《如月龍神(きさらぎたつみ)》
厨二。
《那須玲(なすれい)》
B級12位、那須隊隊長。ポジションは射手(シューター)。太刀川隊の出水公平と並んで、リアルタイムで変化弾(バイパー)の弾道を引ける弾バカ。ボーダー内にも隠れファンが多い美少女。綾辻さん派と人気を二分していると思われる。
《熊谷友子(くまがいゆうこ)》
那須隊攻撃手(アタッカー)。中二病な同級生の必殺技の練習相手にされ続けたせいで、ただでさえ優れていた返し技の腕がさらに向上した。練習相手としては申し分ないので、龍神のことは嫌っているわけではない。多分バストがデカイ。
《日浦茜(ひうらあかね)》
すごく特徴的な泣き方をする那須隊狙撃手(スナイパー)。龍神に指ぬきグローブを誉められ、一緒にかっこいい指ぬきグローブのデザインを考えたので、そこそこ龍神のことを慕っている。そもそも指ぬきグローブがダサいとは思っていない。
《志岐小夜子(しきさよこ)》
引きこもりの那須隊オペレーター。年上の男性が苦手だが、一度龍神に差し入れしてもらった『塩昆布』がめちゃめちゃおいしかったので、それなりに龍神のことを慕っている。しかし、話したことはない。
《黒江双葉(くろえふたば)》
加古隊攻撃手(アタッカー)。かなり龍神のことを慕っている。
《木虎藍(きとらあい)》
嵐山隊の万能手(オールラウンダー)。とても龍神を嫌っている。とても烏丸を慕っている。
「どぅわわぁああああぁ~!?」
ボーダー本部、那須隊の作戦室に、その日一番の絶叫が轟いた。
「い、いい話でしたぁあ~。最後が、最後がもぅ……うわぁああぁん!」
感情を素直に発露させまくっているのは、肩にかかるくらいの長さの髪をふたつにまとめた少女、日浦茜。那須隊の狙撃手(スナイパー)である。
「ほれほれ、泣くな泣くな」
そんな茜にティッシュを差し出したのは、那須隊のオペレーター、志岐小夜子。普段は自室に引きこもりっぱなしだが、今日は防衛任務もあったので作戦室にいる。実は、那須隊のメンバーがこうして『生身』で勢揃いするのは、意外と珍しい。
「いやー、でも面白かったね。あたし、こんな純愛もののピュアな映画なんて全然観ないからさ。茜ほどじゃないにしろ、ちょっとうるってきちゃったよ……ほら、お前は泣き止め!」
「うぇええん!」
「うん。茜ちゃんもくまちゃんも気に入ってくれたみたいでよかった。小夜ちゃんは?」
「もちろん、面白かったです」
小夜子に引き続いて茜の目元をぐしぐし拭きながら感想を述べたのは、那須隊の攻撃手、熊谷友子。そんな2人を見て和やかな微笑を浮かべているのが、那須隊の隊長、那須玲である。
B級12位、那須隊はメンバーが全員女子のガールズチームなのだ。
「ぐすっ……いいなぁ、私もこんな恋してみたいなぁ……」
ようやく涙が止まってきた茜は、ついさっき見終わったばかりの映画のケースを手に取った。今日は防衛任務が終わったあと、そのまま作戦室で那須お薦めの映画を隊のメンバー全員で観たのだ。
生まれつき体が弱い那須は、あまり外には出られない。そんな彼女の趣味のひとつが映画だ。おしとやかなイメージのある那須だが意外と映画の好みはバラけていて、ボーダー内で屈指の映画好きとして知られている荒船からも、時々アクション映画を借りたりする。
しかし、本日の鑑賞作品は荒船からは絶対に借りられないようなタイトル。まるで硝子細工のように繊細で可憐な純愛ものだった。
「こんな恋してみたいなぁ……ねぇ。ねえ、茜。あんた、奈良坂くんとかどうなのよ?」
「ど、どうってなんですか? 熊谷先輩? どういう意味ですか!?」
「そのままの意味だけど?」
にひひ、といたずらっぽい笑みを浮かべる熊谷に、茜は両手を振って反論した。
「ち、違いますよ! 奈良坂先輩はそんなんじゃないです! モチロン、尊敬してるし、かっこいいなぁ……とは思うけど! 純粋な師匠です!」
「ふーん、やっぱりかっこいいとは思ってるんだ?」
「あー、もうっ! そういうの、揚げ足を取るっていうんですよ! そもそも、那須先輩の前でそんな話をするのはどうなんですか!?」
茜の狙撃の師匠、奈良坂透と那須は、従兄弟なのだ。確かに2人とも美形だし、よく見れば顔の雰囲気が似ているかな、と茜は思う。
「ふふっ……私は別に気にしないよ。透くんになら茜ちゃんを任せても大丈夫そうだし」
「な、なな、那須先輩っ!?」
「よかったじゃん、茜。怜の、っていうか、従兄弟様からのお墨付きだよ?」
顔を真っ赤にする茜に、それを囲む3人の笑い声。那須隊ではいつものことなのだが、1人だけやり込められたままなのは面白くない。
頬を膨らませた茜は、熊谷を指差して反撃に出た。
「それを言うなら、熊谷先輩だって如月先輩との関係はどーなんですか!?」
「な、なんでいきなりあいつの名前が出てくるのよ!?」
茜の口から飛び出してきた男の名に、熊谷は目を剥いてたじろいだ。
「だって、いっつもなんだかんだ言って個人(ソロ)ランク戦に付き合ったり、最近は個人練習を一緒にやる機会も増えてるじゃないですか!?」
「な……それはあくまでも訓練よ、訓練! 最近個人戦が多いのは、太刀川さん達が遠征に出ているからだし……」
確かに。熊谷がよく他人から評価される『弧月』を用いた切り返しや防御は、如月龍神との個人戦で培われたものだ。射手(シューター)の那須を中心に戦闘を進めるこの部隊では、熊谷は那須の接近戦のカバーに入ることが多い。くどいまでに『必殺技』などの攻撃に拘る馬鹿との斬り合いを凌ぐのは、かなりいい経験値になる。
さらに、彼の戦闘スタイルは熊谷と同じ『弧月』の両手持ち。実力だけならマスタークラスは確実な龍神との個人戦は、熊谷にとっては自分を磨く大切な時間だ。
が、そこに茜の勘繰るような特別な感情が絡んでいるのかというと、絶対にそんなわけはないハズだ。多分。
彼女はショートカットの黒髪をぶんぶんと横に振って、
「違う違う! あいつはただの練習相手よ! あんたと同じ、純粋な練習相手!」
「ええー、本当ですかぁー?」
「なにが言いたいのよ! このっ!」
「あっ……先輩、暴力反対です!?」
「うるさい! 生意気な後輩の教育だ!」
途端に騒がしくなる室内。一定のペースで那須の家にて開催されるお泊まり会のような雰囲気に、小夜子はやれやれと首を振った。
「本当にもう、あの2人は……」
「くまちゃんも茜ちゃんも、照れちゃってかわいい」
「そう言う那須先輩は、気になる人とかいないんですか?」
「うーん、私はそういう人はいないかな。小夜ちゃんは?」
こういう時にさらりと流せるあたり、さすが隊長の器は違う。小夜子は首を横に振りつつ返答した。
「那須先輩。私が年上の男の人、苦手なのは知っているでしょう?」
「あ、そうだよね、ごめん。小夜ちゃんは年下好きだもんね」
「那須先輩、それは天然ですか? わざとですか?」
ちょっとだけ皮肉を込めたその問いにも、那須は柔らかい笑みを崩さなかった。しかし、彼女は何かに気付いたように、唇に人差し指を当てると、
「あ、そうだ!」
と、手を叩いて、ソファーに預けていた体を起こした。
「くまちゃん! 前、私の家でやった人生ゲームの『罰ゲーム』、まだやってなかったよね?」
「へっ!?」
茜のマウントを取り、ギブアップのカウントをしていた熊谷は、唐突な那須の申し出に目が点になった。
そういえば。以前、那須の家に泊まった時に「ビリが一番だった人の言うことをなんでも聞く」というルールで人生ゲームをして、見事に隊長である那須が1位に。そして自分がビリの座に輝いたことは記憶している。記憶しているからこそ、このタイミングでその約束が言い出されたことが、なんだか非常にいやな感じがする。
「ほほう。それは面白そうですね。それなら、こういうのはどうですか?」
こしょこしょ、と。
小夜子に耳打ちされて、短めに切り揃えられた那須の綺麗な髪が左右に揺れた。
「うん、それいい!」
「でしょう?」
そのまま2人の視線は、熊谷に集中した。
「ちょ、ちょっと……なに?」
「茜ちゃん、隊長命令。くまちゃんをそのまま押さえて!」
「は!?」
今まで一度も聞いたことがないような台詞を耳にして、熊谷は思わず手を緩めてしまった。
「了解です! 隙ありっ!」
「あっ、しまっ……」
茜がホールドから抜け出し、お返しとばかりに熊谷の体を押さえつける。
「離しなさい! 茜!」
「なんかよく分かりませんけど、面白そうだから離しません!」
相変わらず、こいつは何も分かっていない。いや、熊谷も那須に何をされるのか分かっていないのだが、このままおとなしく言いなりになる気にはならなかった。幸い、彼女と茜の体格差なら……少し不本意な気もするが、振りほどくのに何の支障もない。
が、そんな見通しは甘かった。
「トリガー起動(オン)♪」
「えええっ!?」
那須玲は病弱である。だが『トリオン体』になれば、激しい動きには何の支障もない。むしろ『トリオン体』での運動は、彼女の大好きなことだ。
そして、換装した那須と茜の2人に襲われたら、いくら運動が得意な熊谷でも生身で抵抗するのは不可能である。
あっという間にターゲットを床に組み伏せ、那須は熊谷の顔を覗き込んだ。
「くーまちゃん?」
「ま、待って、玲……?」
那須の表情は、普段ベッドで休んでいる時のそれではなかった。戦闘を行っている時の、少し好戦的な面が表に出ているような……
「じゃあ、私のお願い聞いてくれるかな?」
射手(シューター)である那須の変化弾(バイパー)は、リアルタイムで弾道を引くそのスタイルから『鳥籠』の異名で呼ばれている。
熊谷は今、まさに籠の中に入れられた鳥の気分を味わっていた。
◆◇◆◇
「そういえば結局、この前は何の用事で来たんですか?」
ボーダー本部の廊下を、歩く人影が3つ。
如月龍神の右隣を歩く黒江双葉は、不思議そうな顔でそう聞いた。『この前』とは、龍神が加古の炒飯を2杯食べて撃沈したあの一件である。
「ああ、最近戦闘スタイルのマンネリ化に悩んでいてな。俺も『弧月』を背中に背負おうかと考えていたんだ。それで、双葉の意見を請いたくてな」
「さすがに先輩がそれをやると……いえ、先輩は腰に『弧月』を差している方がかっこいいと思います」
「む、そうか? ふっ……面と向かって誉められると、照れるじゃないか」
「如月先輩、双葉ちゃんは誉めているじゃありません。貶しているんです。あなたを軽蔑しているんです。そんなことも分からないんですか?」
さらに、もう1人。左隣を歩く木虎藍は、刺々しい口調を全開にして、龍神の言葉を真っ向から否定した。
しかし、龍神が何かを言う前に、双葉が木虎をギロリと睨む。
「木虎先輩。私は如月先輩と話しているんです。それに私は、如月先輩のことを尊敬しています。勝手に人の気持ちを語らないでください」
「なっ……え、ちょっと待って双葉ちゃん!? そういうつもりじゃ……」
慌てたところでもう遅い。ぷいっ、と双葉はそっぽを向いた。
ガーン、と。木虎のハートに、ヒビが入る。同年代や年上からの嫌みなどではビクともしないのだが、彼女のハートは後輩の言葉に対しては耐久力が異常に低いのだ。
そもそも気に入らない。木虎は、いつも辛辣な双葉と仲良くなる為に一生懸命話しかけていたのに、そこに龍神がやってきたせいで、双葉はすぐに彼の方へと行ってしまった。
木虎はそれが、すごく気に入らない。
今も木虎が尊敬の念を得たい後輩は、龍神の方を見上げている。
「先輩、私もそれ持ちましょうか?」
「大丈夫だ、案ずるな。後輩に荷物を持って貰うほど、情けない筋肉はしていない」
流石にレイジさんには劣るけどな、などと呟きながら、龍神は両手で抱えているダンボール箱を振ってみせた。
「それ、何がはいっているんですか?」
「鬼怒田さんに頼まれている資料だ。あとは開発室の皆さんの好物だな」
ダンボール箱目一杯に詰め込まれた書類と差し入れの諸々は、かなりの重さになるのだが『トリオン体』で運ぶ分にはなんの問題もない。こういう時に使うと『トリガー』はとても便利だ。
「鬼怒田開発室長の使い走りですか……普段から迷惑をかけているんですから、それくらいは当然ですね」
「お前はむしろ先輩を気遣え。『私も持ちましょうか?』くらいは社交辞令で言える可愛いげを見せろ」
「別にかわいいと思われたくないので」
「たしかに木虎先輩って取っ付きにくいですよね」
「ふ、双葉ちゃん!?」
両手に花、と言えば聞こえはいいが花同士の仲が悪いので、真ん中の龍神は堪ったものではない。
うっすらと涙目になっている木虎がさすがに気の毒になったので、龍神はフォローを入れることにした。
「まあ待て、双葉。お前の言う通り、木虎は佐鳥以外の嵐山隊のメンバーと烏丸以外には常にツンツンしているが……」
「なんで烏丸先輩の話が出てくるんですか!?」
「ん? お前は烏丸に、淡い恋慕の念を抱いているんじゃないのか?」
「ち、ちが……違います! い、いや、違わなくはないですけど、烏丸先輩はもちろん、尊敬していますけど……」
顔を真っ赤にした木虎は、後半は消え入りそうな声でぶつぶつと呟いた。そして、ちらりと双葉の方を覗く。
「双葉ちゃん……えーと、この話は……」
「大丈夫です。そもそも、興味ないので」
木虎のハートはもはや粉砕寸前である。
「あー、ゴホン。その話は置いておくとして、木虎は仮にも嵐山隊の一員だ。広報活動で一般市民との交流する時は、それなりに外面がいいぞ」
「そうなんですか?」
「…………ええ、まあ。この前もハロウィンイベントで仮装して、子供達の相手をしました。那須隊にも手伝ってもらって……」
萎れそうな声音で、木虎が言葉を返す。やや気の毒だが、素直に返事が返ってくるので、これはこれでとても楽だと龍神は思った。今度からは、木虎が近くに来たら双葉を呼べばいいのかもしれない。
「あ、如月先輩!」
噂をすれば、なんとやら。手を振ってさらにもう1人、少女がこちらに走ってきた。話にでていた、那須隊の日浦茜だ。普段着ではなく、『トリオン体』の隊服に身を包んでいる。
ちなみに那須隊の隊服はそのデザインの良さで、男子隊員達から絶大な支持を得ていたりする。実は龍神も、デザインの一部に口出ししており……
「どうした、日浦? 今日の指抜きグローブも実にイカしているじゃないか」
「はい! 小夜子ちゃんに前とはちょっとデザインを変えてもらって……じゃなくて、先輩、今お時間ありますか?」
「時間? 鬼怒田さんからの頼まれ事があるが……少しくらいなら大丈夫だ」
「なら、ちょっとウチの作戦室まで来て貰えませんか!?」
なにやら強引に、とんとん拍子で話が進む。とはいえ、那須隊の作戦室は開発室に行く途中にあるので、少し寄り道をするだけで済む。断る理由は特になかった。
すると隣の双葉が、むすっとした表情で、
「私も付いて行っていいですか?」
と言い、それを聞いた木虎も、
「あ……じゃあ私も……」
と、手を挙げた。木虎はいい加減諦めた方が精神ダメージが少なくて済むと思うのだが、これも龍神に止める理由はない。
「そんなわけで、同行者が2人いても構わないだろうか?」
「あー、うーん、え~と……」
茜は帽子の上から頭をかき、口ごもっていたが、やがて意を決したように両手を合わせた。
「多分、大丈夫です! 行きましょう!」
「ああ、分かった」
「それにしても、女子2人といるなんて、如月先輩モテモテですね~」
「ふっ……いい男は辛いな」
どれだけ待っても全然ツッコミがとんでこないので、木虎が立ち直るにはまだ時間がかかるようだと、龍神は認識した。
◇◆◇◆
那須隊の作戦室は、わりと凝ったデザインをしている。室内には用途不明のパイプがはしり、その雰囲気は例えるなら宇宙船の船内。これも、那須隊の隊服をデザインしたオペレーターの趣味だ。もし『作戦室ベストデザインコンテスト』などが開催されれば、間違いなくこの作戦室が金賞を取るだろう。
なので、訪れることはそう多くないが龍神は那須隊の作戦室を気に入っていた。久しぶりに入るので、ちょっとワクワクもする。
「よかった。来てくれたのね、如月くん」
扉を開けると、そこに立っていたのは那須隊の隊長、那須玲。他の隊員達から『鳥籠』と呼ばれる技を持っている射手(シューター)だ。他の隊員達から技名を付けて貰えるなんて、龍神はすごく羨ましい。
が、とりあえずそんな龍神個人の那須への嫉妬は置いておくとして、彼女はボーダーの中でも屈指の美少女である。その人気は、ボーダーのマドンナとも言われる嵐山隊のオペレーター、綾辻遥にも匹敵する。
そんな那須玲が、
「……どうした、那須?」
「ふふっ、かわいい?」
なぜか、頭に『ネコミミ』をつけていた。
あの『ネコミミ』である。
「な、那須先輩……それ、まだ持ってたんですか?」
ようやく立ち直ったらしい木虎が、今度はびっくりした様子で口を開いた。
「あ、木虎ちゃん! みてみて。前のハロウィンイベントの時は茜ちゃんがつけてたんだけど、私もつけてみちゃった」
「やっぱりネコさんのかわいいですよね~! 那須先輩も似合ってます!」
「ありがとう、茜ちゃん」
どうやらこの『ネコミミ』は、木虎がさっき言っていた、ボーダー主催のハロウィンイベントで使った仮装グッズらしい。那須は茜と同様の『トリオン体』の隊服姿で、頭にネコミミ、手にはネコの手、お尻には尻尾までつけている。完全装備だ。
これを写真に撮れば、かなりの数の男子隊員が飛びつくだろうな……と、龍神は頭の中でそんなことを考えた。
「…………勝てない」
ぼそっと。双葉がすごく小さな声で呟く。なんだか、とても悔しそうな声音だった。
そんな双葉は置いておいて、頭の中にとある疑問が浮かんだ龍神は、木虎の方へと振り向いた。
「そういえば、木虎はなんの仮装をしたんだ?」
「あなたに言う必要あるんですか、それ?」
すっかり刺々しい口調に戻った木虎が、龍神を睨む。どうやら、完全に復活したらしい。
だが、意外な方向からの伏兵が、彼女を再び襲った。
「木虎ちゃんは、遥ちゃんがデザインして作った仮装を着ていたのよ」
那須の一言に、木虎が完璧に凍りついた。
「あ、あれは……あれはあれで、かわいかったですよね!」
慌てた茜が、必死にフォローの言葉を投げる。しかしそのせいで思い出したくない記憶が刺激されたようで、木虎はその場に崩れ落ちた。
成績優秀、容姿端麗、学校では生徒会の副会長まで務めている完璧超人、綾辻遥の唯一無二の弱点は『芸術』である。絵と歌に関しては、あの鉄面皮の城戸司令を瞠目させ、常に飄々とした態度を崩さない営業部長の唐沢に冷や汗を流させたという。その噂は、加古の炒飯と並んでボーダー内の伝説と化している。
そんな綾辻が、おそらくノリノリでデザインした『仮装衣装』
綾辻が木虎に「これ、藍ちゃんのために作ったの! 絶対に似合うと思うの!」と、天使の微笑みで凄まじいナニカを差し出す場面は、容易に想像がつく。
「……とりあえず、入っていいか?」
「うん、どうぞ」
これ以上傷口を広げない為に、固まっている木虎を残して一同は作戦室に入った。
「……そういえば、俺は結局、どうしてここに呼ばれたんだ?」
前と比べて少しバージョンアップされている室内を見渡しながら、龍神がそう聞くと、那須はネコの手を口元に寄せて笑った。
「如月くんに、見せたいものがあるから、かな?」
その那須の声が合図だったかのように、暗い奥の部屋から、なにかがのそりと這い出てきた。
「…………くま?」
龍神は驚愕した。
那須隊の中で最も気心が知れた仲である、熊谷友子。彼女が那須隊の作戦室にいることは、なんら不思議ではないし、室内にいるのだろうとは思っていた。
問題は、那須と同じようにその格好だ。
頭には、那須のネコミミよりもさらにモフモフ感がアップされた、茶色いまんまるの耳。
腕にはもちろん、那須の肉球よりも大きい、ちょっと獣っぽい茶色の手。
そして、那須の細長い尻尾とは違う、ふわふわの尻尾。
完全に『もりのくまさん』な格好になった、熊谷友子がそこにいた。
「くま、なにをしているんだ……?」
普段なら絶対にこんな格好はしないであろう彼女に、龍神は心の底から当惑した声をかける。
その瞬間、熊谷の後ろの暗がりから、鋭い声がとんだ。
「今です! 熊谷先輩! ここであの『セリフ』を!」
顔を赤らめ、目を泳がせて、それでも熊谷は、罰ゲームとして小夜子に教えられたその『セリフ』を口に出した。
「く……くまじゃないくま!」
しーん、と。
数秒間。那須隊の作戦室の中は、完全に静まり返った。
だが、さらに数秒後、
「「かわいい~!!」」
女子特有の黄色い声を重ねて、那須と茜は熊谷に飛びついた。
「もう! くまちゃんすっごくかわいいよ!」
「くまって……語尾にくまって……先輩っ……」
「う、うるさい! くまって言うな!」
那須と茜にもみくちゃにされながら、熊谷が声を張り上げる。
そんな彼女達を、呆気にとられて龍神と双葉は見詰めていた。
「……那須も、あんな風にはしゃぐことがあるんだな」
「……無理です。あんなにあざといことはできません」
なんだか全然噛み合ってない会話をする2人に、那須が振り返って聞く。
「如月くん、どう? くまちゃんかわいいでしょう?」
「ちょ、ちょっとやめて、玲!」
揉み合う那須と熊谷の前で、龍神は笑みを浮かべて肩を竦めてみせた。
「ふっ……そうだな。だが……」
極めて余計なことに、そこで一拍置いてから、龍神はこう続けた。
「何を着ようと、くまはくまだろう?」
――瞬間。
龍神の視界の隅にうつったのは、なんか茶色い手だった。
反転する視界。襲い来る衝撃。舞い散る書類の紙吹雪。
この日、はじめてその打撃を受けて、龍神は迅悠一が言っていた言葉の意味をようやく理解した。
確かにこれは、健康的ないいパンチである。
◇◆◇◆
その日の夜、那須邸。
「バカっ! バカバカバカ! 玲のばか! どうするのよ、あいつと今度会う時!?」
「ごめんね、くまちゃん。でも、如月くんは怒ってないと思うよ」
「かわいかったですねー、熊谷先輩。まさか本当に、あのセリフを言ってもらえるとは……提案してよかったです」
「たしかに。でも、罰ゲームを受けたのはあくまでも熊谷先輩なんだから、那須先輩はネコミミつける必要なかったですよね?」
「くまちゃんだけに恥ずかしい格好させるのは、かわいそうかなーって」
「じゃあ、最初からこんな罰ゲームにしないでよ!」
「あ、熊谷先輩が泣いた」
「泣きましたね」
「泣かないで、くまちゃん」
「もうっ…………」
「あ、熊谷先輩が拗ねて布団の中に」
「冬眠ですね、くまだけに」
「冬眠だね、くまちゃんだから」
「もうやだ……私この部隊やめる……」
「まあまあ、熊谷先輩。如月先輩も、満更じゃなかったと思いますよ?」
「だからあいつはそういうのじゃないのっ!」
「えー、私の指ぬきグローブも誉めてくれるハイセンスな人なのに……」
「……茜、この際だから言うけど、あんたのそれはさすがにダサいよ」
「えぇ!?」
「如月先輩のセンスは、色々とぶっ飛んでますからねー」
「うーん、でもちょっと残念だったかな。男の人って、絶対ああいうの好きだと思ったんだけどね」
「…………え?」