ああ、間に合ってよかった。
油断と言ってしまえばそれまでだ。
ユウキから繰り出した初撃は、トウカの力を推し量るための行動でもあった。
以前不良三人組に一人で立ち向かい、これを制したということであれば少なからず弱いということではないだろう。しかし、彼はALOを始めて三ヶ月と満たない。そして他のゲームからコンバートしてきたわけでもない。この情報から総合すると、リアルで何かしらの武道を身につけている可能性がある、というユウキの推察は正に的を得ていた。
しかしここからユウキの思惑とは大きく外れてしまうことになる。
武道とはいうが、現在は怪我を未然に防ぐため、ルールや防具に縛られた所謂近代スポーツと言ってもいい。所詮ゲーム内で反映されたとしても中々応用に利く技術はごく僅かである。まさにリーファがその例と言えるだろう。
彼女はユウキと戦い、一度敗れている。リアルでは幼少の頃から剣道に身を置き、その技量は優秀な成績を収めている程で、キリトにも勝利している故にまさに折り紙つきだ。
だが、そんな技術をもってしてもユウキにはデフォルト技だけで圧されてしまう。それ程に現在の武道とゲーム内での動きには大きな差が生まれてしまう。
だが、トウカは違った。
ユウキの刺突は約八割ほどの力で放ったもの。
確かに全力で地を蹴った。スピードの乗りも良かった。しかしそれでも通常のデフォルト技だ。フェイントやソードスキルも併用できただろう。だがあえてそうしなかったのはトウカのプレイスタイルを把握するためのものだった。
弾くのか、受け止めるのか、崩すのか、避けるのか、それとも食らってしまうのか。何れかの行動でトウカの本流を垣間見ることができるとユウキは考えていた。
――結果、彼は受け流した。
これは予想の範疇を超えていた結果だった。
『受け流す』というのは相手の技が見えているということ。尚且つそのスピードを以前に体感しているということになる。つまり――
トウカは自身と同等、もしくはそれ以上のスピードを兼ね備えている可能性がある。
ユウキは攻めて来る気配がないとわかると、ゆっくりと立ち上がり、改めて直剣を構えなす。
体は開いているものの、先程とは違う構えだ。重心を落とし、明らかにスピードを加えようと後ろ足に力を溜めている。
トウカもまた、大きく深呼吸しながら相手の行動に備えている。どんな一撃でも確実に受け流し、一太刀とまではいかなくとも、相手の力を利用し、カウンターを合わせて少しずつダメージを負わせることはできる。
この集中力が持続できれば、だが――
トウカが一抹の不安を過ぎらせた瞬間、ユウキは見計らったかのように再び地面を蹴った。
しかし今度は一直線ではない。素早く左右に移動しつつ、つづら折りにトウカへと詰め寄る。それに加え直剣が青紫色の光を帯びている――ユウキのソードスキルだ。
――落ち着け、落ち着け。大丈夫、大丈夫だ。
目の焦点をユウキの動きに合わせ、トウカは冷静を意地しようと自身に言い聞かせる。
トウカはある予測を立てていた。それが正しければ、あの直剣から繰り出されるソードスキルを防げる可能性があると。そしてそれはスピードとは関係なく――
「たああっ」
動きによるフェイントを混ぜながら、短い気合と共にユウキは剣を勢いよく振り下ろした。片手剣のソードスキル――《バーチカル》。
トウカは脱力した力を糧に腰を開いて抜刀し、振り下ろされる剣技に合わせ、切り上げるように直剣と刃を交差させる。
だが、僅かに刃先の角度を外側にずらし、流すように刃をあてがわせた。するとライトエフェクトを帯びた片手直剣はチリチリと線香花火のような火花を散らしながら空を裂き、行き場を失った矛先は地面へと導かれた。
その刹那――トウカとユウキの瞳が互いを捉える。
驚愕に目を丸くさせるユウキと、火花に目を細めるトウカ。
対象的な表情ではあったが、二人が同時に感じたものは、『確信』だった。
トウカの推察は当たっていた。ソードスキルは直撃しなければ効果は発動しないと。
以前の不良組みとの決闘や、アラクネとの戦闘で、相手の攻撃を全て大剣という重量のある武器で正面から受け止めようとしていたことが多かった。
しかしそれもソードスキルの前では無力に等しく、例え最も重量がある両手斧で片手直剣に対してデフォルト技で挑んだとしても、特定のスキルを使用されてしまえば弾かれてしまうことがある。
そこでトウカの思考が前へと進む。仮に『受け止める』のではなく、『掠らせる』ことができたとしたら……?
そしまた、ユウキも確信する。トウカには自身の動きが確実に見えているのだと。
つづら折りにフェイントを混ぜたのはトウカの目を見るため。案の定寸分違わぬタイミングで自身の動きに焦点を合わせてきた。間違いない、単発のスピードはほぼ互角。
だが、それと同時にユウキはトウカの小さな綻びを見つけてしまった瞬間でもあった。
刹那の間に互いの思考が疾走した直後、ユウキの直剣は地面へとめり込む。地面が唸るような轟音と共に大きな土煙が舞い上がり、二人はその煙幕に巻き込まれ、互いの姿が影となって消えた。
その結果、受け流した後の事を考えていなかったトウカは吹き荒れる土煙に小さな動揺が生まれてしまった。
――ここはゲームの世界。現実では起こらないことが起こってしまうのだ。片手直剣がまさかこれほどまでの威力があるとはトウカも想定などしていなかった。
そう、それこそが――
「――――ッ!?」
トウカの弱点だった。
背筋が凍る感覚に釣られ、トウカは目線を落とすと、懐に紫色の髪を靡かせた少女がいることに気づく。
そして気づいた時には既に遅く――
「やぁーっ!!」
気合を迸らせながらユウキはトウカの腹部に凄まじいスピードで突き込んだ。
青紫色のエフェクトフラッシュが迸り、舞い上がっていた土煙が一気に晴れる。
受け流そうにも、距離を詰められては抜刀できず、腰を起点に使う居合いは攻撃されてからでは無力に等しい。
――あぁ、ここまでか……
眩い閃光が目を眩ませ、次々と腹部へと攻撃が吸い込まれていく感覚の中、トウカは彼女に惜しみない賞賛を送っていた。
やはり、絶剣は強かった。当たり前だ、ユウキは俺の憧れなんだから。こんな簡単に負けてしまっては俺が困る。
――負ける……? 俺が……?
――――――――――――。
「諦めてんじゃ、ねぇぇぇ!!」
トウカは自身への憤慨を八つ当たりするかのように、ユウキの最後の一突きを強引に薙ぎ払った。攻撃を弾かれたユウキは彼の咆哮に驚きつつも、反撃に備え数回バックステップして距離を開ける。
「……まだ……まだやれる……」
片膝をつき、息も絶え絶えでライフゲージも残り僅か。
軽装の彼ではユウキの攻撃に耐性があるわけもなく、あっという間に体力が削られてしまった。
トウカはそんな満身創痍にも関わらず、以前ユウキから受けた忠告にもう少し耳を傾けておけば良かったと薄笑みを浮かべながらも、刀を杖代わりに弱々しく立ち上がる。
「……もう、やめよ……? もう十分だよ……」
「ふざ、けんな……かかってこい。負かしてやる……」
好きな人をこれ以上傷つけたくない。
そんな脆弱にも似た懇願が、トウカのプライドを傷つけると分かっていても、ユウキは言わずにはいられなかった。
トウカは、最早抜刀する力も残されてはおらず、両手で刀を握り締め、脇構えを維持するので精一杯だった。それに対してユウキは戦う意志を放棄し、距離を詰めようともせず、悲哀な目で彼を見つめていた。
「来ないなら……俺から、いくぞ……」
試合放棄したユウキに強い憤りを覚えたトウカは、痺れを切らしたかのように、迎え撃つという本来の戦い方も捨て、ふらふらとユウキの元へ近づく。
「トウカ……ボク、ボクは……」
もう嫌だよ。
そう言おうとするのだが、トウカは言葉を遮るように弱々しく刀を振り上げ、力なく振り下ろす。
「あ……」
あの驚愕させた、鋭い一閃が今は見る影もない。
ユウキが直剣でその攻撃を受け止めると、トウカは淡々しい声で言った。
「絶剣なんだろ……? 最強なんだろ……? 俺の憧れた絶剣は……俺の惚れた女は……こんなところで投げ出したりは、しない……」
「と……うか……」
「本当に……嫌い、なら……打ち負かして……みろ……!」
「――わあああああっ」
叫換と咆哮が交じり合う掛け声が、猥雑にトウカの刀を弾き返した。
全力で、全力で、全力で――!!
ユウキは持てる力の限りを直剣に込め、一心不乱に剣を振るい続ける。
トウカは流すように直撃こそ免れてはいるものの、所々攻撃が突き刺さる。
瞳に涙を浮かべ、休むことなく剣技を叩き込み続けたユウキは、やがて無意識の内に、あるソードスキルを発動させた。
「うわあああああっ」
悲痛な叫び声が、ユウキの右手を閃かせる。美しく輝く青紫色のエフェクトと、その構え方にトウカは見覚えがあった。
腹部右上から神速の突きを繰り出そうとしてる。初動の動きでトウカは見るまでも無く直感した。そう、これは――
――マザーズ……ロザリオ……
アスナに託したはずのOSSが何故、いやそれよりも――
これを食らったら、確実に終わる。
受け流し、次の攻撃に備えようにも体が動かない。
トウカは静かに悟った。自分は負けてしまうのだと。それでも諦めずに戦った。逃げずに戦えた。
だから満足だ。負けても、満足だ。嘘ではなく、本当に――
『虚勢を張るな』
どこか聞き覚えるのある声が、脳裏を過ぎる。
しかもそれはずっと昔から、子供の頃。いや、
赤ん坊の頃から知っているような――
『委ねろ』
ふと気づけば視界は暗闇の中、目の前に映る得たいの知れないどす黒い物体だけはハッキリと捉えることができる。
自然と不快な感覚はない。寧ろどこか清清しい。
その不思議な心情に動揺しつつも、トウカは恐る恐る答えた。
――委ねて何になる。委ねたら勝てるのか? お前ならあの絶剣に勝てるのか?
『望め』
その黒い異質ななにかは、漆黒の手を差し出す。
それはゆらゆらと浮遊しつづけ、今にも折れそうな細枝のように見えるが、それでも尚手の形を維持していた。
こいつに何ができる。こんな弱そうな奴の何が信用できる。
しかし、今の俺にはもう何もできない。もし、この手を取れば本当に窮地を脱っすることができるかもしれない。
『求めろ』
それは、今現在トウカが求めている、とても甘美な言葉。
この手をとれば、助けてくれる。
委ねて、頼んで、任せて、救ってくれる。
――勝てる……ユウキに……絶剣に勝てるなら……
トウカが、その手に触れた瞬間――
『――はは』
気味の悪い笑い声を最後に、トウカの意識はぷつんと途切れた。
*
吹き荒れる突風がユウキを中心に広がり、足元の草がばあっと放射状に倒れ、数メートル先には吹き飛ばされ仰向けに倒れるトウカの姿があった
「ト、トウカ!!」
ハッと我に返ったユウキは自身がOSSを使用したことに気づき、慌ててトウカの元へ駆け寄る。
束ねた黒髪がばらばらにほつれ、夕空を吸い込むようにキラキラと輝いていたが、髪留めが外れてしまったせいか、前髪で表情が隠れどのような面持ちなのかわからない。
謝ればいいのか、誇ればいいのか、そもそも声をかければいいのか。
「とう……」
ユウキはいてもたってもいられず、恐る恐る手を伸ばす。
が、次の瞬間――
悲鳴のような甲高い風尾の音がユウキの耳に入った。
「――え……?」
ふと気づけば、パラパラと紫色の髪の毛が散り散りに落ちている。
何が起きた? 何をされた?
ユウキは思わず後ろに飛び退く。事態の収拾がつかず、思わず直剣を構え周囲を見渡す。
もちろん他に誰かいるわけでもなく、まして決闘中に他人が割り込めるシステムなど存在しない。
この小島にはトウカしかいないのだ。目の前にいるトウカしか――
「トウカ……?」
トウカは、直立していた。
だらんと右手に持つ刀の剣先にはユウキと同じ色の髪の毛が絡まっており、ただ呆然と虚ろな目で空を見上げている。その目には光が宿っておらず、まるで感情という概念が存在しないかのようにも感じた。
トウカの中心にのみ、無常な虚無感だけが広がる空気を感じ取り、ユウキはただごとではないと直感する。
一時的に混乱を極めるも、距離空けたことにより冷静さを徐々に取り戻し、改めて状況を確認しようと静かに深呼吸を繰り返した。
まずトウカのライフゲージ。見たところOSSを使用する前の残量がまるごと維持されている。それはつまり、トウカがユウキのOSSを受けきったことを意味する。
防いだのか、受け流されたのかはユウキも一心不乱だったためわからない。故に今となっては確認のしようがない。
だが、先ほど聞こえた風切り音の正体はわかった。それはトウカの持つ刀を見れば一目瞭然だ。
そう、トウカが斬ったのだ。
それも軌道上から察するにユウキの両目を狙った。
あれほど満身創痍だった彼が何故これ程までの余力を残していたのかは定かではない。それに、今まで急所を避けるように攻撃してきた彼が、不意打ちするかのようになんの躊躇いものなく攻撃を仕掛けてくるとは思えない。
様々な矛盾がユウキの思考を麻痺させつつも、たった一つだ言えることがあった。
それは、今のトウカは普通ではないということ――
「絶剣……」
トウカの口から零れた、自身の名称。
「トウカ……? トウカだよね……?」
そうは言いつつも、ユウキは直剣を構え警戒心を怠らない。
見ればわかる。あれは紛れもなくトウカだ。だけど何かが違う。
確かめずには、聞かずにはいられない。
「…………」
何も答えることはなく、天を仰いでいた瞳はすぅっとユウキの方へと傾く。
そして、その男は独り言のように呟いた。
「逝ね」
ユウキは長きに渡る戦闘を経て、相手の目を見ればある程度の戦闘能力は把握できる。その直観力が眼前の男の一言で瞬く間に危険信号を発した。
この男は危険だと。
身を強張らせるほどの悪寒がユウキの全身を駆け巡り、意識とは無関係に本能が臨戦態勢をとらせた。
それが、結果的に功を奏した。
その男は穿たれた飛矢のようなスピードでユウキの懐に滑り込み、首を切り落とそうと無二の一太刀を放つ。
目の端で捉えたユウキは中段に構えた直剣を寸でのところで右へと逸らし、刀剣を受け止め、火花を散らしながらギリギリで耐え凌ぐ。
「ぁぐ……ッ」
先ほど見せられた、洗練された技術などではない。急所目掛け、力技で捻じ伏せるような圧倒的な暴力。
いったい彼のどこにそんな力があるというのか。いや、今はそんな事を考えている場合ではない。
改めて一旦距離を空け、自分のペースで戦いを運ぶ必要がある。
纏まらない思考の中、自身のできることを一つずつ手繰り寄せ、導き出した答えを実行に移すため、ユウキは大きく後ろに飛び退いた。
その瞬間、男はニタリと不敵な笑みを浮かべた。
まるでそうすることを知っていたかのようにほぼ同じタイミングで間合いを素早く詰め寄ると、刀剣で地面を削りながら弧を描くように下から上へ大きく薙ぎ払った。
「――――ッ!!」
ユウキは刃を受け止めるも飛び退いた瞬間を狙われたため、滞空していたことが仇となり踏ん張りが利かないまま後ろへ大きく吹き飛ばされ、受身も取れず地面に叩きつけられてしまった。
「いっ……たぁ……ッ」
ペインアブソーバにより痛覚は遮断されてるとはいえ、内心的な痛みと斬られたことによる不快感がユウキを襲った。
すぐに立ち上がらなければ。でないと次の攻撃が来る。
しかし、甚振ることを好んでいるかのような暴力的な一撃と、あのトウカらしさのかけらもない不敵な笑みがフラッシュバックされ、体が思うように動かない。
――あれはトウカじゃない。トウカなんかじゃない!!
そう体に言い聞かせるが、最早間に合わない。
ユウキは蹲るように身を丸め、歯を食いしばり次の攻撃を待つ。が――
「……はは」
繰り出されたのは攻撃ではなく、笑い声だった。
「はは」
暗くて、怖くて、恐ろしい笑い声。
「ははは」
男は笑っている。かつてトウカだった男が、ただ冷たく笑っている。
ニヤニヤと、汚物を見つめ、自身よりも劣っていると言わんばかりの表情で。
戦いを楽しみ、敵を傷つけることが何よりも快感だと言わんばかりの表情で。
――笑うな……
トウカはそんな顔で笑わない。
――笑うな……!
トウカの笑顔は、もっとあったかい。
「笑うなああああああっ!!」
憤慨する感情を力に変え、ユウキは起き上がると全力で地面を蹴り上げた。
羽を広げ空高く飛翔したユウキはトウカの頭上数十メートルから勢いよく降下し――
「トウカを返せえええええッ!!」
雄たけびと共に直剣が青紫色に閃光する。
降下によるスピードを加えた垂直斬りから、上下のコンビネーション、そして全力の上段斬り。高速の四連撃《バーチカル・スクエア》――。
しかし――、
「はは」
文字通り怒涛の四連撃を仕掛けるも、片手で全ていなされる。
理不尽なほどの力にユウキは顔をしかめるも、攻撃はそれだけでは終わらなかった。
武器が交差し、弾き合う武器の勢いが再び土煙を巻き上げる。互いの姿が煙に紛れ視界を遮られるがユウキには男のいる場所がしっかりと見えていた。
これはインプの特性の一つで、暗視はもちろん、霧や吹雪の中でも可視できる。
――ただし、種族のスキルポイントを割り振ればの話であって、今のトウカにはそれが割り振られてはいない。
つまりトウカの弱点は、『知識』にある。
トウカはゲームのシステムの全てを把握しきれてはいない。それに比べてユウキは豊富とまではいかないが戦闘に関しての知識はトウカよりも優れている。
それは結果的に、戦闘において大きなアドバンテージにもなる。
残りはのライフゲージから察するに、最早ソードスキルは必要ない。土煙の中使用してしまうばライトエフェクトでこちらの居場所がバレてしまう。
ユウキは冷静に、トウカの背後へと回り込み――
「うりゃあああッ」
全身全霊の一撃を放った。
――ところが、
「はは」
「――ッ!?」
短い声と共に土煙が晴れていく。
目の前には、虚しくも火花を散らしている直剣と、見向きもせずに一撃を受け取とめる男の姿。
――これも、駄目なの……!?
ユウキは負け時と鍔迫り合いに挑むが、男が刀を強く握り締めた瞬間、ユウキの体はいとも簡単に浮き上がり、直剣を叩き割るかのような力で強引に吹き飛ばした。
「ぎゃう……ッ」
小島の中心に聳え立つ大木の幹に叩きつけられ、ズルズルとその場に崩れ落ちていくユウキ。そしてその苦痛な表情を慊焉たる目で見据えるトウカ。
決闘が、終わりを迎えようとしていた。
*
「……とう……か……」
「はは」
トウカは答えない。
「…………」
「はは」
トウカは応えない。
これが、トウカの求めた決着だったんだろうか。
これが、本当のトウカなのだろうか。
もう何もわからない。何が本物で、何が偽者なのか。
男は歩み寄ると、ユウキの首筋に刃をあてがう。
最早表情など見る気にもなれない。恐らく笑っているのだろう。
卑劣に、愚劣に、下劣に。
ユウキは握り締めていた黒曜石の直剣を静かに手放した。
これ以上足掻いたところでこの男には勝てない。ならば、大人しく諦めて楽になろう。これは所詮決闘。負けたところで命を失うわけじゃない。
――いいよね、もう……
ユウキはゆっくりと目を閉じ、ただその時が訪れるのを待った。
首筋にあでかわれた刃が離れ、カチャリと柄を持ち直す音が聞こえる。
「とうか……」
そして振り下ろされた刃が――
音を立てて何かを斬り裂いた。
痛みも、不快感も、決闘の終わりを告げる音も聞こえない。
ユウキはふと目を開けてみる。
すると、そこにはトウカが自身の足に刀を突きたてている姿があった。
「え……?」
何が起きたのかもわからず、ユウキは恐る恐る顔を上げようするが、恐怖で身が竦み、トウカの顔を直視することができない。
まだ、あの忌々しい笑みを浮かべているのだろうか。だとしたら見たくない。
これ以上、あんなトウカなんて見たくない。
思い出すだけで体が震え、目を固く瞑ってしまう。
しかし、そんなユウキに聞こえてきたのは――
「ゆう、き……」
その声は、優しくて、温かくて――
「とうか……?」
「だいじょ……ぶか……?」
トウカはその場で崩れ落ち、倒れこむようにその身をユウキに預ける。
「ほんとに……ほんとにトウカなの……?」
ユウキは体を受け止めるも、抱きしめることに躊躇していた。
「ごめん……俺……また逃げて……」
「あれは誰だったの……? 今のトウカは……本物なの……?」
「…………まだ、わからない……」
「そんな……」
トウカはユウキの体から離れ、自身に突き立てた刀を強引に引き抜くと、最後の力を振り絞るように立ち上がった。
「ユウキ……最後の勝負をしよう……」
「まだ……やるの……?」
「あぁ、俺もお前も……あと一撃で決着が付く……だから、これが最後だ……俺ももう長くはもたない……だから――」
「どうしてそんなに決着をつけたがるの……? もう勝ち負けなんてどうでもいいよ……ボクたちもう仲直りできたのに……」
「それでも、だよ……今の俺が、お前の信じるトウカでありたいんだ……今の俺が誰かもわからないまま終わらせるなんて……またお前を怖がらせてしまうかもしれない……」
「それに……」
「――それに……?」
「俺が勝ったら……絶剣よりも強い男として、胸を張ってお前を守れるだろ……?」
「……あはは」
ユウキは立ち上がると、羽を広げゆっくりと飛翔し、トウカから数メートル離れた位置で着地した。
もちろん歩かなかったのは最後の一撃に備えるためである。
歩く余力すら残されていなかったトウカは、自身が最も得意としている居合いに全てをかけるため、刀を納めて抜刀する姿勢に構える。
それに対してユウキは赤い夕日を受けて、黒曜石の剣は燃えるような輝きを放ち、それを体の正面へと定め、真っ直ぐに構える。
「ちゃんと、後で説明してよね……」
「ああ。俺に、勝ったらな……」
互いに小さな笑みを溢し、決闘の残された時間は僅か十数秒。
その間ユウキはしばらく動かず、ただ残された最後の力のありったけを剣尖の一点に集め――
残り時間が五秒を切ると同時に、あらんかぎりの力を踏みしめ、大地を蹴った。
迫るスピードはそこまで速くはない。十分対応できる。トウカはそう確信した。
だが、その瞬間――、ユウキの直剣が閃光に迸り、ライトエフェクトが発動する。
あの構えから繰り出される技は、十中八九、マザーズ・ロザリオだろう。
しかし――
全てが想定の範囲内だと分かっていても、トウカは避けようとはしなかった。
真正面から、正々堂々と立ち向かう。
ユウキの信じるトウカであるならば、ここで逃げたり、誰かに委ねるわけにはいかない。
そんなトウカの強い意志が、今までにない程の集中力を与えた。
「やあああああ――ッ」
「――――ッ」
互いの気迫と剣先が交差し、ついに――――
*
「…………はは」
「やっぱりトウカは、そっちのほうがいいよ」
日もすっかりと暮れ、二人の頭上には月明かりが降り注いでいた。
絶剣の膝枕に気恥ずかしさを感じたのか、トウカは無理やり笑顔で誤魔化すも、そんな彼の表情にユウキは安堵の言葉を洩らした。
「そんな酷い顔してたのか」
「うん。そりゃもーね。こぉーんな感じ」
ユウキが五割り増しにトウカの気色の悪いにやけ顔を演じると、トウカはつい「うわ、気持ちわる」と口走る。すると、ユウキは顔を膨らませ、「トウカがしてたんだからね。ボクじゃないよ」と念押しを込めた。
「……で、あれはなんだったの?」
「正直、俺にもわからない……ただ、昔から知ってるような気がする。元々俺の中にいたような気もするし……」
「なんか……怖いね」
「昔じーさんが俺の中には鬼がいるって言ってたけど、これがそうなのかな」
「鬼……? なぁにそれ」
膝の上に乗せたトウカの顔を、ユウキはじっと見つめる。
「俺、子供の頃から剣術やらされててさ」
「うん、戦った瞬間そんな気はしてた」
「でも、教えられたのは人を殺す方法ばっかりでさ。嫌で嫌で仕方なかったんだ」
「そっか……だから……」
これで辻褄が合う。何故トウカが敢えて急所を狙わなかったのか。
狙わなかったのではなく、狙いたくなかったのだ。
ゲームとはいえ、それを狙うことは人を殺すこと同じ意味をもつ。だからこそトウカは避けていたのだと。
ならば、あの時のトウカは――
「そしたらさ、じーさんが言ったんだ。お前の中には――」
「ね、トウカ」
「ん?」
ユウキはそっとトウカの手をとり、優しく握りながら――
「それさ、倉橋先生に相談してみようよ」
「く、倉橋先生に……?」
「もしかしたら、何かわかるかもしれない。多分だけど……」
「そうか。そうだな、そうしてみよう」
ユウキには少しだけ心当たりがあった。
全く同じ、ではないが似たような経験を持つ人物を過去に見たことがある。
仮に原因がわかったとしても、治す手立てがあるわけではないが、少しずつ彼の力になりたいと願うユウキにとって、これは最初の一歩になり得るに違いないと、そう確信したのだった。
「それじゃ、本題に入るか」
「ほんだい……?」
トウカは体を起こすと、ユウキの隣に座りなおし星空を見上げながら、言った。
「俺に、会いたいか?」
「うん」
ユウキは即答する。迷う必要も、躊躇う必要すらない。
「……そうか。俺も、ユウキに会いたい」
「会えないの……?」
「いや、そうじゃなくて、な」
鼻をぽりぽりと、何かを言いたげそうな顔をするがユウキがいくらまっても切り出そうとしてくれない。
痺れを切らしたユウキは身を乗り出し、トウカに迫る。
「約束だよ? 嘘はつかないって」
「嘘をつくつもりはないんだ。ただ――」
「……ただ?」
「絶対に取り乱さないって約束してくれないか?」
トウカの言葉に、ユウキは一気に不安な面持ちへと変わる。
「取り乱す……どうして?」
「会えばわかるさ」
「……うん、頑張ってはみるけど、そうなったらごめんね」
「ま、できる限りでいいさ」
トウカはユウキの頭をポンポンと撫でる。久しぶりの感覚に浸りたい気持ちがあったものの、どうもトウカの取り乱してはいけないという言葉にひっかかりを感じる。
暫く雑談を続けた後、ユウキはトウカに指示された通りにその場でログアウトをすると、目の前には倉橋先生が待機していた。
「お帰りなさい、紺野さん」
「先生、トウカは……」
「お話は伺ってますね?」
「う、うん……」
「では、いきましょう」
「歩いて……行ってもいい?」
「わかりました。疲れたらいつでも言ってください。ゆっくり行きましょう」
――なんだかんだあったけど、喧嘩も無事に終わり、仲直りもした。
クレープを食べる約束も交わしたし、いっぱい遊ぶ約束もした。
これからたくさん冒険に出て、できたらキリトとアスナみたいに家を買って一緒に住みたいって話もした。
もっともっと手料理を食べてもらう話もしたし、いつかスリーピング・ナイツのメンバーも誘って、みんなでパーティをしようって話しもした。
だけど――
現実の世界での約束は、まだ何一つしていない。
だからこれから刀霞に会って、いっぱい決めるんだ。
そのために自分の足で歩いて、「ボク、元気になったよ」って言うんだ。
いっぱいいっぱい、頭を撫でてもらって、「頑張ったな」って褒めてもらうんだ。
だから――まってて、刀霞。
*
「はぁ……はぁ……」
「紺野さん、少し休みましょう」
「大丈夫、ボクまだまだ平気!」
「わかりました。さ、もう少しですよ」
「うん!」
長年この病院に入院してきたユウキにとって、今歩いている場所が一般病棟とは離れた病室だということは既に気づいていた。
もしかしたら刀霞は凄く重たい病気にかかっているのではと、心の隅で予感はしていたものの、いつしか屋上で言っていた、「そんなに重たいものじゃない」と言ってた言葉を信じ続け、気持ちを鼓舞させながらひたすら歩いた。
そんなユウキの姿に、倉橋医師も気づいてただろう。
しかし敢えて言わなかったのは、刀霞のためでもある。
刀霞はユウキに会う直前、倉橋医師にこう言ったのだ。
「本人が会いたいと決めたのであれば、何も言わず、連れて来て下さい」、と。
それが本人の意思ならば、本人に委ねるべきだと、そう言ったのだった。
やがて、長く続く廊下の先に、一室だけ明かりが漏れている部屋があることに、ユウキは気がついた。
「先生……あれが……」
「ええそうです。あそこに刀霞さんがいます」
「…………」
「どうします?」
「……いく。いかなきゃ」
ユウキはゆっくりと歩を進めた。
扉の前にはユウキの部屋と同じ厳重なセキュリティを思わせる大きなタッチパネルと、カードを挿入する小さな機材が設置されていた。
見た限りではメディキュボイドが設置された病室とまったく同じである。
まさかとは思いつつも、ユウキは「先生、お願いします」と申し入れる。倉橋医師は小さく頷くと首にさげたカードを挿入し、暗証番号を入力。
ピピッと軽快な音が鳴り、扉が開かれる。
――やっと、やっと会える。
この先にはきっと、刀霞が手を振って――
「うそ…………」
鏡越しに映る刀霞の姿。
頬は痩せこけ、腕はかつての自身と同じくらいに細くなり、体を起こすこともままならないような、いたたまれない姿がそこにはあった。
どうして、刀霞も同時にログアウトしたにも関わらず、どうして彼は目を覚まさないのだろう。
どうして、屋上では重たくないって言ってたのにあんな姿になっているのだろう。
どうして、鏡越しでしか、刀霞を見れないのだろう。
「やだ……こんなの……こんなのって……」
涙が溢れ、零れ落ちようとしたその瞬間――
『あーあ、だから取り乱すなって言ったろ?』
スピーカー越しから聞こえたのは、刀霞の声だった。
「刀霞! なんで!? 大丈夫だって――ッ」
『ああ、大丈夫だよ?』
「嘘だよ……ッ こんなの……これじゃ……まるで……」
『ああ、お前と一緒だな』
「そんな…………」
ユウキは窓に項垂れたまま、言葉を失ってしまう。
そんな悲痛な姿を刀霞はカメラ越しで見ていたいたにも関わらず――
『おお、そうだ。ユウキに渡したいものがあるんだ』
「…………ボクに?」
「倉橋先生、渡してあげてください」
軽い口調で刀霞がそう言うと、倉橋医師は大きな留め紐付きの茶封筒を一通、ユウキに手渡した。
ユウキは素直に受け取り、無気力に揺さぶってはみるものの中に入っているのはどう考えてみても一枚の紙切れが入っているようにしか聞こえない。
『あけてみ』
刀霞に言われるがまま、留め紐をくるくると取り外し、中身の紙切れを取り出す。
『誕生日、おめでとう。ユウキ』
すると、そこに書かれていたのは――――
以前ユウキが住んでいた住所が書かれている、土地の権利証だった。
今回も閲覧していただいてありがとうございます。
なんとか間に合わせることができました。
実はこの日のためにストーリーを調節してたり。
サプライズと言うことで、楽しんでいただけたらと思います。
お気に入り登録300名突破しました。本当にありがとうございます。
今後とも宜しくお願い致します。
ユウキ、誕生日おめでとう。