開戦
「なるほど。玉狛が人型近界民(ネイバー)を匿って、しかもそいつは『黒(ブラック)トリガー』を持っている、と。そりゃ、確かに一大事だ」
「笑い事ではないぞ。太刀川」
「ありゃ、ごめん風間さん。俺、笑ってた?」
「ああ。不快なニヤケ面にな。城戸司令の前だ。控えろ」
「了解、了解」
ボーダー最高司令官、城戸正臣の前には、遠征から戻ったトップチームの主要メンバーが勢揃いしていた。
No.1攻撃手(アタッカー)、そして個人総合1位でもあり、ボーダー内でも最強に近い実力者。A級1位太刀川隊隊長、太刀川慶。
A級2位冬島隊所属のNo.1狙撃手(スナイパー)、当真勇。
No.2攻撃手(アタッカー)であり、個人総合3位。A級3位風間隊の隊長、風間蒼也。
三輪隊からの状況説明が終わり、城戸は3人を見据えて本題に入った。
「このまま玉狛に『黒トリガー』が渡れば、ボーダー内で保たれていたパワーバランスが崩れる。それだけは、なんとしてでも阻止しなければならない」
顔の傷に指を当てながら、命令を告げる。
「おまえたちには、なんとしてでも『黒トリガー』を確保してもらう」
その命令が意味するところを察して、当真が大仰に両手を挙げた。
「うへぇ。玉狛に殴り込みとか、マジで内部抗争じゃねーの」
「当真」
「分かってるよ、風間さん。任務は任務だ。振られた仕事はちゃんとこなすよ」
と、今度は当真の隣の太刀川が、顎に手を当てながら口を開いた。
「で、その『黒トリガー』が玉狛に出入りしている時間帯は?」
「朝の7時には玉狛へ。その後、夜の9時から11時には玉狛を出るようです。うちの隊の米屋と古寺が見張っています」
奈良坂が答えた。
「ふんふん……んじゃ、襲撃は今夜だな」
何気ない太刀川の呟きに、室内は水を打ったようにざわついた。当然と言えば当然だ。彼ら遠征部隊は、つい先刻帰還したばかりなのだから。
「こ、今夜?」
「いくらなんでもそれは……」
同席していた根付や鬼怒田が難色を示す中で、三輪が口火を切って反論する。
「太刀川さん、いくらあんたでも、相手を舐めない方がいい」
「舐める? 三輪、そもそもお前が言う相手ってのは誰のことだ? お前が負けたのは『黒トリガー』じゃなくて、乱入してきたあのバカだろう?」
「なっ……!?」
言外に如月龍神との戦闘のことを言われているのだと分かって、三輪が思わず立ち上がる。悔しさで、無意識に拳は握り締められていた。
が、そこに風間が割って入る。
「太刀川、三輪を挑発してどうする。お前もだ、三輪。落ち着け」
「……すいません」
「いやいや風間さん。俺はむしろ、三輪をフォローしているんだ。あのバカの横槍さえ入らなければ、三輪隊が『黒トリガー』を確保できていたかもしれないんだからな」
「…………太刀川。三輪と如月は、戦闘を行っていない」
「ああ、すいません。『そういうこと』になってましたね。失礼、失礼」
城戸にまで釘を刺され、さすがに太刀川も引き下がった。黒コートの肩が、皮肉気に竦められる。
傷が刻まれた顔がより一層険しくなり、鋭い視線が太刀川を射抜いた。
「指揮はお前に任せる。だが、くれぐれも油断はするな。場合によっては『風刃』を持った迅との戦闘もあり得る」
城戸が口にしたその可能性に、室内は先ほど以上にざわめいた。
しかし、ただ1人。太刀川だけは彼の言葉に飄々と笑みを浮かべて、
「そいつは願ったり叶ったりですよ。ようやく『風刃』を持ったアイツと戦り合える」
三輪は、こんな笑みを浮かべる男を知っている。
太刀川慶と迅悠一。この2人は、どこか似ているのだ。
だから、自分が太刀川も迅も苦手なのは、何らおかしいことではないのだろう。
◇◆◇◆
そして、夜。
太刀川慶は、闇に包まれた住宅街を疾走していた。
トリオン体の反応をレーダーから消すマント状のトリガー、『バッグワーム』をはためかせて走る影は、彼だけではない。
太刀川隊の射手(シューター)、出水公平。
A級2位冬島隊の狙撃手(スナイパー)、当真勇。
A級3位風間隊の風間蒼也、歌川遼、菊地原士郎。
遠征帰りのボーダートップチーム。自惚れるわけではないが、こうして見ると中々すごい面子だと、太刀川は思う。
「おい、三輪。そんなにはやく走るなよ。疲れちゃうぜ」
「…………」
加えて、前方を走るのはA級7位三輪隊の三輪秀次と奈良坂透。ここに米屋陽介と古寺章平まで合流するのだから、戦力としてはかなりのものだ。
「黒(ブラック)トリガーの奪取ねぇ……こちとら帰ってきたばっかだってのに、ホント忙しいよな」
「なんだ当真? それは襲撃を今夜に決めた、俺と風間さんへの文句か?」
「違うよ、太刀川さん。文句だなんて、とんでもない。お仕事が多くてデキる男は辛いねって話じゃねーの?」
当真と軽口を叩きあっていた太刀川は、しかし前方に見覚えのある人物が立っているのを見つけ、地面を踏み締めた。
「とまれ!」
『トリオン体』によって強化された身体能力を存分に活かし、通常ではあり得ないスピードで走っていた8人の隊員の足が止まる。
やはり、と言うべきか。ただ1人、道路の中央で彼らを待ち構えていたのは、太刀川の予想通りの人物だった。
「迅……」
「ひさしぶり、太刀川さん。みんな揃ってどちらまで?」
飄々と、夜の闇の中では不似合いなほど爽やかに。玉狛支部所属の『S級隊員』、迅悠一は言った。
「うはっ! 迅さんじゃん!」
「よお、当真。冬島さんはどうした?」
「ウチの隊長なら……」
「余計なことは言うなよ、当真」
口を滑らせかけた当真に、風間が鋭く釘を刺す。ふーん、と迅は周囲を見渡した。
「迅、なんの真似だ? 近界民(ネイバー)を庇う気か?」
「悪いね、風間さん。あいつはもう玉狛の隊員なんだ。お疲れのところ足を運んでもらって大変恐縮なんだけど、帰ってもらえないかな?」
「断る、と言ったら?」
「そりゃもちろん、実力派エリートとしてはかわいい後輩を守る為に、涙を飲んで戦うしかないね」
迅は腰に差していた『ソレ』に手を添えて、慣れた様子で引き抜いた。
漆黒の闇の中で抜き放たれた緑刃が煌めき、周囲を照らし出す。まるで、太刀川達を威圧するかのように、その剣は己の存在を主張していた。
迅悠一が、S級隊員である理由。それだけで戦局を左右するほどの力を持つ、特別な『トリガー』。
「黒(ブラック)トリガー『風刃』。それだけで、本当に俺達に勝てると思っているのか?」
「まさか。太刀川さん達を相手にしておれだけじゃ、いいとこ勝負は五分五分だ。だから当然、援軍は呼んである」
嘯く迅の背後に、赤い影が三つ。タイミングを見計らっていたかのように、彼らは夜の戦場へ降り立った。
赤い隊服に、胸には五つ星のエンブレム。
「嵐山隊、現着した」
嵐山准、時枝充、そして木虎藍。A級5位、嵐山隊の面々がそこにいた。
「嵐山隊……?」
「嵐山……玉狛と忍田本部長派は手を組んだのか?」
三輪が苦虫を噛み潰したかのような顔で呟き、逆に風間は表情をピクリとも変えず淡々と疑問を述べた。が、2人の心中は共通して穏やかではない。
迅の隣に彼らがいるということはボーダーの三派閥の内、『忍田本部長派』と『玉狛支部』が手を組んだという事実を意味する。
「おう、嵐山。ナイスタイミング」
「いや、ギリギリだったな。遅れてすまん」
「迅さん、中学生に深夜出勤させないでもらえますか?」
謝罪の言葉を発した嵐山とは対照的に、なぜか木虎の機嫌はすこぶる悪い。ツンとした態度の彼女を、迅は片手で拝んだ。
「わるいな、木虎。あとでぼんち揚あげるから」
「太るからいりません」
「あらら……冷たい」
迅は苦笑いをこぼしながらも、太刀川達に向き直った。
彼の表情から、のんきな笑みが削ぎ落ちる。
「どうする太刀川さん? 正直、嵐山達がいればこっちが勝つよ?」
あまりにも、あからさまな挑発。太刀川はそれを鼻で笑って、腰の『弧月』に手を掛けた。迅を見詰める瞳は、獣のように爛々と輝いている。
挑発には挑発を。
『弧月』を引き抜きながら、太刀川もゆっくりと言葉を紡ぐ。
「おもしろい。お前の予知を、覆してみた――」
ただし、開戦の合図となるはずだったその言葉を、残念ながら彼は最後まで言い切ることができなかった。
「太刀川ぁああああぁ!」
馬鹿が乱入してきたからである。
突如、目の前に現れた見たくもなかった顔。しかも、その男は既に黒い刀身の『弧月』を振りかぶっていた。
太刀川は唖然としながらも、『弧月』を引き抜いてその一撃を受け止めた。
「会いたかった! 会いたかったぞ! 太刀川! 随分と久しぶりじゃないか! 元気だったか!? 太刀川ぁ!?」
「き、如月ッ……てめぇ……」
斬り結び、至近距離で見る見たくもない顔は、満面の笑みに溢れている。
如月龍神は、太刀川慶にむかって大声でまくし立てた。
「まずは、よくぞ戻ったと言っておこうか! 我が終生のライバル! 俺の奇襲に即応できたあたり、腕は鈍っていないようだな!」
「うるせーぞ、このバカ!」
出会って数秒で苛立ちがマックスにまで高まった太刀川は、思い切り力を込めてその馬鹿を斬り飛ばした。
白いコートの裾が翻る。押し退けられた勢いを殺さぬまま、龍神は迅の隣まで下がった。
「おう、龍神。奇襲は失敗だったな」
さして残念でもなさそうな迅の言葉に、やはり落胆した様子など欠片も見せず、龍神は口元を吊り上げながら応じた。
「ふっ……この程度で仕留められるとは思っていない。だが、いいぞ太刀川。こうしてお前と相見えるのは、本当に久しぶりだ。俺は今、俺自身の高揚を抑えられそうにない!」
夜の住宅街に、朗々と声が響き渡る。警戒区域内でよかったなあ、と迅は思った。ここが普通の住宅街なら、間違いなく住民達から苦情を寄せられていただろう。
「昂る。実に昂るじゃないか! 黒トリガーを賭けたこの一戦。俺とお前の雌雄を決するには最高の舞台だ!」
「嵐山先輩、如月先輩がいつもの倍増しでウザいです。なんとかしてください」
「ははは、まあいいじゃないか。彼がいてくれるのは心強い!」
「……私はあっちに行きたいです……」
本当に、心底嫌そうに木虎は頭を抱えた。
「なるほどな。木虎の機嫌が悪いのは、お前がそっち側にいるからか、龍神」
納得がいったというように、一部始終を眺めていた出水が手を打った。ついでにギロリと木虎から睨まれ、「相変わらずかわいくねぇなぁ」と呟く。
「おい、出水。隊長命令だ。さっさとあのバカをハチの巣にしろ」
「無茶言わないでくださいよ、太刀川さん。そんな簡単に落とせたら苦労しないですって。どうせ『グラスホッパー』か『テレポーター』で逃げられるのがオチです」
「俺は迅を斬りに来たんだ。いつでも斬れるあのバカに使う時間はない」
「ふっ……そんなに俺に負けるのが怖いのか?」
「……うぜぇ」
心底疲れたようにふらついた太刀川は、びしっと迅を指差した。
「つーか、迅! なんでお前、こいつ呼んでんだよ!? 援軍は嵐山達だけで充分だろ!?」
「いやいや、太刀川さん。おれは呼んでないから。なんか龍神が勝手についてきただけだから」
「ふっ……戦いの匂いがした」
「だ、そうです」
「……うぜぇ」
とても戦闘開始直前とは思えない、間の抜けたやりとり。風間ですら生暖かい目で見守っていた会話を、しかし1人の男が剣呑な声で断ち切った。
「どういうつもりだ……如月!?」
三輪秀次である。
なんだか数日前にもまったく同じことを言われた気がする龍神は、いたって平淡な声で言葉を返した。
「どういうつもり、とは?」
「お前は何度、俺達の邪魔をする気だ!?」
「わるいな、三輪。だが、俺は一応忍田本部長派だ。こちら側に立つ理由もある。まあ、正直に言うと、太刀川が城戸司令派だったからなんとなくこちらの派閥だったのだが……」
この人ほんとに信じられない、という木虎の厳しい視線は一切無視して、龍神は言葉を続けた。
「……ある意味、ちょうどよかったのかもしれない。俺には、お前達の言う黒トリガーを持つ近界民(ネイバー)が、悪いヤツには思えなかったからな」
「なんだとっ……!?」
三輪の表情が、より一層固くなった。
「お前は近界民に肉親を奪われたことのない人間だから、そんな無責任なことが言えるんだ! だから、迅もお前ものうのうとそんな世迷い言を吐ける!」
「そうだな。確かに俺はそうだ。だがな、三輪。少なくとも迅さんは、近界民の襲撃で母親を亡くしている」
「っ……!?」
「だから……だからこそ、お前の理屈は、あいつを殺していい理由にはならない。あいつはもう、玉狛支部のボーダー隊員だ」
「そりゃ違うだろ」
押し黙った三輪にかわって、太刀川が会話に入った。『バッグワーム』を解除しながら、彼は先ほどまでとは雰囲気をがらりと変え、不敵に笑う。
「1月8日の正式入隊日まで、その近界民は『ボーダー隊員』じゃない。ただの『野良近界民』だ。仕留めるのに、何の問題もない」
「ふっ……揚げ足をとるなよ、太刀川」
黒い『弧月』の切っ先が、ピタリと太刀川へ向けられる。太刀川とは対照的に、龍神の顔からはいつの間にか笑みが消えていた。
「俺達は小難しい理屈でこの場に立っているんじゃない。あいつは確かに『門(ゲート)』を通ってこちらの世界にやって来た『近界民(ネイバー)』だ。だがな、『近界民』であると同時に、あいつは『空閑遊真』という1人の人間だ」
艶かしく輝く『弧月』の刃と同等、もしくはそれ以上に、龍神の眼光は鋭かった。
「泣いて、笑って、飯を食う。俺達と変わらない人間だ。俺と迅さんは、それを知っている。お前達を止める理由は、それだけで充分だ」
太刀川は眉を顰め、風間は目を細めた。嵐山は頷き、木虎はそっぽを向いた。出水はニヤリと笑い、三輪は忌々しげに龍神を睨みつける。菊地原だけが声を発して「うわ、くっさ……」と呟いた。
「そういうことだ、太刀川さん。ここを通りたければこの実力派エリートと孤高のB級隊員。それに嵐山隊の面々を、倒していってもらおうか?」
「なるほど、おもしろい」
迅の宣言を最後まで聞き、太刀川はもう一振りの『弧月』を抜き放った。
「お前の予知も、そこのバカも、まとめて斬っていくとしよう」
二刀が、輝く。
「『旋空弧月』」
闇を切り裂く刃の閃きが、開戦の合図となった。