風見幽香の殺し方【完結】   作:おぴゃん

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10『産子這う子に至るまで(下)』

巫女。

「あの守護者に壊されたのが四百個。都合残り三万四千個の陰陽玉」

 

大妖怪。

「あなたの境界。人魔を隔てる壁。あなたをあなたたらしめるもの」

 

巫女。

「総攻撃」

 

大妖怪。

「ズタズタに」

 

日輪。

「そうかそうか。そりゃ無茶苦茶痛そうだ」

 

吸血鬼。

「いい加減慣れてきたな。明日の一面記事も俺がかっさらうのか」

 

慈悲。

「「本当にいいの?」」

 

覚悟。

「「かかってこい。やれるもんなら」」

 

笑顔。

「「素敵」」

 

 そして四人が、一歩目を踏み出した。

 たった一人、彼女を残して。

 

 ◆◆◆

 

 日傘と槍を構えて、吸血鬼はほくそ笑んだ。

 

「まったく。いつも分の悪い勝負ばかりさせる」

 

 空間の断裂。

 その予兆を、雪之丞に備わった魔眼が読み取る。

 これもオリジナルの吸血鬼の持つ能力の複製だ。雪之丞は小手先に過ぎないが、本物なら百手先まで見通す。

 

「焼いて尽くして焦がれて。まったく、自分のことなのに呆れるくらいの見苦しさだ」

 

 見えない顎がかじり取るように、紫の生み出した無数の裂け目が通りに存在するありとあらゆるものを食む。

 彼我の距離は数十メートル。吸血鬼は数秒後の予知に従って、疾風のように駆ける。

 

「自分の本質が気に入らないの?」

「だけど、どうあがいてもそれは自分。いい加減耳にタコだな」

 

『妬き尽くす程度の能力』は嫉妬に焦がれた炉から万物を劣化複製する強力な能力だ。本来なら貯蔵量は無制限にも等しいが、今は力を使いすぎている。体力を振り絞って複製した魔槍を慎重に振りかぶり、祈るような思いで雪之丞は放った。

 

「大事に投げれば当たってくれると思った? 甘い」

 

 狙いは大きく逸れ、紫の右横。

 

「まずは右腕をいただくわ」

 

 予測不可能の空間断裂が雪之丞の体内に生み出された。

 右腕の根元に大砲でも叩き込まれたような衝撃に、血飛沫と肉片をまき散らして路面を転げた。

 

「俺をナメるなよ、紫!」

 

 が、立ち上がりが異様に早い。

 地面を転がった勢いのままに姿勢を立て直すと、何事もなかったように吸血鬼は疾走を再開する。びしゃびしゃと音を立てる赤い滝が彼を追う。

 

「見苦しいわね、吸血鬼!」

「それが俺だ。それでいいんだ!」

 

 もはや十分な威力を秘めた魔槍を作り上げることは無理だ。

 血飛沫と溶けた鉄の飛沫を上げながら今度は剣を抜き出す。レーヴァテインだ。リーチはともかく、威力は魔槍を上回る。

 

「残念でした」

 

 肉薄した雪之丞の剣戟が紫の喉笛をかすめた。

 ぱっ、と飛んだ紫の血。その一滴一滴に反射する、雪之丞の姿。両腕が、ない。うっすら笑った紫が、雪之丞の額を軽く弾いた。

 

「うおおおおぉぉっ」

 

 もんどりうって転げながら、雪之丞は胸の炉心から直接、続けざまに金属塊を撃ち出していく。

 

「うるさいわねぇ」

 

 それを手で払いのけつつ、紫は地面に落ちた雪之丞の腕から日傘をもぎ取った。

 腕を再生する力も惜しんで吸血鬼は立ち上がったが、そこまでだった。

 

「ぐう」

 

 そこは運悪く日差しの中。

 地面に両膝をついたまま、雪之丞は力なく去っていく紫の後ろ姿を見つめる。全身から煙が立ち上り、彼の体はゆっくりとローストされていくのだった。

 

「だせえ」

 

 べちゃ、と地面に頭を押し付けて自分を罵倒する。

 幾度も戦場に出て、未だに勝てた戦いがないこともそうだが。自分というちっぽけな世界に風穴を空けてくれた、あの妖怪を、望まぬ殺戮に繰り出させてしまうことが、口惜しい。

 

『色男がだいなしよ』

 

 かつて、初めて出会った時の、優しい笑顔を思い出す。

 

『霊夢だって昔はもうちょっと可愛げがあったんだけれど』

 

 過去を懐かしんで、母のように頬を緩める姿。彼女がこの戦いを楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、そんなこと、聞くまでもない。

 

 決して、彼女の望みはこんなことじゃないはずだ。

 

「まだだ」

 

 背後から殺気と共に迫った風切り音。

 

「ユキ?」

 

 とっさに身を捻った紫の鼻先をブーメランじみた刃物が通過していった。それが日傘の柄を切断する。

 白い花のような傘がはらりとあなだらけの路面に落ちる。振り返った紫の視線のさきで、ゆらりと隻腕だけの再生を遂げた吸血鬼が立ち上がった。

 

「ゼッタイ、あんたを行かせやしない」

 

 何も捨てなくても前に進めると、ハジメは示した。

 

「『幽香さん』を守りたいから?」

 

 お前はお前のままでいいと、幽香は言った。

 

「いいや。今は違うんだ。あんたを守りたいからだ」

 

 妬ける時間は終わったのだ。

 焦がれる想いに、もう一度でいいから握らせてくれ、と祈る。

 

「私を守りたい?」

 

 今の彼の中には太陽とひまわりの血が流れている。

 冷え切って、まるで石のように固まった彼の炉心から中途半端に柄だけを突き出したその剣は不思議な輝きを秘めていた。

 

「あんたの憂いに答えを出してやる。ヒトだけでも、妖怪だけでも、この世界がつまらないものになるっていうんなら、俺が答えだ」

 

 剣を握る。ずずずうと引き抜かれていくにつれ刀身が橙色の輝きを帯びていく。

 

「これはコピーなんかじゃない。乞い焦れる俺が呼んだ、正真正銘のホンモノ。誰もが知っている幻想のツルギだ」

 

 肉と骨を焦がす音は、次第に刃を砥石の上に引くような澄んだ音へと変わっていく。

 やがて引き抜かれた幅広の両刃剣を手首の動きでぐるりと回すと、切っ先の軌道が日輪を描く。いつしか食い入るように見つめていた紫は、束の間自分が息を忘れていることにすら気づかなかった。

 

「あり得ない」

「いいや。現にこうして、ここにある」

「どんなに力を持ったとしても、自分の本質を書き換えるなんて――そんな、そんなこと」

「そうだな。原因があるなら、あの二人の血を飲んだせいかな。たぶん」

 

 吸血鬼の質は、嗜む血の質によると、かつてあの人は言った。

 二つの世界の血を飲んだ今、彼の中に燃えるものは『乞い焦れる(恋に焦がれる)程度の能力』だ。

 

「あんたに見果てぬ希望を見せてやる。あんたに明日の夜明けの夢を見させてやる。現実と幻想。その狭間が、今の俺」

 

 黄金の風に舞い散る桜吹雪。

 放り捨てられたままの紫の日傘が姿の見えない踊り手に担われたようにくるくると不可思議なダンスで紫をさそう。幾千幾万もの幻想が飛び交う、弾幕の中にでも放り込まれたような景色に、束の間、大妖怪ですら幻惑された。

 

「いくぞ」

「ッ!?」

 

 ざぱ。

 

 紫の視界を覆った日傘が真っ二つに裂ける。

 とっさに開いた無数の断裂を、更に切り裂いて雪之丞が迫る。

 

「とりあえず一太刀、浴びてもらう。悪く思うなよ」

 

 雪之丞の黒と剣の黄金。

 

「そんなに格好いいところ見せられたら」

 

 極め付けの二色が桜の中にぼんやりと霞んでいく。それは、きっと紫の瞳が『もういいわ』と満足したからなのだろう。

 

「わたし、ほれちゃう、わよ?」

 

 体を斜に切り裂いたまどろみのような太刀筋に、紫はその剣の名前をようやく思い出す。すべてを包む太陽の光(げんじつ)と、どこまでも伸び行くひまわり(げんそう)の力を兼ね揃えた究極の形――――――エクスカリバー、だ。

 

 ◆◆◆

 

 電撃と閃光と針と札。

 厄介なのが巫女が『陰陽玉(おんみょうだま)』と呼ぶ、自律して攻撃する、つるりとした白と黒との球だった。

 ハジメは踊る。霊夢の苛烈な攻撃はハジメの防御を掻い潜って体を貫き、引き裂き、焼いて焦がしてあるいは砕いたが、それでも彼のステップは淀みない。

 

「まったく。毎度毎度のことだが、今回も大ピンチだな」

 

 砕けた日輪がきしみを上げながら大砲に変形する。

 輝きを帯びた砲身めがけてすぐさま霊夢の攻撃が集中し、必殺の一撃を宿した大砲は爆発四散の運命を遂げた。

 

「私をそこらの妖怪変化と一緒にしないことね」

「あんた、ずっと俺の戦いを追っかけてたもんな。ミエミエだったか」

 

 張り巡らされた鉄骨の上を機敏に飛び回るハジメと、終始上空から落雷じみた絨毯爆撃を繰り広げる霊夢。間隙をぬって無数の『陰陽球』が飛び交い、確実にハジメの手傷を増やしていく。

 

「人をストーカーみたいに言わないでくださいー」

「だいたいそんなカンジだったろ」

 

 雲のように分厚く立ち込めた陰陽玉に阻まれて、ハジメの指鉄砲は霊夢まで届かない。おまけに大砲はもう使えない。

 

「手詰まりね。諦める?」

「いいや。まぁ、こんなもんかなって考えてたところだよ」

「こんなもん?」

 

 鉄骨を針の雨が叩く。瓦礫の間に身を潜めて、ハジメはくくく、と笑い声を漏らした。

 

「クライマックスなんて、ちょっとピンチな方が燃えるじゃないか。それに」

 

 その目は霊夢ではなく、むしろ彼方の壁にもたれたまま、茫然と見つめ返してくる幽香へと向いていた。

 

「お姫様の前では負けられない?」

「ま、そういうこった。それに果たしてない用もいろいろある」

「それは聞かない方がよさそうね」

 

 飛び出したハジメの放った弾丸が空中で複雑な機動を描きながら陰陽玉の隙間を狙って霊夢へと迫る。

 

「ふふっ」

 

 指先ひとつで陰陽玉を操って、霊夢は盾を形作る。

 もちろん道具でしかないそれらに防御力を期待するのはお門違いだ。霊夢もよく理解している。一撃防ぐたび、彼女は迷いなく百個二百個と膨大な数を切り捨てていった。

 

「このペースなら明日の朝まで続けられるわ」

 

 真上に登った太陽の光は、陰陽玉の壁に阻まれてハジメまで届かない。

 

「いいぜ。踊ってやるよ」

「でも残念。あんたの隣はもう決まってるみたいだから。私はお膳立てに回らせてもらうわ」

 

 虫のように動き回る雲の隙間。ちらりと見えた赤い瞳を、霊夢は見詰め返す。

 

「そこ、空いてるけど?」

 

 ◆◆◆

 

「やめて」

 

 こんな弱弱しい声だったのかと、自分で不思議に思うほどだった。

 針と札の土砂降りの中を戦うハジメには当然通じることもなく、次第に傷が増えていく彼を見つめ続けることができなくなって幽香はうなだれた。

 

「無駄なの。分かっているでしょう? わたしはどのみちあとひと月持つか持たないか。それなのに、あなたまで命を燃やすことはっ」

 

 声が詰まって、幽香は思わず頬を抑えていた。

 くちづけを受けてからの熱は冷めるどころか、むしろ。

 

「…………ねぇ。私、どうしちゃったの?」

 

 破れたワンピースの胸元をかきむしって、幽香は深く熱い息をついた。

 

 ◆◆◆

 

「認めるわ、ハジメ」

 

 今しがた上腕を針で射抜かれ、物陰へと飛び込んでいった青年の名を霊夢は呼ぶ。

 

「あんたも充分変わり者ってことを?」

 

 血に濡れた針が転がって、乾いた音を立てた。

 弾丸のかわりに飛んできた減らず口に頬を緩めて、彼女は陰陽玉の布陣を変えていく。頭の上を抑えるばかりでは埒が明かない。ビルの屋上全体を覆うように、隙間なく並べ直す。

 

「違うわよ失礼ね。今まで私にとって最強の相手は別にいたんだけど、それを今この瞬間から変える必要があるッてこと」

 

 霊夢の計算は完璧だ。

 四方八方から飛ぶ攻撃にハジメは徐々に逃げ場を失っていく。それでも彼の瞳に滾った戦意と炎は萎えるどころかいっそう勢いを増して燃え上がる。

 

 

 それはまるで、恋のようではないか。

 

 

 その滾りを、霊夢は心底恐ろしいと思った。

 何より彼女にとっておっかないのは、鶴見ハジメという一個の青年が、幽香だけでなくどうやら霊夢も救う心算でこの場に立っているということだ。

 

「じゃあ、ほら、最強だからさ。ひとつ降参とかどうだ?」

「ごめんなさい。寺子屋の教師から恐怖には立ち向かえって口うるさく言われてるの」

「ぬかせよ」

 

 冗談めかして笑われても、霊夢はまったく正直に話しているだけだ。

 

「どのみちあなたたちを生かしてこの場から逃がすことはできないの。悪いわね。本気ですりつぶしに行くわよ」

 

 雲霞のように立ち込めた陰陽玉がざぁっと退いていく。

 紅白の衣装をなびかせる霊夢の姿。不敵に笑った彼女の周囲に無数の光球が浮かんでいく。それは、いかなる怪異をも一瞬でこの世から消滅させる封印の力だ。

 

「今なら遺言くらい受け付けてやるけど」

 

 彼女めがけて高らかに掲げられた人差し指が答えだった。霊夢は大口を開けて笑う。

 

「本当、素敵ね!」

 

 絶望的な攻撃を前に、彼は構える。

 その姿は起死回生のサヨナラホームランを約束するようにも、日の出を待って首を伸ばすひまわりのようにも。

 

「あぁ、でも、でも! ちょっとだけ舞台が寂しいかしら。こんな素敵なショウダウンに、あんた一人なんて!」

 

 霊夢は指を鳴らす。

 彼女の声に応える様に腰を上げたものが、いた。

 

「本当、しようのない子なんだから」

 

 すっと、ハジメが脇目も振らずに差し伸べた手。

 白い指が彼の指先に絡む。そこに輝く銀の指輪。ひまわりの香り。

 

「霊夢、ごめんなさい。私はあなたと戦わなきゃいけない――――立って、戦って、あなたを倒したい!」

 

 三度死んでもおかしくない満身創痍にも関わらず。

 地面に根付くような確かな足取りで血塗れの幽香も天高く人差し指を差し伸べる。

 

「さっきまで殺せ殺せと言った割に、随分都合よく立ち直るのね」

 

 霊夢が覚悟の真贋を確かめる様に顎をしゃくった。決然と幽香が睨み返す。

 

「分かってる。だけど、もう運命なんて便利な逃げ道にすがることをやめにしなくちゃ。私は行きたい。私は生きたいの!」

 

 固く結ばれた手。

 その輪郭が、黄金の輝きを帯び始めていることに気付いたのは霊夢だけだった。

 

「私達を明日へ行かせて頂戴、霊夢!」

「力ずくで、この雲を越えていけ!」

 

 虹色の光弾は霊夢が降り注がせるものだけではない。

 ハジメと幽香を取り囲む陰陽玉の雲。それを構成する一つ一つが霊夢と同等の戦闘力を秘めている。そのすべてが、最大出力の光球を浮かべはじめている。

 

「背中は預けた」

 

 ハジメの声に、幽香は悔しそうに柳眉を寄せて肩をすくめた。

 

「私のセリフ、取られちゃったわね」

 

 輝きが霊夢から解き放たれる。

 周囲からも同様に虹色の光弾が二人めがけて容赦なく叩きつけられる。ハジメは弾丸で、幽香は光線で、絶望的な火力差に臆することなく弾幕を迎え撃つ。

 

 ◆◆◆

 

『産子這う子に至るまで、特とご覧じよ』

 

 紅い霧のもたらす永い眠りから覚めた誰もが、焼け崩れかけたビルの屋上に芽吹いた巨大なモノを見上げていた。

 

『ここに遊ぶは鶴と風。ここに開くは太陽と花との物語』

 

 ハジメの見舞いに向かう途中でばたばたと倒れていたクラスメートたち。

 

『踏まれ触れたひまわりが』

 

 幽香がひいきにしていた商店街の店主たち。

 

『雲を突き抜け天高く』

 

 廃屋で上体をもたげたエリカが、傍らに控えるおーちゃんが、病室で目を醒ました千晃が、救急隊と杏奈、そして父が。

 

『雲薙ぎあまねく世を人を』

 

 町を去る新幹線の中から今井までもが。雪之丞と、彼に肩を支えられて焼け跡の非常階段を昇っていた紫が。

 

『陽だまりで包む、その様を!』

 

 虹の爆炎の中で開いたものは巨大な橙色の日輪だった。

 たったひとりの人間の背中から広がったものであるとは誰の想像力も及ばぬままに、それが光の花弁を伴って際限なく花開いていく。

 

「――――ふざけたことを、してくれる」

 

 当然そのなかには橋の上で息を吹き返した機動部隊と、万場も含まれていた。

 万場が漏らした声には明らかな怒りが滲んでいた。

 慌ただしく彼の傍を駆け抜けていく装甲車の車列。そのエンジン音が彼の呟きをかき消す中、大気を振るわせる不思議な声はどこまでもどこまでも届いた。

 

 誰の耳にも、誰の目にも、やがて言語や文化すら超越して。

 

 F市を包んだ花弁は更に広がる。極東の島国から海を越え、更には星すらも包んで広がり続ける。橙色の花弁を散らせながら。

 

『見つけたぞ』

 

 その声を聞いたのは、なにも人や知的生命体だけではない。

 すべてを超越した花弁から発せられるすべてを超越した声。そして、その砲門は全宇宙を射程圏内に捉えている。

 

『そこにお前はいやがったんだな』

 

 男のものとも女のものともつかぬ声。

 そしてその殺気に、全宇宙に存在する理不尽が怯えすくんだ。感情も思考能力も持たぬ概念が、宇宙の片隅のちっぽけな星から発せられたメッセージと無数の弾丸に、子供のように泣いて懇願した。

 

 やめろ、と。

 

『くたばれ、理不尽!』

 

 誰の声も聞かずに世界を蹂躙し続けたモノの声に耳を貸すものなどいない。太陽の花の持ち主たちも同じく、貸す耳などもっていなかった。

 かわりにくれてやるのは素敵な風穴だ。

 

 全世界が輝いた。

 全宇宙が輝いた。

 古今東西の理不尽がガラスのように砕けて降り注ぐ幻想を、すべての瞳が追った。

 

 ◆◆◆

 

「幽香。あんた、さ『花を操る程度の能力』を曲解しすぎじゃない?」

 

 あの花弁が広がってから何が起きたかは分からないが、確実に何かが変わった。

 三万個の陰陽玉が火を噴き上げて落ちていく中、霊夢は夢を見るような目で空を見上げていた。

 

「つまり『あれは花だった』ってことか」

 

 霊夢が振り向くと、二人の姿は既にない。

 

「ふふん。私としたことが、独り言の間に逃げられちゃうなんて。こりゃあアレね。頑張って足止めしないとね」

 

 懐から抜き出した札を、霊夢はふっと吹いた。

 ビルの屋上から橙と桃の花弁にまじって舞い降りていく札。その先にはぐるりとビルを包囲した戦闘車両の列が。

 

「あー、しまったー」

 

 ぽこっと頭を叩いて、しらじらしく言ってのけた霊夢。直後、爆発音を伴って虹色の煙がビルの背丈を越えるほどに吹き上がってきた。

 

「煙幕だったかー。これじゃ無理だなー、あの二人をせっかくこっちの陰謀ズブズブ部隊と連携して袋叩きにできるところだったのに、まんまと逃げおおせられちゃうなぁー」

 

 その間も霊夢は次々と札を放っていった。

 

「うわぁー、うわぁー…………ふう」

 

 やがてひとり芝居にも飽きたのか、霊夢はその場にどっかと腰を下ろし、そのまま大の字に寝そべった。空に浮かんだ光の輪郭は既に薄れて、ほとんど消えかけている。

 

「生きなよ」

 

 屋上の瓦礫を踏む足音に、霊夢は仰向けに寝そべったまま視線を向けた。

 

「なによ、あんたら。手なんか繋いじゃって気色悪い」

 

 仲良く日傘で相合傘を決め込んでやってきた二人組を見つけて、彼女は微妙な表情を浮かべて空へと向き直った。それが徐々にこわばり、冷や汗を額に浮かべはじめる。

 

「待って。え、マジ?」

 

 がばっと起き上がった霊夢。吸血鬼と大妖怪が頬を赤らめて視線を逸らす。

 

 ◆◆◆

 

『――――について、『政府の見解である「単なる気象現象」では説明できない』とコメントしました。当時刻に『全く同じ内容の言葉を聞いた』との証言が複数寄せられています。既にSNS上では個人撮影の動画が大量に出回り、中には――――』

 

 F市を離れる電車に揺られて、ハジメはラジオから聞こえるニュースを子守唄にしていた。

 夕日の差し込む山間を走る車両はほとんど貸切だ。騒ぎに乗じて逃げるさなかに簡単に着替えは済ませているが、それでもありがたいことに変わりはない。

 

「ごめんなさい」

 

 ハジメの肩に頭を預けて寝ていた幽香が目を醒ました。

 

「あの町に、帰れなくなっちゃったわね」

「気にするな。俺はこうして立って、ここにいるじゃんか。まだ、俺の夢は叶う」

 

 懐の茶封筒を一瞥し、ハジメは改めて老刑事に小声で礼を言った。そして、気を利かせてくれた猫と狐にも。

 

「これからどうしましょうか」

 

 ハジメは伸びをして、稜線に沈もうとする夕日を見つめた。彼には濃い赤の輝きとなった太陽が、「また明日」とでも言っているようにも思えた。

 

「どうしよう」

 

 幽香がくすくす笑う。首に触れる息遣いと彼女の香りを心地よく思いながら、ハジメはもう一度目を瞑る。

 

『――――F市を相次いで襲った異常現象について、ついに国際的に識者を募っての学術的調査を行う動きもはじまっており、現地では今後相当な混乱が――――』

 

 たった数時間で、とんだ騒ぎだとハジメは呆れるほかない。

 ここまで大事になってしまっては、もはや万場たちがいくら手を尽くしても完璧に情報を隠蔽することなんてできないんじゃないか、とすら思った。

 

「そうだな」

 

 そこで脳裏にひらめいたものは、ひとつのヒラメキだった。

 

「実はアイディアがある。一発逆転の、きっと賭けになるだろうけど」

「今さらあなたが何をしようと、私は止めはしないわ」

 

 やはり髪がうるさいのか、あれやこれやと長い髪の結い方を試しながら幽香が微笑んだ。

 

「ハジメ。どこへ行っても、何をしていても、私はずっと傍にいる。そうじゃないと、あなた、一人で突っ走っちゃうもの」

「おいおい、止めないんじゃなかったのか」

「次からは一緒に暴走してあげるってこと」

 

 二人はお互いの顔を見合わせた後、弾けるように声を上げて笑いはじめた。

 

「そうだ、一つお願いを聞いてもらってもいいか」

「なぁに?」

「あんたが煮込みハンバーグ作ってくれるって約束、まだ果たしてもらってないからさ」

「お願いって。そんなことでいいのかしら?」

 

 よかった、とハジメは胸をなでおろした。

 夕日に目を細めながら、幽香が不思議そうに小首をかしげる。

 

「幽香にありがとうもごめんなさいもしたのに、ずっとずっと言えなかったことが一つだけあってさ。認めなきゃいけないけど、あんたの作る料理、信じられないくらいうまいよ。あれが食べられなくなったらって思うと、っておい、待てよ、今は違うだろ。泣くなって。あんたが泣くとこなんて俺初め、うわっ、ちょ、あーもう、困ったな。どうすりゃいいんだ…………」

 

 

 

 第二十五話『産子這う子に至るまで』おわり

 

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