wake up knights   作:すーぱーおもちらんど

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第三十六話になります。大変お待たせしました。おもち。


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 子供の頃、辛い稽古を終えた後に、よくお袋の寝床に身を潜らせた事がある。

 シーツや枕、布団からお袋の匂いがして、それがまるで、お袋が俺のことを優しく抱きかかえてくれているようだった。

 甘えるように涙を流して、泣き疲れたらそのまま眠りに落ちる。それが、母から受けた愛情だと自身を偽らせて。

 何れ見つかるとわかっていても、例え酷い体罰を受けることになっても、それでも俺はやめることができなかった。

 

 もっと愛してほしい。もっと慰めてほしい。

 

 決して与えられることのない愛情を心の隅で求めながら、ずっとそうやって日々耐えてきた。

 無論、そんな甘ったるい感情など、親父もお袋も持ち合わせていない。

 それでも俺にとっては、数少ない幸せの欠片なんだ。 

 

 『いつか僕が誰かを好きになった時、この温もりをたくさん分けてあげたい』

 

 子供の頃、確かそんな事を考えていた。

 

 自分の掌の内にしか納まらないような、ほんの僅かな幸せ。それを誰かと分かち合うことができたら、きっとその時は誰かを傷つける必要のない、自分が望める道を歩むことができるだろうと。

 そんな夢を思い描いていた時期を今になって思い出す。

 

 ――もし、あの頃の俺に一言告げられるとしたら、きっとこう言うだろう。

 

 お前は間違っていないよ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『俺もいつか、この人のようになりたい』

 

 テレビの向こう側にいる、かっこいいスポーツ選手。それを自身の将来と投影させる子供のように、目を輝かせながら俺はその物語に没頭していた。

 きっかけは、なんてことはない。掌に収まるような、小さな文庫本。でも、その小さな本の中に登場する主人公が、俺の人生に大きな意味を持つ。

 

 絶対無敵の剣、空前絶後の剣。絶剣――。

 

 音を置き去りにする神速の剣技と、卓越した反射神経。風と舞うように相手を翻弄し、多彩な連撃を叩き込む。どんな屈強な相手による一撃も真正面から受け止めて、真っ向から立ち向かう彼女の姿に誰もが目を奪われ、圧倒され、そして憧れた。

 

 ――俺も、そのうちの一人だと思っていた。

 

 誰にだって自分の人生に意味があると信じるものだ。目的を見つけて、意味を探して、幸せを求めて、そうやって毎日を生きていく。それは至極当然なことで、十五歳であれば自分の将来に期待を膨らませているような初々しい夢を持っていてもおかしくはない。

 

 でも、あいつはこう言ったんだ。

 

 『意味なんてなくても生きていいんだ』って。

 

 定められた運命に抗い続け、例えその果てに確実な死が迫ってこようとも、ただひたすらに生を謳歌する。

 自分がユウキと同じ立場になって、その重さをようやく理解できた。

 俺は――あいつのように強く生きることはできない。憧れとか、目標とかそんな綺麗な言葉で括ってはいけなかった。

 

 ……ただの嫉妬だよ。それも酷く醜くて、汚らしいほどの嫉心だ。

 

 いつかなりたい? なれなかったから嫉妬していたのだろう?

 まったくもって馬鹿馬鹿しい。そんな単純な感情に気づけなかった自分が本当に情けない。

 

 ――でも、結果的にそれに気づけて良かった。

 

 今はただ、ユウキの笑顔を守りたい。俺の命が続く限り一日でも、一秒でも長く。

 この想いに辿りつけたのもまた、ユウキや仲間たちのおかげだ。もちろん、そのきっかけを作ってくれた靄華さんにも感謝している。

 だから、大切にしなきゃいけないんだ。掌の上にある小さな何かを。これ以上見失わないように、零れ落とさないように……。

 

 ――と、思っていたのだが……

 

「もっと、そっちにいってもいい……?」

「お、おう……」

 

 俺は今、その《アルヴヘイム・オンライン》史上最強の剣士と寝床を共にしている。

 こんなことになるなんて思ってもみなかった。いくら笑顔を守りたいからといって、犯罪コードぎりぎりの展開になるまで気を許したのが大きな失敗だった。

 今にも鼻が触れそうで、彼女の息遣いが聞こえる距離。五歳も年下だというのに、こんなにも緊張してしまうとはなんとも情けない。

 さっき自分で言ってたじゃないか。大切にしなきゃいけないって。一つ間違えれば零れ落ちるどころかバラバラに砕けて刑務所行きだぞ。いやバラバラに砕けるのは俺の体か? 少しでも手なんか出してみろ。アスナやノリたちが黙っちゃいない。残り僅かな寿命が今日か明日かになるなんて、俺に感染しているウイルスですら吃驚するに違いない。

 

 ここは大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を大人のとしての節度を――――

 

「ね……とーか……」

 

 ユウキの囁く声が、小さな吐息と混じりあう。

 念仏のように唱えていた俺の自我を、あっという間現実へと引き戻したその声に、俺は思わず「お、おお」と言葉にならない淡白な返事をすると、ユウキはくすくすと微笑を綻ばせた。

 

「とーか緊張してるー」 

「仕方ないだろ……」

 

 今の俺は、明らかにユウキを女性として意識してしまっている。

 いつもの戦闘用の装備は身に着けておらず、髪色に合わせたような薄い藍紫色の肌着を召して、透明感あるみずみずしい素肌を露出させている。

 過去のように子供だから、とか割り切れるような状況ではない。今までの紆余曲折と相まってより親密な関係になっていることは紛れもない事実だ。しかし俺の中でユウキとの境界線はしっかりと引いている。現状そのラインを完全に超えてしまっているのもまた事実だが……。

 

「……えーいっ」

「あ、おいっ」

 

 そんな物思いに耽っている矢先の出来事だった。

 ユウキが突然、跳ねた声と共に俺の胸元へと飛び込む。そして何かを堪能するようにぐりぐりと顔を埋めてきたのだ。

 

「おまっ……そんな格好で……ッ」 

「えへへー……とーかいいにおいー……」

「離れろって……!」

「えぇー、やだよぅ……」

 

 女の子特有の甘い香りが俺の理性を嘲笑う。

 こんなことをされて、我慢できる男なんているわけがない。しかし、俺は耐えてみせる。煩悩と本能のせめぎ合い。ここで屈しては今までの覚悟が水の泡になる。

 俺はとにかく距離を空けようと、両手でユウキの二の腕を掴んだ。

 その瞬間――。

 

「あっ……」

 

 むにゅ。

 という泡に触れたような、指が沈んでゆくやわらかな感触と、甘えたような艶かしい声。

 ユウキの予想外の反応に、俺は一驚して胸を貫かれてしまい、

 

「す、すまん!」

 

 しどろもどろしながらも、動揺を曝け出したまま咄嗟に手を離す。

 今まで触れた物の中で、一番柔らかい感触だった。まるでマシュマロのようで、あんなにも手に吸い付くような触感を味わったのは生まれて初めてかもしれない。そして、耳の奥に絡みつくようなユウキの甘い声が脳内に焼きついて、どうしても頭から離れられない。

 視覚、触覚、聴覚、嗅覚。五感のほぼ全てが脳内に渦巻いて、俺の思考回路はフリーズ寸前だ。

 そんな締めつけられた感情に全身を強張らせながら、俯くユウキに必死に取り繕う。

 

「これは、その……離そうとしてだな……!」

「えへへ……ちょっとびっくりしちゃった」

「他意はないんだ! 別に襲おうとかそういうつもりは……!」

「わぁ……とーか、まっかっか……」

「――――ッ」

 

 顔を覆った、手の平から伝わる温度がそれを示していた。

 心臓の音が秒刻みに高鳴り、今にも胸が張り裂けてしまいそうだった。そんな痛覚に近いものに必死で耐えている所に、再びユウキがそっと顔を押し付ける。

 今度は下手に触れることができない。やり場のない手がユウキの周囲を漂うだけで、状況は悪化を辿るばかりで、

 

「ボクをちゃんと女の子として見てくれてるんだね……嬉しいなぁ……」

「あ、当たり前だろ……!」

「――とーか、どきどきしてる……」

「ぐ……っ」

 

 子供とはいえ、これは反則だろう。

 こんな状況下で、子供だから平気だなんて割り切れる男がいるものか。ケースバイケースという言葉を知らないのか。

 特に五感の中でも一際危険な香りを漂わせていたのが、文字通り嗅覚だ。脳が少しずつ溶かされていくようで、あとわずかで俺の中の本能が曝け出されてしまいそうに――

 と、ふいにユウキがぼそりと呟く。

 

「そういえばさ……」

「お、おう」

「どーしてあの権利証、トウカがもってたの……?」

「――あぁ、あれか」

 

 ユウキは、まるで俺が何か良からぬ行為に及んでしまったのではないかと不安を抱えている様子で、心配そうに見つめている。

 

「……心配するな。ちゃんと交渉して、正式な手続きを踏んで手に入れたものだよ」

「でも……確かパパのお姉さんが勝手に移譲しちゃって……」

「ああ、だからキリトに少し手伝ってもらった」

「キリトに……?」

 

 流れとしてはこうだ。

 ユウキは、元々家族と一軒家に住んでいた。といっても、滞在期間は病気が発覚してから入院するまで約一年程。最終的にはユウキを除くご家族が全員他界されて、現在の所有者は遺産も含めてユウキのものとなっている、はずだった。

 実は、ユウキが一人残されたことをきっかけに、あろうことか紺野家の財産に目をつけてきた人物がいる。

 その人物とは、ユウキの父親の姉――つまり伯母だ。

 話が進むに連れて、今まで避けていた親戚たちも仲間に加わり、どうすれば懐により金が入るのか内輪揉めを起しながらも必死に模索していたらしい。

 取り壊してコンビニにすべきか、更地にして売るべきか、はたまた貸し家として敢えて残すべきか。まぁ、何れにしても金のことしか頭にない連中だ。何を考えているのかわかりやすくて扱い易い。

 ただ、権利証の移譲も本人の意思ではないにも関わらず勝手に譲渡されてしまったところから察するに、最早ユウキの意志が介入できる余地はないと考えていた。

 

 ――だから、俺が第三者として介入した。

 

 ユウキの病気が完治すれば、義姉が手に入るはずだった紺野家の遺産もユウキが引き続き相続できる。となれば土地の権利証だけ持っていっても無意味になってしまう。

 何故なら、家を取り壊し、更地をするのにもそれなりの費用がかかるからだ。

 その費用の当てはユウキが亡くなった後の遺産で賄うつもりだったのだろう。幸いにもキリトの人脈は厚く、故にその辺の知識に長けている人物に仲介してもらい、交渉してもらったおかげて、すんなり手に入ることができた。

 まぁ、向こうからしてみれば金にもならない土地を解体費用の平均相場以上の金で売り渡すことができたのだから万々歳ってところか。

 

「でも……あの人、きっとまた……」

「仮にまた奪おうとしても、名義が俺になってるからユウキに火の粉が降りかかることはないよ。遺産も奪われることはないだろうし」

「なんでそう言い切れるの……?」

「今までユウキの家には義姉や親戚も含めて、誰も寄り付かなかったんだろ?」

「う、うん……」

「ってことは、通帳や印鑑、それに類するものは全部あの家の中だろ?」

「うん……」

「なら問題ない。なんせあの家、今は俺のもんだ。勝手入ったら不法侵入で犯罪だ」

「あ……」

「な? 中々の策士だろ」

 

 ちょっとしたドヤ顔を晒しているものの、結局は仲介してもらったキリトたちのおかげだ。俺はこの作戦と金しか提示しておらず、交渉関連はキリトと、その友人たちが手を貸してくれたが大きな勝因だ。因みにキリトは一部の交渉に関して俺になにか隠しているようだが、それも含めて色々と根回しをしてくれたのも知っている。教えてくれたアスナにも感謝しなければ。

 いつか別の形で礼をしないとな。キリト風に言うと、『いつか精神的に』ってやつで。

 

「――そんなに……」

「ん?」 

「そんなに、たくさんお金かけてまで……どうして……どうしてボクなんかのために……」

「…………」

 

 声が、震えている。

 泣いているわけではなかった。でも、悲観はしていた。

 きっと、自分の中にある、人として良くないものを踏まえた上で言ったのだろう。察するに『そこまでお金をかける価値なんて、ボクにはない』と言ったところか。

 ――少なくとも俺はユウキの至らない部分など、気にも止めていない。確かに常識の範疇を超える行動はしばしば目につくし、無節操な部分もあるだろうが、それでも。

 それでも、それはある意味ユウキの良さだと俺は知っている。

 

「大切な思い出なんだろ?」

「そう、だけど……でも、トウカには――」

「ああ、関係ないな」

「…………」

「関係ないから、勝手にやった」

「そんなの駄目だよ……」

「関係ないな」

「またそーやって……」

「でも、俺にとっては意味があるんだよ」

「え……?」

 

 心中と反した答えに、ユウキは目を見開いた。

 

「ユウキがあの家に住んでいた思い出を大切にしているように、俺にも大切にしたい思い出がある」

「……それって?」

「お前の笑っているところ」

「ボク、の……」

「残された時間、お前の笑顔が見れる瞬間を、できるだけたくさん見ておきたいんだ」

「――――」

「いつか来るその時に、俺も笑顔で行きたいからさ」

「そんなこと……そんなこと言わないでよ……」

「お前もボクなんかのためにーなんて言っただろ。これでおあいこだ」

「…………」

「あ、こら泣くなって。笑顔が見たいって言ったばかりだろーが」

「トウカのばか……ばかばかばか……っ」

「ああ馬鹿だよ。お前も馬鹿で、二人で大馬鹿だ」

「トウカの方がボクより、もっともっと馬鹿なんだからね……ッ」

「はいはい」

 

 ユウキは涙を隠すように、俺の胸の中で嗚咽を漏らす。

 泣かしたことには変わりない。だけど、その声にならないすすり泣きは、どこか幸せそうにも感じた。無論、それは俺も同じだ。

 前のような、泣きじゃくる子供をあやすような、母親のような感覚――ではない。

 ユウキという一人の女性を、包み込むように優しく抱きしめることで、俺はユウキから形容し難い何かを受け取っている。それが何かと言われれば、多分『幸せ』なのだろう。それ以外の言葉が思い浮かばない。

 

「とーか……」

「ん……?」

 

 ほんの少しだけ間があいて、たった一言。

 

 

 

「好き……」

 

 

 

 本当に、唐突だった。

 

「好き……大好き……」

 

 ぐしぐしと、目を擦りながら俺を見つめるユウキ。

 その言葉が自身の耳に入った瞬間、今まで込み上げていた緊張のようなものがすーっと溶けていくのを感じた。

 

 好き。

 

 その言葉の意味。俺に対してそう言った意味。友達としてとか、人としてとか、そんな回りくどい解釈なんてもうできない。

 ……わかってる。わかってるさ。

 何故なら、ユウキがその言葉を告げる前に、俺もそう考えていたから。

 ――言うなら、今なんだろうな、と。

 

「とーか……」

 

 絶剣が、そっと目を閉じて、唇を差し出す。

 

「ゆう、き……」

「…………」

 

 少女の名を口にしても、彼女はそれ以上答えてくれなかった。

 返事はいらない。ボクが今求めているものに、応えてくれるのなら。

 そんな想いを、閉じられた瞳に漂わせて。

 そんな願いを、紅く染まる頬に浮かせて。

 ただ、俺を待っていた。

 

 俺は、彼女の頬に手を添える。

 瞬間、ユウキはピクンと肩を震わせた。その拍子に零れる一筋の涙が、じんわりと枕を滲ませて、やがて消え逝くように溶け込んでいった。

 

 ――俺もいつか、この涙のように消えて逝く……。

 

 ――――――――。

 

 応えよう。

 

 彼女の想いを有耶無耶にしてはいけない。

 自分の気持ちをこれ以上誤魔化してはならない。

 

 自分の唇をそっと、ユウキの元へと寄せていく。

 

 静かに瞳を閉じて、頬に触れた手で優しく、慎重にユウキを手繰り寄せて、

 

 ――そして、

 

 そして俺は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん……」

 

 彼女の想いに応えることなく、抱きしめた。

 

 贖罪を請いながら、強く。

 

 ただ、強く……。

 

 




今回も閲覧していただき、ありがとうございます。

おかげさまで、wake up knightsも一年を迎えようとしています。
皆様のおかげで、どうにかここまで書き続けることができました。本当にありがとうございます。

ここだけの話、実は連載開始日から最終話までちょうど一年で終わらせる予定だったのです。連載開始日が11月22日(いい夫婦)ということで、その日にトウカとユウキを結婚させられたらいいなーと思ったのが執筆のきっかけでもあります。
ですが、ストーリーの進行上、最早間に合いそうにもありません……。

ですので、その代わりにと言ってはなんですが『wake up knights』一周年記念に向けて、ユウキとトウカのスピンオフを書きたいと考えています。

そこで、皆様にお願いがあります。

皆様の要望に合わせたストーリーを私に書かせて下さい。
お題はなんでも構いません。感想コメントに一言添えていただければ、第三十七話の後書きにて後日発表したいと思います。どれを採用するかはランダムです。多分ニコ生でやります。

締め切りは日程の都合上、今月末までとさせていただきます。

大変恐縮ですが、ご協力をお願い致します。

因みに何もテーマがなかった場合、えっちぃの書きます。それはもうげろしゃぶな。

……多分。

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