何が起きたのか。
何が起きているのか。
理解しようとして、脳がそれを拒否した。
目の前にいるのは、幼い頃よく一緒に遊んだ男の子。飄々としていて、いつも友人にちょっかいをかけていて、でも誰かの笑顔が大好きで、いつも楽しそうに夢を語り、追いかけていた友達。
挫けそうになった時、この手を引いて外の世界を教えてくれた。外の世界に広がる景色を教えてくれた。
今の自分がスクールアイドルなど色々なことに挑戦できているのは、間違いなく彼のおかげだ。南ことりの人生に多大な影響を与えた存在。大切な友達。
そんな大切な友達が、いま赤い色の中にいる。
その赤は美しく、そして普段は目にすることがない生命の赤。
溢れ出た赤の量は決して人から流れ出ていい量ではない。素人目でもその量は『ダメだ』とわかる。
それなのに彼は
「りひと、さん……」
自然と彼の名を口にした。まるで彼が自分の知る『一条リヒト』であると確認したいかのように。
だが反応はない。代わりに、うつむく彼の頭を『白い少女』が強引に持ち上げた。
「ほらな。右目が元に戻っている。これのどこが人間だと言うのだ?」
『白い少女』の言う通り、彼の顔はその大部分が赤色に染まったいた。当たり前だ。右目を抉られて、床一面に赤色が広がっているのだ。夥しい量の赤が流れているのだから、彼の顔が赤色に染まっていることに何の不思議もない。
そう、顔の大部分が赤色に染まっていながら、その双眸がしっかりとしていることの方が不思議なのだ。
「ほえー、ホントに元に戻ってる。どゆコト?」
彼の顔を覗き込むように見て、マイマイ驚きの声を上げた。
赤く流れる血を見ても、マイマイの様子に変化はない。ことりが知るマイマイの姿と一緒。
本来はこれが正しいことなのに、恐怖を感じている自分の方が異常なのではないかと思えてしまうほど、ふたりは普通だった。
「なに、こいつは二度命を落としている。それを光によって延命させられているだけの事だ。腕を捻じ切っても元に戻るだろうな」
「わーおバイオレンス〜」
(──え?
それはどう言うことなのかと、疑問を口にする前にマイマイがこちらに振り返った。
びくり、と体が震える。
マイマイの表情は何か面白い事を思いついたような──それこそ、ことりがよく知るマイマイの無邪気な笑顔だった。
しかし今はそれが
「ねぇ、ミナちゃん。助かりたい?」
彼女はいつもの調子で言ってきた。
「……え?」
「だから、助かりたい? って訊いてるの。アタシちゃんの復讐はまだまだ続くよ。つまり痛いのが続くの。さっきのがずっとだよ? アタシちゃんが満足するまで続く。でもそんなの嫌だよね。痛いのは嫌だよね? だから、ミナちゃんの先輩としてほんの少しだけ残ってる良心で提案してあげる」
とても無邪気に、それこそ普段の接客時と変わらない雰囲気で彼女は言う。
聞きたくない。聞きたくなのだが、耳を塞ぎたい両手は拘束されている。
そして、
「ミナちゃん、このご主人サマを刺して。刺せたら、少しだけ痛いのをやめてあげる」
と、言った。
「────」
何を言っているの
「ほう、随分と面白い事を思いつくな」
「あ、もちろん何回も刺したら完全に痛いのをやめてあげてもいいよ。ミナちゃんの勇気には応えてあげたいからね。ほらほら、騙されてた怒りで、サクッとやっちゃいなよ」
刺して? 刺してとはなんだ?
そんなの決まっている。『白い少女』のようにそのナイフで彼を刺せと言っている。
できるわけがない。間違っても、そんなことできるはずがない。それは人殺しの──。
「──人殺しにはならないよ」
ことりの思考を遮るようにマイマイは言った。
「だって、あのご主人サマはバケモノ。人間じゃないから、人殺しにならない。そもそも刺しても治るんだから関係ないじゃん」
「な、何を言ってるの……?」
「もう、ミナちゃんってこんなに理解力なかったっけ? 研修の時はすごくできる子だと思ったのに」
「ざーんねん」と言って、マイマイは近づいてくる。
その手がケースへ伸びる。
ことりの体が震える。
「あのねミナちゃん」
そう言って、マイマイの手がスイッチを押す。
放たれる電撃。
目の前の光景が一瞬だけホワイトアウトする。
同時に走る激痛。
声にならない悲鳴がことりの口から漏れる。
「これが続くんだよ? そんなの嫌だよね」
再びスイッチが押される。
再び視界が飛ぶ。
「あぐ……ぐ…………」
「苦しいでしょ? 痛いでしょ? だから、刺しちゃおうよ」
マイマイの手がスイッチを離れ、近づいてくる。その手に持つ銀色のナイフで、親指を縛る結束バンドを切った。
両腕が自由になる。
「あ、一応言っとくと、このまま走って逃げてもいいよ。できるならね」
そんなのできるはずがない。身体中が痛いし、何よりこんな状況で逃げられるわけがない。逃げた瞬間、自分は死を迎える。それが直感でわかる。
逃げ道はない。
目の前に銀色のナイフが差し出される。
「さっ、どうぞ」
「…………」
手が震える。
自分に与えられた選択肢は初めからないのだ。あるのはこのナイフを手にし、友人を刺すことだけ。
マイマイの様子を伺ってみれば、彼女はことりの知る笑顔のままこちらを見ている。
リヒトを見る。助けを求める。
しかし、今の彼にできることなどないのだとわかってしまう。
──ナイフを手に取るしかない。それ以外の選択はない。
震える手でその手を伸ばし──。
──ドバンッ!! と音を立てて扉が吹き飛んだ。
「────」
同時に動く『白い少女』の手。
マイマイの持つナイフが宙を舞う。
舞ったナイフの数は──
「──すまない。遅くなった」
聞いたことのある低い声。
それがハットさんだと分かった時、彼はすでに次の行動に出ていた。
『白い少女』へ向けての接近。
先ほど宙を舞った三本の内一本を手に取っていたハットさんは、少女へ向けて振り下ろす。
武器のない『白い少女』はその場から飛び抜くことでそれを回避。同時に天井に刺さった二本のナイフを回収する。
着地時を狙い接近するハットさん。
ことりの目では追えない速度の攻防が始まる。
聞こえるのは金属のぶつかる音。
──戦況がひっくり返る。それはマイマイも感じたのだろう。すぐにケースへと手を伸ばし、
「おっと、そうはさせねえよ」
新たな乱入者によってケースが奪われる。
「返して!」
マイマイはケースを奪った者に手を伸ばす。
しかし、更なる乱入者がマイマイの手を掴む。
「リョウちゃん……!」
「マイ、そこまでよ」
乱入者の正体はアスカと涼だった。
ケースを奪ったアスカは、リヒトの方へ駆け寄る。
「おい、大丈夫かって──うお!? なんだこれ……血か!? お前この量出血して大丈夫なのかよ!?」
「アスカ……?」
「おう、助けに来たぜ。待ってろ、すぐに切って……って、切るもん持ってなかったわ!」
やっべ!? と焦るアスカ。
「俺のズボンのポケットに入ってるものを、俺の手に握らせてくれ」
「え? ポケットって……これか?」
リヒトの言葉に従い、アスカはポケットから銀色の短剣のようなものを取り出す。それをリヒトの手に渡すと、微かに青い閃光が走った。
──今のは何だったのか。
そんな疑問が湧くが、きっとあの光が結束バンドを切ったのだろう。リヒトは自由になった両腕の調子を確かめながら立ち上がる。
そして、一際高い金属音が響くと、ハットさんと『白い少女』が弾かれるように距離を取った。
攻防が一旦終わったと見て取れる。両者は睨み合い、次の行動を推測し合う。
「アスカに美村まで……どうしてここに」
「お前がトイレから帰ってくるのが遅いから、呼びに行こうとしたんだよ。そしたらハットさんに声をかけられて」
「すまない。私一人では君を助けるのは難しいと判断したため、君の友人の力を借りたよ」
「……巻き込んだわけか」
「無論、記憶に残らないよう細工をしている。いきなりこんな光景を見せられても困惑するだけだからな。多少の融通が効くようにしている。
──安心したまえ。もちろん後遺症など残らない安全なものだと断言しよう」
『細工』の部分でリヒトからわずかな殺気が放たれるが、続く言葉を聞いてその殺気が少しだけ弱くなる。
一方、ハットさんと対峙する『白い少女』はやや感心した様子で言った。
「よくここがわかったな」
「秘密にしたいのならば、もっと防音がいいとこにすることだ。聞こえては意味がない」
「ふん、裏切り者がよく言う」
「おや、仲間だと思っていてくれたのかね。闇と光、元から相反するものではないか」
意外、といった表情をわざとらしく浮かべるハットさん。わざわざ肩をすくめるあたり挑発をしているのだろう。
しかし『白い少女』は気にする様子はなく流してしまう。
相手の無反応を見たハットさんは、視線は少女へ向けつつリヒトへ問う。
「さて光の少年。一応聞いておこう。無事かね?」
「…………」
「少年?」
「……ああ」
リヒトの返事は小さいものだった。
その声音でわかる。リヒトは体ではなく心にダメージを受けていると。
「ねえ、離してくれない」
対峙するハットさんたちの側、マイマイが冷たい声音で言った。
「できるわけないでしょ。あんた、自分が何しようとしてるかわかってるの?」
「わかってるよ。わかってるから、その上で邪魔しないでって言ってるの」
無理矢理腕を解こうとするが、涼の握力はとても強く解けない。
「ねえ、痛いってば! 痕が着くでしょ!」
「ことりはこれ以上に痛かったんだよ!」
「知らないよ! そんなこと!」
激昂と共に放たれるマイマイのキック。
腕の方に気を張っていた涼は回避できずに横っ腹を叩かれる。
マイマイの腕が自由になる。
涼の拘束から解かれたマイマイは、ケースを持つアスカの元へ走ろうとして、
「待て」
『白い少女』の声に止められる。
「なんで止めるの」
「状況が悪い方へ行きつつある。ここで焦っては完全に詰みだ」
『白い少女』は有無を言わせない声音で言う。
マイマイは悔しそうに唇を噛み、
「勘違いをするな。『諦めろ』とは言っていない。『待て』と言っただけだ」
刹那、『白い少女』の体が光った。
比喩ではない。真っ白な光がことりたちの視界を埋め尽くす。
視力が失われるのではないかと思えてしまうほどの眩い閃光。
だが、その光に『破壊』はない。故に視力もつぶれない。その閃光を見て、体への損傷及び影響は何もない。
感じ取れるのは全くの『邪』がない白。
まるで、これが
だが、常人より目が良いことりは見た。いや、見てしまった。
『白い少女』の姿が、その刹那の間だけヒトではなく天使のような姿に変貌するのを。
そろそろウルトラマンVS怪獣のパートに行きたい……。