているお姫様と違い、立派で強いと言われている英雄様は――――。
……誰からも愛されてはいないのだから。
◇◇◇
――――チュンチュンチュン。
眩しい日の光とささやかな鳥の鳴き声が私の意識に入り込む。
沈殿していた意識が浮上してきた感覚。それによりどうやら眠っていたということだけは実感できた。
夢か現実かあやふやな精神。体を動かすのも億劫で、瞼を開けることすら煩わしく感じる。
それでも一度覚めた意識はいくらかは現実側に寄っているようで、段々と頭が稼働してきたみたい。
首をゆっくりと動かして周囲を観察。……まぁ観察といっても瞼を完全には開くことはせずに、薄目で視界に入れるだけなのだけど。
どうやらここは室内のようだ。木造の壁と窓と天井、そして最初は気付かなかったけど、私は今ベッドで横になっているらしく、白い毛布が体を包んでいる。
身に覚えのない場所、身に覚えのない状況、身に覚えのない……温かさ。不安定な頭を捻ってみたけど、やっぱりどれも身に覚えがなかった。
少しは頭を捻ろうとはしてみたが、それ以上に眠気の方が大幅に勝っている。
もう色々と面倒になって、再びまどろみの中へと引きこもろうと、布団に潜り込むように体を動かす。
「目が覚めたか」
不意に、奥から声が聞こえ、誰かが部屋に入ってきた。薄く映っている視界のシルエットと声の印象からみて、おそらく男性だと思う。
「……こ、こは?」
寝起きだからか口は素直に動かず、非常にたどたどしくなっている。
「小さな山小屋だ。倒れていたお前を連れてきて、意識が覚醒するまでここで寝かせている。ただそれだけだ。それ以外におかしなことは何もしていないから安心しろ」
――――あぁ、そうか思い出した。そういえば戦っていたんだった。その時の疲労も傷も抜け切れていないからこんなに疲れているのかもしれない。……それを親切にここまで連れてきてくれたんだ。
「……あ……りが、とう」
「礼はいい、今食料を持ってくる。起きたんだったら食べるものを食べて体力を戻した方が良い」
そう言って彼は奥へと消える。
……あぁ、良かった。こんないい人に助けてもらえて。あんな危険な場所から運んでもらえただけじゃなく、温かな寝床まで用意してくれて、その上食事まで。……仲間以外にここまで優しくされるなんて思ってもみなかった。
なんだか安心したら眠気が再び襲ってきた。食べ物を取りに行った彼には悪いが、もう少し寝ていようと思う。
目を閉じて、周囲の環境を優しく楽しみながら、夢の中へと落ちていく。
小鳥の鳴き声、温かい光、薄くふいてくる隙間風、木々のざわめく音、軽く響く足音、人の動いている気配、何処か重く感じる妖気。
――? ……妖気?
ここには私以外には人一人分の気配しか感じない。静かな空間だから読み違えたということもない。
妖気を感じたということは、さっきの人は仲間?
でも男の人だったし……もしかして妖魔?
いや、むしろあれは――――。
「ッ! ――覚醒者! ……いっ!!」
それに気付くと眠気が完全に覚め、咄嗟に勢いよく体を起こす。が、蓄積されていた痛みは予想を超えていて、それ以上の行動がとれなかった。
そんな時、何かがドアの向こうから飛んできて、ベッドの上に落ちてきた。
「起き上がれる元気があれば十分だな。……ほら食え。いくら半人半妖といっても、外部から栄養を補給しなくてはどうにもならんぞ」
よく見ると、落ちてきたものは少し大きめの布で、中にはパンや干し肉なんかが包まれていた。
しかし、渡されたそれを手に取ることもなく、私は目の前の男をただ睨む。先ほどまでとは違い明確な敵意を込めて。
「……ここは一体どこ?」
「さっき言っただろう、ただの小さな山小屋だ。どの町からも離れた山奥の森の中に建っている一軒家だよ。今では活用する人間もいないようでな、俺が住処として使っている」
何でもないように言葉を返すが、私はそれに対して一切の安心感を抱かずに、警戒と観察を続ける。……安心できるわけがない。相手は私たちの天敵で、こっちは丸腰もいいところなんだから。
……正直観察といっても無意味に近いと理解している。この段階で得られる情報なんて有ってないようなもの。見た目は軽く見て二十代から三十代で黒髪、背も平均的な高さで肉体も鍛えられているような印象。……今手に入れたのはこの程度。
私は歴代の覚醒者の情報なんて調べてないし覚えてもいない。それに今の私の状態では相手が誰だろうとまともに対応できるとは思えない。……だからこれは今行える最大限の抵抗、視線だけは戦っているという可愛い抵抗の意思、ただそれだけ。
「私に何かしたの?」
「特に何も。さっき言った内容そのままだが?」
「は!? 納得できるわけがないでしょ! 戦士をなんの損得もなしに助けたっていうの? 覚醒者が? そんな馬鹿な話信じられると思うの!?」
「妖気の読み取りにも問題はないようだな。さっきまで何の敵対心もなかったから逆に心配してたぞ。ほら、いいからそれでも食ってろ。腹が減ってれば動く体も動かないし、回る頭も働かない」
そう言うと、男はさらに食料を投げつける。それから軽く手を動かし、口に入れることを促した。
「……これを食べて大丈夫な保証がない」
「それは何とも言えない疑問だな」
「中に毒が入っているかもしれない」
「妖魔の血肉と同化した存在に毒物は通用しない。そんなことは知ってるだろう」
「さぁね。でも善意で食べ物を渡すよりも毒物を混入させて渡している方がずっとしっくりくるし、それに妖気を消す薬だって存在するのだから、それ以外に私たちの肉体にも作用するような薬物がないなんて言いきれないじゃない」
「そんな物を自力で作れるんだったら大したものだな。組織の研究者共が何十年かけても見つけてないんだ。俺はあのイカレ連中より何倍も脳みその性能がいいらしい。……警戒するのは自由だが、さっきから問答ばかりで面白みがないな。せめて軽い自己紹介でもしたらどうだ? まだお前の名前も知らないんだからな」
おどけたように言うが、当然無視する。それに、確かに現実的な話ではないが、それでもこいつから与えられたものを素直に口に入れる度胸はない。
「……なにが目的なの?」
「ん?」
「だから! 私をこんなところに連れ込んで一体なにがしたいわけ!?」
「ふう……さっきから警戒に容赦がないな。今まで害のある行動はとってないんだから少しは力抜いたらどうだ。少なくともこの二日間お前は完全に無防備だったんだ。なにかするんだったらその期間内にいくらでもやってるし、早急にやってもらいたいことがあるんなら瀕死にさせてでも無理やり起こしてる」
「二日……」
実感はないけども、私はそれほど長い間気を失っていたということか……。完全に真にに受けるわけではないけども、それならばこの異様な心身のだるさの原因も説明が付く。
「それに一応ボロボロになってたお前を助け出したのは俺だ。あのままだと死ぬのは確定だったんだ、少しは有り難く思えよ。……ま、相手がダフだったのもある意味幸運だったがな、あの嗜虐癖のおかげでなぶられることはあっても即死は免れた。少なくとも、元々大きく消耗していたにも関わらず手足も何一つ欠けてないのは上出来だろ」
「ダフって……あの覚醒者?」
私にとって最も最近の記憶。巨大な鉄柱を無数に射出してくる大男。
こいつがあの覚醒者のことを知ってるのは……まぁいいとして、問題はその言い方だ。まるで一部始終をどこかで見ていたような?
「一体あそこに何しに来てたわけ? ……まさか偶然通りかかった、なんて言わないわよね」
「当たり前だ。元々あの場所で集合する予定だったからな、待ち合わせ場所に向かってみたら、たまたまお前らが戦ってただけだ」
「待ち合わせって、どこの誰とよ?」
「もちろん――――オリヴィエとだ」
――――その言葉を聞いて、私の敵意はさらに鋭さを増す。
こいつの正確な立ち位置は分からない。けれど、あのタイミングでオリヴィエと待ち合わせていたということは、十中八九、奴が作ろうとしていた対深淵用の勢力と関係がないはずはない。
そしてその軍勢と先日私たちは戦い、オリヴィエも討伐した。そこから導き出される答えはつまり――――。
「そう、ならやっぱり敵ってわけ」
私は無駄だと思いつつも、意識だけは臨戦態勢にさせる。
敵対する理由は十分だろう、直接対峙してはいなかったけれど、向こうは勢力が壊滅し、こちらは仲間を失ったのだから。
体が動かなくとも視線だけは決して下げることなく、じっと睨み続ける。
――しかし、私の決死の覚悟とは対照的に、相手のやる気は一向に上がる気配が見当たらず。
……なんというか、その、認識の違いとかそういったのが、こう……ざっくり言うと、こっちと向こうの温度差がすごく感じられる。
「盛り上がっているところ悪いが、そんなに気に留める必要もないだろう。そちらの被害がどれほどだったのかは知らんが、それに対して俺は全く関与していない。俺も直接被害を被ったわけでもない。……なら、二日前のいざこざはに関しては水に流して然るべきだ」
「なにをっ――――」
「オリヴィエの計画は、そのオリヴィエが死んだことによって根本から破綻。俺は元々熱意なんてなく、冷やかし半分で加担してたんで、すでに終わったことにはやる気もなければ少しの因縁も感じてはいない。お前の感情はどうだかは知らんが……まぁいい、好きなだけ悩んでいろ」
そう言うと、男は踵を返してドアノブに手をかけた。
「……少し出てくる。
そうして姿は消え、足音も遠ざかっていく。
私は全神経を研ぎ澄ませ、男の気配が遠くなっていくのを観察し、やがてそれが完全に消えると、ようやくほっと息を吐き出す。
……さて、これからどうするべきか。
あの男が言っていたように、このままゆっくり休んで屋外へは一歩も出ない? ――――論外だ。なにも信頼できる要素がない以上、ここでじっとしているなんて馬鹿げている。
私は重くなった体を無理やり動かしベッドから這い出る。痛みとだるさで立ち上がるのもやっとだが……まぁいいや、しばらくしたら慣れるだろうし。
今の私の装備は組織から支給されている衣服のみ。大剣はもちろん鎧も補助用の道具も手元にはない。
まずはこの家を探索して、脱出に使えそうな道具類を見つける。……仮に見つけたとしてそれが覚醒者相手にどれほど役に立つのかは分からないが、丸腰よりはマシだ。
今いる寝室で軽く体をほぐし、覚悟を決めてドアを開け一歩踏み出す。
隣の部屋に移動して様々なものが目に映る。大きな机に複数ある椅子、火種がない暖炉、大きな収納棚、乱雑にまとめて置かれてあるかご、そして……。
「――――はぁ?」
……思わず間抜けな声を出してしまった
信じられないものがそこにあったのだ。私がここしばらくもっとも見慣れて、もっとも身近にあるもの。
――――私の装備類がそっくりそのままそこに置いてある。
「え、なんで? どうして……ここにあるの?」
てっきり私の装備品なんてそこら辺に捨てられているものだと決めつけていて、正直半分取り戻すのを諦めていたのだけれど……。
そもそもな話、利用するにしても人質にするにしても、私個人が目当てだとしたら、その武器なんて相手から見たら邪魔にしかならないはずだ。なんかもう訳が分からない。
丁寧にも小道具類までそっくりそのまま、なにも欠けることなく持ち込まれている。相手の意図が全く分からず混乱とするが、とりあえず馴染みの装備があること自体はありがたいのも事実なので、ひとまずは着替えることにした。もちろん、罠や細工が施されているかも知れないので、しっかりと警戒した上で。
「鎧の傷や汚れ具合もあの時と変わらずそのままか。当たり前と言えばそうなんだけど、全くの手付かずってのがなんだかかえって不気味ね……。えっと、携帯してる小袋は……よかった、中身もそのまま残ってる」
袋の中から一つの丸薬を取り出す。今の私の生命線ともいえる物――――妖気を消す薬だ。
今はまだ使わない。焦らずに周囲の環境をしっかり確認して、ベストなタイミングで飲む。
防具を着込み、武器を手に取り、切り札も用意した。……よし、準備は万端。こんなところからはさっさとおさらばしよう。
「さてと、行くか」
家の外に踏み出す。山小屋というのは本当のようで、見渡す限り山か森しか見えず、完全な一軒家。
あいつの姿はなく、妖気も薄い。チャンスだ。
私は最も木々が多い茂っている一画をを見繕い、そこへと向けて駆けだす。手には妖気を消す薬を用意し、そこへと入った瞬間に飲み込む用意。
全て順調。後はここまま逃げきれて、撒くことに成功すれば……!
「――――言っておくが」
……首に、何か食い込むような触感がした。
それに気付くと同時に勢いよく転ぶ。――――いや、押し倒された。
締め付ける力は強まっていくが、それでもなんとか顔を背後へと回す。
「あ、ぐっ」
「俺は元
視覚ではここにいるはずのない男を捉え、痛覚は押し倒されている力を自覚させ、そして戦士特有の感覚では――――全身に強烈な悪寒が走った。
あまりにも馬鹿でかい妖気。今の今までこいつの妖気はほとんど無視できる大きさだったのにも関わらず、一気に噴き出ている圧倒的存在感。
甘く見ていた。警戒していたつもりが、その実、表層の妖気だけで判断してとんだザルだった……。先日のオリヴィエに近しいほどの濃密なソレを真近で浴び、身動きどころか息をすることさえ忘れてしまう。
すると男は、私の首根っこを掴んだまま立ち上がり、小屋へと向けてそのまま放り投げた。
「ぐはっ、う! ……ゲホ! ゲホ!」
壁に勢いよく激突し思わず咳き込む。軽く酸欠状態になり歪む視界で、男がこちらへと歩いてくるのが見えた。
もはやどうしようもない、……私は失敗したんだ。
逃げるなという言いつけを破り、こうして私は捕まった。抗う術はすでになく、ただただ受け入れるしかない。
これからどうなるのだろう……。痛めつけられるのか、それとも無慈悲に殺されるのか。もしかしたら、性欲の捌け口にされるのかも……。
咳によるものなのか、それとも不安のせいか、目に涙が溜まってよく見えない。
男が目の前に到着する。私はぎゅっと目を強く閉じる。もう何もかもが嫌になって、目に何も映したくなかった。
――――ポフ。
「……え?」
お腹の上になにかがぶつかる感覚がする。ぶつかってきたといっても少しも痛くはなく、軽く投げつけられたような、そんな感じだ。
恐る恐る目を開くと、お腹には丸くオレンジ色をした物体ががいくつか乗っかっていた。……これは……果物?
「ここの近くで今採ってきた奴だ。採れたてで何も手を加える余地なんてないから、それなら毒物の心配なんてする必要がないだろう」
「…………は?」
男はあっけからんというが、私は開いた口が塞がらない。
いや、ちょっと待ってちょっと待って。色々と頭が追いつかないから。
え、なに? つまり果物食べさせるためにわざわざ探してきてそれを渡しただけってこと?
「えっ……と、うん? 本当にそれだけ……なの?」
「ほかに何か期待してたのか? そんな怯え切った顔されてもこれ以上はなにも出てこないぞ」
表情を指摘され、慌てて顔を拭って涙やらなんやらを消し去る。さっきまで不安がすごかったのに、もうすでに羞恥の感情で埋め尽くされていた。
顔中こすって改めて目を開けると訳が分からず不審そうにしている呆れ顔の男……やっぱりなんか温度差がすごく感じられる。
「……はぁ、いや、訳が分からないのはこっちよ」
主にこいつが何を考えているのかが。
なんだか色々と馬鹿らしくなって、渡された果実を手に取った。……多分、色々と混乱しすぎて感覚がマヒしているのだろう。うん、そうに違いない。
適当な言い訳を構築して、口へと運び一かじり。甘さと酸っぱさが口全体に広がる。もちろん体に異常はなし。なんだかどっと疲れてきて、いつの間にか私は自分から声を出していた。
「――アエラ。……私の名前よ。ナンバーは一応3」
先ほどなあなあで流していた自己紹介を今更ながらする。
相手は一瞬呆けていたが、やがて納得したかのように小さく笑い、こう返した
「アベル。元々所有していたナンバーは――5だ」
◇◇◇
――――――――二日前
大地が粉砕して地形が変形していく。
見知らぬものが見れば大規模な災害でも起きたのかと勘違いするであろうそれは、たった一人の一振りによって引き起こされた、純粋な破壊である。
それを引き起こした男の覚醒者――ダフは、キョロキョロと顔を動かして、自分が殴りつけたものを探していた。
「あれ? どことんでったんだ?」
しばらく探したのち、土砂に半分埋もれる様に横たわっている
「ぎへへ、、みーつけたー。……お、しかもまだいきてる。らっきーらっきー」
相手の結構なしぶとさに気をよくし、涎を垂らしながら上機嫌で次の遊び方を模索する。
元々別の目的があってここへときたのだが、それよりも目の前の遊び相手を優先する。この男の性格的に、その用事を頭から忘れるというのは本来
「……お楽しみのところ悪いが、ちょっと待て」
「がへ?」
何やら声が聞こえ、振り向くと黒髪の男が立っている。
普段ならそんな男など歯牙にかけず無視するか、横から茶々入れられたことに憤怒して速やかに殺すかのどちらかなのだが、今回は珍しく僅かだが耳を傾けている。何故ならこの二人は顔見知りであったからだ。
「んあ? あべる?」
「ようダフ。久しぶりだな、一体何十年ぶりだ?」
軽い調子でその男――アベルは語り掛ける。
一見すると親しい旧友同士の再会にも見えるが、実際のところそんな生易しいものではなく、一発即発してもおかしくはない。そもそもこの二人の仲はこれと言って悪くはないが、良いかどうかは甚だ疑問というレベルだ。
「あれ、おまえいたか?」
「ん? ああ、それな」
ダフは粗暴だ。短絡的で浅ましく、頭も良くはない。しかし、決して単なる馬鹿ではない。
状況に応じて戦法を練り、自分の力の使いどころも理解し、勘も鋭く、何より忠誠心が非常に高い。ただの力があるだけの無能では強者などと呼ばれはしないのだ。
確かに周囲の情報の管理に関しては得意とは言えず、手際の悪さがあるのは事実。だが、それでも一定水準はちゃんと満たしており、少なくとも目前に迫るまでその存在を認識しないほどのレベルまでは落ちてはいない。
するとアベルの雰囲気が変化する。先ほどからほとんど動いていないのにも関わらず、その〝存在感〟だけが大きく変化していた。
「……ガキの頃から
唐突に、ダフは口から鉄柱を射出する。アベルは後方へと大きく跳んでそれを回避。
「――ちっ、危ないな。一応は顔馴染みだってのに、挨拶途中で出す一撃じゃないだろ今の」
「だっておまえてきだろ? だったらさっさところしたほうがはやいくていい」
「誤解……と言いたいが、全くそうではないから反論はできないか。だが、別に俺はお前らに反抗する命知らずでもないし、わざわざお前と戦うために今出てきたわけでもない」
無抵抗の意思を示すかのように、両手を上へと雑に上げる。そして一言こう言った。
「――――俺と取引しないか?」
ダフは馬鹿じゃない(戒め)