風見幽香の殺し方【完結】   作:おぴゃん

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6『日輪の物語(下-2)』

 ひまわりが揺れていた。

 雲一つない青空の下、山間に横たわる太陽の畑。夏場だというのに涼やかなそよ風が吹くたびに、花弁と葉の揺れる音が囁き声のように耳をくすぐる。

 

「おいおい嘘だろ。また来ちまったのか」

 

 それに混じってアブラゼミの鳴き声よりも更に暑苦しい野沢那智の声が耳に流れ込んできた。

 

「は?」

 

 木陰のベンチから一気に飛び起きてハジメはあたりを見渡す。揺れるひまわりの中に異常を探して――――それをすぐに見つけた。タンクトップ一枚では到底隠しきれない屈強だけど小汚い肉体。

 

「ここぁ俺の私有地だぞ。いくらお前さんでも」

「あ、あ、あ、あんた」

 

 その上プラスチック製のゾウさんのじょうろと軍手に麦わら帽子という人をばかにするにも程がある出で立ちの男がひまわりの間から現れる。ハジメの心に住み着く怪異。ジョン・マクレーンだ。

 

「死んだんじゃなかったのか」

「元から生きちゃいねえよ」

「何してんの」

「誰かさんのせいで休暇を満喫中だ。ヒマ持て余して園芸ごっこだよ」

 

 じょうろを足元に放って、ジョンはハジメの隣にどっかと腰を下ろした。ハジメがずりずりと端の方に逃げると、ジョンが幅寄せして来る。

 

「そんなに嫌ってやるなよ。俺ぁこんなでも小僧の一部なんだぞ」

「嫌っちゃいねえって。ただ、汗くせえんだよ」

 

 そう。本心で拒絶していればこんな場所もジョンも心の中に残る余地は無かったはずだ。

 

「どうだ。良いところだろ」

「まぁな」

 

 幽香の居た太陽の畑はこんな場所なんだろうかと、ハジメは考える。一方でジョンは気を良くしたようで、口笛を吹いて見せるとベンチの下を探った。

 

「いるか?」

 

 いつの間にか足下に用意されていたバケツを引っ張り出す。氷水のブチ込まれたバケツの中にはバーボンのボトルとサイダーの瓶が突っ込まれていた。まるで、ハジメがここに来ることを見越していたようだった。

 

「生きてると言えば、だ。お前さんなかなか大変なことになったな」

「分かるの?」

 

 胸元を探りながらサイダーを口に含むハジメの隣で、麦わら帽子で禿げ頭を煽ぎながらジョンは山間の、その更に向こうを見つめていた。

 

「さぁどうする。今度こそギブっちまうか。それでも、誰もお前さんを責めやしない」

「まさか。あぁでも、困ったな。俺死んじまったみたいだし」

 

 ベンチから腰を上げてさらっと言ってのけるハジメの後ろ姿をジョンは頼もしそうに見つめる。バケツにボトルを突っ込んで、彼はハジメの肩を叩いた。

 

「そのことだが――――手助けしてやってもいい。お前さんにここの出口を教えてやるよ。いや、正確には出方なんだが」

「出方?」

「ただし条件がある」

 

 条件。そう聞いて、ハジメはあからさまにイヤな顔をした。

 対するジョンはニヤニヤ顔を張り付けたままうろうろとハジメの周囲を回った。勿体付け方がいちいち癇に障る。

 

「小僧、てめえの体を寄越せ」

「は――はぁ!?」

 

 手助けをしてくれるといった矢先にこれだ。やはりこの男、怪異だけあって簡単に気を許すことはできないのか。

 

「や、今倒れてる古い方でいいのさ。どのみちお前さんは死んだ。ここから外の世界に出て行くには、おろしたての真っサラなシャツみたいな体で生まれ直す必要がある」

「そんなんじゃワケわかんねえよ。つーか過去最高にワケわかんねえよッ! ちゃんと説明しろよ!!」

「説明?」

 

 味のあるほくそ笑みを見せて、彼はひまわり畑の地面を指し示した。

 

「説明。説明。あぁいいとも、だがションベンちびるなよ」

 

 花も、地面も、ガラスのように透けて見えてくるのは星だった。漆黒の宇宙に輝く青い青い星。それを遥か遠くに眺めるこの場所は、間違いなく太陽の視点だった。

 

「な。いいところだろ?」

 

 ハジメは息を呑むことしかできなかった。

 

 ◆◆◆

 

 ようやくおーちゃんの超スピードにも慣れてきたころ、千晃は見慣れた町の風景の中、ビルの屋上から自分たちに手を振る一団を見つけた。

 

「お、おーちゃん、あそこで下ろして、あそこ」

「ん」

 

 巨大な翼を持つ鳥の怪異が近づくにつれ、彼らはわらわらと屋上の端に寄ってスペースをあけてくれた。一団の中から、背の低い女子生徒が歩み出る。

 

「やっぱり。ハジメの妹ちゃんだよね。私は」

「うん。パーティでお寿司取ってくれた。まぐろのお姉ちゃんでしょ」

「いや、料理の名前で覚えんなし」

 

 いくらなんでも不名誉すぎる名前で呼ばれて、がっくりうなだれるミヤコの後ろでクラスメートたちが腹を抱えて笑う。

 

「こいつ見ても……驚かない、んですね」

 

 おーちゃんが肩――翼をすくめる。

 

「はは」

 

 ここまで来て今さら何に驚けばいいのかな、とケータイの傷を撫でながらミヤコが呆れた笑いを漏らす。またもクラスメートたちが陽気にじゃれあうのを見て、千晃は不思議でならない。

 

「私達、心配なんてしないことにしたの」

「え」

 

 千晃の疑問を見透かしたようにミヤコがウインクして見せる。

 

「よく考えたらつるみんだし。心配するだけムダムダムダ」

 

 あいつよく遅刻するしさ、と彼女は屋上のフェンスにもたれてケータイのカメラ機能を起動した。

 

「さ、今日はどんな言い訳を聞かせてくれるのかな」

 

 ハジメが戻ってくる。それを信じて疑わない友人たち。おーちゃんの翼の影に隠れて、千晃は目頭を揉んだ。

 

「なにか、はじまるね」

 

 鷹の目を持つおーちゃんには数キロ先で、交差点で最後の抵抗に出る一団の姿が見えていた。一体の妖怪がよろよろと立ち上がる様も。

 

「おねえさん、もうちょっと、だけ――頑張っちゃおう、かしら」

 

 ハジメの死体の上に屈んだまま、幽香は動かない。銃撃の音で、霊夢が戦い続けていることが辛うじて分かる。

 

「私も、あなたも。こんな時に寝てちゃ、ダメよね」

 

 よろめきつつ紫が軽く指を打ち鳴らす。

 完全にネットが停止したはずの全世界で、一斉にメールフォームが起動した。メールのあて先は名も知らぬどこかの端末へと当てられている。

 

「これ。あにき――うん、わかった」

 

 祈れ、願えということなのだろう。

 千晃は自分のケータイを取り出し、三十センチも離れていない兄のケータイに向けてメッセージを打ち込んでいく。素直な気持ち、感謝の気持ちを形にしようとするうちも兄のケータイは途方もない数のメッセージを受信し続けていた。

 

「うえっ」

 

 千晃が肩を震わせた。

 

「ち、ちあき、ちゃん?」

「だ、だいじょぶ……だいじょぶだから、あんま見んな、まぐろ」

 

 兄を信じて待ってくれている人たちが、こんなにいる。

 そう思うだけで画面が見えなくなるくらい止めどなく涙と鼻水を垂れ流す千晃を、ハジメのクラスメートたちが心配そうに見つめてくる。

 

「あぁ、もう。あぁもう。妹に恥かかせんなよう」

 

 結局、メッセージは大分短くなってしまった。

 

 ◆◆◆

 

『一件の新着メッセージを受信しました。』

 

 差出人:ちあき

 宛先:ハジメ

 件名:起きろ

 

 くそあにき、寝てる場合か

 

 ――――

 

『一件の新着メッセージを受信しました。』

 

 差出人:somebody638..nanoka.co.uk

 宛先:ハジメ

 件名:no title

 

 病院で空を見ながらこれを書いています。

 あなたがどこの誰なのか皆目見当も尽きませんが、とにかく今起こっていることと深い関係があるということだけは分かります。なんとなくですが。

 あなたが窮地に立たされているということも。

 

 これは、ここで終わりなのですか?

『どんな雲にも銀の裏地がついている』という美しい格言を、あなたはここで否定してしまうのですか?

 

 立ってください。続けてください。夢の続きを見せてください。

 

 ――――

 

『一件の新着メッセージを受信しました。』

 

 差出人:rz0yrkor002.mkyoooh.cn

 宛先:ハジメ

 件名:青空

 

 まったく、ひどい天気だな。

 一つ言わせてもらうとすれば、俺はこれからしんどい会議があって、その後二年ぶりに家族に会いに行けるってことだ。帰り道に最高の青空をプレゼントしてくれ。それを願うことくらいなら、許されるはずだ。

 

 ――――

 

『一件の新着メッセージを受信しました。』

 

 差出人:mysteriousness,23.co.in

 宛先:ハジメ

 件名:フレンド

 

 デスカ!?ナンデスカコレ!?

 いったい全体何が起こってあーモー無理!モー耐えらんないいいい!!

 こんなスバラシいショー、もう犯罪ですよアナタ。ボクとフレンドなりまショ!ボクのFacebookアカウントはコチラ!!!!カモ!!

 

 ――――

 

『一件の新着メッセージを受信しました。』

 

 ――――

 

『一件の新着メッセージを』

 

 差出人:杏奈

 宛先:ハジメ

 件名:勝負は

 

 幽香ちゃんのかちだったかな、やっぱり。

 こんな母親失格の私は、やっぱり母親失格らしく、ハジメの心配なんてしないでここで見守ってるよ。

 

 ――――

 

『一件の新着メッセージを受信しました。』

 

『一件の新着メッセージを受信しました。』

 

『一件の新着メッセージを』

 

 ◆◆◆

 

 もはやほとんど視界が闇に染まっていたが、それは確かに見えた。

 空を覆い尽くす輝くメールの流れが。

 言語も国籍も超越した、現代における新しい信仰の形が向かう先はたった一か所だ。千晃の握りしめる、ハジメのケータイ。

 

「…………みえる、霊夢」

 

 紫の目にはそれが見えた。世界が光で満ちていく様が。咲きほこるヒマワリが一斉に首を伸ばす姿が。

 

「彼が帰ってくる」

 

 空を見上げて、幽香は微笑んだ。

 

「ハジメ、私はここよ」

 

 ◆◆◆

 

『一通の新着メッセージを受信しました。』

 

 

 

 

『通信制限が――――メッセージを』

 

 

 

 

『一通のメッセージを』

 

 

 

 

『メッセージを』

 

 

『メッセージを』

 

 

『メッセージを』

 

 

 ……

 

 ◆◆◆

 

 世界が帰還を望んでいた。ならば、応えてやらない義理はない。

 

「おーっと。待て待て小僧」

 

 ガラスの上に踏み出そうとしたハジメを、ジョンが引きとめた。

 

「いいぜ。体なんていくつでもやるよ。だからさっさと」

「そうじゃない。見ろよ、あいつらの顔」

 

 太陽の玉座からは全てが見通せる。ツルミハジメ。その名を、すべての人間が口にする。空高く差し伸べられた指が、期待の眼差しが、日の出を待っている。

 

「まるで神様だな、お前さん」

 

 ハジメには、彼らがひまわりにみえた。そして今や、ハジメは彼らの太陽なのだった。生まれ直す――その意味が、よく分かった。

 

「信仰が奇跡を生む。信じる心が、世界の常識に風穴を空ける」

「あぁ」

「こんな風に強く望まれて生まれてくるものが何になるか、分かっているんだろうな?」

「あぁ」

「ハジメ、出て行けばお前は勝つ。全ての幻想と現実が混ざり、お嬢ちゃんたちはヒトと同じ時間を生きることになる。この意味、わかるな?」

「あぁ」

 

 どれほど過酷な運命にも、立ち向かうと決めた。

 

「それでも、やらなきゃいけないんだ」

「そうか。なら、いけ」

 

 手を離して、ジョンはハジメの背中を押した。

 

「小僧。いい取引だったぜ」

 

 ハジメの足下がばりんと割れて、気付けば彼は宇宙を飛んでいた。地球に向かって真っすぐ突き進みながらジョンを探すと、今や塞がりつつある穴の中で彼が手を振っていた。

 

「待ってろ!」

 

 凄まじい力のみなぎりを感じる。

 だんだんと大きく見えてくる黒い花めがけて、ハジメは拳を振りかぶる。この新しい体でなら、もはやそれだけで十分だ。

 

 ◆◆◆

 

 闇の花弁が唐突に爆発した。

 

「あれは」

 

 巨大な【日常】が悲鳴を上げる。掌の形をした花弁のひとひらがうなりを上げながら地上に落下する。血のような液体を噴き出す【日常】の背後。赤い雲が吹き飛ばされ、眩い日光が差し込む!

 

「全く。本当にいいタイミングを心得てるわね」

 

 血塗れの霊夢が手を振る。

 空の穴から光と共に舞い降りたのものは橙色の輝きを纏った光の鳥だ。理不尽の雲を打ち払い、地上を幻想の光で照らす太陽の化身だ。

 

「ハジメ!」

「いまいく」

 

 執拗に霊夢を攻撃していた砲火がすべて光の塊に向けられる。が、太陽に向けて銃を撃つなんてあまりにナンセンスな抵抗だ。

 

「ハジメ、あなた」

 

 幽香が驚嘆の声を上げる。

 もはや防御の必要すらない。悠々と弾丸を受け止めきったハジメが軽く日輪を輝かせるだけであたりを爆風と閃光が駆け抜け、万場のひきつれてきた機動部隊を戦闘不能に追い込んだ。

 

「待たせた」

 

 霊夢の隣に降り立ったハジメが、ふらふらの彼女を支える。

 

「慣れてる。あんた、いっつもギリギリだもんね」

「ケガがひどいな」

「いいからさっさと行かないと。あんたの恋人が妬くわよ」

 

 ハジメを突き飛ばして、霊夢はその場にへたり込んだ。

 

「あぁ…………でも。本当助かった、わ」

 

 崩れ落ちる霊夢を抱きかかえたのは紫だった。

 

「来てくれると思っていたわ」

 

 ハジメが闇の花にダメージを与えたことによってか、彼女の顔色は大分良くなっていた。頭を押さえつけるような重圧が、ハジメの日輪が放つ輝きの傍にいると急激に和らいでいく。

 

「霊夢を任せた」

「えぇ」

 

 幽香へと歩み寄りながら、ハジメは彼女が抱きしめる古い自分の体を見つめる。ぼんやりと光を放って粒子に還元されつつあるそれをそっと幽香から離し、近くのベンチに横たえる。約束は守るぞ、と心の中で呟く。

 

「行こう」

 

 いつかのように、ハジメの伸ばした手を幽香が掴む。

 

「行きましょう」

 

 スペルカードを展開する。そして世界は見た。幻想の太陽が昇る様を。

 

 ◆◆◆

 

――――この物語はたった一つの約束から始まった。

 

「だから、最後も約束を」

 

 たった一枚残された切り札がふわりと浮き出てハジメの手に収まった。

 彼がこの世界に呼び込んだ陽光が、施された日輪の透かし彫りを輝かせる。ハジメの背後で日輪がゆっくりと回転を始める。

 

『一通の新着メールを受信しました。』

 

 それはお返しだ。この瞬間まで日の出を待ち続けたヒマワリたちに太陽からの贈り物。そして、この地上で最後に繰り広げられる弾幕ごっこを開始する宣言だ。

 

「おい、なんて書いてあるんだ……?」

 

 全世界。同時に受信したメッセージを開けば。全ての液晶が輝いていた。そこに表示された文字が、その意味が、熱を持って金色の光を放つ。

 

 

【LAST SPELL】

 

 

 それはラストスペル。最終攻撃の名を語った日輪が数百メートルの砲身を持つ大砲に変形する。だがハジメはそれを物足りなそうに見上げる。

 

「まだだ。俺達の全力はこんなもんじゃないだろ」

 

 液晶の文字が燃える。別の文字を形作る。

 

 これまでにない危険を察知した【日常】が吼える。花弁の内側が光り、飛び出したものは無数の異様に細長い手だ。空中で幾何学的な軌道を描きながら、すべてがハジメ達に殺到する。

 

「ムダだッ!!」

 

 しかし、一つとして届くことはない。

 両者の間に張り巡らされた見えない壁にぶち当たった手が捻じ曲がり、ひしゃげ、潰れて爆散する。

 

「――――なぁ、おっさん。生きてるか?」

「さすがに……死ぬかと思ったな」

 

 ついに能力の限界を迎え、倒れて物言わぬ塊となった万場を踏み越えて、雪之丞は瓦礫の海を渡る。

 

「エリカ?」

「ん。大丈夫」

 

 倒れたまま放置されていた二人を抱えて、雪之丞はショッピングモールを後にした。万場が死んだことで能力も効果を失ったのか、雪之丞の傷は再生を始めている。

 

「とんでもないことになったな」

 

 赤い空を貫く黄金の塔が際限なく伸び続ける姿を見つめて、万場が力の抜けた笑いを見せた。

 

「本当、デタラメね」

「ふん」

 

 いかにも気に食わねえ、と鼻を鳴らしてから、雪之丞はこれほどの力の差を見せつけられてもまだ対抗する気でいる自分に呆れてもいた。

 

「ま。今くらいはお前のために祈ってやってもいいぜ」

 

 吸血鬼として本来は忌むべき日輪へと向かって、雪之丞は人差し指を伸ばす。今井とエリカが、後に続く。

 

 

【LAST WORD】

 

 

 数々の想いを受けて、燃える文字が形作るラストワード。だがこれでも足りない。

 

「まだまだぁッ!!」

 

 不敵に笑ったハジメの声が更なる力を要求する。

 ラストワードの区切りでは支えきれない力を大砲に呼び込む。冗談みたいな速度で大砲が変形し、果てしなく伸び続ける間も【日常】の攻撃は続いている。

 

「もうお前には傷付けさせない――誰ひとりとして」

 

 空中で【日常】の攻撃を受け止めたものが姿を現す。

 

「あ、あれって!」

 

 千晃の言葉に、ミヤコが頷く。

 ゆっくりと空に描かれていく光の花弁に、誰もがひと月前の事件を思い出していた。幻想の花弁は消えたのではなく、ただずっとそこにあった。幽香や紫たち幻想の存在が忘れ去られてもこの世界を見守り続けたように、ずっと。

 

「お兄ちゃん」

 

 

【OVER DRIVE】

 

 

 オーバードライヴ。

 しかし大砲に注ぎ込まれる力は収まるどころか更に勢いを増していく。もはや大砲を支えることやめたハジメが砲身の上に仁王立ちを決め込む。傍らの幽香の腰に腕を回し、引き寄せる。

 

「もう。こんな時まで」

「こんな時だからこそ、さ」

 

 自らを鼓舞するように巨砲を踏みしめる。輝きが、いや増す。

 

「最後なんだ。ドカンと派手に行こうぜ」

 

 弾幕ごっこの歴史から考えると、これが最終ラインだ。これ以上は存在しえなかった。ここからは妖怪の賢者ですら知りえない未知の領域だ。

 

「構うよかよ。やるならとことんだ」

 

 天高く伸び続ける砲身が、橙の光を放つ空の花に接続される。

【日常】の黒い花は未だ攻撃を続けていたが明らかに速度も威力も落ち始めていた。万人の無意識の願いによって全てを真っ黒に塗りつぶすはずの花は、万人の新たな願いによって支えを失いつつあった。

 

「さぁ、見せてみろよ。新しい俺には何ができる?」

 

 今や液晶は掌に焼けつくほどの熱を持って輝いている。それでも尚、誰も手放すことが出来ない。

 其の末に書き換えられた黄金の文字列は、日常を追い求め、ついには日常を打破することになった青年が最後に得た答え。全世界を白熱させる、勝利の決め台詞。

 

 

【!!!!!OVER CLOUD!!!!!】

 

 

 オーヴァークラウド、だ。

 それは真実を曇らせる暗雲を吹き飛ばし、幻想の陽光を取り戻す約束。

 

 液晶を焼くその言葉を、脳裏を焼くその意味を、明日を輝かせるその幻想の名を、全世界が叫んだ。

 

「やっちまっていいんだな?」

 

 ハジメがニヤリと笑って、挑発するように振り返る。彼に向けられた無数の人差し指がその答えだった。

 空中の花弁に接続された大砲が輝く。全宇宙を包み込む花弁が、黄金の雨を降らせる。地球上を埋め尽くす向日葵たちが歓喜の声を上げる。

 

「ぶっ潰しちまえ!」

「やれよ鶴見、根性見せろ!!」

「つるみん!!」

「筋肉ー!!!!!」

 

 クラスメートたちが腕を振り回して応援する。おーちゃんに抱きかかえられた千晃が、輝く空を見上げて涙を流していた。

 

「おにいちゃん!」

 

 その期待に応える様にハジメがすっと人差し指を伸ばす。

 彼が幽香に出会ってから、理不尽という壁にぶち当たる度にそいつらを打ち崩してきた、彼の力の形。

 

『俺たちにとびっきりの幻想を、見せてくれ!』

 

 かつて【日常】という怪物を生み出した世界は、しかし「とまった」のだ。ハジメが伸ばした指。新しい世界のあり方を示した彼の、その願いに「とまった」のだ。

 

「あなたに出会えて、本当によかった」

 

 幽香を強く、抱く。

 今や眩いばかりに光り輝くハジメの指先が探り当てたものは最後のトリガーだ。光の花弁がそうであったように、世界を変える力は見えなかっただけでずっとそこにあったのだ。

 

「終わらせよう。いや――」

 

 今や虹色に輝く砲身を死に物狂いで攻撃する【日常】が、今やちっぽけなものに見えた。

 

「愛してる」

「あぁ。俺も」

 

 世界が選択した。

 

「始めよう。新しい明日を」

 

 ◆◆◆

 

 全世界の願いによってトリガーが引き絞られた。

 瞬間、極限の光を秘めた砲口から発射されたものはやはり黄金の弾丸だった。【日常】の必死の抵抗が何度も弾頭を叩いたが、その軌道を一ミリでも逸らすことは叶わない。

 

【日常】が掌の形をした花弁を一斉に弾丸めがけて伸ばす。万人の願いで編まれた幻想の弾丸を受け止めようとする試みは一秒ももたなかった。

 

 激しく回転する弾丸に打ち砕かれて花弁が潰れて崩れていく。その先にある花芯に突き刺さる頃、弾丸の速度はもはや光の域に達していた。

 

 ぱきん。と、ガラスの割れるような音が響いた。

 

 ど真ん中を撃ち抜かれた直後、大きく傾いたまま【日常】は完全に停止した。

 あれほどおぞましく蠢いていた無数の掌がピタリと止まったと思うと、指先からバラバラに崩壊していく。

 

 それを尻目に突き進み続けた弾丸が赤い空を粉砕した。

 吹き散らすように赤い雲と空が一色の青空に染め直される。虚空に突き刺さった弾丸を中心に、光り輝く蜘蛛の巣状の亀裂が広がっていく。

 

「博麗大結界が」

 

 霊夢を抱えて、紫が静かに微笑んだ。長らくの彼女の仕事が、終わろうとしていた。

 

「そうね。現実と幻想を分ける必要は、もうないのだから」

 

 今や完全に崩れ去りつつある【日常】と光の花のまき散らす花弁が織り交ざって青い空へと吸い込まれていく。幻想と現実の境が完全に溶け合った風景の中にあって、第二の変化が起きようとしていた。

 

「人?」

 

 千晃たちの視線の先、割れた空から無数の人型が降り注いできていた。

 解体された幻想郷にいた少女たちがこちら側の世界に吐き出されてきているのだ。

 その中の一人がゆっくりと崩れていく砲身の上に降り立つと、きょろきょろとあたりを見渡した。

 

「あれ。あたい、どうしてこんなところに――――?」

 

 幻想郷はもうない。

 現実と幻想を仕切るための壁――博麗大結界――が存在意義を失った結果消滅し、幻想郷は消滅する。

 今こうしていきなり外の世界に放り出され、ただただ困惑する彼女たちがそれを理解し、受け止めるまでにどれだけの時間がかかるのか、ハジメには想像も及ばない。

 

「ねぇ、あたいの家、帰りたいんだけど」

 

 不安げにハジメを見上げる少女は、よりにもよってそいつが幻想郷を吹っ飛ばした元凶であることなど思いもよらないはずだった。

 

「それは」

 

 困り果てて、ハジメは頭をかく。

 

 ◆◆◆

 

「俺達、何してたんだっけ?」

「さー?」

「なんで町、こんな壊れてるん?」

「さー?」

「授業まだあったよな?」

「さー?」

「サボるか?」

「うん。そうしよ」

 

 ハジメのクラスメートたちが歩き去っていく。

 通りという通りに出た人々は不思議そうに顔を見合わせていたが、やがて首をひねりながら彼らの日常へと戻っていった。

 

「あぁ、鶴見くん。奇遇だな」

「今井さん」

 

 何者かにどんと肩をぶつけて我に返ると、慌てた様子の老刑事と目が合った。

 

「すまんすまん。今病院からいいニュースがあって浮かれてた。じゃあ、急ぐんで!」

 

 そう言う間に彼はケータイ片手にさっさと歩き始めていた。この瞬間までハジメのために世界を守り続けていた、大人らしい大人。きっとその記憶ももうないのだろうが、彼の背中に、ハジメは一度頭を下げる。

 

「はい。それじゃあ――ありがとうございました」

 

 雑踏の中、ハジメは幻想郷の住人達と一緒に彼らを見送る。

 いい加減彼女たちからの質問攻めも落ち着いてきた頃に、紫がぬうっと空間の裂け目から顔を出した。

 

「後始末は終わったわ」

 

 つくづく便利な能力だと思う。

 忘却の境界を操作された彼らは、ここ数ヶ月間の出来事を完全に忘れて日常の中へと帰っていく。残された映像を見ても、破壊された街並みを見ても、それが鶴見ハジメの成し遂げたことに結びつくことは絶対にない。ハジメたちはもはや有名人ではない。どこにでもいる、ただの高校生だ。

 それでもあの出来事を見つめ続けた彼らの中には、確かに幻想の居所が根付いているはずだった。

 

「紫、俺のやったことは本当に正しかったのかな」

 

 故に幻想は確かに続く。しかし。

 

「自信ないの?」

「正直、な」

 

 事を起こしてから思う。確かに彼女たちは狂って死ぬという運命を逃れる代わりに力を失い、居場所を失い、人との同化を余儀なくされる。それによってこの先どれだけの不幸が生み出されるのか。

 

「それはこれから彼女たちが決めることね」

 

 紫の言葉に、頷く。それを見守る時間ならハジメには十分すぎるくらいに残されている。

 

「紫はこれからどうする?」

「しばらくはあちこち飛び回るわ。みんなに何が起きたかちゃんと一から説明して、こっちの世界での居場所を用意して。大忙しね」

「悪いな。面倒かける」

 

 何を謝ってるのよ、と紫は綿雲のような髪を巻きながら笑う。

 

「せいぜい楽しんでくるわよ。ユキも引きずり回して。あ、そうだ。忘れる前にコレ」

 

 紫に放られたものを受け取って確認すると、それはずっと昔に無くしたはずの五円玉だった。もはや五円であるかどうか分からないくらいにボロボロだったが、見間違えるはずがない。

 

「長かったなぁ」

 

 そこに刻まれている無数の傷を眺めていると、ようやく終わったのだという実感が沸いてきた。

 

「本当に、本当に。ここまでたった半年だったなんて、信じられないくらいに」

 

 人の流れに目を凝らしたハジメは、振りかぶると思い切り五円玉を放り投げた。それが一度だけ陽光を反射して、流れの中に消える。

 

「いいの?」

「もう俺には必要ない」

 

 母からもらったお守りに、ずっと理不尽への怒りをぶつけてきた。だが、それはもう終わりだ。

 

「俺は、俺の作った新しい世界を見つめて生きていきたいんだ」

 

 彼の視線の先には何事か興奮した様子で幻想の住人達と話す千晃とおーちゃん、その傍らで穏やかに佇む幽香がいる。しばらくして、打って変わって深刻な表情で紫が口を開いた。

 

「ハジメ」

「なんだ」

 

 彼女が言わんとすることは分かっていた。

 

「……幽香にあなたのこと、話すべきよ」

「今はまだその時じゃない」

「その時っていつ? 何もかも過ぎ去って、あの子が安らかに死んでいく時?」

 

 路肩のフェンスにもたれたまま、ハジメは細く長く息を吐いた。

 

「…………ごめんなさい」

「いや」

 

 分かっている。これはいつか直面しなければいけない問題だ。だが、幽香や家族にどう切りだせばいいのか全く分からなかった。

 

「じゃあ、行くわ。本当にありがとう」

 

 ためらいがちに紫が去っていく気配を背中で感じながら、ハジメは真上に昇った太陽を見つめる。

 

「よかったのさ、これで」

 

 そう。これでよかったのだ。

 全ての幻想は現代に吸収され、ゆっくりと力を失い、狂うこともなく衰退していく。幻想の住人と現代の住人が、同じ時間のスケールの中で生きることができる時代が来たのだ。

 

「ただ」

 

 たった一つの例外を残して。

 

『こういう時くらい笑えったら、カワイコちゃん』

「っ」

 

 忘れたくても忘れられない汗臭さが後ろを通り過ぎて行った。弾かれるように振り返ったハジメは、タンクトップの後ろ姿が手を振りながら雑踏に消えていくのを見つめ続けた。

 

「―――――ジョン。俺は。いや、さようなら」

 

 彼の憧れは飛び立った。とっくに死んだハジメの肉体がどれだけ保つのかはわからない。それでも彼はとうとう自由を掴み取ったのだ。

 

「じゃあな」

 

 明日のことは分からない。明日のことは明日考える。

 クヨクヨしていてもはじまんないな、と反動をつけて体を動かすと、幽香たちがハジメを待っていた。

 

「お話はもういいのか?」

「えぇ。もとからそんなに知り合いもいなかったし」

「みたいだな」

 

 確かに今までの幽香の言葉に嘘は無かったらしい。おっそろしい花妖怪と親しげに話すハジメたちにも好奇心の視線が注がれてくる。

 

「帰りましょう。私達の家に」

「あぁ」

 

 歩み寄ってハジメは幽香を抱きしめた。

 

「あ。ズルい」

 

 千晃が不平の声を上げるが、今回ばかりは止めようとしない。

 深く息を吸って彼女のにおいを確かめる。明らかに周囲がザワつきはじめて、彼は幽香の胸の中でほくそ笑んだ。

 

「あっ、ちょっと、恥ずかし」

「いいから。今だけでもじっとしていてくれ」

 

 流石に幻想郷の知り合いたちの前でイチャつかれると気になるところがあるのか、慌ててハジメの背中をぽこぽこと叩いてくる。

 

「子供みたいよっ」

「いいじゃんか。それも、そう悪いもんじゃない」

 

 それもいい。結局万場のいう通り幻想を卒業できなかった人類の幼年期は安らかに、そしてまだまだ続くのだ。

 

 

 

『日輪の物語』 おわり  next. Epilogue『季節は廻って』へ

 

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