風見幽香の殺し方【完結】   作:おぴゃん

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11『気分のいい日はいつも雨』

 

 曰く。

 

 曰く、その妖怪は笑っちゃうくらい弱かった。

 与えられたものは突けば死ぬような体と、あまりにも貧弱な力。

 名も故も知れぬ妖怪の戦いは、たった数本の向日葵を守るところから始まった。

 

 のだ、そうだ。

 

 ◆◆◆

 

 自分に警察は向いていない。

 数十年のキャリアで何度この結論に至っただろうかと、壮年の刑事――今井はゆるやかに昇りつつあるエレベーターの階層表示を見上げながら無精ひげをこすった。

 

「また兄貴のやつがリンゴを送ってきてねえ。頼んでもいないのに、持て余しちまう」

「ジャムにすることをお勧めしますよ」

 

 ほとんど天井に近い場所から声が降ってきた。

 

「お恥ずかしいことにこの歳で料理下手でして」

 

 返事なんて期待していない。ただただこのエレベーターがさっさと目的の階に辿りついて、隣の男とサヨナラしたかった。愛想笑いを張りつけた頭を振って再び階数を数える仕草に戻りつつ、この唐突な呼び出しを改めて不審に思う。

 刑事になってからというもの、鳴かず飛ばずの冷飯喰らいでここまでやってきた。凶悪事件に関わったことは皆無だ。それ故ほとんど定時に帰れることをありがたく思い、慕ってくれる寺田の先行きくらいが心配事の毎日。

 二月の末、口座に倍額の給料が放りこまれた時は、ついに前払いで退職金が出たのかと目を疑ったほどだ。

 

「申し訳ない」

 

 大男で済まされないほどの体を折り曲げてそいつが急に謝ったので、見るまい見るまいとしていたその顔に、今井はつい視線を送ってしまった。

 

「残業代をお出しするのに時間が掛かってしまって。なにぶん、例外的な支払いには例外的な手続きが必要でして。迷惑だったでしょうか」

 

 月面だ。

 その尋常でない体を爪先から見上げていくと、締めくくるのはまさに月面のような頭だった。あばたでも、傷跡でもない。男の顔の半分にはパーツが無かった。つるりとした、まるで大理石のような肌が頭頂までを覆っている。

 

「貰えるもんは貰いますよ。残業なんて、一秒たりともしちゃいませんがね」

「未申請の残業が十二月からちらほらと。心当たりはあるでしょう」

「いやぁ、まったく知らぬ存ぜぬで」

 

 男の異相を目の当たりにするのはこれが初めてではない。それでも、あるべきものをすっぱりと切り落としたような男の顔を見ているだけで言いようのない不安に襲われる。

 

「言い方を変えましょうか。今井さんはろ号とは号に関わっていますね」

 

 錆びついた胸骨の中で老いた心臓が跳ねた。

 

「僕が今井さんに求めたものは誠実さでしたが、まぁそれは、もういいんです。僕たちはあなたに新しい仕事を用意しました。前途有望な若者たちをくじいて、すり潰して、ゴミ箱に放り捨てる仕事です」

 

 二人の男を乗せて、鉄の箱は未だ昇り続けていた。おかしい。長すぎる。この場所だけが、まるで尋常の法則から切り離されてしまったようではないか。

 

「一応申し開きさせてもらいますが、これは管轄外に首を突っ込んだペナルティではありません。今井さんの現状をかんがみて、適役だと判断したのです。僕個人の意見を述べさせていただければ、むしろあなたの人柄には好感を覚えています」

「俺にだって、仕事を選ぶ権利くらいはあるだろ」

 

 組織の端に追いやられた今井の耳にも、目の前の男のよからぬ噂が時折流れ着いてきていた。それが、知らず知らずのうちに予防線を張らせていた。

 

「――と、言ったらどうなります?」

「そうですね」

 

 月面のかげりから、ようやく人間の瞳がのぞいた。

 ぞっとするガラス玉の眼は、さらに恐ろしいことに悩んでいた。良識によるものではない。拷問官が次の刃物をためつすがめつする時と全く同じだ。

 

「少なくとも来月から、今井さんがリンゴの処分に困ることはなくなるかと」

 

 あまりにも予想通りの返事が飛んできて、今井は男に掴みかかる威勢をも削がれていた。

 

「それがお前のやり方か、万場」

「僕たちのやり方です」

 

 警察学校時代からの知り合いである月面の巨漢――万場幾絵(ばんばいくえ)の表情は、今井の側からはうかがい知れない。

 代わりに、彼は唯一の出口を手で示した。示し合わせたようにエレベーターが底抜けに明るい電子音で到着を知らせる。開いたドアの先に広がるリノリウム張りの床に、真昼の日光が眩しかった。

 

「ありがとうございます」

 

 断る権利はあっても、余地はない。

 先に歩み出た今井を万場の声が追いかけた。二人の行く先はきっと同じ部屋だ。

 

「ご自慢の守護者とやらはどうしたんだ。え?」

 

 もはや何も取り繕う必要がなくなった今井が、ぶっきらぼうに問いただす。

 

「いやはや。そこまでご存知とは」

 

 わざとらしく驚いてみせる万場を心底疎ましく思いながら、今井は県庁を出てからの行動を組み立てはじめた。とにかく寺田をこの一件から退かせなければいけない。他の付き合いも、念のため整理する必要がありそうだ。

 

「確かに僕たちは『い号』を監視して、事の成り行きを報告するためにやってきました。ですが正直、今回の一件は彼女の手に負えるかどうか」

「ずいぶん他人行儀なんだな?」

 

 注意して万場の言葉を聞いていれば、どうにもおかしい。まるで他の異常存在と同列に扱っているようではないか。

 

「彼女はその動きから、便宜的に守護者と呼ばれているだけです。実際はあの町に迷い込んだ怪異を気まぐれに狩る性質を持つ、別の怪異でしかありません」

「危ない橋を渡っている、と」

「確かに。ですが万一彼女がしくじっても僕たちは一銭も身銭を切る必要はない。それは大事なことです」

 

 廊下の端には重厚な扉があって、きちんとした制服を着込んだ警官が立っているのを目にすると、まだここが異界ではなく警察の建物なのだと実感できる。敬礼に応える今井のぎこちなさを笑うでもなく、万場は続けた。

 

「今朝発覚したF市近郊の大規模な高速事故。あれは、ろ号こと風見幽香と呼ばれる妖怪が引き起こしたものです。そして彼女と行動を共にする鶴見ハジメ。は号ですね」

 

 ドアを開けた先の会議室に詰め込まれていた男たちはいずれも表情に鋭いものがあった。彼らの一瞥を受けた後に片隅のパイプ椅子に腰かけて、ようやく今井は顔をしかめる。

 

「最近の縄張りでの暴れっぷりに、さすがに腰の重い『い号』も動こうと思ったみたいで」

 

 風見幽香は上手くやっているつもりかもしれないが、明らかにこの世界での身の振りかたが分かっていない。鶴見ハジメをどうする気なのか。彼女があの青年を引きずり回していることは想像に難くない。

 

「大丈夫ですか。具合がすぐれないようですが」

「いや。それで、俺は一体これから何をさせられるんだ」

 

 明らかにサイズの合わない向かいの椅子にきゅうくつに座った万場の顔。彼は薄く笑っていた。

 

「その前に紹介しましょう。以後彼にはあなたと組んで仕事にあたってもらいます。どうぞ」

 

 今井の内心でくすぶっていた嫌な予感は的中した。

 ドアの開き方、足の運び方、後ろめたいことがある時のためらいがちな呼吸。すべてに聞き覚えがある。皺のないスーツと、いささか鈍ったがきつい目元。そして、トレードマークのオールバック。

 

「彼が寺田邦夫くんです。寺田くん、こちら今井さん」

 

 何もかも後手に回ったと、今井はそいつの顔を確かめるでもなく頭を垂れた。

 

 ◆◆◆

 

 曰く。

 

 その妖怪は何度も死にかけたし、実際何度も理不尽に死んだ。

 場合によっては死ぬよりひどい目にあって、その後やはり死んだ。

 

 彼女は何度でも蘇った。

『まだ、くじけてないから』と。

 彼女にとって死とは心の敗北の後にしか訪れないものだったから、なのかもしれない。

 

 数え切れない黒星を重ねるうちに、いつしか守れる向日葵は一本一本と増えていった。

 

 のだ、そうだ。

 

 ◆◆◆

 

「安心しなよ」

 

 静かに昨晩の湯豆腐を温め直してすする父の肩を揉みながら、千晃はお気楽に笑った。

 

「ねーねー、聞いてますかー」

「お前は意地悪だ」

 

 ついに元伴侶が出て行って、不貞寝して朝起きると息子とその恋人がいなくなっていた。これで動揺するなと言うほうが無茶だ。ハジメたちの父は徹底した悲観論者であった。

 一方の千晃のポジティブさは、やはり杏奈を引き継いだのかもしれない。

 

「あにきも、お姉ちゃんもきっと戻ってくるって。私には分かるんだ」

 

 うそぶいて千晃は台所に立つ。

 

「せっかくの休みでしょ。濃いコーヒーでもいれたげるよ」

 

 それもいいような気がして、父は気分転換に努力することにした。テレビを点けて、なるべく明るい話題を追う。近場の高速道路でひどい事故があっただの、未知の生物の骨格が発見されただのと、今日はにぎやかだ。

 

「なぁ千晃」

「うん。なぁに?」

 

 早速コーヒーの言い香りが漂ってきていた。

 

「母さんと別れたこと、恨んでるか?」

 

 千晃はつかの間手を止めて、父の後姿を見つめた。白髪が増えたかな、とか。思ったより小さく見えるな、とか。関係のないことを考えつつ、彼女はすぐに否定した。

 

「ううん。それがお母さんと決めたことなら仕方ないんじゃない。世の中リフジンにできてるって、お姉ちゃんも言ってたし」

「理不尽か」

 

 世界を押さえつける力の名前を口にする。ミステリアスな雰囲気を纏う『お姉ちゃん』の影響か、最近は千晃もハジメも小難しいことを言うようになった。

 

「なら私たちがどう受け止めるか。そういう問題なんじゃないかな」

 

 だから私は気にしないことにしたよ、と千晃はポットからお湯を注いでいく。父は背もたれに頭を預けて天井を仰いだ。

 もともと世の中はうまくいかない事だらけで、それは当り前。だからこそひたすらポジティブに立ち向かう。立ち向かわなくてはいけない。千晃の覚悟は、その歳に見合わないくらい堂々としたものだった。

 

「目からウロコだ」

 

 千晃が湯気を立ち上らせるカップを載せた盆を運んでくる。

 

「ありがたく思うなら小遣い増やしてもいいよ?」

「それはなんか、違うだろ」

「げげんちょ」

 

 彼女と話すうちに、父も少しだけ明るい気分になれたようだった。確かにハジメは戻ってくるだろう。それは間違いない。

 

「で、千晃」

 

 ようやく、目の前に置かれたものがコーヒーであるかどうか疑う余裕が出てきた。

 

 ◆◆◆

 

 いつしか広大な向日葵畑が広がった。

 彼女が生まれ持った能力によらない、その天井知らずな力を誰もが恐れた。

 

 今度は私の番とばかりに彼女の領域を侵すものは容赦なく苛め殺した。彼女を苛めたものも全員殺した。季節を知らぬ花のように、花弁のごとく死を振りまき続けた。

 そうして、彼女の過去をさだかに知るものは誰もいなくなった。

 

 のだ、そうだ。

 

 確かなことは一つだけ。

 彼女はひたすらに強くなりつづけたということ。

 そして行きついた最強の座で、彼女は己の身に起こりつつある、とある異変に気付いた。

 

 最強の力なら、代償もまた。

 

 ◆◆◆

 

「生きすぎたわ」

 

 波と、幽香の心臓の音を聞きながら、ハジメはひどい喉の渇きを感じていた。

 

「私はもう幾許もなく、おかしくなる」

「どうして」

 

 カラカラの口で喋ると舌が上あごに張り付くようだった。

 

「身に余る力を手に入れて、小さな器があふれちゃったのかも。それとも妖怪がもともとそういうものなのかしら」

 

 彼女の表情を確かめようと僅かでも頭を上げようとすると、幽香の腕が強く押し付けてくる。反論も質問も、ハジメはろくに抵抗できないまま、まるで死刑宣告のように彼女の抱えた真実を耳に流し込まれる。

 

「半年」

 

 その約束の重さを、今更実感する。

 

「なんとか半年もたせてみせる。そこから先はわからない。だから、」

「俺にはできない」

「できる。だってあなたはもう、そういう妖怪をたくさん倒してきているでしょ?」

 

 あるところに蝸牛の妖怪がいた。彼は長らく都市の空虚で人の営みを見守ってきたが、あるとき外への憧憬を振りきれなくなった。そして、それが大量失踪事件へと繋がった。彼と遊んでいた子供たちのことも忘れた。ただ腐肉を被り、粘液を撒き散らすだけの妖怪になり下がった。

 

 またあるところに巨鯨の妖怪がいた。彼はその力で、彼を慕うものたちを守り続けた。虚弱な蜂の妖怪にも喜んでその身の一部を差しだした。人肉への欲求は常について回ったが、気まぐれに小さな少年と交わした約束を守って、それを忌避し続けた。彼の高潔さを否定する骸は、遠くの浜にその無残を晒している。

 

 知らず知らずのうちに、ハジメは彼らを踏みしだいてきた。

 

「ハジメの本当の力を見るまで、私だって半信半疑だった。でも確信したわ。あなたは運命の人。私を私のまま殺してくれる」

 

 皮肉なことに、彼女を確信に押し込んだのは、彼女への気持ちを認めたハジメの見せた覚醒だった。太陽の弾丸は文字通り全てを無視して突き抜ける。幽香の誇る強力無比な防御も、並はずれた生命力も例外でなく。

 ただ、彼の野望へと向かって。

 

「野望。家族を一つにするんでしょ。それが理由になるって、言ったわよね」

「でもあんただって家族だ!」

 

 抱きしめる力が一瞬強くなって、すぐにためらいがちな息遣いが耳元をかすめた。

 

「ただの妖怪よ」

 

 彼女は沈黙した。ハジメは多大な勇気を払って口を開く。

 

「どうして、もっと早く言わなかったんだよ」

「待っていてくれるって言ってくれて、嬉しかった」

 

 一か月前の自分を撃ち抜いてやりたくなった。さすがに時間までは越えられないだろうか。そもそも、今の気分であの日輪を呼び出すことはできそうにない。彼の心は、絶好の曇天だ。

 

「演技だったけれど、はじめての恋人は悪くなかったわよ」

 

 おずおずと幽香の背中に回しかけていた手を振り払うように、彼女は体を離した。

 ハジメには信じられないくらい、吹き渡る風が冷たく感じられる。降り注ぐのは初春のうららかな日光だというのに、どうにもしらじらしい。

 

「だって、でも、そういうことは、俺が、本気で」

「向こうに自販機があったから、何か温かいものでも買ってくるわね」

 

 有無を言わせない背中が遠ざかっていく。ハジメの押し殺した叫びも聞こえない。周りには何もないので、しばらくハジメは言いようのない感情の爆発のままに砂を蹴散らすことしかできなかった。

 

「…………俺が、本気で好きになる前に言えよ」

 

 肩を震わせて浜に膝をつく。靴の中に入り込んだ砂の感覚が妙に生々しい。顔を上げると、既に彼女の姿は遠かった。いつも通りの強かな足取りが、かえって儚いものに見える。

 

『彼女を愛しているなら、なおのこと殺さなくっちゃいけなくなる』

 

 ほらな、と。親友がすぐそばで嘲笑っているような気がした。

 

 

 

 2月編エピローグ『気分のいい日はいつも雨』おわり

 

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