海の触角 人の心   作:ポピュラー

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アニメ艦これ2期楽しみですね(白目)


第一章:雨と海と
第一話


 体は、船の上にあった。

 澄んだ青と、海底を隠す黒。海抜数メートルから見下ろすそれは、別の世界のように見えた。海の上に出ると、同じ地球に居るという実感がなくなって、どこか別の世界に来てしまった様に感じた。陸地が見えなくなる程遠くまで出たのが初めてだから、そう感じてしまうのかもしれない。

 

 それでも、眼下の海面は穏やかに顔を変え、艦首は水を切って進んでいる。少し目線を上に移せば、海より青い空に散りばめられた雲が、刻々と表情を変えているのを確かめる事も出来る。その更に先にあるのが、海と空を切り分け、かつて世界の果てがあると信じられた水平線。もちろんその先には滝も果てもない。二十一世紀も過ぎると、どうして昔の人間はそんな事も分からなかったのかと馬鹿にもしたが、こうして同じような立場になってみないと分からないこともあるのだ、と痛感する。新大陸を目指していた当時の船乗りも、こんな気持ちを持ったのだろうか。

 

 うすら寒いものを感じて、慶一郎は嫌な汗が背中を伝わるのを感じた。訓練の時は何もない風景に飽きもしたものだが、こうして陸地から離れて、改めて甲板の上で見た海は、今まで持っていた印象をがらりと変えた。己の身ひとつで投げ出されでもすれば、生きて帰れない事を否応なく実感されるのだ。

 

 こんなところで海に落とされでもしたら……考えるだけでも恐ろしい想像だった。船の上に立っているのが途端に怖くなって、身を引いてしまいそうになる。あくまで想像……妄想だ。そう自分自身に言い聞かせても、投げ出される風景の想像が妙に現実味を帯びていて、そうして滲み出た汗が冷たい潮風に当たって悪寒になり、身震いが引き起こされる。

 

 慶一郎は、恐怖から逃げるように辺りを見回した。俺と同じような人間が何人この海に浮かんでいるのだろう、という疑問が、頭の中を巡った。周囲の海に浮かんでいるのは慶一郎が乗っている船だけではない。同じく、鋼鉄の塊である船が並んで進んでいた。ただの船ではない、それは単装速射砲や二十ミリ機関砲、ハープーンや九十式艦対艦誘導弾といったミサイル兵器を積んだ艦艇である。漁船や貨物船を見上げるのと違い、兵器を積んでいるという事実だけで慶一郎に畏怖を抱かせるのだった。この光景を見れば、嫌でも理解させられるのだ……向かう先が戦場であるという事を。どれだけ目を背けたとしても、突き刺さるような事実は変わらない。

 

 なんで俺はこんな所にいるんだろう。俺は何も出来ない役立たずの筈なのに、と慶一郎は思った。この船一隻だけでも、馬鹿にならないほど値段が高い。慶一郎が真面目に、定年まで働いたとして、その給金すべてを(はた)いても、この船一隻買えやしない。しかも装備は魚群探知機が玩具に見えるような最新機器ばかりだ。正直、何をどうすれば良いのかさっぱり分からないから、ボタン一つ押すのにも苦労する。そのせいで、同じ艇に乗る上司からはいつも作業効率が悪いとかで怒られる。勘弁してほしいと思った。前に乗っていた連中はこういう船を正確に理解し、どう動けばいいかを把握し、常に最善の動きをしていたそうだが、そいつらは長い訓練を経て選び抜かれた精鋭たちだ。長い年月をかけて育てられ、一人前として誇りと自信を持つに至ったエリートたちだったからだ。底辺のような工業高校で学んだ自分とは違う。義務教育程度の知識と身体能力しか得ていない自分に、エリートたちと同じ動きは出来ないのだ。社会に出て間もなく、真っ当な仕事にもありつけない十八歳の若造の心には、誇りや自身などといった崇高な気持ちは、これっぽっちも持ち合わせてない。

 

 戦う? 冗談じゃない。海戦はエリートが船に乗って、そこで初めて戦うことが出来るのだ。素人の自分が向かったところで、戦死した人員の一覧表に名前が一つ増えるだけだ……。

 

 ため息と一緒に出た呟きは、波の音に飲まれて消えていった。もやもやとした感情だけがしこりの様に残って、胸の奥を圧迫していく。慶一郎はそれから逃げるように、その場を離れた。

 

「敵が確認された場所に近付いた。いつ会敵してもいいよう、各自準備を怠るな」

 

 上司の命令で機械の点検を適当に行いつつ、船の中を見回っていく。いつもならうるさい上司の雷が鳴るところだが、今の状況だと素人一人を見る暇もないらしい。小言を言われなくて済むので、気にもしない。慶一郎は適当にチェックを付けて周って、最後の項目に異常なしと一言書いて、書類から面を上げた。人の命をいくつも奪える兵器が、そこにあった。この船で最大の攻撃力を誇るだろう、火器兵器の数々。

 

 厳重に保管されているそれらは、ひとたび火を噴けば標的を破壊するまで追い続ける牙になる。人間が喰らえば、肉片が残るかどうかも怪しい。こうして大人しい様を眺めているだけなら、そんな事を起こす兵器にはまったく見えないのだが、見た事があるという友人が言うには、それはもう凄いらしい。なにが凄いとかは、いまいち自分には分からなかったが、そんなに凄いのならエリートを連れてきてやらせればいいのに、と軽く睨みながら必要なものを置いてその場を後にした。

 

 やるべき事をやり終えて手持ち無沙汰になると、途端に船の中特有の閉塞感が慶一郎に襲い掛かってきた。鼠色の無機質な風景に囲まれた船内は、うすら寒さすら感じさせる。さらに船酔いが回ってくると、流石に堪らないと慶一郎はもう一度甲板へ出た。

 

 甲板の上には、まだ作業を続けている男達がいた。せわしなく動く彼らの動きは迷いがなくて、どこをどうすればいいか、しっかり分かっているようだった。上官は俺にこういう動き方を期待していたのだろうが、改めて無理だと思った。

 

「おお、“坊ちゃん”じゃねぇか。どうした、こんな所で黄昏ててよ」

 

 潮風に当たろうとした時、甲板で動いていた彼らの内の一人が、慶一郎に気付いて声を掛けた。

 

「俺の分は終わったんで」

「そうかい。まぁ狭い内でじっとするのも気が滅入るからな、ゆっくり休んどけ」

 

 この船に乗っているうちでは一番年嵩で、“大将”と呼ばれている初老の男性は、隣に腰を落ち着かせながら言った。慶一郎は特に気にすることも無く、海に向かって目を凝らした。並んで進んでくる艦隊は、細いアンテナやパラボアも、その構造や見た目の質感まで、精巧なミニチュアを目前にしているかのようだ。

 

 慶一郎は、好奇心に駆られてほかの船の甲板を熟視した。自分や隣の“大将”のようにのんびりとしている人影は、ここから見えなかった。代わりに、忙しそうに動く人影が、ほかの船の、ここと同じ状況にある事を伝えていた。

 

 いま、彼らは差し迫ってくるであろう敵と戦うための準備をさせられている。人類の明日の為にと、上司たちはさぞかし多忙な身になっているだろう。慶一郎たちにしても、その為にここへ入れられた身だった。親から無理やり送り出された身とはいえ、貴重な労働力には変わりない。あらゆる意味で役立たずでも、死地へと向かうのが仕事の中身だ。

 

 連日、テレビやネットのニュースなどで報道されているのは、突然海に現れた人型の何かが、貨物船や漁船、飛行機を狙って被害を出しているという事だった。見過ごせなくなった国々は軍隊を送って殲滅しようとしたらしい。日本も例に漏れず、自衛隊を送ったという。結果は、この通り。素人がエリート専用の艇に乗ってる時点で、後がないというのが見え見えだった。

 

 出航する前、自称専門家のお偉いさんが映っていたテレビでは経済がどうのこうの、次の海戦で人類の未来が決まるだのと、ご高説を声高く披露していたが、本当にそうなのかは分からない。分かる必要もない、と慶一郎は思っていた。船の上にあって自分たちは駒のようなものに過ぎず、考える役割を果たすのは“作戦本部”と銘打たれた大きな事務所の中でふんぞり返っている連中だ。安全地帯で偉そうにしている連中だ。この先を見据えて、ギャンブル感覚で成功を祈っている、おそらく一生涯会う事のない連中だ。

 

 気が滅入るのは当然だろう。吐き気すら催してくる。自分たちの行為が、日本にいる一億人以上の運命を道連れにしてしまうのだから……。

 

「“坊ちゃん”は何でここに来たんだい?」

 

 唐突に、“大将”が聞いてきた。慶一郎は手摺を掴んで、揺れる船から体を固定した。

 

「金払いが良かったんです。俺、頭悪くて、ろくな仕事に就けなかったから……親が送り出したんですよ」

「ほぉ。たしかに、ここもろくでもねぇが、報酬は良いもんな」

「ただの口減らしですよ」

 

 この仕事の唯一と言っていい程、ありがたいのが報酬の良さだった。入隊してすぐ、訓練に当てられる二週間の間にも口座には五百万円の給料が入金されていて、この戦いが終われば勝ち負けに関わらず三千万円が賞与として送られるという。この船にいる多くの人間が、金に釣られてきた蛾のような連中だ。死ぬ気など更々ない顔つきばかりが率先しながら張り切って動いていて、少しでも自分の生存率を上げようと救命ボートや避難路を準備しているのだった。慶一郎も、彼らと同じ狢だった。

 

 貨物船などが襲われ始めてから、経済は分かりやすいほど衰退した。海外からの輸入や輸出に頼っていた貿易会社は軒並み破産し、輸入に頼っていた会社がドミノ倒しの様に倒産していった。鉄鋼業、石油関係も輸入に頼れないから大暴騰を起こし、あらゆる業界にダメージを与えたのだ。慶一郎が高校卒業後に就職した工場も、その煽りを食らって倒産した。給料も払われず、夜逃げ同然にいなくなった社長や幹部たちに元同僚たちは気炎を上げていたが、慶一郎は無駄に怒って腹を減らすようなことはしなかった。そんな兆しが見えていたから、諦めていたのかもしれない。それより金が必要だった。直ぐに親も首を切られて、全員が無職になった結果、収入源はどこにもない。家のローンを払う金、水道代や光熱費を払う金、明日の……今日の米粒を賄うための金が、絶対に必要だった。

 

 職業安定所に通いながら、ごみ箱に入った新聞を漁って、日雇いの仕事を探し回った。倍率は床掃除の仕事だけで数百倍を超えて、二か月間も仕事にありつけない日々が始まった。国から今の仕事が慶一郎たち失業者に回されたのは、そんな極限状態に入った時だった。戦う事の知識もなく、興味を覚えるような事もなかったが、報酬額には目を向けざるを得なかった。迷うことなく、国から派遣された職員の誘いの言葉に頷いた。二週間ばかりの訓練と講習を受けたあと、見知らぬ男たちとチームを組まされて、簡単な自己紹介だけして海へと浮かべられたのだった。無茶苦茶でも、文句は無かった。金払いさえ良ければ文句などない。船のうすら寒い閉塞感だろうと、今にも吐き出しそうな船酔いだろうと、金さえ貰えれば耐えられる。そうでなければ、誰がこんな仕事をするものか。船を襲う連中さえ現れなければ、工場勤務で細々と暮らしていけたのに……。

 

「“大将”は、どうしてこの船に?」

 

 “大将”というのは堅苦しい軍隊の役職ではなく、この初老の男の渾名(あだな)だった。豪快な性格に、人当たりの良さそうな顔、なにより六十歳に差し掛かったとは思えない逞しい体つきを見て、誰かがそう呼び始めたのが切欠で、皆がそう呼び始めた。慶一郎の“坊ちゃん”という呼び名も、そうやって広まった。

 

 不思議に思っていた。どうもこの、自分よりはるかに長い人生を送ってきた男は、自分たちとは違うように見えた。金のためという卑しさが滲み出て無い、清々しい顔つきをしているのだ。だからといって、自殺志願者のようでもない。慶一郎には、なぜ“大将”のような真っ当な人間が、こんなゴミの掃き溜めみたいな中にいるのか理解出来なかった。

 

「知りたいか?」

 

 にやりと、目で笑いながら慶一郎を見た。この顔は、よく知っている。大人が子供をあやすときの目にそっくりだったからだ。それに懐かしさを覚えるのと同時に、反射的に顔をしかめた。どうもこの船では、自分は子ども扱いされているようだった。“坊ちゃん”という渾名からして、皆がそう思っているのは確信していたし、この船で唯一成人してないのは慶一郎だけだ。高校時代は友人から童顔だと言われていたし、年齢的にそういう扱いをされるのは分かっていても、一度は社会に出たこともある身で、そういう扱いをされるのは慣れない。“大将”はその感情すら読み取ったのか、悪い悪いと言いながら手をひらひらと掲げた。

 

「そうだな。お前と同じだよ」

「同じ、ですか……?」

「おおよ。俺はこれでも店を一つ持ってたんだが、今度の不景気で潰れてよ。家も無くして家族全員路頭に迷ってなぁ……おかげで何もかもがパァだ」

 

 笑いながら、おどけて面白おかしく話す“大将”だが、その身の上話はとても笑えるようなものではなかった。奥さんがその時に心労が原因で亡くなったこと、子供たちも職を失い、日雇いのアルバイトをしながらなんとか食い繋いでいること。似たような境遇かもしれないとは思っていた。しかし、彼は自分よりもひどかった。しかも“大将”は若くない。どんな仕事だろうと、企業は雇うことをしなかったという。

 

「年を取り過ぎた。もうこんな爺を雇う余裕がある企業なんて一つも残ってねぇ。それに、俺がいるだけで息子たちの食べる分まで減っちまう」

 

 “大将”の目が慶一郎の方へ向いた。その目は、同情や憐れみを訴えていない……なぜか暖かいものを感じた。

 

「まっ、身の上はお前さんと同じようなもん……口減らしさ」

 

 それだけ言うと、“大将”は気恥ずかしそうに頭を掻いた。

 それから、言葉を交わさない静かな時間が来た。聞こえるのは波の音と男たちの声。監視の目があまりないからか、手を動かしながら雑談を交わす連中も多くなっていた。それでも戦いが近いという緊張感はあるのだろう。下卑た笑い声を上げていたが、長くは続かなかった。

 

 船に乗っているのはほとんどが素人なのだが、この先にある戦いを恐ろしいと感じているのだろう。実戦を一度も経験していないからといって、死に対する恐怖に鈍くなった訳でもない。話し始めたのも、そんな恐怖から逃れようとしたものでしかない。静かな空間に人間の声が戻って来たのは、そんな時だった。

 

「よっす、“大将”に“坊ちゃん”。あんた達も休憩っすか」

 

 二人の間に割り込むように入って来たのは、耳を覆うくらい長い髪の毛を汚い金色に染めた軽そうな男……神城 淳という男だった。名前まで軽そう……そう思ったのは自分だけではないようで、船内での渾名は“ホスト”になっていた。どうも、ここに来る前はそういうお店に勤めていたようで、本人もそういう風に吹聴して周っていたから、あながち間違いでもないようだった。神城 淳という名前も源氏名みたいで、本名は誰も知らない。聞こうという物好きは、屑の集まりのような場所にもさすがに居なかった。不幸にも口が軽いから、例え聞いてなかったとしても勝手に喋っていらない情報だけが耳に入ってくる。

 お喋りで、軽い男。慶一郎から見た“ホスト”という男の第一印象は、そんな感じで固定されていた。

 

「“ホスト”ォ……手前ぇはまたピーチクパーチク騒ぎに来たのか、ん?」

 

 珍しく“大将”が歪んだ顔を見せながら、突き放すように言った。“ホスト”を嫌っているのは明白で、鬱陶しい犬を払うような仕種を見せて、ぶすりとした顔をしながら睨んだ。そのことに“ホスト”は気付いてないのか、もしくは慣れているのか、軽薄は笑みはそのままに彼は慶一郎たちの側へ近付いた。

 

「まーまー、そう言わずに。面白いネタがあるんすよ!」

「ネタだぁ? どうせ下らないゴシップとかだろうが」

 

 “大将”の言葉に“ホスト”は「違うっすよぉ」と首を振る。どうせ“大将”の言葉通りだろう、と慶一郎は思った。この“ホスト”という男の口が軽いのは確かで、その話は船内のいたる所で知れ渡っていた。船に乗り込む前からこの男の噂は有名で、他人の秘密を隠すような義理堅い一面は皆無に等しい。だから誰も彼に話をしようとはしない。離れていても近付いてくるのだ。だったら勝手に近付いてきたのを適当にあしらって帰ってもらうのが一番いい……。それがこの船の船員の、“ホスト”に対する暗黙の了解になっていた。そんな“ホスト”が持ち込んでくる話は、もっぱら怪しげな週刊誌の二、三面に載っているような下らない話ばかりだから困る。こんな状況でそんな話を聞いたところで面白い訳がない。「実は……」と始まった程度の低いであろう“お喋り”を前に、無視を決め込もうとした時だった。

 

「知ってます? 新しく開発されたっていう噂の“新兵器”」

「……ああ、それですか」

 

 やはり、と予想が当たって余計うんざりとした気分を自覚しながら、慶一郎はつい抑揚なく答えた。その話題はとある週刊誌が“日本が秘密兵器、開発か!?”という謳い文句で大々的に報じられた“ゴシップネタ”である。

 

 最近になって現れた海の敵に各国の軍隊も歯が立たず、連日のように不吉な報告ばかりが国民に届けられていた時に、それは救いの糸のように垂れ下がって来た。この最悪の状況を打開できるかもしれない、という勝手な希望を持たれた“新兵器”の噂は、絶望に心を病んでいた人類には“未来への希望”に見えた事だろう。全ての新聞の一面を飾り、世の中へ飛び出た噂は火の出るように知れ渡った。

 

 しかし時間が経つにつれて全国が知る所になった噂は、急速な収束を見せて世の中から消えていった。そもそも無理があったのだ。情報源は低俗なゴシップ週刊誌。その週刊誌も有力な情報は何ひとつ掴めておらず、納得するような説得力が無かった。しだいに誰もその話を信じなくなり、ついに消え去った話となったのだ。

 

「下らん。そんな話ならこっちは間に合ってるんだが」

「いやいや、話はこっからですよ。何でも、その新兵器が今俺たちの近くにあるっつー話みたいで」

 

 体を僅かに前のめりにして、“ホスト”は自信満々といった風に言葉に力を入れた。

 “大将”はらしくもなく口笛を鳴らして「そりゃあいい。それじゃあさっさとその新兵器様にご活躍の場を与えてぇもんだ」という声が後に続いた。

 さらに続いた声は“ホスト”のよく回る口から出たマシンガンの様な声に遮られ、置いてけぼりにされた慶一郎だけが後に残された。船の壁を打ち据えた高い波を見下ろしながら、新兵器か、と独りごちた。

 

 海から出て来た謎の敵によって経済を壊滅させられた国々。それによって生きる事が難しくなったのは、この船に乗っている人間のような、弱い人たちだ。今の状況を覆しうる“新兵器”という話の真偽はともかく、いわば今を生きられない人間にとってその話は地獄に垂らされた一本の糸だったろうし、もしそんな新兵器が本当に出て来て世界を救ってくれるなら、それを積極的に支持するかもしれないというのが慶一郎の考えだった。

 

 ――――そう、俺がこんな事をしなくても、それらが進んで戦って、勝って、本当に救ってくれるなら、それ以上の事はない。誰だって、進んで死にたいとは思わないのだから。

 

 だが、そんな事は問題ではない。好戦的な人間は敵のいい様にされても軍隊の有用性を叫び、屈するぐらいなら戦おうとヒューマニズムの欠片も無い言葉を吐いて恥じないが、慶一郎たちにとっては馬の耳に念仏だった。政府や国が真っ当な生活と仕事を約束し、実行してくれるなら迷うことなくそちら側に着く。どんな汚れ仕事だってこなして見せる自信がある。問題は、そんな選択肢すら自分達には無かったことだ。徹底的に経済が潰されたせいで、仕事も家も家族すら失った自分達には“これ”しか道が無かったことが問題なのだ。

 

「……から、うるせぇって――――なんだ?」

 

 日本時間、午後十二時を回った時だった。側にいた二人の会話を引き裂いて、唐突にスピーカーから警報が鳴り響いた。それが意味する事は、ただ一つだけしか慶一郎は知らない。

 

 とうとう敵が来たのだ。世界を、国を、俺達をこんな風にした敵が、目の前にいる。慶一郎は知らずに喉を鳴らした。動けずにいる三人を叱咤するように、スピーカーからは警報と共に上司の声が出て来る。

 

(敵の反応を複数捕捉。対象は現在19km先からこちらに向かって接近中。各員、戦闘用意!)

 

「へっ、とうとうお出ましってかぁ。忙しくなるな」

「ちっくしょー! 出て来なくていいっつーの!」

 

 “大将”と“ホスト”は硬直から回復すると、二人は慶一郎から離れて消えていった。それぞれの持ち場に戻っていったのだろう。慶一郎は一人だけその場に残っていた。急いでも仕方がない、どうせ……そう考えて、慶一郎はその場で蹲った。

 

(攻撃、始め!)

(了解。打ち方始め! 良いか、相手は米軍すら退けた化け物だ。ありったけの弾を叩き込んでやれ)

 

 船内放送が慶一郎の耳に飛び込んでくる。音量を大きくしているのか慌ただしい船の外でも、艦長たちの声は問題なく聞こえる。錯綜する声の中に、恐怖の対象である上司のがなり声を聞き取った慶一郎は、あらためて視線を戦場の海へと向けた。

 

 つい先ほど、ミサイルが飛んで行くのを見た。人類が開発した最先端兵器。科学の発展が可能とさせた、高威力のミサイル兵器だった。この船に向かってくる敵に撃ったのだろう。軍隊すら相手取る上に、それらを退けたというのだから、容赦なんてしないだろう。気を抜けばやられる事は、皆もとっくに気付いているはずだ。

 

 乾いた笑い声が出てくる。何が可笑しくて笑うのか、それは笑った本人にすら分からない。思い当たる事があるとすれば、これより()を知っているからかもしれない――――。

 

「おーい、なにしてんだよ“坊ちゃん”?」

 

 腕に巻いた安物の時計を見る。時間は設定の十秒前、十二時五十九分五十秒だった。呼びかけられる声も、慶一郎の耳には届く事はない。その様子を不審に思ったのか、声をかけた男が近付き、肩に手を置いた。丁度そのとき、チープな電子音が確かに鳴った。

 

 午後十三時ゼロ分ゼロ秒。

 

 突然、脈絡も無く体を持ち上げられ、視界にノイズが走った刹那、熱が皮膚を焼いた。同時に船は爆発し、火柱を上げて破裂した。

 戦う船としての機能美を(かたど)っていた船体が無残に割れ、内側を覗かせ、鉄が悲鳴を上げながら沈んでいく。この船から爆発の奔流は、他の船を次々と爆破させていき、その全てを瓦解させた。炎と煙を裂け目から吐き出し、灼熱地獄の様相を表しながら、冷たい水底へと沈んでゆく――――。

 

 酷く無様で、何も感じない終わり方だった。船の工作は既に済んでいて、後は爆弾を指定の場所に設置すれば簡単に沈む。事前に聞いた通りの光景になったものの、勇壮な鋼鉄の兵器群が沈んだにしては、あまりに呆気なさすぎる終わり方だと慶一郎は思った。それとも、俺たちのような使えない人間は、こういう終わりが似合っているのだろうか。何も残せない、畜生のような死に方が相応しいのだろうか……。

 

 慶一郎は政府に雇われた。しかし、それは()()()()に雇われたのではない。勇ましく戦って、人類に希望を残すために雇われたのではない。日本史上類を見ない、最悪のテロを実行するために雇われたのだ。

 

 光も飲み込む暗い底へ沈みながら、光に揺れる水面を凝視する。無音の世界だった。刺すような冷たさも、感覚が麻痺してきた今は、心地よく感じれて、まるで溶けていくような感覚があった。不意に首を傾けてみれば、視線の先にいたのは人間の姿をした肉塊やゴミの数々。その中に、見知った顔を見つけた。“大将”、“ホスト”、肩に手を置いてきた男……それらが、慶一郎と同じように沈んでいた。誰もピクリとも動かない。おそらく、もう死んでいる。そんな事を考え、俺も同じなんだと気付いたのは一瞬だった。その瞬間には、家族の事や友人の顔、一番楽しいと思えた学校生活の日々が頭を(よぎ)って、さっき死んだ人間たちの事は忘れた。自分が殺したのだという事実から逃げたくなったせいでもあった。

 

 慶一郎を雇った人間の言葉が、どうしてかその時になって思い出した。彼は言っていた、「これは人類の為なのだと」。決戦主義者たちを排除し、新しい兵器による秩序を築く第一歩なのだ……。その言葉が真実なのかどうか、慶一郎には分からない。必要なのは金で、やることさえすれば、両親のもとに食うには困らない程度の援助をするという事さえ守ってくれれば。

 

 ただ、もし。彼が言った言葉が本当ならば。どうか、化け物どもを倒して欲しい――――。

 声の無い祈りを海に捧げて、慶一郎が目蓋を閉じた時だった。朦朧とした意識の中、目蓋を閉じるその瞬間、ありえない光景を見て、ふっと小さく笑った。

 

 そう、まさか人が海の上に立つなんて、そんなことが――――。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 雨が降っていた。

 窓に当たる音色が心を落ち着かせる一方、けたたましい船内警報が気持ちをかき乱してゆくのを感じて、少女は部屋の壁に設けられた舷窓に寄り掛かる。

 特殊な強化が施されたプラスチックの一枚先の向こうは、曇天のせいで灰色になった海だ。空は厚い雲に隠されて視野にも入らず、落ちてくる雨と波だけが世界を彩っていた。どれだけ進んでも、眼の前の景色は(いささ)かも顔を変えない。まるで同じ動画を繰り返し見ているかのようだった。

 

 船に乗る前、海を一回も見たことがないから、先達の女性に聞いたことがあった。彼女は面白そうに顔を綻ばせて、自慢するように答えてくれたものだ。

 穏やかだったり激しくだったり、時には何も無かったりするけどね、つねに表情を変えて、まるで人のようなものよ……。

 それが本当なのかどうか、少女には未だ分からない。海というものに()()()()を感じても、初めて見た海が、今も見ている海だから、こんなものなのかなと思うことしか出来ない。もしかしたら彼女は海に出て長いから、一見して全く変化が無い海を見ても、ほんの僅かな表情の違いを見極めれるのかもと思った。もしそうなのであれば、海を見るのも初めてな小娘に分かる筈もない。しかし、じきに誰もがそうなるのだ。艦娘と呼ばれる自立駆動兵器――自分という存在が背負う過去と未来を直視し、動けなくなるまで戦い続けて。

 

 少女の名は、五月雨。人間のために尽し、人間のために戦う、そのためだけに意志を持たされた兵器、艦娘。自分がその一つであるということだけは教えられていた。

 

『敵発見、戦闘用意いそげ。艦娘も出撃させろ!』

『クソッたれ、陸路で行ってりゃ安全だってのに』

『敵の数は?』

『三体を目視で確認。駆逐イ級が二、軽巡ホ級が一です』

『潜水型がいるかもしれん。警戒を怠るな』

 

 無線で行われた会話はオープンになって船内に届く。実戦経験を持つ船の乗務員たちの会話は冷静だった。騒がしいのは、忙しく駆け回る足音だけだ。今頃は全員が持ち場について状況の分析と対処を行っているに違いない。共に乗り込んだ精鋭の艦娘が、出撃の準備をしている場面を思い浮かべて、自分も何か手伝える事はないだろうか? と、ふと思い立った。戦闘が始まるなら、出撃する艦娘の数は多いに越したことは無い。どのみち鎮守府へ配属されれば、すぐに前線で戦うことになるだろう。ここで戦闘に参加してみれば、なにか得るものがあるかもしれない……。

 

 そこまで考えて、五月雨は視線を僅かに下げた。ここで戦闘に出るのは無理だと思ったからだ。今の自分は“荷物”に等しく、たとえ船長に提案したとしても却下されるだろう。なにより、一回も実戦を経験していない艦娘を出したところで、先輩の足手まといになるのは分かり切ったことだった。無理やり出たとしても、沈んでしまえば怒られるのは自分ではなく、自分を運んでいたこの船の乗務員たちなのだ。役にすら立てず死ぬような羽目になれば、それこそ犬死というものではないか。

 

 戦うために生み出されたのに、戦わせてもらえない。だが、我慢をすることも大切なはずだ。鎮守府へ配属されて、提督の下につき、襲い掛かる敵と戦う。そしてその結果、より多くの人々を助けることが出来るのだと、そう教わった。

 なら待とう。自分を、五月雨という艦娘を、受け止めてくれる人が現れる、その時まで……。

 

『“扶桑”、用意が整いました』

『よし、目標は敵“深海棲艦”。すべて沈めろ。仲間を呼ばれては堪らんからな』

 

 船長の声に、『はい』と返した女の声色が涼感を誘う。扶桑という、自分より年上の、大和撫子をそのまま表したような艦娘の姿が船を横切り、五月雨はもう一度だけ視線を海へ向けた。灰色の海を滑るように進んでいく姿が見え、彼女が背負う艤装から試製四十一cm三連装砲が重厚な砲撃音を周囲に轟かせた瞬間、反射的に閉じた目蓋が視界を防いだ。

 窓から顔を離して、長椅子に体を預けた。速度を上げて揺れが激しくなった船の中、耳に飛び込んでくる無線の会話に無理やり意識を集中させる。どうしてそうしたか、五月雨にも分からない。頭の中はどうしようもなく冴えているはずなのに、“知りもしない声”が頭の中に()()()()()()()、体はかすかに震えていた。どうして、と疑問に思いながら、両腕で体をぎゅっと抱き締めた。

 

 寒い。まるで体の芯が氷のように冷え切っているようだった。艦娘が長く海の上に居ても体調を崩さないようにと体内に備え付けられた、体温自動調整機能ではとうてい温める事は出来ない、心を冷たくする寒さ。生物なら生まれた時から必ず持っている感情(それ)は、しかし造られてすぐ、兵器には不要と切って捨てられた感情だった。脳以外の全身が強烈なフィードバックを起こしたかのような、そんな感覚。捨てられたために理解できないその感覚に声も出せず、五月雨は目を閉じて寒さと声から逃れようとした。

 

 

 

 

 

 灰色の海に一つだけ浮かぶ貨物船。長さ約二百七十m、幅三十二mの大きさを誇る、一般的にはパナマックスと呼ばれる大型船。『パナマ運河を通航できる』ギリギリの大きさとなるこの船は、貨物船と銘打っておきながら、運ぶものは一般人が思い浮かべるようなものではない。この船の主な任務は、艦娘と呼ばれる人型兵器を運搬するという、特殊なものだ。今回の任務では、前回の輸送で運べなかった艦娘を一体、強力な敵が出現しない海域を通って送るだけの、比較的簡単な仕事だった。とはいえ昨今の海は、不用心に通れば必ず敵と出会う。今から二十年前に現れた正体不明の怪物“深海棲艦”が、今の状況のように、待ってましたと牙を剥いてくる。安全といわれる本土近海も、その例に漏れることは無い。

 

 船体の後部ハッチが開き、外から船内の、大きな空洞となった部分が見える。本来ならコンテナや車といった巨大な貨物が搭載されるべきその場所には、女性が一人立っていた。

 

 肩の肌を覗かせ、緋袴を短くした巫女装束のような着物を(まと)った、妙齢の女性。身長は百七十cmくらいだろうか。濡れた羽根のように輝く、腰まで届く長髪を潮風に踊らせている。だが、その背に匹敵する大きさの鋼鉄の塊を一つ背負い、そこから伸びる長い筒を翼のごとく開いて、女性が一人で佇む姿は、普通と呼ぶには異形である。女性が背負う鋼鉄の塊が、他の形容の全てを塗りつぶしてしまっている。これが扶桑と呼ばれた女性その人の、艦娘としての全貌だった。

 

「目標は駆逐級と軽巡級ですね。 ……すぐに追い払えると思います」

 

 船の壁面にはめ込まれたモニターに複数表示された画面の一つ、敵の情報が記録されたそれを目の端で捉えて、扶桑は僅かに考えたあとで告げた。『当然だろう』と船長が無線ごしに応える。

 

『本来なら艦隊規模で護衛してもらう必要があるのに、お偉いさんが経費をケチってお前しか寄越さなくてもウチが文句を言わんかったのは、この海域がお前だけでも問題ないという、上からのお墨付きがあったからだ』

「はい」

 

 それ以上、扶桑と船長の間に交わされる言葉はなく、ブリッジから送られてくる無言の圧力に扶桑は目を閉じた。その様子がブリッジでもモニターされ、無駄な余裕でも持っていると思われたのか、『はやくいけ』という乗務員の声が上がり、微かに集音マイクが拾った舌打ちと『欠陥戦艦が……』という声が後に続いた。

 

 その呟きに、扶桑はなんら感情を動かさなかった。建造されてから、そういった悪意ある言葉を聞かない日の方が少なかったから、かもしれない。それらの声を無視し、閉じた目を開いて、先にある海を凝視した。そう、いま彼女に求められているのは、陰口に対して感情を制御することではない。人を害する敵を排除する、そのために自分がいると再確認して、目の前の海へ向かった。

 

「戦艦扶桑、出撃いたします」

 

 突き出した両足が海水を踏み、扶桑が海へすべり出た。両足ですべり出る、という言い方は、海という環境ではふさわしくないかもしれないが、事実として、艤装を装着して海に躍り出る艦娘の感覚はそのようなものだ。つねに波のせいで不安定な足場を、靴のように履いて装着する艤装、単胴靴(モノハル・シューズ)に姿勢制御をまかせて、船の右舷を抜けると一気に加速し、胴体から肩にかけてまで見える巨大な艤装、船楼甲板(エレクションデッキ)に装備された試製四十一cm三連装砲を敵に向けて放つ。砲塔から撃ちだされた砲弾は、目に見えない速度を持ったまま放物線をえがき、敵の近くに着弾した。

 

 波以外の障害物がない、開けた視界のさき、水平線まで見える今の場所から、巨大な水柱が扶桑の視界に入る。すぐ傍らには、扶桑が先ほどまで乗る船に向かっていた敵の姿があった。至近弾。ダメージは与えられず、せいぜいが足場を崩すぐらいの効果しかないが、扶桑は悔しがるそぶりも見せない。

 

 敵の全体像が目視できる距離まで近づいて、それらが報告にあった数と艦種であることを確認する。それなりの距離であるため、そうハッキリとは見えないが、あの“深海棲艦”特有の、非人間的な姿は明瞭に読み取れる。駆逐イ級と軽巡ホ級だ。三体のうち、辺りを見回していたホ級が、近付いてきた扶桑の姿に気がつくと、真っ先に攻撃を仕掛けてくる。

 

 無闇やたらに砲門を扶桑へと向け、殺意をこめた攻撃を仕掛ける三つの敵。数の力で沈めようとするつもりでいる敵の思考を感じ取った扶桑は、まず標的が船からはずれたことに安堵した。駆逐イ級と軽巡ホ級を相手取るのは問題ないが、まともな装備を有してない貨物船に一体でも追いついてしまえば、多少の被害が出てもおかしくない。状況の有利をはじき出した後は、ただ目の前の状況に対処する頭のみを働かせて、扶桑は全砲門を敵へ向けた。十門にわたる四十一cm砲が一斉に火薬の炎を吹き出し、装填された砲弾を撃ちだすや、それは音速となって目視出来なくなるレベルにまで到達する。体を持っていかれそうな衝撃を全身で受け止め、衝撃波でえぐられた海面に足を取られないよう耐えながら、扶桑は着弾点を凝視した。

 

 全艦娘の中でも高い威力を持った砲弾が、降っている雨に紛れて落ちていき、弾の一つが駆逐イ級の頭に突き刺さる。艦娘が装備する、背丈くらいの大きさしかない艤装は、艦の装備というには小さすぎる見た目なため誤解されがちだが、その威力は人間がかつて戦争で使用したものとたいして変わらない。一度に放てる弾数は多くはないが、かつてミサイル兵器すらしのいだ深海棲艦の外殻を貫く程度の威力はあった。一体はそのまま海の底へ沈んでいき、残りの二体のうち駆逐イ級は大破、軽巡ホ級も小破となる。もはやなりふり構わずといった攻撃が扶桑へ向かって飛んでいくが、凍てつくほど冷静な脳は、視界から送られてくる情報を瞬時に解析し、着弾点を予測し、反射的に体を突き動かす。考えるという行為すら放棄し、体のおもむくままに動けば、どんな攻撃も扶桑に当たることは無い。全ての砲台に弾丸が再装填され終わると、もう一度だけ全砲門を解放する。深海棲艦も回避機動をとろうと動いたようだが、一瞬の差が全てを決めた。

 

(オノレ、人間メ……!)

 

 直撃、轟沈。海に咲いた二つの火炎の光輪が網膜を通して、戦闘が終わったことを扶桑に告げた。同時に聞こえたナニかの声は、戦闘による高揚が聞こえさせた幻聴によるものか、それとも(ここ)にいた扶桑以外の誰かの声なのか。どちらにせよ、扶桑には分からなかった。扶桑の砲弾で体を貫かれ、衝撃波でバラバラになった深海棲艦は、そのまま海に沈んでいった。もがくこともしなかった深海棲艦の最後を見届けた扶桑は、僅かに目を閉じた後、無言のまま反転して遠ざかっていった。

 

 後は船に一刻も早く帰投し、次の襲撃に備えて艤装の船楼甲板や単胴靴の整備と補給を行う。そうした後は、休憩を挿みながら、次の襲撃が無い事を祈っておく。そうすれば無事に目的の場所へ着くことが出来、それだけ提督の下へ早く戻れる。他の事はなるべく考えたくないし、大勢の目がある様な場所に居たくない。恐れられ、蔑まれる目で見られるのが分かっているなら尚更。それが艦娘として生まれた運命であるとしても、そういった感情を向けられるのが、素直に嫌だと思えるのが、この扶桑だった。

 

 戦闘中に感じる、他者の思惟が頭に飛び込んでくる不快感。自分の精神が塗り潰されていく様な感覚は、気分を悪くするには十分だった。船の乗務員と話している時に感じる恐怖を受け取った時。深海棲艦を砲弾で貫いた時。末期の断末魔が体の中に飛び込んで来た時。何もかもが体中を蝕んでいく感覚に囚われかけた扶桑は、ふと左手を眼前まで持ち上げた。その手首には、金碧珠(きんぺきしゅ)に彩られた腕輪が嵌められている。扶桑にとって、妹と同じくらいかけがえのない、大切な人からの贈り物……。船に帰投している少しの間、腕輪を眺めたり、指先でなぞったりする。そうすると、体の中にある不快感が無くなっていき、扶桑の体の奥、芯を暖めてくれるような気がする。もちろん、それらは何の根拠もないまじない(・・・・)のようなものだが、扶桑にしか分からないからこそ、こうして縋ってしまうのだ。

 

 だが、それに(かま)けてばかりもいられない。今立っている海は、人の存在を許さない深海棲艦が(ひしめ)く魔境の空間であり、戦地なのだ。扶桑は腕輪から視線を外し、護衛対象である貨物船を見やる。目的地は、まだ遠い――――頭の中をもう一度切り替えて、開かれた後部ハッチから貨物船に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

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