訂正)
前回のあとがきにて次回を「第一章」と書きましたが、4話のヒロインが彼女であることから「第◯奏」に変更いたします。それに伴い序章も変更いたしました。
バサァと、音を立てて
どこまでも広がる青い空を、まるで海の中を泳ぐかのようにゆったりと進むクジラ。体を揺らし前に進むクジラの背には、笑い声を上げて楽しむ幼い少女が立っていた。
少女は楽しそうにクジラの上を歩きながら、どこまでも広がる青空に目を輝かせていた。クジラもまた、そんな少女の反応がうれしいのか、声を上げ、潮を吹きながら気持ちよさそうに泳ぐ。
そして、そんな光景を唖然とした様子で見る、ひとりの少女がいた。
「……この夢」
少女──西木野真姫はその夢に対して驚きを隠せずにいたが、目の前で楽しむ少女を──幼い自分の姿を見て懐かしそうに微笑んだ。
「また、見れたんだ」
この夢は、真姫が初めてのコンクールを緊張で大失敗してしまった日以降、よく見るようになった夢だ。幼い自分をのせて大空の優雅に泳ぐクジラは、まるで真姫を励ますかのように体を揺らしていたのを、今でも覚えている。
それ以降、このクジラに揺られる夢を見ると、程よい緊張の中コンクールに挑めるようになっていた。どこまでも続く青い空は、緊張に押しつぶされそうになっていた真姫の心を穏やかにさせていき、ゆったりと流れる雲が心を落ち着かせていった。クジラも真姫が落ち着くようにゆったりと泳ぎ、クジラが鳴けば真姫も叫ぶ。
この広い青空を独り占めしたような気分になるのは、とても清々しい。
だがこの夢は、中学最後のコンクールの前日には見ていない。
最後に見たのは中学二年のコンクールの時。三年生に進級して以降はどんなコンクールや些細な発表会があったとしても、この夢を見ることはなかった。
なぜ突然見れなくなったのか、真姫にはわからない。自分にとって『空飛ぶクジラ』の夢を見れなくなったことはショックだったが、この夢を見てから大好きになったクジラの人形と寝ているおかげで、それほどダメージにはならなかった。それに中学三年生時にはコンクールに対しての耐性もできていた。自分でコンディションを調節するくらい、出来て当たり前の経験を積んできたのだから。
それでも、見られなくなったことには寂しさを感じた。
だがここ最近また、正確には真姫が学校でスクールアイドルを始めた先輩たちに、曲の作曲することを決意した日から、この夢を再び見られるようになった。
久々の作曲作業は息詰まることが多く、何度も譜面を書き直してはピアノを弾き、違うと思えばまた書き直す。そんな淡々とした作業の中少し居眠りしてしまうと、この夢が真姫を励ましてくれた。おそらくこのクジラのおかげで、作曲が完成したと言っても過言ではない。
だが、あれから数日経っているし、その曲を使ったライブは昨日行われた。もう見る機会なんてないと思っていた。
この夢は自分がピアノに熱意を向けた時に見ることのできる夢だ、と真姫は推測していた。中学最後のコンクールでは見ることができなかったが、あれ以降真姫はピアノに対する熱意を失っていた。そしてまた最近、あの先輩の熱意に感化されてか、ピアノに対する熱意が戻ってきていた。だからこの夢を見ることができているのだろう。
作曲を終わった後もピアノへの熱意は終わっていない。おそらくそれが、この夢を見続けることができる理由だろう。
しかし真姫にとって、そんなことはどうでも良かった。
今はそんな小難しいことは忘れて、この夢を楽しもう。
そう思って真姫はクジラの背に腰を下ろす。
クジラは真姫が座ったことを感じたのか、嬉しそうに潮を吹いた。
☆☆☆
西木野家のリビングでは、少々重たい空気が広がっていた。
テーブルに対面で座るのは朝食を食べる真姫と、コーヒーを飲みながら新聞に目を通す父・真二の二人だけだった。母・織姫は洗濯物を干しているところだろう。本来は使用人がやることなのだが、織姫自身が「火事ができない女なんて主婦失格じゃない」と言って、ある程度のことを織姫がやってしまっている。今も、鼻歌でも歌いながら洗濯物を干しているだろう。
真姫はコーヒーを片手に新聞に目を通している真二など気にせず、トーストにかじりつく。
本当ならこの気まずい空気の中朝食など取りたくないが、ここ三日は日直当番な為、早く学校へと向かわなければならない。それにより、真姫は朝の早い真二と一緒に朝食を摂ることになっていた。
別に日直などもう一人の子に任せて自分はさぼればいい。そう何度も思ったが、そんなことを真姫自身が許さなかったし、入試の成績を一位で入学したのだ。そんな生徒が日直当番とはいえサボることは褒められたことではない。加えて幼い頃朝からピアノの練習をやっていたせいか、早起きが得意となってしまったのだ。二度寝などする気のない真姫は、渋々この空気の中朝食を摂っていた。
「……真姫」
トーストも残り少なくなり、サラダを食べ終えミルクの入ったコップを持ち上げ、口に含んだところで新聞を見たまま、真二が真姫の名を呼んだ。
真姫はミルクの入ったコップを置くと、「なに?」と返す。
「……勉強、しっかりやってるか?」
真二は顔をこちらに向けることなく、あくまで新聞を見たまま聞いてくる。
「やってるわ」
真姫の答えに「そうか」と真二は言う。
「だが、油断はするなよ。医者になるにはそれ相応の学力が必要だからな。入試成績は一位だったみたいだが、それに満足せず日々の──」
バンッッ!! と真姫が真二の言葉を遮るようにテーブルをたたいた。
真二が横目で真姫を見れば、うつむいているため前髪によって顔は見えないが、肩を震わせていた。しばらく静寂の時間が続き、真姫は空になった皿とカバンを持ち上げ「ごちそうさまっ!」と叫ぶように言うと、キッチンへ行き皿を置くと早足にリビングを出て行ってしまった。
「……」
「また、やっちゃったの?」
真姫と入れ替わるように、洗濯物を干し終えた織姫がリビングへとやって来た。
真二は何も答えず、コーヒーを飲む。
そんな真二を見て、織姫はやれやれといった様子で肩をすくめる。
「まったく、二人とも素直じゃないわね」
新聞から目を放し窓の先を見つめる真二の顔は、苦虫を噛み潰したような顔をしていて強い後悔の念が見て取れた。
☆☆☆
家を飛び出すような形で外へと出た真姫は、しばらくして荒れていた心が落ち着き、深いため息をついた。
「はぁぁ」
別にあんなことをするつもりはなかった。真二の言った通り、医者を目指す以上はそれ相応の学力が必要になる。真姫はピアノの傍ら勉強も怠っていなかったため、それなりの学力はある。中学時代は常に成績トップ、定期試験では常に九十点後半を取り続けており、入試の成績もトップだった。だが、それだけで医者になれるほど『医者の道』は甘くない。
だが、ここ最近は違った。最近はピアノに向き合う時間が増えていったのだ。おそらく原因はあの先輩。放課後に自分の弾くピアノを聞き、目を輝かせていたあの先輩。
昨日のライブでとっても輝いていた先輩。あの先輩に出会ってから、日々の生活リズムがわずかに乱れていった。ピアノに向き合う時間が増えていき、しまいには作曲までしてしまうほどに。あの先輩に出会ってから、真姫の中のピアノに対する熱が、蘇ってきたのだ。
だが、それは決して燃やしてはいけないモノ。
今の自分が歩んではいけない道。
自分が捨てた道だ。
(もういいの、私はピアノを諦めた。今は医者になることにだけ集中しなさい)
真姫は自分にそう言い聞かせる。
何に影響されようが、何を思おうが、今の自分は『医者』になることだけに集中しろ。
感動させたかった人を、感動させることが出来なかったのだ。
それはつまり、自分にそんな資格がなかったということ。
パパが喜ぶのは、自分が医者になったときだけ。パパもきっとそう願っている。自分は最初から、この道しかなかったのだ。
思い出せ、自分が父親に医者を継ぐといったときの、の表情を、言葉を。
『……パパ、私、将来は家を継ごうと思っているわ』
『…………そうか。医者になるのは難しいが、真姫ならできるだろう。頑張れ』
いつも眉間に皺を寄せている父が、その時は表情を和らげ喜んでいたではないか。
『西木野総合病院の一人娘』として、最初から定められていた道。どんなものに興味を持とうが、どんな夢を追いかけようが、最初から『未来』は決まっているのだ。
真姫は歩く。
それなのに、
「りーくん早いっ!!」
自分の心を揺らすあの先輩の声が、真姫の心に響いてきた。
声のした方を向いてみれば、昨日講堂でライブを披露したあの先輩たちが茶髪の少年と共に走っていた。割と距離を走ったのか、四人とも程よい汗をかいており快調に走っている様子だった。しかし、茶髪の少年のペースが速く付いて行くのが大変になったのか、あの先輩──高坂穂乃果が声を飛ばす。
穂乃果に呼び止められ、前を走る茶髪の少年はスピードを落とし三人と並ぶように走る。
「わりぃ、わりぃ」
少年の謝罪に穂乃果は「もう」と膨れる。
だが今の真姫は信じられないものを見たかのように目を見開いていた。あの先輩たちと並んで走る少年、その
「え? あの人って……」
真姫は茶髪の少年の正体が気になり、四人の後を追おうと決意。まずはスカートのポケットからスマートフォンを取り出し時刻を確認する。おそらくあの四人の行き先には見当がつく。ならば、それを踏まえたうえで日直が登校しなければならない時間までに間に合うのかを計算し、
「問題は、ないわね……」
スマートフォンをポケットにしまうと、真姫は四人の後を追った。
☆☆☆
真姫が読んだ通り、四人の行き先は神田明神だった。あの三人の先輩がここで朝と夕方に練習をしているのを真姫は以前目撃している。
以前夕方訪れた際に、後ろから胸を揉まれたことを思い出した真姫は、後ろを気にしつつ階段を登って行く。気付かれない様に様子をうかがってみると、四人は日陰で休んでいた。
「──んっ、ぷは~。いや~、走った後の体に、スポドリは染みますなぁ~」
缶のスポーツドリンクを飲み干した穂乃果が言う。
そんな穂乃果に黒髪の少女、園田海未が呆れた視線を向ける。
「穂乃果、だらしないですよ」
「いいじゃん。海未ちゃんもたまには豪快に言ってみれば? ぷはーって」
「私はやりません」と言って海未は缶に口をつける。
そんな二人を横目に視線を走らせると、目的の茶髪の少年を見つけた。今はストレッチをしているため、その顔をはっきりと伺うことはできない。何とかして、先輩たちに気付かれずあの人だけを確認できないだろうか? そんなことを考えていると、
「こらこら、お嬢さん。何か用かね?」
「ゔぇえ」
突然後ろから声を掛けられ、変な声が真姫から漏れる。振り返ってみれば、この神社で働く榊奉次郎がタッパーを手に立っていた。
「なんじゃ、真二のところの娘さんか」
奉次郎は真姫の顔を見るなり、懐かしい孫娘を見るような表情をする。奉次郎と面識のある真姫は、奉次郎に一礼をする形であいさつをする。
「体は大丈夫なんですか? この前も倒れたって聞きましたけど」
「それはワシじゃなくて、リヒトの方じゃよ。ワシは見ての通り元気じゃ」
袖を捲り、鍛えぬかれた腕を作る奉次郎。六七歳のはずなのに、その鍛え抜かれた体は全く衰えを感じさせない。といっても、さすがに年には勝てないのか、数か月前に腰を痛めて運ばれてきたことがある。真姫が現状を見る限り、今はすっかり回復しているみたいだ。
それより、真姫は先ほどの奉次郎の発言の部分で気になるところがあった。
「いま、リヒトさんって」
「ん? おお、おおそうじゃった。お主はリヒトが帰って来とることを知らんかったのう。もしかして、今日はリヒトに会いに来たのか?」
「え!? いや、そう言う訳じゃ……」
「あっ! あれって真姫ちゃんじゃない? おーい!」
どうやら向こうに気付かれてしまったらしい。いやいや見てみれば、穂乃果がこっちに手を振りながら駆け寄ってくる姿が見えた。前回も気になって伺ってみた際に気付かれたのを思い出した真姫は、逃げるのを諦めその場にとどまった。
案の定、穂乃果は真姫の元まで来るとその顔を近づける。
「昨日はありがとね。どうだった? 私たちの初ライブ!?」
「……」
穂乃果に聞かれ真姫は昨日のライブを思い返してみる。あの広い講堂に来た人は自分を含めて四人、あと一人いたような気もするがそれを合わせても五人。講堂の外から見ていたあの先輩を含めるとするならば六人だ。人数は少なかったが、それでもこの先輩たちは踊った。
そしてその踊りは、確かに自分の心に響くものを残した。それを言うとなると、少々恥ずかしので真姫は言葉を濁すことにした。
「……まあ、よかったんじゃないんですか」
「ホント!? よかった~」
真姫の言葉に胸を撫で下ろす穂乃果。穂乃果も、あの観客の少ないライブがどうだったのか、気になっていたのだ。実際に見た人側の口から「よかった」と聞けて安心した穂乃果は、そこに確かな手ごたえを感じた。その言葉が、次の一歩への確かな原動力となる。
そんな穂乃果を真姫はどこか羨ましそうな表情で見ていた。
そこへ──、
「君が、西木野真姫ちゃん、でいいのかな?」
茶髪の少年、一条リヒトが現れた。その後ろには海未ともう一人の先輩である南ことりが着いている。
真姫はリヒトを見る。タオルを首にかけ、スポーツドリンクの缶を手にし、長い前髪を髪ゴムで止めている少年。その顔つきは真姫が覚えている顔より大人になっており、とてもかっこよくなっていた。
微笑むリヒトの顔を見て、真姫は緊張するのと同時に頬に熱が生まれるのを感じた。
「えっと……」
「作曲、ありがとね」
「いえ、あれは別に私がやったわけじゃ」
「君の曲のおかげで海未の歌詞がいい曲に仕上がったよ。父さんも驚いてたよ、『一五歳であんな作曲ができるなんてすごい、将来有望だ』って。俺も聞いたけど、すごくいい曲に仕上がってた。また新曲を作ることになったら、君に頼んでいいかな?」
そこで真姫は違和感を覚えた。
本当ならリヒトは真姫と面識がある。出会う回数は少なかったが、それでも一緒になって遊んだ時間は長い。それなのに、今真姫と話すリヒトの態度はまるで
「……」
「え? なに?」
気づけば真姫はリヒトを睨んでいた。睨まれたリヒトは、自分が睨まれる理由がわからないといった様子であたふたし始める。
真姫からしてみれば、これはリヒトの一種のいたずらだと思った。何せこの人は『人の笑顔が大好き』と言ってドッキリや手品を得意とする人だ。二年ぶりの再会するこの状況を利用して、私を揺さぶろうとでもしているのだろう。なにせ一度、再会したときに『忘れた』というドッキリを仕掛けられたのだ。それを覚えていた真姫は同じ手には引っかからないぞ、と睨みつける。
「ちょ、なんで俺こんなに睨みつけられてるの?」
「私が知るわけありません。リヒトさんが昔何かしたのではありませんか?」
「……海未、それ俺が
「……あ」
リヒトに言われ、何とも間抜けな声を上げる海未。
だが、それよりも真姫はリヒトの言った一言に衝撃を受けていた。
「ちょっと待って。記憶喪失ってどういうこと?」
真姫が疑問を投げかけると、今度はリヒトの動きが止まった。驚いた様子で真姫を見つめるリヒト、そんなリヒトの代わりに穂乃果が真姫に聞く。
「真姫ちゃん、りーくんのこと知ってるの?」
「知ってるって、ウチの病院によく来ていた人だもの。覚えてるに決まってるじゃない」
本当は別のこともあるのだが、それをここで言うのはいささか嫌なため、当たり障りのないことを理由として挙げておく。
「え? よく病院に訪れていた?」
リヒトは首を傾げまきに聞くと「ええ、そうよ」と肯定の言葉が返ってくる。
「そういえば、昔のリヒトさんはよくケガをしていましたものね」
思い出したかのように海未が言う。それに続くかのように穂乃果とことりがその時のことを語り始める。
「そういえばそうだね。確かブランコで立ちこぎをして、どこまでいけるかやってたら一回転して頭から落ちたんだよね」
「ちょっと待て、それって普通死ぬじゃないのか?」
「ジャングルジムから真っ逆さまに落ちたこともあったよね」
「ことり、それ笑顔で語ることじゃない」
「ワシが一番覚えとるのは、あの階段を踏み外して転げ落ちて、頭から血をだらだら流しとったことかのう」
「スタントマンびっくりだよ。よく生きてるな俺」
「私が覚えてるのは目の前でトラックと車にひかれたことでしょうか」
「ダウト! 海未、それはさすがにダウトだ!! それってつまり轢かれたってことだろ!? 普通生きてるはずねえよ!!」
「じゃあ死んでるの?」
「生きてるよ! そんなことあったけど生きてるよ! 足だってついてるしお前らの目の前にいるだろ!?」
わーわー、ぎゃーぎゃーと目の前で騒ぐリヒトを横目に、真姫はため息をつく。因みに、穂乃果たちが言っていることは本当であり、過去に『一条リヒト』が音ノ木町に遊びに来る際は必ず西木野総合病院に来ていた。主にけが人として。
大きな病気や二日以上の入院こそなかったものの、『リヒトがケガをしてくる』は西木野家にとっては一年に二回来る『年間行事』と化していた。『あー、今年も来たか~』といった具合と化しており、去年リヒトが来なかった際は『なんで来ないんだ?』と意味の分からない不安に駆られたほどだ。その後、リヒトが留学したことを知ったが、こっちでよくケガをしているあの人が海外行って大丈夫なのか? というのが西木野家全員の感想だった。
「たく、それより、西木野が俺のことを知ってるってこと、じいちゃんは知ってたのか?」
「もちろんじゃよ。ワシがお世話になっとる先生の娘じゃからのう」
「先生?」
「真姫ちゃんは、『西木野総合病院』の院長『西木野真二』の一人娘なのじゃよ」
奉次郎の説明を受けてリヒト達は「おお~」と声を上げる。だが、対照的に真姫の顔は曇った。まるでそのことには触れてほしくないかのように。
「すごいな、つまり家はお金持ちってことか」
「……ええ」
「そういえばお母さんが言ってたよ。今年入学した新入生の中に、百点を取って入学した子がいるって」
ことりの言葉にその場に居る全員が「おお~っ」と再び声を上げる。通常のテストでさえ、百点を取ることは意外と難しい。それは小学校より中学校、中学校より高校の方が難しく、高校入学後は滅多に見ることはないだろう。三人の幼馴染の中で成績が一番優秀な海未でさえ、高校に入ってからは百点を取ることはそうそうない。それを、入試という一番難しいところで百点を取ったのだ。この西木野真姫という少女がどれだけすごいのかが、そのことだけでひしひしと伝わって来た。
「すげえな、やっぱり将来は医者になるのか?」
感心したかのように言うリヒト。
だが、最後に言った一言が真姫の心に深く突き刺さった。
「……」
「? 西木野?」
「えっ? いや、そうよ。将来はいえの病院を継ぐつもりだわ」
「……」
しばらく呆けていた真姫だったが、リヒトに名前を呼ばれ先ほどの話の内容を肯定する。腕を組み、宣言する真姫だったがその手がブレザーの生地を握りしめていることに、リヒトは気づいた。
だが、それより先に穂乃果が真姫に詰め寄る。
穂乃果の行動に「なに?」と聞く真姫。穂乃果はしばらく真姫の瞳を見つめ、やがて口を開く。
「真姫ちゃん嘘ついてるよね?」
「──っ!? ……どういう意味よ」
穂乃果の言葉に、真姫は小さな悲鳴を上げそうになるのを聞き返すという形をとることで飲み込む。
穂乃果は真姫から一歩引くと「んー」と考え込むようなそぶりをしながら続ける。
「なんて言うか、真姫ちゃん自分の心に嘘ついているように見えるんだよね。自分の本当に進みたい道があるのに、それから目を背けてるっていうか」
穂乃果の言葉に、真姫は今度こそ本当に悲鳴を上げそうになった。
(この先輩、一体何者!?)
真姫は穂乃果に恐怖心を抱いた。自分の心を揺らすだけではなく、確信を付いて来るかのような言葉に、その瞳に、自分のすべてを、心の奥底に眠っている何かを見透かされているような感覚に。
真姫の後ろでは、奉次郎が不敵な笑みを浮かべており、穂乃果の言葉に心の内で舌を巻いていた。
(ホント、お主はこういったことには鋭いのう)
「……先輩の勘違いじゃないんですか? 私は別に自分の心に嘘はついていませんよ」
「んー? そうかな~」
腕を組み首を傾げることで、納得した様子を見せない穂乃果に真姫は少しイラつきを覚え始めた。
「そうですよ。私は家の病院を継ぐつもりなんです。その為に毎日勉強しているんですから」
「
「え?」
なぜか、穂乃果のその言葉が真姫の心に突き刺さった。
「さっきも言ってたけど、
「っつ!?」
「
「そ、それは……」
穂乃果の言葉に真姫の心が揺れる。
違う、自分は確かに医者になると決意したはずだ。あの事があってから、医者になることを決意し、父にも言ったはずだ。『家を継ごうと思っている』と。
(──あれ?)
そこで真姫は気づいた。
父に宣言したときも、
「私は……」
真姫の心が揺れていた。何か今まで目を背けていたものが、自分の背後に迫っているかのように。振り返ってしまったら、自分の中の何かが壊れてしまうかのようなものが。
「真姫ちゃん、あなたの──」
穂乃果の言葉が、真姫の耳に入り込む寸前、
「はいストーップ!」
パチン、と手をたたき穂乃果と真姫の間に入るリヒト。
リヒトが入ったことで、真姫は自分の心臓の鼓動が早くなっていたことに気付いた。わずかながらに口からは荒く息が吐かれ、もしあのまま穂乃果の言葉が放たれていたら、自分はどうなっていたのだろうか?
「りーくん」
「穂乃果、時間だ。シャワー先に浴びていいから早く行け。遅刻するぞ」
リヒトに言われ穂乃果はハッ、とした様子でリヒトの腕に巻かれた時計をのぞき込む。
「海未ちゃん、ことりちゃん急ごう!!」
「あ、待ってください穂乃果!!」
「待ってよ、穂乃果ちゃ~ん」
穂乃果は急いで荷物の置かれた場所へと走っていき、その後を海未とことりが追いかけた。三人の行く末を見守ったリヒトは、改めて真姫と奉次郎の方を向く。
「じいちゃんも、お願い」
「そうじゃな。おっと、これじゃせっかく作った『奉次郎特製レモンのはちみつ漬け』が無駄になってしまう。それじゃリヒト、ワシは先に帰っとるぞ」
そう言って奉次郎はタッパーの中身をこぼさぬよう自宅の方へと向かっていく。
「西木野も学校行きな」
「……ええ、そうさせてもらうわ」
真姫は先ほどのことを追及されると思っていたが、リヒトはそんなことをする気はなく真姫を学校へと行くよう促した。
リヒトに言われた通り、真姫はカバンの位置を正すと学校へと向かう。意外としゃべってしまったが、日直の登校時間にはまだ間に合う。真姫は一刻も早くその場から逃げるように早足に学校へと向かった。
『真姫ちゃん、あなたのやりたいことは──』
その耳に穂乃果の声が蘇ってくる。
でも、
「私は……」
真姫の小さな呟きは、春風の中に溶けてしまった。
NEXT→「第二奏:歌姫と少女」
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