wake up knights   作:すーぱーおもちらんど

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アナザーストーリーとして書こうと思います。

これは水霧靄華という女性を軸にした物語です。

刀霞と木綿季に触れ、靄華は自分の立場に懸念を抱いてしまいます。

そして、靄華自身にも忘れられない悲しい過去があることを、刀霞は後に知ることになります。

楽しんでいただけたら嬉しいです。


Another story
貴方に幸あれ 1


「水霧さん! 採尿バッグ交換しといて!」

「は、はいー!」

「水霧さん、口腔ケア代わってちょうだい」

「わ、わかりましたぁ!」

「水霧さん!! また点滴交換忘れてるじゃない!」

「す、すいませぇん!」

 

 横浜港北総合病院に勤めてから二ヶ月が経った。

 自分で言うのもおかしな話だけど、どこか抜けているところがある私は、他の新人社員と比べて人一倍叱られたり、厳しい言葉をかけられることが多い。

 先輩の厳しい指導や指示の元、多忙の毎日に追われているが、人の死に直結するような仕事のため、泣き言を言っている場合ではない。

 

 では、ないのだけれど――

 

「も、もうだめ……」

「だ……大丈夫?」

 

 精神的に参ってしまったからか、入社当時の意気込んでいた気合がどこかへと去り、私はつい泣き言のような言葉を漏らしてしまった。

 机にへばりつくように意気消沈している私を見た友人が、気を遣うように労いの言葉をかけてくれたことに私は「なんとかねー……」と濃いため息を吐き返した。

 

「少し休んだら……? 休日も研修ばっかりでまともに休んでないでしょ」

「だめだよー……ここで休んだらきっとだらけちゃうもん……私って間抜けだから他の人よりもっと頑張らないと……」

「あんたねぇ……体壊したら頑張ることもできないっての。体調管理も仕事の内よ?」

「わかってるよー……」

 

 友人のもっともな意見に、私は気の抜けた力の無い言葉でしか反論できない。わかっていても患者の生死を考えると不安で仕方がない。今はまだ新人という言葉に甘えて学習する期間を設けられているが、患者の容態はそんな時間など待ってはくれない。

 いつ重大な危機に直面しても冷静に対応できる知識と自信がほしい。先輩の行動一つ一つを見逃してはいけないと思うと休んではいられなかった。

 この緊張感がいつまで維持できるだろうか、友人の言葉に危機感を感じ、なんとなくやるせないような気持ちに駆られていると――

 

 ピンポーンと、院内放送を知らせる音が室内に響き渡った。

 

『呼び出し致します、三階担当の水霧靄華さん。至急、七階師長室へ来て下さい』

 

――あれぇ……なんか呼ばれたような……

 

「ちょ、靄華。あんた呼び出し食らってるよ!」

「えー……? わたしがー……?」

「早く行ってきなって! 怒られても知らないよ!?」

「またまたぁ……なんかの間違いでしょー……」

 

 二ヶ月そこそこしか勤めていない私に師長が一体なんの用か。何かしらの指導ならば看護主任を通して、カンファレンスの際に指示されるはず。

 主任を飛んでいきなり師長から呼び出されるはずがないと軽視していた私は、唯一体を休めることができるお昼休憩を満喫しようと、友人の警告すら意に介さず、ゆっくり瞳を閉じた。

 

――はぁ……いよいよ幻聴でも聞こえちゃったかなぁ……少しでも休んでおかなきゃ……

 

 しかし、そんな浅はかな願いは瞳を閉じた数秒後、勢いよく開いた扉の音と、先輩の怒号であっという間に水泡と帰してしまうこととなった。

 

「水霧さん!! 何やってんの! 早く行きなさい!!」

「うひゃあい!?」

「放送聴いてなかったの!? 急ぎなさい!!」

「は、はいー!!」

 

 

 

 

――な、何言われるんだろ……うぅ……怖いよぉ……

 

 あまりにもミスが多いから減給通告されてしまうのではないか。いや、最悪クビにされてもおかしくはない。ネガティブな妄想が膨れに膨れて、つい身震いしてしまいながらも、恐る恐る師長室の扉を叩くと、中から「どうぞ」と固い声が聞こえた。

 落ち着け私、こんな時こそ冷静にならなければ。ドアノブに触れる手が震えているのを視認した私は二度、三度と深く深呼吸を繰り返し――

 

「し、失礼いたしまひゅ!!」

 

 ハキハキとした挨拶を試みようと口を大きく開けて声高々に言うのだが、緊張のあまり声が裏返ってしまった。扉越しから師長のクスクスと笑う声が聞こえた気がする。もうやだ、私帰りたい。

 この情けないミスで、師長から見た私の印象は最悪になってしまっただろう。

 そんな恐々とした面持ちを拭い去ることができず、覗くようにそっと扉を開けると「お疲れ様。大丈夫よ、そこへ掛けてちょうだい」と予想とはまったく違う、労いにも似た言葉をかけられてしまった。

 混乱した私は言われるがまま、差し出した手の方にある椅子に座ると、師長は互いにお茶の入った湯のみを置き、向かい合わせの椅子に腰をかけた。

 

「まぁ、とりあえずこれでも飲んで落ち着きなさい」

「は、はい。いただきます……」

 

 薦められた茶を一口飲むと、渋みのある温かい感覚が体の芯まで癒され、縮こまっていた緊張感がゆっくりとがほぐれていくのがよくわかる。徐々に落ち着き始めた私の様子を確認した師長はゆっくりとした口調で語り始めた。

 

「靄華さん、最近どうかしら? 仕事には慣れてきた?」

「い、いえ……ミスが多くて先輩に迷惑ばかり掛けて……私なんかまだまだです……」

「そう? 患者さんからは、好評みたいよ?」

「え……?」

「えぇ。まぁ、その話は後でするとして、靄華さんに相談したいことがあるの」

「私に……ですか……?」

 

 師長はそういうと、数枚の紙を私に差し出した。

 一番上の表紙には『メディキュボイド新人育成計画』と書かれている。

 

「めでぃ……きゅぼいど……?」

「そう、VR技術を医療に転用した医療用フルダイブ機器のことね。聞いたことはあるかしら?」

「は、はい。名前だけですが……」

「その計画の第一人者として、是非貴方にお願いしたいの」

「え、えぇ!?」

 

 私は仰天した。つい両手に力が入ってしまい、クシャっと計画書を歪めてしまうほど混乱してしまった。

 その様子を見た師長は「まぁまぁ、とりあえずこの計画の目的を話しましょうか」と宥めるように説明を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、まぁこんな感じかしら。何か聞きたいことはあるかしら」

 

 一通りの説明を終え、互いのお茶も底をついた。

 師長の説明はとてもわかりやすく、理解もできた。メディキュボイドの重要性はまさに今後の医療にとっては必要不可欠だろう。これが確立すれば医学の進歩は飛躍的なものになるのも頷ける。

 だからこそ、私は一番疑問に感じていたことを、師長に尋ねた。

 

「あの……何故私なのでしょう……私よりも優秀な人材はいると思いますが……」

「――……そう、そうね。確かに知識や技術だけで言えば貴方よりも優れている人はたくさんいるわ。だけど、貴方ほど患者に信頼されている人はなかなかいないのよ?」

「わたしが、ですか……?」

 

 それは私にとって衝撃的な言葉だった。

 今の私が唯一癒される時間は患者との会話でもあった。人と話し、会話することでその人の状態や悩みを把握することは看護士にとって重要な勤めの一つでもある。私の場合はその考えが二の次になってしまい、医療や看護の一環というよりもただ端に楽しくて無駄話が続いてしまうことが多かった。

 それは看護士にとってはあまり良くないことではない。先輩にも再三注意されていることでもあったけど、患者の笑顔が見れるだけでもっと頑張ろうという動力源にもなっている。患者を癒すのが看護士の仕事だけれど、それと同時に患者に癒されていることで、今の私が成り立っている。

 それが功をなしたのか、候補の一人として挙がったらしい。

 

「詳しくはまだ言えないのだけれど、現在メディキュボイドの被験者は二人いるわ。一人は十四歳の女の子、そしてもう一人は二十歳の男性。女の子の方は原因不明の寛解により経過観察とリハビリ中です。そして……」

 

 師長は一瞬言葉を切ると、真っ直ぐ私の瞳を見据えた。

 

「――男性の方は、余命宣告を受けています。あまり口には出さないけど、両名共に悩みを抱えています。そこで、貴方のメンタルケアが必要なの」

「私が……」

「もちろん、強制じゃないわ。一日ゆっくり考えてみなさい」

「はい……ありがとうございます……」

 

 

 

 

――私が必要、かぁ……

 

 『貴方が必要』こんな言葉を言われたのはいつ以来だろう。

 何度も諦めようと思って、挫折を繰り返した。その度に『あの子』のことを思い出して、もう少しだけ頑張ってみようと思い留まっていた。

 結局救うこともできず、ただ傍に居ることしかできなかった私が、ただ見ているだけで何もできなかった私が、今は必要とされている。

 救うことができるなら、支えになることができるなら、誰かの力になれるのなら、私は挑戦してみたい。

 

「貴方もそう思って……くれるよね……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい? 水霧さんの主な仕事はメンタルケアです。重要なことはコミュニケーションをとること。技術的な要素は患者との触れ合いに慣れてからにしましょう」

「は、はひ……」

 

 病室の入り口の時点で、私は驚かされた。

 通常の病室とは違い、デジタル化されたセキュリティによる堅牢な扉。一般病棟とは離れた場所に隔離されている一室。

 まるで秘密裏に行われているようにも感じる。今までとは違う雰囲気に、つい息が詰まってしまった。

 

「そう緊張しないで、紺野さんは明るくていい子だから。じゃ、入るわよ」

 

 数回ノックし、先輩が「紺野さん? 入りますよー?」と尋ねると、扉越しから明るい声で「どうぞー!」という返事が返ってきた。

 ドアがスライドして開くと、真っ先に目に入ってきたのは、笑顔が良く似合う一人の少女だった。

 頬が痩せこけ、眼球近辺が窪み、腕から足に至るまで。まるで細枝のように見えてしまうほど骨格が浮き出ていたその少女は、弱弱しく見える体のどこに元気があるのか不思議に思えて仕方ないほどの明るい笑顔を私に見せてくれた。

 周囲には多数のモニター。そして彼女の頭上には《MRI》に見えるような、大きな機材が伺える。

 

「あれー、知らない人だね。初めましておねーさん、ボク、紺野木綿季っていいます!」

「あ、わ、私は、み、みみ、水霧靄華と申します!よ、よよよ、宜しくお願いします!」

「あはは! おねーさん面白いねー」

 

 どうしよう、からかわれてる。涙でてきそう。

 

「紺野さん、紹介するわ。今日から貴方の担当になる水霧さんよ。何か困りごとがあったら水霧さんに相談してみて? きっと力になると思うわ」

「ほんと!? それじゃあボク、屋上に行きたいなー!」

「こ、ん、の、さ、ん?」

「あ……あはは……冗談です……」

 

 先輩の一括に押された紺野さんは、笑顔で誤魔化すようにお詫びをすると、それ以降すっかりしおらしくなってしまった。

 きっと、怒られたからではない。本当に行きたいのだと私は察した。寛解とはいえ、無理に体を動かすのは体調を悪化させる原因にもなる。問題になる行動は極力避けるべきという看護理念に基づくのであれば、怒るのも当然。

 だけど、彼女はまだ十四歳。色々したいこと、抑えきれないことがたくさんあるはず。好奇心を圧してしまったら、きっとストレスを抱えてしまう。

 

「それじゃ、私は倉橋先生を呼んでくるから、それまで紺野さんをお願いね」

「は、はい。わかりました」

 

 私は、先輩を見送り、周囲に誰もいないのを確認すると、少し暗い表情をした紺野さんに近づき、小声で語りかけた。

 

「ごめんなさい、意地悪で言ってるわけじゃないんです……」

「うん……わかってる」

「その……私からもお願いしてみます。付き添いであればいいと思いますし……」

「ほんと!? ありがとう、水霧さん!」

「期待に副えなかったらごめんなさい……」

「ううん! ボクすっごく嬉しいよ! 実はね、今までの看護士さんは厳しくてちょっと怖かったんだ……」

「そうだったんですか……きっと、悪気はないと思います。紺野さんの命を預かる立場ですから、そう想っての言葉なんです。どうか、嫌わないで下さいね」

「うん……そう、だよね。大丈夫、何かあればすぐ水霧さんに相談するよ」

「任せてください。私にできることがあれば、なんでも言って下さいね」

「うん!」

 

「おや、さっそく打ち解けられたようですね」

 

 背後から落ち着いた男性の声がする。

 振り返ってみると、眼鏡をかけた長身の白衣姿の男性が立っていた。

 

「どうも、倉橋と申します。紺野さんの主治医です」

「あ、ほ、本日より配属致しました、み、水霧と申します。宜しくお願い致します!」

「あはは、水霧さん緊張してるー!」

「も、もぅ! からかわないで下さい!」

「おやおや」

 

 

 

 

 その後、無事に挨拶を追え、倉橋先生と共にもう一人の被験者がいるという部屋へ向かった。

 その道中、紺野木綿季さんの生い立ち、入院するまでの経緯、そして現在の状況についての説明を受けた。倉橋先生の言葉一つ一つに重みを感じ、彼女の心中を考えただけで、胸を締め付けられるほどの苦しい感覚見舞われしまう。

 一言では表現しきれないほどの悲劇。とても私では背負いきれないであろう辛い人生を歩んでいた彼女が、どうしてあそこまで明るく振舞えるのかわからなかった。

 倉橋先生曰く、それは姉と友の存在だと言う。ゲームを通じて知り合った仲間と、お見舞いにも来ている結城明日奈という女性が、今の彼女の動力源と言ってもいいらしい。

 特に明日奈さんは姉の代わりとも言えるほど、紺野さんにとってはとても大切な人ということなので、今後関わることもあることを踏まえ、出会う機会があれば紹介してもらえることとなった。

 しかし、どうやらこれから会うもう一人の被験者の方も、明日奈さんと接点があるらしい。

 

「あの……そのもう一人の被験者の方って……どういう人でしょうか?」

「ええと、そうですね。少々訳有りでして……」

「訳有り……ですか」

「生い立ちや経緯は事情により話せませんが、難のある人ではありませんよ。話しみればわかります」

「だ、大丈夫でしょうか……私なんかで……」

「もちろん。彼もそうですが、紺野さんのお願いは極力聞いてあげてください。容態に差し支えない範囲内でしたら主治医である私に通していただければ許可しますので」

「で、でしたら、さっそくで大変申し上げ難いのですが……紺野さんから屋上に行きたいという相談を受けまして……」

「屋上、ですか。そうですね……水霧さんはどうしてあげたいですか?」

「個人的な意見になってしまいますが……体調に問題ないのであれば、短時間でもいいので行かせてあげたいです……もちろん私が責任を持って付き添います!」

「――ふむ、宜しい。許可しましょう。ただし、時間は十五分間とします。条件として、その日のバイタル次第とリハビリがお休みの時だけとします」

「い、いいんですか!? そんな簡単に許可してしまって……」

「メンタルケアは貴方の仕事ですよ? 貴方の意思と紺野さんの意思は同調していると信じています。貴方がすべきだと思うことを、してみてください」

「は、はい!」

 

 倉橋先生は、私が新人にも関わらず重要な仕事を一任してくれた。

 正直な所、自信があるわけではない。だけど、初めて能力を評価してくれたことが、私にとって凄く嬉しいことでもあった。

 期待に応えられるかはわからないけど、精一杯頑張ってみよう。

 信じてくた師長、倉橋先生、そして紺野さんのために。

 

 やがて紺野さんとは別の階にある一室へと辿りついた。紺野さんの隣部屋にもメディキュボイドはあったのに、何故わざわざ別の階のメディキュボイドを使用しているのか疑問に感じてしまったが、今はそれどころではない。

 男性で、同い年、そして訳有り。いったいどんな人なのだろう。難があるような人ではないと言っていたけど、正直なところ少し怖い。

 女性ならまだしも、同い年の男性が一番苦手であった私は、上手く接していけるか不安で仕方がなかった。そんな不安を余所に、倉橋先生は「それじゃ、入りますよ」とニコニコしながらノックを数回重ねる。すると――

 

「どうぞ」

 

 予想とは違った、落ち着いた声が聞こえる。

 声を確認した倉橋先生と私は声を揃え、「失礼します」と中へ入ると紺野さんの部屋と同じようにメディキュボイドと機材が一式、そして、先ほどまで読んでいたのであろう手元に文庫本を持っている男性の姿が。

 

「刀霞さん、どうですか調子の方は」

「ええ、特に問題はないですよ」

「それは良かったです。良かったついでに、もう一つ良い事がありますよ」

「良いこと……ですか?」

「えぇ、今日から貴方の担当になった子です。どうです、美人さんでしょう?」

「み、水霧あい……か……で、す……ってえぇぇ!? や、やめてください! 私そんなんじゃもっ……ちまっ……ちがくて……!」

 

 思いっきり噛んだ。倉橋先生って真面目なのか変なのかよくわからない。

 第一印象最悪。確実に変な人だと思われた。どうしよう、倉橋先生のこと嫌いになりそう。

 

「き、霧ヶ峰刀霞です。宜しくお願いします」

「……コ、コチラコソー……」

 

 あまりにも情けなくなってしまった私は、彼の表情をまともに見ることができず、カタコトの返事しかできなかった。

 

――うぅ……絶対引かれてるよぉ……

 

「それでは私はカルテの整理があるので……あ、せっかくですので刀霞さんのバイタルお願いしてもいいでしょうか」

「こっ……こんな空気でですか……!?」

「コミュニケーションも兼ねて、ですよ。お願いしますね水霧さん」

 

 私のメンタルケアは一体だれがしてくれるだろう。

 倉橋先生、この恨み絶対忘れませんからね。

 

 

 

 

「あの……その……じゃ、じゃあ体温計を……」

「大丈夫ですよ」

「ふぇ……?」

「倉橋先生って時々変なこと言いますよね。別に引いたり可笑しな人だとは思ってませんから。これから大変だと思いますが、無理なさらないで下さいね」

「――う……」

「う?」

「うぇぇぇん……」

「泣いたー!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい……私、患者さんにそんな優しい言葉かけられたのは初めてで……うぅ……」

「あ、あはは……なんとなくですが、歳は俺とさほど変わらなさそうですし、勤めて間もないような素振りだったので、つい……」

「ありがとうございます……精一杯頑張ります……」

「ほ、ほどほどにね……」

「う……」

「あー! ほら! バイタル計測するんですよね!? お願いしてもいいですか!!」

「は、はい……では、霧ヶ峰さん、脈拍計りますので、手首失礼しますね」

「あぁ、刀霞でいいですよ。呼び辛いですし、倉橋先生もそう呼んでいますから」

「はい、刀霞さん……」

 

 患者さんの言葉で、ここまで心を揺さぶられたのは初めての経験だった。

 なんというか、たった二ヶ月しか働いていないけれど、今までの努力が少しだけ報われたように思えた。患者さんを元気付けるはずだったのに、いつのまにか私の方が元気付けられてしまったのは少し情けないことだけれど、刀霞さんの言葉のおかげで、私の心に余裕ができた。

 

――良かったぁ……優しい人で……

 

 

 

 

 それからというもの、私の日課は大きく変わり、毎朝忙しかった時間が嘘のように穏やかなものとなってしまった。

 朝のカンファレンスから紺野さん、刀霞さんの健康状態の管理、食事量のチェック、カウンセリング、そして《メディキュボイド》の操作。これだけである。

 《メディキュボイド》に関しては確かに難しい内容ばかりだけれど、看護士として覚えるべき点に関してはそこまでではなかった。基本は医師の監修の元行われる機材なのでこれならば問題ないだろう。 

 そのおかげか、時間に余裕ができたことはとても嬉しいことなのだけれど、これで本当に良いのか疑問に思ってしまう。倉橋先生に相談すると『仕事量の良し悪しは関係ない、今の貴方にできること、それが今の最善である』という答えをいただいたのだけれど、どうしても歯がゆさが残ってしまう。急な生活の変化に、私は少しだけ不安な気持ちになってしまった。

 

「みーずきーりさーん?」

「へ? な、なんでしょう?」

「なんだか元気なさそうだね、どうしたのー?」

「そ、そうですか? 私はいつでも元気ですよー」

「ふぅーん……」

 

――私、顔にでちゃうのかな……? いけないいけない。患者さんに気を使わせたら私の立場がないよね。しっかりしなくちゃ……

 

「ねね、水霧さん。ちょっとこっちきて!」

「――……? なんでしょう?」

 

 紺野さんの手招きに応じた私は、彼女の元へと近寄ると「そこに座って、後ろ向いて!」と言われるがままベッドの端へと座り、紺野さんに背を向ける形になった。そして――

 

「えい!」

「うひゃあ!!」

 

 紺野さんに胸を鷲掴みにされた。卑猥に。 猥褻に。 猥雑に。

 

「な、なななぁ!?」

「ぼ……ボクより大きい……負けたぁー!」

「も、もう! 何するんですか!」

「えっへへ。どう? 少しは元気になった?」

「な、なんでこんなこと……」

「あはは、ごめんなさい! でもさ、こんな馬鹿馬鹿しいことで悩み事、忘れることできたでしょ?」

「あ……」

「ね? 一時的でも忘れることかできたってことはそんな大したことじゃないよきっと!」

「……ありがとうございます、紺野さん」

「えへへ、どーいたしまして!」

「では、同じ要領で紺野さんの長ネギ嫌いも克服してみましょう」

「そ、それは……」

 

 結局、紺野さんにも元気付けられてしまった。

 なんだか嬉しいような、情けないような。

 私が悩んでいることは本当にちっぽけなことだと痛感させられた。彼女の方がより辛い経験をしているはずなのに、こんな私が本当に彼女の力になれるのだろうか。彼女に比べれば、きっと私の人生は幸福に満ち溢れているに違いない。そう思えば思うほど、私に新たな不安が満ち溢れてくる。

 紺野さんが精神的に苦しんでいる場面に直面したら、私はきっと何もできない。何故なら、彼女ほどの悲痛な経験をしているわけではないから。幸せな人間が不幸な人間を慰めても効果がないように、私は肝心なところで何の役にもたたないのだろう。

 

 だけど、そんな私にある転機が訪れた。

 

 

 

 

「水霧さん?」

「は、はい。なんでしょう?」

「大丈夫ですか? あまり元気がないように見えますが……」

 

――……私……また……だめだめ。刀霞さんにまで心配かけるなんて……

 

「いえいえ、私は元気ですよ! 大丈夫! 大丈夫です!」

 

 これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。患者に対して個人的な事情を押し付けるのは看護士として最低な行為。それは先輩からとても厳しく教えられたことでもある。

 私は強引に表情を見繕って、できるかぎり笑顔を見せた。ところが―― 

 

「――……水霧さん、そこに座って下さい」

「えと……あの……」

「いいから、座ってください」

「は、はい……」

 

 刀霞さんの言う通りに座ると、彼は静かな目でこう言った。

 

「『大丈夫じゃない』そう言ってみて下さい」

「いえ、私は……」

「嘘でもいいです。偽っても構いません。大丈夫じゃないと、言ってみてください」

 

 意図がわからない。刀霞さんは何故そんなことを私に求めるのか。

 言えない。言えるわけがない。例えそれが嘘だったとしても、それを言うことは看護士失格なのは重々承知している。

 

 なのに。

 

 なのに私は……

 

「だ……だい……じょうぶ……じゃ、ない……です……」

 

 瞳が自然と熱くなる。不思議と涙が溢れてくる。

 顔がくしゃっと歪み、嗚咽が止まらない。

 そんな私を見た刀霞さんは、小さな飴玉を差し出し、穏やかな口調で言った。

 

「いいんですよ、たまには大丈夫じゃなくたって」

 

 嬉しかった。本当に嬉しかった。

 求めてはいけないことだと知りつつも、本当は誰かに言われてほしかった。

 人の命を預かる仕事。そんな重大な責務を私なんかが背負いきれるかどうかわからない。それを誤魔化すように、悩む時間も与えないほど必死に勤めてきた。

 そして、何もかも不足している私に与えられた、唯一の拠り所。そのメンタルケアでさえ患者に慰められてしまう始末。

 職務放棄、職務怠慢、看護士失格。

 いっそのこと辞めてしまいたいと何度思ったことか。

 

 私はたががはずれたように刀霞さんに抱きつき、我を忘れたように泣きじゃくっていた。

 

 刀霞さんは終始慌てていたけど、私が泣き止むまで受け入れてくれた。

 

 この人は、私を救ってくれた、初めての人。

 

 それは私にとって、刀霞さんが特別な人だと感じた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 それから数日後、紺野さんと刀霞さんはお互いに知り合いということがわかった。

 倉橋先生に『互いのことは秘密にしておくように』という指示があったけど、ある日突然撤回され、最近では刀霞さんが紺野さんの病室に訪れるようにまでなった。

 紺野さんと刀霞さんが知り合ったきっかけは最近流行のゲームということだけで、それ以上の詮索はせず、今後の方針として互いの関係については深く干渉しないようにという指示まで受けてしまった。

 

 ……もしかして二人は付き合っているだろうか。確かに年齢差はあるけれど、異性同士が惹かれあうことは、決しておかしなことではない。

 異性を好きになるきっかけなんて、案外単純なものだと私も知ることができた。

 もし、仮に付き合っていないとして、刀霞さんは私のことをどう思っているのだろう。

 別に好きな人がいるかな、異性として私を見てくれているのかな。迷惑な人だと思われないかな。

 

 そんなもどかしい気持ちを抑えつつ、私は今日も鏡の前に立つ。

 

「靄華! 自信をもて! 今日のお前は一味違うぞー!」

 

 鏡に写し出された自身に向かって、毎回同じセリフを投げかける。

 

 紺野さんには前を見据えるきっかけを、刀霞さんには立ち直るきっかけ教えられた。二人の励ましがなければ私はきっとこの仕事を辞めていたかもしれない。

 そして、もし許されるのであれば、刀霞さんには感謝の気持ち以外の言葉も伝えたい。

 

 もちろん今すぐは無理だし、闘病中の身だから彼に無駄な負担をかけるわけにはいかない。

 何ヶ月先になるかはわからない。ううん、もっと遠い先の話でもいい。告白とまではいかないけど、いずれこの想いを伝えことができたらいいな。

 

 

 そしていつか、刀霞さんと――

 




今回も閲覧していただき、有難うございます。

投稿の方遅れてすいません。修正と併用して書いていましたので時間が遅れてしまいました。

アナザーストーリーを書いた経緯としては、単純に妄想が膨らんでしまったのがきっかけです。自分の中でよりよいものを書きたいというイメージが、こんな形となってしまいました。

ただ、アナザーとは言っても設定はメインのものを採用しているのでそこまで物語に変化はないです。

あくまでも、水霧靄華という女性がどのような人物なのかを伝えていけたらいいなと思っています。

次回はオリジナルの方を進めます。次回も宜しくお願い致します。

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