何も予定を入れていない日、というのもひさしぶりだ。
2月16日、日曜日。休日ということで学校もなく、ランク戦も今日は休みである。しかし、龍神は比較的早い時間から本部を訪れ、作戦室の扉を叩いていた。
「はーい、どうぞ。あれ、如月くん?」
「失礼する。おはよう、三上。風間さんはいるか?」
まず最初に訪問したのは、A級3位、風間隊の作戦室。ひょっこりと小柄な体を覗かせたのは、オペレーターの三上歌歩だ。
綺麗というよりはかわいらしい顔立ちをこてん、と横に倒して。三上は龍神の質問に首を振った。
「おはよう。でも、ごめんなさい。風間さん、今日は午前中から会議があるみたいで、さっき出て行ったばかりなの。戻ってくるのは、多分午後になると思うな」
「そうか」
「迅さんと一緒に行くって言ってたけど、逆に何か聞いてなかった? 如月くん、迅さんと仲いいでしょう?」
「いや。それは聞いていなかったな」
言葉に詰まったのを悟られぬように、龍神は答えた。
少なくとも今は、迅とは会いたくなかったし、話せる気分でもない。
「そっか。でもせっかく来てくれたんだし、お茶だけでもどうかな?」
「ん。じゃあお言葉に甘えていただこうか」
「どうぞどうぞ」
作戦室の中に入ると「げえっ」という無遠慮な声が響いた。
「何しに来たの?」
ソファで猫のように寝そべっている、菊地原士郎である。
「もう菊地原くんったら。そういう言い方しないの」
「そうだぞ。俺が遊びに来たらまずいのか?」
「まずくはないけど、僕がやだ」
ひどい言われ様だが、菊地原に嫌われているのはいつものことなので、龍神は素知らぬ顔で来客用の椅子に座った。苦笑を添えながら、三上がコーヒーを出してくれる。
「そもそも、こんな朝早くから人のチームの作戦室に来るなんて、非常識でしょ」
「問題ない。風間隊のメンバーは、大体朝が早いことは把握している」
「そういう問題じゃないんだけど」
「おはようございます、お、如月先輩。めずらしいですね。こんな時間から」
「ほらみろ。歌川も来た」
龍神は自分の見立てが正しかったことを証明するように胸を張ったが、菊地原のげんなりとした表情がより一層濃くなるだけだった。
「風間さん目当てですか?」
「ああ。この時間から来れば会えるだろうと踏んでいたんだが、見ての通り入れ違いになってしまってな」
「それは残念でしたね。まあ、ゆっくりしていってください」
「はやく帰りなよ」
「こらこら」
歌川は菊地原に比べて礼儀も人間もできているので、龍神も話しやすい。また小生意気なことを言った菊地原の頭を、歌川の手がこつん、と小突いた。
「ああ、そうだ。如月先輩、せっかく来てくれたんですし、ひさしぶりに一戦どうです? こいつも交えて」
「えー」
菊地原の頬が、目に見えてふくらむ。不平不満がとてもわかりやすい。
「なんでこのわざわざこの厨二と模擬戦しなきゃいけないわけ?」
「そりゃ強いからだろ。黒トリガー争奪戦の時にこっぴどくやられたの、もう忘れたのか?」
「忘れてないから、こんな朝早くから個人戦やりにきてんじゃん」
唇を尖らせて菊地原はそう言ったが、言ってから「しまった」という顔になった。毒舌のわりに表情の変化は薄いタイプなので、そういう顔を見ることができるのは、非常にめずらしい。
おもしろくなって、龍神はニヤリと笑った。
「ほほう。それはいい心がけだな」
「うるさいなぁ。べつにあんたに勝つためにやってるわけじゃないんだけど?」
ぶーぶーと文句を垂れながら、菊地原は「歌川、自販機行くよ。飲み物」と声をかけて、作戦室から出て行ってしまった。テーブルの上には、三上が淹れてくれたコーヒーがあるにも拘わらず、である。
三上と歌川は、顔を見合わせてくすくすと笑った。
「やれやれ。すいません。オレも行ってきます。三上先輩、何か買ってくるものとかありますか?」
「ううん。大丈夫だよ」
「すまんな、歌川。おもしろかったから、ついからかってしまった」
「いえいえ、大丈夫ですよ。普段から暴言を吐いているのはあいつの方ですし」
軽く手を振って、歌川も菊地原を追って出て行く。
残された三上はコーヒーカップを置きながら、また小さく笑った。
「黒トリガー争奪戦と、あと大規模侵攻のあと、かな。菊地原くん、前よりも個人戦することが増えたんだよ」
「なるほど。歌川はともかく、菊地原や風間さんはあまり個人戦をやっている印象がなかったからな。少し意外だった」
そもそも風間隊は、隊長の風間がチーム単位でのカメレオンの運用を軸に据えているので、個人技よりも連携に重きを置いている。三上に言ったように、歌川はまだ個人ランク戦ブースで見かける方だったが、風間や菊地原は基本的にレアキャラといってもいいくらいだ。このあたりは、同じトップ攻撃手でも、太刀川と風間が明確に異なる点だと、龍神は思う。
「菊地原くん、うるさいところ好きじゃないから、昔から個人ランク戦のブースにはあんまり行きたがらないんだよね」
「強化聴覚、か。大変だなあいつも」
個人ランク戦は自由に観戦できるので、勝っても負けても批評の的になるのは必然である。そして、普通なら耳に入らないような言葉も、菊地原には全て聞こえてしまうわけで。
今更ながらにサイドエフェクトを持つことの意味に気がついて、龍神は少し視線を落とした。
「でも、うちの作戦室の訓練ルームなら、ノイズも少ないでしょう? だから今日みたいに早めに来て、歌川くんや風間さんと個人戦をすることが増えたの」
三上の説明に、なるほど、とまた頷く。作戦室の訓練ルームなら、部外者にあれこれと言われる心配はない。そして風間も、基本的にチームランク戦以外で手の内は晒したくないタイプ。菊地原個人の事情にも、風間隊の方針にもマッチしている。
龍神は太刀川や弓場、米屋と同じように鍛えるならひたすらに個人戦に潜るタイプだが、それが必ずしも正しいというわけではない。やはり人それぞれ。自分に合ったやり方というものがあるのだろう。
「良い変化だな」
「うん。私もそう思うよ。如月くんは、いろんな人におもしろい影響を与えるね」
「それは褒めているのか?」
「もちろん、褒めてるよ」
にっこりと。ただし先ほどよりもいたずらっぽく三上は笑う。
そう言ってもらえるのは、きっとすごく幸せなことなのだろうと、龍神は思った。
「三上、風間さんに伝言を頼んでもいいか?」
「いいけど、菊地原くん達と個人戦していかないの? 多分、すぐに戻ってくると思うけど」
「すまないが、今日はこの後もいろいろと行くところがあってな。あまり長居はできない」
「そっか。わかった。なんて伝えればいいかな?」
聞きながらメモ帳を取り出すあたり、やはり三上は生真面目だ。ペンを取り出そうとした三上を、龍神は軽く押し留めた。
「そんなに大したことじゃない。「三雲のことを気にかけてやってほしい」と、それだけ伝えてほしい」
「三雲くん? 玉狛第二の?」
「ああ。風間さんはきっと三雲を気に入ると思うからな」
淹れてもらったコーヒーを飲みきって立ち上がったタイミングで、ペットボトルを持った歌川と菊地原が帰ってきた。
「あれ。如月先輩、もう帰っちゃうんですか」
「他にも先約があるんだ。朝早くから邪魔をしたな」
「そんなことないですよ。またいつでも来てください」
「はやくかえれー」
「お前はまた」
歌川がまた菊地原の頭を小突こうとしたが、龍神はそれを手で制してごつん、と。頭にチョップした。
「あいた。暴力反対」
「ふっ……じゃあな菊地原。がんばれよ」
そのまま出ていった龍神の背中を見送って、三人は顔を見合わせた。
「……へんなの」
「たしかに、なんだかいつもの如月くんよりも元気がなかったね」
「個人戦をしていかないなんて、如月先輩らしくないな」
「いや、そうじゃなくて」
菊地原は、自分の胸を。心臓を指差して言った。
「ここの音、やけに不安定だった」
◇◆◇◆
「さて……」
次の訪問先である。龍神は、ドアを軽くノックした。
数秒と待たずに扉が開き、見知った顔が現れる。
「はいはーい……って、ああ、如月くん。こんにちは」
「どうも、加賀美さん。荒船さんはいるか?」
荒船隊オペレーター、加賀美倫はボーダーの制服ではなく、私服姿だった。
「遊びに来た? あ、なんか荒船くんと約束してたとか?」
「いや、今日はアポなしだ。借りていた映画を返しにきた」
「そうなんだ。まあ、入って入って」
「失礼する」
作戦室の中に入ると、デスクの上にはなんとも言えない物体が押し広げられていた。
「ほう、これが次の課題か」
「うん、そう」
加賀美倫は荒船隊オペレーターであると同時に、一人の芸術家でもある。
「どう? ひさびさに少しやってく?」
「ふっ、そうだな。では、お言葉に甘えようか」
そして、数十分後。
「おい、如月。お前なにやってんだ」
結局、荒船が帰ってくるまで、龍神は加賀美と一緒に粘土をコネコネしてしまった。
「む、来たか荒船さん」
「荒船くん、遅いよー」
「来たか、でも、遅いよ、でもねぇだろ。なんで人の作戦室で勝手に粘土をこねくり回してんだ?」
「良い出来だろう?」
「お前らなぁ……そういう問題じゃねぇんだよ」
やれやれ、と肩を竦めながら、荒船は龍神から返却された映画のディスクを確認し、いそいそと棚に戻した。加賀美は形になりつつある作品と龍神を交互に眺めて、ニコニコしている。
「どうした加賀美さん。俺の顔がおもしろいか?」
「んー? まあ、如月くんはいつも大体おもしろいけど」
「それは光栄だ」
「ただ、よかったなって思って」
「む、何がだ?」
「如月くん、迷ってるみたいだったから」
迷っている。不意に言われたその言葉に、龍神は思わず固まった。
「……加賀美さん」
「ん?」
「迷うことは、悪いことだろうか?」
「べつに悪いことじゃないでしょ」
粘土細工を指でつつきながら、加賀美は言う。
「私も、普段創作してる時は、いつも大体迷ってるし。チームのオペレートだって、あー失敗したなぁ、もっとうまくやりたかったなぁ、って。うじうじ悩むことあるし」
でも、と。言葉を繋いで、
「迷わなかった作品よりも、迷って、悩んで、自分の中の全部を吐き出した作品の方が、絶対良いものができるって、私は思う」
「……加賀美さんはすごいな。芸術家だ」
「ふふっ。一応、そっちの道に進ませて頂くつもりですので」
「なんだなんだ? 如月も芸術家になるのか?」
「荒船くんは絶対無理そうだよね」
「派手好きだからな。芸術は爆発だ、とかぬけぬけと言いそうだ」
「お前らなぁ……」
がっくりと肩を落とした荒船は、しかし切り替えが早かった。
「ああ、どうだ如月。ちょっと早いが、一緒にメシでも行くか?」
「いや、お誘いはありがたいが、今日の昼食は先約がある」
「おっと。そりゃ残念だ。なに食いに行くんだ?」
「加古さんの炒飯」
「自殺志願か?」
「失礼だぞ」
◇◆◇◆
今日の炒飯はツナタマゴ炒飯だった。雑に美味い。
「でもうれしいわ。如月くんが自分からご飯食べにきてくれるなんて。ひさしぶりじゃない?」
「そうか?」
「ええ、そうよ。特に最近は忙しそうだったし」
本当は外れ炒飯に当たりたくなかっただけなのだが、そういうことにしておく方が都合がいいので、龍神は曖昧に笑みを浮かべた。それにしても炒飯が美味い。
「龍神先輩」
「どうした黒江?」
「それを食べ終わったら、ひさしぶりに個人戦をお願いします」
ぺこり、と。頭を下げた双葉を見て、龍神はスプーンを口に運ぶ手を止めた。
「すまんな、双葉。今日はこのあと、色々と予定が入っているんだ」
「……そうですか。残念ですけど、仕方ないですね」
素直に頷いた双葉は、しかし龍神から視線を離さなかった。いつもクールな後輩だが、普段は冷たい瞳が、今日はなにやら熱を孕んでいる。
「昨日の太刀川さんとの試合を見ました。すごかったです」
「……ふっ。結果だけを見れば、ボロ負けもいいところだったがな。そう褒められるものではない」
「それでも、すごかったです」
龍神の否定に被せるように、双葉は繰り返した。
「龍神先輩は、すごかったです」
「…………ありがとう」
炒飯を食べ終えた龍神は、口元をナプキンでふいて立ち上がる。
「黒江。お前はまだまだ強くなれる。これからも、そのニンジャスタイルを突き詰めて励め」
「はい」
龍神の言う『ニンジャスタイル』が何なのか。黒江にはよく分からなかったが、この厨二の先輩の言っていることがよくわからないのはいつものことだったので、そこは気にせずに大きく頷いた。
龍神もドヤ顔で、黒江の頭をぽんぽんと叩く。
「さて、では俺はそろそろお暇しよう。加古さん、ごちそうさまでした」
「ええ。またいつでもいらっしゃい」
「いつでも、か。申し訳ないが、またしばらく忙しくなりそうで」
「あら、それはだめよ。どんなに忙しくても、日々の食事を疎かにするのはよくないわ」
加古は笑いながら龍神が食べた皿を下げた。
「いつでもって、言ったでしょう。時間がないなら、時間を作ってまた来なさい。都合が悪いなら、がんばって都合をつけて来なさい」
如月くんがおいしそうに食べてくれるの、結構好きなんだから。
加古はそう言って、いつものようにゆったりと微笑んだ。
「……そう言われると、思わず甘えたくなってしまうな」
「なに言ってるの」
ぽん、と。
加古の手のひらが、龍神の頭の上に乗る。つい先ほど、龍神が双葉にそうしたように。
「甘えたい時は、甘えていいのよ。双葉も如月くんも、まだまだ子どもなんだから」
「やれやれ……加古さんの前だと、俺もまだまだ子ども扱いか」
丁寧に丁重に、加古の手を頭の上から下ろして、今度こそ龍神は作戦室の扉を開けた。そのまま出て行こうとして……忘れ物をしていたことに気がついて、足を止める。
「おっと、忘れるところだった。これから諏訪隊の作戦室に行くんだが、そこで寝ている堤さんをついでに持って行っても大丈夫か?」
「それは助かるわ。お願い」
「ありがとうございます。なかなか起きなくて邪魔だったんです」
◇◆◇◆
「うっ……ここは」
「気がついたか、堤さん」
諏訪隊銃手、堤大地は痛む頭を押さえながら上体を起こした。見慣れた作戦室の中に、見知った後輩が我が物顔でくつろいでいる。
「おれは……どうしてここに」
「加古隊の作戦室で倒れていたから、俺がここまで運んできたんだ」
「そうだったのか。それは迷惑をかけたな。ありがとう」
本日のスペシャル炒飯を食べてから、堤の記憶はきれいさっぱり消え失せ、ついでに意識も失っていた。炒飯で意識を失うってなんだよ、という感じではあるが、加古の炒飯に限ってはいつものことである。堤大地はよく死ぬ。
「しかし、いいところで起きたな」
不敵な笑みを浮かべて、龍神は右手を大きくかざす。
「そこで、よくみておくといい。この逆境を覆す、俺の渾身の一手を」
「っ……! こ、これは!」
堤大地は、その細い目を、特に見開かなかった。
「いくぞ! リーチ!」
「それロン」
「ぐあぁぁああああ!」
諏訪が牌を倒し、龍神は雀卓の上に撃した。
「これでとんだな」
「くっ、ばかな。この俺がこうも簡単に」
「お前いつもオーラスまで保たないじゃねぇか」
龍神は麻雀が弱かった。
日曜の真っ昼間から麻雀という、不健康極まりない催しの会場になることが多いのが諏訪隊作戦室である。龍神は諏訪達から借りていた本を返しにきて、ついでに意識を失っていた堤を送り届けに来ただけだったのだが、ちょうど面子が足りなかったので、諏訪に巻き込まれてひさびさに打つことになったのだ。
「やっぱ如月にはまだ麻雀は早いな。ドンジャラからやりなおしてこい」
ボーダーダメな大人個人ランク戦をしたら、ぶっちぎりで一位を取りそうなことに定評がある男、冬島がニヤニヤと笑う。
普通にイラッとしたので、龍神は牌を片しながら言い返した。
「冬島さんだって、オサノが入った途端に弱くなるだろう。早く女子高生への耐性をつけた方がいいぞ」
「いぇーい」
地味に一位を取っている女、小佐野瑠衣。余裕のVサイン。
「はぁー? おじさんはお前と違って強いから、気を遣ってるだけなんだが? むしろ気遣いができる良い男と言ってほしいんだが?」
「やめとけおっさん。おっさんが自分のことおじさんって言うのは見苦しいぜ」
「おいお前言葉選べ諏訪。お兄さんの心は繊細なんだぞ」
「さらっとお兄さんって言い直してんじゃねぇ」
机の上の牌をさっさと整えて、山を作り直す。龍神は麻雀は弱いが、牌を積むのだけはうまかった。シャッシャッやるのがかっこいいからだ。
サイコロを振ろうとしていた諏訪が、怪訝な顔になる。
「お? なんだ如月。もう行くのか?」
「ああ。このあと、嵐山隊の作戦室に行くつもりだからな」
「えー、たつみん抜けちゃうの?」
「すまんな。小佐野」
「じゃあ、また何か借りてくか? 最近のオススメだと……」
龍神に釣られたように諏訪も立ち上がり、本棚からおすすめの推理小説を抜き出そうとしたが、龍神はそれを手で制した。
「いや、今日は大丈夫だ、諏訪さん。色々とバタバタして、今回借りていたやつも返すのが遅れてしまったし、また借りたら次にいつ返せるかわからないからな」
「……なんだそりゃ。ったく」
呆れたように息を吐いた諏訪は、がしがしと自分の頭をかいてから、ごりごりと龍神の頭をど突いた。
「うお」
「前々から思ってたけど、いろいろ詰め込み過ぎなんだよ、お前は。戦功取って、チーム組み始めて、やる気になるのは結構だけどな? 息抜きに本を読むくらいの余裕は持っとけ。気張りっぱなしだと、いつか潰れちまうぞ」
それは加古の時とは違う、荒々しい優しさだった。
「……ああ。肝に銘じておこう」
「おう。わかったならいいんだ」
「たつみん、これあげるよ」
「ん、ありがとう」
小佐野からもらった飴は、優しく甘い味がした。
◇◆◇◆
「飴をくわえながら人のチームの作戦室に来るなんて、相変わらず本当に非常識な人ですね」
「お前がいつも通りだと、本当に安心するな」
そんなわけで、嵐山隊の作戦室にやってきた。
入室早々、木虎の小言がうるさかったが、慣れきった今となっては逆に心地いいまである。
「なんですか。私を舐めてるんですか?」
「ん? それはもしかして、俺が今、飴を舐めていることにかけたジョークか?」
「帰ってください」
木虎藍の対人欲求は、基本的に舐められたくないという強い負けん気で構成されている。べつに小佐野の飴はまったく関係ない。
「ところで、嵐山さん達はいないのか?」
「嵐山先輩と時枝先輩は、根付さんのところで打ち合わせだそうです。綾辻先輩もオペレーター向けの資料を月見さんと作るそうで、昼から出払っています」
「そうか。流石は嵐山隊。全員忙しそうだな」
龍神も木虎も、ナチュラルに佐鳥のことを省いていたが、二人とも佐鳥のことは特に気にしていなかったので、問題はなかった。どうせ顔窓である。
「それにしても、用がないのにウチに来るなんて、よほど暇なんですね」
「そんなことはないぞ。俺もきちんと時間を作ってここに来ている」
「時間を作って暇つぶしに来ただけなら、早く帰ってください」
「ふっ……まあ、そう言うな。俺とお前の仲だろう」
「あなたとそういう言い回しで表現される関係になった覚えはありません」
ああ言えばこう言うとは、まさにこのことか。
「……昨日は、残念でしたね」
不意に、木虎が言った。
「なんだ、見ていたのか」
主語がなくても、木虎が太刀川との十本勝負のことを言っているのは、すぐにわかった。
「良い勝負だったと思いますよ」
「めずらしく素直じゃないか」
「真剣勝負への評価に、私情を挟む気はないので」
口では早く帰れと言いながらコーヒーを淹れてくれた木虎は、そのカップを龍神の前に置いた。
「一つ、聞いてもいいですか」
「ほう。お前が俺に質問とはめずらしいな。いいだろう。俺に答えられる範囲なら、なんでも答えてやるぞ」
「どうして負けたんですか?」
言ったそばから、これである。
得意満面の笑みを浮かべていた龍神は、一瞬で表情のテンションを二段階ほど落とした。我慢しきれずに、ため息を吐く。
「……お前は本当に、かわいくないというか、なんというか」
「べつにあなたにかわいいと思ってもらう気はないので。どうなんですか? なんでも答えてくれるんじゃないんですか?」
「まったく」
つくづくかわいくない後輩だった。
「俺は全力を尽くした。そして、負けた。それだけだ」
「かっこつけですね。らしくないですよ、昨日はめずらしく勝てそうだったのに」
「めずらしく、は余計だ」
「はやく質問に答えてください」
「だから」
いい加減、苛立った龍神は語気を荒げて木虎の言葉を遮ろうとしたが、
「どうして負けたのか。その理由を考えて、次に繋げるのがあなたでしょう?」
怒っているわけでもなく、呆れているわけでもなく。
木虎の瞳は、心底不思議なものでも見るかのように、龍神を見詰めていた。
目は口ほどにものを言う。ただ、その瞳に見詰められただけで、自分の中で変わってしまったものを突きつけられた気がして。
動揺している自分を理解することすら、時間がかかった。
黙り込んだ龍神としばらく向き合って、木虎はいつもとは違う種類のため息を吐いた。
「……本当にらしくないですね。いつものよく回る口はどこにいったんですか」
調子が狂った、とでも言いたげに腕を組み直し、整った眉尻が、わずかに下がる。
「如月先輩、私と幼稚園に広報活動に行った時のことは覚えていますか?」
「……ああ」
「あれ、先輩と組まされるのが本気でいやだったんですけど」
「おい」
「好き勝手に喋るし、私の言うことは聞いてくれないですし、わけのわからない叫び声を上げながらトリガーを使うし……『俺はかっこいい』と言いながらかっこつける、意味のわからない先輩、というのがあなたへの印象でした」
フルボッコである。
「でも、まぁ。あれから少し時間が経って。大規模侵攻があって、チームランク戦があって。昨日の太刀川さんとの試合を見て」
一つ一つ。反芻するように、木虎は言って、
「少しは、かっこいいと思いましたよ」
思わず、目を丸くする。
おそらくそれは、はじめての言葉だった。
ちなみに、木虎藍の対人欲求が『年上には舐められたくない』『同年代には負けたくない』『年下には慕われたい』であるのに対して、如月龍神の対人欲求は、もっとシンプルだ。
『みんなにかっこいいと言われたいし、思われたい』
「…………ふん。余計なお世話だ」
とはいえ、嬉しくないわけではなかった。
「ああ。かっこいいというのは、あくまでも、一般論として、客観的に見て、という話です。おかしな勘違いはやめてくださいね」
「……お前はもう少し可愛気を身に着けた方がいいと思うぞ」
「余計なお世話です」
◇◆◇◆
「龍神~」
「ん?」
「みかん取ってくれ」
「ん」
「サンキュ~」
いろいろな場所を回りまくったので、疲れた。
気力が尽きた龍神は、影浦隊の作戦室でダラけていた。コタツに入って寝そべっていると元気がチャージされていくが、代わりに起き上がる気力がどんどん吸われていく。悪いのは、このコタツだ。全ては、影浦隊の作戦室にコタツが設置されているのが悪い。
隣では、龍神と同じように影浦隊の作戦室のコタツの主……もとい、影浦隊のオペレーター、仁礼光が、やはりジャージ姿でぐーたらしていた。龍神に取ってもらったみかんの皮をむきむきしながら、仁礼は大きく欠伸を漏らす。
「ふわぁ……しっかし、めずらしいな~。龍神がこんな風に遊びに来て、ダラダラするなんて。今日はべつに、カゲと個人戦の約束してたわけでもないんだろ?」
「ああ。昨日のランク戦で、カゲさんにはこっぴどくやられたからな。しばらく手合わせは遠慮しておきたいところだ」
「ふーん。でも、先に来るって言っておいてくれれば、カゲ呼べたぞ? ていうか、今から呼んでやろうか?」
今のところ、影浦隊の作戦室には仁礼しかいない。ユズルは本部に来ているらしいが、この時間帯は狙撃手の合同訓練中だ。
「いや、大丈夫だ。アポなしでいきなり来たのは俺の方だしな。さっきも言ったが、べつに個人戦をしに来たわけじゃない」
「そうか? ならべつにアタシはいいけど」
みかんをむしゃむしゃと頬張りながら、仁礼は続けて一言。
「まあ、龍神はいつもがんばってるしな。たまにはこうやってダラダラするのも悪くないだろ!」
がんばっている、と。
何気なくかけられたその言葉が引っかかったのは、多分先ほどの木虎とのやりとりのせいだ。
「仁礼」
「お、どした?」
「俺は本当にボーダーでがんばっていた、と。そう思うか?」
「はぁん?」
がばり、と。
剣吞な声を出しながら、仁礼は起き上がった。ぼさぼさのサイドテールと寝癖が、左右に揺れる。
「なにいってんだおまえ。アタシが『がんばってる』って言ってるんだから、がんばってるんだよ。せっかくこのひかり様が褒めてるのにケチつけるのか?」
「お、おう……?」
思っていた以上にざっくばらんな返答。ついでに無遠慮に頭をがしがしと揺さぶられ、龍神は気の抜けた返事を返すしかなかった。デジャヴである。今日はよく頭に触られる日だな、と思った。
「さてはおまえ、アレだな? やっぱ疲れてるな~? いいぞいいぞ。今日は存分にウチのコタツで休んでけ!」
「ふっ……そうだな。では、お言葉に甘えさせてもらおう」
また新しいみかんを剝き始めたところで、扉が開いた。
「あれ。如月先輩来てたんだ」
「あ! 厨二先輩! こんちはっす!」
「如月先輩、こんにちは」
「ユズル、夏目、雨取か。すまんな、先にお邪魔しているぞ」
なかなかおもしろい取り合わせだった。狙撃手組が勢揃い、という感じである。
龍神はコタツに入ったまま、変わらずみかんをむきむきしていたが、驚いたのは仁礼だ。
「ユズルが女子連れてきたぁ!? ど、どうしよう龍神!?」
「狼狽えるな。ユズルも、もうそういう年頃だ。こういうイベントがあっても、何もおかしくはない。速やかにお茶菓子の準備だ!」
「茶菓子なんて洒落たもんはウチにはねぇぞ? とりあえず、コタツ入ってみかん食うか?」
「仁礼。それ俺がむいたみかん」
「いただくっす! うまいっす!」
「夏目。あっちにダンボールであるから自分でむけ」
「あー、もういいよ。トレーニングルーム使いたいだけだから」
明らかに収拾がつかなくなりそうだったので、ユズルは龍神と仁礼から二人を引き剥がして、さっさと訓練室に入ろうとする。
千佳を連れてきた理由がなんとなく察せられて、龍神はコタツから出た。
「ならば、俺はそろそろお暇するとしよう」
「んお? 行っちゃうのか龍神?」
「ああ。おそらく、ユズルは雨取に狙撃手として、何らかのレクチャーをするつもりだろう。次に対戦するかもしれない俺が……」
俺がいては、邪魔になる。
そう言いかけて、気がつく。言いかけてから、ようやく気がついた。
馬鹿か俺は、と。龍神は笑いたくなった。
自分にはもう、次なんてない。次なんてないのに、次がある前提で話をして、体が動いていた。
「あの、如月先輩。気を遣わせてしまって、すいません」
千佳に頭を下げられて、我に返る。
「……ふっ。気にするな。それよりも、雨取。この前、人を撃ってしまったランク戦は大丈夫だったか?」
「え? えっと……はい。大丈夫、です」
「そうか。ならよかった」
寝ている間に凝り固まった体をほぐして、龍神はドアを開けた。
「励めよ。雨取はきっと、いい狙撃手になる」
「あ、ありがとうございます」
「だが、ウチのバカたちももっと強くなる。勝負だな」
「は、はい! がんばります!」
良い返事だった。それを背中で聞いて、外に出る。
温いコタツに長い間入っていたせいか、廊下は少し寒く感じた。
◇◆◇◆
影浦隊の作戦室を出て、なんとなく食堂に来てしまった。
とはいえ、加古のおいしい炒飯でお腹は満たされているので、何か食べたいわけでもない。ただなんとなく、誰か見知った顔に会えるかもしれない、と。そんな期待を抱いて立ち寄ってみただけだ。
しかし、ランチタイムから時間が外れてしまったこともあってか、ちらほらと見えるのはC級の白い隊服ばかりだ。
如月隊の他のメンバーには、今日は自宅待機の命令が出ている。本部に来ていいのは龍神だけ、と。そういう配慮をしたのは、城戸か迅か。どちらなのかはわからない。
思い出に浸るなら、今日くらいは許してやろう、と。
そう言われている気がした。
なんとなく、いつも紗矢や甲田達と座っていた席の方を見る。誰もいない。いるわけがない。
「……馬鹿だな、俺は」
思わず、ため息を吐いたその時。
とんとん、と。背中を叩かれた。
「?」
振り返る。
むにゅ、と。龍神の頬に、人差し指が突き刺さった。
首にかけたゴーグルに真顔。圧が強い主張。関西弁。そんな人間は、ボーダー広しと言えども、一人しかいない。
「……イコさん」
「俺やで」
生駒達人である。
「俺やで!」
「いやそれはもうわかった」
生駒達人であった。
「なんかあれやな。龍神と話すのひさびさな感じするな」
「ふっ……そうだな。ところで、俺に何か用か?」
「何か用とか……水臭いな。俺とお前の仲やん。見かけたら何も用なくても肩叩くやろ」
「なるほど」
「だから俺は何も用ないで」
「ふざけているのか」
生駒との会話では、龍神もツッコミに回らなければならない。
「いやまった。言いたいことあったわ。昨日の太刀川さんとの個人戦見たで。あれめちゃくちゃアツかったな」
「……それはありがとう」
「あんまり感動したから、もっかい見ようと思ってたんやけど、昨日土曜プレミアムで映画やってたやん? だから土曜プレミアム観たわ」
「土曜プレミアム」
地上波初放送に負けた。
「でもマジでよかったわ。もうちょいで勝てたなアレ」
「……しかし、負けは負けだ」
「じゃあイコさんが奢ったろか。ナスカレー食う?」
「いや、さっき加古さんとこで炒飯食べてきた」
「え、死ぬやん」
「失礼だぞ」
「死んでないん?」
「いや、堤さんは死んでた」
「あかんやん」
「……あの」
「ん?」
生駒ではない声に、龍神はまた振り返る。
真顔のまま、生駒は何かを思い出したように手を叩いた。
「しもた。用あるの忘れとったわ。そこのメガネくんがお前のこと探してたから声かけたんや」
「……なるほど。そういうことか」
龍神は今日、なるべく多くの作戦室を訪問して、話せる本部の人間とは、大体話しておくつもりだった。名残惜しいとか、お別れを言うとか。そういうつもりではなく、単純に自分の中で、自分の気持ちに整理をつけるために。
だから、玉狛支部のことは、なるべく考えないようにしていた。
「如月先輩」
「……三雲」
だから。
息を切らして、汗を流して。
きっと自分を探しに来たのであろう愛弟子が……三雲修が、最後の一人になるのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
「如月先輩。お話があります」
「……そうだな。俺も、話したいことがある」
向かい合う必要があると、思った。
「……」
「……」
「……? なんで黙るん? 話したらええやん?」
「えっと、あの」
「イコさん。俺たちの間で屈伸運動するのはやめてくれ」