風見幽香の殺し方【完結】   作:おぴゃん

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2『燃やす者/焦がす者(下)』

 鶴見家には三種の神器がある。一つは生まれた時からド不幸なハジメが内外を破壊されるたびに運び込まれる医者の診察券をひとまとめにしたファイル。二つ目が四人という大人数の料理を一気に作ってしまえる年季の入った鍋であり、そして三つ目が何の変哲もない、底の分厚いガラスのコップなのであった。

 

「そろそろやめにしたほうがいいんじゃあないか」

 

 と、ツマミの貝紐を口に運びかけたまま固まった父こそ、とにかく丈夫さがウリの安物のガラスコップを神器にまで出世させた張本人なのである。

 

「大丈夫です。まだ立てるし。ちょっとクラクラするけど」

 

 幽香が握りしめるコップには蜘蛛の巣状に亀裂が入っていた。

 不器用この上ないハジメ達の父が洗い物の最中にいくら落とそうがかすり傷一つ負わなかったコップは今、酔いどれの大妖怪の手中にあって崩壊の一歩手前であった。

 

「おねえちゃんのばーか」

 

 内心では幽香の尋常でない力に圧倒されながらも、千晃はお姉ちゃんが弱っている今、ここぞとばかりに昼間の仕返しに出る。

 

「おたんちん」

「ごめんなさいって言ったじゃない。ねえ、ちあちゃん」

「あの馬鹿たれみたいな呼び方はやめてよ」

 

 古代ローマのファランクスよろしく雑誌を盾にコーラのペットボトルを突き出して威嚇する千晃。幽香はコップを大きく傾けた。天井を仰いだ彼女の口元から、赤い雫が一滴喉元へ。そして白いブラウスの襟へと滑って染みを広げる。

 

「だらしないよ」

 

 実際醜態だが、幽香はそれですらモノにしてしまう。本当に彼女が酔っているのか、それともこれは彼女が美貌を引き立てるために行っている演技に過ぎないのか。千晃は混乱する。

 

「あうう」

 

 が、テーブルに突っ伏した幽香の力ないうめきが疑問の答えだった。

 

「原因はハジメのやつかい」

 

 父に大荒れの理由を看破された幽香は静かに口元を拭って、力なく頭をもたげた。

 

「…………すごい。お見通しなんですね」

「むしろ他に何があるんだって感じなんだけどね」

 

 知ったような口を利かないで下さいと言いたいところであるが、実際図星なので幽香は黙ってワインを注ぐ以外に選択肢はない。

 

「それで、今度はどうしてケンカを?」

 

 最後の一滴を受け止めたコップの水面は小刻みに揺れていた。そこに映るのは、たゆたう液体と同じ瞳の色をした女だ。風見幽香。悠久を生きる最強の妖怪。そして今や、限りなく狂気に近い怪異の一体。

 

「いつも私達が仲たがいしているみたいな言い方、やめてくださりませんか」

 

 ですますとつとめて丁寧に返す幽香の手元で、蜘蛛の巣に新たに一筋糸が垂れた。

 最近ではすっかりと外の世界にも慣れ、ここは幻想郷とは違うと自分に言い聞かせる必要もなくなっていたはずだったが。この晩酌ばかりはそうもいかないようだ。

 

「ちょくちょく殴り合ったりしてると思っていたんだけど、違うのかい」

「違います。必要のない暴力は振るってません」

「なんだ。やっぱり殴ってるじゃんか」

 

 そこで痛烈な援護射撃を加えてくるのはかつての友軍、千晃である。

 若干の敵意を込めて幽香が睨み返しても、彼女はわずかにソファの上で身じろぎするだけで、果敢に突撃を繰り返してくるのであった。

 

「本当はたんにクソあにきを痛めつけるのが趣味、だったりとか?」

「なるほどな。そういう考え方もアリなら俺たちが口をはさむ余地はないかもしれん」

 

 そこで何を連想したのか、父はわずかに口元を緩めた。思い出したようにかじりかけのツマミを口に放り込み、酒を口に含む姿がイヤに涼しげで幽香の神経を逆なでした。

 

「どゆこと?」

「いや、俺はさっそくハジメのやつが尻に敷かれ始めたのかと。でもお前の言うとおり、ちょっと荒っぽい愛の形かもしれないし」

「ほへー。オトナの世界ってのはなんと奥が深い」

 

 ひと月前、ハジメが放ったその場しのぎの恋人発言以上に、彼との関係をそんなへんてこに納得されたことが幽香の癪に障った。

 

「ですから私はあくまでッ!」

 

 その結果、自分が思うほど我慢が得意ではないということを思い知らされた。

 派手に砕け散ったコップの破片の一つ一つに映り込む千晃と父が浮かべた驚愕の表情。そして、己の額にはっきりと浮かび上がった青筋。

 

「おわっ」「どへぇっ」

「私はハジメが心配なだけ。でもあの子が危ないところに突っ込んでいくなら手綱を締め上げなきゃいけないときもあったんですっ!」

 

 振り回される拳から、ガラスの破片がばらばらと舞い飛ぶ。

 

「危ない危ない! てゆーかお姉ちゃんケガしてんじゃん!」

「千晃、ハジメの救急箱もってこい。すぐ」

 

 それまでツンケンしていた千晃は一転わたわたとリビングを後にし、父はソファの背もたれで干されっぱなしだったハジメのシャツを拾い上げる。

 

「そんなことより私の話、聞いていますか!?」

 

 せっかくの釈明のチャンスをないがしろにされたようで思わず声を荒げていると、呆れたようにテーブルの上に広げられていた食器を手荒くどかして、父は妖怪の手を取った。

 

「分かった分かった。いいから手、ゆっくり開いて」

 

 大小のガラスの破片に塗れ、血のように赤いワインが滴り続ける拳は、確かに大惨事に見えはした。だが幽香の肌を貫くのにガラス片は鈍すぎる。父はしばらく傷口を探そうとハジメのシャツで慎重に掌を拭っていたが、やがて彼も幽香の無事に気付いたのだった。

 

「たまげた。思っていたより頑丈なんだな」

 

 女相手にそれはどうかと思われる物言いである。それでも幽香は奇妙な懐かしさにとらわれていた。ハジメと出会って間もないころ。妖怪であることを隠して、ハジメに無茶を心配されていたころ。腕に巻きついた包帯の感触を。

 

「…………あの子はそろそろ独り立ちできる頃だと思います」

 

 ぼそりと幽香は漏らした。あれほど脳みそをかき回していた酔いが嘘のように退いていくのが分かる。

 

「うん?」

 

 声のトーンを下げた幽香を、父は見つめ返した。

 

「もう私がいなくたって、あの子は十分やっていける。それに、私が彼の世話を焼かなくっても、いずれはそうなったような気がするんです」

 

 朝の海に太陽が二つ。迫る巨大なクジラの怪異に向けて黄金の巨砲を放つ青年の姿。おおよそしがらみとか、鬱屈とか、そういったものとは無縁の不敵な立ち姿を幽香は心に思い描く。

 

「だから思うんです。私は本当にハジメと出会ってよかったんでしょうか。私が良かれと思ってやってきたことは、かえって彼を不幸にしただけなんじゃ」

 

 いつも自身に満ち溢れていた幽香が、この時ばかりは表情を陰らせていた。深紅の肉に食い込んだ彼女の犬歯を見ていると、ぶちんと音を立てて幽香の唇がはちきれてしまうのではないかと父は不安になるくらいだった。

 

「お姉ちゃん――ふーん。だいじょうぶそうだね」

 

 救急箱を手にてこてこ歩いてきて、千晃は傷一つない幽香の手を一瞥。

 

「いつまでやってんの?」

 

 未だ手を取ったままだった父に不審の瞳を向けると、わざとらしく鼻を鳴らしてソファに体を預けた。不機嫌モード復活だ。

 

『――――年の開通に向けて建設工事が行われていたF県境の高速道路にて、大規模な――――――はこの崩落について昨今市内で多発している一連の――――何らかの事件性があるものとして捜査を進めており――――』

 

 誰一人として目もくれないテレビ、千晃が取り出した携帯ゲーム。しっとりと暑い春の夜。すぐそばの通りを駆け抜けるガキんちょの黄色い声。遠くサイレンの音。

 しばらくして、父の深いため息がそこに加わった。

 

「ハジメが去年の暮れに爆発事故に巻き込まれたって聞いたときに俺ぁ出先でさ。帰ればいいのに、その後普通に仕事して、会社帰ってまた残業して。家帰って、疲れたからとりあえず寝て」

 

 恐ろしい男である。そして彼自身も、酷い父親だろうと苦笑してから続ける。

 

「あいつは昔から底抜けの不幸だった。それでも不思議と毎回生きて帰ってくれたんでね。日付変わってだいぶ外が明るくなってから会いに行ったけど、案の定。で、とりあえず親の責任ってことで俺、警察から滅茶苦茶怒られてね。こりゃ流石にガツンと言ってやんなきゃいけないって気になったんだけど」

 

 なったんだけど、だ。もろもろの問題をハジメたちに投げっぱなしだった手前父も強くは出られず、病室での説教は早々に二人の反省会ムードが漂ったという。

 

「時にあいつ、よく尻込みするでしょう」

 

 それを俗にヘタレという。身を乗り出して猛烈な勢いで頷いた幽香がよほど面白かったと見えて、ソファから落ちる勢いで千晃が笑い転げていた。

 

「危ないわ」

「ふーんだ。お姉ちゃんが困ること、もっとやっちゃうもんね」

 

 手間のかかる元気な妹と、よく出来た落ち着きのある姉。まるで娘が本当に一人増えたようで、そのやりとりを見守る男は話をこれ以上続けることが無粋なんじゃないかと思ったくらいだ。

 

「お父さん。それで、どうされました?」

 

 その空気を破ったのは姉妹の片割れの幽香であったが。

 

「えーと、何の話だったかな」

「はたしてハジメと出会うべきだったのかって」

 

 父が先ほどの話の糸口を手繰り寄せる間、幽香は手近なグラスを一つ引き寄せて、今度は澄んだ日本酒を注いでいった。それはひどく華奢なつくりであったが、落ち着いた彼女がヘマをするようなことはない。

 

「あぁそうだった。いろいろ言ったけど俺は実のところ、あいつのその、腰の重さってヤツを結構信頼しているんだ」

 

 生まれてこの方、常に生傷の絶えない不幸な人生だったのだ。

 人生という真冬の海を薄氷を踏んで渡るハジメのことを誰も笑えないし、責めることはできない。第一へたれ呼ばわりされてキレる本人が一番己を恥じているのだから。

 しかしあくまで、その父は彼がへたれのままでいいと言った。

 

「不思議とあいつのやることなすこと、最後の最後にはイイ線いってるんだよ。だから幽香さんと出会ったのも、そういう関係になったのも、きっと正しい」

 

 自分の言葉を確かめるように、父はうんうんと頷く。

 

「少なくとも俺と千晃は幽香さんがいてくれなかったら、今こうやって面白おかしく暮らせてはいなかったはずだ。だよな?」

 

 話をパスされた千晃は、迷惑そうに雑誌を顔に押し付けた。くぐもった声は非難がましい。

 

「どうしていちいち私にきくワケ」

「どのみち千晃はこういうのに口挟まなきゃ気が済まないだろ」

 

 どこか緊張した面持ちの幽香がおずおずと顔を上げると、ソファの上で千晃が反動をつけて起き上がるところだった。千晃には似合わぬ難しい顔で詰め寄られるうち、幽香も我知らず眉間にしわを寄せる。

 

「な、なにかしら」

 

 その眉間に指を突きつけ、千晃は一言。

 

「あねき」

 

 ついに私の扱いもハジメと同列になったかと幽香にため息つかせるまもなく、彼女は千晃の強烈なハグを受けていた。

 

「なんてね。いつも助けられっぱなしだ。愛してるよ、お姉ちゃん」

 

 鼻先がくっつくくらいの距離からぱっと身を離すと、千晃はいたずらっぽく笑うと両腕を交差させ、大きなバツマークを作って見せた。

 

「でも、あにきとのコトはしょうじき手におえません」

 

 恋人だなんて嘘だ。杏奈との一件の最中では嘘をつき続けることに憂鬱であったが、いつの間にかそれが幽香にとっても当たり前になってしまっていた。

 

「大人になれば千晃にも分かるわよ」

 

 久しぶりにべったり甘えられるよう、とぐりぐり頬を擦り付けてくる千晃を片手で撫でながら幽香は父へ微笑みを向ける。今となっては幽香が鶴見家のオカン兼、長男の恋人というポジションに居心地よさを感じていることも間違いではない。

 

「ここにいいオンナが一人いるんだけど、あにきとセットでどう?」

「うふふ。それは無理」

「わ、笑いながら……!」

 

 簡単にヘコむ千晃は面白いが、なにも幽香は遊んでいるわけではない。

 この立ち位置に永住するつもりはないし、できない。でも嘘はなるべく言いたくないから手先と口先で彼女をあやして、お茶を濁すしかないのだ。

 

「ごめんなさい。後でたっぷり甘やかしてあげるから」

 

 一見やさしげに見える手つきには抗いようのない怪力がこもっていた。引きはがされた義妹があからさまに不服そうな目を向ける先で、幽香が立ち上がる。

 

「え、まだ飲むの?」

 

 白い喉を上下させてグラスを空にしていく幽香を、呆れて千晃は見上げるのだった。

 

「お父さんの言葉、とてもありがたく思います。ただ」

「分かってる。あいつが実際どう思ってるか気になるんだろ」

 

 幽香はその問いには答えず、あいまいに微笑みで返した。

 

「ハジメを探しに行ってきますね。今夜はなるべく早く帰りますから」

「おう。戻ってくるまで起きてるよ」

 

 一抹の不吉な予感は酒で流し込む。

 ぱたりとリビングの扉が閉じて、幽香の姿が廊下の影に消える。それからは廊下のきしみも、玄関が開く音も聞こえないままに、この家から煙のように、彼女の存在感だけが消えた。

 

 

 間。

 

 

 

 長い間。

 

 

「うひょ」

 

 突如として、父は己の体を掻き抱いてなよなよりんと床に崩れ落ちた。いい年でありながら幽香の親衛隊にも負けないくらいの筋肉ダルマがだ。ドン引きを通り越した無表情で見つめるのは千晃だった。

 

「何。それ、なにやってるん」

「『御父さん』って呼び方、めちゃこそばゆくない?」

「ぜんぜん」

「これからさ、仮にこれから幽香さんがハジメとそういうことになったらさ、俺毎日そう呼ばれるのかな、なんて。今から結構楽しみっていうか」

「なんかすっごくキモいね、それ」

 

 娘たちから一番聞きたい言葉と一番聞きたくない言葉を同時に浴びせられ、複雑な表情で固まった父。鶴見家の大黒柱があまりに頼りなくぽっきり折れる様をよそに、テレビではアナウンサーが平坦な語調でニュースの続きを読み上げていた。

 

『――――は『断固たる姿勢で対処にあたりたい』とのコメントを――――CMの後は本州に上陸予定の大型台風について――――』

 

 ◆◆◆

 

「今日を逃したらお前とはもう話せない。だってお前はここで死ぬんだから」

 

 数滴の血が、トンネルの床を這っていた。血に濡れた口元を隠そうともしない雪之丞と、肩口に開いた傷を抑えて、日輪の巨砲を吸血鬼に向けたハジメ。

 

「そんな、ここ一番にキマったセリフを、まさかお前が邪魔しにくるなんてな」

 

 トンネルの中は二つの能力によって浸食され、無数の槍と黄金の炎がせめぎ合う異界と化していた。そこに唐突かつ平然と現れた女。重厚なドレスに日傘という、この現代にはあまりに不釣り合いな出で立ち。熱風に黄金の髪を稲穂のようにたなびかせる美女は、まるで現実感というものとは無縁の存在だった。

 

「幽香、なのか?」

 

 ハジメは我知らず口を開いていた。

 

「ちがーう」

 

 んべち、と音を立てて女の掌がハジメの額を優しく引っ叩く。いつの間にか傍らに移動した女からは、麝香じみた怪しげな香りが漂っていた。

 

「あーあ。やっぱりこんな失礼小僧を助けるんじゃなかった、やれやれと」

 

 匂いも、ヘソの曲げ方も、幽香とは全く違う。それでもハジメはミステリアスな美女を幽香と錯覚するに至った共通点が見え始めた。その、余裕に満ち溢れているのにどこまでも張りつめてしまったような美しさだ。

 

「紫ぃ、こっちの話を聞きやがれよ!」

 

 吸血鬼が殺意と共に放ったその名前を聞いて、ようやく女の正体に合点がいく。八雲紫。幻想郷の守護者である霊夢を影から支える大妖怪で、幻想郷を仕切る壁を管理する。操る力は万物の境界。

 

「どういうことか説明してくれるんだろうな」

 

 限りなく万能に近い力を振るうその手がこの瞬間触れているものは何を隠そう自分自身の頭である。トンネルの壁に反響する二人の会話を聞き流しながら、ハジメは気が遠くなりそうだった。

 

「それはこっちのセリフ。ここまでの道のり、片づけにとっても手間取ったんだから」

「そのマヌケを誘い込むためのケッカイってやつだよ」

「あんな力ずくの交通封鎖を結界とは言わないわよ」

「確かに効き目はあったけど」

 

 震えるハジメの声に、紫は視線を向けずに小さく肩をすくめた。

 

「あなたがわざわざ敵であるユキの話を聞きに行っただけでしょ。物好きというか、なんというか」

「俺はそこまでお人よしじゃないし、ユキも敵なんかじゃない」

「お人よしってのはそういうところだろうよ。お前のバカみたいなデートを潰してやったときに身に染みたと思ったんだがな」

 

 首の傷はまだまだ出血が続いていた。通り過ぎざまに軽く牙で引き裂かれただけの傷が、この瞬間も焼けた錐をねじ込まれたように痛む。あたかも、それは吸血鬼の怒りを表しているようだった。

 

「今までのほほんと暮らしておいて、あの人の運命を知るや否やで逃げたこいつに、俺は心底ムカッ腹が立ってるんだ。後生だからさ。俺の手でこいつをぶっ殺させてくれよな」

 

 その怒りに、ハジメが反論する余地はない。家族だ友人だ恋人だと、彼女の運命を知っていれば、そんなお仕着せの役割を到底頼むことは出来なかっただろう。霊夢は自分を責めてもどうしようもないと言っていたが、ハジメはやはり、己の馬鹿さ加減を呪わしく感じる。

 

「元から俺の仕事はそいつの抹殺。で、本人も異論ナシってカンジじゃん?」

 

 ハジメの沈黙から、それが肯定を意味することを読み取ったのだろう。調子づいた雪之丞が槍と剣とを打ち鳴らす。紅い電撃と炎がまがまがしくまき散らされて、トンネルの壁を形容しがたい色味で染め上げた。

 

「排除って言葉をずいぶんと都合よく解釈してくれるわね」

「甘すぎなんだよ、霊夢もお前も」

「あなたはもっと余裕を持つべきね」

 

 もはや業を煮やしきった雪之丞に何を言ってもムダだ。

 

「ま、それならお前ごと、でもいいや。巻き込まれても文句言うなよ」

 

 美青年の浮かべる酷薄な笑みは、すぐさま槍と剣が散らす火花の逆光の中に消えて見えなくなった。彼が振るう吸血鬼の武器『レーなんちゃら』と『グングなんとか』が溶け合い、生み出されたのは長大な、ねじくれた槍だ。先端からなだらかな螺旋を描くそれは、ドリルに似ている。

 

「下剋上のつもり?」

「そうかもな」

 

 自信満々に雪之丞が出るからには、彼にはそれなりに勝算があるのだろう。

 大男の呻きのような、不気味に錆びついた音を立てて槍が回転を始めると、トンネルを耐え難い反響と紫電が舐めつくした。足元の砂利が小刻みに震えている。

 

「どけよ」

 

 放たれれば一本道。間違いなく余波に巻き込まれる。日輪の大盾による防御にはあんまり自信がないが、迎撃となれば話は別だ。発射前ならハジメの能力で十分叩き落とせる。進み出ようとするハジメを紫は一瞥して――後ろ手に押し留めた。

 

「これ、どうやら私とあの子の問題みたいなのよね」

 

 螺旋槍の回転に伴う音は既に高周波となっていて、ハジメに紫の言葉の大半は聞き取れなかった。それでも信じて任せろと語る彼女の瞳は見える。

 

「オーケー。お前がやるってんなら、俺も確実にやらせてもらうぜ」

 

 それまで地面に突き立っていた無数の槍の回りに赤いもやが漂ったと思われると、それらは磁力に引かれる様に震え、そしてふわりと宙に浮いた。ぎゅるると各々が無秩序に回転しつつ、隊列を整えていく。紫とハジメは、気付けば十とも二十ともつかない槍の穂先から迸る殺意を受けて立っていた。その奥でひときわ大きい槍が準備完了を知らせる様に鈍く輝く。

 

「しようのない子」

 

 対する紫がすっと片手を持ち上げると、一層麝香じみた香りが強くなった。そうして次々と周囲に彼女の『口』が出現し始める。何かの間違いのように空中に開いた穴こそ、彼女の能力の正体なのだ。

 雨あられと降り注ぐ槍は、次々と彼女の開いた穴に呑み込まれていく。

 

「ちっ」

 

 備蓄分の槍はもう少しでストックが切れる。

 傍目のハジメにもそれが、いかに無意味な攻撃であるかは見て取れた。いかに強力な攻撃でも、相手が悪すぎる。

 

「やめにしましょうよ、ユキ。それよりも三人でお茶なんてどうかしら。なんならあなたの好きなあのラーメン屋でもいいし」

「…………馬鹿に、するなよ!」

 

 今は切り札の槍が、あまりに頼りなく見えた。

 

「いくらでも力のあるヤツはいいよな。こちとら、セコセコ化け物退治でレベル上げしてるってのに、お前らは涼しい顔で俺を抜かしていきやがってッ!」

 

 慟哭じみた絶叫と、ついに発射された螺旋の槍。紫はそれすら呑み込もうとしたが。

 

「あなた、何のために強くなろうとしたの?」

 

 もはや誰の耳にも届かない呟きと共に、開きかけの穴を閉じた。激突と衝撃。ハジメの目の前にまで迫った、血染めの切っ先。

 

「悪くないわ。存外、痛いじゃない」

 

 あえて彼女はその身に雪之丞の全力を刻んでいた。腕を破壊して、そのまま胴を貫いた槍を彼女がゆっくり引き抜くさまは何か厳かな儀式じみて見えた。ハジメも雪之丞も、固唾を呑んで見守る他にない。

 

「ちょっと、目を閉じていなさい」

 

 紫が負った傷を定かにする間も与えられず、ハジメが最後に見たものは目の前で大きく空間が切り開かれていく様だった。呑まれる、と思えば既に生暖かいものに全身を捕らわれている。

 

「待てよおい!」

「ねぇユキ、本当にあなたはそれでいいの?」

 

 既に閉じきった裂け目めがけて反射的に振りかぶった槍は、しかし投げること叶わず道路に落ちて、乾いた音を立てた。雪之丞はしばらくその場に立ち尽くす。

 

「それでいいの、だって?」

 

 槍の柄を踏みしめて、雪之丞は紫の言葉を咀嚼する。自分勝手で気まぐれで胡散臭いが、彼女のことはそれなりに信頼している。手傷を負わされた苦し紛れに謎かけをするような女ではない。

 

「いいさ、いいに決まってる―――あの人に認められるためなら、俺はなんだってやるぜ。何だって、差し出して見せる」

 

 何かを得たければ、何かを差し出すしかない。今までそうやって力を得てきた。

 心を捧げた女性に認めてもらうために、ひたすら雪之丞は棄てる。それこそが、日常の外側という壮大な夢を見せてくれた彼女へ報いる唯一の方法だと信じて。

 

「こんばんは」

 

 そして、その機会は巡ってきたのだ。体の内側の焼け焦げるような衝動は、取り込んだハジメの血が馴染みだしたことを告げている。最高のシチュエーション。最高のコンディション。

 

「いい夜ね」

「えぇ。実に。最高の日和ですね」

 

 ハジメをああやって痛めつければ、そのうち彼女が駆けつけてくることは分かっていた。

 それでも抑えがたい唇の震えを感じて振り返った先に、彼女はいた。ずっと会いたいと、ずっとこうして話をしたかった。折れた槍を拾い上げて弄ぶ彼女にはここで起こったことなど一目瞭然だろう。血のように赤い瞳が雪之丞を捉えて離さない。

 

「その割には随分鼻息荒いように見えるけど」

 

 彼女は少し酔っているようで、その頬が微かに紅い。数分か数十分そこらでもっと彼女を赤く染め上げてやらなければいけないことを痛ましく思いつつも、やはり虚ろな胸の内で高鳴りを覚えるのだった。

 

 

 

 第十六話『燃やす者/焦がす者』おわり

 

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