wake up knights   作:すーぱーおもちらんど

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第二十六話になります。

大変お待たせ致しました。

少しだけ時間が遡ってのお話になります。

楽しんでいただけたら幸いです。


26

「はっ……はっ……」

 

 靄華は廊下を駛走していた。

 刀霞から手紙を受け取ったことで、一刻も早く木綿季に渡さなければという逸る気持ちを抑えきれず、回診車を押しながらも気早に足を急がせる。

 

――これで、紺野さんもきっと元気になる!

 

 彼女の喜ぶ顔が目に浮かぶ。そう思うだけで息切れすら意に介さないほど、今の靄華の気分は高揚していた。

 

「あ、水霧さん待ちなさい! 院内では走っちゃ――ッ」

「ごめんなさいー! 急いでんですー!」

 

 すれ違い様に先輩看護師から引きとめのお叱りを受けるが、遠すぎ早に申し訳ないとは思いつつも、尚足を止めることができない。

 後ろから先輩看護師が追いかけるも、靄華は気にすら留めず木綿季が待つ病室へと向かう。

 

 その道中――

 

「み、水霧さん?」

 

 急ぎ早に回診車を押す靄華の姿を遠方から捉えた明日奈は何やら得体の知れないその状況につい目を細める。

 後ろから鬼の形相をした、おそらく上司であろう看護師に追いかけられているのにも関わらず、何故彼女はあんなにも嬉しそうな顔をしているのか。

 徐々に靄華との距離が縮まるにつれ、異常とも言えるその状況に直面した明日奈は戸惑いながらも「あ、あの」と声をかける。

 すると、靄華は明日奈の姿を視認するやいなや、懐から手紙を取り出す。そして明日奈に向けてブンブンと振り回し、息を切らしながらも声高らかに叫んだ。

 

「お、お手紙です! 刀霞さんからおへっ……おへんじ……っ」

 

 回診車を急停止させるわけにもいかず、靄華は勢いに乗ったまま明日奈の横を通り過ぎていく。

 

「え、えぇ!?」

 

 あの刀霞から返事が。

 

 その言葉を聞いた明日奈は思考するよりも先に足が動いた。

 通り過ぎて行く靄華を駆け足で追走する。

 そして追いつくと同時に回診車に手をかけ、靄華と併走するように歩幅を合わせた。

 

「いつきたんですか!」

「さ、先ほどの検診でへぇ――ッ!?」

 

 靄華が言い切る前に、明日奈の手に力が入る。みるみるうちに回診車スピードが増し、靄華は躓き転倒しかける。しかし手だけは離さないよう引きずられながも必死に明日奈の押す回診車にくらいつく。まるで風に靡く洗濯物のように。

 

「水霧さん何してるんですか! もっと急いで下さい!」

「ひぇぇぇーっ 」

 

 

 

 

 

 

 

 

「木綿季!」

 

 ゆっくりとスライドする堅牢な扉を明日奈は待ちきれないとばかりに室内へと体を捻じ込ませた。

 後から続くように靄華は病室へ入ろうとするのだが、明日奈が入り口付近で直立したまま、何故か動かない。

 不審に感じた靄華は明日奈を避けるようにひょっこりと顔をだし、木綿季が横たわっているベッドへと視線を向けてみる。しかしそこには靄華の思い描いていたいつもの情景とは違う姿がそこにはあった。

 

 ベッドガードに手をかけ、若干ふらつきながらも少しずつ歩いている木綿季。

 

 肩で深呼吸を繰り返し、1メートルにも満たないような僅かな距離を数センチずつ摺り足で移動し、バランスを崩さないよう両手でベッドガードでバランスをとる。

 最初の明日奈の掛け声に気づいている様子はなく、靄華が「紺野さん!」ともう一度呼びかけると、木綿季は「あれー、どうしたのみんな?」と滴る汗を拭うこともなく不思議そうな顔で足を止めた。

 

「また勝手にそんなことして……すぐ横にならなきゃ!」

「えへへ、大丈夫だよ。ちゃんと許可もらったから」

「そうでしたか……でも、そろそろ検診のお時間ですからもう終わりにしましょ?」

「うんわかった。それじゃ、後三往復だけやらせて!」

「――わかりました。でも……無理しちゃ駄目ですよ?」

「わかってるって!」

 

 許可をもらったのであれば問題ないだろう。明日奈も靄華もそう思っていた。

 

「水霧さん、明日奈さん!」

 

 病室の入り口から怒気の篭った声が響く。

 靄華と水霧は急な怒声に体をビクンと強張らせ、恐る恐る後方へ振り返ってみると、そこには靄華の先輩である看護師が眉間にシワを寄せ、体をフルフルと震わせていた。

 

「貴方たちぃぃぃ……ッ」

「あっあっ……これはですね……!」

「あ、あうあう……」

 

 明日奈は必死に取り繕うとするが靄華は上司の怒気に当てられ言葉が上手く出てこない。両者共に体を振るわせ、雷が落ちてくるであろうと目を瞑ったその瞬間――

 

「紺野さん!? 何してるのッ早く横になりなさい!!」

 

 先輩看護師は明日奈たちを払いのけるように割り込み、木綿季の体を支え半ば強引にベッドに座らせる。

 

「あ……も、もうちょっとだけ……」

「何言ってるの!! 駄目に決まってるでしょう! 貴方たちも早く手伝って!」

「は、はい!」

 

 先輩看護師のただならぬ気迫に圧され、明日奈と靄華は木綿季を支えようと体に触れる。そこでようやく木綿季のおかれている状況を把握することができた。

 異常とも言える大量の汗。小刻みに痙攣する足。そして関節の至るところに見られる細かな擦り傷。恐らく幾度も転倒しては起き上がり、歩き続けたのであろう。

 それは規定のリハビリの時間を大幅に超過していることは一目瞭然であった。

 

「ごめんなさい……ボク……」

「いいから、少し眠りなさい」

「明日奈……ごめんね……」

「…………」

 

 明日奈は木綿季の言葉に何も応えることはなかった。

 体の汗を拭き、着替えを済ませると木綿季は糸が切れた人形のように眠ってしまった。特に暴れる様子もなく、大人しく横にはなってくれたものの、眠ってしまうその瞬間まで「ごめんなさい」とひたすら謝り続けていた。

 

 

 

 

「……三時間」

「そんなに……」

 

 先輩看護師の一言に明日奈はそれ以上の言葉が出てこなかった。

 手紙を書いてから無断で病室を抜け出したり無茶な行動はしなくなってきたことからこれならば問題ないだろうと安心していた矢先の出来事である。

 今から三時間と数分前、軽い運動ならばと先輩看護師が確かに許可を出した。ただし十分間の間のみという条件をつけて。

 結果的に直情径行な木綿季が規則時間など守れるはずもなく、体力の続く限り歩き続けてしまった。が、そこに悪意がないことは先輩看護師を含め靄華も明日奈も重々承知している。

 とはいえ、早い段階で木綿季の異常を察知することができなかった靄華はどうしても罪悪感を拭い去ることができず、先輩看護師に対し深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい……私、そうとも知らずに続けさせてしまって……」

「――今更怒っても仕方ないわ。それに、様子を見に行かなかった私にも責任はあるし……」

「私も……すいませんでした……」

 

 明日奈も靄華と同じように粛々と謝罪する。

 

「そうね。でも、次回から気をつけてくれればそれでいいのよ」

「はい……以後気をつけます」

「で、どうして二人ともそんなに急いでいたの?」

 

 顔を上げ、懐から封筒を取り出した靄華は先ほどとは打って変わって、ニコニコ顔で先輩看護師に見せつける。すると先輩看護師は全てを察し、靄華の笑顔に釣られるように小さな笑みを溢した。

 

「これで、ようやく前に進むことができるわね」

「はいっ私も今以上に頑張ります!」

「頼もしいわ。とりあえずこの一件は貴方たちに任せます。倉橋先生には私から報告しておくから、紺野さんが目を覚ましたら渡してあげなさい」

「わかりました」

 

 病室を出て行く先輩看護師に対して改めて一礼し、靄華と明日奈は木綿季が目覚めるまで静かに見守った。

 

 

 

 

 

「水霧さん……」

「はい、なんでしょう?」

「刀霞は大丈夫なんでしょうか……」

 

 安らかに寝息を立てている木綿季を心配そうに見つめる明日奈は、靄華へ幾度も尋ねてたきたであろう質問をあえて投げかける。

 手紙にはなんと書いてあるのかはわからない。それだけに今の木綿季を更に追い詰めてしまうようなことが書かれているのではないかと不安になってしまう。

 もちろん刀霞のことも心配ではあるが今の木綿季は精神的に限界まで来ている。これ以上彼女の負担になるようなことはできるかぎり避けたい。

 そう思うとどうしても聞かずにはいられなかった。

 

 しかし、明日奈の不安の募る質問とは裏腹に靄華は落ち着いた微笑みを見せ、

 

「刀霞さんから、明日奈さんたち充てへの伝言を預かっています」

「私たちに……?」

「『心配かけてすまなかった』」

 

 靄華の言葉に、いや刀霞の伝言に明日奈は瞠目するかのように大きく目を見張り、一滴の雫を頬に伝わせた。

 一ヶ月振りの彼の言葉。直接聞いたわけではないが、酷く懐かしさを感じさせる。彼がそういうのであればもう大丈夫なのであろう。今でも木綿季を想っているからこそ一枚の手紙という形で彼女に気持ちを伝えようとしている。その内容が彼女に負担をかけさせるものではないことは刀霞の伝言により確信を得た。

 

「よかった……本当によかった……」

 

 指で小さく涙を拭う明日奈。そして穏やかな感覚に包まれる靄華。

 いつしか張り詰めていた空気はどこかへと去り、窓一つない密閉された空間ではあるが、今は人心地のいい開放感が室内に広がっている。

 もう誰も悲しむことはない。そう思えるだけで明日奈は安堵の微笑みをもらす。そして木綿季の右手を両手で包み込み、目を伏せぽつんと呟いた。

 

「良かったね、木綿季……」

「――ん……」

 

 明日奈の微かな呟きに、木綿季の意識がゆっくりと覚醒する。

 ぼやける視界の中、最初に飛び込んできたものは靄華と明日奈の顔だった。

 

「あ……おはよ……明日奈」

「おはよじゃないでしょ、まったくもう」

「えへへ……」

「紺野さん、どこか痛いところはありませんか?」

「えっと、――うん、大丈夫。少しだけ足が軋むけど痛くはない、かな」

「当分リハビリはお休みですからね。ちゃんと体調を整えてから再開しましょう」

「ごめんなさい水霧さん。ボク……」

 

 木綿季は頭を下げようと体を起こすのだが、靄華に肩を抑えられゆっくりと制止され、再び枕に頭を預けた。

靄華は掛け布団をそっと木綿季の首元まで掛けなおし、叱る意志がないことを遠回しに言葉を添える。

 

「わかってますよ。ほんの少し……頑張り過ぎちゃっただけですよね」

「もう、こんなことしちゃ駄目だからね……?」

「うん……もう大丈夫。ほんとにごめんね」

 

 またやってしまった。そんな情けない感情が膨れ、木綿季は掛け布団の袖で口元を隠し苦笑いを溢す。

 決して反省していないわけではない。ただ、これ以上一度でも気分を落としてしまったら立ち直れる気がしないのだ。何かをしていなければ負の感情が幾重にも重なり、自身を駄目にしてしまう。今の木綿季がひねり出した強引とも言えるような前向きの考えが今回の結果を生じてしまったとも言える。

 

 そんな木綿季の苦々しい表情が靄華の心情を擽る。

 

――もう終わりにしなきゃ……これ以上紺野さんが傷ついてしまったら、刀霞さんもきっと傷ついてしまう……

 

 思い逸る気持ちに後押しされ、一刻も早く手紙を渡すべきだと確信した靄華は辛抱たまらずポケットから手紙を取り出す。

 

「あ、あの――ッ」

 

 今まさに木綿季に語りかけようとしたその瞬間、

 

「木綿季、私たちそろそろ行くね! 水霧さんと少しお話があるからまた後でね」

 

 ちらりと視線を靄華に合わせ、小さく首を横に振り制止を促す明日奈。

 

「う、うん。あれ、水霧さん今呼んだ?」

「あっ……いえ、なんでもないですよ!?」

 

 咄嗟の明日奈の行動に、靄華は慌てて手紙を後ろへ隠す。

 

「そっか。実はボクまだ疲れが残ってるみたいでまだ眠いんだぁ……ふわぁ」

 

 意識が若干虚ろなのか、大きな欠伸をかくと目が細くなり瞼を指で軽く擦り始める。

 

「お昼頃になったらまた来るね。お休み、木綿季」

「うん……ありがと……おやすみなさい……」

 

 明日奈と約束を交わし、木綿季は再び小さな寝息を立てはじめた。木綿季の柔らかな表情とは裏腹に、靄華と明日奈は僅かに固い顔色を浮かばせながら二人は起こさないように静かに病室を後にする。靄華はセキュリティカードをパネルに翳し、扉のロックを確認すると明日奈に気遣わしげな面持ちで尋ねた。

 

「どうして止めたんですか……?」

「あれだけ体を酷使したんです。木綿季自身は笑っていましたけど、きっと精神的にも疲弊しているはずですから……あんな状態で手紙を渡してしまったら、あの子はまた無茶なことをしてしまいます……」

「――そう、ですよね……」

 

 何かに耐えるように靄華は下唇を噛み締める。

 

「それに、刀霞は言ってました。心配かけてすまなかったと」

「で、でも……早めに渡してあげたほうが……」

「大丈夫ですよ。そんなに急がなくても――」

「急がなくちゃだめなんです!!」

 

 靄華の叫声が廊下へ響き渡る。

 発言を遮られた明日奈は呆然と目を丸くする。

 そんな明日奈の表情にハッと気づいた靄華は、自身の表情を隠すようにブンブンと両手を横に振りながら、

 

「――あ……ご、ごめんなさい!」

「み、水霧さん……?」

「あの、お手紙は明日奈さんが渡して下さい。私次の検診があるのでもう行きますね! 宜しくお願いします!」

 

 押し付けるように手紙を託した靄華は駆け足で回診車を押しながらその場を粛々と立ち去った。

 明日奈は呆気にとられたまま引き止めることもできず、ただ小さくなって行く彼女の背中を目で追いかけることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は午後12時30分。木綿季が目覚め、明日奈と共に食事を済ませた直後のことである。

 

「はい木綿季、これ」

 

 何気ない談笑の最中、区切りのいい所でアスナは手元にある鞄の中から一枚の封筒を取り出し、木綿季に差し出した。

 

「なぁにこれ?」

 

 差し出された手紙に首を傾げる木綿季。

 

「刀霞からのお返事」

「刀霞!? 刀霞からの!?」

 

 木綿季が奪い取るように手紙を鷲掴みしようと瞬間、明日奈はサッと手紙を持つ手を引っ込める。

 

「あ、明日奈ぁ!」

「どんな内容が書いてあるか私にはわからない。これは木綿季に宛てた手紙だから、内容も聞かない。だから一つだけ約束してほしいの。絶対に無茶なことはしないって」

 

 明日奈は真剣な表情で木綿季を見据え、切に願う。

 まるで姉が妹に強く言い聞かせるような言動。しかし木綿季には不安に駆られ、怯えているようにも見えた。

 だが、それと同時にその言葉の意味するところを十分に理解している。なぜそのような約束事を告げたのかを。

 

 それだけに、明日奈の言葉に対して即答できる覚悟が木綿季にはあった。

 

「約束する。絶対に明日奈を、みんなを裏切らない」

 

 その覚悟は一目瞭然だった。最早疑う余地はないだろう。

 明日奈は言葉を返すこともなく、そっと封筒を差し出す。

 受けとった木綿季は、奪い取ろうとした勢いとは真逆に、封筒を乱雑に破らないように丁寧に折り目を剥がし、ゆっくりと手紙を開いた。

 

「…………」

 

 二枚に渡る手紙を黙りこくって読む木綿季。そして、それを心配そうに見つめる明日奈。

 時間にして五分ほど経過しただろうか。無表情のまま微動だにしない姿に、明日奈は恐る恐る声をかける。

 

「だ、大丈夫……?」

「うん……」

「辛いこと……書いてあった……?」

「ううん、そんなことない。優しくて、刀霞らしい内容だったよ」

「でも、あんまり嬉しそうじゃないね……」

「うん。まだ終わってないから」

「終わってない……?」

 

 小さく頷いた木綿季は、手紙を丁寧に折りたたみ目を伏せる。

 

「今日の夜、ALOで待ってるって」

「…………」

 

 私も行く。

 

 そんな言葉が口から飛び出してしまいそうになるのだが、首を左右に振り強引に収める。

 木綿季が心配だから。刀霞が心配だから。また何かしらの原因ですれ違うのではないかと不安が募る。しかしその手紙は木綿季に宛てたもの。私たちが介入していいものではない。そう改めた明日奈ははにかむように、

 

「それじゃ、他の人が邪魔しないように私からみんなに伝えておく、ね」

「うん……ありがと明日奈」

「全部終わったら……またみんなでご飯たべよっか」

「……そだね!」

 

 木綿季も明日奈もは多くを語ろうとはしなかった。

 察するように互いに小さな笑みを浮かべ、それ以上言葉を重ねることはせず、暫くの間静かに時を過ごした。

 

 ――しかし日が沈みかけた夕暮れ時、刀霞と会う時間が迫ってくるにつれ木綿季はそわそわと落ち着かない様子で時計を気にし始める。もじもじと足先を擦り合わせたり、何度も手紙を読み返してはため息を繰り返していた。

 その様子に気づいた明日奈は木綿季の手にそっと触れ、

 

「どうしたの?」

「……怖い……」

「……刀霞に会うのが?」

「うん……」

「どうして……?」

「もう……刀霞に嫌われたくない……嫌われたくないよ……」

 

 明日奈は言葉を失った。

 向かうところ敵無しと言われたあの絶剣が、うずくまるように身を丸め、体を震わせている。

 想いを馳せた、たった一人の男性に突き放されても諦めなかった心情の裏には本人ですら自覚のできない大きな『怯え』があったのだ。

 失いたくない、忘れたくない。そう願いやっと手に入れた掛け替えのない僅かな幸せが、また自分の手から離れていってしまうのではないか。

 失うことの恐ろしさを痛いほど理解しているからこそ、受け入れたくはない最悪の結果を想定してしまう。

 

 そしてそれは、一度考えてしまうと止める事はできないのだ。

 どこまでも続く終わらない負の輪廻。そんな恐怖が木綿季の表情を歪ませ、息を詰まらせた。

 

「怖い……怖いよ明日奈……」

「――ね、木綿季」

 

 触れてしまえば今にも崩れてしまうような小さな背中に明日奈はそっと手を弄う。

 

「……刀霞のこと、好き?」

 

 明日奈の問いに膝元に埋めていた木綿季の顔がふと上がる。

 くしゃっと顔が歪み、濡れた瞳は溢れんばかりの水面を漂わせつつも、明日奈の顔をはっきりととらえ、

 

 そして迷わず答えた。

 

「好き……大好き……」

 

 はじめて口にした、素直な気持ち。

 人として好きなのではなく、一人の男性として好きだという明確な感情が涙と共に零れ落ちた。

 赤子の柔肌を包み込むように、明日奈は木綿季を優しく抱きしめる。

 

「わかるよ木綿季。その気持ち、私にもわかるよ……」

「うん……うん……」

「大丈夫、刀霞は木綿季のことを嫌いになんかならないよ。だって、そう言ってたもの……木綿季も信じてるんだよね……?」

「うん……っ」

「なら、大丈夫だよ……!」

「ありがと……ありがと明日奈……ボク、明日奈も大好きだよ……」

「私も、木綿季が大好き」

 

 木綿季が落ち着くまでの間、長い抱擁が続いた。

 

 ある程度の時間が経ち、面会の終了時間が迫ってきたことを明日奈が告げると、木綿季は改めるように明日奈を見据え、真剣な眼差しで言った。

 

 

「……明日奈、お願いがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

「紺野さん、準備は宜しいですか?」

「えっと、はい。お願いします」

 

 病室には、倉橋医師と靄華、そして木綿季の三人。

 倉橋医師の問いかけに、木綿季は二度三度呼吸を整え返事をする。

 

「あ、あの。紺野さん」

 

 靄華はそわそわと落ち着かない様子で、なにやらもどかしそうに木綿季に話しかける。木綿季は目をぱちくりとさせ「なぁに?」と応えるのだが、靄華は何を告げることもなく、下唇をきゅっと噛み締める。

 そして悟られないようできるかぎりの笑顔で激励の言葉を送った。

 

「――いえ……なんでもないです。どうかお気をつけて」

「うん!」

「では、いきますよ」

 

 倉橋医師自らメディキュボイド側部のレバーを下げ、木綿季の頭部を包みこむ。

 

 暗闇が広がる視界の中、刀霞がかつて木綿季に誓ったあの言葉が脳裏を駆け巡る。 

 あの言葉だけを信じ続け、再び会える日を望み、そしていつかまた彼の傍にいれることを今日という日まで必死に願い続けた。

 その想いの積み重ねが今日、幸か不幸一つの形となる。

 

――刀霞。ボク、ちゃんと会いに行くよ。あの時の言葉、信じてるからね。

 

 胸の内にある小さな勇気を握り締め、木綿季は眼前に広がる白光に意識を預けた。

   

 そう遠くない、近いうちに訪れるであろう永遠の別れが来ることも知らずに。




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

大変遅くなり、真に申し訳ありませんでした。
多忙やPC不調が繋がり、二週間ほどの時間を空けてしまいました。
次回の投稿時間も明確に告知できそうにないので、投稿の目処が立ち次第改めて連絡したいと想います。

総合閲覧数26000、お気に入り登録270件突破しました。

間を空けてしまったのにも関わらず、読んでいただいて本当に嬉しいです。

次回も頑張ります。

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