第一章:再会
[プロローグ]
一条リヒトは走っていた。
時刻は夜の七時過ぎ。本来ならば夜空が広がっているはずの空は、赤紫色に覆われていた。
怪しくゆらゆらと揺れる空を覆う光、肌を撫でる不気味な風、地面には緑色のガラスのようなものが散らばっている。
それは、リヒトが以前ウルトラマンギンガとなってダークガルベロスと戦った時と同じ空間だった。
光を飲み込む『闇の異空間』。この空間では、光の力が弱まり闇の力が強くなる傾向にある。
つまり、この空間で戦うことは『光』であるリヒトにとっては不利な状況であり、もし敵がダークガルベロスの様な強敵だった場合、苦戦は免れないということ。
負けられない戦いが敵に有利な空間で行われるのは、リヒトに途方もないプレッシャーを与えることだった。
(くそっ、なんでこんな時間に……!)
さらに、敵がこの時間に動きを見せたのはこれが初めてだ。以前朝早くに動きを見せたこがある以上、ある程度は予測できることだが、実際に起こると文句の一つくらい出てくるものである。
悪態をつきながら人気のない街を走っていると、地面が揺れた衝撃に足を止める。
ッドン!! と、轟音を立てて出現したのは、全身が黒く顔がのっぺりとした、中心に輝く赤い瞳の宇宙人。
その名をワロガと言う。
「来やがったな……」
敵が出現となれば、先ほどまで悪態をついていたリヒトも気が引き締まる。
目つきが鋭くなり、雰囲気ががらりと変わる。パーカーのポケットからギンガスパークを取り出したところで、
ワロガの赤い瞳がこちらを捉えた。
「──っ!?」
突如睨まれ動きが止まるリヒト。
しかしワロガはリヒトを気にする様子はなく、ほんの数秒間だけ視線を向けるとすぐに視線を逸らした。
「なんだよ……」
冷や汗を流しつつも呟くリヒト。
だが、ワロガが視線を下げ、何かを掴もうと手を伸ばしているところを見て、再び背筋に衝撃が走る。
あの行動を人間に置き換えるならば、下に落ちているモノを拾おうとする仕草。しかしこれをあの宇宙人が行っているとなると、考えられるのは人間を掴もうとしているということ。
そしてそれを証明するかのように、少女の悲鳴が聞こえてきた。
リヒトはすぐさまギンガスパークを空へと突き上げる。スパークブレードが展開し、出現したウルトラマンギンガのスパークドールズを勢いよく掴みリード。
『ウルトラーイブ! ウルトラマンギンガ!!』
空中で光が集合し、ウルトラマンギンガとなるとそのままキックの態勢をとりワロガへ突っ込む。
ギンガの攻撃に反応したワロガは両腕をクロスさせギンガの蹴りを受け流すが、近くに着地したギンガの追撃を受け後ろに吹き飛ぶ。
いや、正確に言うのであれば後ろに飛んで受け流した、と表現すべきか。
静かに着地したワロガは両腕を解いてギンガを睨む。
ギンガも、意識はワロガに向けつつ先ほど悲鳴を上げた少女の方を確認する。
地べたに座り込んでいた金髪の少女は、ギンガの登場に驚いた表情をしている。
──逃げろ。
リヒトの声は届くことはないが、少女は何となくギンガの気配から察したのだろう。すぐに立ち上がってその場から避難する。
闇の空間でも、目立つ金色の髪。それは不思議とリヒトの心の中に不思議な感覚を巡らせ、思わず見惚れてしまう。
しかし今は戦いの最中。その行為は大きな隙となりワロガの攻撃を直撃してしまった。
後ろに倒れ込んだギンガは──リヒトは、改めて気合を入れなおすと視線を細めて
中に人は──いなかった。
それはすなわち、誰もあの宇宙人にライブしていないということ。ダークガルベロスやサイコメザードの時のように怪獣自体──この場合は宇宙人自体というべきか──が実体化したものであり、戦闘力はあの宇宙人自身のポテンシャルで決まる。
リヒトとギンガの関係のように、良好な信頼関係の上でライブしているならともかく、無理やり怪獣にライブしているとなると、その強さはライブ者によって左右されることが多い。しかし怪獣自身が戦うとなれば、そんなことは関係ない。そして、これまで戦った経験から、ワロガもまた強敵だろうと判断した。
さらにここは闇の異空間。敵に有利なフィールドとなればダークガルベロスの時のような戦いになるはずだ。
今回は誰の援護もない。リヒト一人で戦わなくてはいけない。言葉にできない重圧がリヒトの体にのしかかる。
リヒトは一度深呼吸してから、ギンガスパークを構える。そして、ギンガが勢いよく駆け出す。
ワロガも忍びのように腕を後ろにして駆け出す。
ギンガのパンチがワロガに防がれ、逆の手で繰り出された突きを上半身を反らすことで躱す。
互いの拳がぶつかりバックステップで後ろに下がると、ギンガが足を振り上げ蹴りを放つ。ワロガは両腕で受け止め、そこを軸として回転し裏拳のように腕を振るうが、ギンガは身をかがめて躱し、アッパーを放つが後ろに身を引かれ空を切る。
ワロガの足が跳ね上がるが左腕でガード、振るわれた腕を掴み背負い投げの要領で投げ飛ばすが、背中を転がることでワロガは受け流す。
体勢を立て直したギンガに向け蹴りを放ち、ギンガはガードに成功はするが威力を相殺できず後ろによろめく。さらに、ワロガがその両手の先より放ったアームスショットがギンガを撃ち抜く。
火花を上げ後ろに倒れるギンガ。
そこへ向け交互に撃たれるアームスショットが襲う。
アームスショットの豪雨がギンガを襲い、爆炎の中に沈める。
ワロガが攻撃を止めると、そこは黒い煙で覆われた。
静寂が訪れこの戦いに終止符がついたと思われた時、
──煙の中より青白い光線が放たれた。
ギンガクロスシュート。ギンガが持つ必殺技の一つでありその威力は折り紙つき。アームスショットに撃たれる中、辛うじてエネルギーを貯め放たれた一撃は、
球体となったワロガに躱されてしまう。
決め技を躱されうろたえるギンガ。
しかしワロガはこちらに攻撃する気がないのか、球体となったまま空へと飛び去って行く。
ワロガの殺気が消えていくことを感じたギンガは、その姿が光に包まれリヒトの姿に戻った。
同時に位相も元に戻り、街に人気が戻る。
その中、一人険しい目付きで空を見上げるリヒト。
先ほどの戦い、最初は互角に見えたが実は違う。リヒトは敵の動きに反応するのがやっとだった上に、こちらの攻撃を全くヒットさせることができなかった。最後に放ったギンガクロスシュートも躱された。
しかも、リヒトが感じるに
「……」
リヒトの拳が自然と力強く握られていた。
☆☆☆
絢瀬絵里は真っ青な顔で帰宅した。
「どうしたの、お姉ちゃん!?」と心配してくる妹の声に応えることなく、自室へと逃げ込むように入ると、部屋の明かりをつけないまま、膝を抱え震えだす。体に染み付いた恐怖が、消えない。目を瞑ればあの黒い宇宙人が浮かび上がり、さらなる恐怖に震える。
声はあげない。
顔を腕に埋め、シャツの袖を握りしめ、歯を食いしばってその恐怖に耐える。
キラリ、と絵里の脳裏に音が聞こえたような気がした。
顔を上げれば、机の上で青く光る輝石がある。その光は月の光を反射しているようで弱々しいが、絵里にとっては「大丈夫」と安心させてくれる優しい光に見える。
絵里はゆっくりとした動作で、月明かりに照らされている輝石を手に取り、優しく握りしめた。
輝石は、僅かに温かい。
その温かさが、絵里の震える体を優しく包み込んでいった。
[第一章]
「ラブライブ……?」
『はい。簡単に言ってしまえば、スクールアイドルの甲子園の様なものです』
首を傾げて海未が言った単語を復唱すると、電話口の向こうで海未がわかりやすく説明をしてくれた。
現在リヒトは海未と通話中である。午後のひと時、突然リヒトのスマホに電話がかかっていたかと思えば、なんとスクールアイドルの甲子園ともいえる大会『ラブライブ!』の開催が正式に発表されたとのこと。海未達も先ほど花陽から聞いたばかりなのか、まだ詳しく知らないようで、リヒトはスピーカーモードにしたスマホを操作して、『ラブライブ!』のホームページへと飛んだ。
「あぁ、これね。へー、結構大きな規模だな」
ホームページに記載されている情報に目を通してみれば、その規格の大きさに驚かずにはいられなかった。全国に存在するすべてのスクールアイドルに参加資格があり、優勝すれば一躍有名になれる。まさにスクールアイドルの甲子園と言えるだろう。
「すげぇな、こんな大会があるなんて」
『私も聞いた時は驚きました』
「だろうな。で、なんで俺にわざわざ電話をしてきたんだ? 別に報告なら後でもいいだろ」
海未達はこの時間帯、まだ学校にいるはずだ。アイドル研究部と一緒になって以降、今まで学校終了後神田明神に集まることの多い彼女達だったが、部室ができたことにより屋上での練習が増えたのだ。
リヒトとしては少しだけ寂しい気持ちではあるが、屋上ならば神社でやるよりも伸び伸びできると思い、彼女達の好きなように任せている。
という訳で、最近は屋上練習をしている海未がこの時間に電話を掛けてくるのは少し不思議だった。
『はい、実は……』
と、海未が少しだけ深刻そうな声音で言ってきた。
「なんだよ……」
リヒトも先ほどまで動かしていたシャーペンを置き、海未の方に耳を傾ける。
『「ラブライブ!」出場の許可を理事長にもらいに行ったのですが──』
確かに、これほど大規模の大会で結果を残したとなればμ’sの名前は一斉に広がり、彼女達の掲げる『廃校阻止』という目標に大きく近づくはず。ならば出ることに越したことはないのだが、もしかして出場してはいけませんとか言われたのか?
『──今度の期末試験で赤点を取らないことを条件に出されまして……』
「なんだ、簡単な条件だな」
「そうなのですが……」「なんだよ、はっきり言えよ」「……わかりました」中々はっきりと言わない海未に、リヒトが急かすように促すと覚悟を決めたのか電話の向こうで深呼吸する音が聞こえてきた。
なんがそんなに覚悟しなければならないのか、疑問で首を傾げているリヒトの耳に海未の声が滑り込んでくる。
『穂乃果、凛、にこ先輩の三名が危険領域にあります』
「………………………………………………………………………………はい?」
『穂乃果、凛、にこ先輩の三名が危険領域にあります』
かなりの間をあけて聞き返したリヒトに、一字一句、全く同じ言葉を返す海未。
その言葉の意味をゆっくりと脳内で再生し、その意味を解釈していくリヒト。
「いや、危険領域って……まさか……!」
『はい。このままでは三人が赤点を取ってしまいます』
「なんでだよ!?」
突っ込まずにはいられなかった。
よく漫画やアニメでは赤点がどうのこうの、という展開を目にするが、まさか近くの友人関係でこういった赤点を取りそうな人物がいたとは。いや、もしかしたら『一条リヒト』の友人間にはもっといるのかもしれないが、記憶のないリヒトにとっては分からないことだ。
「普通に勉強していれば赤点は取らないはずだろ!?」
『穂乃果が日ごろから勉強していると思いますか?』
「知らねぇよ! 記憶喪失の俺が知るわけないじゃん! あ、でも何となくその三人がバカなのは何となくわかるわ」
遠くから何やら三バカの声が聞こえてくるが、声が遠すぎて何を言っているのか聞き取れない。
『にこ先輩は一年生の頃からスクールアイドルに没頭していたせいで、基本的に成績がよろしくないそうなのですが、中でも数学がひどいようで……』
「……おバカ」
『穂乃果は数学以前に算数が苦手でして……』
「……それ、九九ができないってレベルじゃないよな?」
『……』
海未が沈黙した。
「黙るなよ! え? ウソ? まじで? マジで穂乃果九九出来ないの?」
『……』
「ちょっと穂乃果に代われ!」
『穂乃果、リヒトさんです』『え? 海未ちゃん?』『代わってほしいそうです』『いや~、ちょっと遠慮しようかな~』『…………』『海未ちゃん顔が怖いよ~』『……』『ひぃぃっ!!』そこからはゴタゴタとした音しか聞き取れず、かろうじて穂乃果の脅えた声の様なものが聴きとれただけだった。その後しばらくして、誰かが海未のケータイを手にした音が聞こえてくる。
『……あ、りーくん?』
「
『え? な、なに急に……』
「
『えーっと……………………にじゅう、さん?』
「24だよバカ! お前よく高校に受かったな!? 裏口入学したんじゃねぇだろうな!?」
『してないよ! 人聞き悪い!! 確かにちょっとは考えたけど、そんなことをするほど私人間捨ててないよ!!』
「おまっ、よく『人聞き悪い』なんて言葉知ってるな……!?」
『それくらい知ってるよ!!』
「じゃあ、
『…………』
声は、返ってこなかった。
もうリヒトは、呆れや怒りを通り越して、悲しくなった。世の中探して九九を答えることができない高校生がいるとは……、もう感情が消えた声でリヒトは呟く。
「お前、なんで高校生やってるの?」
☆☆☆
一先ず、リヒトの一言に泣き出してしまったらしい穂乃果が下がり、海未が出てくる。
『よくも穂乃果を泣かせましたね』
リヒトに向けての死刑宣告と共に。
ビクッ! と海未の一言で背筋が伸びたリヒトは額に浮かんだ汗を拭きつつ、
「そ、それより、穂乃果と矢澤が数学で危険なのはわかったけど、星空は何が危険なんだ?」
『はぐらかしましたね。まぁ、今はそちらの方が大事ですし今回は見逃してあげましょう』
海未の発言を聞いてホッと胸を撫で下ろすリヒト。
改めて姿勢を正し、置いておいたペンを拾い海未の話に耳を傾ける。
『凛は英語が苦手らしいです。中学の頃から理解できていない様子で、ある程度の単語は知っているのですが、文法の方が』
「なるほどな。確かに、こっちの英文はきっちりとしてるもんな」
そう言いつつ、リヒトは机の上に置いてある一枚のプリントを手に取る。そこには長文の英語が並んでおり、ところどころに波線が敷いてあったり空欄になっていたりと、間違いなく英語の問題だと判断できる。
『そこでリヒトさんには、凛に英語を教えてほしいのです』
「え? 俺?」
『はい。記憶喪失になっても、英語が得意なのは変わっていませんよね?』
「まぁ……」
確かに『一条リヒト』は海外に留学する以前からそれなりに英語が得意だったらしく、記憶喪失となった今でも英語の問題はそれなりに解けている。
しかしだからと言って完璧にできるわけではない。日本人の中に国語ができない人がいるように、いくら英語が喋れてもそれが問題となってくれば話は変わって来る。リヒトは机の上に置かれている問題用紙の赤で修正された部分を見ながら、
「一応はできるかもしれないけど、西木野とかじゃダメなのか? 小泉もそれなりに英語できるだろ?」
『花陽も英語は得意ではないそうです。それに真姫の方は、自分の方もやらなくてはいけないので、負担を軽減するためにリヒトさんにお願いしたんです』
海未の言葉を聞いて「そうだった」とリヒトは呟いた。
真姫がμ’sに加入する際の目標として成績を落とさず、尚且つ人の心を動かす曲を作り上げることを掲げた。後者に関しては先日ネットにアップした曲『これからのSomeday』が反響を呼び、μ’sの名前を大きく広めた。ならば次は『医者の道を歩む』ためにテストで今の力を証明しなければならない。中間試験ではよい結果を残しているため、今回もそれ相応の結果が必要になって来る。
そう考えれば、自分の勉強に加えて英語の苦手な凛を手伝うのは、些か負担が大きいかもしれない。
「……」
『ダメ、ですか?』
「いや、ダメじゃないけど……俺で大丈夫なのかなって」
『?』
「いや、ほら、海未達は幼い頃から俺を知ってるだろ? 西木野とも少しだけあったみたいだけど……、小泉と星空はつい最近知り合ったばかりじゃん? だから、付き合いの短い俺で大丈夫なのかなって」
リヒトが一番気がかりなこと、それが凛と花陽との知り合ってからの短さだ。海未、ことり、穂乃果の三人は幼い頃からリヒトと接点があり、こちらが記憶喪失だとしても気さくに話しかけてきてくれる。
一方の一年生組は、真姫だけが幼い頃にほんの少しだけ接点があったらしく、穂乃果達ほどではないがそれなりに話しかけてきてくれる。しかし凛と花陽に関しては、知り合ってまだ数十日しかたっていない。それに二人と会うのも話すのも、基本的に神田明神での練習日だけであり、それ以外は奉次郎の計らいで一緒に朝食を食べる時だけ。そのほかでは全く接点がないのだ。
向こうからしてみれば、完全に知らない年上のお兄さんがダンスを教えてくれている、程度だろう。そんな相手に、勉強まで教えてもらうのは不愉快ではないのか、そうリヒトは思ってしまったのだ。
『ふふっ』
しかし、返ってきた海未の声は笑っていた。
「……なんだよ。こっちは割とこれ、真剣に悩んでんだぞ」
胸の内を吐露したというのに、海未に笑われて少しだけ腹が立つリヒト。その声音でわかったのか、海未は小さな笑いを抑えると少し楽しそうな声音で言ってくる。
『すいません。私の知っている「一条リヒト」さんは、あまりそう言ったことを言わなかったので』
「……」
『もしかしてリヒトさん、二人は自分のことを嫌ってると思ってます?』
「そこまでじゃねぇよ。ただ、ダンス練習中の目つきが怖かったり、あまり話してないから気まずいかなって」
『大丈夫ですよ。二人はリヒトさんのこと、嫌ってなどいません』
「それは……その……」
と、少しだけ返事に困るリヒト。
『これは秘密なんですが、凛はリヒトさんのダンスを見て以降対抗心を燃やしているみたいなんです。いつか自分も、あんな風に踊れるようになりたいって』
凛のダンスは、その元の運動神経の良さから動きが派手になりやすく、雑に言ってしまえば乱暴な点がある。そしてリヒトが先日披露したダンスは、ダイナミックで動きの激しいものの、ちゃんときれいにまとめられている。その点が、きっと彼女の心に響くものがあったのだろう。凛のダンスも、雑な部分が修正されればダイナミックで大きなパフォーマンスとなるのだから。
『それに花陽も、リヒトさんのおかげでプレッシャーに強くなったと言ってます。なんでも、授業で発表するとき、周りから向けられる視線よりリヒトさんの方の視線が怖いらしく、緊張することがなくなったと』
「それは、よかったことなのか?」
確かに、最初はがちがちに緊張していた花陽も、今ではしっかりと踊れている辺りリヒト視線の効果はあったと……見ていいのだろうか?
『それに今の危機的状況には、猫の手も借りたいくらいなんです。そんな悠長なことは言っていられません』
「そこまでひどいのか……。
わかったよ。協力する」
『本当ですか!』
「ただし、俺の方も、なんか生徒想いの担任から課題が出されてるから、あんまりあてにしないでくれよ?」
と、リヒトは言いながら目の前に積まれた問題集と、机の横に置かれた段ボールを見る。その中にはまだほかの科目の問題も入っており、さらには担任の先生自作の要点をまとめたノートまで入っている。
どうやら休学中のリヒトが復帰後、しっかりと授業に付いて行けるように、これまでの授業内容をまとめていてくれたらしい。もちろん、『一条リヒト』の友人の協力もあって。
『わかりました。それでは、この後全員でそちらに伺いますが、よろしいですか?』
「わかった。それまでにある程度終わらせとくから」
『よろしくお願いします』そして電話は切れた。
ツー、ツー、と無機質な音がリヒトの耳に入って来る。リヒトも電話を切ると、机から離れてベットに倒れ込む。
そして目元を腕で覆い、ポツリと呟く。
「私の知る『一条リヒト』さん、ねぇ──」
リヒトが音ノ木町にやってきて、すでに二ヶ月が経過した。
梅雨も明け、季節は夏へ移り変わり始めている。それを証明するかのように、今朝見かけた希の制服が夏服になっていた。きっと穂乃果達も夏服なのだろう。現にリヒトだってパーカーをしまいサマーニットを着ている。
あれだけ毎日来ていたパーカーをしまった。つまりそれほどリヒトがこちらに来て時がたったのだ。
それなのに、リヒトの記憶はまだ何も戻っていない。
この町に来て記憶が戻ると思ってしばらくいたが、記憶は何も戻らずにいる。穂乃果達のダンスを見て、穂乃果達と遊べば何か戻ると思っていた。
だが、実際はどうだ?
何も戻らない。むしろ、記憶を失う前の自分とのギャップに周りが戸惑うだけ。さっきもそうだ。海未の言った『私の知っている「一条リヒト」は──』という言葉。これがどれだけリヒトの胸に突き刺さったか、きっと彼女は分かっていない。リヒトが何も言わなければ、きっと誰も気が付かないことだ。
記憶喪失前の自分がどんな人間だったのか、どういう風に振る舞っていたのか、そんな生活をしていたのか、どんなことを思っていたのか──。何もわからない。
今のリヒトは、用意周到に準備された世界を、ただ歩んでいるだけ。そんな感じだった。
(俺の記憶は、本当に戻るのか?)
そんな不安が、リヒトの脳裏を横切った。
「あーもう! しんみりするな! 俺!」
がバッとベットから起き上がり、自分を鼓舞する。
「大丈夫! きっと記憶は戻る! それに今はウルトラマンとして、あいつらを守らなきゃいけない。やること多すぎだぜ!!」
だが、その姿はどこか空回りしている様に見える。
リヒトも、自分が何をやっているのかと呆れ、突き上げた拳を静かに下した。
☆☆☆
そして、『ラブライブ!』出場を目指すためμ’sの勉強会が始まった。
リヒトは花陽と協力して凛の英語を担当し、海未とことりは数学の苦手な穂乃果を担当するのだが、そうなると三年生であるにこが残ってしまう。しかし、そこは助っ人である希が対応してくれるらしく、ここににこの姿はなかった。真姫も自分の方が順調に進み次第手伝ってくれると言ってくれたが、初日ぐらいは俺たちに任せろ、と言ったリヒトの言葉に従い、真姫は自分の勉強に取り組んでいる。
勉強会が始まってしばらく。各々着々と課題に取り組んでいる様に見えたが、
「やっぱり凛には英語無理だよー」
長文問題に苦戦し始めた凛が、悲鳴を上げた。
「凛ちゃん、あと少しだからがんばろ?」
「そうだぞ、星空。このページが終われば今日のノルマクリアだ」
花陽とリヒトは凛を応援するが、一番苦手である長文問題が出てきてしまい、凛の集中力が一気に削がれてしまったようだ。
「はーあ、なんで日本人なのに英語学ばなきゃいけないの……」
「社会の国際化が進んでるからな。街でもよく海外の人を見かけるし、道聞かれたら大変だろ? それに、今のご時世英語しゃべれないといけない会社もあるみたいだしな」
と、リヒトが言っていると、
「ことりちゃん、海未ちゃん。穂乃果、ギブです」
何やらキメ顔で宣言する少女が倒れた。
「穂乃果ちゃん!?」
「まだです、穂乃果。ここも計算間違っていますし、このページは全問不正解です」
「うぅ~、海未ちゃんの鬼―!」
「何とでもいなさい。今回だけは私も心を鬼にして穂乃果を指導します。さあ、まだ問題は残っていますよ」
「うああああああああああああああああ!!」
「コレ、本当に大丈夫なのか?」隣で繰り広げられる悲鳴、そして目の前でテーブルに突っ伏す少女。これを見て頭を抱えたくなるのも無理はないだろう。
リヒトの呟きは誰にも拾われることなく、その日は穂乃果と凛の悲鳴がこだまする中、終了した。
☆☆☆
勉強会開始から数日。どうやら学校の方も本格的にテスト週間に入ったようで、自習となる科目や振り返りをやる教師もいるらしく、その機会に三バカは自分の成長を噛み締めているらしい。
普段からしっかり勉強しとけよ、ともし記憶喪失前の自分が穂乃果達の様なパターンだったら壮大なブーメランになることを思いながら、リヒトは家に向かって帰宅していた。
先ほどまでルーズリーフと赤ペン、シャーペンの芯など足りなくなったものを買いに行っていたのだ。他にもマーカーや黄色ペン緑ペンなど、よりまとめられやすいように様々なものを買い足した。
ちなみに本日はある程度自分の文を片付けた真姫が凛を見てくれているため、榊家での勉強会はない。どうやら部の活動としてテスト勉強会があるらしく、海未も弓道部の勉強会に参加することになっているらしい。
つまり今日は、勉強会がない分リヒトは自分の方を片付けることになっている。
夕日に照らされる道を歩いていると、一人の少女とすれ違った。ハーフか、それともクウォーターなのか、夕日に照らされている金髪と白い肌は先日リヒトがギンガとなって助けた少女を連想させ、思わず見惚れてしまう。少女の方も、リヒトの視線に気が付いたのか手に持っていた音楽プレイヤーから視線を上げる。
少女との視線が交差する中、つい見すぎていたリヒトは慌てて視線を外す。
しかし、
「……お兄さん?」
「……へ?」
今目の前の少女は何といった?
お兄さん? 誰が?
「もしかして、リヒトさんですか?」
探るように訪ねてくる少女。
「……一条リヒトって名前なら、俺だけど」
瞬間、パアッ! と少女の表情が輝き、リヒトに抱き着いてきた。
「……!?」
「やっぱりお兄さんだったんですね! お久しぶりです! あー、またお兄さんに会えるなんて思ってもいませんでした」
「ストップ! ストップ! まずは離れようかお嬢さん! まずは俺に情報を整理させる時間をくれないかな?」
「お嬢さんだなんて、どうしてそんなに他人行儀なんですか? 亜里沙とお兄さんの仲じゃないですか」
「うんだから落ち着こうか少し待ってよ特に周りの視線が怖いから一旦とにかく離れて事の説明をお願いしたいのだが」
主に周りから向けられる視線に耐えられない
少女も自分が予想していた態度とは違うリヒトに困惑し始め、その体をリヒトから放す。
「やっぱり、覚えてませんか? 亜里沙です。絢瀬亜里沙です」
「亜里沙?」
少女の話し方で、何となくあることがリヒトの脳裏を横切った。
「……やっぱりそうですよね。お兄さんと話した時、亜里沙まだ幼かったですから仕方ありませんね」
何やら落ち込み始めている少女に向けて、リヒトは非常に言いにくそう頭をかきながら、
「いや、その、落ち込んでいるところ悪いんだけど、俺記憶喪失なの」
「……え?」
「だから、記憶喪失。去年の十二月以前のことを全く覚えていないの。だからその……俺は君のこと何も覚えていないんだ」
「……そうなんですか?」
「そっ。完全に記憶喪失」
「……」
少女はリヒトが記憶喪失だと理解した、と見ていいのだろうか。何やら考え始めた少女の様子に首を傾げていると、
「……もしかしたら、お姉ちゃんと会えば思い出すかもしれません!」
「へ? お姉ちゃん?」
「ハイ! 亜里沙、今からお姉ちゃんに会いに行くところなんです。だから一緒に行きましょう!」
「ちょっ──」
「記憶喪失は、その人の記憶に一番衝撃を与える人と会えば戻るって、前に本で読んだことがあります! だから任せてください!」
「いや、本って、それより──!」
少女は言った。
記憶に一番衝撃を与える人と会えば、記憶が戻ると。
それはつまり、リヒトの記憶が戻るかもしれないということ。今まで何をやっても思い出す気配すらなかった記憶が、ここにきて新たな進展を見せている。
少女──亜里沙に手を引かれながら、ほんの少しだけ、期待を心に抱きつつあるリヒトだった。
☆☆☆
亜里沙に連れられリヒトがやってきたのは、音ノ木坂学院の校門前だった。
そう、ここは穂乃果達が通う音ノ木坂学院の校門前。初めて見る校舎に、普段のリヒトなら心躍らせていただろうが、今はそれどころではなかった。
何せここは音ノ木坂学院、穂乃果達の通う
そして女子高の前にロシア人クウォーターの女子中学生と、明るい茶髪の少年が立っていれば、自然とざわつく。リヒトに向けられる女子高生達の視線。ベージュのサマーニットに身を包むリヒトは、どう見たってこの場にふさわしくない。
「あれ誰?」「誰かの彼氏?」「うわっ、彼氏待ちとか度胸あるね」「ちっ、リア充か」「でも隣の子誰なんだろ?」「まさか、堂々の二股!?」「うーん、私は好みじゃないかな。アクセサリー着けすぎ」「そう? 意外とカッコいいと私は思うけど──」と、耳をすませば少女達のヒソヒソ話が聞こえてくる。
「(なぁ、亜里沙ちゃん。お姉さんはまだ来ないの?)」
「(もうすぐ来ると思うんですが……)」
出来れば早く来てほしい、とリヒトは思った。ポーカーフェイスを装ってはいるが、内心はそんなに穏やかではない。注目されるのは、おそらく記憶喪失前のおかげで多少は慣れてはいるが、ひそひそと小声で話されてはいい気分はしない。
亜里沙の方は何とも思っていないのか、それとも操作している音楽プレイヤーに意識が向いているからなのか、動揺している様子はない。その鈍感さを羨ましく思っていると──、
「リヒトさん?」
「ん? 海未?」
海未と出会った。
向こうはリヒトが音ノ木坂学院の前にいることに驚いているのか、目を見開いている。
「どうしてリヒトさんがここにいるんですか?」
「いや、この子のお姉ちゃんが『一条リヒト』を知っているらしくてさ。何か思い出すかもしれなからここで待ってるわけ」
「この子?」
と、海未は位置的にリヒトの影に隠れてしまっている少女の方を見ると、亜里沙は目を見開いて感動していた。
「海未さんですよね? μ’sの園田海未さんですよね!」
「え? ええっ?」
瞳を輝かせ、海未に詰め寄る亜里沙。
見知らぬ人に名前を呼ばれ、詰め寄られてはさすがの海未も動揺する。
「亜里沙、μ’sの大ファンなんです! 握手してもらえますか!」
その言葉を聞いて、リヒトは納得した。この子はμ’sの、中でも園田海未のファンなのだろうと。
先日サイトにアップした新曲『これからのSomeday』はかなりの高評価を獲得し、μ’sの名を大きく広めた。その為か以前よりこうして直接接してくるファンが現れ、聞いたとこによると、真姫は出待ちをされたと言う。
「亜里沙、すっごくμ’sの歌好きなんです。毎日聞いています!」
先ほどまで操作していた音楽プレイヤーを海未に向け、熱弁する亜里沙。
戸惑っていた海未だが、その画面を見た途端表情が変わった。画面に映っているであろう映像を凝視し、
「これ、サイトに上がっていない部分もあります。いったいこれをどこで?」
「お姉ちゃんが撮影してきてくれて」
『お姉ちゃん?』
リヒトと海未の言葉が重なった。
そこへ──―、
「亜里沙、待たせてごめ──―っ!?」
「──―え?」
リヒトは、そしてやってきた少女は、互いの視線が互いを捉えるのと同時に、驚きで固まった。
リヒト達の前に現れた少女。美しい金色の髪にサファイヤの様な青い瞳。それは間違いなく先日リヒトがギンガとなって助けた少女と同じもの。
その奇妙な再会に驚くリヒトだったが、それは少女の姿を見て疑問へと変わった。
リヒトを見る少女の視線には、戸惑い、驚愕、恐怖が見て取れ、とても知り合いに再会したときの感情ではなかった。
「お姉ちゃん!」
亜里沙は少女へと近づく。
「リヒトさんだよ! お姉ちゃんも覚えてるよね? リヒトさんと久しぶりに会えたんだよ!」
姉へと無邪気に語り掛ける妹だが、姉の方はその言葉が耳に入っていないのか、驚愕の表情を浮かべたままリヒトを見続ける。
そして、その口がゆっくりと開き、言葉を発する。
「……ど、……どうして、君がここにるの……?」
その声は震えていた。
いや、声だけではない。瞳、肩、唇、少女のすべてが震え、まるでリヒトに会うことが嫌だったかのような反応は、リヒトに小さなショックを与えた。
「亜里沙が連れてきたの」
「亜里沙が……?」
「リヒトさん記憶喪失なんだって。だからお姉ちゃんに会えば何か思い出すと思って連れてきたの」
「記憶喪失……?」
亜里沙の姉の視線が、妹からリヒトに向けられる。
少女の様子に戸惑うリヒトは、戸惑いで埋め尽くされている中何とか頷く。
リヒトの頷きで少女は何かを悟ったのか、その瞳から戸惑いや驚愕が消えていき、落ち着いたものになって行った。目に見える震えも消えたが、リヒトはなぜこの少女が『一条リヒト』の名前を聞いて震えたのか、その疑問だけが残った。
しばらくの二人の視線は交差し続け、リヒトの胸にはあの夜、初めて少女を見かけた時と同じ、不思議な感覚が湧き上がってくるのを感じた。
「あ、あの」
と、ぼーっとしていたところへ海未の声が滑り込んできた。
「とりあえず、どこかへ移動した方がいいかもしれませんよ。なんだかすごい騒ぎになってますから」
後半、少々呆れて言う海未の言う通り、周りの少女達はこちらを注目しながら、先ほど以上のざわめきになっていた。
「あの生徒会長が男の人と待ち合わせ!?」「そんな、海未先輩に男がいたなんて……」「女の子三人に囲まれるあの人、一体何者なの……!?」など、少し頭の痛くなってくる会話が聞こえてきた。
とりあえず、これ以上ここにいることは色々よろしくないので一先ず全員、移動することになった。
さて、いよいよ開幕した絵里編。
割とリヒトに焦点を当てる機会がないと思っていたので、今回は久しぶりにリヒト視点でスタートです。
ヒロイン回であるのに絵里の登場は最後だけですが、これはまだ前半のさらに前半部分なのが理由です。今後はいっぱい出るよ!
それでは「#08-2」へ続きます。