如月龍神は、本来右利きである。
人は物心ついた時には利き腕でスプーンを持って食事をし、ペンを握って文字を書き始める。世の中の大多数が右利きである以上、少数派より多数派を優先するのが、世の常。左利きから右利きに矯正しようとする人間はいても、右利きから左利きに矯正しようとする人間はいないだろう。
しかし、如月龍神はただの人間ではない。筋金入りの馬鹿である。
多数よりも少数の方がかっけー、がモットーの龍神は、幼少の頃から左手で食事をし、左手で文字を書いた。『三つ子の魂百まで』と言う。悲しきかな、龍神の精神性はこの頃には既に確立されていたのだ。
とはいえ左利きだと何かと不便なことがあるらしい、と子供ながらに悟った賢しい馬鹿は、両親の説得もあり、右利きでも問題なく日常生活をおくれるように右手も使った。
結論を言えば、如月龍神は右手でも左手でも問題なく文字を書けるし、箸も持てる。つまり、両利きである。
しかし龍神はボーダーでは『弧月』を左手で握り、左手で振るってきた。なんか右手よりも左手の方が強い感じがするし、カッコいいからだ。ボーダーに入隊した頃から、左手を主(メイン)トリガーとして『弧月』を使ってきた為に、練習相手である米屋陽介や熊谷友子からは「まあ、微妙に受けにくいかもしれない」というなんとも言えない有難い評価を頂いている。とはいえ、元々左手で『弧月』を振るうことに、スポーツ選手のサウスポーのような強みを求めているわけではなかったので、龍神はそれで構わなかった。
要はかっこよければいいのだ。
基本的には『弧月』の両手持ち。『グラスホッパー』と『テレポーター』の併用で戦場を駆け回り、『旋空』を絡めた大技で仕留める、という戦闘スタイルを龍神は自己流で確立していった。他の攻撃手(アタッカー)達からも一目置かれるようになる中で、しかし龍神は、その闘い方に決して満足したわけではなかった。
如月龍神には、憧れとする戦闘スタイルがあった。自分を助けてくれた、あの男――太刀川慶の『二刀流』である。が、太刀川の人間性とその他諸々の個人的な意地も相まって、龍神は彼の戦闘スタイルをそのまま真似するのは死んでも嫌だった。
『二刀流』はやりたい。超やりたい。
でも、太刀川のパクりにはなりたくない。絶対になりたくない。
複雑な感情を抱きながら、様々な戦い方を模索していく内に、龍神はようやくひとつの答えを見つけ出した。
それが――
◇◆◇◆
「遂に解禁だな。右手の『スコーピオン』」
そんな状況ではないというのに、隣で迅はどこか楽しげにそう言った。
「ああ。出し惜しみしている場合じゃないからな」
「そりゃ確かに」
龍神の右手を見て、知ったように頷く迅。驚かないのは当然だ。
龍神は特定の師匠を持たず、独力でB級にまで上がってきたが、『スコーピオン』の取り扱いに関してだけは、玉狛支部で迅から教わっていた。そして龍神は『スコーピオン』を、玉狛支部の仮想戦闘ルーム以外で使用したことはない。
「なるほど。道理で本部の対戦記録にはデータがないわけだ」
「玉狛支部で秘密の特訓、ってか? 大方俺を倒す目的で練習を積んでいたんだろうが……そりゃ、菊地原がやられるのも仕方ないな」
風間と太刀川が呆れたように言葉を溢す。龍神の本部での個人(ソロ)ポイントは『弧月』のみ。『スコーピオン』を使ってくることは飽きるほど刃を重ねてきた太刀川でさえ、全く予想していなかった。
「ま、だからどうしたって話だけどな」
太刀川は笑う。確かに『おもしろい』が、それだけだ。
『旋空』を起動し、両手の『弧月』を振り抜く。勢いもキレも上々の、太刀川としても本気の一閃だった。
『トリオン』という特殊な物質で形作られた刃によって、塀が切り裂かれ、かすっただけで電柱が揺らぐ。普通なら、飛び上がって回避するところなのだろうが、龍神の選択は違った。
(刃の下を潜り抜けて……?)
飛び上がっていれば狙撃で仕留めて終わりだったものを、と内心で愚痴を溢しつつ、太刀川は正面から龍神の『弧月』と打ち合った。
「おっ……?」
そして、その勢いの苛烈さに少々面食らう。いつもならすらすらと口から飛び出てくる『無駄口』も、今日に限ってはまったくない。太刀川は、龍神が自分を本気で"獲り"にきていることを理解した。
「ふはっ! いいな! 今日はやけに気合いがノッてるじゃないか!」
悪くない。実際、太刀川の二刀流を『弧月』一振りだけで捌く龍神の技量は、かなりのものだ。
(ん……? つうかコイツ、さっきは『スコーピオン』出してたくせに、なんで使わないんだ?)
言い知れぬ、違和感。
判断よりも直感で、太刀川は後ろに飛び退さった。
「うおっ!? あっぶね!」
「ちっ……」
直後、コンクリートの地面を突き破り、飛び出してきたのは光り輝くブレード。回避が間に合わなければ、太刀川の足は串刺しになっていただろう。
ボーダー内でも『もぐら爪(モールクロー)』という名称で知られているこの攻撃は、足から地面を通して『スコーピオン』のブレードを伸ばす。先ほどは見せつけるように『スコーピオン』を右手に握っていたくせに、いきなり『コレ』とは、なかなかいい性格をしている。
「旋空――参式」
空中で身動きの取れない太刀川を待っていたのは、さらなる追撃。
龍神は右足を踏み込み、左手の『弧月』を突き出した。
「『姫萩』」
『旋空』の伸縮スピードを活かした、『弧月』による超速の一本突き。『シールド』を突き破る威力を有しており、ガードは不可能。
確かに悪くない技ではある。だが『スコーピオン』を使った攻撃と違い、太刀川は龍神の『姫萩』をこれまで幾度も受けてきた。回避不能、ガード不能であっても、馬鹿正直に受けてやる必要はない。
逸らしてやればいいのだ。
迫りくる剣先を見極め、右腕の『弧月』を振るう。腕には、それなりの衝撃。突き出された剣先を、太刀川はいとも簡単に受け流してみせた。
「はやいだけだろ、これは」
やや失望し、余裕から言葉を紡いだ太刀川は、しかし次の瞬間に目に入ってきた『ソレ』を見て、思考が固まる。
ナイフの刃渡りをさらに細め、まるでダーツのように形成された『ソレ』は。
――この野郎、『スコーピオン』を投げやがった。
太刀川が驚愕するのと同時、右手の『スコーピオン』を放った瞬間に、龍神は"獲った"と確信していた。
1セットの斬り合いの中に2度、見せたことのない攻撃を織り混ぜた。いずれも太刀川は初見の『スコーピオン』を絡めた攻撃。『もぐら爪(モールクロー)』と『姫萩』から、さらにもう一段。二段構えならぬ三段構え。特に最後の『スコーピオン』の投擲は、完全に意表を突いたと言ってもいい。
龍神がそう確信したのは、決して自惚れではない。
事実、この一連の攻撃を見切ることができる攻撃手(アタッカー)は、ボーダー内でも数えるほどしかいないだろう。
しかし、
「舐めんな、バカ」
龍神が相対している男は、その数えるほどしかいない攻撃手――頂点に位置するNo.1攻撃手(アタッカー)だった。『戦闘体』の急所である頭部を狙った正確な投擲を、正確であるが故に太刀川は首を傾げるだけでかわしてみせる。
太刀川は、空中で受けた2度の攻撃を苦もなく捌ききったのだ。
「調子にのんなよ」
そして、防御に用いられなかった『弧月』が、反撃の牙を剥く。
「『旋空弧月』」
闇夜に閃く斬撃は、一撃だけではない。両手のトリガーをフル活用した太刀川の連続斬撃は、周囲のブロック塀や電柱を薄布を裂くように切断し、家屋の一部すら倒壊させた。
「っ……?」
「うっわ!?」
「……派手にやり過ぎだ」
切り裂かれた電柱や壁が、雪崩のように次々に崩れ落ちる。その衝撃に、至近距離で鍔迫り合いを演じていた迅と風間も一旦離れ、距離を取った。迅にとってはチャンスだ。『風刃』の攻撃に距離は関係ない。当然、風間もそれを理解しているのか、瞬時に隠密(ステルス)トリガー『カメレオン』を起動し、姿を消した。
「ようし、ここら辺も斬りまくったら随分すっきりしたな」
徐々に粉塵が晴れ行く中で、太刀川は刃を振るう時とはまた別の笑みを浮かべていた。
「これで『射線』も少しは通るだろ」
『射線』という単語を耳が入った瞬間に、龍神は『テレポーター』で左へ"跳んだ"。直後、コンクリートを飛来した銃弾が穿つ。
「くっ……」
まさに、間一髪だった。
テレポートした龍神は、まだかろうじて残っている民家の塀に沿って、じりじりと後退する。
「新しい『スコーピオン』を絡めた攻撃は、まあなかなか悪くない、だが、こっちも仕事なんでな」
だらりと腕を下げた太刀川は、逆にゆっくりと歩を前に進める。
「迅と違って、お前には狙撃に対する手段がない。お前はバカだが、無視できない強さを持った駒だ。本当なら、俺が直々に斬ってやりたいところだが……」
太刀川慶は、A級1位部隊の隊長である。黒トリガー奪取の為の、この混成部隊の隊長に任じられたのは風間ではなく太刀川だ。必要な時に必要な判断をすることに、なんの躊躇いもなかった。
「(古寺、奈良坂。まずはあのバカから落とす。迅はそのあとだ。狙撃を如月に集中させろ。それでケリはつく)」
『(風間さんの姿が見えませんが……)』
「(俺にかまう必要はない。全力で如月を撃て。当てても文句は言わん。迅にプレッシャーをかける為に、今『カメレオン』を解除するわけにはいかないからな)」
『(奈良坂了解)』
『(古寺、了解)』
相手には聞こえない『トリオン』体を介しての通話を終えて、太刀川は前方の2人を見据える。バカにかまっている暇はない。太刀川達の任務は『黒トリガー』の奪取であり、太刀川個人の目的は『風刃』を持つ迅を倒すことなのだから。
「やれやれ……面倒だな。俺も予知能力が欲しい」
「そんないいことばっかじゃないぞ、サイドエフェクトも」
ぼやいた龍神に、迅は軽い調子で応じる。龍神は溜め息を吐きながら口は動かさず、この場にはいない味方の狙撃手(スナイパー)に文句を吐いた。
「(というか佐鳥、仕事しろ)」
『勘弁してよ如月先輩! このへん射線通らないし、あっちは狙撃手3人もいるのにこっちは1人だし! おまけに出水先輩のせいで居場所バレて逃亡中だし!』
泣き事を言ってきた嵐山隊狙撃手(スナイパー)、佐鳥賢に龍神は言い返した。
「(お前にはツイン狙撃があるだろう? それで2人分だ)」
『あ、そっか……ってそれでも1人分負けてるし! オレのスーパーでスペシャルなツイン狙撃も万能じゃないんすよ!』
「(そうか。俺の買い被りだったな。ツイン狙撃がそんなにショボいとは)」
『ひどいよ如月先輩!?』
いつまでも無駄話を続けているわけにもいかないので、通話を叩き切る。とりあえず、援護は望めないようだ。
ならば、
「自分でなんとかするしかない、か」
太刀川の歩みに合わせて後ろへ下がっていた龍神は、足を止めた。
「逃げるのは終わりか?」
「ああ。いつでも来い、太刀川」
「んじゃ、そろそろ"落ちろ"」
それが合図だった。
太刀川は再び『旋空』を起動。迅の『風刃』の攻撃に留意しながらも、周囲の建造物を延長したブレードで薙ぎ払う。風間は『カメレオン』で姿を消したままだが、間違っても味方の攻撃に当たるような間抜けではない。太刀川は全力で『弧月』を振るった。
「(道路の中央にあのバカを縫いつける。仕留めろよ、古寺、奈良坂)」
『(た、太刀川さん! 如月先輩が!?)』
「……なに?」
視界の中央には、『風刃』を構えた迅。しかし、その隣に立っていたあのバカの姿が、ない。
どこに消えた?
咄嗟に周囲を見回す太刀川だったが、彼の視界から龍神は完全に姿を消していた。
(『テレポーター』じゃない……まさか!?)
「(太刀川、前だ!)」
「っ……!?」
目前に迫るのは、緑に輝く斬撃。それが3本。
「ちっ!?」
二振りの『弧月』で咄嗟に防御し、太刀川は前方に突進した。
お目当ての相手が、ようやく本気になったのだ。
「どうした、迅? 下がってばっかだったのが、急にやる気出しやがって!」
「いい加減、手を抜いていられる状況でもなくなったからね。けど、そりゃ間違ってるよ、太刀川さん」
鍔迫り合いで間近に見える迅の目が、薄く細められた。
「本気になっているのは、『おれ達』だ」
言葉の意味に気付かないほど、太刀川は愚かではなかった。自分の背後、そこに唐突に現れた人影を、視認する。
「如月っ……!?」
龍神は理解していた。
こちらのチームには狙撃手(スナイパー)が1人しかいない。迅がいくら射線を切る地形を選んでも、敵の狙撃に対してはどうしても不利になる。しかも相手はNo.1狙撃手を擁する遠征チームだ。数の優位で負けている以上、はやい段階で"落とされる"わけにはいかなかった。
狙撃手への対策は、迅の隣で戦う為には必須事項。
だからこそ龍神は、普段は使わない隠密(ステルス)トリガーをセットしていた。
『カメレオン』を使えるのは、風間隊だけではない。
――やれるか?
挟撃は成功。
迅の『風刃』と斬り結んでいる太刀川は、受け太刀で龍神の『弧月』と『スコーピオン』を防げない。
太刀川には攻撃を防ぐことはできなかった。故に、太刀川以外の人間が、その攻撃を受け止めた。
「なっ……?」
龍神が失念していたのは『カメレオン』を使っている人間が、自分だけではなかったということである。
瞬間、閃いた『スコーピオン』の刃は、一つではなく三つ。
「油断するなよ、太刀川」
片手の『スコーピオン』を砕きながらも攻撃を受け止めた風間蒼也は、太刀川をカバーするように彼の背後へ着地した。
「おー、助かったぜ、風間さん」
返事をしつつ、太刀川も『弧月』を押し込んだ。バックステップで、迅が後退する。
その間にも、風間に奇襲を防がれた龍神は闇に紛れてかき消えていた。
「なるほどな。これでは狙撃は機能しない。菊地原から先に狙ったのも、理由があったということか」
「どうする風間さん?」
背中を合わせながら、太刀川が問う。
「組ませると面倒だ。分断して各個撃破する。お前は奈良坂達と組んで迅をやれ。3人では厳しいだろうが……」
「それは任せてくれ。願ったり叶ったりだ。風間さんは?」
「俺が如月をやる。奴を片付け次第、そちらに合流する」
「1人で大丈夫か?」
「誰に言っている?」
互いに背後を預け合った攻撃手の1位と2位は、あえて敵にも聞こえるように会話を続ける。
「あの馬鹿には、俺に隠密(ステルス)戦闘を挑んだことを後悔させてやる必要がある」
「……了解、了解」
背中合わせの為、表情は見えなかったが、太刀川は心中で肩を竦めた。
――こりゃ珍しく、風間さんに火が点いたな。
もちろん、それは自分もなのだが。
太刀川は『弧月』の切っ先を、自分のライバルだった男に突きつける。
「さあ、馬鹿は風間さんに任せた。再開といこうか、迅」
太刀川の背後から、風間が消える。
「やれやれ……」
『風刃』を正面に構え、
「ここからが正念場だな」
迅もそれに応じた。
スコーピオン投げはアニオリで太刀川さんと共闘した時に、迅さんがやっていたアレです。
原作でも4巻で首ちょんぱされた菊地原がスコーピオン落としたり、6巻でラービットにスコーピオンが突き刺さったままの描写があるので、多分できる!