まずは「序章」からスタートです。
前奏曲:歌姫の始まりと終わり
『夢』が決まる瞬間は、些細なきっかけとの出会いから始まる。
例えば、プロサッカー選手やプロ野球選手を『夢』にしたきっかけ。それを問われれば多くは『テレビでプロの試合を見て』と答える。
画面に映る選手に憧れた。
その選手のようになりたい。
その選手と一緒にプレーしたい。
などなど、きっかけからさまざまな想いを抱き『夢』となる。
『漫画家になりたい』と思った人は、とある漫画を見た瞬間運命を感じ、漫画の魅力にハマり漫画を描きたいと思うようになる。
たまたま見たドラマに出ていた俳優の演技に感銘を受けた人は、同じく俳優を目指すことがあるだろう。
このように、些細なことからきっかけが見つかり、それを掴む意思を見せればおのずと『夢』となる。
そしてこの少女、西木野真姫のきっかけも些細なことだった。
その日の真姫は、特に何もすることがなく暇を持て余していた。何となく、つけていたテレビが映し出す音楽番組。
今思えばそれがきっかけだったのだろう。
幼い真姫にとって、テレビに映し出される映像はすべて新しい世界への扉のようなもの。しかも家が病院を経営していることもあってか、テレビの液晶も大きい。それも合わされば大型液晶テレビなど、正に幼い真姫にとっては新世界への扉だ。
そして
ステージの端から現れる演奏者。黒い髪に眼鏡をかけた少年は、スーツを模した落ち着いた雰囲気の衣装で登場した。緊張した面持ちでぎこちなく一礼をし、ピアノへと向かう姿は可愛らしく、おどおどしながら椅子を調節する。
椅子に座った彼は瞳を閉じ、ひとつ息を吐く。
真姫はその動作を見ているだけで、自然と心を躍らせていた。これから何が始まるのかワクワクしていたからだ。
真姫はその大画面の液晶を、その大きな瞳で見つめる。
演奏が始まった。
奏でられるピアノの音色。その指が鍵盤をたたくたびに美しい音色が真姫の耳に滑り込んでくる。静かに始まった曲は、演奏者の思いを乗せ次第に大きく、激しくなって行く。
「──すごい」
真姫は無意識に呟いていた。
ピアノの音が走る。演奏者の思いを乗せ走り、色を付けていく。
真姫の世界が金色の音に染まった。
もちろん実際に世界が染まったわけではない。だが、そう思わせるほどに、そういった幻想を見せるほどに少年のピアノが真姫の心に入って来た。
演奏はいつの間にか終わっていた。少年が立ち上がり、礼をして去って行く。
真姫はしばらく呆然としたままテレビを見つめていた。やがて美しい音色に心打たれた真姫は、気が付けば母親の元を訪れていた。
「どうしたの? ママになんか御用?」
「あ、あのねっ、私……」
真姫はスカートを握りしめ、勇気を振り絞る。
そんな真姫を母親は目線を合わせ優しく見守る。
「私……ピアノがやりたい……!」
真姫は顔を上げ、その瞳を輝かせながら、はっきりと大声で自分の意思を伝える。
「ピアニストになりたい!!」
偶然音楽番組で見たピアノの演奏。それが真姫にとっての『夢のきっかけ』だった。
☆☆☆
西木野真姫がピアノを始めて数か月、その才能はすぐに開花された。
真姫自身が元々才能を持っていたのか、母親から紹介された先生の教えが上手かったのか、いずれにせよ真姫はその才能を発揮して行った。
しかし、最初のコンクールは緊張のせいで大失敗。ピアノをやめたくなった。
でも、あの時テレビで見たピアノが忘れられずに、あの演奏の様に自分も人の心に響く演奏をしたいと何度も思い、そのたびに立ち上がった。
二回目のコンクールは前回の失敗がウソのような演奏を披露し、三回目のコンクールでは周囲に圧倒的な差をつけて賞を取った。
「ママ! やったよ! 私、またコンクールで優勝したよ!!」
真姫はとびっきりの笑顔で母に駆け寄る。
「よかったね、真姫」
母は真姫の頭を撫でる。真姫は嬉しそうに目を細め、勝利の余韻に浸っていた。
「ねえ、ママ。パパは来てないの?」
真姫の問いに母──西木野
「ごめんね、パパはお仕事が忙しくて来れないの」
真姫は先ほどの表情から一転して悲しそうな表情になる。
織姫は真姫のコンクールには必ずと言っていいほど見に来ていた。娘が初めて自分から何かをやりたい、と言い出したものだ。母親としてこんなに嬉しいことはない。
娘の晴れ舞台を一回も見逃さないために、織姫はホールに足を運んでいた。
同時にそれは、真姫にとってとても心強い存在となっていた。最初のコンクールは周囲を見る余裕すらないため失敗したが、二回目のコンクールでは母親がいたから万全の状態で演奏が出来たといっても過言ではない。前回の失敗で不安に押しつぶされそうになったとき、顔を上げた瞬間に母親の笑顔が見えた。
『大丈夫だよ』
まるでそう言っているような笑顔を見た真姫の緊張は消え、最高の演奏をできた。
そして必ずコンクールが終わると、真姫は織姫の元へと真っ先に駆け寄る。その姿を見るたびにピアノの先生は苦笑いをするのだが、真姫にとってはどうでも良かった。
だが、真姫にとって一番に自分のピアノを見てほしい人は別にいた。
その人物の名は、西木野
真姫の父親である。
真二は音ノ木町にある大きな病院『西木野総合病院』の院長であるため、コンクールに来られないことは、幼い真姫自身もわかっていた。
家にいるときもほとんど仕事をするために部屋にこもっていることが多い。
寂しい、それが正直な感想である。
母親はいつも見に来てくれているのに、父親は見に来てくれない。忙しいとわかってはいるが、来てほしいと願うのは子供として仕方のないことだ。
悲しそうな表情をする真姫を、織姫は優しくなでその手を握る。
「帰ろっか。パパに優勝したこと、報告しないとね?」
「……うん」
真姫は頷くと、織姫に手を引かれながら帰宅する。
だが真姫にとって、父親である真二と話すことは少々苦手だった。
病院の院長である真二は、その仕事上家に帰ってくる時間が遅く、真姫の遊び相手をしたことは一度もない。真姫が忘れているだけであって、実はあるのかもしれないが、いつも眉間に皺をよせ難しい顔をしている父親が、楽しそうに遊ぶ姿を真姫は想像することが出来なかった。
家に帰宅した真姫は、その日はちょうど家にいた真二の元を訪れた。
「……パパ」
部屋の扉をノックし、返事を待つ真姫。
「いいぞ」と返事が返って来たので真姫はドアノブを回す。中で真二は机に座り、資料を整理していた。真姫が部屋に入ったことを確認すると、顔だけを一度真姫に向けすぐさま資料に目を落とす。
「何か用か?」
「あ、あのねっ、パパ、私……」
素っ気なく聞かれ、真姫は恐怖で体に緊張が走る。
なぜ父親なのに緊張しなければならないのか、脅えなければならないのか、真姫にはわからなかった。ただただ、その目の前に立つ大きな背中が、途方もない高い山のように見えた。
「……コンクール、優勝、したんだ……」
言えた。小さい声だったけど、震えていたけど確かに言えた。
真姫の体を振るえていた、両手で服の端を握り、父親の反応を待つ。
部屋には、髪の擦れる音だけが響いた。
「…………」
「…………」
父は、何言わなかった。
真姫は体の緊張を解くと、少しがっかりした様子で部屋を出て行こうとした。ガチャリとドアノブを回し、真姫の体が半分部屋から出たところで、
「……よく、頑張ったな。おめでとう」
「……え?」
真姫が振り替えた時は、扉が完全に閉まってしまい、再び聞くことはできなかった。だが確かに聞こえた、父親からの賞賛の言葉が。
しばらく呆然としていた真姫だったが、次第に嬉しさが込み上げてくる。
「~~~~~~~~ん!!」
嬉しさのあまり、声にならないくらいにテンションが上がった真姫は満面の笑みを浮かべガッツポーズをした。
その日以降、真姫はのめりこむようにピアノに没頭した。ピアノを始めたといった瞬間にパパが買ってくれたグランドピアノに座り、毎日ピアノを弾いた。
小学校に上がってもそれは続いた。
「真姫ちゃーん、一緒に遊ぼうよ」
「ごめんなさい、私今日ピアノがあるから」
学校でクラスメイトから遊ぼうと誘われても、真姫はいつも断っていた。それほどまでに真姫の中で『ピアノ』というのは大きなものになっていた。
何時しか有名なピアニストになって両親、特にパパに見てもらいたい。
真姫はその思いひとつでピアノを弾き続けた。
だが、中学生になったときに真姫の中に何かが芽生えつつあった。
──自分がピアニストになった場合、病院の後継者はどうなるの?
西木野家には真姫一人しか娘はいない。姉も兄も、弟も妹もいない。ならば、必然的に病院を継ぐのは自分にならないのか?
それは真姫にとって大きな壁となって来た。
もしそうなった場合、ピアノはどうすればいいのか? やめなくてはいけないのか? 絶対に嫌だ、パパとママを笑顔にするまで、ピアノはやめたくない。
それでも、
──その選択をする時は絶対に来る……。
真姫はピアノの傍ら勉学ももちろん怠ってはいなかった。成績は常に優秀で定期試験では満点をいくつも取る。まるで、いつでも病院の後を継ごうと決意できるかのように、準備をしているように思えた。
☆☆☆
そして、運命の時はやって来た。
それは中学生最後のコンクール。ステージに立った真姫が見た観客席には、いつも来てくれている母の隣に、父の姿があったのだ。
(パパ!?)
真姫の体に緊張が走った。
今まで仕事が忙しくて見に来ていなかった父がこの場にいる。母の隣に座り、腕を組んで自分を見ている。今まで見ていない人が、一番自分のピアノを見てもらいたかった相手が、今日、このコンサートホールにいる。
「──―っ!」
父と視線が合い、真姫の体にさらなる緊張が走る。
かつてない緊張感が真姫の体を縛る。指先が震え、視界が揺れる。自分の心臓の鼓動が、バクバクと音を立てて鳴っている。
(……いいわ)
その緊張のさなか、真姫は静かに拳を握っていく。
(最高の演奏、見せて上げるわ!!)
緊張で体は震えている、だがそれ以上に、真姫はうれしかったのだ。今まで見てもらいたいと願っていた相手が、今、この場にいる。
中学最後のコンクールという最高の舞台で、最高の演奏で──!!
「……ふぅ」
真姫はゆっくりと息を吐くと、椅子に座る。
瞳を閉じて集中力を最大限に高める。
そして──、
「──────────────っつ!!」
真姫のすべてを込めた全身全霊の演奏が始まった。
真姫のすべてがピアノに凝縮されていく。
伝えたい思いを。
伝えたい、伝えたい、私の全てを!! 私を見て!!
奏でる音色に稲妻のような激しさが加わる。
しかしすべてが激しいわけではない、時にやさしく、清らかに、小さく、大きく、真姫は今までのすべてを込めピアノを弾く。
(届け! 届け! 届け!)
会場の誰もが息をするのを忘れ真姫のピアノに見入った。
そして──、演奏が終わった。
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静寂が、ホールを覆った。
「あっ」
誰かが声を漏らし、拍手をした。
パチパチ、とその音は次第に広がっていき何時しか割れんばかりの拍手がホールに響いた。
拍手の音が鳴り響く中、真姫はそっと息を吐く。
(やった)
真姫は今までにない達成感を味わっていた。天井を見上げ、極度の集中力から解き放たれ乱れた息を整える。
体が熱い、頬の赤くほてっているだろう。
それでも真姫は、今までにない達成感の余韻に浸っていた。
(あ、そうだ、パパは──)
真姫はパパの様子が気になり、観客席へと視線を向ける。
きっと、拍手をして喜んでくれているはずだ。
そう期待して、真姫が見たものは、
ホールを出て行こうとする父親の姿だった。
「────────―え?」
真姫の頭が一瞬で真っ白になる。
なんでパパは出て行くの?
私のピアノダメだった?
私、結構うまくやったと思うんだよ?
今までで最高の演奏だったよ?
待ってよ、なんで? なんで? なんで? なんで?
「パパ──―」
真姫は手を伸ばす。言ってほしくない、帰ってきてほしい、そう願い手を伸ばすが、
──無情にも真二はホールを出て行ってしまった。
「………………そんな」
真姫はひとり、退場することも忘れ、ポツリとステージに立ちすくんだ。
真姫の両親の名前は勝手に作らせていただきました。
「クジラ出てねえじゃん」と思う方もいらっしゃると思いますが、ちゃんと出ますのでご安心を。
真姫パパが出て行ったのにも理由がありますので、最後までお付き合いください。
感想、お待ちしております。
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