海の触角 人の心   作:ポピュラー

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第四話

 

 

 

 空を切った手を下し、ぎゅっと握りしめる。別れ際に五月雨の口から放たれた言葉。それが体中を切り裂き、えも言えぬ痛みを全身に伝えさせるのを感じながら、憲太郎は茫然と立ち尽くしていた。

 

「なんだよ、それ……」

 

 少しの沈黙の後、口の中にあった苦い物と一緒に吐き出した。それでも胸の中に生まれた重苦しい何かは消える事なく残り続け、追いかけようとする足を地面に縛り付けている。

 

 耳の奥にまで届いた声が、今も轟く爆音を跳ね返して、憲太郎を束の間世界から切り離す。最後に残された言葉は、漠然としていても、少女を守りたいと思う少年の頭をがつんと殴った。何をしているんだ、俺は。助けられるばかりで何もせず、小さくなっていく背中を追う事も出来ずに、ただうつむいて己の無力を嘆いて過ごしている。また、この感覚だ。どろりとした何かが一方的に圧し掛かり、体の自由と意思を奪おうとしている。いや、役立たずの俺が自由に動けたり決意を固めたところで何が出来るというのか。何も上手くこなせず、守ってもらうばかりの十五歳の小僧が、彼女を引き留めるなんて出来るはずがない。「やっぱり、俺は……」と我知らず憲太郎が呟いた時、「何してんのさ! 早く追いなよ!」と割り込んできたティンクの声にハッとなって肩口を見た。

 

「あの子、艦娘なんだ。深海棲艦との戦いに行ったんだ。早くしないと……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! ワケ分かんねぇよ、艦娘とか、この状況とかさ! クソッ、何なんだよ、早くしないとどうなるって言うんだよ!」

「殺されるよ、あの子」

 

 心臓が一瞬飛び跳ね、憲太郎の頭は数瞬空白に埋まった。ティンクの小さな目は、ふざけているのでもなければ、ただの予測で物事を言っているのでもない。このままだと彼女――五月雨はそうなるのだ、と確信を持って言っているのであり、憲太郎はいやに冷静になった頭の隅でその言葉に同意した。なぜハッキリとティンクの言葉に同意できたのかが不思議だったが、そんな事よりどうすれば五月雨の助けになれるかに思考が向いて、浮かんだ疑問はすぐに消えた。

 

 助けたい、でもどうやって? 方法が分からないもどかしさが胸の奥にまで伝播し、更に何かが重く圧し掛かろうとしたとき、憲太郎の体をふっと微風が撫で、その中に親しんだ海の香りが混じっているのを感じ取った。

 

「これは……」

 

 焼け焦げた臭いが入り混じる風に、すっと体を包み込む微かな海の香り。それを取り込むように大きく息を吸い込み、肺の中を満たした瞬間、先ほどまでの焦りはどこかへと消え、憲太郎は少し前の自分を取り戻していた。青くて大きな瞳、小さくて柔らかかった手の平、守りたいと思った感情。それらを持つ前に自問自答する姿を思い出して、憲太郎は苦笑した。

 

「そうだよな。こんな俺がいくら考えたって、何か思いつくわけじゃないなら……」

 

 全身に感じていた重みが、その瞬間には初めから無かったかのように軽くなり、今までの無様を消し飛ばすように駆けだした。無力に悩んでいた少年の姿は、もうそこにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 鎮守府近海が最も激戦地だということは、近付くだけで実感できることだった。

 

 輸送船で送られてくる荷の積載や運搬だけでなく、艦娘が出撃する軍港としての役割を備えた巨大な港は、五月雨がこの鎮守府で初めて立った場所であったが、その面影はとうになかった。抉れた地面や海上から黒煙が揺らめき立ち、複数からなる砲撃音が、そこで戦っている者たちの激した思惟を浮かび上がらせる。目の前の空気や、空を覆う雲も黒煙で黒く染まり、遠目にも港周辺が悲惨な状況になっているのが想像できた。

 

 手汗で湿った拳を、ぎゅっと握りしめる。

 港の一部、艦娘が海に出るためのゲートには、二十数人ほどの艦娘たちや人間、妖精が忙しなく動き回っていた。個々の差はあれど、服が焼けこげたり船楼甲板(エレクションデッキ)単胴靴(モノハル・シューズ)が破損しているのを視認して、目の前の艦娘たちが補給や簡易修復のために戻ってきているのだと分かった。壊れた装備を脱ぎ捨て、新しい装備に換装する艦娘たちの瞳は熱を帯びてギラリと輝いている。その熱気と圧に押し込まれ、五月雨の体は硬直した。

 

 すっと息を吸い込み、五月雨は溢れそうになる緊張を飲み込んだ。それでも大変なのに、これから彼女たちに混じって、戦場となった海に行かなければならないのだ。足が竦む、でも、それでもと覚悟を決め、声を掛けようと息を吸い込んだ五月雨は、「艦隊に新しいメンバーが加わったようね」と発した鋭い声に貫かれて動きを止めた。

 

 五月雨から見て右手に、こちらを睨むように見る艦娘の姿があった。気の強そうな目に、これもまた気の強そうなオレンジ色の瞳が埋め込まれた少女だった。たしか、吹雪型の叢雲という名前の艦娘。何事においても自信家である彼女()を、施設で何人も見た事がある五月雨だったが、目の前に立つ叢雲は、今まで会った彼女らよりも芯が強いように見えた。

 

「アンタは、たしか五月雨って艦娘よね。ウチの所にはいないし……どこの所属? 禰寝(ねじめ)提督、それとも小笠原さんの?」

「い、いえ。私は本日付で施設から横須賀鎮守府に配属になりました――」

 

 そこで五月雨が言葉を切ったのは、唖然とする叢雲を見つめたからだった。五月雨がそれに気づいて言葉を切った瞬間には、「呆れた……アンタ、実戦経験もないのにここに来たの?」と呆れを含んだ言葉が、ため息とともに投げかけられていた。

「艤装も持ってないし……」と言いつつ、五月雨を見る叢雲の視線が、見定められるようにジロリと音を立てて向けられるのを見て、泣きたい衝動に駆られた。

 

「……まぁ、いいわ。私たちの所も大破して入渠する子も出てきてる。第三艦隊旗艦の現場判断で、臨時編成に加わって貰うわ」

 

 掛けられた言葉と共に襲い掛かってきた不安を押し殺すように、敬礼する手に微かな力が籠められる。生きて帰ってこれると思っている訳ではない。ただ、近くのシェルターに避難しているはずの、あの少年を思い出したら、迷いがあっさりとなくなったのは確かだった。

 

 

 

 

 

「もう一度確認するわ。私たちの任務はここ一帯の海岸線と港の防衛。それと海岸線付近に展開した味方空母艦隊の護衛よ。近付いてくる敵を片っ端からなぎ倒しなさい」

 

 第三艦隊旗艦の叢雲が言うと、とりあえずあの自信に満ち溢れている姿勢に勇気づけられるのはなぜだろうと五月雨は思う。年頃はあまり変わらなそうな少女然とした彼女が、その見た目には似つかわしくないカリスマを発するのを感じ取ったからだろうか。とにかく彼女はこういう修羅場にも落ち着き払っており、堂々と皆の前に立つと、背筋がピンと真っ直ぐになるような雰囲気を醸し出して、自然と周囲を静かにしてしまうのだ。

 

 軍港の一部である艦娘出撃用のゲート前には、艤装の換装を終わらせた艦娘たちが並んでいて、叢雲が発する言葉を聞き漏らさまいと耳を澄ましている。金剛、妙高、子日などを筆頭に、様々な艦種の艦娘が約二十人。艦隊ごとに列を作って、ずらりと並んでいる。どの顔も、戦闘を目前にした興奮を滾らせて、叢雲をじっと見つめていた。

 

 ここに集まった艦娘たちの役割を叢雲が簡潔に述べ始める。現在の戦況と戦場の推移と経緯が伝えられ、戦線が不利からほぼ互角の状態に持ち直したこともすでに説明がなされた。後は出撃の号令を掛けるだけで、改めて任務内容を確認した叢雲が、不敵な笑みを浮かべたところだった。「五月雨」と突然声を掛けられて、緊張で固まっていた五月雨は一拍遅れて「はい!」と上ずった声を挙げていた。

 

「そう固くならなくていいわ。何かあれば私や皆が助けてあげるから、気楽にしてても大丈夫よ。……まっ、初めてならしょうがないけれどね」

 

 それは五月雨を気遣うだけではなく、周囲にいた艦娘をくすりと笑わせて、張りつめ過ぎていた緊張を良い具合に(ほぐ)していた。今の姿の五月雨を、かつての自分に重ねて見ているのだろう。懐かしむような笑みと視線が一気に向けられるのを感じ取った五月雨は、羞恥で顔を赤らめながら、「は、はい! よろしくお願いします!」と大声で応えた。

 

「もっとも、強い敵は前線に出た艦隊が優先的に潰している。私たちの所に強い奴はそんなに来ないわ。気をつけなきゃダメなのは、敵の艦載機と魚雷ぐらいね」

「Exactly! もし強い敵が出てきても、その時は私たちの出番ネ!」

「だから~、子日たちにドーンっと頼っても良いんだよぉ? ね、みんな!」

 

 金剛たちはそう言うと、五月雨の肩や背中をポンと叩いた。それを皮切りに、周囲の艦娘たちも優しげに言葉を投げかけたりし始め、五月雨の中にあった足を引っ張ることへの遠慮や、経験の無さからくる負い目を打ち消した。実戦の前に、足並みを出来る限り揃えさせたいというところか。おそらく叢雲は、一目見ただけで五月雨の内心を正確に読み取ったのだろう。凄い人だと思う一方、遠慮なく胸を借りれる先輩たちに出会えた事に、五月雨は素直に運が良いと思った。同時に、そんな気配りが一見して簡単に出来るぐらい経験を積んでいると確信し、そんなベテランたちがようやく互角に持って行けたという戦場が想像出来ず、微かに体の中が冷たくもなった。

 

 ほどなくして五月雨は叢雲が旗艦を務める第三艦隊と共に海に出た。

 

「金剛と妙高はこのまま目的の海域まで突っ走って! 残りは私について港周辺に群がる深海棲艦を潰して回る。電探の確認怠るんじゃないわよ、奇襲されるなんて不細工な真似を晒したく無ければね!」

 

 叱咤された艦娘たちが各々の役割を果たそうと動き始めた時、五月雨は初めて単胴靴から感じる波の振動に、初体験の感動と昔からの懐かしさ、という相反する感情を覚えていた。これが、海。艦艇としてではなく、人の身体を持った艦娘が見る海なのか。海の上を足で滑る感覚に最初は違和感を感じていたが、少し滑ると体が感触を掴んだのか、ぎこちなさが消え、すぐさま施設のプールで訓練した動きを思い出しながら、叢雲の艦隊に加わった。叢雲を先頭に、単縦陣形で海を滑る艦娘たち。船体であった事が当たり前の時代と違い、人間の女性や少女の姿をしているが、これは確かに艦隊であると理屈を超えて自覚する。なるほど……と納得していた時、「対水上電探、敵艦隊発見! 十時の方向、距離千!」と叫ぶ声が聞こえて、五月雨は顔を強張らせた。

 

「近いのに反応が小さい。余程気配を隠すのが上手い敵か、雑魚のどちらか。……まぁ、どっちだろうと沈めてやるけどね!」

 

 手段を問うまでもなかった。簡単な指示だけを出すと、艦娘たちは始めからそうすると分かっていたかのような流麗な動きで砲門を深海棲艦の艦隊がいる方向へ向けて、静かに標準を合わせる。存在を捉えて数秒あまり、「ってぇ!」と怒鳴る叢雲を引き金に、向けた砲門が一斉に火を噴きだした。その中から飛び出した砲弾は、音を置き去りにして深海棲艦たちに押し迫ると、命中弾となって非人間的な体の中で炸裂し、爆煙を立ち上らせた。

 

「――――ッ!?」

 

 それなりに近い距離で起こった爆発は、空気や海に衝撃波を伝わらせて、五月雨たちの所にまで届かせた。そんなに強烈なものではない、微振動した空気が肌をざわつかせ、鼓膜を震わせる――。

 

 十数人いる第三艦隊の中で、五月雨だけが断末魔の叫びを聞いた。呂律の回らぬ人間が発するような支離滅裂な言葉の羅列――どんな意味が込められているのか理解できない叫びが飛び込んできたあと、海の中にいるような鋭い悪寒が全身を駆け抜け、全身を震わせていく。手にした十二・七cm連装砲を見やり、自分があの悲鳴を起こさせたのだと自覚した途端、またあの感覚――芯から冷たくなっていくような感覚に襲われそうになりながら、何を気弱になってるの、と五月雨は己を叱責した。艦娘の役割を忘れてはいけない。司令官たる提督、人間を守るのが艦娘の本懐であり、その直線上で起こる深海棲艦との戦いは当然の義務でしかない。

 

 海岸線に襲い掛かる深海棲艦を次々と沈め、嬉々と手を叩き合う仲間の姿が見えた。五月雨も、今は余計なことを考える時じゃない、と飛び込んでくる声を無視して海を走った。それは突きつけられた問題から逃げているような感じに思えたが、理屈で説明できない事を戦場で考える暇があるものか。後ろ髪を引かれても振り切り、難しいことは後で考えればいいと自分を納得させるよう努めて、五月雨は正面を向いた。倒せば、倒してしまえば良いはずだ。それは守ることと同義なはずだ。一瞬、鎮守府で別れた名も知らぬ少年の顔が悲しげに歪んでいるのが浮かんだが、逃げるように海を蹴って走る。

 

 すっと海の上を滑り出し、単胴靴に押し出された体が前進する。深海棲艦の艦隊と向かい合う形を取った五月雨は、近距離まで最大戦速で接近しつつ、射程内に入った途端に面舵に切った。直線状に向かい合っていた形が崩れ、急に方向を変えた五月雨に驚いた深海棲艦は追いかけようと進路を変える。直後、何かを悟ったらしい深海棲艦が五月雨の意図に気付くと、進行方向を無理やり変えようとしたが、その前に五月雨が向ける砲塔がその姿を捕捉していた。

 

 駆逐イ級に手足の様なのもが生えた進化型と思える、駆逐イ級後期型が動揺した気配を露わにした。それを確かめるや、進路方向と距離、相対速度を計算し、頭が弾き出した予測地点に向かって砲を構える。五月雨は、一瞬だけ目を閉じた後、引金を掛ける指に神経を集中させた。身の危険を知覚し、緊急回避をしようとするイ級の動きも、その瞬間を手に取るように窺知(きち)できた。

 

「そこっ!」

 

 呟いて、引金を引く。十二・七cm連装砲から放たれた砲弾がイ級の胴体に抉り込み、一拍の空白を置いて火薬が炸裂する。体内で爆発を起こされ、煙を上げて沈んでいくイ級を見て、五月雨は張り詰めていた空気を抜くように息を吐き出した。

 

 一撃で撃沈。ここに辿り着く前にダメージを負っていたのか、当たり所が良かったのか。また少しだけ重たくなった体で呆然としていると、「中々筋は良いじゃない」と見ていた叢雲の声が弾け、五月雨は咄嗟に振り返った。

 

「初めての実戦でそこまで出来るなら、及第点をあげても良いかも」

 

 背後の海から、興奮と空気の熱で上気した顔をした叢雲が、五月雨に近づいてくる姿だった。

 

「アンタなら大丈夫だと思うけど……時折魚雷を撃ってくる奴もいるから、気は抜かないようにね」

 

 叢雲の言いようは、五月雨の動きが何ら問題がないこと、彼女の目から見ても満足のいくものであるということを教えていた。自分には想像のつかない速度で、この状況に()()()()()()()。得体の知れない危機感が膨れ上がるのを感じ、このままでは大切な何かを失ってしまうような予感を感じ取った五月雨は、「このままで、大丈夫なんでしょうか?」と言って叢雲に問うた。

 

「ん? まあ、多少の荒はしょうがないにしても、それだけ出来ればそれなりの戦場でも生き残れると思うわ」

 

 違う、聞きたいことはそれじゃないのに。言葉が足らず、叢雲がそれを汲み取ることが出来ないのも当然だったが、自分でも説明できない苛立ちに駆られ、「違うんです。なんていうか……」とあやふやな感覚を形にしようとしたとき、奇妙な圧力に海が凝ったのを知覚した。

 

「なに、これ……?」

 

 思わず呻いた五月雨の姿を訝しんだ叢雲も、一拍遅れてこの圧力に気付いたようだった。その二人の仕草に応じるがごとく、レーダーの接近警報が騒がしく鳴り響く。周囲を警戒していた艦娘たちも、何かに怯えるように周りに集まり、陣形を組んでいた。

 

「叢雲ちゃん、これって……」

「ええ、間違いないわ」

 

 警告音の質が、何かを感知したのか変更され、より騒がしいものになる。

 五月雨は、遠く、灰色の水平線から上ってくる“鬼”の姿を視界に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 その存在は、確かに他の深海棲艦と一線を画す姿だった。艦娘と同じように人間に近い姿と、足に装着された、長靴の形をした鎧を思わせる装甲を持つ単胴靴。輝くばかりの白髪のロングヘアーを流し、妖艶に微笑みながら海を走る姿は扇情的ですらある。だが服から露出した顔や肩、太ももから覗く深海棲艦特有の白い肌と美貌、その(かんばせ)に乗った赤く輝く二つの眼が、視認した人間たちに恐怖以外の感情を浮かばせない。

 

 沖に出て戦っていた艦娘たちの中から、大きくダメージを受けている艦娘を瞬時に選び出し、こちらに標準を合わせる前に撃ち抜く。同時に最大戦速で回り込むように移動しつつ、ほぼ全弾を偏差射撃で命中させる。無論、艦娘は射線を合わせられないよう常に動いているから、ピタリと砲門を定めておくことは出来ない。艦娘の動きを予測し、水面の揺れ、地球の自転、重力の変動、風、気圧、現在の砲身摩耗度を一秒以下の感覚で再計算し続けつつ、なお全ての艦娘を轟沈させ最短距離で敵の基地に突入する海路を選び取る。最新型のデジタルコンピュータにすら匹敵する、あまりにもかけ離れた演算能力と運動性能であったが、この深海棲艦――空母棲鬼には、簡単なことだった。水面下で待機させていた、巨大化させ空母ユニットとして改造された駆逐ロ級の上に座り、沈んでいった艦娘だったものたちの上を通りながら、白い鬼が水面を軽やかに切った。

 

 その先に見えるのは、航空爆撃の奇襲を受けて黒煙を上げる大地と、迎え撃つ気概で陣形を組んだ艦娘たちが十数隻ほど。もはや敵らしい敵もなく、目標物らを見定めた空母棲鬼は、銀鈴のように笑った。強硬な黒い手甲に覆われた手で髪を掻き上げ、その感情を読み取った駆逐ロ級が一直線に突き進む。数的に不利にある筈の空母棲鬼は、余裕の姿勢を崩さない。

 

「ナンドデモ…ナンドデモ……シズンデイケ……!」

 

 空母棲鬼の顔に鬼気が走った。

 己の一部である艦載機が、思惟に沿って軽やかに飛び立つ。灰色の海を走る駆逐ロ級の上で、空母棲鬼の唇が残忍と自信の嗤いに歪んだ。

 

 

 

 

 

「敵空母、艦載機射出! 来るわよ! 対空機銃持ちは艦載機に、主砲は全門一斉打方!」

 

 自分の声と共に、あらゆる砲塔が空母棲鬼と艦載機に向けられていく。単装砲を構え、これから戦うことになる相手の姿を真正面から見た叢雲は、その存在が放つ気配のおぞましさに口内で悲鳴を上げた。

 

「なんだってこんな奴がここにいるのよ……!?」

 

 こちらに向かって、虚空を縫って飛んでくる球体の艦載機――人間たちは軽蔑と恐怖の意を込めて“タコヤキ”と呼んだ――の数が三十を超えたところで数えるのを止めた。

 

 予想以上の速度で近付いてきた“タコヤキ”が、対空機銃の網目をすり抜けて攻撃してきたからだった。雷撃や爆撃が四方八方から襲い掛かり、たまに真横の海に落ちた爆弾が爆発して上がる水しぶきを頭から被る。比喩ではなく、まさに嵐の中にいるかのようだったが、この攻撃で脱落した艦娘はいなかった。苛烈な攻撃の中でも冷静に回避しながら、同時に一瞬の隙を見つけては反撃を繰り出してもいた。

 

 “タコヤキ”自体はそれまでの艦載機と比べるまでもなく強力だが、この仲間たちなら全て落とせる自信があるし、それだけ敵の攻撃手段は減っていく。このままいければ撃退することぐらいは出来ると思ったが、はたしてそう簡単に事を進めさせてくれるだろうか? 勝ったと思った途端に、落とし損ねた艦爆の攻撃が直撃して轟沈……いや、今はそんな気分の悪い事を考えてる時じゃない。ため息を飲み込み、五月雨式に爆弾や魚雷を落としてくる“タコヤキ”をまた一機落とした叢雲は、「うひゃあ、もう! きりがないよぉ!」と発した気の抜ける声に口元を綻ばせた。長く共に戦ってきた戦友、初春型駆逐艦の子日(ねのひ)だ。

 

「砲雷撃戦、はりきって――って言っても限度があるよー!?」

「ハッ! 少し腕が鈍ったんじゃない? これは後でお仕置きね、私が鍛え直してあげるわ!」

 

 情けない声にいつも通りのノリ(・・)で言葉を返す。たったそれだけの事だが、知らず気圧されていた心が落ち着いてゆく。「ひぇ~、叢雲ちゃんが怖いぃ……」と返ってきた子日の声を耳に捉えながら、ようやく調子を取り戻せた、と叢雲は決して言葉では表さない感謝を内心で呟いた。

 

「――さぁて、さっさとアイツを沈めましょうか!」

 

 叫んだ勢いで、太ももに装着されていた魚雷発射管のセーフティを解除した。駆逐艦が装備できる最大破壊力を解禁した叢雲が、五連装の発射管を空母棲鬼に向ける。火器管制装置の予測演算が瞬時に終わり、いつでも発射出来る状態を示すランプが点灯する。

 

「接敵するわ。加古、妙高、援護よろしく。子日は私に合わせて!」

 

 呼びかけに子日が何か文句を言っていたが、聞いてやる余裕はない。

 加古たちから放たれた火線が、空母棲鬼の周囲を断続的に瞬かせ続ける。その瞬間、対空機銃を撃ち続ける仲間たちを尻目に空母棲鬼を睨みつけた叢雲は、ありったけの力を足に込めて踏み込んだ。急加速のGと造波抵抗が全身を押さえつけ、体のバランスを崩そうとする。一瞬でも気を緩めてしまえば即座に転覆するだろうが、そこは度胸と経験でカバーするしかない。予想外の行動に空母棲鬼の眼が狼狽に揺れる。一直線に進みつつ、叢雲は吼えた。

 

「――逃がしはしない!」

 

 いくつもの魚雷の航跡が海を走り、空母棲鬼に向かっていく。叢雲たちの予想を超えた行動としぶとさに面食らい、しかしすぐに体勢の立て直しに掛かる。足元の駆逐ロ級が即座にその意を汲み、海を切って回避運動に入る。

 

「小賢シイッ!」

 

 舌打ちをした空母棲鬼は、届き始めた魚雷を回避し始める。かつての戦争でもその威力をもって恐れられた兵器の威力は、さすがの空母棲鬼といえども無視できるものではなかった。海戦において決定打にもなる攻撃力は、しかし事前に予測し、余裕を持って回避運動に入りさえすれば恐れる事は無い。眼に映る全ての航跡を見極め、目の前の叢雲が吐き出したすべての魚雷の回避を空母棲鬼は確信した。

 

 直後、聞き慣れた音が足元から届き、衝撃波と水飛沫が炸裂するまでは。

 

「ああ、その顔。何が起きたか分からないって顔ね。……アンタ、私たちを舐め過ぎよ」

 

 そう言い放つ叢雲の背後から、したり顔の子日が飛び出る。空母棲鬼には理解不能な出来事は、叢雲たちからすれば当然の結果だった。叢雲が魚雷(・・)を放てば、子日は海を走る航跡を見極め、相手をどのようにして回避させるかを予測して叢雲の背後から酸素魚雷(・・・・)を放つ。同じ日、同じ提督の元に配属されてから今日まで、欠かした事のない訓練や実戦を経て二人で磨き上げた、格上殺しの戦い方。駆逐艦という性能を活かし、起死回生の一撃を叩き込むことで、叢雲と子日は仲間たちを何度も勝利に導いてきたのだ。

 

「海の底に、消えろっ!」

 

 瞬間、至近距離にいる叢雲と子日、その更に背後にいる妙高達が、空気を振動させた。風を切る音すら置き去りにした弾丸が走り、断末魔のような爆発が叢雲たちの視界を塗りこめた。

 

 

 

 

 

 

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