とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 英国王室

英国騒乱編 英国王室

 

 

 

イギリス

 

 

この国は危険だ。

 

この国は限界だ。

 

この国は複雑だ。

 

 

空港から特急列車に乗って数十分。

ヴィクトリア駅はかつての欧州航路の出入り口であった鉄道駅だ。十九世紀半ばに造られた駅舎は、それ自体が英国の最も勇壮だった時代を象徴する歴史的建造物。

そのプラットホームの天井には驚くほど高いアーチ状の屋根。しかも丁寧に磨き抜かれた硝子張りで、水晶とも見紛う硝子を透かし、淡い陽光がどこか恥ずかしそうに、この広々としたホームを慎ましく照らし上げている。

この優美なフォルムの列車といい、塵ひとつない構内といい、どこを見ても、これこそが英国であるという誇りにあふれたこの空間は、『王室』への玄関として、歴史と伝統に裏打ちされた場所。

その駅舎を出たところで、頭に巻いたターバンが特徴的な、おそらく中高生あたりと思しき案内役の少女が2人の客人(ゲスト)へ振り返る。

 

「……つつつ、着きました」

 

おそるおそる、と。ここまでの工程を共にしたのに変わらないターバンの少女の調子に上条当麻は何だか気が抜けてしまうが、内心では緊張している。

突然引っ越しさせられた動物みたく、混雑した構内で、人が通りすがるたびに気にしてしまう。

一応、この半年で海外には二度も行っているのだが、いまだに海外慣れしていない(どちらも特殊なケースだったため旅の経験値にカウントしろというのは無理があると思われるが)。

 

「とうま、そんなにおろおろしてたら目立つよ」

 

「ちゃんとガイドブック通りかどうか確かめとかねーといざという時に大変だろ。っつか、大丈夫だよな。もう迷ってるとかねーよな」

 

「どうやったら、こんなとこで迷えるの? 当麻は幾らなんでも心配し過ぎかも」

 

額を押さえて、修道服の少女――インデックスが、硝子細工みたいな溜息を零し、少年へ人差し指を突きつける。

 

「遊びに来たんじゃないんだから、もっときりっとするんだよ。まったく、世話を焼かせるんだから。やっぱり、とうまが私の保護者だなんて評価は心外なんだよ」

 

「そういうのは道中で買い食いしまくってた子の発言じゃありません。まったく、キオッジアで早速迷子になった前科持ちが何を言ってるのやら」

 

「むむ、あれは……」

 

と、インデックスが言いかけた時に、前方から言葉が割って入る。

 

「ふわわ。ここで騒ぐと目を引きます。それから迷子にならないよう、ひとりでうろちょろしないでください……」

 

か細い声なのに、不思議とこのざわざわと、周囲を歩く人の声にまぎれずに耳に通る。

第三者の仲裁により、2人は矛を収める。

 

(にしても、イギリスかあー)

 

当麻は胸中で思う。

日本、学園都市とは景色のひとつひとつが違う。

建物の造りや道行く人々は言うに及ばず、煉瓦の色合いも、石畳の感触さえも異なる。

 

―――『~~~~』

 

―――『~~~~』

 

当麻には聞き取れぬほど早口な、異国語のざわめき。

あるいは、走っている車の種類や、クラクションの音。

あるいは、通りに立つ電柱の形状や、ひっそりと道路を飾る植え込みの在り方。

頬を撫でる風や、舌に触れる空気の質感にさえも、どこか、長年積み重ねてきたこの国の時間を思わせて、この体の芯に直接浸みてしまうような寒さもまた、気温としての肌感だけの問題ではないのだろう。

改めて、愚兄は異国の地を踏んでいるのだと実感した。

 

「ここで、詩歌は………」

 

一人で、という言葉は呑み込む。

ここは日本から遠く離れた異国で、また学園都市の属性とは相対する意味での異国でもある。

部外者、などといわれても仕方ないような。

寂しい、なんて想ってもどうしようもないような。

それでも、このイギリスにも自分達の知り合いはいる。

だから、きっとうまくやっている。大丈夫。

 

(でも、最近送られてきたこの『王女三姉妹との記念写真』って、もしかしなくても相当に無礼なのではなかろうか……? 別の意味で心配になるんだが)

 

まあ、とにかく上手くやってるに違いない。イギリスに来たのに、ここまで顔を合わせなかったのも、きっと忙しいからだろう。

そう、当麻は納得する、ことにした。

それは、隣を歩くインデックスもまた気にしていたのか。

 

「この問題が片付いたら、しいかに会えるよね」

 

「そうだな」

 

これには強く、当麻は頷いた。

 

「帰りにちょっと英国観光でもしようぜ。3人でな」

 

「うん!」

 

そこへまた、先頭を歩き、白い子犬のストラップがついた携帯機器を耳に当てどこかへ連絡をしていた案内役の少女がターバンの尾を引きながら振り返り、

 

「あ、あの……予定よりも遅れてて、まだ向こうの準備が整っていないようなので、良ければ、少し散歩でもしませんか?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

そう。なるほどね。

そんなことだろうとは思った。

ええ、護衛してくれるの? 結構。

そんな他人に命を預けるなんて、怖い怖い。

だから、あの子はあんな目に遭ったのではないの。

それで。

見返りに私に何をしてほしいのかしら。

ただほど怖いものはないわ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

そうか。なるほど。

残念だ。仕留め切れなかったとはな。

ふん、不愉快だし、まったく。

ああ、学園都市の力は脅威だ。

だから、本当に強い国にするには、この方法しかないな。

さて。

次は私が動くとしよう。

これ以上、他人に任せてはおけない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

そう、ですか。はい……

トンネルは、無事なのですね。

それは、良かった……

あなた方のおかげです。

あの……様子は、大丈夫なのですか?

はい。

わかってます、私は、何も……

あの、それで……

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

国会議事堂(ビックベン)からしばらく北に向かうとトラファルガー広場があり、そこから更に歩き続けるととある四十四本の柱が見える。

昇りゆく太陽に照らされる、イオニア式の列柱だ。

見上げてもおいそれとは足りぬほど――優に20mを超えて背を伸ばす大理石の列柱は、その高みで勇壮なる神殿の屋根を支えている。

まさに神殿。

大英博物館。

魔術師ならずとも、その名を知らぬ者はいないだろう。

十八世紀、古美術収集家だったある医師のコレクションから始まって、当時の英国議会、カンタベリー司教から大法官までも動かし、ついには世界中の文化遺産さえ略取するに至った、文字通り世界一の博物館である。

かつて『日の没さぬ国』と謳われ、全世界に覇を唱えた英国の、文化の精髄がここには貯蔵されており、そのどれも値段など付けられまい。

そのパルテノン神殿を想起させる入り口に、半ばは観光客と思しい数多の人々が群がっており、それぞれの手にカメラを構え、ピースサインや笑顔を浮かべている。大きな広場にバサバサと鳩が群がっては飛び立ち、ロンドンの空気を自らの羽毛で飾っていた。

そこに他の観光客と混じって、記念撮影する少年少女。

 

「はい、チーズ」

 

ばちーん、とシャッターに設定されてる電子音。携帯のカメラで大英帝国の象徴とも言うべき建造物を背景に愚兄と修道女はツーショット。

三毛猫や旅行鞄などは滞在先へ送られており、インデックスという優秀なガイドや香椎のタイムスケジュールとで少ない時間をやりくりしたプチ観光でも中々に楽しめたし、おかげでこの異国の空気に慣れた。

 

(ああ、なんか初めて海外旅行らしいことをしたなー。イタリアではアドリア海の海水を飲んだのが記念だし、フランスでは記念を残すどころじゃなかったし。でも、これって国家招集じゃねぇのか……?)

 

まあ、向こうが少し時間を潰してくれと言われたのだから、仕方がない。

 

「ねぇねぇ! かしいも一緒に撮ろうよ、記念写真!」

 

「え? それは……そのぉ」

 

写真を撮った安全安心設計の初心者用の携帯を返される際に、インデックスが香椎の手を取り、前のめりに明るい笑顔を向けて提案。

まだ、あって半日ほどしか経ってないはずだが、元々人懐っこいインデックスがさらに懐いたおかげで、かなり仲が良くなった。当麻の方は、まだ接触厳禁だが。

 

「時間が、そろそろ……ですし」

 

「別にいいじゃねぇか。写真撮るだけだし、すぐに終わるだろ」

 

というわけで、当麻も助け船を出す。

ここに来るまで色々と世話になったのだ。いつまでも他人行儀に距離を取られるのは寂しいものだ。

 

「光とかちょ……写真を撮られると魂が抜けるので」

 

「いつの時代の人間だお前!」

 

「ふわわっ!?」

 

っつか、だったら写真を撮った当麻さん達がやばい。大英博物館で魂消た人たちでいっぱいだ。

 

「かしい、だめ?」

 

「ふぅ……ぅん。わかりました」

 

ターバンの陰の隙間から見える、わずかに朱に染まる香椎の頬。それを同じく見つけたインデックスの口元に喜びの色があらわれ、がっと掴んだ手をそのままに香椎の左腕に抱きついた。

一度言質を取ったのだから記念写真を撮るまで離さないだろう。

それで覚悟は決めたが、恥ずかしがり屋なのかぐるぐるとターバンを念入りに巻いて、目しかほとんど見えないミイラ状態。

けれど、結局頼みを聴いちゃう辺り、何だかインデックスに甘いよなー。買い食いとかも普通にインデックス1人に三人前で奢ってたし。

仲良きことは美しきかな、と。

 

「んじゃ、インデックス。携帯寄こせ」

 

撮影役でも率先すっか、と当麻は携帯を預かろうと手を差し出す。機械音痴なインデックスは連絡はできるが、その他機能の扱いはチンプンカン。インデックスも素直に当麻に自分の携帯電話をその左手に乗せて渡し、その右腕を捕まえた。

 

「ちゃんと、3人が映るようにしてね」

 

「ん、あ」

 

インデックスの大きな瞳から放たれた視線は一直線にカメラのレンズで、捕まえた腕を離すつもりはない。どちらも。

てっきりツーショットかと思っていたため反応が困る。

撮影役は香椎の男性恐怖症への配慮だったんだが、それにこんなに近いと背景の大英博物館はフレームにほとんど入らない。

携帯電話片手に首だけ回して、インデックスを見れば、『早く撮って、早く』という催促の視線を返される。

仕方なしに『どうすんの?』と視線をもう一人に送る。

 

「……、」

 

ここでインデックスを説得するに要する時間を計算したのか、ゆっくり瞬きすると香椎はこちらに控えめに顎を引きコクリと頷く。

そして、カメラ目線でやわらかい微笑を浮かべる。……先の文句はやはり冗談で、写り慣れしているのが何となくわかる。

ここで断れば、彼女の気遣いに悪い気がしてきたので、当麻は携帯電話を撮影モードに切り替え、にゅーと左腕を伸ばし―――ふと、右手の行方が気になった。

インデックスの細い体を挟んだすぐ隣。息遣いまで聞こえてくる、またその鼓動が伝わるほどに近い。嗅覚だったものが、質感に変わる。

組み直し、肩に回そうと腕を伸ばせば、きっと届く。自然と、触れられそうな、その短い距離。

しかし、信頼している間柄にとって、これが相応しい距離かどうかはわからない。

肌で触れあいそうな距離=心の距離と概算が成り立つかもわからない。

妹は触れた相手の想いを理解するが、触れなかったらどうなのだろうか?

 

 

送られてきた3人の王女様との記念写真は、誰が誰も近しいけれど互いに触れていなかった。

 

 

「……良し、一発で決めるぞ」

 

ばちーん、と当麻は、そのまま、撮影ボタンを押した。

 

 

 

さて。東洋の人間は、西洋においては一回り若く映るものだ。

よほど長く滞在している外国人でも、百年以上を閲した街角に立たされれば、違和感を際立たせ、この愚兄も田舎からやってきたおのぼりさんに見られている。

ただ何にしても例外はあるもので、当麻以上に童顔なインデックスは、それに比例して、別の印象も強い。

幼さと、たまにその深く豊穣な碧の色合いの瞳から覗く老成した気配のミスマッチが、この街、彼女の故郷に似ているからかもしれなかった。

不思議な成熟と未熟とが、小さな体の内側で、矛盾せずに成立している。

ここはオカルトが一切ない学園都市とは異なり、街角に修道女が歩いていてもなんも不思議ではなく、インデックスにとってはホームグラウンドといっても良い。

この香椎もそうだ。

その場の環境に適応する技術が高いのか、違和感なく溶け込んでいる。なので、浮いているのは馬子に衣装を着せられている上条当麻ただ一人、向こうも最初にそこへ目を止まらせた。

 

「上条当麻」

 

思い出づくりも終わり、移動。そこから5kmもしないところにデカい公園。

英国王室の代名詞とも言える『バッキンガム宮殿』だ。

首都ロンドンの一角で約1万坪の一区間を占め、舞踏会場、音楽堂、美術館、接見室や図書館等が設置されている。

その表門の入り口ではない、裏口と思しき辺りに、彼女はいた。

東洋人にしては、顔立ちは大人っぽく、平均身長よりも長身な、18歳の女性。

下は片足だけ根元からすっぱり切ったジーンズで、上も同じく片腕だけを露出するようカットされたジャケットを羽織り、へそが見えるまで絞ってあるTシャツ………と、相変わらずの特徴的な服装に、アクセサリーとして全長およそ2mものバカでかい大太刀。

お久しぶりです、と頭を軽く下げられる。

当麻は、その忘れようもない、その名を―――

 

 

「だ、堕天使エロメイドが何故ここに!?」

 

 

バッキンガム宮殿

 

 

ブゴゥ!! と神裂火織は言霊に胸を撃ち抜かれたかのように思いっきり咳き込んだ。本人も忘れたかったそのトンデモ代名詞に、ガハゴホと呼吸困難に陥り、半ば喘ぐように息を整えている合間も、当麻はわなわなと。

 

「この局面で出てきたっつうことは、まさかまた……ッ!!」

 

「またとはなんですか! またとは!! 私は堕天使でもエロでもメイドでも、そんないかがわしい存在ではありませんッッッ!!! イギリス清教の代理にして、新生天草式十字凄教の女教皇(プリエステス)です!!!」

 

「でも、この前、なんか堕天使っぽいのがテレビデビューしてたし……」

 

ブゴホォ!!! と二発目でついに膝を着くまでに。赤裸々に明かされていく、黒歴史。

 

「五和も映ってた気がするが、まさか天草式でそういうエロいメイドが流行って……」

 

「違いますッッ!!! 確かに、色々やったのは認めますが、絶対に違いますッ!!! そんな卑猥な流行はすでに撲滅しました!!! だから、そこで顔を真っ赤にするのを止めなさいっ!!!」

 

神裂は当麻の両肩を掴んでがくがくと揺らして、撤回を求めるも、何となく目を合わせづらい愚兄はそっぽを向いたまま。

 

「けど、悪いがあれは忘れられねーよ。そのニュースも録画しちまってるし」

 

「っ!! くっ!! こうなったら、あとでその記録媒体を叩き潰すとして、今は、ここで物理的に記憶を!!!」

 

「落ち着いて堕天使のお姉さん!?」

 

「何を言ってるんですが、私は完璧と言っていいほど平然としています。大丈夫。すぐに楽になります」

 

サラリと出た言葉は何の変哲もないように聞こえるも、羞恥が消え、喜怒哀楽の全ても消えた無表情での発言なので、危険度MAXだ。

だんだんと加速していき―――あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばっ!!!

気まずく赤くなっていた顔が、段々と土気色に。

天草式は一見生真面目なツッコミ係ほど、実はキレたら怖いサイケランクの上位に位置している。

古来、般若の面が示すとおり日本の女性は奥ゆかしいが鬱憤が溜まると人間離れした爆発を起こすものなのだ。

それに、このままだと折角ちゃんとしたのにまた乱れてしまう。

 

「す、すみません、女教皇様。落ち着いて……」

 

とエロいメイド集団こと天草式の香椎さんが止めに入れば、ピタリと神裂は停止。

助かった!! キチンと部下の声を聞く上司って素敵です!! そして、大和撫子は怒らせたらやっぱり怖い!! と当麻は後ろ首を摩りながらほっと一息。

以後、神裂の前ではメイドは禁句にしよう。

申し訳ありません、つい……と、謝罪しながら神裂は当麻の服を直す。

ここまでの列車での移動中で着替え、いつも着ている学校の制服ではなく、香椎が用意したスリーピースのタキシード。

正直、一生縁がないと思っていた服装だ。

聖人パワーに破れぬほど丈夫で、意外と動き易いが、やはり精神的に引き締められるというか肩が凝るものだ。これから会う人物に面会するには最低限の格式がなくてはならないのだから、仕方がない。そう、自分に言い聞かせながらここまで楽に着崩していた服装を整え、緩めていたネクタイを締め直し、ベストのボタンを留めた。

その間に。

 

「女教皇様、“地図”をありがとうございました」

 

「貴女が無事で何より。ここまでの同行、ご苦労様です、香椎」

 

「いえ、こちらも楽しかったですから。では……」

 

一般的に出回っている洋紙ではなく、このイギリスでは珍しい和紙の束を神裂に渡し、それから二言三言会話すると、香椎は当麻達に一礼。数歩後ろに離れた位置に距離を開けて控え。禁書目録とその管理人という要人の警護の役に徹する。

でも、インデックスは気になるのか、歩くスペースを落す。

そして、神裂が先頭の道先案内を引き継ぐ。けど、少々当麻には不安なことが。

 

「なあ、神裂。この宮殿の中に当麻さんが入っても問題ないのか?」

 

「問題とは?」

 

神裂が開いたドアの先。

そこには、『室内』というより『景色』と形容すべき、壮大なスケールの空間が。

詩歌が会談した際のニュースで、さらっとだけ内装が映されたが、実際に見てみるとすごい。

車一台が悠々と走れそうな廊下に、これ自体が美術品のような絨毯、そして、壁には絵画や彫刻。さらにはメイドや執事までも揃っている。

 

「ほら、この右手に<幻想殺し(イマジンブレイカー)>という力が宿ってるだろ? だから、ちょっとかすっただけで国宝のあれやこれが木端微塵に壊れたら国際問題とかになりかねないよな」

 

先の大英博物館も、時間の都合上、中を見学することはなかったが、たとえ余裕があっても、その国宝級の展示物――それも霊装になりうるものを壊せば、不幸な生涯借金地獄に直行だったろう。

聞けば、ここ『バッキンガム宮殿』にも美術品が何点かあるそうだし、当麻さんは億を超える借金を抱えた執事に永久就職は勘弁願いたい。

 

「それは杞憂です。イギリスは魔術大国ですが、このバッキンガム宮殿にはその手のセキュリティ機構はすべて解除されていますから」

 

「え、そうなの? てっきり、女王様が住んでる宮殿っつうから、とんでもない魔術要塞かと思ったんだが」

 

「確かに、そういう城塞はあります。ですが、危険というのは物理的なものだけではありません。このバッキンガム宮殿は他国との外交の場であり、その会談に魔術的な機構を仕組むと、相手国の重鎮に余計な警戒を取られ、下手をすれば国と国との争いの火種になりかねないので、つけられていません」

 

城塞としての典型例である王室の別宅ウィンザー城でも、パーティは開かれるが、こちらの場合は『<英国女王(クイーンレグナント)>は客人を罠にはかけない』という信頼を持つ者だけが招待される。

 

「それに、あの女王に関しては、そういうセキュリティは必要ないでしょう」

 

「?」

 

意味深な呟きに、当麻は少々不可解だがひとまず置いておく。そして、一番聞きたかった―――

 

「あとさ。今日の会談に詩歌は来るのか? ほら、連絡取れねーくらい大変なんだろうけど、『学生代表』だし、俺と同じでインデックスの保護者だからさ」

 

神裂の背が消えた。

違う。当麻が立ち止まった神裂を追い抜いたのだ。

そして、また歩き始めるも、そのペースはさっきより幾分遅く、口元から短い息が漏れる。

 

「どうした神裂?」

 

「……香椎から何も聞いていないのですね……?」

 

振り向く。神裂と目を合わせ、次に当麻の視線はすっと神裂の背後、インデックスの後方へと向ける。そこにいるはずの―――けどいつのまに、執事やメイドに混ざってしまったのか、見えなくなっていた少女を捜す。

 

「あれ? いつのまに……天草式ってすっげぇんだな。朝も、誰にも気づかれずに部屋に入っていたし」

 

インデックスも当麻がこちらに振り返った意図を察したのか、釣られるように振り返り、あれ? と同じように驚く。

あの<禁書目録>からも、察知できなかったのか?

 

「……ええ。彼女は気配を殺すのが得意ですから」

 

もう一度、神裂は溜息をこぼし、

 

「それで、詩歌についてですが、この会談に『学生代表』は出席しないでしょう。私もここには彼女の世話役ではなく、イギリス清教の代表代理として出席することになっています」

 

「え? しいか、ここに来ないの?」

 

「ええ。この件は、学園都市の介入なしに、イギリスの力だけで解決すると決めています」

 

「……そっか。ま、ここで会えないのは正直残念だけど、俺は俺の仕事をやる。あー、何か迷惑かけてるようで悪いな、神裂」

 

「いえ……私個人が言えるのは、ただ無事であるということだけです」

 

「ん。元気でやってるようなら、十分だな」

 

そして、とりあえず、納得した当麻とインデックスは、神裂の先導に宮廷内を進む。

 

 

「お、君達は」

 

 

途中。交差路で、横から男の声に呼びとめられた。

使用人たちの話す早口の英語ではなく、当麻にも聞き取れる日本語で。

声の主を捜せば、こちらに歩み寄るスーツ姿の男性。

と言っても、当麻のタキシード姿よりも様になっている本格派な金髪の英国紳士。

当麻よりも先に気づいていた神裂が一歩前に出て対応すれば、向こうも親しげに挨拶を返す。

 

「<騎士団長(ナイトリーダー)>。ロンドン塔からお戻りになられたのですか」

 

「ああ、神裂。まだ捜査が立て込んでいるとはいえ、派閥の代表として、この会談を欠席するわけにはいかない。それで、君が<禁書目録>の管理業務を負う者か」

 

「え、ええ? 管理業務とかって言われると微妙ですけど……」

 

「あの10万3000冊を保全する人物とは、どのようなものかと興味を抱いていた。それに、君は『学生代表』とは兄妹であるようだね」

 

するり、と軽く挨拶を済ませて神裂を躱すと、当麻の前に立つ。

 

「はい、そうですが。何か」

 

「うむ。それで、昨夜から何か妹さんから連絡はなかったかな?」

 

「はあ? 連絡って……」

 

「ああ、どんな些細なことでも構わない。知っているかと思うが、君の妹は―――」

 

「<騎士団長>!」

 

強引に神裂が間に割って入る。

戦闘馬鹿とも言われる『騎士派』だが、一派閥の長ともなれば、読心の術がなくとも相手が何を伝えたいかは察せる。

何も知らないからこそ疑われずに済む、とかいう意味深な言葉をブツブツと漏らし、

 

「そうか……君には、辛い会談になるかもしれないな。<禁書目録>、君も。誰が相手だろうと私情で動かず、国のために道具としての役目を全うしてくれたまえ」

 

ぽん、と当麻の肩を叩くと、騎士団長は先頭に立ち、皆を先導する役目を買って出る。

 

「……、」

 

背中にくっついてきたインデックスの肩が、ふるっ、と震える。

何か予感めいたものを覚えているようだ。かくいう当麻も同じ。

当麻は前を、こちらが立ち止まっていてもその振り返ることのない騎士団長の背中を見つめながら、後ろの彼女に、

 

「大丈夫か? もし、お前がイヤだってんなら、ここで引き返しても良いぞ。誰が相手だろうと、俺はインデックスの味方だ」

 

<禁書目録>の保護者役、だからではなく、インデックスだから守りたいと当麻は思う。

インデックスから何も返答されず、ただ後頭部に視線を感じるだけだが、しばらくしてわずかに気配が弛緩した。

 

「私は、逃げない」

 

か細い声で、彼女は言い切る。斜め後ろで見ていた神裂が息をのむ。

 

「イヤなことから逃げても、それが消えてなくなるわけじゃない。だから、やるよ」

 

そうだな、と当麻は同意。ここで帰っても、不幸はなくならない。

そして、前へ進み始めて、その先の巨大な扉の前で、騎士団長はわざわざドアノブにも手をかけずに待っていた。

 

「……逃げなかったか」

 

ごくり、と当麻は息をのむ。

もし、背を見せるようであれば、騎士団長は即座に斬り伏せたであろう。

ここで逃げても無駄で、この宮殿を出られても英国からは出られない。

だが、逃げるのが無駄だからあきらめたのではなく、立ち向かうために背を見せなかったその意志は、素直に称賛できるものだ。

騎士団長の目線がわずかに緩み、そして、当麻達に背を見せる。

して、扉に軽くノックをしてから―――ドアノブに手をかける前に、動いた。

 

 

「おおー。良く来たな。さあ、入れ入れ。外は寒かっただろう。温かいお茶を用意してあるぞ」

 

 

メイド姿の中年女性が扉を開けて出迎えてくれた。

 

 

 

騎士団長の動きがピタリと止まる。

つい先ほどまでの少年少女を試したシリアスな雰囲気も、この気のいいおばさんを前にしたらどこかへと飛んで行ってしまったらしい。

 

「おや? 反応が悪いな。わざわざ近衛侍女のシルビアと同じ格好をしたんだが。お、そこにいるのはシルビアと同じ<聖人>の神裂。最近じゃ、下女の姿で修行するというのが流行ってるんだろ?」

 

「え、ええ!? シルビアの場合は王権神授制のトップに仕える巫女としてその役割を全うしているだけで。それから私は決してやけにエロいメイドではなくて……。いや、そもそもあなた様がそういった格好で出迎えるのは大変問題が」

 

同じく奇襲を受けて凍結していた神裂は、まず自分に水を向けられるとは思ってなかったので、目を白黒させてしどろもどろにさらに混乱。

 

「そうか、いらっしゃいませ、ご主人様が日本格式(ジャパニーズスタイル)だったか。それにこのメイド服はやっぱり地味だな。良し、やり直そう。着替え直してからテイクツーだ」

 

すまんが少し待っててくれ、と一人納得して扉を閉められ、その前でかっちり固まった騎士団長。

どうしたのー? と唯一愚兄の陰に隠れて何も見なかったインデックスが気になり当麻の肩に顎を乗せるように閉ざされた扉を注視し、

なんだ今の人? どっかで見たことがあるような気がすっけど、ここの家政婦さんか? と少年の視線を、言わずとも察した騎士団長さんは『しばしお待ちを』と平手を向けてサインを出してから、一瞬たりとも客人に英国の恥部――じゃなくて、そのお姿を晒さぬよう、ドアを開けてすぐに部屋の中へ入り込む。

もちろん、入ってすぐにドアに鍵をして。

 

『うおぉ!? 着替え中にはいるとは何事か貴様!!』

 

『謝罪はしますがその前に一言を。―――テメェ公務だっつってんのに何で下女の服で登場したんだボケ馬鹿コラ!! 頼むからもっと国家元首としての自覚を持てよ!!』

 

『国家元首も女だ。だったら、女性としての振る舞いを学ぼうとするのは悪いことではない。ほら、ローラから紹介された英国で話題沸騰中のメイドシリーズ一式も通販で購入してあるぞ。イギリスの淑女の見本たる女王として流行に乗り遅れるわけにはいかんからな』

 

『流行とか気にする前に別の事を気にしてください!! 女王として相応しく!! ええ、本当に意外性とか全くこちらは求めてませんッ!! そのメイドシリーズはこちらで処分しますから、ちゃんとした服に着替えて、それからお歳をお考えくださいッ!!』

 

『何! 私はまだまだ現役だぞ!!』

 

『い・い・か・ら、着替えろババァ!!』

 

扉は閉められていても聴こえる、ドッタンバッタンと暴れる物音。当麻は何となくこの流行の発信源を察し、神裂に謝らなくてはいけない気がした。

 

「あー……神裂、ごめん」

 

「もう、いいです」

 

「うん。帰ったら、ニュースの録画も消すよ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

ややあって、乱闘で心身ともにくたびれた調子の騎士団長がドアを開けて、

 

「待たせて申し訳ない。できれば、こちらもさっき見たのは忘れてほしいが……とりあえず、もう大丈夫だ。女王エリザベート様が目を覚まされた」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドと『四文化』で構成され、さらに血筋の王室派、武力の騎士派、知識の清教派の『三派閥』に分けられる、2つの相関図が絡み合った『連合国家(United Kingdom)』という統治体制が確立されている。

故に複雑で、同じ派閥でも文化の違いで対立したり、逆に文化が同じならば違う派閥でも手を結んでいるものもいる。

その『派閥』の中でも王室派は、議会政治を干渉・掌握するだけでなく、警察や軍にも干渉でき、外交の場に立つ、最も表立つ英国の看板であり、実質的にこの国の舵取りを行う者達だ。

しかし、政治的手腕で選ばれた側近という例外はあるも、選挙によって決まるものではなく、王に連ねる血統が条件に挙げられており、そこに当てはまるものは数少ない。

その選ばれたものでも、トップはもちろん<英国女王(クイーンレグナント)>だ。

 

「良く来てれた」

 

ゲームのような玉座はなく、パーティ会場のような広い空間。

その中央に立つ、白と黒のツートンカラーでまとめられた、足の爪先まで隠してしまうほどスカートの長いドレスを着こなす50前後の年齢の女性。肌や髪に表面的な老いは表れているも、その根源的な内面……芯や骨格と言ったところは、10代の愚兄に勝るとも劣らない。

英国の女王エリザベート。

幼年期からその生まれ持った輝きを上手に上手に精錬させれば、やがてこういう人間になるのではないか、と当麻は思う。

自然と頭が下がった。その下に向いた視界が、女王の右手に添えられる一本の剣を捉える。

柄まで入れて全長80cmと神裂の大太刀の半分もない、西洋風の典型的な両刃の剣で、その切っ先もなく、よく見れば刃もない。細長い四角い板のような刀身だ。

それを鞘とかに納めず、抜き身のままに、女王様がもっている。バトリングのようにくるくるとまわしている。

え、これって大丈夫なのか? と先程の冥土(メイド)パニックでお疲れ気味の騎士団長さんと、対照的に笑顔を浮かべる女王に問えば、

 

「ああ、あの剣は奇異に見えるかもしれないが、王族のみに扱える<英国女王>エリザベート様の象徴なのだ」

 

「うむ。<カーテナ>と呼ばれておる王の戴冠に使われる儀礼剣だ。この通り、刃も付いておらんし、切っ先も真っ平らだ。しかし、色々と使える便利な道具で、その扱いも難しい。その効果は持つ者によって様々だ。ま、剣が折れた所で、王室が潰えるわけでもないし、王族だけが剣を使えるというわけでもないようだ」

 

と謙遜するように笑うも、その手には馴染んでいるように当麻は思う。

この歴史を紐解けば、英国王室の全てを理解することと等しい代々の国家元首が手にしてきた神聖な剣だが、王様の証ではなく、王様を選定する証。

それを『扱い慣れている』という感じはつまり、英国の王として何よりの証拠だろう。

 

「とにかく女王様が持つすごい剣なんだな」

 

騎士とか侍ではない、それに英国の歴史に疎い当麻に、<七天七刀>を所有する女教皇は頷きつつも注釈する。

 

「その表現は大雑把過ぎますが、そうです。あの剣の所有者に認められれば、<神の如き者(ミカエル)>の加護を得て、<大天使>の頂点たる天使長と同格になります。まあ、最強の<天使>と同質の力を扱える<カーテナ>を剣とカテゴライズされるのが微妙ですが」

 

うお、と当麻は若干ひく。

これまで<天使>とやらに関わって碌な目に遭ったことがないというのに、その中でも一番偉くて強い<天使長>だ。あまりお近づきにはなりたくない代物だ。

 

「加護を得ると言っても、英国大陸の限定だがな。<カーテナ>は王と騎士に莫大な<天使の力(テレズマ)>を与えるもの――簡単に言えば、『『四文化』の法を束ね、国を守る『三派閥』に力を分配する剣』といったところか」

 

十六世紀にヘンリー八世という王が、自国の政治を他国に干渉されるのを撥ね退けるために生み出された独自の十字教様式――イギリス清教で、その最高のトップは国王である。

よって、十字教のトップであるローマ教皇であっても、<天使長>と同位であると定められるイギリス国王に命令することは認めない。そして、国王が従え、民を導く騎士団は<天使軍>である。

その<天使軍>の『騎士派』の長たる<騎士団長>は語る。

 

「四は『大地』という意味の数字であり、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドと4つの国を材料に地図にまとめることで、近隣諸国との外交で頭を悩ませていた国王は『四国のみで成り立つ偉大なる大地――それがこの<全英大陸>』という魔術的意味を見出し、『連合国家』にまとめたようだ」

 

宗教からではなく、政治のために、この大陸の四国をまとめるための法<全英大陸>を編み出し、<天使長>と<天使軍>に対応させた国王と騎士団の力で連合を手中に収め、当時のローマ教皇を代表とする様々な権力から連合を守り、ひたすらに高度な独自文化へと発展する。

連合という利点を活かした宗教的な恩恵を受けられるだけでなく、政治的にも『イギリスという大きな単体国家』であると認めさせた、極めて都合のいい制度。

それはもちろん、<禁書目録>の叡智にも収まっている。

 

「でも、『ヘンリー八世の天使長ルール』はイギリス大陸限定だからね。国外ではその本領を発揮できないし、それに統一の際に予想以上の抵抗があって、『四国なくては成立しないルール』を危うく破綻しそうになったんだよ。だから、元々の『英国の王を選定する剣』から人以上の力を振るえるようにするために『英国の天使長を選定する剣』に改変されて、その力で『連合王国』の『四文化三派閥』が成り立ったんだよ」

 

連合を支える力を御するのが<カーテナ>であり、最大限に扱う者が王国の頂点に君臨する<英国女王>。

 

「……まぁ、民には作用しない効果だというのが残念だがな」

 

恩恵を受けられるのは、あくまで『国王』と『騎士』のみ。

神裂火織のような『清教派』は、民に分類されるモノで、特別<天使>に対応できることはない。

 

「使えるのはあくまで“<天使長>の力”であって、人間である限りは“<天使長>の術”は理解できんのだ。女王とはいえ、人間である私の手にも余る代物だよ」

 

先からイギリスという国の理解を深めるためのレクチャーとして<カーテナ>について語る時の女王の口調は軽い。

実感がないのではなく、その力の強大さを理解した上で、エリザベートという女傑は、過去の伝統を笑い飛ばすだけの余力があるのだ。

 

「だが、力は使える。ここバッキンガム宮殿にセキュリティの類がないのは、必要ないからだ。<天使長>を殺せる人間なんて、少なくとも私はお目にかかったことがない」

 

「……何かよく分かりませんけど。とんでもない霊装だから、当麻さんは絶対に右手で触らない方がいいですね? よし、警戒心MAXで距離を取らさせてもらいますでせう」

 

「別に構わん。仮に何かの因果でコイツが傷つき、破壊されたとしても、誰も責めはせんよ。そもそもこの<カーテナ>は歴史的には二本目(セカンド)だからな」

 

つまりは、今女王の手にあるのは予備の複製品。

どこかへと消えてしまった始原の<カーテナ=オリジナル>の代役として、儀式に支障が出るので急遽造られたものだ。

 

「仮に二本目(セカンド)が折れても、新たなる三本目(サード)が生まれるだけだ。だから、そう気負わんでも良いよ」

 

「そんなもんなのか……?」

 

と、当麻が首を捻った時、後ろから声がかかった。

 

 

「そんなもんではないわよ」

 

 

声が聞こえたのは出入り口の扉。

振り向けば、そこに青を基調とした女王に負けず劣らず豪奢なドレスを纏っているも、派手ではない、不思議としっとりとした印象だけを与えてくる30代前半ぐらいの美女。

肩にかかる程度の髪は色が黒だが、染めているのか不自然なほど艶のある。

広がりのないスカートをピタリと脚のラインに吸いつかせて、待たせている立場だが決して走ることはない。

また、彼女の側には使用人も騎士も誰も控えておらず、騎士団長は彼女の相変わらずの人間不信ぶりに呆れる。

彼女はこちらがどんなに説得しようとも、決して側近を侍らすことはない。

当麻は、その顔を知っていた。

 

―――第一王女・リメリア。

 

英国の三人の王女の長女だ。

知的というよりも冷徹な印象を強くしている片眼鏡(モノクル)が左目にかけられ、その視線が客人である<禁書目録>、そして、その管理人たる上条当麻を興味深そうに――といっても、秒で済ませたが――注視して、その<カーテナ=セカンド>とやらを見てから、もう一度―――

 

「<カーテナ=セカンド>は確かに『王室派』の手によって人為的に作られた二本目ですが、現在ではその複製品の製造法ですら不明。軽々しく、新しく作ればいいだなて、そんなそんな。―――まあ、『眠り姫』ならできそうだけど」

 

………『眠り姫』? と最後に意味深にこちらへ視線を送ってきたことに、当麻は気になる。

ひどく胸がざわざわとする。

だが、それが何なのかと問い質す前に、入ってきた2人目。

 

「まーた姉上はジメジメしてるの?」

 

リメリアとは対照的な、華美な赤いドレス、所々に真っ赤なレザーをあしらったボンテージのような衣装に身を包んだ20代後半の女性。彼女の方は左右に2人の騎士を従えている。

この女性の顔も当麻は知ってる。

 

―――第二王女・キャーリサ。

 

「まったく、この姉上は相変わらず鬱陶しーな。世界の全部が信じらんないなら、『眠り姫』のように起きなければ丸く収まるのに」

 

興味がないようで、第二王女はわざわざ見知らぬ客人である当麻の顔を確かめようとはしない。

視界に入っているが、眼中にない。

ワイヤーの骨組みが仕込まれているのかスカートは、パラソルのように不自然なほど開かれており、その歩く動作の一つ一つからも彼女の攻撃的な性格であるとは明らか。

だが、不思議と―――と、こちらに向けられている視線に気づく。

 

「ヴィリアン。なんだ、お前も来てたの」

 

第二王女が投げかけた言葉の先――部屋の隅に、緑色の、大きくスカートが広がったドレスに身を包んだ20代前半の女性がいた。存在感が薄いというわけではなくて、控えめな、と言うべき色白肌の金の長髪の女性。彼女の方も1人だが、女性の騎士が側に控えている。

王女の中でも典型的な、それこそ童話に出てきそうなお姫様だ。

当麻はもちろん彼女のことも知っている。

 

―――第三王女・ヴィリアン。

 

誰も写真に写っていた英国王の血筋を引く本物の王女様だ。

ビクッとこちらが視線に気づいたことに気づいた第三王女は肩を震わすと、身を縮め、スカートを両手で押さえつけるようにしながら、音もなく目礼し、そのままそそくさと距離を取る。

まるで、当麻から逃げるように。

 

「(ねぇとうま。また何かやったの? かしいの時みたいに避けられてるけど、変な視線でも送ったの?)」

 

「(してねぇよインデックス! っつか、変な視線って何だよ!)」

 

こそこそとインデックスと会話してると、妹の反応から、ようやくこちらに興味を持ったのか、第二王女のキャリーサが当麻に急接近。

 

「おい、そこの少年。私の妹の第三王女に色目でも送ったのか?」

 

「送ってねぇよ!」

 

高貴な血筋を引く者で、本来は敬語で話すべき相手なのだろうが、女王のインパクトが強かったのか、つい軽口で対応してしまう。

むこうもそれを容認しているのか、態度も軽く、特に気にしていない。

 

「あちらさんがこっち見てたから気になっただけでそれ以上の意図はありません!」

 

ほら、インデックスさん! 不穏に犬歯をギラつかせるのはやめてお願い!

 

「ふーん……ちっとも靡かないとは、それはヤツの魅力がないってことか」

 

うお! 今度は何か女騎士さんまで剣の柄に手をかけてきた! しかし、ここで引くと後ろのインデックスさんが怖い!

けど、ここで一体どのライフカードを取るべきなのか!

 

「いやいや、貴女の妹様は大変お姫様で、見目麗しく、お淑やかな……ほら、何か優しそうだし! 厳しい砂漠の中で湧くオアシスみたいな癒し系で」

 

「それは私を暗にお姫様っぽくないと言っとるのか? 根暗な姉上ならとにかく」

 

「きゃー!? 今度は騎士二人が剣を抜きかけてますー!?」

 

どうすればいいの! どうすればいいのっ!? もうイギリス王室って怖い!?

 

「ま、週刊誌じゃ『最も結婚したいお姫様』だそうだけど、実際に付き合ってみると、つまんないヤツだぞ。姉である第二王女のキャーリサが保証する」

 

「何ともコメントしづらい言葉を平然と放つなあんたは!」

 

キャーリサの声は、ヴィリアンにも届いているはずだが、彼女はただ見を小さくするだけで、リメリアも妹の言を気にすることなく、我関せずを貫いている。母であるエリザベートも、騎士団長と共に何だか神裂に『清教派』のトップの会議欠席(サボり)について訊いている。

何となくこの三姉妹の力関係が愚兄にも理解できてきた。

 

「ところで、お前はどーいう役割なの? まさか道に迷い込んだであるまいに。母上と騎士団長がここに入れたって事は明確に会議に出席できる立場があるんだろ」

 

正体を明かせ、と。何だか今更な気がするが、当麻としてもここでインデックスを放置するのは気に病むし………それに、気になる。

上条当麻は、この会議には出なくてはならない。

 

「インデックスの保護者だよ、悪いか」

 

「<禁書目録>の……ほーうほうほう。なるほど、それはつまり」

 

第二王女は何故だが笑みを広げ、当麻にぐいぐいと身を寄せて、その耳元に小声で。

 

「(この件が“うまく”片付いたら王女様とお付き合いしても良いぞ。この私が推薦してやる。ヤツの方も珍しく気にしているようだしな)」

 

「むー!?」

 

はあ!? いきなり何言ってやがんだ! と当麻が叫ぼうとしたが、その前にヘッドロックでもするように腕を回され、手で口を封じられる。そのせいで色々としっとりとした柔らかい部分が色々と当麻の体に密着し、

 

「(ぐわあ!? ちょっと、なにこれ。どうすりゃいいの!?)」

 

「(ここで暴れない方が賢明だぞ。私に何かあれば堅物の騎士団長が剣を抜くのでな)」

 

瞬間、かっちーん、とものすごい笑顔のままに凍結する愚兄。

改めてだが、この軽口を叩いてしまっている相手が、高貴な血筋の超VIPだと確認。

 

「(さて。まあ、ヤツ自身はつまらんが、人徳はあるし、礼儀作法も学んでいる。それに見た目も如何にも守ってあげたいお姫様だし。男と言うのはそういうのに憧れるんだろ)」

 

「(お断りだ! だいたいいくら姉だからって本人の一存もなしにそんなことまで決めていいはずがねぇだろ!)」

 

「(別にいいんだよ、ヤツの意見なんざ無視しても。可愛さだけが取り柄だからな)」

 

それはどこか、嘲笑にも似た微笑みだった。

第二王女は真実、第三王女のことを微笑ましく思っているのかもしれない

 

「(それだったら、普通の学生にこんな話はありえねーだろ。言っとくが上条家はごくごく平凡な一般家庭だぞ)」

 

「(バカだな。その血統に一代で成り上がった革命者がいるだろーが)」

 

英国王室で、3人の娘達は、上から順にこう評される。

 

長女は頭脳。

次女は軍事。

三女は人徳。

 

つまり、長女が交渉と言う机上で相手の理を看破し、次女が戦場と言う盤上で相手の力を捻じ伏せ、三女が婚約と言う紙上で相手の重鎮を篭絡する、その役割分担で英国に有利な条約を締結させてきた。

微笑、いや無表情ともすらとれる完璧な微笑。

それを見て、このあからさまな誘いが試しであると、そして、愚兄は第二王女が自分ではなく自分の背後を、そして、自分の背後に何を見ているかを悟る。

 

「(将を狙うならまずは馬にエサを出せと、日本ではそういうんだろ?)」

 

「……将とも言い張るつもりはねーし俺は馬鹿だが、馬じゃない。そろそろ、“妹を”馬鹿にする冗談には付き合ってらんねぇぞ」

 

激昂まではしてないが小声を止め、『妹を』の所を二重の意味を込めて強調するよう語気を強めて言っても、第二王女は動じない。悪びれない。恥じない。

人を手駒扱いしても悔いない姿勢こそ、王室にはふさわしい。

事実、彼女は美しかった。

 

「(まあ、心からの言葉ではない。それを冗談と呼ぶのは勝手だ。しかし、もし本気で頷くなら、私も真面目に婚約を考えただろーに)」

 

視線が絡み合う。

 

「(国を背負ったことのない小僧には分かるものではないだろーが)」

 

懐かしむ遠い瞳と、優しい口調。だが、その言葉にぞわぞわとしたものを覚える

 

「(ひとりじゃ何もできない私の妹は政略に使われるエサだよ。国家公認のストリッパーみたいなもんだし。いつかこの国が絶体絶命の時がきたら、本当に政略結婚に使われるだろーな)」

 

余所様の家の事情に口を挟む気はなかったし、相手は英国王室だ。

けど、愚兄だ。ここで引いたら、自分だけじゃなく賢妹までも馬鹿にされたことを認めなければならない。

 

「王女様にもわかるかどうかわかりませんけど」

 

だから、当麻も思ったことを言ってやった。

 

「これは俺をからかった冗談だとしても、姉の口からそんなことをきかせちゃいけねーんだよ。だから、謝罪しろ。俺にじゃなく、あんたの妹さんにだ」

 

身体を預けていた強引に第二王女を振り払う。

 

「……ふーん。兄妹揃って同じ事を言うんだな」

 

「キャーリサ様!」

 

「何でもない。初心な小僧をちょっとからかっただけだし」

 

護衛の騎士2人がその無礼に反応するも、キャーリサが止める。

 

「おい!」

 

「ま、調子に乗って『眠り姫』と同じ目に遭わないように、気をつけるんだな、お兄ちゃん」

 

とん、と離れ際に、当麻の胸に指先を押し当てる。その要求を聴かぬ代りにその無礼を許す。

それから、そのタイミングを見計らっていたように、エリザベートがパンパンと手が叩かれ、皆の視線を女王たるエリザベート自身に移させる。

 

 

「じゃあ、顔合わせも済んだようだし、適当にトンズラするか」

 

 

???

 

 

数日前のフィールドワーク。

 

木々に囲まれて形作られる自然の天蓋は、ヴィクトリア駅の硝子張りアーチと同じく陽光を透過させる。

うっすらと翳る緑に射す光は斜めに流れ列をなす――天使の階段とも呼ばれる現象だ。

さらさらとなる葉擦れの音に、光の梯は揺れて、葉脈を透かしていても森を明るくする。

ロンドンのとある森。

この辺りは今だ中世の面影を残しており、スポーツの世界大会に使われた都市部であっても、少し外れれば、自分の立つ時代が分からなくなるかもしれない。学園都市が未来と現在で彩られたものならば、そういう過去と現在を同居させた色合いこそがロンドンという都市の醍醐味であろう。

そんな森の一角に、少女は現れたのだ。

その歩く様は、自然と迷いは見られず、調和すらしてしまう彼女の容姿も相俟って、森の妖精とも見間違えられるかもしれなかった。

鬱蒼と茂った枝を掻き分け、森の奥へと身体を沈み込ませていく。一歩ごとに、湿った土に足跡がついていくのが印象的だった。

十数分ほど歩いたあたりで、空間が開けた。

おおよそ直径20mほどの円形の空間。伸び放題となった草むらの上へ、縦や斜めにいくつもの石が組まれていた。

環状列石(ストーンサークル)

いまだ英国には、大小様々な<環状列石>が残されている。

ここも、そのひとつ。

単純な規模で言えば、世界遺産にも指定されたソールズベリーの――別名ドルイド・サークルとも呼ばれる――『ストーンヘンジ』ほどではない。それゆえ観光客からも見逃されがちな一点ではあるが、歴史の長さにおいては決して劣らず、特徴もまた同じだ。

『ストーンヘンジ』は世界遺産にも登録されている遺跡であるが、“何のために造られたものかはいまだに正確に分かっていない”。

古代の偉人を祀る墓か、生贄を捧げるための祭壇か、『星の動き』を読み取るための天文台か、などなど。

有力な説は数あれど、どれか一つに確定しているわけではない、不安定な存在。だから、様々な方式で利用されている。

霧の都の詩人や作家は、淡く煙った銀月ひとつとっても、幾多の歴史と物語を伝説と彩るために飾り、一枚のだまし絵のように見る角度によって表情が変わるその様を、神秘と讃えてきた。

この街に多くの幽霊や妖精、魔術師の伝承が残るのも当然と思えてくる。

それと、同じ。

十徳ナイフのように多方面の『仮説』を元に、自分に都合のいい解釈を選べる自由度の高い魔術的儀式場―――それが、<環状列石>だ。

魔術における重要な拠点。

イギリス清教が管理しており、有名なストーンヘンジには手は出せないが、流石にこの国に隠された全てを把握するのも困難というもの。

 

少女はできる限り多くを把握しておきたかった。

 

それらの石の間を縫うように一周ぐるりと歩んでから、奥の、そこだけやけに周りよりも草花が繁茂している草むら――とその中にぽっかりと空いた地面へ視線を向けた。

 

「うん。このポイントなら、アレらと組み合わせることができる」

 

少女は自分の指に吐息を吹きかけてから、草花を折らぬようにそっと分け、その中心点と割り出した地面に、渦のような三重螺旋をその指先で描いた。

すると水源を掘り当てようとしたわけでもないのに、小さな小さな、水溜りのようなものだけど、地面から泉が滾々と湧いくる。

少女は、筆記具を取り出す。

その瞳には、けしてただの森林浴を楽しむだけのものではない――強固な意志の光が宿っていた。

 

「この保険の細工を完成させる。彼女には、けして悟られない内に」

 

 

バッキンガム宮殿

 

 

 

100人以上は収容できそうな会議室。

けど、そこから女王の命により、トンズラし、やってきたのは3階にある応接間。

別にこれは大きいところだと落ち着かない小市民の性質に気を使った訳ではなくて、大きな会議だと発言の全てが記録されるため、思うように自分の意見が述べられなかったり、また、ああでもないこうでもないと多種多様な思惑が入り乱れて無駄に時間を浪費するのが惜しい。

今回は急を要する事態だ。除け者にされて文句を言うヤツもいるにはいるが、その自分の意見に責任を持てる者はいない。よって、最低条件として集められた『三派閥』の代表者たちによる少人数短時間で話を決める。

その国の命運を左右するであろう会議の出席者は、

<英国女王>を始めとする第一、第二、第三王女の『王室派』の姫君、

そして、『騎士派』の代表<騎士団長>と『清教派』の代表<最大主教(アークビショップ)>の代理として<聖人>の神裂火織、

その他に、ご意見番(アドバイサー)として<禁書目録>と姫君らの護衛に、保護者が1人。

割合的に、『王室派』の人間が多いが、イギリスは良かれ悪かれ『王国』の字通りに、王の国なのだ。国家の意思として最も重要視されるのは『王室派』である。

 

そして、お題は昨夜の事件。

 

ユーロトンネル。

それは周囲を海で囲まれた島国イギリスが唯一孤立せずにいられるフランスとの陸路である海底トンネルの名称。

寄り添うように地中を走る三本のトンネルは、人員、物資の運搬と一国家の重要なライフラインだ。

完全に破壊されたわけではなく、そこで被害に遭った人間はおらず、“応急処置”まで施されていたが、トンネルは今閉鎖されている。

戦闘による修繕のために。

 

「原因は、少人数の戦闘だな。彼らの衝突の余波が自然災害にも匹敵する騒ぎを起こしたわけだ。私はこの片方の勢力に、フランス側が関わっていると見る」

 

「証拠は、あ・る・の・か・な」

 

 

会議を司会する女王に口を挟んだのは第二王女キャーリサ。

ただし、それは懐疑的なのではなく、これを火種にして物理的な問題解決だけに留まらず他国への侵略の足掛かりをも視野に含めている――その物騒な輝きを見せる瞳で女王エリザベートを見ている。

そんな第二王女に女王は首を横に振る。

 

「その為に招集したのが<禁書目録>だ」

 

10万3000冊の魔道書を記憶したインデックスならば、その場に残る痕跡だけでも戦闘に使われた魔術の様式(スタイル)を正しく解析できるだろう。

それを証拠に、相手国に突きつければ、ユーロトンネル閉鎖で高まっているフランスとの緊張を上手いように解ける方策にもなる。

 

「けど、それで本当に解決するのかしらね」

 

女王の方針に疑問を投げたのは、第一王女のリメリア。

どういうわけか星座や血液型、タロットに九気学といった占い雑誌に目を通しているが、耳は会議に向けられている。

 

「直接的にフランスが関わっていたとしても、バックには『連中』が絡んでいるんじゃなくて?」

 

この問題は、イギリスとフランスの諍いではなく、イギリス・学園都市とローマ・ロシアの対立で起きた小競り合い。フランスを討ったとしてもそれは尖兵に過ぎず、本丸を落さなければ勝ちとはいえない。

ローマ正教とロシア成教が同盟を結んだことでEUのみならず、非加盟国家も含めてヨーロッパの大半はこちらとは敵対しているのだから。

騎士団長も第一王女に同意するよう首肯。

 

「確かに。処刑塔から抜け出したのも、ローマ正教の兵だ。極めてその可能性が高いでしょう」

 

「そして、それも問題だ」

 

「問題……?」

 

 

思わず呟いてしまった当麻に、エリザベートは頷く。

 

「処刑塔は内側からは絶対に脱出できない監獄だ。あそこに閉じ込められた者は、恩赦でもない限り、正当に出られることはない」

 

「じゃあ、外からそいつの仲間が助け出したのか」

 

「それも難しいだろう。何せ処刑塔の内部構造は秘中の秘。外に漏れることはないだろうし、情報がないままだとミイラ取りがミイラになる。一生闇の中だ」

 

「残る可能性は内通者。それも、我々のような上位の人間の。危険な囚人を世に放つとは、そいつは完全にこの国を裏切っているな」

 

キャーリサの言葉に、場の緊張が高まる。

エリザベートも重々しくうなづく。

 

「ローマ正教側と通じてる疑いのある上位貴族らの身辺調査はすでに始めているが、良いか悪いか、誰もシロだ」

 

そこで、と言葉を切り、女王は騎士団長へ視線を送る。

その意を読み取った彼は、懐から布で丁重に包まれた“木片”をインデックスの前に広げて見せる。

 

「これはルーン、陰陽道、カバラ……うん、様々術式系統が反発することなく織り込まれてるとても複合的でアグレッシブな霊装だね。それも携帯できるよう普段は紙の形態で……」

 

わずかに目をやっただけで『魔道図書館』たるインデックスはその正体をスラスラと迷いなく暴くも、不意に、口を閉ざす。大きく瞳を見開き、喉元まで出かかっていた言葉と一緒に唾を飲み込む。

それが何なのかはわからないけど、当麻の目にもインデックスがひどく動揺したのがわかる。

そして、もう一度、今度は精査するように手に取ってみる。

 

「……………これって、どこにあったの?」

 

「ユーロトンネルだ。まあ、厳密には崩れかかっていたトンネルを内部から支え、海水の浸透を防ぐのに使われていた一部だが」

 

インデックスが揺らいでいる。それを言うべきかどうかを。彼女の迷いを待つことなく、エリザベートは返答を求める。

 

「それで<禁書目録>、この持ち主に心当たりはあるな」

 

疑問形のない確認のための問い。

インデックスはエリザベートではなく、神裂火織を、そして、上条当麻を見た。

 

「まさかそれって……」

 

ここにきて愚兄も察した。インデックスが答えを“躊躇う”なんて、連想できるのは一つだ。

その物品証拠の正体も。戦闘したもう片側は誰か。彼女がここにいない理由を。

そして、『眠り姫』の意味まで、上条当麻は察した。

 

 

「なあ、詩歌は今、何処にいるんだ?」

 

 

それに『王室派』と『騎士派』は答えない。もう彼らは、2人の反応を以てして、正答だと決めた。余計な情報を口にしない。

神裂もまた瞑目し、インデックスも口を閉ざしたまま。

完全記憶能力を持つ<禁書目録>は、自分の発言までも正確に記録してしまい、意見を覆そうが、その脳内を視てしまえば、信憑性は十分だ。

議会は、進行する。

 

「『清教派』が“彼女”の部屋を調べましたところ、イギリス国内で不穏な動きをしている魔術組織についての資料が何点か見つかりました。今、アニェーゼらシスター部隊が」

 

「ふーん、じゃああの子はそこと通じてたのかな?」

 

「いえ、これはあくまで個人的な調査資料で、組織との繋がりを示すものでは……」

 

「そんなの分からないじゃない? だって、本人は“処刑塔で眠ってるんだから”」

 

寒い。

 

「それに、フランスから海峡で待機していた軍が不自然に引いたのも気になるわね。ちょうど今朝方から」

 

異国の地を踏んだ時に感じたのと同じか、それ以上の、室内なのにいまにもここで凍えてしまいそうなほど精神的な寒さを当麻は覚えた。

 

「何にせよ。脱獄した囚人だけでなく、国内の独立した危険分子(テロリスト)が存在する。そして、今回の事件と無関係かは定かではないが、関わっている確率は高い」

 

今の混乱に乗じて国内組織のいくつかが不穏な動きを見せている。

歴史的に因縁のあるイギリスとフランスの交流路で戦闘が起こった。

これは明らかに人為的な事件で、魔術的なのか、科学的なのか、どこの組織の人間が何をしたのか。

また、処刑塔に確保されている上条詩歌が首謀なのかどうか。

その結果によっては、この戦争の流れが変わる。

 

「フランスに、さらにテロリスト……」

 

今まで口を開かなかった第三王女のヴィリアンが、伏し目がちにオドオドとしながらも口を開く。

 

「もしかして、彼女は私達を裏切ろうとしたのでしょうか」

 

当麻は息を止めた。

人徳の第三王女さえも、疑いにかかっている。

だが、意外にもそれを否定したのは、第二王女のキャーリサだった。

 

「さあな。だが、考えにくい。フランスに寝返ったとすれば、下手したらローマ正教へ売り飛ばされることになるだろうし」

 

それでも、

 

「しかし、この真相次第で、学園都市との連携についても考え直さなきゃいけないのは事実。ここから先を生きるためにも、イギリスは独立とした立場をとるべきだ」

 

新しく開いた雑誌に目を通しながら第一王女のリメリアもまた頷く。

 

「その案に一考する価値はありそうだけど、キャーリサの言うように独立しても、その後すぐに倒れてしまうようじゃ先がない。まずはこの局面を手早く切り抜けてからの話ね」

 

「私は……」

 

2人の姉に続き第三王女のヴィリアンも何か言いかけたが、結局は口を閉ざす。と思いきや、胸に付けた宝石を握り締めて、

 

「でしたら、彼女を処刑塔から出した方がよろしいのでは? ちゃんとした施設で回復させれば、真相は明らかになるはず。それに……」

 

当麻達を見る。

しかし、そんな同情では動かされない。

 

「却下だな。“閉鎖”という魔術的意味を衰弱させないために、処刑塔の門は一日に何度も開けられない。可哀そうだから、なんて理由で出そうとして、また脱獄犯も出てしまったら誰が責任を取る?」

 

貴様にそれができるのか、とキャーリサが視線を投げ、ヴィリアンは口をつぐんで下を向く。

 

「それに彼女は一般病院施設に預ければ、すぐさま学園都市へ返される身だし、第一、プロの魔術師が診ても容態が掴めないような状態だ。今のところただ昏睡しているだけのようだし放置するだけなら、どこに置こうが関係ない」

 

「それに、処刑塔は一種の魔術的な要塞。あそこ以上に警備が厳重なところはそうそうないんじゃない。内通者がいる以上、無抵抗な彼女を外に出せば、今度こそ簡単に攫われてしまうわね」

 

第二王女が否定し、第一王女も補足する。

 

「でも、それなら、ウィンザー城とかもっと他の場所があったはずだよ。処刑塔はあくまで監獄。もしかして、しいかに何かするつもりなの」

 

<首輪>、という単語が当麻の脳裏に浮かんだ。

だが、<禁書目録>でさえも所詮は道具であり、私情が混じっているものは通らない。

 

「そのつもりならばすでにやってるし。あそこならば、外へは秘密はそうは漏れないだろーからな。『学生代表』はあくまで保護している」

 

「……念のために、『清教派』から魔術師を1人処刑塔に派遣。ステイルを見張りにつかせています」

 

第二王女に、それでも何か言いたげなインデックスを神裂がフォローするように付け加えて、抑える。

 

「それで、学園都市への報告は?」

 

「必要ない。この件は我々英国が全力で解決する」

 

騎士団長の問いに、予め決定済みだったのか即座に女王は答えた。

 

「でも……っ!」

 

「もうこの件は終わりだ<禁書目録>」

 

結論がついたと理解した瞬間、ほんの数秒、当麻の心臓は止まった。

思わず、神裂を振り向く。だが、神裂は目を合わせない。

 

「……そうかよ」

 

寒さが、消えた。

 

「解決に全力を尽くすために少数で会議をする、か。なあ、学園都市の協力は、必要ないのか。いや、なかったことにするには身内だけでやった方がいいよな。ああ、偉いよ。女王様っつうのは、すっげぇ偉いんだよな」

 

軽口のように言いながら、当麻ははっきりと自覚した。

体の芯が燃え滾っている。

人は怒れば怒気が漂う。

だが、本当に、心底からの怒りに支配された時、むしろ怒気は凪のように静かに、穏やかになる。

言葉を低く抑えても、感情を殺しても、怒気は当麻の全身から放たれているらしい。騎士は各々の得物の感触を確かめ、神裂もインデックスもこちらを凝視している。

 

「待ちたまえ、どこに行くつもりだ」

 

「ロンドン塔だ」

 

要塞だろうが、監獄だろうが、関係ない。

この右手があれば、どんな魔術的意味も崩壊する。

 

「とうま! だめ!」

 

インデックスが警告を発する。

言われるまでもなく、当麻は足を止めていた。

剣と言うのがどういうものかは知らないが、肌に感じるこの脅威が何なのかはわかる。

単に上条当麻の危機察知が敏感なだけではなく、その男は相手にも実力差がわかるように察せられる。

それほどに騎士団長から圧倒的なものを感じる。

殺意の発露たる殺気ではないが、剣気からくる『死の予感』めいたもの。危険な猛獣と向きあった時に感じる、本能的な恐怖に近い。相手の技量が高いほど、それは強くなる。

やはり、この男は、強い。

そして、

 

「一歩、だ」

 

「……一歩?」

 

「あと一歩、女王に背を向けたままそこからドアに近づけば―――力づくで止める」

 

如何に躾けられていても、“必ず人を殺さない猛獣”などいない。

第一王女は変わらず雑誌を眺め、第二王女は面白い見世物のように笑みを浮かべ、第三王女はただただ戸惑い、そして、女王が剣で床を突いた。

 

「待て」

 

それはまるで、地に足つける全てのものに浸透するかの如く鋭い響き。当麻には、部屋全体が揺れたようにさえ感じられた。

騎士団長を視線で制した女王エリザベートは、当麻をしげしげと見つめ、やがて穏やかな声で呟いた。

 

「どうやら、勘違いしているようだ。我々は余計な混乱を招かぬよう、細心の注意を払って事に当たっている」

 

「余計か。悪いが、こっちは余裕なんて計算できるほど賢くねぇし、妹をこんなところに預けっぱなしで大人しくしてられるほど―――」

 

しゃべりながら、当麻が部屋を出ようと警告を無視した一歩踏み出した、その刹那だった。

 

 

 

「―――」

 

何が起こったのか、当麻には理解できなかった。

花を一輪差し出されたような、甘い香りが鼻腔を擽る。

ターバンの帯が鼻先を掠り、視界を奪う。寝かせるように丁寧に床に倒し、背中に乗るのは軽くて、やわらかな感触。

身体を打つような衝撃もなく、呼吸もできるが、“点”を押さえられているのか、立ち上がれない。

 

「かしい……っ!?」

 

香椎が、誰よりも早く、当麻を組み敷いていた。

彼女は、どこから現れたのか、いつ、現れたのか。

少なくとも少女は、今の今まで、当麻にまったく近づかれた気配を感じさせなかった。

 

「―――命知らずの愚か者」

 

香椎から、何の害意も発されていない。

あれやこれと気遣ってくれたときとは別物で―――機械の人工音声にも似てあらゆる感情を排して言ったかのように思われた。

しかし、それよりも当麻は彼女が女王達の面前で、触れることさえ恐れていた自分に接触する危険を冒してまで止めに入ったことに驚き、鼻白む。

それでも、すぐに半ば自棄になりながら、

 

「どいて、くれ……ッ! 早く処刑塔に行かねぇと……」

 

ここまで気を使ってきた臆病な彼女に対して、初めて強い苛立ちを吐き出す。

しかし、

 

「ダメです」

 

香椎はわずかもひかなかった。

その軽そうな身は見た目以上に重い信念が詰まっているのか、当麻を起こさせない。

 

「頭に血が昇って、当麻様は現状を、自分の立ち位置を、まったく理解してません」

 

「香椎っ。もういい。大人しくどけ―――」

 

「大人しくすべきは当麻様の方です。良く聞いてください。当麻様。あなたは何故ここまで来たんですか?」

 

そして―――

ようやく顔だけを横にして、声の聴覚だけでなく、視覚で彼女の顔を捉えた。

香椎の黒い瞳。黒真珠のように美しく、夜闇のように奥深い双眸が、真っ直ぐに当麻を射抜いていた。

 

「インデックス様を守るためでしょう。当麻様はそれを誰に任されたのか? ここで話が通じないと諦めて、自分勝手に一人飛び出せたとしても、誰が喜ぶと思うんですか。こんな自己満足にしかならない愚か者のわがままで約束を破るおつもりですか」

 

「テメェ……ッ!?」

 

当麻は激昂した。何故そこまで激しい怒りを覚えたのか自分でも分からなかった。それを燃料とし、重圧に抗い、腕を立てる。

対し、不安定に揺れ始める背中で、張り付いたように微動だにしない香椎の瞳は真っ直ぐ当麻に向かい、一点の曇りもなく澄んでいる。

不意に想う。これとよく似た瞳を知っている。深く、そして、静かな、相手のみを映した鏡のような瞳。温かで透明な光。

 

「じゃあどうしろって言うんだ!」

 

と当麻は怒鳴り声を上げた。

 

「大人しくしてろっつうのか!? ふざけんな! 俺は王様でも代表でもねぇ! それでも詩歌のお兄ちゃんなんだ! ここで戦わずに逃げる真似なんざできるはずがねーだろ!」

 

必死に叫んだ。ほとんど逆上寸前だった。それは、ある意味当麻が己の間違いを認めてしまったからだろう。香椎の言葉が正しいと分かっているから、声を荒げて怒鳴りつけるしかなかったのだ。

 

「だったら当麻様。お兄ちゃんとして戦うべきでしょう。私情などに構ってる余裕なんてありません。命知らずの愚か者にはできず、当麻様にできることを全うすべきです」

 

応えて香椎は、きっぱりと告げる。

まるで、名だたる刀匠が打ち上げた真新しい日本刀で、複雑に絡まった縄を一刀両断にするかのように。

 

「なら、どうすりゃ説得できるんだ。俺には何の権限もないんだぞ。俺にしかできない事なんて何も―――」

 

「失礼ですか。今の当麻様に打てる奇策はありません。機転を利かせても一時のことで、ここでは通じません。自分でも仰ったでしょう。自分は王族でも代表でもないと。だったら、“戦うべき相手と土俵を間違えています”」

 

「―――っ」

 

当麻は言い返せない。

それは、剣閃よりも効果のある一撃で、当麻の体から抵抗の意思が消える。

そして、風前の灯を吹き消すのに、彼女は躊躇わない。

 

「当麻様。学園都市などと、今この場にいない虎の威を借りてどうするのです。ましてや、あなたは賢しい狐でもないのに。どうせ馬鹿なんですから難しく考えても分からないのは当然。裏技なんて使えないのも普通。来るはずのない幸運にすがってもどうしようもない」

 

ならば、と香椎は続ける。そこで初めて情を噛んで含めるような落ち着いた声が、しかし、消えたばかりの意思に、青白い炎を灯す。

静かに、冷静で、されど真赤なものよりも高温な。

 

「ならば、当麻様。当麻様がすべきことはただ一つ。誰にも文句が付けようのない、真っ当な、簡単で確実に筋を通せる、正攻法しかありません。それでこれまで“みんなを笑顔にしてきたのでしょう”」

 

「………」

 

当麻は、もうそれ以上何も言い返さず、目蓋を閉じた。

閉ざされた光の中、闇に浮かぶのはこれまでのこと。どこまでも不幸で、何もせずに独り善がりで起こせた幸運なんて一度もなかった。愚直に戦って、誰かに認められたから、この偽善でも誰かを救えた。

―――そう。それこそが上条当麻が取れる、最も近道だ。

 

「……悪い。落ち着いた。もう、大丈夫だ」

 

その言葉の質を聞き取り、瞳を開けた当麻の表情を見て、香椎はふっと溜息をついた。

呆れたのでも、馬鹿にしたのでもなく、素直な、甘噛みでもするような温かい溜息だった。

 

「ふわわ!? 会議を邪魔して、すみません~!?」

 

「香椎! あなたはもう、まったく……」

 

当麻の体から離れ、ぺこぺこと応接間にいる全員に頭を下げながら、女教皇の神裂の背後に隠れる。

セキュリティが仕掛けられていないとはいえ、“騎士団長も含めてここにいる誰もが”突然現れた彼女を驚いているようで、その驚きに場にあった空気が弛緩する。

その様子に持ち直した女王が、口を開く。

 

「良い。誤解は解けたようだし、不問にしよう。なに、家族を心配するのは当然だからな」

 

「そうね。10年前に娘を囮に差し出して南米を手に入れようとした輩が出てきた時に、大事な国宝を振り回して、首謀者の貴族たちを殴り倒した親もいるみたいだし」

 

「……お言葉ですが、あれはそれほど生易しいものじゃなかったかと」

 

「うっ、うむ。何にしても家族を大事に想うのはいいことだ」

 

長女と騎士団長の溜息にエリザベートは無理に結論付けて終わりにする。

何かイギリス王室って気が抜けんなー、シリアスは3分以上は長続きしない家系なのか、と当麻も溜息をつく。

とにかくさっさと会議を終わらせて事件を解決する、それが当麻の決定方針だ。

 

「話を戻すが、我々がやるべきことは3つ。1つ目は、ユーロトンネルで起きた戦闘の痕跡を調べること。2つ目は、その『結社予備軍』の狙いを探り、必要ならば的確に撃破すること。3つ目は、処刑塔から脱走したローマ正教十三騎士団所属の『ガウェイン』の確保、こちらは撃破することを最優先にする」

 

「優先順位は?」

 

第一王女のリメリアが確認する。

 

「すでに起こった事件の調査と、これから起こる事件の阻止だ。優先すべきは国内の問題の解決とする。余計なことは考えるな。どうやら、この事件は一つではないようだからな。よって―――」

 

国外が関わっているとの疑いのあるドーヴァ海峡付近の事件は、『騎士派』が赴き、王女三姉妹、それから<禁書目録>もそのアドバイザーとして同行。

国内で、ロンドンへと向かっている魔術結社――それも少数精鋭が関わっているものは魔女狩りの専門家である『清教派』が。

そして、実行犯の第一候補である脱走犯については、両者が国内外に分担して捜索し見つけ次第に確保を最優先に。

無駄な様式は省いた現場優先の指示は女王ではあるが、指揮官ともいえる。

 

「それで、俺は何したらいいんだ。インデックスに同行すれば良いのか」

 

その言にインデックスは口を開こうとしたが、止めた。

事件が起きるといつもその中心へと突っ走るが、本来、上条当麻は一般人であり、守られるべき民間人だ。

しかし、今は、これに上条詩歌が関わっているのだ。下手に大人しくしているはずがないだろうし、火がついてしまっている。それなら先程みたいに暴走してしまうよりは参加させた方が把握できてるだけ安心できる。

結局、インデックスは腰に両手を当てたまま、むふー、と長く鼻息を鳴らす。

 

「いや。少年はフォークストーンには同行は許可できない。そのあらゆる魔術を無効化するはずの右手は、現場を荒らす可能性が高い。それにあそこは今、解体作業のため状態保存しているだけでなく、残されていた魔術がトンネル構造を支えられている」

 

上条当麻はイギリス清教と学園都市が共に保証する、<禁書目録>の管理人だが、<幻想殺し>がある。

私情で不利な証拠物件を消されたりする可能性もあり、そして、魔術によって繋ぎ止められている国と国のライフラインを崩壊させられるわけにはいかない。

 

「護衛には『騎士派』から騎士団長直属の部隊がついている」

 

「だが、脱獄犯を外に出したのが上の人間なんだろ」

 

それは、組織に囚われておらず、今日まで英国の地を踏んだことがない部外者である当麻だから言えたことだ。

言うまでもなく無礼だが、すでにこの短時間で積み重ねてきた罪科を思えば、さらに積まれようが臆しない。

 

「俺は、インデックスを守ると約束した。だから、いい加減な真似は出来ない。保護者役として預けるんなら、信頼できるとこじゃねーとな」

 

「とうま……」

 

「ここまで遠慮のない学生は初めてだが……『清教派』から何か言うことはあるか。そちらも国内外で幅広く活動しているために、余計な人材は割けんだろう」

 

女王に言われ、代理代表たる神裂も首肯。

 

「そう、ですね。前提として民間人に協力を求めるのは得策とは言い難いですが、彼をそのままにしておく方が危険です。ですから、彼に『清教派』と共に行動、幸い、彼は天草式とも面識がありますし。そして、保護者役の代わりとして、かし―――」

 

と神裂が推薦しようと視線を送った先――そこに、すでに目をつけていた人物がいた。

途中から、不自然なほどに沈黙していた第二王女のキャーリサだ。

第一王女や第三王女とは違い、積極的に会議に参加していたが、今は大人しく、ただ不意を突かれて登場した少女を見ていた。

 

「おい、面を隠すのは無礼だろーが」

 

尼僧のように香椎の顔を隠す布を、キャーリサは頬杖を突きながら指摘する。

当麻のと同じように顔は茶化すように笑っている。

しかし、漂わせるその存在感と力感は、先の騎士団長にも匹敵する。まだ王女とはいえ、女王の資格のあるもの。当麻でさえ圧される凄み、それをダイレクトに向けられるのはどれほどか。

ふわわ~っ!?!? と香椎の反応も納得、だ。

 

「どうした? 取れんのか?」

 

すっと目を細め、刃物のように鋭い一瞥をくれる。

天草式の女教皇神裂が庇い立てようとするも、

 

「彼女のは術式の構成上必要あって」

 

「だが、脱獄犯を出した人間がここにいるかもしれないんだろ?」

 

当麻でさえ言い辛く、濁したことを平然と口にする。

その双眸は鷹のように鋭く、逆らうことは許さん、と言っている。有無を許さぬ迫力。

誰も弁護できない。その状況下で、香椎は、

 

 

「……………わかりました」

 

 

おい待て!

当麻は手を伸ばし、直前で止める。

自分でもわからない。だがきっと彼女は―――しかし、その予感は裏切られ

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「もう一度聞こう―――」

 

 

するりとターバンが解ける。

 

「お前は………一体、誰だ?」

 

「香椎、と申します」

 

キャーリサは、訊く。

予想していたのとは、その容姿が似ても似つかなかったのだろうか?

勝手に人違いをしていたのだろうか?

そして、ターバンが陰となり覆われていた部分には、血管のような繊細な紋様が浮かび上がっていた。

入れ墨(タトゥー)か? 幾何学的だが、同時に有機的でもある。一見しただけでは、モチーフは分からない。妖しく、そして、静か。東洋のものはあまり慣れてはいないが。

 

「『般若心経』……『耳なし芳一』の伝承を基にしたんだね。霊的な視覚から隠すために、経文(スペル)を予め身体に書き込むことで隠行を施してるんだよ」

 

洋の東西を問わずにあらゆる魔術を記憶した<禁書目録>がその正体を看破する。彼女が出した結論ならば、その答えは正解だろう。魔術的なものならば、一を知り十を悟るインデックスだ、その服の下が透視するように想像できる。

 

「これ以上は見る必要はないかも」

 

容姿を偽るものではない、と。ただの隠行。神道、仏教、十字教を取り込んだ天草式が特化しているのは『隠密』。

見れば、その服装、袖が手の甲まで隠れるほど大きめなニットとレギンス……手首から足首まで包まれており、肌の露出が頭部を覗けば手先しかない。全身に書かれた文字を隠すためなのだろうか。

 

「……」

 

無意識に当麻を見る。

そちらも無意識にだが、自分と同じくしていた予想と外れたことに驚いている。この少年にアドリブでこちらを欺けるほどの演技は無理がある。

英国王室の身として、その血統だけに甘んじず、魔術大国を統べるものとして魔術を学んでいる。その一流の魔術師と遜色のない観察目に、感覚を研ぎ澄まして見ても。

 

「……魔術の反応も、特にないか。むしろ、魔力が作れるのか不安になるほど弱いし」

 

「―――他に何か、問題はありますか?」

 

問題はあるか―――これ以上の譲歩は無礼である、という意味だ。

部下を、仲間を疑われれば、不愉快にもなろう。また、如何に効果があるとはいえ、女子の顔に文字が書かれているなど見せたくないし、見られたくもないのは当然の心理だ。騎士団長もそれを理解し、視線をすでに外している。

神裂の言に、キャーリサも一端は気をおさめる。それを見て、香椎はターバンを巻き直す。

 

「ある。そいつは技術はあるようだが、弱過ぎる。騎士団にはとてもついていけない。足を引っ張る輩が護衛だなんてお断りだし」

 

「でしたら、女教皇様を」

 

そこで香椎が進言する。

騎士団長からも『騎士派』に誘われている<聖人>神裂火織の実力ならば文句はないはずだ。あらゆる魔術師が欲する叡智をもつ<禁書目録>の警護は厳重に。

 

「騎士団長。問題は?」

 

「ありません。『騎士派』の長としても、個人的にも、神裂嬢の人格ならば、信用できます」

 

ドーヴァ海峡調査組からも了承。

 

「こちらは大丈夫です……仲間達がいますから」

 

そして、導入できる人員が少ないとはいえ、ロンドンは<必要悪の教会>のテリトリーだ。

 

「それに―――私なら当麻様を押さえられます」

 

先の組み伏せたことで、香椎の実力は保証されている。

香椎を見て、天草式の仲間たちを想い、騎士団長と王女たち、そして、インデックス。それから神裂は数秒逡巡した後、最後に当麻へ向き、

 

「……わかりました。私が同行します。それで構いませんね、上条当麻」

 

「ああ。こっちも神裂なら問題ない」

 

世界と20人もいない<聖人>ならば、愚兄が側にいるよりも、大抵の困難は切り抜けられるし、何よりインデックスとかつての同僚で仲間だ。これ以上信頼できる相手はそういない。

 

「インデックス。そっちは任せたぞ」

 

「うん。でも、私はとうまの方が心配なんだよ……」

 

元気がない。いつも通りの台詞だが、妙に張りがない。

処刑塔に幽閉されているということは暗に、まだ完全に疑いは払拭されてない、と。

さっきの発言のことで、インデックスは責任を感じているようだった。どこかしおらしく見えるのは、当麻が自分を責めるのではないかと思い、それに耐える準備をしているつもりなのかもしれない。

そう、いつも通りに魔術を解析し、真相を暴いたことが、彼女を追い詰めることになるのならば、口を閉ざしていた方がマシではないかと。

当麻は、何だか可笑しくなってしまった。

 

「まあ、俺が言える立場じゃねーが、考え過ぎだインデックス。詩歌を守ろうとするな」

 

「え……!?」

 

そんなインデックスの迷いを吹き飛ばすように、当麻は満腔の自信を持って告げる。

 

 

「ただ真実を言えばいい。そうすりゃ、詩歌は無罪だ」

 

 

???

 

 

いかにも、牧歌的、という言葉が似合いそうな光景。

ロンドンに密集した建造物が溢れだすようにして、周囲にも近代化の波は押し寄せてきたものの、それでも首都と比べればかつての面影を多く残しており、城の旧跡も豊富。

仰向けになり上を見れば、空が、高い。

顔だけ横に、地表へと目を向ければ、緑の草原を広げる牧場があり、その向こうの大地は鬱蒼と茂った森に覆われ、もはや果ては定かではない。

自然とは、人に優しいものではない。

むしろ本質的な意味においては、人間の文明と対立するものだ。

人が智慧を手に入れてしまった瞬間から、自然と相容れることは不可能となった。つまるところ、その二つの道は決定的に分かたれ、時折歩み寄ることはあるにせよ、天敵として睨みあうことは避けられない。

まるで、魔術と科学のように。

ヨーロッパの中世とは森を切り開いた森を切り開いた歴史だというが、ここもまたそうした時代の変遷を辿っており、所々取り残されている。

しかし、今では、このエジンバラは世界遺産にも登録され、ロンドンに次ぐイギリスの観光地である。

となると、これからはじまるであろう戦争の爪痕は、後生の者達にはどう評価されるだろうか?

なんて、考えたところで先のことなどわかるはずもない。

とにかく、歴史評論家でなくても、こんな所にいれば人間などほんの小さい存在だと嫌でも思い知らされるだろう。

 

だけど、自分は天上の太陽にさえ、この手をあと少し伸ばせれば掴めそうなほど近いと思ってしまう。

 

「だー、もうすぐこの緑の匂いともお別れですかぁ……」

 

下から間延びした声が聞こえ、陽光を遮るように手を伸ばしつつ注意をそちらへ向ける。

牧草地を横断するファミリーサイズのワゴン車のレンタカーで、今はそのスキー板などを載せられそうな屋根に寝そべっているわけだが、流石に首都近くになると注意しなければなるまい。

 

「ちょっとレッサー。ケツが見えているわ。あとあなたの尻尾がすごく邪魔」

 

車内には4人の少女。全員が青っぽい色のミニスカートに野暮ったいジャケットとスポーツのユニフォームのように統一している。

彼女達は、『結社予備軍』<新たなる光>。

『結社予備軍』はサークル活動や同好会といった新入りが集まって作り出す“魔術結社もどき”で、大抵は、『瞑想』や『精神的活動』などと言った活動で、他人や社会に害や迷惑をかけない小規模なもの。いずれは自然に消え去る一時の戯れで終わる。

だが、中には将来的には大物になりうる金の卵達の集まりや、巨大な組織に起こりうる弊害を嫌って、身軽な少数精鋭として無駄な勧誘は行わず『結社予備軍』のまま活動するもの達もいる。

構成メンバーが4人と片手で数えられる人数ながら、この<新たなる光>の洗練ぶりは、『結社予備軍』の中でも格別で、本格的な魔術結社と比べても遜色ない。

 

「私達に景色を名残惜しんでる余裕はないの。引っ込めないと引っこ抜くわよ」

 

目の前で揺れるうざったい『尻尾』を叩く銀髪の、この中でも年長な18歳ぐらい女は、ベイロープ。がたごとと田舎道を走る車内でも『角』とも言える彼女特有のヘッドホンの調子を確かめるに余念がないが、それを先から『尻尾』に邪魔されている。

 

「ベイロープのけちんぼ。というか、いまさらそこまでカリカリした所で仕方ないでしょう」

 

その小悪魔的な『尻尾』をお尻に付けているのは、長い黒髪を先端の方だけ三つ編みにして束ねている10代前半の少女は、レッサー。

同じく後部座席のベイロープに睨まれ、仕方なしにレッサーは『尻尾』に命令を送る。といっても、短くなって収納に便利というわけでもないので、ミニスカートの内側に、太股の付け根部分に蔓のように巻きつける。

ただその際、必要かどうかは不明だが収納する際の一動作として尻を高く上げ、レッサーの白いパンツがベイロープの鼻先に突きつけられて、堪忍袋の緒がぶっちぎれて、尾をぶっちぎってやろうと乱闘に。

 

「いつまで経っても景色が変わんないなぁ。迷うような道じゃないんだが。ランシス、本当にこの道で合っているだろうね?」

 

と、ハンドルを握る運転手の15歳程度の金髪少女は、フロリス。その両肩に金属のパーツ『翼』をつけており、肩凝りでも気にするように、片手ハンドルで片手を離して、左右交互に肩を軽く揺する。

ただ道を訊かれたナビ役の助手席の子は、

 

「や、やめて……くすぐった、あふぁ……ご、ごめん……フロリス……く、くすぐった、いひ」

 

くすぐったそうにぷるぷるして、残念ながら地図を見る余裕はないようだ。

茶色の髪の少女、フロリスは、この夏あたりから、魔力に敏感……というより、魔力に当てられただけで『くすぐったさ』を覚えるようになり、自分で生命力を魔力に精製する際にも、この通りにぷるぷるしてしまう。

この調子では『爪』の準備も危うい。

フロリスは舌打ちすると、ルームミラーへ目をやり、

 

「おい。後ろで乱闘だが乱交だがとにかく暴れてるレズ二人。発掘した“アレ”を収める『スキーズブラズニル』の準備はちゃんと終わってんの?」

 

「えっ? あの『入れ物(ケース)』のことなら、4つ全部調整終わっていますけど。『尻尾』の方も問題ないようで」

 

とバックミラーに映るレッサーの『尻尾』が手を振るようにうにうに蠢く。

 

「上出来だレッサー。それから『ハサミ』の調整もやっておけよ。私は運転で忙しいし、ランシスはくすぐったさにぷるぷるして使い物になんない。ま、それが終わったら遊んでも良いぞ」

 

「遊んでる余裕はないと言ったはずだわッッッ!!! レッサーを調子に乗らすなフロリスッ!!」

 

「んー、でも、要注意人物はロンドン塔なんだろ」

 

「確かにそうだけど。それでも“警戒しろ”とあの方から言われたじゃない」

 

「ベイロープは心配性ですね。あのロンドン塔の監獄は閉じ込められたらそうそう出られません」

 

「―――それが本当だったら、がっかりなんだがね」

 

思わず、と言った調子で下から聞こえてくる会話に混ざる。

自分は――から送られてきた彼女達の監視役、ということになっている。

仲良くじゃれあうことはないが、仲間外れにはされない、と言った距離感。

声を出したことで気付いたのか、フロリスが車窓から手を出し、屋根に合図。

 

「おーい、トールキン。そろそろアンタも車内に戻ったらどうだ。荷物押し込んでてせまっくるしいが、最後部座席に1人分は開けてあるぞ」

 

あいよー、とトールキンと呼ばれた少年は開けっ放しだった後部座席の窓からひょいっと入り、開けられたスペースに収まる。

長い金髪に白い肌と、ここにいる女性陣に自然と混ざれそうなほど、女性的な印象を持っているも、不思議と華奢な印象はない。むしろその瞳から迸らせる輝きはひどく野生味に富み、絞まった体躯も狩るための無駄を省いた肉食獣を想起させ、そのちょっとした動作の端々に、訓練された兵士に似た隙のない気配も併せ持つ若者だ。

 

「で、トールキンだっけ? あの戦闘馬鹿の一員の癖に何の武器を持ってないとはね。こっちとしたら目立たないから良いんだけど」

 

「安心しろ。剣や鎧がなくても、お前らをまとめて倒すくらいは簡単だ」

 

挑発めいた発言に、ベイロープの『角』を持つ手が強張るも、人の目があるということで一端落ち着き、窓の外へ目をやっていたレッサーが。

 

「あー、止めておいた方がいいですよ。多分、その人すごく強い」

 

<新たなる光>で実力的には確実に最強のレッサーが、格下であると認める。実際に手合わせもしてないのに、それは些か癪であるが、現時点では頼もしい戦力………

 

「そういうこった。戦闘狂は得物を選ばねぇし、必要ならハンデだってつける馬鹿者だ。だが、俺が見るのはお前達で、お前達の持つそれに俺は関与するつもりはない」

 

当てにならない。とある少女を警戒した“あの方”が、――から派遣した護衛役の筈だが、どうもこちらとは温度差があるようだ。どちらにせよ、元々は4人でやるつもりだったし、邪魔をしなければこっちは構わない、とフロリスは納得して正面を向く。

 

 

「そんじゃあ気を引き締めろ。これから英国って枠組みそのものをブチ壊すんだから」

 

 

今日、英国を変える。それが<新たなる光>が掲げた使命だ。

 

 

 

つづく

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