「ちょっと待って。おかしい。おかしいぞ」
「なにがだスカタン野郎。お前さん以上におかしいヤツがどこにいるってんだ」
猛烈に揺さぶられて脳みそが耳から吹き出そうだった。
「こ……ここに」
状況が一ミリも理解できないままにとりあえず指差した先はジョンの眉間。ハジメの指先へとぎゅっと寄った目が、すぐさますわった。
「んあ”ぁ”ん!?」
NYPDの取調室で仕込まれた揺さぶりは本当に小便ちびるくらい恐ろしい。
本能がこいつを刺激するんじゃないと叫んでいる。が、誰だって目の前にこんなに面白い――濃い顔がぶら下がっていたら凝視するしかないだろう。
「だから、ヒトサマのツラ見て、ヘラヘラ笑う、おたくは、どこの、どちらさま、でしょう、かねぇ!」
取り調べのあまりの激しさに意識を失いかけたころ、唐突にその手が離れた。
「にしてもそんな大荷物抱えて、おたくドコ行き」
空港のロビーに放り出されたハジメ。
そのかたわらにはジョンと衝突した時のまま、キャリーケースが転がっていた。まるで戦地から持って帰ったみたいに傷だらけで、しみだらけで、非常にこきたない。
「あんたの知ったことじゃない」
何を入れたかは忘れた。
どうせ背後ではまたヘンな顔で肩すぼめに天井でも仰いでんだろうな、と想像を働かせつつキャリーケースを持ち上げようとして、うっかり前かがみにコケになる。
「重っ!?」
床に張り付いたように動かない。ここまでどうやって運んできたのか不思議なくらいだ。
「貸せぇ」
それをひょいと持ち上げて、ジョンはまた肩をすくめた。
「どの便だ?」
「あ、あっち」
ぉぉん。
「おい、泥棒!」
ハジメが直感で遠くに見えるゲートを指差すなり、ジョンは放り出していた大きなテディベアを抱え、キャリーケースも無造作に掴むとずんずん歩いて行ってしまう。
「人聞きが悪いヤツだ。こっちぁ親切で運んでやろうってんだぞ」
「ならもうちょっと大事に運べよ! 人の荷物だぞ!」
「ごちゃごちゃうっせえなぁ。俺がキャビンアテンダントにでも見えるか」
「見えねえよアンタニューヨークのデカだろ!?」
ぴたりと足を止めて、ジョンはハジメを睨んだ。
「どうしてそれを?」
マズいことを言ってしまったことにすぐ気付いた。
何か大変なことをしでかしたところまでは覚えている。
気付いてみれば空港のロビー。あたりを歩く外人たちの妙に時代がかった服装や古い施設に違和感と懐かしさを覚えていた理由。
「い、いや。別になんとなく言っただけで」
「なぁ教えてくれよ。職業柄なんだ。なんたって、ニューヨークのデカだからな」
テディを抱えたジョン・マクレーン。1988年、クリスマスのロサンゼルス空港。どういう訳か、鶴見ハジメは傑作と名高い初代ダイハードの世界へと迷い込んでしまったらしい。
「その…………屈んだとき、上着の中に拳銃が見えたから」
「この銃が?」
ジョンはジャケットの脇を叩いて見せる。自分にしてはとっさにいい機転を回すものだとハジメは我ながらに感心した。
「あぁ。だってそうだろ。空港でそんなものを堂々とブラ提げてるのはデカかテロリストだくらいだ。んでアンタは悪そうなヤツには見えない」
もちろん直接見たわけではない。
だが、この直前に飛行機内で繰り広げられたやり取りをセリフの暗唱ができるほど見つめてきたハジメには朝飯前のとんちだった。
「なるほどねぇ。なるほど。頭のいい坊ちゃんだ。だけど困ったな」
だが余裕の表情も悪役バリの高笑いでジョンが目の前でジャケットを脱ぎ捨てるまでだった。
「生憎、今日はケツのポッケの方が収まりが良かったんだ」
顔面をくしゃっくしゃにして笑ったジョンがゆっくりと背後から拳銃を抜き出す。ガムテープの剥がれる音を幻聴する。クライマックスの死神だ。
首筋にじわりとした熱さを感じた瞬間の横っ飛びは大正解だった。
「でえええええっ!」
物陰に隠れたハジメへと執拗に連射される9mmがガラスのパーテーションを粉砕する。ナイフのシャワーのように降り注ぐガラス片を、ハジメは頭を抱えてやり過ごした。
「猿芝居はヤメだ。実は俺も、お前さんのことはよおおおぉく知ってんだ」
マガジンを交換しながらジョンはハジメのキャリーケースを踵で背後へと蹴り込んだ。
「俺の知識は冷凍ピザの出現あたりで凍結してるが」
空港のロビーはいつしか炎と熱が立ち込めるばかりとなったオフィスに変化していた。ここがどこかなど聞いてみるまでもない。ナカトミタワーだ。
「この世はラベルのない缶みたいなもの。みんなが信じりゃクロもシロになる案外いい加減なもんだってあのオンナが抜かしてたな。ましてやお前さん一人の心の中なんて、どうにでも変わる」
ごろごろと転がっていくキャリーケースが向かう先にはぶち抜かれた大きな窓があり、空港の搭乗口だけが空中にぼんやりと浮かんでいる。
「おおいどした。ガッツキ野郎」
物陰から飛び出そうとしたハジメを威嚇射撃で黙らせて、ジョンはフロアを見渡した。
「ガキの頃からお前がヘマして病院に担ぎ込まれるたんびにテレビで見て、痺れて、憧れて、神のように信じてきたヒーローが目の前に居るんだぜ。もっとゆっくり話していけよ」
そんなバカなことが。
ガラスまみれで転げながらハジメはジョンの言わんとすることを理解する。それはどうあがいても呑み込めないような、あり得ないことだが。
「さぁ、もう一度言ってみろ。俺は誰だ?」
ありえないことだが。
「間違いない…………あんたは、ジョン・マクレーンだ」
忘れられて消え行く怪異たち。
「そういうこった」
ならば、逆もまた然りということか。
「だとしたら、マジで最悪だな」
ジョンは所帯があるくせにアル中で女好きで、とても完璧な人間とはいえない。
ハジメはたったの一度だってこの男と同じになりたいと思ったことはない。
「アンタにケンカ売った悪党は軒並み死んでる」
しかし。
「アンタを狙った弾は魔法みたいに避けてくし、近づいて殴ろうとするとやたら強くなるし。なんだかんだで最後はちゃんと締めるし」
ハジメにとって最高のヒーローであることに変わりはないのだ。
「あんたとは絶対に戦いたくないって、小さいころから思ってたよ!」
銃声に反射的に頭を下げる。
オフィスを真一文字に横断した銃撃は、危うく薄板越しにハジメの喉笛に風穴をぶちあけるところだった。ガラスの上に手をついて、ハジメは転げるように物陰を後にする。
「クソ、どうして俺を狙ってくるんだ!」
ハジメはガラスに切り刻まれた手の甲を見つめた。ぞっくりとこそげた肉の痛みはまやかしではない。
「死にたくなきゃあ、死ぬ気で避けろぉ!」
最悪の怪異、ジョン・マクレーン。
とことん得体の知れない相手だが、その忠告にだけは素直に従った方がよさそうだ。
◆◆◆
「授業で習わなかったか? 恐怖には立ち向かえって?」
耳の傍を銃弾が通り過ぎて行った。
ハジメは血だるまで逃げ回るだけだ。
「ああクソッ! それはこっちが丸腰じゃない場合だろ!?」
事務机を盾に、ハジメは何度も能力の発現を試みる――――が、ダメだ。見えない糸がぷっつり切れてしまったように、今は何も感じない。
「……ツイてない」
「似たもの同士だな!」
「お断りだっつーの! バーカ!」
思わず叫び返すと、返事代わりに雨あられと割れて砕けた電燈とモルタルが降り注いできた。ジョンが天井を銃撃したのだ。
「これラスト・デイの戦法だろ!」
むせながらハジメは目に入り込んだガラスを払った。
「バカ野郎俺は昔っから機転がきく男なんだよ。お前さんと違ってな!」
落ちたガラスに映る像をハジメは見詰める。
短機関銃をどこからともなく取り出したジョン――――転がり続けるキャリーケース――――その向かう先に浮かぶ搭乗口――――そして、爆発で転げて中身をぶちまけた消火ボックス。
「俺ぁいい加減お前さんの中には飽き飽きしてたんだ――よおおっ!?」
物陰から飛んできた赤い消火斧を紙一重でかわして、ジョンは振り向きざまに機関銃を乱射した。机の上に弾痕が走り、燃える書類が舞い上がる。
「くそったれが!」
肩を掠めた銃弾の痛みにひいひい言いながら物陰を移動するハジメを認めたジョンは、抜け目なくキャリーケースと窓を背に獲物を探して左右に銃口を巡らせた。
「ったく。お前さんの中はブタ箱よりひでえや」
ジョンの素足がガラスを踏み分ける音で、ハジメはおぼろげにその位置を把握する。消火ボックスから回収した別の凶器を用意する。残りは二つ。
「例のヤバい力が使えなくて残念だよなあ? あんな馬鹿げたものがあれば俺なんて一瞬でオダブツだ。そうすりゃお前さんの」
ガラスの音が唐突に止んだ。
「勝ちだったんだけどなぁあ!」
床に倒れた棚の間に見覚えのある上着の後ろ姿を見つけ、ジョンは勢いよく飛び出した。ろくすっぽ狙いもつけずに放たれた機関銃弾が床を撃つ。ハジメの頭のかわりに弾け飛んだものは、上着をかけられて床に寝せられていた消火器だった。
ぼん。
数本まとめてあった消火器は勢いよく爆発し、ジョンの顔面と床にたっぷりと中身をぶちまけていった。
「目くらましのつもりか? 不発だったな?」
足下にもうもうとわだかまるだけに留まった消火剤の煙を掻き分けて、ジョンの姿を持つ怪異はハジメを探した。
「こんな所にはさっさとオサラバ決め込んで、場末のパブで一杯ひっかけたいんだ」
「じゃあ出てけよ、さっさと!」
「ところがどっこいよ」
炎の中にハジメの声が聞こえた瞬間、ジョンはすぐさまおおよその位置を掴み取った。標的はだいぶ近くに潜んでいる。
「無策で外に飛び出してもすぐ消えるのがオチだ。俺あ人間の体が欲しい」
ハジメは消火ホースをぐるぐる巻きにしたドラムを抱えてその時を待った。敷き詰められたガラスの前でジョンが足を止める。
「そこで俺の体ってことかよ」
「お前さんの方からこっちに落ちてきてくれた時は神サマに感謝したぜ。外で何があった? ズボンにシャンペンでもこぼしたか?」
ドラムを乗せたファイルキャビネットに片足をかけて蹴倒す寸前で、ハジメはふと考える。
自分について何もかも知ったようなジョンの言葉を疑う気にはなれない。ここは間違いなく自分の心の、それもかなり深い部分なのだろう。
「よく覚えてない。ただ――――取り返しのつかないことをした、からだと思う」
おそらく眠ったままの能力が、それに起因していることも。
「だからってお前に主導権をやったりはしない、から、な!」
派手なクラッシュ音にジョンの反応は速かった。
振り向きざまにぶちまけられた機関銃弾が勢いよく転がり落ちてくる鉄の塊の表面で弾けた。
「なんだぁ?」
消火用のホースを巻かれたドラムがぐにゃんぐにゃんと蛇行しつつ、ジョンのすぐ横を通り過ぎていった。
「今のがお前さんのキテンってやつなら、ちょっと悲しくなるくらいお粗末だぞ」
ホースをだらしなく解きながら窓の外へと落ちていくドラムをせせら笑って、ジョンは無造作にトリガーを絞った。
「お遊びはここまでにしようぜ、小僧」
ハジメの爪先数センチの距離を弾痕が走った。
物陰から物陰へ。今まさに走り去ろうとしたハジメはもはや微動することも許されず、ジョンは立ちすくんだ彼に銃口を向けたままじりじりと近づく。
「いい事教えてやるよ。てめえの持ってきたキャリー、あいつがカギだ」
搭乗口。そして、見えない誰かに押されるように転がり続けるキャリーケース。アレをそのままにしてはいけない、ということだけはハジメも本能的に理解している。
「あの中身がなんなのかは俺にも分からん。だがとにかく、アレをゲートにぶち込んで、小僧の手の届かないところに持って行きゃ俺の勝ちだ」
「で、俺がここから出て行くにはアレを取り戻せばいいんだな」
ジョンはまたまた肩をすくめて見せた。
こいつにやられる側になるとここまで腹が立つものかとハジメは内心驚く。
「できるのか? この状態から?」
「簡単さ――――ジョン、足元見てみろ」
「あん?」
それは床にわだかまる消火器の煙でカモフラージュされていた。
いつしかフロアを横断するように伸びたホースはハジメの真横、木製の柱へと括り付けられている。その間もホースは窓の外へと伸び続けている。
「いつも思ってたんだけど」
伸びしろがなくなるまで。
「あんた、敵の策にはワリと気前よく引っかかってくれるよな」
重りのドラムに引っ張られ、びん、と音を立てて張りつめたホースがジョンの足を払った。三十路男の屈強な肉体が尖ったガラスまみれの床に叩き付けられる。
「だああああっ、このやろおおお!」
そこは流石のジョン・マクレーンだ。
体勢を立て直すことをさっさと諦め、キャリーケースめがけてわたわた走っていくハジメの背中に銃弾をぶっ放す。
「デカが民間人相手にぶっ放すんじゃねえよ!」
「やろぉう。てめえのドコがパンピーだ!」
一発がハジメの脇腹を削り、壁に血飛沫を散らした。
足をもつれさせながらも尚も走る。いくつもの銃弾が体を掠めるなか、ようやくキャリーケースへと追いつく。そのままタッチダウンを決め込み、諸共に横倒しになって進行を食い止めた。
「う」
くらりとした。
薄汚れたキャリーケースから、幽かに漂う香りに。何かとんでもないことをお前は見て見ぬふりしているぞ、と突き付けられたようだった。
「――――鍵? おい、聞いてないぞ!」
側面には重厚な南京錠がいくつも取り付けられている。
「残念だったな」
余裕の足取りでやってくるジョンを見つけて、ハジメは一層やかましく錠を打ち鳴らした。
「言い忘れてたがそいつはおそらく世界最強の錠だ。なら、鍵も世界最強じゃないとな」
短機関銃と拳銃を投げ落として、ジョンは後ずさるハジメへとぴんと伸ばした指を突きつけた。フロアを包む炎が、黄金色に変わる。
「おおい。見覚えがあるんじゃないのか?」
――――言われなくても。
そんな一言が出ないくらいの緊張がハジメ喉を締め付けていた。
「教えてくれよ。なんだって土壇場のてめえはガンの形を選んだんだ? 穴を空けるだけなら別に槍だって爆弾だってかまわなかったハズなんだぜ?」
それは憧れていたからだ。
どんな理不尽に放り込まれても機転と拳銃の一本でハッピーエンドを取り戻すジョン・マクレーンをいつも心の中に描いていたからだ。
「できるだけ穏やかに済まそうと思ってたんだけどな。残念と面倒が増えちまった」
足下で、伸びきったホースがぎちぎちと音を立てて揺れていた。
「ジョン、俺の言うことを聞け」
「もうその手は食わねえぞ」
「痛い思いをしたくなきゃ、さっさとその指下ろしてひざまずけ。二度は言わない」
この状況でそこまで抜かすハジメがよほど面白かったのだろう。
ジョンはハジメに指を突き付けたまま目を覆って爆笑し始めた。ハジメも腹を抱えて笑う。ジョンの背後、ホースとドラムの重みに耐えきれなくなりつつある柱を見て。
「ハゲてなくてよかったな」
ハジメがそれこそひざまずくように床に伏せた瞬間、
ばきん。
と、木製の柱はあっけなく寿命を迎えた。
勢いよく窓の外へと引っ張られる柱。その先に誰が立ちはだかっているかなんて、愚問だ。くるくるしゅるしゅると音を立てて、柱は回転しつつ飛んでくる。
「あ?」
ジョンの後頭部めがけて。
派手に木片をまき散らして柱が砕け、ハジメの心に巣食う怪異は強かに頭を打ち据えられて大きく体勢を崩した。金属製のホースの先端に背中を打ち据えられつつハジメはキャリーケースを抱えた。
信じられないくらい重いのは変わらないが、なんとか動かせる。
「てっめええええ、このロクデナシめ、ぶっ殺してやる!」
ジョンの放つ黄金の弾丸から逃れる手段は一つしかない。
「もう二度と。というか三度も四度も登ってる気がするけど」
窓枠に足をかけ、遥か下に見えるロサンゼルスの街並みに立ち眩む。
「こんな高いビルに登ってやるかよ!」
背後から迫る架空の存在の名セリフを吐きつつ、ハジメはキャリーケースと共に身を躍らせた。今回は消火ホースの命綱はない。驚くことにここから先は完全にノープランだった。