とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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学園テロ編 兄と妹のできないもの

学園テロ編 兄と妹のできないもの

 

 

 

学園都市 外周部

 

 

 

魔術サイドからの襲撃者による正体不明の攻撃が街を急速に侵食していく。

 

治安を司る<風紀委員>と<警備員>はほぼ壊滅し、一部のメンバーはまだ動いているようだが、大半が死んでいる学園都市の機能をカバーできるほどではない。

 

幸いにして、攻撃を受けた者は意識を奪われてしまうので、暴動だの略奪だのパニックにはなっていない。

 

 

 

だが、それでもこのままだと学園都市は壊滅するのには変わりない。

 

 

 

<神の右席>、そして、<聖騎士王>の力は、どちらか片方だけでも街を破滅させるだけのものを持ち、また、原因不明の能力者の暴走が各地で起きている事から、今の学園都市が過去例を見ないほど最悪の状態に見舞われているのは、気付いた者なら誰でも分かる。

 

しかし、学園都市の防衛網は、<警備員>や<風紀委員>といった“表”と、“裏”がある。

 

そう暗部だ。

 

今、街中を駆け廻っている非正規の<猟犬部隊>と同じく闇に潜みし者達。

 

むしろ、彼らこそがこの街の守護者だと言っても良いかもしれない。

 

 

(ちっ、アレイスターのヤツ。一体何を考えていやがる。ただでさえ学園都市存亡の危機だと言うのに、外周に侵攻部隊まで控えているとは手の抜き過ぎだぞ)

 

 

その1人、土御門元春。

 

彼は、都市機能が正常に戻るまでの間、街の外で待機しているであろう戦力不明のローマ正教の侵攻部隊を絶対に敷地内に入れないよう食い止めなければならない。

 

正直、手が足りないのだが、裏の最深部へ住まいし、異能を使うプロの少数精鋭部隊は、もう既に別件で借り出されていてそれどころではない。

 

協力者はいないし、状況を打破できるスペシャルな兵器や魔術もない。

 

だが、

 

 

(この街には舞夏がいる)

 

 

裏の世界など何の縁もなく、ただ家政婦を目指している義妹の事を、彼は思う。

 

文字通り身体をはり命をかけて戦う理由はそれだけで良い。

 

 

(その他全てを裏切っても良いが、俺はアイツだけは絶対に裏切れない)

 

 

警備機能が完全に失われたゲートを潜り抜け、単身、土御門は学園都市の外へ出る。

 

陰陽道を極めた魔術師として、

 

役にも立たない能力者として、

 

目的は1つ。

 

大切な者のいる世界を守るために。

 

 

 

 

 

病院

 

 

 

それは不幸な不幸な事故。

 

何重もの安全装置に、最新の軽量化素材、全自動の速度管理プログラム、などといった耳聞こえの良い謳い文句の保証付きの安全で楽しい遊園地のアトラクション―――になるはずだった。

 

たった1回の誤作動。

 

試運転だと言うのに、最大加速で、制限されているはずの限界速度を大幅に上回り、

 

科学が生み出した最新鋭の機材は、それこそジェット機のような速さを叩き出し、

 

その勢いで敷かれたコースから外れてしまい、そのまま地面に激突した結果は―――この通り。

 

コンクリートの破片を撒き散らし、乗車していたある姉弟がグシャグシャに押し潰されてしまった。

 

 

「おい! 輸血のストックはまだか!」

 

 

病院に運ばれた時には、もうすでに姉の方は口がきけぬ状態で、咄嗟に姉に身を呈して庇われた弟は辛うじて意識がある程度。

 

それでも医者達は彼らを救おうとした。

 

消えつつある生命の灯火を―――しかし、

 

 

「2人に適合した血液のストックが1人分しかありません……!」

 

 

この姉弟の血液型は、B型の……Rh-。

 

大手術を成功させる為には大量の輸血が必要だ。

 

しかし、この特殊な血液型を病院側は2人分も用意する事は出来なかった。

 

 

「どちらか片方しか救えないのか……」

 

 

医者は頭髪を引き千切んばかりに頭を掻き毟る。

 

例え医者でも、人間だ。

 

正解が決して出ない問い。

 

選ぶこと自体傲慢過ぎて誤りなのだ。

 

だが、時間内に答えを出さないと、『2人とも見殺しにする』という選択肢を選んだ事になってしまう。

 

そう、選ばなければならない。

 

 

 

「先、生……」

 

 

 

 

 

 

 

身体中、まんべんなく。

 

背中から指先まで、鋭い痛みで満たされていた。

 

感覚という感覚が痛みにすり替わり、執拗に自分の形を刺激する。

 

だが。

 

それさえ、徐々に遠のいていく。

 

この痛みは、自分をこの世に留めている唯一の鎖。

 

この鎖を手放してしまえば、激痛から逃れられる。

 

 

 

「…お…願………です」

 

 

 

だけど、その声が引き留めた。

 

 

「せ、先生っ! 子供の意識が!」

 

 

「なっ、……君!」

 

 

どくん、と心臓が高鳴った。

 

痛みに抗うにはあまりに小さな、しかし、無視する事は決してできない声。

 

 

 

―――生きている。

 

 

 

良かった。

 

ああ、本当に良かった。

 

あの時、事故に遭い、意識を失う寸前で、神様に祈った。

 

自分の無事を、そして、何より弟の無事を。

 

周囲の人間達の会話の内容を、少女は意識していない。

 

ただ、意識の外で、確かに身体は聞いていた。

 

まともに、思考が働かないけど、自分達のどちらかしか生きられないのは分かった。

 

だから、弟の意識が目覚めつつある事を知り、安堵した自分は、ゆっくりとこの痛みの鎖を手放さそうとした。

 

 

 

けれど、神様に祈っていたのは少女だけではなかった。

 

 

 

 

 

「先生、お姉ちゃんを助けてください」

 

 

 

 

 

ファミレス

 

 

 

<神の右席>。

 

世界最大宗派ローマ正教の闇の闇の闇の闇の闇の闇の闇の闇の闇の果てに沈んでいる魔術サイドの最大深部の名前。

 

20億の信徒の中でも知っているものは一握りであり、例え知っていたとしても『知るに相応しくない人物』だと判断された場合は即刻処刑されるほどの秘匿されているローマ正教の中の最終兵器。

 

その内の1人で、科学サイドの頂点――学園都市全域の都市機能を麻痺させた狂信者が、『前方のヴェント』。

 

 

「痛みを感じるヒマなくグチャグチャの塊にしてやんよッ!!」

 

 

じゃらじゃらと鎖を揺らしながら、有刺鉄線付きのハンマーを無造作に振り回す。

 

標的との距離は、軽く5m以上も離れていて、1mを超す得物でも届かないはずだが、

 

 

ゴッ!! という爆音と共に風の塊が右から左へ広範囲にわたって突き抜ける。

 

 

空気を喰い、壁を破り、細かい残骸を中心に呑み込み、透明ではなく鈍色な風の鈍器。

 

当たれば身体は肉片を飛び散らせ、血霧を飛沫かせながら砕け散るだろう。

 

その重たい鉄球のような鉄槌が、上条当麻に横殴りの嵐のように打ちかかってきた。

 

しかし、それは所詮、幻想だ。

 

 

ドン!! と、風の鈍器は、当麻の右手に触れた途端、逆に弾けて消える。

 

 

無秩序に乱舞されたハンマーから生み出される風の塊は、真っ直ぐだけでなく、右や左からカーブを描くなど複雑な軌道で迫り来るが、当麻はそれらを右手で殴り、まるで風船を割るかのように簡単に破裂させていく。

 

あらゆる異能の力を打ち消す<幻想殺し>に、触れて殺せなかった幻想はない。

 

 

「……ッ!!」

 

 

しかし、それでも上条当麻は中々攻め切れずにいた。

 

如何に己の右手が異能の天敵だろうと、手が届く範囲にしか効力はない。

 

だが、このヴェントまでの5mの間合いを詰められない。

 

 

(ちくしょう! ズレてんのは分かってんのに釣られちまう……ッ!!)

 

 

ハンマーは(フェイク)

 

衝撃波を生み出すのは、ヴェントの下と長い鎖で繋がった十字架のアクセサリ。

 

ギラリと不自然な光を放つ十字架の縦横無尽な軌道になぞるように風の塊は誘導される。

 

それが受けに回り続けている理由の1つ。

 

攻撃回数こそそれほど多くないが、ハンマーと鎖の動きはそれぞれ異なり、

 

上から下に振り下ろされたと思えば、鎖はカーブを描き、

 

真横にハンマーが振るわれたと思えば鎖は下から上へ向かっている。

 

『攻撃のモーション』と『実際に飛んでくる攻撃の方向』がそれぞれズレているのだ。

 

少しでも視角を騙されれば、反応が遅れて身体を切断されてしまう。

 

それでも、少しずつ進んでいくが、

 

 

「やっさしいわねー」

 

 

あっさりと。

 

ジリジリと距離を詰めていく当麻を嘲笑うかのように、軽々後退し間合いを広げながら、ヴェントは、囮のハンマーを2度、3度振り回し、本命の鎖をじゃらんじゃらんと揺らす。

 

危うくハンマーが舌の鎖を掠め、ピアスを引き千切りそうになるが、ヴェントはそんなスリルを逆に楽しむかのように、オレンジ色の火花を散らせる。

 

 

「そんなに見ず知らずの人間が心配かしらー?」

 

 

そして、その攻撃の対象は、上条当麻ではなく、その軌道と同じく無秩序。

 

ヴェントは『例え日本という一国家を潰してでも上条兄妹を殺せるなら問題ないのだ』。

 

 

「テメェ!!」

 

 

「んーふふー? 今更熱くなってどうすんのよ。学園都市が今どうなってっか分かってんでしょ。私が他人を気にするような性格なら、最初からあんな真似はしないわよん」

 

 

「くそっ!!」

 

 

もし、上条当麻がこの風の鈍器を後ろに逸らせば、背後のあちこちに転がっている仮死状態の上条当麻とは無関係の店員や客がいる。

 

さらに、直接攻撃を受けなくても、壁や天井、柱にぶつかれば、建物にダメージが溜まり、いつか全壊してしまう。

 

そうなれば、ファミレス店内にいる人間は全員生き埋めだ。

 

ただでさえ好き勝手に動き回り、自由自在に逃げ回れる事の出来ない狭い場所だと言うのに、人質を取られて、行動を縛られてしまう。

 

ヴェントはそれが分かっているからこそ、無軌道に、無秩序に、無差別に、風の鈍器を放つ。

 

当麻の体は、野球のノックのように右へ左へ翻弄され、<幻想殺し>では防げない壊れたテーブルや床の破片に血塗れになっていく。

 

そして、一歩前進すれば、向こうは二歩後退する。

 

絶望的に埋まらない2人の距離。

 

 

(くっ、こんな所で手間取っている余裕なんてねぇっつうのに!!)

 

 

これは、上条当麻が諦めた時、終わる戦いだ。

 

今は何とか堪えているが、焦りに精神が溺れていく。

 

あの<聖騎士王>とかいう怪物が詩歌に迫りつつある。

 

もしかしたら、もう激突しているかもしれない。

 

 

―――いや……

 

 

もし、

 

 

妹も仮死状態だとしたら、

 

 

出会った瞬間に、殺されている。

 

 

 

「ああああああああああぁぁぁッ!」

 

 

 

既に顔中血だらけだった。

 

おかげで、泣いてもそうと分からない。

 

生きている限り足を踏ん張らずにはいられず、

 

戦っている限り手を伸ばさずにはいられず、

 

けれど、進まない限り胸は張り裂けそうだった。

 

 

「ぎゃははははははっ!! たっのしぃーい!」

 

 

愚兄をあしらいながらヴェントはニコニコと微笑み続ける。

 

哄笑と共に、鎖の先端に付けられた十字架がチカチカと、2度3度にわたって点滅が続く。

 

そこで、ヴェントは、あてが外れたと言った調子で眉を顰める。

 

 

「なるほどなるほど、<幻想殺し>、って言ったっけ? その右手、報告に遭った通り効き目抜群みたいねぇ。所々に織り交ぜている私の本命が全く効いてないわー」

 

 

ヴェントは“今まで受けてきた事のないほどの直接的な敵意”を浴びながらも、興味深そうに目を細める。

 

 

「ま、でも、これで終わりっと」

 

 

ゴッ!! と、一層強く風の鈍器を振り落とす。

 

狙うは上条当麻のすぐ手前の床。

 

床材がめくれ上がり、大量の木片へと変貌し、鋭い破片となって当麻の体に襲い掛かる。

 

 

「ぎっ、アァああああああッ!?」

 

 

1ヶ所を刺されるというより、全身を叩かれた。

 

手足に鋭い痛みが走り、内臓が爆発したように苦い唾液と嘔吐感が押し寄せ、膝がかくりと落ちた。

 

破片が転がる店内の床に跪き、けれど、倒れる事だけは拒絶した。

 

荒い息を吐き、朦朧とする頭を振って、必死に意識を回復させる。

 

 

「オイオイ、私をブン殴るんじゃなかったのカナ? 早くしないと、アンタの妹は死んじゃうわよー」

 

 

「俺は―――、俺は―――、絶対に詩歌を殺させねぇ」

 

 

状況は最悪だとも分かっている。

 

それでもやらずにはいられなかった。

 

 

「どんな無理だって、俺が、詩歌を犠牲にする理由がどんなに立派だとしても、そんなクソッたれな幻想はぶち殺してやる!」

 

 

興奮と苦痛の大波に翻弄され、頭が回らなかった。

 

しかし、たとえ搾りカスだとしても、上条当麻の大事な部分は変わらない。

 

そして、

 

 

「ふん……」

 

 

当麻が吠えた時、ヴェントの嘲笑の温度が下がり、

 

 

 

 

 

「……それは、姉の命を救う為でもか」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……私の弟は、科学によって殺された」

 

 

 

ヴェントは語る。

 

 

「遊園地のアトラクションの試運転(モニター)で誤作動を起こしたおかげでね。幼い私は弟と一緒に、2人揃ってグチャグチャの塊になった。科学的には絶対に問題ないって言われてたのよ! 何重もの安全装置、最新の軽量強化素材、全自動の速度管理プログラム! そんな頼もしい単語ばかりがズラズラ並んでいたのに!! 実際には何の役にも立たなかった!!」

 

 

未だに当麻の身体機能は正常に働いておらず、混乱している。

 

それでも、ヴェントを見ない訳にはいかなかった

 

当麻は戦闘中なのに、動揺したように瞳が揺れる。

 

 

「B型のRh-。今、私の中に流れている血は、病学的にはとっても珍しいモノだって医者は言ってたわ。輸血のストックもそうそう簡単には見つからない。じゃあ、病院に運ばれた私達姉弟はどうなったと思う?」

 

 

彼女の口から言葉が吐き出される度に、店内の闇が濃くなっていくような気がする。

 

当麻はその闇に抗うように深呼吸を繰り返し、なのに、それでも徐々に敵意が薄れていく。

 

 

「2人分の輸血なんて用意できなかった。方々に連絡しても1人分しか集まらなかった。それまで死にかけのまま待ち続けた私達は、医者達から絶望の話し声を聞いたわ。どちらか片方しか救えないって。そして私だけが生き残った! お姉ちゃんを助けて下さいって、そう言ったあの子はそのまま見殺しにされたんだ!!」

 

 

ひょっとしたら、彼女は別の話をしてるんじゃないかと思ったし、そう思いたかった。

 

けれど、上条当麻自身こそが、それが幻想ではないと認めてしまっている。

 

 

「上条当麻。アンタの言う通り。どんな理由があろうと弟が犠牲になるのは間違ってんだ! 血が足りなければ回せば良かったのよ! 何なら私の血を全部回しても良かった!! なあ、上条当麻、そう思うだろ?」

 

 

ああ、駄目だ。

 

否定できない。

 

上条当麻はそう感じてしまった。

 

 

「だから、テメェは……」

 

 

「ええ、もう言わなくても分かるでしょう? 私が、世界を統べる<神の右席>を利用してでも科学を潰したいほど憎んでんのよ! 私は弟を見殺しにした科学が嫌い! 科学が憎い! 科学ってのがそんなに冷たいものなら、全部ぶち壊してもっと温かい法則で世界を包んでやる! それが弟の未来を食い潰した私の義務だ!!」

 

 

ヴェンドは、逆だった。

 

どちらも根本は一緒であったのに、大切な愛する者の生死がその運命を枝分かれにした。

 

妹に生かされ、『疫病神』をやめた上条当麻とは逆に、ヴェントは弟に生かされ、『疫病神』になった。

 

もし、上条当麻が、三沢塾で上条詩歌を失っていたとするなら、間違いなく魔術を嫌い、魔術を憎み、魔術の全てをぶち壊そうとしていただろう。

 

今、目の前で対峙しているのは、違う道を選んでしまった己だ。

 

 

「最後のチャンスだ」

 

 

そして、その言葉は淡々と、けれど、ふざけた調子は一切ない。

 

ヴェントもまた気付いたのだろう。

 

いや、最初から分かっていた。

 

 

 

己と置き換えた上条当麻に失敗した道を歩ませない事で、ヴェントは納得しようとしている。

 

 

 

当麻は、断頭台に頭を差し出すように項垂れてしまう。

 

頭で考える事ができても、それはあくまで想像に過ぎない。

 

嘘だと思えば、あれは空想だったといつでも逃げる事ができる。

 

しかし、上条当麻は割り切る事ができずに、正面から受け止めてしまい、共感してしまった。

 

 

「今、この場で大人しく殺されろ。そしたら、この学園都市を壊滅させても」

 

 

一瞬間を置いてから、ヴェントはもう一度当麻に最初と同じ選択肢を与える。

 

 

 

「妹の命は助けてやる」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「―――っ」

 

 

当麻は、自分の鼓動が跳ね上がったのを感じた。

 

そして、手が震えだす。

 

 

(……くそ……!)

 

 

詩歌が魔弾に撃たれてしまった事を思い出してしまったせいだ。

 

脳裏にあの時の光景が甦る。

 

決して忘れる事の出来ない失敗が容赦なく当麻の心を飲み込もうとする。

 

だから、

 

 

(……やっぱり、できねぇ……)

 

 

上条当麻は思う。

 

とてもじゃないが、できない、と。

 

そう――――

 

 

「―――、」

 

 

ヴェントが誰かの名前を零し、両手でハンマーを構え、上体を逸らして大きく振りかぶる。

 

 

ドンッ!! と。

 

瓦礫を舞い上がらせるほどの勢いでハンマーを叩きつけ、鎖の十字架が天井から流星の如く地面へ―――

 

 

 

 

 

「―――詩歌を『疫病神』にさせるような真似は、死んでもできない」

 

 

 

 

 

ゴッ!! という轟音が響く。

 

明かりのない廃墟のようなファミレス店内に、鉄のような匂いが充満した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ごぱっ、という水っぽい音が、暗いファミレス店内に響いた。

 

血の塊が、ぼたぼたと床にこぼれていく。

 

上条当麻―――のではない。

 

だが、間違いなく鮮血だった。

 

当麻は右手を頭上へ、風の鉄槌を打ち消した姿勢のまま固まっていた。

 

 

「ごっ……」

 

 

口元から吐血するヴェントの姿を呆然と見つめながら。

 

 

(何が……)

 

 

当麻の目の前で、彼女は体をくの時に折り曲げ、口に両手を当てて、ごぼごぼと短く咳き込み、その度に、指の隙間からぬめぬめした赤色の重たい血液がこぼれていく。

 

 

「が、は。ああ」

 

 

ふらふらした動きで、1歩、2歩と後ろへ下がる。

 

その仕草に、これまでの余裕はなかった。

 

演技しているようには見えない。

 

本当に苦しんでいるように思える。

 

 

「……っ!?」

 

 

けれど、その血走った目は訴えていた。

 

 

 

―――この裏切り者! テメェの命惜しさに妹を見殺しにするのか! と。

 

 

 

当麻はその視線に押され、この決定的なチャンスに踏み込めずにいた。

 

それでも、違う、と叫びたかった、が、

 

 

「ぐ、ァァあああッ!!」

 

 

その前にヴェントはぐるりと方向転換すると、見当違いの方へ有刺鉄線を巻いたハンマーを振り回し、ごばっ!! という重たい破壊音と共に壁に大穴を空ける。

 

ヴェントはそちらへまるで酔っぱらいが千鳥足を踏むようにふらつきながらも走る。

 

 

「待て―――っ!?」

 

 

追いすがる当麻に、殴りかかるような乱雑で暴力的な動きで、2発、3発と牽制を放ちながら、彼女は建物の外へと飛び出して行ってしまった。

 

 

「……、」

 

 

正直、追うべきなのか、逃げてもらって助かったのか、よく分からない状況だ。

 

 

(なん、だったんだ?)

 

 

ヴェントは建物の外から、この店ごと当麻を押し潰すような事はしなかった。

 

他の客に気を遣うような性格をしているとは思えないし、当麻の事を裏切り者だと憎んでいる。

 

おそらく身に起き大変に対処するのが精一杯で、他の事まで頭が回っていないのだろう。

 

愚兄は、降りかかってきた新たな問題を、少しずつ整理していく。

 

 

 

<神の右席>。

 

『前方のヴェンド』。

 

ローマ正教。

 

そして、<聖騎士王>。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

『嗅覚センサー』を誤魔化す為に、匂いの粒子そのものを化学物質に作り変える洗浄剤を手に入れた。

 

これで、こちらの位置を一方的に探知されるのは防げたはずだ。

 

それでも現状況は中々に厳しい。

 

まず第一に、能力を使えない。

 

バッテリーはまだあるのだが、このAIM拡散力場が狂っている状況下で、迂闊に演算を行えば、暴走し自滅する恐れがある。

 

この原因が何なのかは未だに不明だが、それでもバッテリーの事もあるし、今は能力を使わない方が良いだろう。

 

そして第二に、打ち止めの捜索が困難。

 

位置が不明なのもあるが、例え打ち止めの身柄を確保したとしても、ハイエナどもと乱戦になってしまえば流れ弾を喰う羽目になりかねない。

 

従って、面倒だが数を減らしながら、虱潰しに捜すしかない。

 

最後、第三に、<猟犬部隊>に囲まれた。

 

この能力が使えず、治安維持が麻痺している状況下は、能力者でなく、実戦兵器を装備している非正規工作員集団に大変有利な事だろう。

 

『嗅覚センサー』でハイエナらしくこちらの匂いを嗅ぎつけた奴らは、わざとセキュリティに足を引っ掛け、監視カメラに尻尾を振って、ご丁寧に挑発してきた。

 

これでは、最低でも奴らを相手にしなければ、本命の捜索には手が回せない。

 

 

 

しかし、これは予め想定済みだ。

 

 

 

きっと向こうは涎ダラダラにして、追い詰められた『赤ずきん』に、さあさあどう齧り付こうかと悩んでいるかもしれないが、ここについた時から、『匂い』の痕跡を辿りながらあとを追って来るであろう『狼』に対して『おもてなし』の準備は、洗浄剤の捜索と同時に進めてある。

 

つまり、第三だけは訂正で、飼い主の命に従って、匂いに釣られてやってきた駄犬どもはこの『犬小屋』に入れば、それで最後だ。

 

丸裸で“遊んでやる”のはこれが初めてなので、加減を間違って、無傷では済まさず鳴かせてしまうだろうが躾けてやるにはちょうどいいだろう。

 

と、モニタから様子を窺っていた一方通行の隣から、もう1人の『赤ずきん』、上条詩歌が、

 

 

「では、あー君、手を貸してください」

 

 

「あン?」

 

 

断りを入れるが了承を待つ事なく、無理矢理、一方通行の杖を抱えている方とは反対の、放りだされた左手を詩歌は両手で包み込むように捕まえる。

 

必然、杖付きの身で逆側に引っ張られれば、体はいとも簡単に傾き、たたらを踏んでしまう。

 

従って、彼女の手の平に体重の負荷がかかってしまうのだが、こちらはバランスを崩さず、

 

 

「オイ、いきなり何を―――」

 

 

そして、真っ赤な瞳に凄まれても、表情を崩さずに、

 

 

「<一方通行>、同調」

 

 

体に、心に―――すうっと冷たい感覚が流れ込んだ。

 

心地良い、清涼な香り。

 

一方通行の中で、透明な水が隅々まで通り抜けるように、ベクトル操作を邪魔する枷が、未だに燻っていた残り火を鎮め、癒していく。

 

 

「あー君の力の乱れを正常にしています。どうですか? 楽に慣れましたか?」

 

 

<幻想投影>で、元の状態を投影し、『同調』により、強化や進化といった『上化』だけでなく力を生み出す源泉――心の異常を『浄化』する術を詩歌は会得している。

 

肉体的な傷はとにかく、精神的な痛みは和らげる事ができる。

 

一方通行も原因不明のしこりが洗い流され、薄まり、消えていく。

 

でも、それよりも、

 

 

「ああ……触れねェと駄目なのか?」

 

 

「ええ、触れなくてもできますが、単純な『同調』とは勝手が違って、結構繊細な作業なので、距離が離れ過ぎると疲れるんです」

 

 

その左手を包む両手。

 

皮膚に触れる指先の意外な冷たさや柔らかさの感覚に、心臓が高鳴る。

 

理由があり、彼女も真剣であり、戦闘前に不安要素を取り除くためであり、つまりは、100%“ただの善意”のため、そして、それを意識してしまっている事を悟られたくない。

 

理由を話せないし、手を離せないし、この感覚を放せない。

 

ぞわぞわと、さわさわと、こちらを優しく侵略していくが、それでいて不快ではなく―――自然と受け入れてしまう温かな感情が、その白い少年の一番奥にふわりと灯る。

 

それを認めてしまうのがどうしても腹立たしく、

 

 

『オマエの皮膚の五割を剥いでやる。それでもまだ生きてたら許してやるっつってンだよ』

 

 

そして、この手はやはり汚れている。

 

両者ともその肌の色は白いが、一方通行の目には自分の手は彼女と対比して黒く写っている。

 

 

「……離せ。もう十分だ」

 

 

「ん……、もういいですね。これならいざという時に能力を発動して問題ありませんね」

 

 

そして、念のためもう一度だけ『同調』すると頷いて、彼女は手を離した。

 

ありとあらゆる能力を使いこなす<幻想投影>。

 

同じ<一方通行>を使っても、自分と彼女ではその方向性(ベクトル)は真逆だ。

 

もし彼女に<一方通行>があっても、決して自分のように怪物にはならないだろう。

 

でも……

 

 

『私も打ち止めさんは心配です。そして、あー君がそう思っているのと同じように―――あー君。私はもう、あなたの手を汚させたくない』

 

 

もし……

 

もし………

 

『この一方通行という怪物が、誰も殺す事なく、人を救えたのなら』……

 

そんな不可能ができたのなら……彼女のわがままに付き合うのも悪くないのかもしれない。

 

 

(チッ……平和ボケしてヤキでも回ってンのか)

 

 

そうして、『赤ずきん』は覚醒する。

 

 

 

 

 

第三資源再生処理施設

 

 

 

「『匂い』の反応からするとやはりこの第三資源再生処理施設へ続いているわ」

 

 

「厄介な所に逃げ込まれたな、ナンシー」

 

 

「ええ、でも、2人も標的がいるならむしろラッキーよ」

 

 

第三資源再生処理施設。

 

第5学区にあり、2km四方にわたる広大な敷地には、直径100m超の円筒形の燃料タンクがズラリと並んでいたり、無数の煙突が突き立った工場があったりと、どこか海岸の石油化学コンビナートを連想させる。

 

この巨大施設は、周辺4つの学区からのゴミも面倒を見ており、元々の資源が乏しい学園都市では、基本的な紙資源から、鉄やアルミといった金属、ゴムやプラスチックなどの石油製品、その他にも多くの物質を無駄にはできない。

 

その為にゴミという『資源』を回収し、使える形に加工するの施設がここである。

 

 

 

つまり、このクズみたいな人間が戦う場所としては、あまりにもうってつけだ。

 

 

 

<猟犬部隊>。

 

学園都市の裏で非合法活動を担当する組織。

 

リーダーは木原数多で、他のメンバーは全員が数多に命名されたコードネームで呼ばれている。

 

ヴェーラ、オーソン、ケインズ、マイク、デニス、ナンシー…………と男女問わず皆揃って軽蔑すべきクソ野郎だ。

 

事件の容疑者を追い詰める快感にのめり込んだ元<警備員>や、取り調べに『傷の付かない拷問』を持ち込んだ分析技術者、14人もの人間を殺した殺人犯など。

 

連帯感もなにも仲間なんて言葉は存在しない組織だが、1つだけ絶対がある。

 

それは、木原数多には逆らわない。

 

もしあの男が怒り狂えば、“殺してさえも”もらえないだろう。

 

どんな怪物だろうと、殺す程度しかできない奴とは、格が違うのだ。

 

故に、ここに合流したクズどもは、因縁があり邪魔するであろう第1位と、それに巻き込まれ、木原数多の怒りを買ってしまった憐れな少女を死んでも捕まえる。

 

装備を確認し、警報装置も全て切断、建物内の見取り図も<書庫>から入手済み。

 

この施設にターゲットがいるのはおそらく、この『嗅覚センサー』を誤魔化す為であろうが、残念な事にもう見つけてしまった。

 

今の<猟犬部隊>はこちらをいきなり奇襲してきた正体不明の敵に対する陽動、打ち止めを追っている別働隊、木原数多の周囲を固めるガード係など、あちこちに戦力を分散してしまっているが、幸いにしてここにターゲット2人が固まっている為、10人、10人の計20人集まっている。

 

相手を逃がさぬよう、1部隊10人とし、慎重に二手に分かれて挟み打ちで攻める。

 

けれど、

 

 

「ヤツが力を使って突破してきたらどうする」

 

 

「大丈夫」

 

 

ロッドの声にナンシーは施設へ視線を向ける。

 

そこにあるのは分厚いコンクリートに金属製のパイプが何重にも絡み付いているような重工業施設のような建物。

 

きっとこの工場内は、外部との電波通信の精度は落ちるだろうし、その上、資源再利用のために、ベルトコンベアやプレス機など、かなりの大型モーターが稼働しており、強力な電磁波が撒き散らされている。

 

第1位は、脳に大きな怪我を負っており、今はある電子情報網から代理演算を任せる事で能力が使える状態で、この中では完全には使えないだろうし、暴発の危険があるためほぼ確実に施設内では能力を使わない。

 

もう1人の少女の存在が不気味だが、第1位以上の脅威はありえないだろうし、それに、『今はどんな能力者であろうと能力を使うだけで自滅する』という木原数多の意見がある。

 

木原数多の言葉は絶対だ。

 

信頼できるできないの問題ではない。

 

なので、自滅覚悟まで追い詰める前に、一気に対象を始末する。

 

 

「あそこにいるのは杖が無ければ歩けない手負いの獣と、そのツレの可哀想な少女だけ」

 

 

そうして、狼たちは『犬小屋』の中へと音もなく侵入した―――瞬間、

 

 

「よ―――」

 

 

視界が、真っ白に埋め尽くされた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『あー君、『三枚のお札』という昔話って、憶えてます?』

 

 

『あン? この前テメェがガキに読んでいた奴かァ?』

 

 

『あれって、似ている所がありますけど猟師に助けられた『赤ずきん』とは違って、『小僧』はちゃんと後を追ってくる山姥に和尚様のお札を使って自力で脱走しているんですよね。そこが今の私達の教訓になると思うんです』

 

 

『ふうン』

 

 

『つまり、逃げるなら、まず罠を仕掛けろという事です。<警備員(りょうし)>さんの助けが無い私達は『赤ずきん』じゃなくて『小僧』を見習うべきです』

 

 

『『三枚のお札』はそォいう話じゃねェ気が済ンだが。だから、こうメンドくせェ仕掛け作ってンのか』

 

 

『ええ、能力があまり使えるような状況じゃありませんから。でも、死なない程度に『味付け』は調整してありますけど料理と同じようにちゃんと舌の肥えた人も唸らせるように『隠し味』も入れてあります。こう見えても私、昔親友に誘われて、爆弾――じゃなくて、花火を作った事もあるんです。今度教えましょうか?』

 

 

『結構だ。……ンで、その奇妙なカードは何だ?』

 

 

『これはこの前、イギリスから私のお兄ちゃんに送られてきた『和尚様』からの『お札』です』

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

建物中には罠が仕掛けられていた。

 

罠といっても、ほとんどが至極単純なワイヤー・トラップ―――と見せかけたただのハリボテだ。

 

慎重にワイヤーの先を辿ってみれば、ただ柱に結ばれているだけである。

 

それでも、その中のいくつかは、忍者仕込みの実に凝った作りになっており、また本当に爆弾が仕掛けられているので子供騙しと馬鹿にはできない。

 

現に、引っ掛かって重体になり、任務続行不可能な者もいる|(そいつらはそのまま放置した)。

 

しかし、この薄暗い中で、極薄のワイヤーを見分けるのは時間がかかり……

 

 

「5個目のトラップを発見……またダミーです」

 

 

「また……?」

 

 

「もう全部ダミーじゃないのか? 所詮は穴熊に追い詰められた鼠の悪あがきだ」

 

 

「けど……そう思わせる為のダミーじゃないのか? 一緒に逃げたオーソンの装備の中には起爆剤も入ってたんだぞ」

 

 

兵隊にも種類がある。

 

ジャングルでの活動に人質を巡る交渉術は必要ないし

 

都市型のスナイパーは無人島での生き方を覚えなくても問題はない。

 

無駄を省き、その時間を別に回し、1つ1つの分野に特化した訓練法を採用するからこそ、尖った実力の特殊な部隊が数多く作られる。

 

<猟犬部隊>は工作員として優秀ではあるが、ゲリラ戦の訓練までは積んでいない。

 

つまり、今の状況は、砂漠戦の為に訓練を積んだ兵隊たちが北極圏の雪山を歩かされるようなものに等しい。

 

 

「対象はまだこの建物内にいる。慌てずにゆっくりと仕留めればいい」

 

 

こちらの方が数は上で、向こうを追い詰めている立場に変わりない。

 

しかし、逆に奥へ奥へと誘い込まれているような悪寒も拭いきれないのだ。

 

そう、落ちた『栗』を辿って山姥の住処に踏み込んでしまった『小僧』のように……

 

 

「くそっ、調子に乗りやがって! ガキのくせに!」

 

 

「おい! 勝手な行動は慎め―――」

 

 

隊員の1人がこの一歩一歩も油断できない緊張に痺れを切らし、まだ確かめていない罠を踏み切った。

 

 

「馬鹿野郎!」

 

 

踏み切った隊員を除く全員がその場に伏せる。

 

 

 

 

 

 

 

が、反応は………ない。

 

 

「ははっ、そら見ろ! きっとアイツら臆病風に吹かれているテメェらを見て笑ってんだぜ! 俺達はプロだぞ! なのにこんなふざけたハッタリに怯えてんじゃねぇよ! こうしている間に逃げちまうぞ! だから、さっさと化けの皮を剥いでやろうぜ―――ん? 何だこれ」

 

 

そして、彼は壁に貼られたカード。

 

『爆ぜろ』と書かれたメモが添えられ、奇妙な文字のカードに触れ――――

 

 

 

「は――――」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

魔術においてもっとも簡単な発動儀式は『触れる』ことだ。

 

このカードはルーンにかけては天才的な赤髪の神父が作ったもので触れれば、大きな爆発音、それから、少しの火花が飛び散るというパーティグッズのようなものだ|(とある愚兄への呪詛はかなり込められているが)。

 

しかし、この魔術を知らない工作員には、意図知れず自分で術式を発動させてしまった。

 

その原因不明の爆発が起きたとパニックになるきっかけには充分で、近くにあった本命の『罠』を発動させ、それが他のもドミノ倒しのように爆発を連鎖させてしまった。

 

 

 

そして、それはヴェーラにとっては一瞬の出来事だった。

 

 

 

「ひっ、一体何なのよう」

 

 

電波障害でとぎれとぎれになる無線の向こうから聞こえた連続した激しい音は、別働隊が喰らってであろう、凄まじい『罠』の威力を間接的に物語っていた。

 

そして、その影響は彼女だけでない。

 

その無線を聞いた全隊員にも伝播している。

 

『罠』を解除する術を身に付けたはずの別働隊が、引っ掛かってしまった。

 

無線機から漏れる呻き声で死んではいないがパニックになっているのは伝わってくる。

 

今のは一体何だったのだ!?

 

どこに仕掛けがあったのだ!?

 

ワイヤー・トラップ以外にも何かあるぞ!?

 

これは悪魔の仕業か!?

 

わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない……

 

<猟犬部隊>を不安に陥れ、ますます足を遅く、そして思考を単純にしていく。

 

この『赤ずきん』、殺しはできないが、半殺しは得意中の得意だ|(ついでにドS)。

 

そして、大切なものを狙う輩に慈悲などない。

 

 

 

「え―――」

 

 

 

背後でフッと立ち上った気配に背筋をゾクリと舐め上げられ、息を詰まらされた瞬間、膝関節を横から蹴り飛ばされた。

 

蹴られた膝から、ゴキリ、と嫌な音が響き、全身が痺れるような痛みを感じてバランスを崩した瞬間、下がった顎に下から膝蹴りを叩き込まれ、目の前に盛大な星が飛ぶ。

 

人間にはリアクションタイムがあり、平均的な時間は15秒。

 

奇襲を受けてから普通の人間は数秒無防備だ。

 

不味い、と思った時にはすでに立っている事もできず。

 

 

「師匠が教えてくれたのは、武術だけじゃなく、ゲリラ戦法もあるんですよ」

 

 

咄嗟に壁に手を着こうと伸ばした手を掴み上げられ、そのまま肩と肘の関節を固められ、ガードもできないまま顔面を何度も何度も硬い壁に叩きつけられ、

 

 

「あ、大丈夫ですよ、寝てても。ゆっくりとおやすみなさい」

 

 

その声を最後に、ヴェーラは意識を失った。

 

そして、少女は落ちた無線機を拾うと、

 

 

 

「さてさて、俎板の上の『狼』は『猟師』にお任せしますか」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

カキン、と。

 

その時、小さな金属音がケインズの思考を遮った。

 

 

 

「!?」

 

 

 

ケインズ達は一斉にそちらへ銃口を向ける。

 

しかしそこには誰もいない。

 

隠れるスペースもない。

 

ケインズは体勢を保ったまま、すぐ近くにいる同僚に目と指を使ってコンタクトを取る。

 

 

「(……機材を出すものとは独立した音だったな)」

 

「(……俺も同感だ。だが人にいるにしては、隠れる場所が無い。何より有利なポイントとは思えない)」

 

「(……何か音の出る物を投げたという可能性は?)」

 

「(……だとすると、標的はすぐ近くに潜んでいる事になる)」

 

 

全員に緊張が走る。

 

 

「(……おい。『嗅覚センサー』は)」

 

「(……待て。今、分析が終わる)」

 

 

鼓動が速くなる。

 

引き金に掛かる人差し指が小刻みに震えた。

 

皮膚と手袋の間に、うっすらと汗が湿る。

 

直後、

 

 

 

『……聞こえるか。ワイヤー……以外にも何かがある。……迂闊に動くな……危険……』

 

『……ぐがッ、……く、……かか、……かかか………!』

 

『……奴らは銃を使ってくる。気を付けろ。奴―――』

 

『一方通行が暴走! 至急こちらに応援を! 応―――』

 

『なっ、出入り口に待ち構えて―――』

 

『バギョッ!! ………ザザ…ザ……』

 

 

 

「(……全員無線を切れ!)」

 

 

もうどれが本物で嘘かも分からない。

 

分からないのは分かっているのだが、これを聞いていると、もしかすると既に自分らを除く全員が餌食になったのでは、などと連想してしまう。

 

“信じない”という事が、出来なくなってしまうのだ。

 

これ以上の混乱を避けるために、彼らはすぐに無線機を切る。

 

 

「(……最悪だ……。最悪の1日よ)」

 

 

しかし、無線を切った、同僚との繋がりを断絶した途端、急に心細くなってきた。

 

精神面からボロボロに追い詰め、まともな判断能力を奪い、やがて、呆然と立ち尽くすだけしかできなくなってしまう。

 

と、さらに、

 

 

 

ガチン、と。

 

今度は全ての照明が一斉に消えた。

 

 

 

まるでタイミングを計ったような暗闇。

 

光や音を使って緊張を促し、こちらの心理面を徹底的に追い詰める。

 

まずい。

 

もし……ここでいたずらに引き金を引けば、密集している味方に被害が出る。

 

銃口を上に向けても、周囲は壁も天井も金属の塊だ。

 

ばら撒かれた弾丸は辺りを跳ね返ってこちらに牙を向くだろう。

 

銃の安全装置の事まで意識が向かない。

 

このガチガチの指先を下手に動かせば、それだけで引き金を引いてしまいそうだ。

 

向こうはこちらが暗視装備を持っていない事に気付いている。

 

 

「(……待て!!)」

 

 

咄嗟に目でコンタクトを取ったが、暗闇である為に相手に届かない。

 

声で咄嗟に伝えるのが1番だが、それでは『敵』にこちらの居場所を伝える羽目になる。

 

ドッドッドッ!! と心臓の鼓動が不気味に響く。

 

引き金の指が震える。

 

 

自分達は一体誰と戦っている?

 

 

これまでの一方通行は、わざわざ武器など使わず、地形なども考慮せず、全ての障害を自分の超能力だけで薙ぎ払って前進するだけだった。

 

だから、能力を制限されている今なら戦略次第でいくらでも倒せる相手だと思っていた。

 

 

しかし、それは違った。

 

 

今、全員生存しているこの状況が単に運が良かっただけだと思ったが、違う。

 

武器を使い

 

建物も利用し、

 

こちらの心理を先読みし、弄び、

 

単純に怒りに任せて叩き殺すのではなく、相手の精神を集中砲火する。

 

と、その時、

 

 

 

パアアァン……と。

 

“空砲”が炸裂した。

 

 

 

それは、誰も殺していない。

 

だが、『恐怖』が彼らの心を撃ち、冷静さを奪い、そして、『死』を錯覚させた。

 

 

「あ――――」

 

 

プッツリ、と意識のブレーカーを落とした。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

こちらの作戦の目的は、徹底的に<猟犬部隊>の脅威である『銃器』と『集団』を無力化にし、この『犬小屋』の中に閉じ込める事だ。

 

迂闊に動けなくするように大量の『ダミートラップ』を仕掛けたり、

 

無線で『味方』を演じて不信感を抱かせ『集団』を『個人』に変え、

 

暗闇にして『同士討ち』の危険性を上げ『銃器』の使用を制限する。

 

そして、最後に『恐怖』に脳のキャパシティを超えるほど火を付ければ、人は簡単に失神する。

 

能力を使わない、この手の恐怖をあおる戦術は一方通行にとって今日が初めてだったが、相手は面白いほど引っ掛かった。

 

恐怖というのは人間共通のもので、その利用法は上手く使えば相手を殺さずに仕留められる。

 

この蜘蛛の巣の如くワイヤー・トラップに動きが縛られ、さらにギミックの飛び出すタイミングから沈黙のインターバルまで、その全てを大脳生理学的に計算し尽くし、必ず恐慌状態へ陥らせるプログラムの『犬小屋(お化け屋敷)』から出られないだろう。

 

根性論でどうにかできる恐怖ではなく、脳の信号的な面から感情を叩きつけられ、攻撃する事も、連絡取る事も、そして、逃げる事も出来なくなってしまえば、あとはもう意識を失うしかない|(ちなみにワイヤーは相手がプレス機やベルトコンベアなど危険な機材に近寄らせないよう安全柵として張り巡らされていた面もある)。

 

『嗅覚センサー』を誤魔化す洗浄剤を使い、追跡を断った後、2人は第三資源再生処理施設を後にする。

 

 

「とりあえず、これで<猟犬部隊>も動けないでしょう」

 

 

「ああ、つくづくテメェは敵に回したくねェ奴だと良く分かった」

 

 

「お、ついに友達宣言ですか?」

 

 

「違ェ。単に性格が悪いっつって―――「おっと手が滑ったー♪」―――ぐほっ」

 

 

何であれ、これで<猟犬部隊>の妨害は終わりにして、打ち止めの捜索に集中すべきだ。

 

この現状の報告を木原数多が耳にすれば、さらに怒り狂い、こちらに刺客を差し向けてくるだろうがむしろ好都合だ。

 

『目的の打ち止めを奪う前に、とにかく目の前のコイツらを何とかしなくてはならない』と思わせれば勝機は広がる。

 

こちらの危険性は高まるが、……問題はないだろう。

 

 

 

と、そこで彼らは思考を切った。

 

 

 

地面に血の跡がある。

 

点々と続く赤い染み。

 

敵兵は全て計算通りに動かし、恐怖を煽り、建物内に閉じ込めたが、脱出した者がいる。

 

 

「……、」

 

 

血のルートを辿る限り、敵の足はおぼつかず、集中もあちらこちらへ飛んでいる。

 

極度の恐怖によって、何に対しても怯えている状態だ。

 

まあ、自分だけでなく、この隣にいる腹黒い奴の心理操作はえげつなかったから仕方ないだろう。

 

 

「……これは誘導か」

 

 

「いえ、その可能性は薄いでしょう。たまたま運良く脱出できたというか……でも、この具合からしてまだ遠くには行っていないはずです」

 

 

先に行っています、と詩歌は走りだす。

 

彼女に限って、この<猟犬部隊>に不意を打たれるという事はありえない。

 

ああ呑気に見えても、その警戒心は高い。

 

待ち構えられていても、一目で看破するだろう。

 

それでも。

 

チッ、と一方通行も杖代わりのショットガンをついて、歩行のペースを上げる。

 

そして、開けた道に出ると、

 

 

「―――、」

 

 

よたよたと逃げ急ぐ黒づくめの男の背中が、まず視界に入った。

 

 

 

そして、その向こうに巨大な―――『駆動鎧』がいた。

 

 

 

<猟犬部隊>の新手かと思ったが、違う。

 

あの『MAR』と書かれた文字の下にある『三又の矛』をモチーフにデザインしたマークは黄泉川の<警備員>と同じだ。

 

 

 

けれど、妙な事に一方通行は、あの<警備員>から、<猟犬部隊>と同じ“匂い”を感じた。

 

 

『邪魔者は排除しろ』

 

 

機械音声の温かさの欠片もない声が聞こえた。

 

『駆動鎧』は、腕に取り付けられた機関砲の狙いを付けた。

 

その照準は、黒づくめの男に向いていた。

 

 

「おい! アンタら街の人間を守る<警備員>なんだろ! だったら俺を保護しろよ!」

 

 

男はそれに気付いていない。

 

彼はただ<警備員>に助けを求めている。

 

殺されるなんて考えてすらいない。

 

誰でも死んだら生き返らない。

 

命が奪われれば、全ての可能性は失われる。

 

なのに、一方通行は見逃す。

 

殺さないが、クズを助ける理由もない。

 

第一、今この場で能力を使う方が危険だ。

 

しかし、一方通行は1人の少女の事も見逃してしまっていた。

 

 

 

「バカ、早く逃げなさい!」

 

 

 

詩歌が悲鳴を上げて叫ぶ。

 

しかし、男は気付かない。

 

むしろ、彼女のほうを怖がってしまっている。

 

 

「くっ―――」

 

 

説得は不可能だと判断した詩歌は、なりふり構わず一方通行の能力を発動させ、黒づくめの盾になるように前に立った。

 

彼女は、誰かが殺されるのをただじっと見ている事はできない。

 

そして。

 

この後。

 

『人を殺せないのではなく、人を死なせることができないのだ』、と一方通行はその致命的な弱点を痛感する事になる。

 

 

 

つづく

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