風見幽香の殺し方【完結】   作:おぴゃん

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9『遅咲きの歓迎会(上)』

 トドメは目に見えない衝撃波だった。

 そいつにぶん殴られるのが何度目なのか、すでにハジメは数えることをやめている。とにかく数メートル上空に舞った体はくるくると無様に回転して、そのまま薄く積もった雪の上で二度バウンドした。

 

 今日の彼女はおそらく、実力の五千分の一くらいで相手をしてくれたのではないだろうか。どれだけ手加減したところで痛い目をみるのはいつもハジメであった。

 

 ボロ雑巾と化した青年の視界で、逆さまの幽香が何かを言っていることはわかる。しかし頭を打ったようで、あいにくと山彦のように声が遠く曖昧だ。

 いちいち聞いているのも億劫で、かわりに空を見上げる。朝方。ところどころを茜に染めた曇り空からはボタ雪がじゃんじゃん降り注いでいた。

 

「……いってぇ。バケモノ女め」

 

 毒を吐いて目を瞑る。火照った首筋に触れる雪が心地よい。

 

 四日前。

 ハジメは路地裏の不気味な世界を攻略し、幽香の力を借りながらも蝸牛の怪物を見事に撃退してのけた。そのときに啖呵を切って放った一発。その反動で、彼の能力に掛かっていた安全装置のようなものは完全に壊れてしまったようだった。

 

 幽香は『すみれ草のようにかわいらしい威力ね』と評してはいたが、人間と同サイズの怪物に風穴をブチあけるくらいの威力はある。それを、半ば衝動的にどこでも発射することができるようになったのだ。

 今のハジメは誰の目にも見えない小型拳銃を携帯しているようなものだった。

 

「ハジメ、そろそろごはんにしない?」

 

 冬空を仰ぐ視界に、真っ赤なコートを着込んだ幽香がひょこっと現れた。

 ハジメの持つ能力は確かに現代の社会では危険なものだが、目の前の女ほど奔放に破壊を振りまくようなものではない。

 

「ねえったら。もう、聞いてるの?」

「今さ、ちょっとノーシントー起こしてるところなんだけど」

「へぇ。それじゃあもったいないけれど、一人で食べちゃうんだから」

 

 いたずらっぽく笑って去っていく幽香。ハジメとしても空腹には逆らえないので体をむくりと起こす。ここ数日の『訓練』で液晶のひび割れた腕時計の表示は日曜の午前七時。

 学生としては眠っていたい時間だ。

 

『年末は学校がお休みになるのね!』

 

 お前にはもともと休みなんて関係ないだろうが、と学生特有の世間知らずさで答えてから数時間後。ハジメは心の底から後悔するハメになった。たとえウソでも学校へ行くフリをしておくべきだったと。

 

『あのね、ハジメ』

 

 それは昨日の夕食が終わった時のことだ。

 千晃が定位置のソファに戻っていき、父がテレビの野球中継にいつもどおりかじりつき始めた頃合に幽香がハジメに向かって席を寄せる。

 

『な、なんだよ。そんな改まって』

『明日デートしない?』

 

 その上目遣いの物言いに束の間言葉を忘れた。

 

『ダメ、かしら』

『な…………何時から』

 

 神に誓って、断じて、絶対に嬉しくなかったとハジメは頑として言い張る。しかし朝早くだというのにお弁当を持った幽香に起こされて文句を言いながらも準備をするのだった。

 やはりというか、それはモテない男子高校生のサガなのだろうか。

 

 そうして人気のない早朝の公園にまんまと連れ出されると、地獄の訓練が始まったのであった。

 

 これから約二週間に渡って冬休みというものが存在することを考えるだにハジメは気が重くなる。毎日こうして幽香のおもちゃにされて、五体満足で新学期に登校できるのだろうか。

 

 彼が体の上に積もった雪を払いながら立ち上がると、屋根付きの休憩所で幽香がポットから味噌汁を注いで待っていてくれた。

 

「まだまだチカラはへっぽこだけれど、立ち直りは早くなったわね」

「そうかよ」

 

 左腕での生活にも慣れてきた。

 頬にできたアザをさするのやめて暖かいコップを受け取ったところで、ハジメは休憩所の周りだけがほんのり暖かいことに気づく。彼の視線の意味に気づいて幽香は得意げに胸を張るのだった。

 

「寒いの苦手でしょ?」

 

 冷静に考えてみると奇跡のようなことを起こしながら、まるで出がけに母親がコートをあてがってくれるような優しさと気軽さだ。いちいちツッコミを入れていたら神経が持たないので、

 

「得意なヤツなんていないだろ」

 

 と、ぱっとしない憎まれ口を叩いて味噌汁をすする。幽香はいつものように微笑むだけだ。

 実際ハジメが一緒にいるときの彼女は笑ってばかりいる。何が楽しいのか、そもそも本当に笑っているのか。むしろ彼女がもとからそういう顔で生まれてきたと言われたほうが、ハジメとしては素直に納得できる。

 

「失礼よ」

「何が」

「人の顔ジロジロ見て、ため息ついたり勝手に頭痛を抱えることが。それで、今日はどうかしら?」

 

 ハジメはううむと唸った。

 幽香が弁当の感想を求めていることは明白だが、何度聞かれても慣れないもので、その度にハジメはコメントをひねり出す必要があった。未だ彼女に対して『悪くない』以上の感想を与えていない。

 

「お口に合わなかったかしら?」

「いや」

 

 絶対絶命のピンチを何度も救われた今となって、彼女を邪険に扱う理由は特にない。確かに彼女は半年後の殺害宣言をしているし、こうしてハジメをボコボコにすることが半ば日課となりかけているものの。

 それでも面と向かって感想を求められると、どうしても素直になれない。

 

「あー、不満はない、な」

 

 要するに照れくさいのだった。

 

「……もう」

 

 対する幽香はどこか不機嫌にハジメを睨みつけて箸を取る。

 ハジメに振舞う料理に関して彼女は真剣だ。ヘタに頭をひねるよりも、マズいと言い張っていた頃の方が、彼女は張り合いを感じているようだった。

 

「うん。不満はない」

 

 気の利いたことを言おうとして、もう一度言わんでもいい事を口走る。じろりとハジメを睨むと、幽香は身を乗り出して大きなからあげを一つ差し出す。それが何かと口を開いて、いつかの病院の記憶が脳裏をよぎった。

 

「ぐおっ」

 

 しかし時すでに遅し。

 子供のげんこつほどもあろうかという肉の塊が喉奥に滑り落ちていく。激しくむせて手をさまよわせるハジメの前から熱々の味噌汁を取り上げて幽香は一気に飲み干すのだった。

 

「うふふ。こういう時のハジメは相変わらずいい顔するわねえ」

「げっ……がッ…‥ちょっ、これ、マジ……」

 

 マジでヤバい。

 それでも幽香はギリギリのラインを心得ているので、ハジメが窒息する寸前まで、あくまで上機嫌にニコニコと見守るだけだ。

 

「この、サディスト、が」

 

 彼女が未だ本気を封印していることは明らかだが、本領はいかんなく発揮されているような気がしてならない。

 

 片や穏やかに微笑み、片や顔を真っ青に咳き込み。

 いずれも気づかぬまま、ホワイトクリスマスの朝はこうして明けていくのであった。

 

 ◆◆◆

 

「どうして主賓が買い出しするんだろうな」

 

 午後は戦わなくてもよくなった。

 幽香の歓迎会兼千晃のお見舞い会を開催するという雪之丞の提案はいつの間にか確定事項となっており、おまけに彼はあろうことかクリスマス当日に開催日をぶつけてきたのであった。

 

「おまけに料理の準備もよ。今回は流石にハジメや江梨花にも手伝ってもらうけれどね」

 

 ド田舎町の商店街には珍しく人通りが多い。

 年末商戦とクリスマスのセールに湧くアーケードを、重い買い物袋をぶら下げて二人は歩く。折角だから正月の準備もしちゃいましょうよと幽香が言い出した結果、ハジメは無事な腕で耐えうるギリギリの荷物を任されていた。

 ショーウィンドーに映る青年の姿は、すっかり彼女の荷物持ちが板についている。

 

「にしてもヘンな話だよなあ」

「ヘンな話よねえ」

 

 青年はふと足を止めて商店と商店の隙間へと目を凝らす。蝸牛の怪物が片付いてなお、そこには未だ異様な雰囲気が漂っていた。奥へと踏み入れば、あの不気味な世界はまだそこに広がっているようだ。

 

「あんな雑魚がここまで大掛かりなものを用意できるはずがない。あそこは誰かが別の目的のために作った場所かもしれないわ」

 

 赤いコートの襟を正す幽香の手には包帯が巻かれている。

 

「それを私たちが気にしたところで何の意味もないのだけれどね。さぁ、行きましょ」

「そりゃあ、そうだけど」

 

 いつも帰り道にブラブラ立ち寄るアーケードの裏側に非日常が横たわっていると考えると落ち着かないものがある。そうした怪異を路傍の石のように見過ごせるほど、幽香のいた場所は奇妙なものに満ち溢れていたのだろうか。

 花屋でクリスマスリースをしげしげと見つめる幽香の背中に、ハジメは疑問を放る。

 

「お前ってさ、どこから来たの?」

「幻想郷」

「何郷、だって」

「げんそうきょう、よ。妖精とか悪魔とか妖怪とか神様とか。そんな連中がお手々つないで仲良く――――はないかもしれないけれど、それなりに上手くやっている場所よ」

 

 軽い気持ちでした質問に、とんでもない答えがぽんと飛び出てきた。

 ぽっかりと口を開いたまま立ち尽くすハジメがよほど面白かったのか、幽香は声をあげて笑った。

 

「マジ?」

「マジよ。ハジメも一度来てみればいい」

 

 手を振って花屋に背を向けた彼女を見送るように軒先の花が一斉に揺れたので、ハジメは目を剥く。

 

「来てみればって。アンタの話が本当なら、そんな簡単にいけそうな場所じゃない気がするんだが」

 

 未だ熱烈な歓迎の気配を幽香に送り続ける花々を何度も振り返りながら、ハジメは彼女の後を追う。

 

「そうね。あそこは常識と非常識を分離する壁、というか結界のようなもので守られているのだけれど。こっちに来るとき邪魔だからぶっ壊してきちゃったわ」

 

 見えもしないだろうものを力づくで破壊して外の世界へ。

 

「それ、マズいんじゃないか?」

「知らないわ。誰も文句言わないから、きっと許されたのよ」

 

 文句を言えるようなヤツがいなかった、の間違いだろう。

 相変わらず幽香のむちゃくちゃぶりは気持ちがいいくらいだが、依然としてその力と対抗しなければいけない青年は乾いた笑いを漏らすことしかできない。それでも、彼は前ほど絶望しなくなっていた。

 彼は力を抜くようにふっと息を吐いて、ほくそ笑んだ。

 

「俺もあんたみたいに強くなれるのかな」

「難しいでしょうね」

 

 ハジメはがくりと肩を落とす。

 ちょっとやる気を出した途端にコレである。もしかすると目の前の女は命のかかった分の悪すぎる勝負にひいこら言う青年の姿を見て遊んでいるだけなのではないか。

 そう思うだけでも次第にハジメの表情は曇っていくのだった。

 

「そんなに気落ちしないでってば」

 

 焦ったように幽香が宥める。

 

「別に私を殺すのに、あなたが同じくらい強くなる必要はないのよ」

「言ってる意味がわかんねー」

「はいはい。少なくとも会った時よりはずっと強くなったわね。えらいえらい」

 

 そう言って、彼女は完全にヘソを曲げた青年の頭を唐突に撫で始めるのだった。

 

「ばっ、やめろったら!」

 

 振り回す手は紙一重で幽香に当たらない。あくまで自然な動きでハジメの反撃をいなしながら、尚も幽香のよしよし攻撃は続く。ハタから見れば、出来の悪い弟と、その扱いを心得た姉のようにしか見えない。

 今まで兄として君臨してきただけに、ハジメはどうしていいか分からなくなる。

 

「さて。これでハジメのご褒美は終了よ」

 

 心ゆくまでハジメを恥ずかしがらせて、幽香は頷いた。

 

「はァ?」

「あなたが強くなったら質問に答えてあげる。言ったでしょ?」

 

 まったくすぐに約束を忘れるんだから、と幽香は軽く唇を尖らせる。

 ハジメとしては聞きたいことがまだまだある。どうして俺だけじゃなく家族や世界まで巻き込む必要があるんだよ、とか。アンタは結局何者なんだ、とか。

 しかしそれに答えるのはハジメがもっともっと成長しなければいけない、ということなのだろう。

 

「前途多難だな」

 

 未だ自分の能力の全容すら把握していないというのに、ついに十二月もおしまいだ。来年になるとハジメはついに高校三年生で、進級だ模試だ進路だと騒いでいるうちに桜の季節がやってくる。彼にとって、それは決戦の季節だ。

 

「ま、急ぎはしないさ」

 

 それでも彼は、ゆっくりやっていこうと思う。

 蝸牛の怪物と戦って、束の間幽香と心を通じ合わせることができたようにハジメは感じた。それならば来年の五月までに彼女の心を変えてやればいいだけのことだと考える。

 骨は折れそうだが決して無理なことではない。

 

「そうよ。焦ってもいいことないわ」

 

 幽香は朗らかに微笑んだ。彼女がハジメの考えを見抜いたとしたら、甘いと断じるのだろうか。出来るんならそれもいいんじゃないのと頷いてくれるのだろうか。

 良くも悪くも、お互いにお互いの心中を察しきることはできていない。

 

「その通りだな。まぁ、お前が言うなよってカンジなんだけどさ」

 

 呆れたハジメは雑踏に視線を彷徨わせる。

 大賑わいの中での買い出しは長引き、時刻はすでに正午を過ぎようとしている。アーケード街の出口から見える駅前は真っ白だった。雪は降り止むどころか、いっそう勢いを増している。

 

「お?」

 

 駅前を早足に歩いていく人ごみの中にハジメが目を凝らす。

 

「どうしたの?」

「巫女さんみたいのがいてさ。なんていうか、こんなところで珍しいなって思って」

「そう」

 

 幽香もハジメの視線を追いかけるが、その姿はとっくの昔に人波に紛れて消えていた。

 

「文句を言いに来たのはアナタ。ってことね」

 

 意味深な幽香の呟きにも、その口元がわずかに鋭い笑みを形作っていることにも気づかないままに、ハジメは家路を急ぐ。雪はまだまだ降り続けるようだった。

 

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