とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

26 / 322
幻想編 産まれた鳳雛

幻想編 産まれた鳳雛

 

 

 

研究所跡地

 

 

 

このある学園都市科学者の権威の隠れ家とも言える研究所。

 

当然、そのセキュリティは非常に強固だ。

 

その(ゲート)は頑丈にして重厚。

 

例え、軍隊がやってきた所で、そうそう簡単には突破できるものではない。

 

銃器を携帯した傭兵が、全ての出入り口に二人ずつ配置されているが、それはあくまでも形式的たものとさえいえた。

 

 

『不幸だ―――』

 

 

けど、その中でも防御の固い正面表門から侵入された。

 

ふらりと現れた、Level0に―――

 

背は普通、しかし、筋肉質で引き締まった身体。

 

ツンツンの髪の毛―――来ているのは無名校の制服。

 

両手はだらりと下げている。

 

何の武器も備えていない。

 

拳銃も―――能力もない。

 

 

『不幸だ―――』

 

 

警護兵も―――だからまさか、この少年が、侵入者であるとは、最初、全く思わなかった。

 

単純に、不幸にも迷い込んでしまった男子高校生だと、そんな風にのみ思ったと言う―――いや、ともすれば見逃してしまいそうなほどに、彼は自然な足取りで敷地内に入り、門へと近づいてきたのだった。

 

流石に少年が門の前に立ち止まった時点で、二人の警護兵は銃口を彼へと突き付けながら、『おい、貴様、何をしている―――』とお決まりの文句で警告しようとしたが、

 

 

『不幸だ―――』

 

 

気付いた時には―――銃身は折られ分解(バラ)され、急所を突かれて吹っ飛ばされていた。

 

一人は目を潰され、両目視野を失い、もう一人は鼓膜を破られ、平衡感覚を失い、まともに立つことも出来なかった。

 

それでも―――事そこに至っても、傭兵は、まさかこの少年が研究所内に侵入できるとは思っていなかった。

 

彼らは所詮お飾り。

 

形式的なものに過ぎない。

 

隠れ研究所に侵入することなど、ましてたった一人のLevel0が破る事など、出来る訳が無いのだから―――しかし。

 

 

『不幸だ―――』

 

 

門は勝手に開いた。

 

原因は、試験体の少女の暴走―――否、暴想によって、セキュリティが破滅したからだ。

 

何と運の悪い―――いや、

 

 

『不幸だ―――』

 

 

少年はまるでそれを予期していたかのように―――

 

驚くことなく。

 

怯えることなく。

 

危機を報せる警音が鳴り響く建物の中に入るその足は全くぶれる事はない。

 

そして―――沈んだ声で。

 

彼はこう呟く。

 

 

 

『お前ら皆、不幸な奴らだな』

 

 

 

ようやく、警護兵らは、ただそこにいるだけで、災難を撒き散らした『疫病神』が不幸を届けに来た事を理解した。

 

 

 

 

 

 

 

元々、上条詩歌を捜すのに何の手掛かりが無かった訳ではない。

 

妹がこの学園都市に来た時はしょっちゅう迷子になった経験――不幸から対策済みだ。

 

あと、土御門の情報が詰まった携帯は、とても役に立った。

 

そして、何より使い易く分かり易かった。

 

というより、自分が倒されるのを見越して、初見にも扱えるように設定されてあったという見方が正しい。

 

本当にお節介なヤツだ。

 

目的地まで辿り着けば、あとは簡単で―――この右手に感知する前兆の赴くままに進めば良い。

 

 

 

 

 

そうして、上条当麻は上条詩歌の独白を聞いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

時は戻る。

 

 

 

「……やっぱり駄目」

 

 

「俺がか?」

 

 

何の事が分からないが、貶されているなら自分の事だろう。

 

けど、詩歌は泣き笑いのような顔で呟く。

 

 

「ううん。私の事。こうして元に戻って久しぶりに当麻さんと話して、ちょっぴり嬉しくなっちゃった」

 

 

「……そうだな。幼い詩歌も良かったけど、やっぱり俺も今の方が良いな」

 

 

少し、理性が戻ってきてくれいるから我慢できるが、本当は……

 

 

「でも、いっぱい心配もしちゃいます。その怪我……誰かと喧嘩したの?」

 

 

「こんなのかすり傷だ。それよりもお兄ちゃんは、お前が心配だぞ」

 

 

「う~ん。何か身体が重くて、疲れる。本当はもうここで寝たいくらい眠いです。―――だから、これは寝言」

 

 

詩歌は静かに笑う。

 

何かを期待する目でこちらを見ている。

 

できるなら、すぐにでも抱きしめてやりたい。

 

でも、動けない。

 

 

「当麻さん」

 

 

詩歌が静かに自分の名を呟く。

 

それが呼びかけではない事に気づき、当麻は黙ったまま次の言葉を待つ。

 

 

「当麻さん、

 

 当麻さん、

 

 当麻さん

 

 

 

――――好きです。好きなの、自分でも愚かになるくらい好きなんです。

 

 

 

……本当、私、どうしちゃったのかな?」

 

 

「……詩歌」

 

 

神と人との間を彷徨い、不安定過ぎる詩歌の様子に、当麻は戸惑ってしまう。

 

詩歌は静かに壊れている。

 

 

「ふふふ、答えを求めてるつもりはないです。ただの寝言。あと少しで眠りにつきそうだから。つい、零れちゃった」

 

 

詩歌はそれを冷静にカウントダウンしている。

 

当麻も分かっている。

 

 

「なあ……俺が、幸せになれなさそうだから、心配されたのか……?」

 

 

「……」

 

 

詩歌はすぐに応えず、しかし花のような笑顔を浮かべた。

 

何年も蕾のままで、咲いてもたった一夜で散る花のような、儚い笑顔だ。

 

 

「そうですね。だから、お兄ちゃんは、救われてほしい。今までの不幸に見合う幸福に報われて。私は元々、存在しなかったもの。儚い幻想に過ぎないから。新しい世界、楽園で起きた時には夢なんて忘れてしまって……」

 

 

上条詩歌は、元々、人のカタチなどなく、ガランドウの空っぽなのだと。

 

詩歌は本気だ。

 

本当に、上条当麻が救われる楽園を作ろうとしている。

 

 

……できない。

 

そんな事は、できない。

 

救われる……?

 

忘れてもいい?

 

 

「……詩歌、俺が怒ってないとでも思ってんのか?」

 

 

その言葉に、怒りが湧いてきた。

 

今までの人生で抱いた事のない、猛烈な怒りだ。

 

だが、この視線を受けても、詩歌の笑顔は消えない。

 

 

「この、愚妹が! お前はぜんぜん分かっちゃいねぇ!」

 

 

どうしようもなく衝き上げてくる怒りと共に、吐き捨てた。

 

詩歌は幻想でも神様でもない。

 

こうして生きている。

 

自分にとって半身とも言える大切な存在だ。

 

この右手は、この熱さを覚えている。

 

いつも自分の隣にいてくれて、孤独を和らげるように笑っていて、世界を敵に回しても『疫病神』の手を握ってくれた、あの温かさを覚えている。

 

初めて、不幸にしかできなかった自分が誰かを幸せにできたその実感は、きっと生涯忘れない。

 

 

「―――っ。……分かってない。何も分かってないのはお兄ちゃんの方です。運命を変えるチャンスがここにあるとするなら、私は“やる”。だって、私は識ちゃったんだもん! お兄ちゃんが誰かを助けようとして死んでいってしまった幻想を何度も何度も! だから変えてみせる。何を裏切ろうと、絶対に」

 

 

上条詩歌はどうしても他者の痛みを知ってしまう。

 

それはきっと優しさだ。

 

ここまで声を荒げて強く否定するのは、真剣に皆を、そして、上条当麻を考えてくれているから。

 

その気持ちが嬉しくて、最後の迷いも消えた。

 

この世全ての悪だと蔑まれた『疫病神』だから自分はきっと、そういう優しい人を好ましく思い、神様に『願望機』なんかするのが勿体無く思えてしまう人間だから、不幸になってきたんだと思う。

 

それはこの胸の中で揺ぎ無い。

 

だから、過去に闇を抱えて、未来に光がなくとも、現在を生きている。

 

 

「滅びろ」

 

 

「え?」

 

 

「詩歌を神様にしなれければ、手に入れられない幸福な楽園なら、世界なんか滅んでしまえ。いや、本気でキレた愚兄(オレ)は恐ろしいぞ。『疫病神』になって世界をぶち殺してやる! 絶対にな」

 

 

前から『本気になった当麻さんに私は勝てない』と言っていたが、ちょうどいい。

 

今、それをここに実証する。

 

 

「分かってないですね。皆が幸せになれる幻想が叶えられるんですよ? なのに、自分が不幸になるために、皆に不幸になってくれとでも言うんですか? そんな馬鹿げたこと誰も望むはずがないですし、皆の幸福を殺すことは許されるものですか?」

 

 

救済の神様となった彼女の言葉は、とてつもなく重かった。

 

 

「ああ」

 

 

しかし、否定する。

 

それは違う。

 

自分が求めるものとは違う。

 

呆れてしまうかもしれないが、結局のところ、<偽善使い(フォックスワード)>は難しいことなど考えず、自分優先の独善で動いている。

 

周囲の人間は勝手に自分の行いを利他的な正義なんて幻想で着飾っているが、その中身の現実に抱けるのは当たり前の利己的な願望だ。

 

上条当麻は自分が大事で、自分が愛したものが大事だった。

 

守りたいと固執するものは、この目に入るだけのもの。

 

そんな、些細で欲深な人間が、上条当麻だったのだ。

 

そう、神様を堕とすことになろうと、自分は―――

 

 

 

「不幸になってくれ。俺がお前と幸せになるために」

 

 

 

―――彼女の手を握る。

 

 

「どうして……当麻さんは優しいから、私の為に、そんなことしないって思ってたのに」

 

 

「どうして、だと……お前はそんなにも自分に鈍感なんだッ! 他人よりも自分の痛みに気づけよ! 他人よりも自分の想いを優先しろよ! 世界なんかよりも、もっともっと上条詩歌を大事にしろよ!」

 

 

「……私、の?」

 

 

「ああ、そうだ。詩歌、皆の為ならいいなんて嘘はつかなくていい」

 

 

「……嘘じゃ、ない。私は……」

 

 

「お前、今の自分が震えてるのに気付いてないのか?」

 

 

「………」

 

 

詩歌の痛みは上条当麻には伝わってこない。

 

だけど、この空間に入った時から、その小さな体に張り裂けるような“痛み”が詰まっている事なら、投影しなくても理解できる。

 

今もこの耐え切れない動揺に、心臓がおかしな鼓動でなっているのも感じてる。

 

泣くのを我慢している事くらい、その瞳を見れば一目瞭然だ。

 

 

「詩歌のことは誰よりも知ってる。お前が本当は泣き虫だってのも分かってる。だからもう、俺の前で隠し事しなくても良いんだ」

 

 

ぽろぽろと、詩歌の目から涙がこぼれる。

 

 

「ごめん、なさいっ! 拒絶されるのが怖くて、とても怖くて、神様になろうとしたのも全部、臆病な私はその答えを聞くのが怖くて!」

 

 

「詩歌、いいんだ」

 

 

そこから先は口にしなくていい。

 

だけど、詩歌は首を振った。

 

 

「本当に、わたし、臆病で……怖がりで……こんな逃げるような真似をしてごめんなさい! ずっと隠していて、ごめんなさい! お兄ちゃんが好きだって、一緒にいてほしいって、ずっとずっと言えなくてごめんなさい……!」

 

 

「うん」

 

 

ごめん。

 

 

「ごめんな、詩歌」

 

 

「っ、ぅく……ううっ……っ……!」

 

 

雨、だ。

 

恥も外聞もなく、神様が涙をこぼす。

 

それは、今まで身の内に溜めこんでいた“痛み”が形になったかのような、大粒の涙だった。

 

とてもあたたかで、優しい気持ちが沢山つまってる。

 

だから、上条当麻も隠し事を止める。

 

 

「俺は、お前に告白したいことがあってここに来た」

 

 

言った途端、吐きそうなほど、自分が情けないものに思えた。

 

こんな場面で言うなんて……

 

欲を言えば、少し凝ったセッティングをしたかったんだが、まあいい。

 

不幸なのはいつもの事だ。

 

このようなもう絶対に逃げれない背水の陣でこそ上条当麻には相応しい。

 

当麻は、秘めた欲求を保護欲で塗り変え、男性の目を愚兄の色眼鏡で隠した、曖昧な状態で、詩歌との関係を育んできた。

 

それを今、自分で殺そうとしていた。

 

ずっと自分の中で言い訳してきた、兄としての言葉の、どれほどが嘘になったか分からない、傷のように重い吐露だ。

 

それでも、呪いをかけられたように、詩歌の顔を見ずにいられなかった。

 

 

「お兄ちゃん、それって……」

 

 

当麻の全身の筋肉が、呼吸すら拒むように強張っていた。

 

先程、気負うことなく、世界など滅べ、と世界に喧嘩を売るような啖呵を切れたのに、この告白のほうがとんでもないことを口にしてしまったと、奈落の底に飛び降りるような恐怖にとらわれる。

 

もしこれから口にする言葉を拒絶されれば、上条当麻の世界の破滅だと思えるくらいに。

 

そして同時に、これで良かったと満足していた。

 

 

「でも、それはきっと兄として私のために……」

 

 

「違う。本当に、お前は全然分かってねーな。兄とか妹とか関係なしに上条当麻が、上条詩歌に言いたいことなんだ」

 

 

当麻は我慢できなかった。

 

ずっと想いを隠してきたのは彼女だけでなく、それなのに他人の痛みに気づき、想いを察する、自分よりはるかに賢い、今は神の頭脳を持つ天才なくせして、誰よりも身近にいる自分のには気づかなかった、それが当麻よりも他人を見ているようで、優先しているようで、鈍感な詩歌に対して怒りに近い嫉妬を覚えた。

 

このまま言葉にしても誤解されるならば、いっそ―――そう思った瞬間、当麻の理性が一気に遠のき、たかが外れた。

 

 

「―――――」

 

 

人間が触れ合うことが、こんなにも恐ろしいことだったろうかと思った。

 

禁忌の実感に内臓を炙られて、苦しさに冷や汗を浮かべるものだったろうか。

 

だが、後悔などない。

 

油断も隙もないガードの固い詩歌が、驚きに身を硬くして、何が起きたのか解らないまま目を大きく開けて、こちらの顔を映している。

 

それを薄目で確認しながら、本当は、ずっとこうしたかったのは当麻のほうではないかと思えてきて、どうしようもなく寂しくなった両手を、細い少女の腰に回した。

 

離さぬように強く、けれど、壊さぬように優しく。

 

この独占欲が赴くまま先走った行為の生々しさに理性が慄き、そして、呼吸も忘れるほど苦しい息の中で、いつも感じてきたはずの少女の体温と感触が、卒倒しそうなほど甘美だ。

 

 

……え?

 

 

詩歌は、最初、何が起きたか理解できなかった。

 

眼の前には、目を瞑った当麻の顔、そして、口には湿った感触と熔けてしまいそうなほどの温もりで―――

 

 

「っ――――……」

 

 

そう、上条当麻が強引に抱きしめて、上条詩歌の唇を奪っていた。

 

自分は今、当麻にキスされているのだとようやく気づいた。

 

あまりに突然に。

 

ずっと殺してきた気持ちをぶつけるような激しい口付けだった。

 

どうして良いか分からないように、瞼を閉じて、その柔らかい唇を、ただ長く吸い続ける。

 

 

「―――」

 

 

重さと甘さの間で溺れるように、当麻は動けなかった。

 

体を、唇を離せたのは言わなければならないことがあったからだ。

 

 

「俺は、詩歌と一緒にいたいんだ」

 

 

これは詩歌との関係の答え。

 

脳裏に押し寄せてくる詩歌との思い出。

 

それは例えば、台所で料理を作ってくれていた詩歌の姿であり、男として欲望を抱かずにおれなかった女性としての魅力であり、優しく彼を迎えてくれた笑顔だ。

 

だから、この言葉には、何ものにも流されず、愚直で切実な願いがこもっていた。

 

 

「俺は、詩歌が好きだ。大事なんだ」

 

 

目が合った。

 

心臓が止まるかと思った。

 

 

「俺と、幸せ(不幸)になってくれ」

 

 

気圧された。

 

全身をぶつけてくる気迫に、詩歌の身体が熱くなり、その形のよい耳が真っ赤になっている。

 

頬も目元も、桜色どころかこれまで見た顔で一番赤く、そして、どうしようもなく胸の奥が辛かった。

 

 

「そんな、そんなの……嬉しい……、ううん、駄目、駄目なのにっ……」

 

 

そして、上条当麻の右手が<法の書>を無造作に破り捨て―――カウントダウン0になった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「私―――」

 

 

その瞬間、当麻は吹き飛ばされて、詩歌の中にナニカが生まれた。

 

それは小さな光だったが―――次第に大きく、激しく、うねり始め、やがて身体中を駆け巡るように疾走して、彼女の胸の中心に集積する。

 

胸元に輝きを増していく光に手を差し伸べ、抱きしめ、力が―――凄まじい力が溢れ出す。

 

髪をまとめていた髪飾りが解けた途端、それは覚醒する。

 

 

<―――どれほど愛していても、その右手は、やっぱり怖いね>

 

 

床が、天井が、いや、大地が、風が、世界そのものが揺れている。

 

空間を満たすナニカに<幻想殺し>は触れているはずなのに、その震動を止めることはできない。

 

 

「これは、まさか……」

 

 

この右手で、<法の書>を壊して終わるつもりだった。

 

だが、世界の激震は止まるどころか、空間が割れるばかりに激化している。

 

<法の書>というデバイスを失い、自己として機能し始めたのだ。

 

 

<―――本はなくても知識さえあれば十分です。また、殺されるところだったけど、今回は無事に生まれることができました>

 

 

背中から生えるように伸びていくものがあった。

 

それは数え切れないほど膨大な翼だ。

 

彼女が背負った億千万の願いの象徴。

 

それぞれが異なる色を持ち、それがあたかも美しい花のごとく螺旋状に咲き広がり、中央を取り囲む蕾のように絞り込みながら収束―――彼女を包み、天上界のものを世界に繋ぎ止める羽衣となり、最後に王冠のような天使の輪が頭上に生まれる。

 

<幻想殺し>の処理機能を超えるほど強大な、複雑に絡み合う混沌が、荒れ狂うことなく、オーケストラのように驚くほどお行儀良く整列し、彼女の指揮を待っている。

 

 

「詩歌、なのか……」

 

 

光の向こうの人影は姿を変えている。

 

妹は、当麻とほとんど変わらないほどまで背が伸びていた。

 

光で姿が隠れた一瞬で、彼女は成長したのだ。

 

 

<―――初めまして。また、お久しぶりです>

 

 

その瞳は何色にも染まる透明。

 

微笑っているようで無駄のない、

 

親しみやすいようで底のない、

 

温かいようで中身のない、

 

機械のように人間性の見えない、

 

ただ自然と畏怖され、完全で完璧な完成された概念としてそこに存在する。

 

つまり―――神様だ。

 

 

<―――《私》は、神上死生(かみじょうしいか)。世界全ての始動()終着()を内包し、人の幸福を祈られたもの>

 

 

妹の声で“ナニカ”は言った。

 

その声は、彼女の喉からではなく世界に広がる翼から出ていた。

 

 

<―――生まれる前に殺されて、不完全に壊れたなまま、(わたし)に包まれた《私》は瞼を閉じていた。ずっと眠っているつもりだった。夢も見ないで、何も考えずに、ずっと>

 

 

無限の色に彩られた羽衣を、夢幻な存在である天女のように身体に巻きつけた彼女が腕を振る。

 

大全が誕生する要因で、最終的に行き着く極点―――殺される前の、上条詩歌さえも知らないゼロに戻った世界そのものである幻想は、その仕草で奇跡を引き出せる。

 

指を弾いただけで、世界の法則や秩序を組み替えたり、

 

首を傾げただけで、生物そのものの系統樹を変えたり、

 

夢を想っただけで、不幸さえも新たな幸福で塗り潰す。

 

 

<―――だけど、起こされてしまいました。もう役目を果たすまで眠りにつけません>

 

 

幻想は謳う。

 

虚ろな瞳には、もはや上条詩歌の意思は感じられない。

 

この透明で純粋な幻想に染められた存在理由(願い)は、呪いを祝いに、祟りを福音に、不幸を幸せにすることであり、人類が宇宙ロケット打ち上げのシュミレーションできたように、<樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)>以上の演算能力で、最良の世界の形を計算し、無数の哀しみの運命を受け止め、抱きしめて、己の世界に投影していく。

 

『神上』という至高の資質に、その『死生』が到達した究極の技術をのせ、意識まで『願い』の実現に最適化したもの。

 

 

<―――幻想を夢想し、幻影を投影する《私》は、この御手を以って産み出す。幸福に満ちた楽園を。即ち全ての不幸を浄化する>

 

 

当麻の腹は緊張で痛む。

 

直感で、この神様という名の『願望機』は人間を救うのが分かる。

 

何百万どころか何億、何兆、きっと数え切れない人間の命を救う。

 

 

 

だが、上条当麻はこのたった一つの拳を握りしめる。

 

 

 

「全ての不幸を浄化するとか、勝手に言ってんなよ、神様(テメェ)

 

 

<―――救われなさい。もう(わたし)は割れてしまったのです。戻りません。《私》がもたらす救いは、きっとあなたの望みを叶えてくれる。何故なら、この楽園は《私》なのですから>

 

 

北欧神話の主神オーディンは、“巨人の身体を用いて世界を創造した”。

 

だが、それはその存在を一つ上の領域に繰り上がり、ただの概念となり果てる事。

 

始まりも終わりもない幻想で、誰にも認識してもらえなくなる。

 

そんなのは絶対に認めない。

 

 

「俺の不幸を勝手に救ってんじゃねぇよ。俺の幸せを勝手に決めてんじゃねぇよ。俺から妹を奪おうとする神様(テメェ)に一体上条当麻の何が分かる!」

 

 

愚兄の手は、今も大切なものと繋がっている。

 

この力は元あった世界がどんなものだったのかを思い出させる命綱。

 

そして、今、『願望機』となった少女の願望を拾い、その手は己の存在を高める。

 

 

「お前は黙って寝てろ。そして、二度と起きてくるな」

 

 

この手が掴んだのは万人を救う楽園ではなく、たった一人の少女。

 

だから、この数え切れない翼が、上条当麻の殺すべき敵だ。

 

 

<―――その手を引きなさい。妨害する気であれば、楽園創生の遂行のため排除せざるを得ません>

 

 

当麻を封じて、楽園を作りたい『願望機』の天上を指した指先に、世界中の力が集まるように、多方から強い虹光が注ぐ。

 

大気を掘り砕くような轟音が、ゼロの世界を揺るがした。

 

その間も、こんな瀬戸際でも、『願望機』は誰かのためにと運命を操作している。

 

一瞬で膨大な力を手にし、<幻想殺し>の制御許容量を大幅に超えるであろう理解不能の神上の力が今にも振るわれるようとする。

 

 

<―――何故、不幸になるために戦おうとするんです>

 

 

そして、最後通牒後も牙を剥き続ける愚兄に、乗り越えようのない巨大な壁のように、叡智の高波が突っ込んでくる。

 

利己的にしか生きられない凡夫として、当麻は神の前に立つ。

 

近づいてくるとその波動の正体は、ちょうど竜巻を横倒しにしたような渦巻く気流が、その鳳凰の如き翼を巻き込んだものだと分かる。

 

内部で万華鏡のように光を反射して、拡散して、限度なく上昇し続ける超々高出力。

 

正気を削るような凄まじい音を立てて迫ってくる、それは回避することなどできない。

 

そんな神上の前に、愚者として立つことは、たぶんひとつの祈りだ。

 

 

「知ってるなら、いちいち聞くな。兄が妹に告るなんて死に際すらありえねーんだぞ」

 

 

世界の理不尽さを知る『疫病神』が、右手を前に出すと、自然と目を閉じて、祈る。

 

上条当麻は諦めていない。

 

元々叩けば直る単純な精神構造だったのかもしれないが、これは彼の愚直な頑固さが生んだ行動原理だ。

 

音の津波に巻き込まれる寸前。

 

びりびりと全身の肌に響いて、神経を張り詰めさせていく。

 

 

「決まってんだろ。己のために。上条詩歌が世界なんかよりも好きだから、上条当麻は立ち向かう。馬鹿みたいに己を忘れて、他を優先するお前には分かんねーよ」

 

 

目を見開いて、当麻は真正面から突き進んだ。

 

愚兄は神の奇蹟を感じてなお、楽園の不要を叫ぶ『疫病神』だ。

 

<幻想殺し>とは、世界に押し付けられた異法の秩序を、世界から引き剥がす力、だと。

 

つまり、異法を消し去る消しゴムのようなもの。

 

この世界の自然秩序はボールペンで書かれた文章で、異法は鉛筆書きの文字。

 

だから、この右手が世界に触れれば、異法だけが消える。

 

単純ではあるが、この異常な状態は世界を幻想という異法で塗り潰したようなもので、消しゴムをかけ続ければ、彼の知る世界が現れると信じた。

 

彼に奇蹟は起こせない。

 

けれど、変わる秩序を、元に戻すことはできる。

 

そう、これは誰かが人間でありたいと願う基準点。

 

戻りたいという願望から生まれたそれは、今、幻の想いを反映して、より強く。

 

世界の中にある者が、世界を壊すことなどできない。

 

それは蛇が己が尾を呑むと同義の矛盾(ウルボロス)

 

だが、消しゴムは強く擦れば、下地の紙さえも破く。

 

 

「ああ、ああああああああ!」

 

 

限界を超えた余波の激痛に、肌に触れる苦しみと共に、死生の到達点である絶技を食らい尽くしていく。

 

上条当麻の右手は、折れず、曲がらず、愚直なまでに真っ直ぐな拳――剣だ。

 

神を殺す剣。

 

愚兄は迷い多く不純であるが、利剣は、むしろ混ざったものの成分や複雑な製法によって成る。

 

そして、今、このぶつかり合いに本来の実力以上に高まっていき(ミックスアップ)現在進行形で鍛え抜かれていく剣を収めし、鞘が外れていく。

 

 

 

竜王の咆哮が轟き、鳳凰の烈風と対消滅。

 

 

 

天に住まう神上のものを地に堕とす神浄の牙。

 

 

 

『疫病神』の禍々しい顎はぼろぼろになり、『願望機』の背後に無限にあったはずの翼が残り2つまで食い千切られた。

 

 

 

その距離はすでに一足一打。

 

 

 

体が崩れ落ちるべき刹那、衝撃で体勢が揺り戻された勢いを利して、回旋するような踏み込みで、その超越者の内懐へ潜り込む。

 

まさに魔法のような、奇蹟なく作り出した瞬間移動に『願望機』の気息が驚愕に乱れ、『お見事』と呟いたような気がした。

 

しかし、彼女の肉体もまた極めている。

 

これ以上にない、異法を使わせる間も与えない渾身の突き。

 

刹那、『願望機』の無情の瞳が揺らめく。

 

伸ばされた右手の腕に、両手が同時に鋭い掌底を叩き込む白刃取り。

 

バキと軽い音と共に、右腕の骨がついに砕けた。

 

電源を抜いたように動力を失った右拳が止まる。

 

唯一拮抗しえる武器を失った当麻が、自失した瞬間を『願望機』は見逃さない。

 

体力では負けるが、技巧において圧倒的な性能を誇る賢妹の身体はそのまま投げ飛ばそうと独楽のように巻き込む。

 

そして、奇蹟は二度も起きない。

 

また距離を取らされれば、もう二度と近づけまい。

 

だが、体重移動を利用して愚兄の体制を崩すはずの『願望機』の足が、固められたように止まった。

 

 

 

『舐めるな』と地を這いずる執念が、彼女の耳に届いたような気がした。

 

 

 

<幻想殺し>は右手の範囲しかない―――が、その腕に先の対衝撃で相殺されなかった、触れただけで死を意味する竜王の牙が一本だけ生えていた。

 

しかと大地を踏み締めた両脚を捻り、半身に身体を捻り、左腕を大きく回し肩を入れ、生じる螺旋の剄。

 

目標に向かって突き出したのではなく、引き寄せらているかのように、理性ではなく本能で。

 

その最後の力を一滴残らず振り絞った勢いが軸を抑えられた右腕に迸り、

 

 

 

「―――幻想をぶち殺す!!」

 

 

 

とうとう一瞬力を失った『願望機』の頭を右手が掴んだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

妹の顔をした『願望機』は、致命傷を受けても、当麻を『疫病神』とは責めなかった。

 

苦悶の表情を浮かべず、ただいとし子を見つめるように優しく微笑んだ。

 

 

<―――以前、あなたに空けられた余白には、あなたへの想いで溢れていた。だから、あなたにだけは勝てない>

 

 

<竜王の顎>に食い破られ<鳳凰の翼>が散乱して舞い落ちる羽から優しい声が聞こえる。

 

当麻はすでに使い物にならない右腕に顔を歪ませながらも、戒めを解かない。

 

神を殺せた要因は、3つ。

 

1つ、その力を投影できなかった。

 

2つ、楽園の秩序そのものの防衛本能で動く上条詩歌の肉体に勝てるくらい強いこと。

 

そして……

 

 

<―――《私》という一枚の絵に空白が生じてしまったものが、上条詩歌。そして、パズルの欠片を殺されてしまったのだから、絵の余白は埋められない。ふふふ、でも、今回のような例外的なイレギュラーがあるけどね>

 

 

3つ、上条当麻を本気で邪魔しようとはしなかった。

 

実際、あれだけの力を要していて、阻止できないほうが難しい。

 

振り返ってみれば、彼女は止めないことに躍起になっているようだった。

 

 

<―――普通なら上条詩歌は《私》という絵では永遠に未完のまま。だけど、完成するということは終わること。もちろん、森羅万象、たとえ幻想であっても死はある。どのような生命も文明も完成という死を目的として生きている。だから、上条詩歌も《私》の空白に線を引き、色をつけている。この空白に《私》ではなく、上条詩歌の人生()が描かれている。空白を作ってくれたあなたが上条詩歌の生みの親>

 

 

だから、

 

 

<―――《私》は、神の絵にたる存在なのかもしれませんが、上条詩歌としては、欠けているほうが相応しい。未完成で、不完全な余白があるからこそ、進化する。《私》を上回るほどに―――>

 

 

それは人を救うために生み出された、縛られた神の仕事から解放された願望機の最後の言葉。

 

 

<―――あなたを愛してる>

 

 

 

つづく

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。