理由としては第一話の第一章以来久しぶりの一万字超え、約一万三千字となったのが理由です。次回はなるべく短くまとめたいと思っています。
それでは「第二奏」スタートです。
「はぁ……」
と、真姫は頬杖をついてため息を吐く。
時刻は午後十二時過ぎ。あと数分んもすれば昼休みである。
この日の四限目は学生であれば誰しもが苦戦する科目──英語である。すでに教室には頭を抱え、出された課題を投げ出しているショートカットの生徒が一人いるが、普段から勉強している真姫にとっては問題のないことだった。
むしろ、そのせいで少々退屈な時間となっていたりする。
故に、今朝の出来事を考えてしまう。
憂鬱な気分のまま、本日何度目かわからない溜息をつく。何度もため息をつくのは、きっと自分の心に『迷い』が生まれているからだろう。
(私は、どっちの『道』を進みたいの?)
自問自答を繰り返す。
ここで『医者』という言葉がすぐに出てこないあたり、心の迷いは大きなっているみたいだ。
「それじゃ、ここ、小泉読んで」
「あ、は、はいっ」
英語担当教師の声に促され、真姫の意識が現実に戻ってくる。英文を読むよう言われた生徒は、声が小さく先生に指摘されるも、結局は最後まで読むことが出来なかった。
(あの子)
真姫はその生徒に見覚えがあった。昨日のライブで熱心に先輩達のダンスを見つめていた生徒。確か名前は、
真姫はふと思った。ひょっとして、あの子はアイドルをやりたいのではないか? この前は先輩達のライブのチラシを受け取っていたし、メンバー募集兼ライブ告知の掲示を何度も見ているのを真姫は覚えていた。それに彼女は、周囲に気付かれないように今でも貰ったチラシを見つめているときがある。
そして何より、昨日の講堂で見た彼女の表情が、ピアニストに憧れていた幼い自分にそっくりだったのだ。
(やりたいなら、やればいいのに)
そう思う真姫だったが、その言葉が自分へのブーメラン発言だと自覚し、失笑を漏らした。
とても今の自分が言えた言葉ではない。
(そうよ、迷わないで『医者』になればいいんだわ。私の音楽の道はもう終わっている。今更戻るような道じゃないし、パパの姿には確かに憧れていた。なら、迷う必要なんてないじゃない)
自分は『父の医者の姿に憧れて医者になることを決めた』と、自分に
(それに……)
真姫は、きっと今も病室から空を見上げているであろう少女を思い出す。病を抱え、入院している少女の姿を。その少女の様な子たちを真姫は助けたいと思った。ならば、必然的に医者になるしかなくなってくる。医者でなければ、あの子のような病を抱えている子たちを救うことが出来ないのだから。
「…………」
真姫は筆箱に付いている音符のキーホルダーを指ではじく。キンッ、という微かな金属音が真姫の耳に聞こえてきた。
その音は、まるで今の自分の『心の痛み』のような気がした。
♢ ♢ ♢
昼休み。真姫は音楽室を訪れていた。幼い頃からピアノに明け暮れていたせいか、人との付き合い方が不器用になってしまった。そのため、今でも友人と呼べる人は一人もできていない。母親もそこを心配しているそぶりを見せているが、残念ながら真姫にとってこの学校での会話は、事務的なものに限定されてしまっていた。
だから真姫は、休み時間には決まって図書室か音楽室を訪れていた。ここでなら一人でいても、それが当たり前と言える場所だから。
何より真姫はこの音ノ木坂学院の音楽室の空気を気に入っているのだ。オープンキャンパスの時にこの学校とUTX学院を訪れたのだが、真姫は断然音ノ木坂を選んだ。
家が家だからだろうか。家には新しいものが多く存在し、この学校のように古き良きものはあまりない。だから真姫にとって、この音ノ木坂の音楽室に流れる『古き良き』空気が新鮮だったのだ。言い換えれば、この空気に一目惚れしたと言える。真姫にとって『音楽室』は気の落ち着ける場所となっていた。
昼食のために母が作ってくれたお弁当を片付けると、真姫はピアノに向き合う。
鍵盤に指を置くと、曲を奏で始める。
自分の中に生まれた『迷い』を断ち切るために。ここ最近蘇って来た『熱』をすべて出し切るために。自分の体をすべて使い音を奏でる。
ここでその『迷い』をすべて出し切ってしまえば、自分の気持ちが整理できると思った。自分の心を苦しめるこの『熱』を、ここで出し切ってしまえば『医者』という道に心を向けることが出来ると思った。
『音楽』とのお別れをはっきりとする、そのために真姫は今日もピアノを弾いた。
そして、すべてを出し切った。息を吐き、心を落ち着かせる。
ふぅーと、短く息を吐いたところで、教室のドアがノックされた。あの先輩が来たのか? と思い顔を上げてみると、そこにいたのはこの学校の生徒会長だった。
生徒会長──絢瀬絵里は真姫と視線が合うとドアを開け教室内に入ってくる。
「ここにいたのね」
「生徒会長……」
「今いいかしら? ちょっとアンケートを取っているんだけど」
そう言って絵里は一枚のプリントを差し出してきた。
「これを記入してほしいの。この学園についてのアンケートよ」
真姫はそのプリントを受け取って内容を見てみると、『新入生対象・音ノ木坂学院についてのアンケート』と書かれた題が目に入り、下の方へ視線を動かせばいくつかの質問と回答欄があった。
絵里は手に持ってるペンケースからボールペンを取り出し真姫に差し出す。
「すぐに終わるものだから、今書いてちょうだい。ここで待たせてもらうわ」
そう言うと絵里は近くにあった椅子に腰を下ろす。手に持っていた数十枚のプリントを机に置き、アンケートを見ていく。
きっとすでに回収したものだろう。そんなことを思いながら、真姫は近くの机に座り、アンケートを記入していく。
内容は主に『なぜ音ノ木坂学院を選んだのか?』や『あなたがここで学びたいこと』など少し回答に困るものもあったが、それほど多く記入しなければならないところはなかった。
真姫は記入をえると、絵里の元へと行く。
「終わりました」
「ありがとう。ごめんなさいね、昼休みにお邪魔しちゃって」
「いえ、別に」
絵里は受け取ったアンケートに目を通していく。記入漏れがないのか確認しているのだろうか? と言っても真姫はすべての質問に答えたのだ。記入漏れはない。
「全部に答えてくれたのね。ちょっと意外、ほかの子の中には記入を避ける子もいたのに」
絵里は感心した声を漏らす。そして、名前の記入欄を見て絵里の首を傾げる。
「西木野、真姫……。もしかしてあなたが『あの西木野さん』なのね」
「私のこと知ってるんですか?」
真姫の問いに絵里は「ええ」と答える。
「『天才ピアニスト西木野真姫』。最初のコンクールでは散々だった演奏が二回目からは飛躍的に進化、本戦へと進み三回目のコンクールでは賞を取った。その後も賞を取り続け、あなたの演奏に影響を受けてピアノを始めた人は数知れず。人の心に響く演奏が特徴であるあなたの演奏は、見る人すべてに大きな影響を与える。さらに、オリジナルの曲を披露するコンクールでは作曲という類いまれなるセンスを見せ、あなたの歌声の効果も上乗せされ圧倒的賞賛を得た。まさに『音楽』に愛された少女。付いたあだ名は『歌姫』だったかしら」
「……随分詳しいんですね」
真姫は気恥ずかしくなり少々ぶっきらぼうに言ってしまう。『歌姫』というあだ名をつけられた時は、真姫自身まだ幼かったため、純粋にうれしい気持ちが上回っていたが、今になってみればなんて恥ずかしいあだ名だと思っている。もし過去に戻れるのならば、その時に戻りたいほどに。
「妹の受け売りだけどね」
絵里は少し苦笑いをしながら言う。
「妹は『音楽』が大好きでね。友人からあなたのことを聞いたらしいの。それで一度一緒にあなたの演奏を生で見たことがあるんだけど、素晴らしかったわ。心に響いてくる音楽って、ああいうのを言うのね。気づいたら泣いていたわ」
「……ありがとう、ございます」
目の前で堂々と褒められ、先ほど以上に頬を赤く染めた真姫はそっぽを向きながらお礼を言う。
「でも、あなた前のコンクール途中で辞退したのよね? それはなんでなの?」
「……っ」
絵里の問いに真姫は火照った頬の熱が引き、体が固まる。唇を噛み締め、右手で左袖を握る。絵里の言った『この前のコンクール』とは、真姫が中学生の時に最後に出たコンクール。普段は絶対に来れない父親が来た、あのコンクールのことだ。真姫がピアノを諦める原因となった、最後のコンクール。
「……それは……」
言葉に詰まる真姫を見て、絵里は何かを察したのか立ち上がる。トントンと、プリントまとめながら絵里は言う。
「言いにくいことなら言わなくていいわ。誰にだって壁にぶつかる時はあるもの。それに、
「……」
「あなたが何に迷っているのか、私にはわからないわ。でも、それが私の思った通りの『迷い』なら、現実的な道を選ぶことね。その方がダメージが少なくて済むわ」
そう言って絵里は教室から出て行こうとする。
「待って」
真姫は絵里を呼び止めた。こちらに半身だけ振り返った絵里の瞳を真っ直ぐ見つめながら、真姫は言う。
「生徒会長は、どうしたんですか?」
「……そうね、私は
そう言って絵里は音楽室から出て行った。
「……」
真姫は絵里の出て行った扉を見つめる。
絵里は『現実的道』を選んだと言っていた。そのおかげで『楽に生きてる』と。
もし絵里の言っていた通り真姫も『現実的道』を選べば、『楽』に生きられるのだろうか?
「なによ……」
それはもちろん誰しもがわかっていることだろう。絵里は真姫より二つ年上だ、そんなこと絶対にわかっているはずだ。それなのに彼女は『楽に生きてる』と言っていた。
「じゃあなんで、そんなに辛そうな顔で言うのよ……」
真姫の脳裏には、辛そうな顔で音楽室を出て行く絵里の姿が浮かんだ。
♢ ♢ ♢
──放課後。本日の授業を終了した真姫は病院に入院している少女のお見舞いのため、花屋を訪れていた。
「いらっしゃい、また来たんだね」
真姫の来店と同時に、店の奥から女性店員が現れる。
十代後半だろうか? 艶のある長い黒髪にすらりと伸びた足。髪の間から除く耳にはピアスが輝いていた。
店員は真姫の顔を見ると優しく微笑んで声をかけてくる。真姫はこの花屋を何度も訪れていたため、互いにフレンドリーな関係となっていた。そろそろ名前でも聞こうかな、と思っている真姫だったが、気恥ずかしさからきけずにいた。
「いつもの?」
素っ気なく聞いてくる店員。その態度はどうかと思う人がいるかもしれないが、真姫は別に気にしていなかった。きっとこの人は自分と同じで敬語が苦手なのだろう。初めて対面したときはこの人の敬語がどこか不慣れだったのを覚えている。
それに彼女の素っ気ない態度は別に不快ではなかった。むしろ、彼女なりにお客さんとちゃんと向き合おうとする姿勢に感銘を受けうるくらいだ。
真姫がその問いに「ええ」と答えると、店員は「そうだと思った」と言って奥へと下がっていく。
しばらくして戻って来た店員の手にはミニバスケットがあった。
「はい、いつもの」
「ありがとうございます」
真姫は代金を店員に渡し、ミニバスケットを受け取る。
「ちょうどだね。まいど」
店員は真姫から代金を受け取るとレジの方へ行く。レシートを切ってこちらに戻ってくると、
「今度手術だっけ? 成功するといいね」
そう言いながらレシートを渡してきた。真姫は「ありがとうございます」と言ってレシートを受け取ると花屋を出る。
病院へと向かう途中ミニバスケットの中を見てみれば、色とりどりのブリザードフラワーがきれいに詰められていた。真姫がお見舞いに行くとき、いつもあの花屋で作ってもらうお決まりの品。別に西木野総合病院は生花を禁止しているわけではないが、真姫としては水替えの必要のないブリザードフラワーの方が好みだった。
「ふふっ」この花を渡したときのあの笑顔を思い出し、真姫は一人微笑む。
その時だった。
「どけやゴルラァ!!」
目の前に細身の男が大声をあげ迫っていた。
(──え?)
真姫が気付いたときはもう遅かった。目が血走ってる細身の男とぶつかり、互いに尻もちをつく。ぶつかって来た相手を反射的に睨むが、その男が手に持っていたものが視線に入り、真姫の背筋が凍る。
(──っつ!? なんでナイフ何て持ってるのよ!?)
そう、男の手にナイフが握られていたのだ。刃渡りは九センチくらいだろうか、恐怖で正確な長さがわからないが、それより真姫は一刻も早くこの男から距離を置かねばならなかった。男の目が真姫を捉えていたのだ。
「──!!」
男と目があった。
両者の間に緊張が走る。
真姫は逃げるために立ち上がろうとするが、それより先に男の手が伸びてきた。血走った眼で真姫を見る男は、直感的に真姫に手を伸ばしたと様子だ。自分の意識とは裏腹に、この場から何とでもして逃げたいという邪念が、真姫へと手を伸ばさせた。
「──―っつ!?」
そしてその手が、真姫のある記憶を呼び覚まさせてしまう。
まだ自分が幼い頃、ピアノを始める以前の時、病院の院長の娘という理由だけで
(いや、いや……)
──助けて、そう声に出して叫びたいのに、真姫の体を縛り付ける恐怖が声を奪う。
男の手が真姫に迫る。
そして──―、
──男の手が真姫に触れる寸前、ガゴッ!! と黒いデッキシューズが男のこめかみに衝突した。
「ぐがぁ」と小さく声を漏らす男。
何が起きたのか、目を白黒させる真姫が次に見たのは、鬼のような形相を浮かべ、男へ飛び蹴りを放つ一条リヒトだった。
♢ ♢ ♢
「
部屋をノックし声をかける真姫。すぐに中から『いるよー』と元気な少女の声が返ってきた。
返事を聞いた真姫はドアをスライドさせ中へと入っていく。
室内にいたのは、一人の少女だった。クセのない長い髪と大きな瞳。朱色のパジャマに身を包んだ少女は、真姫の方を見ると笑顔を浮かべてベットから降りる。少女の背丈から考えると小学生くらいだろうか。真姫の元に辿り着いた少女は、勢いよく抱き着いた。
「会いたかったよ、おねーちゃん」
「まったく」
仕方ないわね、と言った様子で少女の頭をやさしくなでる真姫。真姫に頭を撫でられた少女は、嬉しそうに目を細める。それはまさに飼い主に頭を撫でられ喜ぶ犬のようだ。
その様子を後ろで見ていた一条リヒトは「意外だな」と言う。
「西木野ってそんなキャラだったのか」
「ちょっと、それどういう意味よ?」
真姫のツリ目がリヒトを見る。
リヒトは慌てて言葉を付け足した。
「いや、小さな子供に抱き着かれて頭を撫でるお姉さん系キャラってイメージじゃなかったから、そこが意外と思っただけ。西木野って家はお金持ちなのに意外と根はいいやつなんだな」
「あなたねぇ、私をどんな奴だと思ってるのよ」
「じいちゃんから聞いた話だと、真面目で皮肉屋のツンデレ娘だっけ?」
「ぶっ飛ばすわよ?」
「俺にキレんなよ……」
リヒトを軽く睨んでいると、クイクイとブレザーの袖が引っ張られた。視線を落としてみれば、少女が真姫とリヒトを交互に見て首を傾げてながら──、
「おねーちゃん、その人だれ? 彼氏さん?」
「なっ!?」
──爆弾発言をしてきた。
少女に悪気はないのだろう。しかし、純粋無垢な質問は真姫の顔を真っ赤に染めるには絶大な効果を発揮していた。
一方のリヒトはプッと小さく笑っていた。こういった場面ではよく彼氏や彼女と間違えられる展開を漫画やドラマで目にするが、それを自分が体験するとは思ってもいなかった。貴重かもしれない体験に心を躍らせながらも、真姫の名誉のために早く訂正しなくてはいけない。
リヒトは膝に手を置いて、少女と目線を合わせて言う。
「残念だけど、俺は君のお姉ちゃんの彼氏じゃないよ。俺は一条リヒト。お姉ちゃんとは普通のお友達、かな。君の名前は?」
優しい声音で自己紹介をするリヒト。最初は少し警戒していた少女も、リヒトの微笑みを受けて自分の名前を口にする。
「
「茜ちゃんか。ねえ、茜ちゃんは犬、猫、ひよこ。どれが好き?」
「ネコさん」
茜の答えを聞くと、リヒトは「よし」と言って膝から手を放すし、左手をズボンのポケットに入れる。不思議がる茜と真姫に一度ニッコリ笑うと、ポケットからハンカチを取り出した。取り出したハンカチをクシャクシャに丸めていく。丸めたハンカチを
「おおぉ!」
茜はリヒトの手品を見て感嘆の声を漏らす。
リヒトは満足げに笑うと、キーホルダーを少女に渡す。
「あげるよ」
「えっ? いいの?」
「もちろん」
茜は嬉しそうにリヒトから子猫のキーホルダーを受け取った。
「ありがとう! おにーちゃん!!」
面々の笑みでお礼を言われ、気恥ずかしくなったリヒトは横を向いて「お、おう」と答える。それを横で見ていた真姫はジトっとした目をリヒトに向ける。
「なに照れてんのよ」
「……」
真姫の問いに、リヒトは無言になることで逃げた。そんな様子のリヒトに真姫はため息を一つ吐くと、茜のもとに移動しカバンの中からミニバスケットを取り出す。
「はい、これ。落としちゃったけど、中はあんまり崩れてないから」
「わー! きれーい。いつもありがとう、おねーちゃん!!」
「べ、べつに大したことないわよ!」
「……俺以上に照れてんじゃん」
「うるさい!!」
リヒトに指摘され、顔を真っ赤にして叫ぶ真姫。しかし、その赤みが茜にお礼を言われ嬉しかったという真姫の内心を現しているため、否定したとしても意味がなかった。
それに、横目で嬉しそうにブリザードフラワーを見つめる茜をみて、自然と頬が緩んでいくところを見ると、内心はかなり嬉しいみたいだ。
ホント、素直じゃないんだな、とリヒトは思った。
(というか、俺のあげたキーホルダーがもう忘れられてる……)
二人の知らないところで、リヒトは密かにダメージを受けていた。
その後茜はベットに戻り、真姫はベットの近くに寄せた椅子に座り、ふたりは会話を楽しんでいた。その様子を後ろで見守るリヒトは、伸び伸びと茜と話し、時折笑顔を見せる真姫を見て小さく微笑んだ。というより、安心したという方が適切だろう。
そもそもなぜここにリヒトがいるのか。それは奉次郎に頼まれた醤油煎餅を買いにスーパーに向かっていたときに、コンビニ強盗と遭遇したところから始まる。その後逃げた強盗を追いかけていると、強盗が真姫と遭遇し、手を伸ばしているところを目撃。直感で『真姫を人質にしようとしている』と思ったリヒトは、全速力で走り、強盗にジャンプキックを放った。
その後の事は駆けつけた警察官に任せたのだが、真姫に関してだけはそうはいかなかった。強盗に襲われた恐怖からリヒトの腕に抱き着き、目には薄っすらと涙が浮かんでいた。奉次郎から聞いた話によると、過去に一度誘拐されかけたことがあるらしく、そのときの恐怖が蘇ってきたのだろうとリヒトは判断した。
そんな状態なのに、真姫は病院に用事があるらしく、リヒトの腕に抱き着いたまま病院を目指そうとする。結果、リヒトも同伴することになり、こうして真姫と一緒にここ似るという訳だ。
だが、リヒトとしてはもうひとつ別の理由でこの場にいた。
(あの時、何かにギンガスパークが反応したよな……)
ギンガスパークが反応を示したのは二回。
リヒトが強盗に遭遇する前と真姫に抱き着かれたとき。どちらも僅かな反応だったため、確信を持って『反応があった』と言えるわけではない。
だが、ウルトラマンとして戦うことを背負っているリヒトにとって、その僅かな反応でも無視できるはずがなかった。
一方、真姫は茜との会話で浮かべていた笑顔が消え、少しだけ辛そうな表情になる。不思議に思ったリヒトだが、その答えは、次の瞬間真姫の口から放たれた言葉が意味を表していた。
「茜ちゃん、手術はやっぱり怖い?」
「……うん」
病室に重たい空気が流れ始める。
「でも安心して。パパは確かに顔は怖いけど、腕は確かだから」
「え? 茜ちゃんってなんかの病気なの?」
「…………」
気になったリヒトはつい声が漏れてしまった。
真姫に睨まれる。自分でも無神経だと自覚している。
「……私ね、将来ピアニストになりたいの。それはね、おねーちゃんのピアノを見て思ったんだ」
「え?」
茜は真姫を顔を儚げそうに見る。
「おねーちゃんのピアノを聞いて、私もピアノをやりたいと思ったの。そして、いつか一緒のコンクールで勝負をしたい、そして二重奏をやりたい。それが私の『夢』になったの」
「……」
「でも、おねーちゃんピアノやめちゃったよね?」
少女の問いに、真姫は唇を噛んだ。
「どうしてなの? どうしてピアノをやめちゃったの? 私、おねーちゃんのピアノ大好きだったんだよ?」
「…………それは」
真姫は苦い顔をして茜から顔を背けた。茜はそれでもなお、その瞳で真姫を見る。
リヒトはマズイと思った。今朝もそうだったが、今の真姫にとって『ピアノ』と言う単語は彼女を苦しめる言葉でしかない。茜はそれをわかった上でやっているのか、いやそれはないとリヒトは考える。小学生がそこまで考えるのは難しいことだ。ならば、助け舟を出さなくては。
そう思ったところで部屋がノックされた。
「失礼する」
そう言って入って来たのは、メガネをかけた男性──西木野真二、真姫の父親だった。
「パパ……」
「……来てたのか、真姫」
真二は真姫を見るなり、僅かながらに驚いた様子を見せた。
真二を見た真姫は先ほど以上に顔を曇らせると、カバンを持って立ち上がる。
「また来るわね、茜ちゃん」
「おねーちゃん……」
真姫は茜に手を振り、早足に真二の横を通って病室を出て行った。二人とも、真姫の去った後を見つめている。
この場に残されたリヒトが一番気まずいが、出て行くタイミングを逃してしまいその場にとどまってしまった。
「……! 君も来てたのか」
真二はリヒトの存在に今気づいたようだ。真二はリヒトを見るなり、僅かながらに視線を細める。その視線が自分を睨んでいるように感じたリヒトは、顔を引きつらせ「失礼しましたー」と言ってその場から去った。
病室から出ると、リヒトは早足に去って行った真姫の背中を見つけた。病院内なので走るわけにはいかず、早足で真姫に追いつくしかなかった。と言っても、結局声を掛けることができたのは病院を出た後だった。
「おい、西木野、西木野ってば」
「……なに?」
リヒトに呼ばれ立ち止まった真姫は、不機嫌そうに振り返った。
「何怒ってんだよ」
「……別に……」
そう言って真姫は家に帰るために歩き始める。リヒトはここで真姫と別れ自分の用事を済まそうかと思ったが、先ほどあんなことがあったばかりだ。せめて家に着くまで付いて行こうと決めたリヒトは真姫の隣に並ぶ。何か言われるかと思ったが、真姫は特に何も言うことなく歩き続けた。
二人の間には無言の時間が続くが、リヒトは先ほどのことが気になり声を発する。
「……なあ、茜ちゃんなんか病気抱えてんの?」
真姫はしばらく黙ったままだったが、一つため息をつくと「別にあなたには言ってもいいわよね」と言ってわずかに視線だけでリヒトを見た。
「いい? 本来は患者のことは第三者に言っちゃいけないんだけど」
「……」
それじゃあ言わない方がいいんじゃないのか? と思うリヒトだったが、それが言葉となる前に真姫の方が続けた。
「あの子、心臓病抱えてるの」
「え?」
「その手術をパパがやることになってるのよ」
「…………」
「茜ちゃんと出会ったのは、コンクールの時。コンクールが終わるといつもお花をもって『おめでとう』って言ってきてくれる子がいたの。それが茜ちゃん。コンクールの時はいつも来てくれて、いつも折り紙で作った花を持ってきてくれた。とてもうれしかった」
そう語る真姫の表情はとても華やかだった。
「ピアノを始めたって聞いたときは、とてもうれしかったわ。あの子が言った通り『二重奏』もやろうとも約束した。でも、それは叶わなかった」
「……それは、あの子が入院したからか? それともお前がピアノをやめたから?」
「……」真姫はリヒトの問いに答えない。
「どうして、西木野はピアノをやめたんだ? じいちゃんから聞いた話だと結構よかったんだろ? それに『START:DASH‼』の作曲だってよかったじゃん。海未の作った歌詞とマッチングしてて、初めて聞いたとき鳥肌立ったんだぜ。そんなすごい才能持ってるのに、どうして」
「……中学最後のコンクール。そこで私は『ある人』を感動させたくて、全身全霊でピアノを演奏した。でも、その人は感動しなかった。逆にホールから出て行ったの。それで私は察したわ。『感動させたい人を感動させられなかった自分に演奏者の資格はない』って。それに私は『医者の娘』。元から私の道は決まっていたのよ。『医者となって家を継ぐこと』、それが私の決まった未来。大学も医学部に進むし、勉強も毎日してる。他の道なんてそもそも選択肢自体無いのよ。
それに私はパパの『医者のとしての姿』に憧れていた。病気に苦しむ人たちを救うその姿に。茜ちゃんを見た時確信したわ、こういった人たちは数多くいる、そんな人たちを助けたいって」
ちょうど、真姫の自宅が見えてきた。お金持ちらしい大きく豪華な自宅、普段ならその大きさに圧倒されるリヒトだったが、今はそんな気分ではなかった。
「父親はなんて言ったんだ?」
「……賛同してくれたわ。当たり前でしょ? 自分の娘が『病院を継ぐ』って言ったのよ? 喜んで当たり前でしょ。いつも気難しい顔をしていたパパが、その時は表情を和らげてた。きっとパパは私がピアノをやっている姿勢より医者を目指した時の姿勢の方が好きなんだわ。だから私は医者になることを決めたのよ」
真姫が言い終えたところで家に到着した。ここで真姫とはお別れになる。これ以上は付いて行く理由がないし、そもそも付いて行くこともできない。
真姫は一度だけリヒトに振り返って、
「今日は助けてくれてありがとう。それじゃあ」
そう言うと真姫はリヒトの元から去って行く。門を越え、玄関に着いた真姫にリヒトは声を飛ばす。
「それでいいのか? それがお前の本心なのか!?」
リヒトの声が届いたのか、ドアノブに向けた手が止まる。
「俺、思うんだけどさ。必ずしも手術とかが患者を救うとは、限らないんじゃないのか?」
「……どういう意味よ?」
真姫は半身だけをこちらに向け、リヒトを睨む。
こいつは何と言った? 手術が必ずしも患者を救うものじゃない? 何をバカげたことを言ってるのだ。病気に苦しんでいる患者を救うのは、手術や医者だ。それ以外に患者を救うものなんて存在しない。
私が助けたい人たちは、そういったものでしか助けることが出来ない人たちだ。何も知らないあなたが語るな!!
そう言いたいのに、そうわかっているのに、真姫の口は動かなかった。
「俺は記憶喪失だから手術したとしても覚えてない、でも、病院で目覚めたからわかることもある。意外と病院って心細いんだぜ? 自分の身に何が起こってるのかわからないし、これからどうなるのかもわからない。病院なんて居ていい場所じゃない。健康的に自分の家で暮らすのが一番だろ? それなのに、幼い内に心臓病なんて抱えて、手術っていう恐怖に脅えて、一人病室で毎日過ごす。寂しいわけないだろ? 寂しいに、怖いに決まってるだろ! あの子は今だって自分のどうなるかわからない命に、脅えてるんじゃないのか? その寂しさから救って上げれるのは、
「うるさいっ!!」
「──っつ!?」
真姫はその両目でリヒトを睨みつける。
「あなたに何がわかるのよ!! 私がどんな思いでピアノを、あのコンクールに気持ちを込めたと思ってるのよ!? 何も知らないくせして語らないで!! 私の道の邪魔をしないで!!」
そう言って真姫は家の中に入ってしまった。
バタン!! と音を立ててしまったドアは、リヒトと真姫の間に生まれた巨大な壁のような気がした。鍵を閉め彼女の心が閉じこもってしまったドア。自分の部屋に閉じこもってしまった真姫の心。
「……」
今のリヒトにその扉を開ける手段はない。今はおとなしく帰るしか選択肢がなかった。
振り返り、スーパーによって帰ろうとした時だった。
「──!?」
ギンガスパークが『なにか』に反応した。
振り返った先に見えるのは、西木野家。周囲を見渡しても、敵の影らしきものはない。
リヒトはポケットからギンガスパークを取り出してみる。あたりにギンガスパークを向けて反応を探るが、何もなかった。
「さっきのは……気のせいか?」
リヒトはもう一度西木野家を見る。その傍らでギンガスパークがわずかに光った。
♢ ♢ ♢
──夜。
自室で明日の予習と医者になるための医学を学んでいる真姫だったが、どうも集中しきれずにいた。理由はわかっている。あのときリヒトに言われた言葉が、真姫の頭の中を巡っているのだ。
──手術とかが、必ずしも患者を救うとは、限らないんじゃないのか?
(なによ)
家に帰宅したとき、自分が落とした生徒手帳を届けてくれた小泉花陽と言う少女の言葉も思い出される。
──西木野さんは、音楽の道に進まないの?
(なんでみんな、私の『道』の邪魔をするの?)
真姫はその怒りからペンを折りそうなほどに拳を握っていた。
なぜ今日出会う人たちは、自分の道を邪魔しに来るのか。いいではないか、自分が、本人が『医者の道』を進むといったのだ。誰にもその道を邪魔する権利などないはずだ。
あの先輩も、リヒトも、小泉花陽、まるで自分がその道を進みたくないかのようなものを言ってくる。その道を進むと決めた自分の心を揺さぶるような、まるで自分にそっちの道じゃない、こっちの道を選べと言っているかのように。
(なんで、なんで)
そもそも、なぜ自分が『夢』なんてもので苦しまなければならないのか、そこが疑問だった。
なぜ自分がここまで苦しむのか、一体どこからこの苦しみは始まったのか、この胸を刺すような痛みは何なのか、どうしてこんなことで苦しまなければならないのか、すべてが疑問だった。
『簡単だよ、すべて君のお父さんが悪い』
その時、頭の中に声が響いてきた。
『君にはピアノの才能があった。周りの評価は正しかったさ。でもそれを君のお父さんは認めなかった。君のお父さんは、最初から医者の道を選ばせるつもりだったんじゃないかな? だからいつも嫌な顔をしていた。君のピアノに対する姿勢が嫌いだったんじゃないかな。早く挫折して、医者の道を歩んでもらいたい。それがきっとパパの本心だよ』
真姫の頭に響いてくる声は、すべるように言葉を続ける。
『パパは仕事で君の演奏に来れない──これ、本当なのかな? それならなんで最後のコンクールだけ来たの? 本当は休みを取れたけど、来たくなかっただけなんじゃない? 自分の娘は将来医者になって自分の病院を継いでもらう存在、ピアノなんてものは本来やらせたくなかった。でも、パパさんの思惑とは裏腹に君はどんどん実力を見せていった。このままではいずれ娘は『医者』ではなく『ピアニスト』と言い出してしまうかもしれない。
そこでパパさんは考えた。自分はコンクールを見ないことにしよう。そうすれば娘は諦めてくれる、そう思っていた。でも君は、またもパパさんの思惑とは裏の結果を出した。次々に賞を取り、ついには作曲の才能まで見せつけた。パパさんはさぞかし気分が悪かっただろうねえ』
真姫は力を込めていた掌を開く。
『だからパパさんは最後の作戦に出た。娘の最後のコンクール、そこを見に行って終了後ホールから出て行く。これは完璧だ、これなら絶対に娘はピアノをやめる。そして結果、君はピアノをやめた。パパさんの思惑通りだ。さぞかし気分が最高だったろうねえ。
でも君は? パパさんとは逆で苦しみ始めただろう? 自分の『夢』を壊されて、ボロボロにされて、本来進みたくないレールの上に立たされて、今まさに苦しんでいる。ねえ? どう考えても君のパパさんが悪い。娘の『夢』を壊すなんて最低な人だ。
だから君には、苦しめた罰をパパさんに与えることが出来る。今自分を苦しめる、そんな状況を作り出したパパさんに』
真姫はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の元へと移動する。ゆっくりと、ゆっくりと、もし他者が今の真姫を見れば誰もが『おかしい』と答えるだろう。
それほどまでに今の真姫の様子は異常だった。すでに瞳は虚ろとなっており、周りなど見えていないかのように窓に向かって歩く。
そして、カーテンを開けた先に──―。
────大きな白いクジラが真姫の方を向いて浮かんでいた。
黒い瞳のクジラはその瞳で外から真姫を見る。真姫はそのクジラに気付いていないのか、大声を上げるわけでもなくただ虚空を見つめていた。
『真姫ちゃん、今
声が真姫に問いかけた。
真姫はその虚ろな瞳のまま答える。
「復讐」
グニャリ、とクジラの口が歪む。
「私をこんなに苦しめる、パパに復讐したい」
『グレイトだ、真姫ちゃん。君の復讐を僕が手伝おう』
──クジラの目が赤く光り、口が三日月のように大きく歪んだ。
それはもうクジラではなかった。言い換えればクジラの形をした化け物。だがそれに気付く人は誰もいなかった。対面する真姫でさえ、いや、真姫はすでにこのクジラの『罠』にハマってしまったのだ。気付くはずがない。
『闇』はその対象人物の『闇』が深ければ深いほど、はまりやすい罠だ。抜け出すことのできない闇の罠、それハマってしまったら最後、自力での脱出はできないものと考えた方がいいだろう。
『クククク』
グニャリと歪んだクジラの口から不気味な声が漏れる。
その声が夜の町に響き渡った。
個人的に絵里と真姫の会話って結構珍しいんじゃないかなと思っています。
第二奏はこれで終了です。
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