あとがきにお知らせがあります。
[第二章]
ひとまず、海未の提案通り音ノ木坂学院を離れたリヒト達は近場の公園へとやってきた。
リヒトとしてはすぐにでも亜里沙の姉・絢瀬絵里から『一条リヒト』のことを聞きたいのだが、絵里から向けられる視線には未だに戸惑い、困惑、驚愕といった感情が見て取れる。それはまるでリヒトに会いたくなかったかのように見え、すぐに話しかけられる状態ではなかった。その為、リヒトは絵里と海未を残して亜里沙と共に自販機にやってきていた。
情報整理、と言った方がいいだろう。絵里の反応を見る限り『一条リヒト』を知っていることは間違いない。亜里沙の話からも、二人の仲は良かったことが推測できる。
それではなぜ絵里はあのような態度でいるのか。それがわからなかった。
「なあ、亜里沙ちゃん。君のお姉さんと『一条リヒト』はどんな関係だったんだ?」
ガコン、と落ちてきたお茶の缶を取り出しながらリヒトは聞いた。
亜里沙と共に自販機に来たのも、こうやって先に『絢瀬絵里』と『一条リヒト』の関係を聞くためだ。妹である亜里沙ならば絵里と『一条リヒト』がどんな関係だったのか、多少なりとも知っているはず。
リヒトの予想通り、亜里沙は知っているのか少し考える素振りを見せた後、満面の笑みを浮かべて──、
「──たしか、将来を誓い合った仲です!」
ガツン! とリヒトの頭部が自販機に激突した。
「はあああああああああああ!? 将来を誓い合った仲!?」
まさかの返答に驚きを隠せず甲高い悲鳴を上げるリヒト。
一体誰がそのような答えを予想できたのだろうか?
いや、誰も予想できないはずだ。『将来を誓い合った仲』、それはつまり結婚を約束したということではないか?
絶対にウソだ! と思うリヒトとは裏腹に、亜里沙は満面の笑みで続ける。
「そうです! お兄さんとお姉ちゃんはラブラブだったみたいですよ! なんでも、お姉ちゃんのバレエを見たお兄さんが告白したらしいんです!」
「しかも俺が!? 告白したの俺!?」
「それから二人は毎日遊んで、お姉ちゃんがバレエにつられてお兄さんはダンスを始めたみたいなんです!」
「それ!? 俺がダンスを始めた理由ってソレ!?」
「さらに二人は、何か大切な『約束』をしたみたいなんです!」
「将来を誓い合う以外に大切な約束って何!?」
次々と明らかになっていく『一条リヒト』と『絢瀬絵里』の関係、そして『一条リヒト』がダンスを始めた理由。しかしなぜか、それは知りたかったはずのことなのに今のリヒトにとってはできれば『すぐに忘れたいこと』になっていた。
いや、理由は分かっている。
誰が好き好んで好きになった相手の妹さんから、馴れ初めを聞かなければいけないのか。それは半ば地獄だろう。しかも『将来を誓い合った仲』ということまで暴露されたとなると、もう羞恥心でリヒトの心はいっぱいになっていた。
幼い頃からなんて約束をしているんだ! と叫んでも、すでに起きてしまったことを覆せるはずもなく、リヒトはただ嘆いていた。
(くそっ! 母さんがロシアのことを話すたびにニヤケ顔になっていたのはこれが理由だったのか!)
母・美鈴は『一条リヒト』との思い出話の中で、ロシアのこととなるといつもニヤケ顔になっていた。そのことが不思議でたまらず、今その謎が解けたというのになぜ晴れ晴れとした気分ではないのだろうか。
脳裏に浮かび上がる母のニヤケ顔に拳を向けながら、しかしそれは何の意味もないためリヒトは肩を落とすしかなかった。
「……ちなみに、それ事実?」
「お婆様から聞いたので、間違いないと亜里沙は思ってます」
『一条リヒト』がロシアに行ったのは子供の頃だ。ならば二人が約束した『将来を誓い合った仲』は子供が大人の真似事をしたことだろうと思いたいのだが……周囲から聞く『一条リヒト』の人間性と、母親のニヤケ顔からもう察してしまった。
ホント、記憶喪失前の俺ってマセガキだなー、と思いながら自分のことを鼻で笑うリヒト。
「……まあ、それはそれとして。つまり二人の仲は凄くよかったことだよな?」
「はい! それはもう──」
「──大丈夫、それ以上は言わなくていいから」
先ほどのことをまた語りそうになった亜里沙のこと遮りながら、新たに浮かんできた疑問を口にする。
「でもそれじゃあ、なんで絢瀬は俺に会った時に動揺してたんだ?」
そう、それが今リヒトの中にある新たな疑問だった。
亜里沙の話を聞く限りでは、『一条リヒト』と絢瀬絵里の関係は良好。少しだけ大胆な約束をしているのが何よりの証拠なのだが、それではなぜ絵里はリヒトを見た時に戸惑いを見せたのだ? 良好な関係が続いていたのならば、絵里のあの反応はおかしい。
いや、それだけではない。リヒトが『絢瀬絵里』の存在を知ったのは、さっきが初めてだ。つまり、
「……やっぱり、まだ引きずってたんだ」
「引きずってた? どういうことだ?」
先ほどまでの表情とは打って変わって、暗く落ち込んだ表情でつぶやいた亜里沙の一言を、リヒトは聞き逃さなかった。
無意識のうちに呟いていたのか、リヒトに聞かれた亜里沙はハッとなった後に、静かにその口を開いた。
「……詳しいことまでは知らないんですが、お兄さんとお姉ちゃんの間には、大切な『約束』があったみたいなんです」
「大切な、約束……? それって、さっき言ってた大切な約束のことか?」
「はい。とても大切で、『叶えたい夢』でもある、そうお姉ちゃんは言っていました。内容は教えてくれなかったんですが、亜里沙は二人でプロになることが『夢』だったと思ってます。お姉ちゃんのバレエはとてもすごくて、将来も有望されていましたから。お兄さんも、ダンスを本格的に学んでいたみたいですし、この予想、結構当たってる自信あるんですよ」
そう言ってほほ笑む亜里沙。リヒトもその予想は大方当たっているのではないかと思っている。『一条リヒト』もプロになることを目標にしていたらしく、毎日厳しい母親の指導を受けていたらしい。留学までしているのだから、その考えは本気だったことがうかがえる。
「でも」
しかし、亜里沙の微笑んでいた表情は、次の瞬間悲しげなものに変わった。
「お姉ちゃんはバレエを辞めてしまったんです」
「え?」
その言葉は、リヒトに小さな驚きをもたらした。
叶えたい夢だったのに、どうしてバレエを辞めてしまったのか。そんな疑問が湧き上がり口を開こうとするが、それよりも先に亜里沙と視線が合った。亜里沙はリヒトの心の内を読んだのか、悲しげに笑って首を横に振った。
「理由は教えてくれませんでした。
あんなに一生懸命だったのに、お兄さんとの『夢』を果たすために毎日練習していたのに……その『夢』を諦めちゃったんです」
「……」
諦めた、いや、挫折したともいえるこの結果を聞いて、何となくリヒトは察した。
きっと絵里は何かしらの理由があって『夢』を諦めてしあったのだろう。そこにどれだけの苦悩が、辛さがあったのかは分からないが、彼女がとても苦しんで出した決断だということは容易に察することができる。
『夢』を諦めることの辛さは、そう簡単に言葉に表すことはできない。
そして『夢』を諦めたということは『一条リヒト』と交わした『約束』が果たせなくなってしまったことを意味し、『一条リヒト』に合わせる顔がなくなった絵里は『一条リヒト』との連絡を絶った。
「お兄さんとは一応話したみたいです。そこでどんな会話があったのかは分かりません。次の日から、お姉ちゃんは自分の中で気持ちの整理が着いたのか普段通りで、お兄さんとは上手く話し合えたんだと思ってたんですが……」
だからリヒトが絵里を知るまでにこれほどの期間が開いてしまった。
二人の間でどんな会話が行われたのか、どんな結果に至ったのかは本人達しか知らない。絵里が気持ちの整理が着いたということは、リヒトが絵里のことを知るまでに期間を有したということは、きっとそれなりの結果が出たのかもしれない。
「……」
亜里沙の言葉を聞いたリヒトは、無言で百円を投入しミルクティーを購入した。落ちてきた缶を取り出し、リヒトは亜里沙に向かって言う。
「戻ろっか。これ以上二人を待たせるのも悪いし」
「……はい」
亜里沙の返事を聞いて、リヒトは二人のところへ戻ることにした。
歩きながらリヒトは考える。
このまま絵里に、『一条リヒト』とのことを聞いていいのだろうか? 亜里沙の話から間違いなく絵里は『一条リヒト』にとって大切な、そしてとても影響のある人物だ。ダンサーになるという『夢』をくれたのも絢瀬絵里。そしてきっと幼い『一条リヒト』の心を動かしたのは、絵里のバレエなのだろう。
となれば、絵里と関わることで失くした記憶が戻るかもしれない。亜里沙の言った『その人の記憶に一番衝撃を与える人と会えば戻る』は、リヒトもドラマや漫画で見たことがあることだ。フィクションの世界な為信ぴょう性には欠けるが、それでも記憶を早く思い出したいリヒトにとっては、信ぴょう性などどうでも良かった。
そうなれば、絵里は間違えなくリヒトの記憶に大きな衝撃を与えてくれるだろう。
だが、その為には絵里に『夢』を挫折したことについて話してもらうことになる。もちろんそれ以外の情報を話せばいいのだが、そこの部分が一番『一条リヒト』と『絢瀬絵里』の深い関係にあたってしまうのだ。
しかも、絵里は間違いなく先日ワロガに狙われた少女だ。まだ敵が絵里の心の何に付け込もうとしているのかわからない。だがもし、リヒトと話したことで心の揺らぎが膨らみ、敵に襲われることとなってしまったら……。
リヒトは、考え続けた。
☆☆☆
──少しだけ時は巻き戻る。
リヒトと亜里沙が自販機へと向かい、絵里を任された海未はほんの少しだけ緊張していた。何せ相手は生徒会長であり自分達のスクールアイドル活動を否定している相手。緊張するのは無理もない。
だが、同時に海未の中では疑問が生まれていた。
「まさか、あの映像を生徒会長が撮っていたとは」
海未はずっと不思議に思っていたことがあった。ネットにアップされていたファーストライブの動画、あれはいったい誰が撮影し誰が投稿したのか。講堂に来ていないリヒトにはまず不可能なことであり、手伝いをしてくれた三人にも撮影はお願いしていない。
「……まさか、あなたに見つかってしまうとはね」
「ありがとうございます。あの映像が無かったら私達は──」
「──やめて」
「え?」
海未の言葉を遮った絵里は、視線はこちらに向けないまま言う。
「あなた達のためにやったわけじゃない。むしろ逆よ。あなた達に自分のダンスと歌を客観的に見て、実力を知ってもらうためにやった。初めてたったの数十日だけでは人を惹き付けるようなものはできない。ネットなら、厳しい声が何の躊躇もなく打ち込まれる。それで挫折してほしかった。現実を知ってほしかった。その為にやったのよ」
「……」
「だからこの状況は想定外。挫折するどころか人数を増やしてまだ挑み続けている。なんで諦めないのかしらね」
そう言って絵里は小さく鼻で笑った。
まるでこちらをあざ笑うかのように。
「でも、私は認めない。前にも言ったけど、人を惹き付けることは簡単じゃない。それ相応の実力を得るのには何年も練習が必要。それをあなた達は数か月で成し遂げようとしている。そんなの絶対に無理よ、必ず失敗する。だから、大きな傷を負う前にやめなさい」
最後の一言は鋭い視線と共にこちらに放たれた。
本気が宿った瞳に射貫かれ、海未の体が微かに震える。
なぜ生徒会長はここまで言うのか。前回だってそう、あの時も絵里は『夢』を『不治の病』だと言って海未達に始まりの一歩を踏まないように言ってきた。いや、あれは説得しに来たともいえないか? まるでこれから自分達が進む道には必ず挫折が待っており、自分達は必ずそこで傷を負う。だからその一歩を踏み出してはいけないと。
そして今度は、すでに踏み出し始めてしまった自分達に向けて、止まるように言ってきた。海未達が大きな傷を負う前に。
海未が俯いていると、絵里は静かにベンチから立ち上がりカバンを手に取る。
「話はそれだけ」
「──待ってください!」
去ろうとする絵里を海未が呼び止める。
あの時は穂乃果が絵里を止めた。しかしこの場に穂乃果はいない、だからと言ってこのまま彼女を帰してはいけない。自分達の覚悟を、この人にわかってもらわなければならない!
「確かに、この道の先で私達はとても辛いことを経験し、挫折してしまうのかもしれません。どんな道にだって険しい山が待っているモノですから。でも、だからと言ってそれを理由に道を諦められるわけないじゃないですか! 険しい山が待っている? 上等です。険しい山が待っているからと言って、登山家は登山をやめたりしないのと同じです! そんなことから逃げるほど、私達の覚悟は甘くありません! 私達は必ず人を惹き付ける力を手に入れます。そして必ず学校の廃校を阻止して見せます!!」
「──―っつ!?」
振り返った絵里の視線と海未の視線がぶつかり合う。
互いが互いを睨みつける形になり、視線で自分の意見をぶつけ合っている。それは時間にして数秒、だが本人達にはもっと長く感じただろう。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
やがて絵里の方が先に視線を外し、今度こそ帰ろうとしたのだが、その行く手にはリヒトが静かに立っていた。絵里の足は止まり、今度はリヒトと絵里が睨み合う形になる。その両者の間に流れる空気に海未は息を飲み、リヒトの後ろに立っている亜里沙もまた、不安な瞳で二人を見ている。
「……君と『一条リヒト』のことは、ある程度亜里沙ちゃんから聞いた」
先に口を開いたのはリヒトだ。
そして海未には見えていた。リヒトが絵里のことを『君』と言った時、その肩が小さく跳ねあがったのを。
「二人の間にあった『約束』が、どうなったのかも……」
「……そう」
その指がわずかに震えたのを、海未は見ていた。リヒトが言葉を発するたびに絵里の肩は震え、まるで恐怖している様に見えるのは、海未の錯覚だろうか?
「……だから、こんなことを君に言うとは、とても失礼なことなのかもしれない。自分でも、最低なことだってわかってる。でも、俺はどうしても記憶を取り戻したい。
頼む! 君と『一条リヒト』の思い出を、教えてほしい」
と、リヒトは頭を下げて言った。
その姿は海未の中にある、常に軽い性格で飄々としていた『一条リヒト』からは中々想像できない姿であり、その真摯な姿勢に小さな衝撃を受けた。
だけど、それだけリヒトは記憶を取り戻したがっているということ。海未は記憶喪失になったことはないし、記憶喪失者も今までテレビの中でしか見たことがない。だから、リヒトが本当はどんな気持ちで日々の生活を送っているのかはわからない。
しかし、自分だけ何も知らないのは怖いことだと、何となく想像できる。
絵里が答えを発するまで頭を上げない気でいるのか、ずっと頭を下げ続けているリヒト。それだけ絵里が頼みの綱なのだろう。
しばらく、息を飲む静寂がこの場を支配した。
そして──、
「──悪いけど、あなたに話すことは
「なっ……!?」
その答えは──リヒトの顔に絶望を与えた。
「待ってくれよ……何もないって、どういう、ことだよ……」
「言葉通りの意味よ。私はあなたと話すことは何もない」
「……いや、悪い冗談はよしてくれ。何もないわけないだろう。君と『一条リヒト』の間は、確かに──」
「──私は、彼との思い出はすべて失くしたの」
絵里は、その声をもってリヒトの言葉を遮った。
「……………………え?」
「私は、彼との思い出をすべて捨てた、そういう意味よ」
「捨てたって……なんで」
「……」
「
リヒトは叫んで絵里に詰め寄った。その様子は焦っており、海未はリヒトを止めるべく仲裁に入ろうとしたのだが、それより先に顔を上げた絵里の表情を見たリヒトが止まった。
その表情は、先ほどまでとは別の驚きで固まっていた。
「なんで……
「──っ!?」「待ってよ! お姉ちゃん!!」絵里は亜里沙の声も無視して走り出した。リヒトは動けず、海未もまた事態の急変に付いて行けずに動けなかった。かろうじて亜里沙がこちらに頭下げたのを確認できたが、それ以前にショックと驚きで固まってしまっているリヒトが心配だった。
頼みの綱だった絵里にあんなことを言われては、リヒトは相当なダメージを受けたはずだ。何と声を掛ければいいのか、絵里居た場所を見つめるリヒトはやがてその場から走り出した。
「リヒトさん!」
海未もその後を追った。
☆☆☆
リヒトを追いかけてやってきたのは、榊家の中にあるリヒトの部屋だった。部屋の前に着いた海未、しかしそこからどう声を掛ければいいのかわからず、扉を叩こうとした手が止まってしまう。しかし、このままリヒトを放ってはおけず、意を決して扉を叩く。
『……海未か?』
声が返ってきた。その声は扉のすぐ向こうから聞こえてきたため、きっとリヒトは扉に背を預けているのかもしれない。
「はい、私です」
『あははは、かっこ悪いとこ見せたな……心配させてごめん』
「いえ……」
返って来る声は弱々しく、相当なダメージを心に負ったようだ。いつものリヒトからは聞かれない、そして『一条リヒト』の時も聞いたことのない弱々しいリヒトの声に、何と声をかけていいかわからず言葉に詰まってしまう。
しばらくして、コン、と扉に何かぶつけた音が聞こえてきた。
『……最低だよな、俺。自分の記憶を優先して、絢瀬を傷つけた。
……泣いていたんだよ、絢瀬は』
「……」
『わかってたことなのに……、いざ絢瀬を目の前にしたら、記憶を取り戻せるかもしれない誘惑に負けて……。絢瀬にとって「一条リヒト」のことはデリケートな問題なのに……』
「……リヒトさん」
リヒトの声には強い後悔の色が込められており、海未は迂闊な発言ができなかった。
『なあ、「一条リヒト」はこういう時どうしたんだろうな』
「え?」
『「一条リヒト」なら、こんな風に落ち込んでなんかいないで、すぐに絢瀬の元に駆け付けたのかな……? いや、そもそも俺が記憶喪失になってなかったら、こんな状況にもなってないよな』
「……」
『ホント、俺と「一条リヒト」って全く違うんだな。本当に同一人物なのかよ……』
「……リヒトさん、何を──」
『──海未だって戸惑ってんだろ? 今の俺と「一条リヒト」の性格の違いにさ。言ってたじゃん、「私るの知る一条リヒトは──」って』
「──―っつ!?」
『アレ、結構傷つくんだぜ? 「一条リヒト」と今の俺の違いは、嫌というほど前から体験してるからな。大体そうだった、俺を見る周りの視線には戸惑い、驚愕、そしてみんな口をそろえてこう言う。「なんだかちょっと不思議な気分」だって。まったく、こっちの気なんて考えもしないで……』
海未は何も言えずにリヒトの言葉を聞いていた。
確かに記憶喪失後のリヒトと初めて出会った時は、記憶の中にある『一条リヒト』との違いに戸惑った。
でもだからと言ってまるっきり別人だとは思っていない。
今のリヒトにも、『一条リヒト』と同じ雰囲気を感じるところがある。人の笑顔が大好きなところや、夢に向かって頑張る人の姿が好きなところ。同じ人間なのだからそういった根本的なところは変わらないはずだ。
それなのに、知らないうちにリヒトと『一条リヒト』を比べ、彼を傷つけてしまっていることに気付かなかったことを、激しく後悔していた。
『……わりぃ、しばらく一人にしてくれ。たぶん、今の俺はありもしないことを言って、お前まで傷つけそうだから』
「……わかりました」
そういう優しいところは、変わっていませんよ。
と、言えればどれだけ楽なことか。しかし今の状況では言えない。きっと今言っても、リヒトの心には届かないと思うから。
☆☆☆
榊家を出たところで、海未は希に遭遇した。
「希先輩」
「……その様子やと、何かあったみたいやな」
希は海未の姿を見るなり、何があったのかを察したようだ。こちらを見透かすような視線で見てくる希。そういえば希は生徒会副会長、そして生徒会長である絵里とはとても仲のいいことで有名だったことを思い出し、希なら何か知っているのではないかと、話を聞いてもらうことにした。
バイトのシフトが入っている故に、すぐには対応できないと言われたが、希はある程度の仕事を片付け終わった後にしっかりと話を聞いてくれた。
先ほど起きたことをすべて話す海未。なぜ絵里は海未達にスクールアイドルをやめるように言ってくるのか、そしてもしかしたらリヒトとの関係を知っているかと思い、そのことも話した。
すべての話を聞き終えた希は、少しだけ困った表情をする。
「りっくんとのことはウチも亜里沙ちゃんから聞いただけやからなー。真相までは分からないんよ」
「……そうですか」
「でも、エリチが君たちになんであんなことを言うのか、それに心当たりはあるで」
「本当ですか!?」
ただし、と希は先に前置きしてから、その視線を細めて言う。
「少しばかり、刺激が強いかもしれへんよ……」
その目は、まるでこちらを試しているかのように見え、海未はゴクリと喉を鳴らしながら、静かに頷いた。
☆☆☆
「……」
夜、絵里は一人机に向かって勉強していた。生徒会長、といっても絵里が学生であることには変わりなく、周りと同じく今度の期末試験に向けてしっかりと勉強しているのだ。絵里の成績は上位の方であり、こういった日々の勉強の成果だろう。学校廃校阻止のための作業を優先したい気持ちを抑え、今テスト勉強をしている。
しかし、今日は思った通りに集中できていない。理由は分かっている。きっとリヒトに言ったことを引きずっているのだ。自分からあんなことを言っておいて、自分でショックを受けるなんて──。
(いいの、私はもう彼との思い出はすべて捨てた。もう私に
首を振り、勉強に集中しようと意識を持って行くが、
『エリー!』
──やめて。
『俺さ、日本に帰ったらダンスを始める! そして絶対にプロになって、またエリーに会いに来るよ!』
──思い出さないで。
『なら私もプロになる! プロになってリヒトくんと一緒に世界を回りたい!!』
『なら約束しようぜ! 一緒にプロになって、一緒に世界を回る! それと、どっちが多くの人を魅了できるか勝負しようぜ!』
『うん! 約束する! その勝負も受けて立つわ!』
ダンッ!! と絵里は机に拳を叩き付け、脳裏に浮かんできた光景をかき消す。
唇を噛み、握った拳が震える。
もし今、この辛い心の内を彼に打ち明けたら、楽になれるのかもしれない……。うんうん、きっと楽になれる。だって彼は私の見方。リヒトくんなら、今の私を救って──―。
(やめなさい! 私にはもうリヒトくんに会う資格はない。それに、何時までも彼に甘えていたくない)
深呼吸を繰り返し、己の弱さをもう一度心の底へと沈める。『一条リヒト』との記憶と共に。
──―静かに目を開いた絵里の表情は、氷のようにとても冷たかった。
☆☆☆
時を同じくして、希のスマートフォンが鳴った。
「りっくん? どないしたん?」
電話を掛けてきたのはリヒトだった。
海未から聞いた話では、絵里に拒絶されショックを受けていると聞いたが。
『希、少しだけ頼みごとをしていいか』
その声は、何か信念を込めた強い声音だった。
「なに?」
『俺、ちょっとだけ向こうに帰ることにした』
「え?」
いきなりの発言に、希は少しだけ驚いた。リヒトがこの町を離れるということは、『
『もちろん、自分の立場をわかった上で言ってる。俺がこの町から離れるのは、敵からしてみればラッキーなことだからな』
「……わかっているなら、どうして?」
『たぶん、いや、今回のターゲットは絢瀬絵里だ。その証拠に、俺は前に彼女が襲われているところに遭遇した』
「エリチが──!?」
絵里が狙われることは、ある程度希は予想していた。それは自分のある『占い結果』から来るものであり、狙われたメンバーがその『結果』に関係している人物だからだ。生徒会副会長として、絵里と共にいる中で彼女の心にもそれなりの『きっかけ』があることは分かっていた。
だからこそ、いつか敵がその手を絵里に伸ばすことを覚悟はしていたが、こうして実際に伸びたことを知らされると、ショックだった。
『そして、今回は
「りっくんが?」
『ああ。今まで俺は闇に囚われた人たちの元に駆け付け、その人たちを救う手助けをしていたにすぎなかった。だけど今回は違う。絢瀬の心に、間違いなく「一条リヒト」が関わっている部分がある。もしそこを敵が利用してきたら、絢瀬の心を救うのは俺になる』
確かに、今までリヒトはウルトラマンギンガとなり、怪獣になってしまった者たちの元に駆け付けていたが、実際に彼女達の心を救ったのはリヒトではない。真姫は父親、花陽は凛、にこは明美達元メンバーが、それぞれリヒトは間接的にかかわっただけで直接的にかかわってはない。だからこそ、リヒトが怪獣になってしまった少女達のことを知らなくてもよかった。
しかし今回は違う。
もし絵里が闇に囚われ怪獣となってしまった場合、その心を救うのはリヒトになる。だが今のリヒトは絵里のことを何も知らない。そして彼女からは拒絶され、絵里のことを知ることができなくなってしまっている。
「……なるほど、そういうことか」
『さすが希。察しが早くて助かる』
つまりリヒトは、絵里との関係を調べるために実家に帰るというのだ。リヒトがロシアに行ったのは子供のことだと、希も聞いている。幼い頃のもいでならば、写真やビデオなどで残っているだろう。それに家族旅行ともなれば、両親もある程度知っているはず。
「でも、本当にわかるの? エリチとのこと」
もし家にその情報があるのならば、なぜリヒトはその情報を今まで目にしていないのだ? 記憶喪失となってリヒトは、周りから『一条リヒト』のことを聞いて回ったと言っていた。ならばその時に『絢瀬絵里』のことも少なからず知っていてもいいはずなのだが。
『……俺さ、たぶん逃げてたんだよ。「一条リヒト」から』
「逃げてた?」
『ああ。周りが俺と「一条リヒト」のギャップに戸惑ってさ、それが怖かったんだ。俺も同じ「一条リヒト」のはずなのに、周りが言う「一条リヒト」とお前は違う、そんなことを言われてる気がしてさ。
だからこっちに来たのも、たぶん逃げてきただけ。「一条リヒト」を知らないここなら、気ままにゆっくりと、
でも、ふたを開けてみればこっちにも「一条リヒト」を知っている人がいて、さらには「夢」を俺にくれた少女まで出て来て、これ以上逃げてちゃいけないって思ったんだ』
「……りっくん」
『だから俺は、改めて「一条リヒト」と向き合ってくる。「一条リヒト」がどういう人間で、どういう人生を歩んできたのか。そして「絢瀬絵里」との思い出も、すべて。
だから希には、絢瀬の傍にいてほしい。絢瀬に危険が迫ったらすぐに教えてくれ。ギンガの力を使ってすぐに駆けつける』
「……それ、どれだけ危険なことかわかってる?」
『もちろんわかってる。でも、今のままじゃ俺は絢瀬を絶対に救えない。それに……』
そして、リヒトは少し情けない声でこういった。
『泣かせちゃったら、そのことも、謝らないと』
その声音は、本当に後悔している様子だった。
そこまで言われたら仕方がない。親友を絶対に救ってもらうためにも、そして親友を泣かせたことを謝ってもらうために、ここは頷くしかない。
「わかった。こっちは任せといて」
『ありがとう、希』
「でも、凛ちゃんの英語は見なくていいの?」
『そっちなら、西木野に任せた。どうやら、自分の方がある程度片付いたみたいでさ』
「さっすが、真姫ちゃんやなー」
と、脳裏に自分の教え子(同級生)を思い浮かべながら呑気に声を発する希。
『それじゃあ、希。しばらくこっちのことは頼んだ』
「了解、ウチに任せとき!」
リヒトの声に希はサムズアップで答えた。電話が切れてから、報酬として何か奢ってもらうことを約束しとけばよかったと、ムスッと画面の向こうを見ながら思った。帰ってきたら、そして今回のことが無事に解決したら、引きずってでも何か奢らせよう。そう心に決めながら希はカレンダーを見る。
期末試験まで今日を除いて残り五日。にこ以外のメンバーの出来具合もそろそろ気にしなくてはと考えながら、同時に絵里のことも気にかけないといけないとは──。
まったく、これは高めの報酬を候補に挙げておかなくては。
と、密かに考えながら、自分のやるべきことを整理するのだった。
☆☆☆
そして、運命のテスト期間が終了した。
次回より、第8話後半戦突入!
一旦街を離れるリヒトですが、その判断は吉と出るか凶と出るか……
それでは次回「#08-3」に続きます――。
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