それでも読んでいただけたら嬉しいです。
「失礼しまぁーす!」
コンコンと、小さなノックと明るい声が病室の外側から聞こえ、俺は扉の方へ視線を向ける。
「刀霞さん、おはよーございまぁす!!」
どうぞの一言を待つ間もなく、水霧さんが一面に満悦らしい微笑を浮かべつつ回診車を押しながらひょっこりと顔を覗かせた。
そもそも俺は昨日から咽頭炎により言葉を発することができないため、入室時の意思疎通に応えることができない。仮に拒否したところで彼女は聞き入れないだろう。元より今は拒否する意志など無いのだが。
短編小説を読んでいた俺は、小さいお辞儀で水霧さんの挨拶に応え、そっと栞を挟み本を閉じた。
「刀霞さん、今日のお体の調子はどうですか? 喉の方は痛みますか?」
彼女の問いに、俺は机の上に常備している小さなホワイトボードとペンを手に取り、あまり綺麗とは言えない字で書き示す。
『昨日と比べればいい方です。咳はでますが、痛みはそこまでありません』
そう書いたボードを水霧さんに見せると、彼女は「ほんとですか!?」と輝くような笑顔を浮かべた。
「喉の方もすぐ良くなりますから、この調子で頑張りましょうね!」
『今日はいつになく元気ですね。何かあったんですか?』
ちょっとした疑問を水霧さんに投げかける。すると彼女は幼さが残るようなニンマリとした笑顔を見せると、いつものように回診車から脈拍計を取り出し俺の手首に取り付けながら嬉しそうに言った。
「
何気ないその一言に、胸元あたりをチクリと刺された気がする。
水霧さんには頭が上がらないほどお世話になってしまったのは思い出すまでもない。いや、現在進行形で今もお世話してもらっている。まるで駄々っ子のように生を拒否し続けた結果、自立歩行もままならず、ボードに書いているペンにでさえ重さを感じてしまうほど、俺の今の筋力は衰えていた。
過去の木綿季程ではないが、なんとなくアイツと同じ心境に近づけたことに少し嬉さを覚えているのも事実ではある。
彼女の本来抱えていた辛さ、苦しさを体感することによって自身の罪の重さを体感できる。成り行きではあるがそれが俺なりの反省の仕方でもあった。
「そういえば……紺野さんの手紙、見ていただけましたか……?」
何事もなく検診も終わり、右手の自由が利いたことで水霧さんの恐る恐る尋ねてくる質問に俺はペンを執る。
『拝見しました。返事を書いたので、渡していただけませんか?』
書いたボードを水霧さんに見せた後、隣の引き出しから便箋を入れた小さな封筒を取り出し、水霧さんに手渡した。
水霧さんに手紙を渡されたのは、悔悟した当日のことである。
手渡された直後はあまりにも不安で開封することができなかったが、深夜頃には気持ちも大分落ち着き、検めることができた。
内容に関しては、たった一言の言葉しか書かれていなかった。しかしそれでも木綿季の気持ちが透けて見えてしまう程、俺に対して何を想っているのが明確に理解できる言葉だった。
蛇のように震え書かれていた字から察するに、恐らく数年ぶりにペンを握ったのだろう。
それでも自身の手で一生懸命書いてくれたのだ。木綿季の想いに応えねば。
――と、思いつつ一筆認めてみたものの、どうも木綿季と似たり寄ったりな字になってしまった。うまく伝わってくれればいいのだが……
「わかりました。この後紺野さんの検診がありますので、その時にお渡ししますね」
『お願いします。ところで――』
黒字で埋め尽くされたホワイトボードを無造作に消し、改めてペンを手に取る。
『木綿季には、俺の病状を伏せてありますか?』
俺の問いに、水霧さんは僅かに憂い面持ちを溢す。
「……もちろん、誰にも言ってません。でも……」
何か物言いだけな表情をしているが、水霧さんはハッキリとは言わなかった。
もちろん、彼女の言いたいことは理解している。
このまま俺の現状を伏せ続けるのは得策ではない。なによりみんなが心配している。
そんな彼女の無言の訴えにも似た萎れる表情に察した俺は、早々にペンを走らせる。
『大丈夫ですよ』
具体的な事など説明できるはずもなく、かといって彼女を安心させられるような言葉でもない。
しかし、今はこの言葉が一番しっくりくる気がした。
ボードに書かれた文字を見た水霧さんは、小さく頷き柔らかい表情へと戻っていく。
「――……なんだかホッとしました。やっといつもの刀霞さんに戻ってくれて、私凄く嬉しいです……」
『ご迷惑をおかけしました』
謝罪の意を込めて、ホワイトボードに書いた文と共に深くお辞儀をすると、水霧さんはクスクスと笑みを溢す。
「迷惑だなんて思ってませんよ。それでは、そろそろ失礼しますね」
そう言うが、ただの謝罪だけでは俺の収まりがつかない。
回診車を引っ張り、そのまま部屋を出ようとする水霧さんの手を、俺は反射的に掴み行動を制止した。
驚いた彼女は若干顔を赤らめつつ「うひゃう!?」と意味不明な言語を発し目を丸くした。何故水霧さんが慌てふためいていたのかはわからないが、兎に角何かお詫びをしたいと考えていた俺は彼女の挙動不審にも目もくれず、ホワイトボードを突き出した。
『何か、お詫びをさせて下さい』
それを見た水霧さんは焦るように手を勢いよくぶんぶんと振る。
「そ、そんな! 私は何もしてませんから!」
『そうだとしても、俺の気が納まりません』
「あ、あう……っ」
みるみるうちに彼女の耳たぶが真っ赤に染まる。何をそんなに切羽詰まっているのかが不明であったが、やがて水霧さんはもじもじしながらも一つの案を提示した。
「あ、あのそれじゃ……一緒にお食事とか……駄目ですか……?」
『食事、ですか』
是非と言いたいところなのだが、生憎今の俺では自立歩行は難しい。そもそも外出許可が下りないため外食が不可能なのは水霧さんも知っているはずだが。
そんな思考を巡らせていると、水霧さんは察したように言葉を続ける。
「あ、もちろん外食とかではなくて……刀霞さんのお食事の時間の時、私もここで食べたいなって……」
何をもってそんなことがしたいのか、腑に落ちない点があることは否めない。
それでも彼女がそうしたいと言うのであれば、俺に拒否できるはずもなく――
『わかりました。いつでもお待ちしています』
「や、やったぁ! 絶対ですよ! 約束ですからね!」
水霧さんの差し出した小指に応え、久方ぶりの指きりを交わす。
これは約束を違えてしまったら針千本を飲まされてしまうのだろうか。想像しただけでもゾッとする。病死の方が遥かにマシな気もするが、死にかけの体にムチを打つようなことだけはしないように気をつけようと、ささやかに肝に銘じた。
*
「……本当に宜しいのですか?」
『ええ、もちろん彼女の意思次第ですが、その時はお願いします』
「わかりました。では、後ほど」
『倉橋先生』
「はい、なんでしょう?」
『色々ご心配をおかけしました』
「おや、その言葉を言うのは少し早いと思いますよ」
謝意を込めた深い一礼に、倉橋先生は柔かな微笑で返す。
今ままでの非を考えれば説教を受けても仕方のないことなのだが、倉橋先生は最後の最後まで俺の気持ちを尊重してくれた。頭が上がらないどころか下げる一方だ。先生の笑顔が逆に俺の胸を痛める。
水霧さんにしてもそうだ。指では数え切れないほどの支障をきたしているのにも関わらず、彼女たちは笑顔で俺の度し難い発言を受け入れてくれている。
いっそのこと罵りながらぶん殴ってほしい。
寧ろ病院を追い出してくれたほうがスッキリする。
どうにかして償いたいものだが、それはまた後で考えるとしよう。
数分後、倉橋先生の号令の下、看護師がメディキュボイド側面のハンドルを握り、上半分をそっと回転させて俺の頭にゆっくりと被せる。
視界を遮られ、暗闇であった世界はメディキュボイドの起動音と共に眼前から白光が広がり、やがて意識を現実世界から切り離していった。
意識が覚醒して真っ先に目に飛び込んだものは、朱に染まりつつあった夕日に反射した、キラキラと宝石のように輝く湖だった。
振り向くと同時に暖かい穏やかな風が俺の頬をそっと撫で、見覚えのある立派な樹から四方に伸びている枝木を静かにそよがせた。
――そうか、俺はここで……
「……って、声出せるのか。――ん~~~ッ やっぱり気持ちがいいな」
大きく背伸びし、久しぶりの発声と直立歩行に感激し、ついストレッチをしてしまう。
現実世界の影響を受けない仮想世界において、咽頭炎や身体力の低下などものともしないのは承知していたはずだったが健康体ではない今、改めて感激を覚えてしまった。
さすがフルダイブと言ったところか。関心せざるを得ない。
しかし久方ぶりにログインしたせいか、若干感覚的な違和感を感じる。暫く動いていれば時期に元に戻るのだろうが、今の見た目にはどうも慣れる気がしない。
そう、自暴自棄の果てに購入した魔法系統の装備の数々。実のところ魔法など未だに一発も放ったことがないくせに後戻りはせまいとあえて高い物を購入した。今となっては恥ずかしい黒歴史だ。
俺はそそくさと以前身に着けていた黒い着流しに着替え、リズに作ってもらった刀、《霧氷》を腰に携えるとその場に静かに腰を下ろし、胡坐をかく。
視線の先には小島のシンボルともいえる大きな樹が一際目立つ。
「……色々あったなぁ」
つい、思い耽るように干渉深いものを感じてしまう。
そういえば、初めてこの世界に降り立った時もこの小島だった。そして、木綿季が最後の最後まで命を謳歌した瞬間も、この場所だ。
あれから、どれくらいの月日が経ったのだろう。
おおよそ三ヶ月程度しか経過していないのだろうが、俺にとってはとても密度のある時間のように感じる。
走馬灯のように様々な記憶がフラッシュバックする。
決していい思い出ではないものも幾つかはあるが、どの記憶の中にも最後に木綿季が笑っていた。
屋上で出会った時も、二人で散歩に出かけた時も、喧嘩をして仲直りした時も、酒を飲んで酔いつぶれた時も、アイツはいつも俺の隣で無邪気な笑みを振りまいてくれた。
記憶の中の彼女の笑みに釣られ、俺もつい笑みを溢す。
――あぁ、そうか。そうだったのか。
ずっと分からずにいた。俺よりも遥かに強い彼女をどうして守りたいと思ってしまったのだろうと。
それが、今になってようやくわかった。
俺は、木綿季の笑顔を守りたかったんだ。
「……とう……か……?」
その声は、突然背中越しから聞こえた。
それは、酷く懐かしさを感じる、弱々しい声だった。
俺は振り向くことなく、声の主に応える。
「おう、久しぶり」
「とう――ッ」
「だめだ!!」
今にも走り寄ってきそうな彼女の声色に、俺は声を張り上げる。
「ここにいるってことは、読んだんだろ?」
「うん……で、でも……ッ」
「わかってる。だけど、今は駄目だ。……わかるだろ?」
「…………」
木綿季は黙りこくってしまうが、俺は言葉を重ねる。
「手紙に書いてある通りだ」
俺は立ち上がり、システムウインドウを開き、初めて操作する項目に指を走らせた。
木綿季の視界に勇ましいSE音と共にある申し込み窓を出現させる。
そして、俺は振り向いて淡々と言った。
「戦ってくれ。俺と」
今回も閲覧していただき、ありがとうございます。
今回のお話は短いです。理由としては投稿が遅れてしまうのであれば、短くても短期間で投稿した方が良いのではと思った次第です。
次回も、もしかしたら短くなってしまうかもしれません。ですが、暫くオリジナルの方はお休みしてこちらの二次創作を進めていこうかと考えています。
コメントしていただき、本当にありがとうございます。ここまでくると自分でも面白いのかどうかよくわからなくなってしまいますが、感想をいただけるだけで凄く励みになります。
また読んでいただけると嬉しいです。次回も宜しくお願い致します。