ちょっとえっちぃです!
偶にはいいかなって!
自分にとって居心地のいい場所とは、なんて聞かれたら一つだけに絞ることは難しいだろう。
例えば、寝起きの布団の中とか。眠気眼を擦りながら感じる、あの人肌温い毛布の心地良さといったら。あれに嫌悪する人間なんて地球上に一人だっていまい。生まれてこのかた一度も浮気をしたことがない堅物な旦那がいたとしてもあの二度寝を誘う魔性の力に抗い難いものがあるはずだ。痴話喧嘩だろうが夫婦喧嘩だろうが、一度布団に包まってしまえば大体あの心地よさが治めてくれる。万能にして有能。完全にして完璧。正に居心地のいい場所って感じだ。……単純に寝るのが好きなだけか?
ああ、居心地の良さで言えば温泉も悪くない。朱に染まる夕凪。しとしとと舞い落ちる雪景色。月光に煌く夜桜。そんな情景を独り占めに熱燗を一杯――。まぁ、俺は飲めないが。とはいえ、飲めなくても文字通り入り浸れるあの感覚が大好きだ。時間の流れを楽しめるというか、誰にも邪魔されず観賞しながら感傷に更けて、在り方のようなものをじっくりと考えることができる。勿論、皆と共有するのも悪くない。感情が和らぐ上に体も解れて、そういう空間で話せる会話には、何か特別なものを感じ得る。そういう意味では『裸の付き合い』なんて言葉も存外にできない。
どうやら、俺にとって居心地のいい場所とは、静かで、温かくて、落ち着きのある空間のことを指すようだ。確かに騒がしいのは苦手かもしれない。ライブやコンサートといった人混みの激しい所よりも広い大草原で寝転がって昼寝している方が有意義だと感じてしまう。
つまり、何が言いたいのか。他人の観点から考えれば『何故そんなものが?』と疑問を抱いてしまう事でも、その人にとっては価値があれば、決して無碍にしてはいけないということだ。
理解できないのは仕方ない。する必要もないかもしれない。ただ、その人にとって一番充実していた時間を過ごしていて、何故懸念されなければならないのか。
月並みの言葉だが価値観なんて人それぞれだ。だからこそ、人は人を尊重しなければならない。
当たり前だ。それができてこその大人だろう?
例えそれが、場所であっても、物であっても。
……お菓子であっても。
「あー、絶剣様?」
「うるさい」
「…………」
「あ、あはは……」
アスナの苦笑いが酷く胸に突く。
いや、苦笑いを溢しているのはアスナだけではない。キリト、シリカ、リズベット、リーファ。そして、鼻で呆れるシノンと、はてと首を傾げているユイ。その中に一人だけ頬面を膨らませている少女だけが、俺に対しそっぽを向いていた。
「どうしてユウキさんは怒っているのでしょう?」
ユイが、ふわりと浮いてアスナの肩に着地する。
「実は、トウカがユウキのお菓子を食べちゃて……」
「いや、ユウキのものだと知ってれば俺はだな」
「肩」
「はい」
アスナの言葉に対し弁明を請うと、ユウキは低い声で自身の肩に指をさす。
幾分俺が悪いのは理解しているが、若干釈然としない感情をどうにか飲み込み、俺は黙って肩を揉む。
先程からずっとこんな調子だ。
「ジュース」
「はい」
「お菓子」
「はい」
「肩」
「はい」
空いたグラスにオレンジジュースを注ぎ、テーブルに並べられた菓子を口元に運び、そしてまた肩を揉む。
すると、一部始終を目の当たりにしたキリトが複雑な微笑を向けて、ぎしりとロッキングチェアを揺らす。
「まるで召使だな……」
「代わるか……? 給与無し、定時無し、定休無しの三拍子だぞ……」
「え、遠慮しておくよ」
「人の物を食べたあんたが悪い」
ぴしゃりと言葉で叩いたのはシノンだ。マグカップを口に含んで呆れるその様子からは、ゲームのしすぎで親父に媒体を取り上げられた息子に言い放つ母親の様によく似ている。おかしいな。一応俺の方が年上のはずなのだが……。
「ま、食べものの恨みは怖いって言うし。今回は諦めなさい」
リズベットが、やれやれと薄笑いを浮かべてポッキーを口に運ぶ。
次いで、シリカがエンゼルフレンチを手に取ると、穴越しにリーファを覗いて、
「そんなにレアなお菓子だったんですか?」
「うん、20万ユルドはするとか……」
「20万!? あっちゃあ……。そりゃ救いようがないわね」
リーファの一言に、リズベットは驚きで椅子から飛び上がる。
その金額をユウキの口から聞いた時は、確かに俺もひっくりかえった。
貴重なお菓子であることには違いないが、何を隠そう、そのお菓子は製作することができない固有アイテムなんだとか。このゲームにおいて大抵食べ物は料理スキルさえ整っていれば製作することができる。アスナはそのスキルがずば抜けて高いせいか、最早作れないものはないと言っても過言ではない程だ。だが、残念ながら
で、あるならば普通豪華な包みや見た目をしているものだろう? ところがどっこいその菓子は見た目なんの変哲もない、ただのマシュマロだったわけだ。それが机の上にぽんと置いてあったら、そりゃ食べてしまうでしょう。味は美味かった。ごちそうさまです。
たかがお菓子、されどお菓子。見かけたら買って返すからと諭したものの、今の手持ちじゃ確実に足りないし、次にいつ流通するかもわからない。根気強く店に通わなければ入手できないアイテムなだけに、ユウキにとってお宝だったのだ。そこに「あ、すまん」と軽口に頭を下げる無責任な謝罪に、ユウキは機嫌を損ねっぱなしだ。
お菓子はユウキにとって体の一部のようなものだ。食べてしまったと告げた時の、絶望と失意と呆然が入り混じる相貌面といったら……。
「ユウキ悪かったよ。機嫌、治してくれないか?」
「つーん」
「弁済とは別に、好きなお菓子買ってやるから。な?」
「…………つーん」
「だめか……」
一瞬、ユウキの瞳が若干揺らいだが、やはり顔を背けてしまう。自分で「つーん」と言うのは不機嫌を表しているのか、片頬を膨らませている姿は小学生低学年のような反応で、少しばかり可愛いなとも思ってしまう。決して罪悪感を失っているわけではない。
シリアスな雰囲気でもないので、ユウキがそこまで憤慨していないのは、重々承知している。それでもどうにか機嫌を直してもらいたく、あれやこれやと身の回りの世話をしていると、突然キリトがロッキングチェアから体を起こして、
「しまった。リーファ、今何時だ?」
「えっと、リアルタイムは夜の22時過ぎだけど」
「不味い……。明日は、朝から班の集まりがあるんだった……これ以上夜更かしはできないな」
「あはは、一回寝坊して怒られちゃったもんね」
以前にもその話の件を聞いた気がする。
確か、ユウキや俺が世話になっている、あの視聴覚双方向通信プローブに手を加えたいんだとか。
なんでも視覚情報をカメラからリアルタイムで読み取って、見る側の空間に同じ物体を投影する、とかなんとか。今まではカメラ越しでしか見ることのできなかった三次元の世界を、通信プローブを通じてVRの世界に立体化することができれば、仮想空間でも現実世界の人間と食事を共にしたり、共同生活することもできる、というもの。
今はまだ開発段階の途中らしいが、近いうちに必ず可能になると、キリトは息巻いている。
何故そんなものを? と言う奴は誰もいない。皆知っているからだ。
「パパ、無理しちゃ駄目ですよ……?」
「大丈夫だよ、ユイ。完成したら、一番に見せてやるからな」
「はい、楽しみです!」
ユイは、ふわふわとキリトの周りを舞い踊り、喜びを露にする。
それを見たアスナも優しさに笑みを咲かせた、次の瞬間――。
「きゃあっ」
「わぁ!?」
突如として、短い悲鳴と共に体をびくりと弾ませたアスナ。これに対し、隣にいたユウキも驚きに身が跳ね上がる。
「び……びっくりしたぁ! 大丈夫アスナ?」
「う、うん。母さんに体を揺すられただけ。警告音でビックリしちゃった」
「ビックリしたのは私らの方よ……」
リズベットを中心に全員がこくこくと頷いて、手を合わせて謝るアスナに大した問題でなくて良かったと、ほっと胸を撫で下ろす。
まぁ、時間も時間だし早く寝ろと注意しに来たのだろう。ここにいる全員は学生の身分だしな。因みにクラインはエギルの店で飲んでいるらしい。
それを拍子に、リーファが「さてと」とソファから立ち上がって、
「それじゃお兄ちゃんが寝坊しないように、私も早めに寝て起こしてあげようかなー」
「私も宿題残っていますし、そろそろ落ちますね!」
シリカが同調し、ぐぃっと背伸びをして同じく立ち上がる。
「私はGGOのデイリークエストが残ってるし、日が変わる前に終わらせてくる。報告が済んだらそのまま寝ようかな」
画面端の時間を確認したシノンは、眼前のティーカップを手に取り、残った紅茶をぐぃっと飲み干す。
「あたしも親が五月蝿いからそろそろ寝るわー。ゲームばっかりしてないで勉強しなさいってしつこいのよ!」
リズベットは両手の人差し指を頭の上に付け、鬼のような面相で怒る真似をすると皆が声を立てて笑った。
「叱ってくれるうちが花だぞリズ。大人になって、後々勉強しとけば良かったーなんてならないようにな」
「うわぁ、おっさんくさー」
「こいつ……」
人がせっかく注意してやっているというのに。何れ大人になったらがちがちの縦社会を見せてやるからな。将来的に俺の部下になるようなことがあれば絶対に扱き使いまくってやる。コーヒーが温いとか言って何度も煎れ直しに行かせるからな。……あいつのことだから雑巾の絞り汁とか入れそうだ。やっぱりやめておこう。
そして、必死に笑いを堪えているのがバレバレだぞ、ユウキ。お前は部下になった暁には俺のデスクを毎日掃除してもらうからな。整理整頓から筆記用具の手入れまで、全てだ。指先に少しでもホコリがついてみろ。サービス残業の上早朝出勤させてやる。……掃除どころから占拠されそうな気がする。勝手に好きなもの飾られて俺が窓際社員までありそうだ。っていうか指示しても言うことを聞く気がしない。だめだ、俺の将来が危うい。やめておこう。
「それじゃ、俺は先に休ませてもらうよ。お休み、みんな」
「おう、おやすみ」
「おやすみなさい、パパ」
それぞれと挨拶を交わし、キリトは手際よくホロウインドウをスライドさせると、消えるようにログアウトしていった。
立て続けにリーファから順に、シリカ、シノンが手を振りながらログアウトしてゆく。
「おやすみ! また明日ー」
「ユウキも程ほどにね。おやすみ」
リズベットに促され、ユウキもまた、にこやかに手を振り返す。
最後にはアスナがログアウトしようとホロウインドウに手を翳しながら、
「お皿とかカップはそのままでいいからね。二人ともゆっくりしていってね」
「ああ、ありがとう」
「うん! おやすみアスナ」
小さく微笑んで、軽快な音と共に落ちていった。
ユイもアスナたちの見送りが済むと、是非キリトたちの手伝いをしたいと興奮冷めあらぬ様子で、翌日に備えてか、キリトが所有している通信プローブの方へダイブして行った。
次々と皆が落ちてしまい、結果。このコテージにいるプレイヤーは俺とユウキだけである。
先程まで賑やかだった空間が、一気に熱が下がったかのように、しんと静まり返った。
「ほら、ユウキもそろそろ」
「…………」
「お詫びの話は、また明日だ」
「もう少し」
「リハビリあるんだろ?」
「午後からだから、だいじょぶ」
「……そうか」
まぁ、靄華さんもいるし寝過ごすなんてことはないだろう。
それにしても、ユウキの姿が先程とは打って変わって、どこかしおらしい。
ソファの上に体育座りをして、両手で持ったティーカップをちびちびと口に運ぶ。
肩を揉んでいた俺は一旦手を休め、ユウキの隣に座る。
「どうした? 皆がいなくなって、寂しくなったのか?」
「それもあるけど、なんだか羨ましいなって……」
「羨ましい?」
思いがけない返答に、俺はユウキの顔を覗いて、
「学校か?」
「ううん」
「……お菓子の件か?」
「ううん、そうじゃなくて」
はにかむような笑顔を見せたユウキは、顔をふるふると横に振った。
別段俺のせいで落ち込んでいるようではないようだ。なら、何が原因で……?
考えに意識を集中していると、膝を抱えていたユウキは、口元を少しばかり隠して、ぽそりと言った。
「家族と過ごせる時間が羨ましいなぁって」
「家族……」
ああ成る程と、軽々に言うことは憚れる様に感じた。
ユウキには家族同然の仲間がいるじゃないか。……そういう励ましはどこか的が外れている気がする。
姉同然のアスナ。そしてスリーピングナイツ。常に一緒にいる友がいるだけに、寂しいということないはずだ。
――そう、ユウキは『羨ましい』と言ったんだ。友達や仲間からはどうしても得られることのできない、何かを求めて、そう言った。
そして、俺はそれが何かを知っている。俺もそうだった。それを求めて、必死に祖父に摺り寄ったのだから。
「――俺に、何かできることはあるか?」
「トウカ……?」
ユウキの方に面と向き直って、小さく丸まった手にそっと触れる。
少しだけ冷たくて、それでも仄かな温かみを感じる女の子の手だ。この手が剣を豪快に振り回し、最強を欲しいままにしているのが信じられないくらいに。
今はただか弱い、紺野木綿季という一人の女の子の手だ。
「あ、あはは。大丈夫。ちょっとそう思っただけだから。ボクは皆と一緒に居られればそれで――」
「それは違う」
言って、微かに震える彼女の手を引っ張り、自身の胸元へと導いた。
意外にもユウキの体は抵抗なく俺の元へとすっぽり納まる。咄嗟の出来事にユウキは目を丸くしていたが、俺は構わず背中に手をまわした。
何故自分でもそうしたかはわからない。ただ、傍へ置いておかないと壊れてしまいそうな気がして――。
「あ……あぅ……」
くぐもった声が心臓に響く。冷えきった彼女の体温が、とくんとくんと脈打ちながら上がっていくの感じる。
俺も酷く緊張している。ふわりと香る女性の香りが鼻腔をくすぐり、改めてとんでもない行動を犯しているのだと実感する。
それでも。それでも俺は止めることができない。本能が彼女を放すな、しっかり抱き支えろと訴えかけてくるのだ。
ユウキの揺れる瞳が、朱に染まる頬が、より近くに感じた所で、俺は静かに囁いた。
「お前が頑張り屋なのは知ってる。辛いことを必死に乗り越えてきたことも。痛みに堪えて耐えてきたことも」
「…………」
「でもな、その頑張りを耐えることに使っちゃ駄目だ」
「そう、なの……?」
ユウキの瞳が俺を捉える。どこか困惑しているようで、俺の服の端をきゅっと握り締めていた。
小さく頷いてから、俺は続ける。
「幸せを探すために頑張ればいい。自分のしたいこと、やりたいことを見つけて、その時が来たら頑張ればいいんだよ」
「しあわせ……」
「時には我慢することも必要だ。でもそれは今じゃない」
「…………」
「言ってみろよ。俺にできることがあれば、なんでもするから」
「……ほんと?」
「ああ、言ってみろ。どーんとこい」
言うと、ユウキはおもむろに俺の背中にするりと手をまわす。
胸元に顔をぐりぐりと擦りつけ、何度か鼻で深呼吸をすると、もぞもぞと口を動かして、
「お詫びのつもり……?」
「違う。俺がそうしたいだけだ」
「お菓子もちゃんと買ってくれる……?」
「勿論。クレープもご馳走する」
「……デートもしてくれる?」
「頑張ってエスコートする」
「一緒にお昼寝してくれる……?」
「俺でよければ」
「…………ちゅーは?」
「それは駄目だ」
「……けち」
一つ一つ受け答えをしながら、ユウキの頭を撫でていく。
その度にユウキは小さく、甘く呻いて強く抱きしめる。
赤子をあやすような感覚に近いが、それと同時に、あぁやはり女の子なのだなという緊張感もあった。甘えてくるその仕草がとても心地良くて、強く意識してしまったらきっと耐えかねてしまうだろう。今更ではある。だがしかし、どうしても慣れないのだ。未だ年端もいかない子供であるにも関わらず、どこか女性としての魅力を禁じ得ない。これがもし、俺と同い年であり、同じ状況下であるならば……。いや、考えるのは止そう。
「ボクね、トウカにお願いしたいことがあるんだ……」
ふと、ユウキが見上げて俺を見る。
惚けた表情にどきりとするが、平静を装い「ん? なんだ?」と返してみる。というか、緊張でそれ以上のことができなかった。
「でも、ちょっと恥ずかしくて……」
「俺にできることか?」
「う、うん。心の持ちようだけっていうか、こんなことトウカにしか頼めなくて……」
「なら、言ってみろよ。今更断らないって」
「あ、あのね……。実は――」
*
あれから翌日の夜。今夜はユウキから
色々手回しをして、今夜一日だけキリトたちのコテージを貸切にすることができた。といっても、事情はアスナにしか話いないわけだが。内容が内容なだけに、スリーピングナイツの皆にも話していないのが現状だ。今回ばかりは仕方ない。ユウキが恥を忍んでお願いしてくれたのだから。
事情を理解してくれたアスナのおかげで根回しは完璧だ。説明した当初は大分複雑な表情をしていたが……。ブツブツと何かを呟いて俺を睨んできた時は、それはもうひやひやした。「ユウキのためだもんね」「でもトウカじゃなくたって」「次は私が……」そんな言葉が重低音で念仏のように聞こえてくるのだから堪ったものではない。この仮はいつか精神的に。ユウキが返してくれる。はず。
そんなこんなで、俺はコテージの玄関先に立っている。両手にはユウキが希望した材料と菓子類。手が塞がっているので「おーい、帰ったぞー」と声を上げる。
ぱたぱたと走ってくる音と共に、樫色の扉ががちゃりと開いた。
「兄ちゃんお帰り!」
「あぁ、ただいま」
満面の微笑みいっぱいでユウキが出迎える。
そう、これがユウキの
「ちゃんと材料買ってきてくれた?」
「もちろん、ユウキの好きなお菓子もいっぱい買ってきたぞ」
袋を開いて見せると、ユウキはキラキラと目を輝かせて、ぴょんぴょん跳ねた。
「うーわ! これ高かったでしょ? こんなに買ってきて良かったの?」
「妹の喜ぶ顔見れると思ったらつい、な」
「えへへ……やったぁ。兄ちゃん大好き……」
ぽすんと抱きついて無邪気いっぱいに甘えるユウキ、もとい……妹の頭を撫でる。
ようは、ごっこ遊びだ。それも、今夜限りの家族ごっこ。
俺が兄で、ユウキは妹。一緒に食事を作り、一緒にテレビを見て、一緒に寝る。たったそれだけの話だ。
他人から見たら酷く滑稽に見えるかもしれないだろうが、俺は特に抵抗は感じない。寧ろ、こういう演技には少しばかり自信がある。理由はまた別の機会に。
何故兄役なのかと言うと、これまたシンプルな話で、兄か弟がほしいと思っていたと。それだけのことだ。弟役を演じるには歳や身長差があるので言わずもがな無理がある。父親役でなくていいのかと尋ねたら「ボクの家族はパパとママ。それに姉ちゃんだから」と即答した。代わりは必要ない。亡くなっても尚、家族であることには変わらないのだから。そう言いたかったのだろう。だからこそ元々存在しなかった『兄』が適役だったわけだ。
「それじゃ、今日の夕食は紺野家特製カレーといくか!」
「おー!」
色違いのエプロンを身に付け、二人で台所に並び、調理に取り掛かる。
ユウキは主菜のカレー担当。俺は副菜のサラダ担当だ。サラダといっても野菜を刻むだけで特にこれといった手を加えたりはしない。手際よく野菜を洗い、トマト、きゅり、レタスを軽快に刻んでいく。
それを見たユウキがフライパンを振りながら目を丸くして、
「わぁ、兄ちゃん上手……」
「だろ? これでも兄ちゃんは――って、ユウキ! 前、前!」
「ほぇ?」
秒でフライパンの中身が空っぽになった。
なんという料理センス。俺でなきゃ見逃しちゃうね。
「なくなっちゃった!」
「なくなっちゃったな! よし、ユウキ。兄ちゃんと一緒に作ろう。まずカレーはフライパンじゃなくて鍋で作るんだ」
「あいあいさ!」
びしっと敬礼する姿は軍人顔負けだ。消えた具材にまで敬礼しなくていい。
それからてんやわんやの連続で、食材を
料理が出来上がる頃にはすっかり夜も更けて。
気づけば真っ白なシチューが出来上がっていた。
「うんまー!」
「何故美味い……?」
*
「ん……ふぁ……」
「お、そろそろおねむか?」
「もーちょっとー……」
食事も済ませ、ソファの上で寝転がりながら、だらだらテレビを見ていると、懐に収まっていたユウキが眠気眼をぐしぐしに擦らせていた。俺の催促に首を横に振るが、幾分か眠気も限界に達しているようだ。
ここで寝てしまっては具合が悪い。テレビを消してユウキを抱きかかえると、ふわりと浮くように持ち上がる。
「兄ちゃん……」
「うん?」
「一緒に寝てくれる……?」
「当然だろ? 兄ちゃんなんだから」
「えへー……」
力なく甘えてくる妹を、落ちないよう抱き寄せながら、寝室へと連れて行く。
このまま眠って明日になれば、いつもの関係へと戻る。短い時間であったが、俺自身懐かしい一時を過ごせた。
……家族として甘えてくれる姿はこれで最後かもしれない。それが俺には少し寂しく思えてしまう。求めてきたのはユウキのはずなのに。
赤子の手を扱うように、慎重にベットへ降ろし、むにゃむにゃと髪を食べそうになったところをそっと掻き上げて、丁寧に布団をかける。
ユウキは、ぼうっとした表情で俺を見つめたかと思えば、にへらと笑顔を綻ばし、抱きしめろと腕を伸ばしてきた。
そうしてあげたいのは山々だが、部屋を散らかしたままではキリトたちに申し訳ない。伸ばした腕を優しく折りたたませて、寝室の電気を消す。
「兄ちゃんは寝ないのー……?」
「部屋を片付けてくるだけだから、少し待っててくれ」
「ふぁーい……」
――本当に、妹ができた気分だった。
部屋を片付けながら、今日の出来事一つ一つを反芻する。
料理は楽しかった。過程も味も満足いくものができた。当初の予定とは大分変わってしまったが、それでも楽し食事を過ごすことができた。一緒にテレビを見て、一緒に笑って。お笑い芸人のやりとりやCMの真似なんかもしたりして。ユウキが『兄ちゃん』と呼んでくれる度に胸が躍るような気持ちになった。甘えくれる行為が嬉しかったわけじゃない。家族として過ごす時間を本当に楽しんでくれのたが嬉しかったんだ。
だから俺が――。
……いや、俺じゃなくてもいい。
そう遠くない未来、あいつが本当の意味で家族と笑顔を共にすることができたなら。俺もまた笑顔で見送ってやりたい。
片付けも滞りなく終わり、紺色の寝巻きに着替えた俺はユウキの待つ寝室へと戻る。
もしかしたら先に寝てしまっているかも。そうだとしたら、それはそれで構わない。眠くなるまでその寝顔を堪能して――
「あ、兄ちゃんおかえりー!」
「なんだ、起きてたのか……ってうぉ!?」
消えていた電気が明々とついていた、ことよりも。
寝ぼけてユウキがすっかり覚醒していた、ことよりも。
淡紅藤色の薄い肌着に着替えていたことに驚いた。
「お、おま……。それ……ッ」
「もう、家族なんだからこれぐらい普通でしょ? いいから早く寝よ!」
「お……おう……」
発言とは裏腹に、ユウキは照れながら少しばかり身を捩る。
こういうことを言及するのは兄として不味いのか……? 俺は電気を消して、動揺もそのままに、そそくさとベットの中へと歩を進めた。
ユウキが入っていたせいか、既に人肌並みに暖められていた。少し目を閉じてしまえば、あっと言う間に意識が落ちてしまうだろう。
だが、今は隣にユウキがいる。甘え上手な妹が、薄い肌着を召したまま俺の胸の中へと摺り寄っている。こんな状態で睡魔に襲われる筈もなく、どちらかと言えば――
「えへへ。兄ちゃんあったかい……」
妹に襲われていると言っても過言ではない。
幸い妹として接しているせいか、普段よりも理性は保てている。彼女の心境を最優先にさせたいという意識だからだろうか、自然と頭を撫でられる自分がどこか恐ろしい。
「もっと、もっとぎゅーって……」
「こ、こうか?」
触れてる部分が服などではない。滑るような地肌そのものだ。肌着といっても下着となんら変わらないような形状で、腹部は晒し、胸元も浅い。健康的な足はこれ見よがしに晒され、俺の膝を挟んで抱き枕のような状態になっている。
そんな状況の上、緊張も相まって力加減が難しい。
「はぅ……っ」
「す、すまん! 痛かったか?」
辛そうに喘ぐユウキの体を咄嗟に離す。すると首を横に振って、何度か深呼吸を繰り返すと、再びふわりと身を預けてきた。
「無理するな……?」
「違うの……。幸せすぎて、おかしくなっちゃいそう……」
「そうか。それは、兄冥利に尽きるな……」
「…………」
「……ユウキ?」
僅かな沈黙があってから、ユウキはもぞもぞと体を起こし、何を思ったのか。
「今日はありがと、とーか……」
仰向けの状態で寝ていた俺の上に、折り重なるように抱きついてきたのだ。
そしてその言葉は、最早妹としてではなく、いつもの俺の知っているユウキへと戻っていた。
「もう、いいのか?」
「うん……」
「満足できたか?」
「まだ、かな」
「それなら――」
「駄目」
ユウキの人差し指が、俺の口を遮る。
そして、あてた指を自身の唇へと運んで――。
「兄ちゃんじゃなくて、トウカと一緒に寝たいの……」
「――――ッ」
ドクン、と鼓動が強く脈打つ。
不味い――。ここから先は――。
「ユウ――ッ」
「何でもするって言った……」
「な……ッ」
色気を帯びるユウキの吐息が、俺の肌へと触れる。それだけで、びりびりと痺れるような感覚が全身を走る。
寝巻きを僅かに捲られ、細い指が縫うように伝っていく。
惚けるユウキの表情からは理性を感じられない。
「駄目だユウキ、それ以上……くぁ……っ」
「ごめんね……。ボク、抑えられなくて……」
言って、おもむろに首筋へ口付けをしながら、押さえつけるように手を絡める。
跳ね除けようにも体が痺れて動けない。明らかに様子がおかしい。
言葉を介すことすら適わず、ユウキは只管に俺の体を貪っていた。
「ん……ちゅ……あむっ、んむぅ……」
「うぉ……ぐ、ぁ……ユウ、キ……!」
ユウキの腰が悶えるようにくねり動く。俺の大腿に肌着が擦りついて、じんわりと湿ったような感覚を帯びる。
不味い不味い不味い!
指も絡んでログアウトもできず、このままでは本当に……。
「ちゅーじゃないから……いいよね……えへへ……」
「いいわけ、ある、かぁ……!」
「ねぇ……とーか……ボクのここ……触ってー……?」
「…………!!」
ユウキが口を離し、片手を解いたその一瞬を俺は見逃さなかった。
咄嗟に両の手を解いて、ユウキの両肩を掴んで仰向けに押し倒す。
「やぁん……っ」
「こら、大人しくしろって!」
内ももをもじもじと捩じらせて、官能的に体をくねらせる姿に見惚れしまいそうになるが、ふとユウキのステータスに目がとまる。
そこには状態異常のマークと共に『魅了』という文字が。
それを見た俺はすぐにピンときた。
「あのシチューか……!」
「とーかぁ……ちゅーしよー……? とーか好き好き好きぃ……」
「やかましい!」
「ふぎゃ!」
おでこにチョップをかますと、ユウキは「きゅう……」と、いとも簡単に気絶した。
論理コードが解除されていた上に、装備も全て外していたからだろうか。
気がつけば、俺の状態異常は既に解かれていた。なるほど、お代わりを何度もしたユウキの方が、魅了される時間も長かったというわけか。
やはりあの時、隠し味をユウキに任せたのが間違いだった。
俺が見ては隠し味にならないと後ろを向かせた後、懐から色々な種類の調味料をぶち込んだ中に、状態異常につながる食材も混ざってしまったようだ。今回ばかりは不可抗力だけに怒るに怒れない。悪気があって入れたわけではないのだから。
とはいえ、もし俺もお代わりをしてしまったらと思うと……。
「んぅ……とーか……好き……」
「……そういうことは、シラフで言えっての」
意識が落ちても尚だらしなく笑みを溢すユウキに、どこか気が抜けてしまった俺は、改めて彼女を抱きかかえて、布団を掛けなおす。
妹でもそうじゃなくても、とことん世話のかかる奴だよ。
まったく、本当に。
可愛い寝顔で一体どんな夢を見ているのやら。
「えへへ……」
「――おやすみ、木綿季」
*
後日談というか、今回のオチ。
寝室での一件に関して、ユウキはなんにも覚えていないらしい。
あの後ユウキはぐっすり寝てしまい、結局俺は客室のソファで一夜を明かした。
本人は楽しかった記憶しか残っていないみたいだし、知る必要もないからあの一件は墓場まで持っていこうと思う。
問題はその後だ。その日の内にアスナがずかずかとユウキに詰め寄り『今度は私と泊まろうね!』と半ば強引に約束を持ちかけたのだ。
アスナはずっともやもやしていたようで、ユウキと翌日家族ごっこをするまでは夜も眠れなかったらしい。
まぁ、アスナの方が付き合いが長いし、姉としての立場もあるから、そこは申し訳ないと思う。
ただ、これだけは言わせてくれ。
ユウキの隠し味には気をつけろ。
誕生日記念です!
本編も頑張ります!
たぶん!
おもち!