指先から迸った爆炎が突き進む先、迫る針はすべてへし折られ、溶かされ。
雪の降り積もる路面にそれらが突き刺さるそばから新しい針と札がハジメへと殺到する。防戦で精一杯だ。じりじりと壁際に後退しつつ、彼の首筋を粘つく汗が這った。
博麗霊夢と名乗る少女が何者であるにせよ、彼女が恐ろしく強いということは確かだ。
そして、手加減されているということも。
「くぅっ」
頬を太針が掠めた。
明らかに押し負けしている。一撃一撃の威力で言えばハジメの弾丸は少女の針と札を焼き払うほどに上回ってはいても、あまりに連射力が違いすぎる。
解き放たれた針と呪符が少女のまわりを乱舞する。攻撃に直接体を動かす必要は殆どないらしい。一方のハジメは神経をすり減らしつつ一つ一つ丁寧に狙って、頭の中で撃鉄を起こし、そして撃つ。
無尽蔵に乱撃の防風を吹かせる相手に対して、それはなんと手間のかかる切り札であろうか。
時代遅れのリボルバーで機関銃と真っ向勝負をするような、笑ってしまうほどの差がそこにはあった。
「だ、だだ、大丈夫なのかよ」
ハジメの背後で腰を抜かしたままの雪之丞にも、悲しいくらいの実力差は伝わっているようだ。ギプスの下で右掌を爪が肉に食い込むくらいに握り締めて、ハジメは声を張る。
「うるさい、お前は黙って守られてろ!」
「なっ――なんだよ、お前」
「黙れって言ったんだよ、非モテ!」
力が足りないことくらいは言われなくても理解している。そこまでバカではない。気づけば怒鳴っていた。
苛立ちが照準を鈍らせた。代償は右肩から先をまるごとむしり取るような衝撃だった。針と弾の間隙を縫うように飛んだ札が静かに右胸に張り付いた瞬間、ハジメは少女を睨めて、敗北の味に目元を歪めていた。
電撃が胸を貫いた。
恐怖はさほどでもない。それでもやはり体はピンチを認識しているようで、願ってもいないプチ走馬灯がぐるぐるりんと脳裏を駆け巡っていく。
「うわああ、ハジメ!?」
大砲の弾のような勢いで吹き飛ばされたハジメが古びた家屋の板塀をぶち抜く一瞬間前、ユキの視線が交錯した。こんな無様を友人には見せたくなかったとまぶたを閉じると、ありありと浮かぶのはこれまた見たくもない不幸のハイライトである。
炎とガラスの中に転がされ、ダイ・ハードごっこの末にタイムリミット半年の時限爆弾を背負わされたこと。
病院。喉の奥まで詰め込まれたりんご。目と鼻の先の幽香。綺麗なのにムカつく顔。
惰眠を邪魔する携帯のバイブ。妹からのメールと、校庭にはっきりと描かれた自分の名前。
目潰し。
蝸牛の怪物にさんざん弄ばれた挙句、謎の粘液でべしょべしょの妹を背負って帰ったこと。
公園、弁当、感想と窒息。あと頭突きと二日酔いと湿った学ラン。
『名前で呼んでよ』
その映像のほとんど全てが幽香に関係していることに気づいて、ハジメは無性に腹が立って仕方が無い。
彼を揺り動かすように、体ががくんと揺れる。あたりを飛び交うものは無数の木片だ。眼前にばらまかれた板塀であった木切れの向こうから、ガラス戸が迫る。
ガラスは痛い。ハジメは身をもって思い知っている。
どうしてここのところ、新聞でも届けるような気軽さで毎日不幸が舞い込んでくるのか。
「そうだ。そもそもあいつと出会っていなければ俺は」
そこでゆるやかな飛行は終わりを告げ、塀を突き破ったままの勢いで無人の民家の縁側のガラスを破ったハジメは降り注いだガラクタと土埃のカーテンの中に沈んだ。とどめとばかりに年代物の重苦しい作りのタンスがぎしぃと音を立ててその上へと倒れこむ。
最後にまぶたの裏に残ったものは真赤な、大きな円。
その輝きに触れようとして、ようやく投げ出されたハジメの指先に灯っていた炎が掻き消えたのだった。
「おい、嘘だろ!?」
もうもうと立ち込める煙幕にむせながら、雪之丞は這いつくばり、瓦礫のなかにハジメの姿を探す。背後に立つはずの女の放つ圧力を感じながらガラスと木片に容赦なく指先を切り刻まれるうちに、ようやく生暖かいものを掴む。
「は、ハジメ」
安堵の表情を浮かべた瞬間、雷のように殺気が頭上に降り注いだ。
「なに、触ってん、の、よ!」
即座に後頭部へと靴のかかとが叩き込まれる。
雪之丞が「ぐおおお」と声を漏らして悶絶するのを尻目に、するりと足首を彼の手から引き抜くと、霊夢は廃屋の中へと視線を馳せる。
「さて、ヘンタイは片付いた。あなたの火遊びはもうおしまい?」
返事はない。
「そうやって居眠り決め込むんなら、あなたのお友達、ハリネズミにしちゃうけど?」
首筋に針を突きつけられ、雪之丞が表情を引きつらせた。待ちに待って、それでも瓦礫の山が微動だにしないのを見ると、霊夢は興が覚めたと言わんばかりに針を仕舞う。
恐る恐る雪之丞が顔を上げたころには、彼女は既に縁側に片足をかけていた。
「あいつの手下っていうからどんなに愉快なヤツが飛び出てくるかと身構えていたけれど、案外大したことないのねえ」
「待て!」
瓦礫の傍らにしゃがみこんでいた霊夢が意外そうな面持ちで顔を上げた。
通りから霊夢と対峙する雪之丞。その手には塀から剥がれ落ちた木片が握られている。巫女服の汚れを払って立ち上がると、霊夢は青年を見つめた。
「それで、どうするの?」
「ハジメから離れやがれ」
遠いところから轟いてくる町の喧騒以外、音はなくなった。一向に動きを見せない少女を前に、雪之丞は何度か木切れを握り直す。手が汗ばんでいる。
ハジメの振るった力がなんなのか、目の前の少女と彼の間にいかなる因縁があるのか。それは雪之丞の知るところではない。
だが、彼は羨ましかった。
雷に打たれるのはさぞかし痛いだろうし、辛いだろう。ハジメが人形のように吹き飛ばされた時、心の底から自分でなくてよかったと思いもした。それでも、本当に相手を羨んでいたのは雪之丞である。
これまで一緒にいたはずのハジメが、遠く遠く離れた場所にいってしまったような感覚に囚われる。気づけば彼の隣には絶世の美女と謎めいた超能力、そして可憐な襲撃者。圧倒的なリアリティをもって叩きつけられたものは、今時口に出すのも恥ずかしいくらいファンタジックな非日常。
そんな面白いものだらけの生活に身を置いていた友人が羨ましくて羨ましくて仕方がない。
蚊帳の外だけはゴメンだ。
ここで立たなければ、唾棄すべき日常というモノのなかに頭からぶちこまれ、今度こそ戻っては来られなくなりそうな気がしていた。だから立つ。俺も舞台に立ちたい。
オモシロおかしい非日常の幻想は、ハジメには余りある。そこに肩を並べるくらいの権利は自分にもあるはずだと信じて。
「おいで、ハリガネくん」
呆れた様子で手招きした霊夢。その顔が驚愕に彩られる瞬間が楽しみでたまらない。
とてつもない強敵にも臆さず雪之丞は木片を振りかぶる。靴底が地面に牙を立てる。かつてないほどの充実感に満ち溢れた疾走。
ずっとこんな展開を待っていた。きっと、人生にはなにか起爆点のようなものがいつか来ると信じていた。それが今で、この瞬間から狭間雪之丞は別の存在に変貌するのだと。
「吠え面かかせてやるぜ!」
気合一発。スウィングした獲物は音速より早い。早さのあまり、大気摩擦でマッチでもこするように先端が爆裂する。後に残ったものは炎の軌跡のみ。それは奇しくもハリガネのように細く鋭い!
「恨むなよ、お嬢ちゃん」
背後、ゆっくり崩れ落ちる少女のシルエットに告げる声には勝利の喜びはない。ただ、能力とやらを発動した達成感と疲弊、そして僅かな後悔が滲んでいた。
後の世、人は彼をこう呼ぶ。真紅の――――
「もういいかしら?」
という馬鹿げた幻想は木片ごと粉々に打ち砕かれて、興奮に鼻穴を膨らませた雪之丞の背後にばらまかれていた。
「え?」
「だから、おしまいなの。あなたの負け。悪いことは言わないから、さっさと帰りなさい。次はないからね」
少女が動いた様子は微塵もない。
子供でも扱うように霊夢がぽんと頭を叩いて再び座敷へと上がっていく間、雪之丞は動くことができなかった。木片が弾けとんだ感覚すらなかったのだ。あれがもし、手や足だったら?
熱狂は醒めた。今や頭から冷水をぶっかけられたように、雪之丞はただ、がたがたと震えていた。
◆◆◆
「お目覚めかしら?」
最悪の展開だ。
瓦礫の下敷きになったまま、ハジメは唸り声を漏らした。荒れ放題の縁側から差し込む月光のおかげで、真正面にしゃがみこんだ霊夢は黒い塊にしか見えない。
「あなたのお友達の心配はしなくても大丈夫よ」
でも。
そう付け加えて来るような気はしていた。ふわりと揺れた、彼女の衣装。振袖から抜き放たれた一本の針がハジメの目の前に構えられる。
「あなたは別。見たところただの人間のようだけれど、手加減はできない」
「俺が何をした」
ハジメにとって、その問いかけは腐るほどしてきたものだ。これまで理不尽な目に逢うたびに何度も何度も。今度は一体どんな運命のいたずらがこの瓦礫の下に導いたのやら、と霊夢の言葉を待つ。
「どうもこうも風見幽香が」
「原因はあいつかよ、畜生!」
転がり出た名前に思わず霊夢の言葉を遮って叫んでいた。眉をひそめる霊夢などお構いなしに、ようやく瓦礫の山から抜き出した手で頭を抱えた。
針につつき回され、札に全身を焼かれ。それだけボロクソの今となって、ハジメの体で一番痛む部分は何を隠そう脳みそである。全ての面倒事は幽香に通ず。一か月にわたって苦しめてくれた女難が今回も絶好調のようで、ハジメはむしろ安堵すら覚えつつある。
からからに乾いた笑いを絞ってハジメはうなだれた。
「なんだかよく分からないけれど、あんたはその手下ってことでいいのよね」
「よくねえ。俺はただ、巻き込まれただけだ」
「苦労してるのねぇ。ま、信じないけど。邪魔されても困るから、二度と悪さできないくらいに痛めつけておくわね」
にこやかだが、彼女の言葉には凄みがある。抜かれたものは無数の針と札。
「悪魔だ」
ここのところハジメに寄ってくる女性は見た目ばっかりである。中身は言うまでもない。サンドバッグか何かと勘違いしているのではないかと思える程に、ハジメに対する仕打ちがひどい。
「マジでひどすぎる。人間じゃねえ」
「失礼ね、れっきとした人間よ。というよりもむしろそれは、」
言い切るのを待たずに、霊夢の体がべしゃりと前のめりに倒れた。
「な、なによ、アンタ!?」
「やっちまえ!」
その背中に飛び乗ったのは、とうの昔に逃げ帰ったはずの雪之丞であった。
実のところ虎視眈々と絶好のチャンスを伺っていた彼の不意打ちに、さすがの霊夢もとっさの反応を忘れてしまう。もちろんハジメだって同様だ。
「ユキ!」
「こいつ、力は大したことないぜ」
霊夢を組み伏せたまま雪之丞は叫ぶ。当然、心中は穏やかではない。
結局お前は凡々人で、何もできないんだぜと突きつけられたばかりだ。それでも彼がここで特攻をかましたのは、自分を裏切ってくれた現実への最後っ屁のようなものであったのだろうか。
「お前の力ならこいつ倒せるんだろ」
つまるところ、これは能力を持つに至らなかった雪之丞の、最後の妥協だった。
ハジメが燃える指先を伸ばす。だが、現実はとことん無情である。
「まったく」
実際に雪之丞が霊夢の背中に乗っていたのはわずか十秒もない。
彼の胸元で電光が瞬いた。ストロボの明滅じみた光の中、真っ白に照らされた雪之丞の顔が勝ち誇った笑みから何とも言えない表情へと変わるさまがコマ送りでハジメの目に映る。
やがて微動だにしなくなった雪之丞をどかして、霊夢は立ち上がる。
間髪入れずに巻き起こった小規模な爆発が部屋を揺るがした。ハジメの指先から迸った爆炎が霊夢を包み込む。
「そんなに怒らなくてもいいわよ。殺してないから」
炎のベールを引き剥がして現れた霊夢は無傷だ。
今度という今度こそ、打つ手なしの万事休す。
鋭い視線をぶつけ合う霊夢とハジメの間にそれが舞い降りたのは、ちょうど霊夢が札の束を広げた時だった。
真冬の夜中に現れたそれは、まったく季節も時間もはばからぬ花のものだ。橙の花びらがはらはらと舞い散る様に、ハジメはとある女の姿を重ねていた。歯噛みする。霊夢はただ、笑う。
「あらら。さっそく本命なんて、今回はずいぶんと親切な異変なのね」
一切の嫌味なく、あたかも知己に再会したような喜びのみがそこにはある。
その笑みも、廃屋を取り巻くひんやりとした空気も、直後に降り注いだ太陽のように眩しく熱い光のなかに溶けて、消えた。
◆◆◆
真っ黒な夜空に、いくつもの極彩色の光が放たれる。
いつしかの病室で刑事が取り落とした写真で見たものと全く同じであることに、ハジメは気づいていた。
光のグラデーション。それはオーロラめいてのんびりと空にたゆたうこともあれば、爆発のように激しく空に散らばり覆い尽くすこともある。その模様や形には何かの意味があるのかもしれないが、ハジメはさしたる関心を抱かなかった。
真夜中の公園には何事かと怪現象を見物に人が押しかけていた。望遠鏡やカメラのレンズを皆一様に空に向け、そこで起こっているなにかスゴいものをつぶさも見逃すまいとしていた。
目が覚めたベンチに座ったまま、ハジメも呆けたように高空で繰り広げられる激戦を見つめている。
そこに人がいるんですと言われなければ気づかないほどに二体の人影は小さい。
激しく動き回るせいでどちらが幽香で霊夢なのかは既に見失っていたものの、ハジメには時折大気を揺るがす轟きとともに放たれる『攻撃』の質で判別できる。
空間を囲い、切り離し、まるで水飴のように組み替えて使うものが霊夢。
お前のルールなんか知るかよとばかりに遮断されたはずの空間をぶち破り、力押しに押しまくる派手な光が幽香の放つもの。
少なくとも近くの子供の集団がきれいきれいとウケているのは幽香の放つ光の渦であった。そんなことはハジメにとってはどうでもいいことだ。
今はただ、ただただ圧倒されている。霊夢と戦う幽香がいかほどの力を出しているにせよ、いつもの特訓でセコセコ数千分の一刻みで戦っているときとは次元が違うことだけは確かであった。
やがて激戦の輝きは徐々に町の空を離れていく。
興奮にうかされるままに語り合うものたちや不安げな顔で足早に去っていくものたちが消えた後、その場に残されたのはハジメと、依然として気を失ったままの雪之丞。
「……俺一人でやれたさ。ヘタレなんかじゃあない」
公園を包み込む静寂に、その声はよく通った。
いつしか手のひらに紛れこんでいた花びら。そして、肩に掛けられていた赤いコートからほのかに立ち上る、あの女の香り。
『危ないところだったわね』
とでも言いたげな花びらが憎たらしくなって、ハジメはそれを無意識に握りつぶしていた。
「お前の助けなんて、死んでも要るかよ」
戦いの余波でぽっかりと穴があいた雲間にそろそろと薄絹のような雲がかかりだした頃になって、雪之丞は白い瞼を持ち上げた。
「ここ、どこよ」
「おれんちの近くの公園。お前、気を失ってたんだよ」
「あの女は?」
精一杯笑みをつくろって、ハジメは腕まくりして見せた。
「倒してやったよ。俺がさ!」
つまらない嘘にも気付いた様子なく、雪之丞は頷く。
「そうか」
「いやあ何がヤバかったってさ、あの女びゅんびゅん空を飛びやがるんだよ。でもしっかり必殺技当ててたからどうにかできたんだ。お前が足止めしてくれたおかげだよ」
「そうかい」
新品だったのによ、と胸元の焼け焦げたコートに毒づいて雪之丞が立ち上がる間、親友同士の間に漂うものは気まずい沈黙でしかなかった。
「おいおい。もっと嬉しそうにしろって。お前の手柄なんだぜ」
どんな言葉でも吐き損になることはわかっていた。それでも沈黙に耐え切れずぽんぽんと調子のいいことを続けるほかないハジメを後に残して雪之丞はずんずんと歩き去っていく。公園の出口でぴたりとその足が止まる。
「お前、ずいぶん楽しそうなことしてたんだな」
最後にぞっとするほど虚無的な視線を一度だけ投げかけると、彼は貫かれた足を引きずるようにして暗闇のなかに消えていった。
「なんだよ、それ」
ベンチにすとんと腰を下ろす。脳から全ての血が退いてしまったように、鼻の奥と頭が冷たい。
「なん……だよ…………」
心もとない外灯の灯りの下に見える膝には既にうっすらと雪が被さり始めている。一月の夜は信じられないくらいに寒い。
それでもモヤモヤを抱えたまま家に帰る気が起きずに、手持ち無沙汰に掴んだ雪を力任せに握り固める。塞がりかけた傷口が疼き始めた。
いったい何が雪之丞のへそを曲げてしまったのか。ハジメは苛立ちの赴くまま、見当もつけずに雪玉をぶん投げる。
「そこで礼の、ひとつとか……さッ!」
地面で一度跳ね、わずかに欠けた雪玉はころころと転がって、品よく揃えられたブーツの爪先で止まった。