一言で言うなら、状況は混沌(カオス)だった。
ボーダー本部、第七会議室は今、異様な雰囲気に包まれていた。
この部屋の長机は四角形に配置されており、一辺に5人が座れるようになっている。その中央にまるで罰ゲームのように、如月龍神は1人だけで座らされていた。上から見れば四角形の上辺の中心、と言えば分かりやすいだろうか。
もちろん龍神としてもこの処遇には文句のひとつは言いたいところだったが、少なくとも勝手な発言が許されるような雰囲気ではなかった。
右側の一列には、加古と双葉、那須と熊谷の女子4人組がずらりと並び。
真正面では諏訪と荒船が睨みを効かせ、堤と穂刈は彼らの隣で沈黙を保っている。
左側には気まずそうな茶野と間宮、彼らにフレンドリーに話しかけようとしている犬飼と、その気まずさの原因であろう二宮が仏頂面で腕を組んでいた。
龍神を起点として席順を時計回りに見れば、加古、双葉……犬飼、二宮と続く。要するに一番近いのが加古と二宮なわけだが、これは万が一、龍神が逃げ出そうとした時に取り押さえる為らしい。もっとも、龍神は現在『トリオン体』に換装しておらず、他の全員は『トリオン体』という状況だ。そもそも逃げ切れる気がしない上に、龍神は『トリガー』に触れることすら禁じられていた。
「……仮に俺が『トリガー』を使って逃げ出したらどうなるんだ?」
あまりの警戒のしように疑問が沸いたので、聞いてみる。
すると、
「ぶった斬る」
「ぶっ放す」
「蜂の巣かしら」
物騒な発言しか返ってこなかった。ちなみに上から、荒船、諏訪、加古の順だ。二宮が無言なのが、またこわい。
「みなさん、屋内ですから……さすがにそれは控えましょう」
唯一まともにそれを諫めたのが、最も若い隊長の那須なのだから困る。
柔らかい彼女らしい発言に、ほっとした龍神だったが、
「でも、屋内で撃つなら玲ちゃんの『変化弾(バイパー)』が一番向いているわよね?」
「はい。大丈夫ですよ」
前言撤回。
一体、何が大丈夫なのか。加古に微笑みかける那須の笑顔が、今日はなぜか影を帯びているように見える。龍神は背筋が寒くなった。
そもそも、だ。
ボーダーの正隊員は基本的に仲が良い。親しさに差はあれど、ランク戦や合同任務などで大抵の正隊員は互いの顔を見知っている。少なくとも、廊下で会えば挨拶や世間話をする程度の仲ではあるハズだ。
が、今日は違う。
笑顔の裏にも何か言い知れぬ思惑があるような。そんな無駄な緊張感が部屋の中には満ちていた。数多の視線と思惑が交差し、無言のまま火花を散らしている。
なんなんだ、この部屋の雰囲気は。
そんな嘆きを呟くことすら叶わず、龍神は肩を縮こまらせていた。
「――無駄に長居をする気はない」
沈黙を保っていた人物の発言に、視線が集中する。
誰もが本題に入ることを躊躇っている中、議論の口火を切ったのは二宮匡貴だった。
「そこの馬鹿をうちのチームに入れたい。だから俺はここに来た。諏訪さんも、他の連中も全員がそうなんだろう?」
言葉を濁すことを嫌う、実に彼らしい言葉だ。机の上に腕を組み直し、さらに二宮は続ける。
「だったら話は簡単だ。如月龍神、お前はこの中でどのチームに入りたい?」
その質問はまさしく直球。はやくもこの議論に決着をつける、爆弾のような一言だった。
「それなら話は簡単よ。如月くんはうちのチームに入りたいに決まっているわ」
龍神がどう答えるか迷っている間に、いち早く反応したのは加古だった。
自信満々な彼女に、ギロリと二宮の視線が向く。
「根拠は?」
「うちのチームはそもそもA級。入ればそれだけで、お給料に固定給がプラスされるもの。これは結構重要なポイントじゃないかしら?」
加古が提示したのは金銭的なメリットだ。ボーダーではC級隊員は基本的にボランティア扱いで無給。B級から『トリオン兵』討伐の出来高制になり、A級からは出来高に固定給が上乗せされる。
将来のことを考えても、お金の問題は馬鹿にはできない。加古隊がこの場で唯一のA級チームであり、A級には固定給がでることをすっかり忘れていた龍神は「成る程……」と、頷いた。
当然、それを見て慌てるのは他の部隊の隊長である。
「おいこら、加古! 健全な高校生を金で釣ろうとしてるんじゃねぇ!」
年下の女子にも容赦なく文句を言う諏訪に、しかし加古は余裕綽々といった様子で微笑んだ。
「何を言ってるの、諏訪さん? お金は大事でしょ? それにウチのアピールポイントはこれだけじゃないもの」
「なにぃ?」
長髪をかきあげて、加古はさらに言う。
「ウチに入ればA級権限で『トリガー』を自分好みにカスタマイズできるわ。自分"専用"にチューニングした"スペシャル"で"オンリーワン"な『トリガー』で戦える。如月くん的にはお給料よりも、こっちにもっと心牽かれるんじゃない?」
確かに。
『専用』『スペシャル』『オンリーワン』 加古の提案には龍神の心を刺激するワードがこれでもかと詰め込まれていた。実際、それを聞いてしまうと心が踊る。ましてや龍神はついさっき、A級になったら自分の『トリガー』をカスタムしてやる、と鬼怒田に言われたばかりである。この提案が魅力的でないわけがない。
「そしてなによりも……」
加古はおもむろに立ち上がり、龍神を指差した。
「ウチに入れば美少女4人に男は1人だけ……如月くんはハーレムなボーダー生活を満喫できるわ!」
やはり、一番のアピールポイントはそこらしい。
龍神は美"少女"という点に異議を唱えたかったが、ただでさえ味方がいない状況なので、黙って受け流す。
「加古てめぇ! 健全な男子高校生を色恋で誘惑してんじゃねぇ!」
反論するのは、やはり諏訪だ。
「あら、健全な男子高校生が色恋沙汰に興味を持つのは当然。むしろ、私は如月くんが諏訪隊に入って、麻雀漬けのダメな大人にならないか心配なんだけど?」
「ぐっ……如月! 今はやめちまったが、ウチのおサノも元読者モデルだから結構カワイイぞ!」
「諏訪さん、ちょっと論点ズレてます」
くわえタバコが落ちそうな勢いで、オペレーターのかわいさアピールをはじめた諏訪に、堤が苦笑いしながらツッコミを入れる。
と、今度は比較的に静かにしていた那須が片手を挙げた。
「如月くん。うちも一応ガールズチームなんだけど……その、ハーレムとかそういうのは期待しないで欲しいかな。やっぱり男の人は、一途な方が素敵だと思うし」
「何の話してるの、玲!?」
「くまちゃんも浮気は困るよね?」
「だから話の前提がおかしくない!?」
龍神をそっちのけにして言い合う那須と熊谷。こうも全員に話を振られると、どこからどうツッコみ、話していけばいいか分からない。
混乱している龍神に向かって、次に口を開いたのは荒船だ。
「なあ、如月。俺達『B級』の部隊に比べて、『A級』の加古隊の条件が魅力的なのは認めるしかない。だが、お前はそれでいいのか?」
「どういう意味だ、荒船さん」
普段よりも真面目な、重々しい語り口に、龍神は聞き返した。
対する荒船は、あくまでもゆっくりと言葉を紡ぐ。
「最初から『A級』のチームに入れば、確かにお前は『トリガー』のカスタマイズをはじめとした様々な恩恵を受けることができる。しかし……それは本当にお前が求め、手にした『強さ』なのか?」
さらに、荒船の隣の穂刈が、フォローするように言葉を重ねる。
「そうは思えないな、俺は」
「穂刈さん……」
「そういうことだ。お前は最初から上にいるチームに入って満足する男か? 違うだろ?」
帽子のつばを下げ、口元だけを覗かせて、荒船はニヤリと笑みを浮かべた。
「俺は知ってるぜ? お前が下からでも上に這い上がるヤツだってことをな」
「……荒船さん」
映画鑑賞で培ったセリフ回しに、アクション映画らしいクサイ演出を練り込んだ荒船の説得(演技)は、龍神の心を揺さぶるには十分過ぎる効果があった。
これはまずいと見て取って、加古が横から口を挟む。
「騙されちゃダメよ、如月くん。荒船隊は全員が狙撃手(スナイパー)。1人だけ前衛に駆り立てられるブラックチームに就職するようなものよ」
「言ってくれますね、加古さん。でも、俺は信じていますよ。如月なら、どんな状況でも1人で攻撃を捌ききってくれる、と」
「それやっぱり1人前衛よね?」
「……荒船の言うことは筋が通っている」
「えっ!?」
ここで会話に入ってくるとは思わなかったので、加古は驚いた。
再び議論に割り込んできたのは、二宮である。
「加古、お前はさっきから自分のチームが『A級』であることをさも利点のように語っているが、それは逆だ」
言い争いをしながらもどこか和やかだった雰囲気は、二宮が絡んできた途端に様変わりする。加古は正面から二宮を睨み返した。
「どういう意味よ?」
「お前のチームは現在『A級6位』だ。チームとしてのランクは個人とは違い、『ランク戦』で勝ち上がって認定を受ける必要がある」
「それが?」
「昔と変わらないな。一々説明しなければ分からないのか? 部隊としてのランク認定は個人ではなく集団で評価されるものだ。元々『A級』であるチームにそこの馬鹿が入れば、そいつはすぐに『A級隊員』であることになる」
二宮が言いたいのは、要するに過程の問題だ。
『C級』から『B級』に上がる条件は、使用している『トリガー』のポイントが4000を越えること。端的に言えば、個人の成績である。
が、『B級』から『A級』に上がる為には、各シーズンごとに本部で行われるB級ランク戦を勝ち抜き、上位2チーム入り。そこからさらに『A級部隊』と戦い、A級認定を勝ち取らなければならない。
二宮はNo.1射手(シューター)であり、個人総合でも2位に入る実力者だが、現在のランクは『B級』。鈴鳴第一の村上鋼なども『No.4攻撃手』であり、個人としての戦闘能力はかなり高いが、鈴鳴第一自体のランクはB級中位だ。
ボーダーでは個人の戦闘能力や技術以外にも、部隊単位での戦術や戦法、つまり『部隊』として戦力になるかどうかが評価される。もちろん、上位チームにはそれ相応の実力者が在籍しているが、それだけで勝てるほど『ランク戦』は甘くないということだ。
だが、
「ワンシーズンに1人までなら、A級部隊に新メンバーが加入するのは認められているわ」
「ふん。チームの一員として戦っていたわけでもないのに、入っただけで『A級』になる、か……」
「なによー、その嫌みったらしい言い方」
珍しく饒舌な二宮に、加古は唇を尖らせる。そして龍神も珍しい……というよりは、意外だと思った。
二宮匡貴という男はもっとスタンドプレイを重視する、チームプレイという言葉から最も遠い人間だと思っていた。しかし、そんなことはないらしい。
むしろ今の発言からは、チームで"強くなる"という過程を重視するような、そんな意思が感じ取れた。
「相変わらずネチネチとうるさいわね。そういう男は女の子から嫌われるわよ?」
加古と二宮は元チームメイト。かつては『A級1位』の東隊のメンバーとして、共に戦った仲だ。だからこそ、2人の舌戦には遠慮というものがなかった。
(……誰だ、よりにもよってこの2人を向き合わせて座らせたのは)
龍神は心の中で呟いた。ちなみに言うまでもなく、この席順になったのは龍神の位置が原因である。
「別に好かれたいわけじゃない。特にお前のような女に好意を持たれたくない」
「本当にかわいくないわね」
「女からかわいいなんて言われるのは御免だ。気持ちが悪い」
「そんなんだから鳩原ちゃんにも逃げられちゃうのよ」
今までは加古の文句を受け流してきた二宮が、その発言にだけは肩を揺らした。
「…………」
が、特になにを言うわけでもなく、そのまま押し黙る。
二宮から反応が返ってこなくなり、つまらなくなったのか、加古は龍神の方へ顔を向けた。
「如月くん、二宮隊に行くのだけはやめておきなさい。手っ取り早く『A級』に上がれるかもしれないけど、絶対につまらないわよ。チームの雰囲気が隊長色に染まっていて、重苦しいに決まっているわ」
「それはひどいなー、加古さん。うちの隊長は確かに滅多に笑わないけど、別に雰囲気悪いわけじゃないですよ?」
隣の茶野と間宮にちょっかいをかけることだけに集中していた犬飼が、ここでようやく会話に入った。
「じゃあ聞くけど、犬飼くん。二宮隊はチームのメンバーでどこかに遊びに行ったりするの? そういうの大事よ、如月くん的にも」
さっきからなぜか勝手に気持ちを代弁されている龍神だったが、加古の言うことにも一理ある気がしたので、黙って耳を傾ける。
犬飼は頬をかきながら、
「そうですねぇ……焼肉とかは連れていってくれますよ、二宮さんが」
焼肉。二宮のイメージとは合わないその言葉に、荒船や那須が興味を示した。
「意外ですね。二宮さんが焼肉ですか……」
「お好きなんですか?」
「……まあ、それなりにな」
流石に後輩の隊長2人からの質問を睨んで黙らせるようなことはせず、渋々といった様子で二宮は答えた。
「焼肉……焼肉ねー」
「どうかしたんですか、加古さん?」
双葉が聞くと、加古はさっきよりも柔らかい苦笑いを浮かべた。
「東さんもなにか奢る時、大抵焼肉でしょ? ほんっとに二宮くんって、なにかと東さんに影響されてるっていうか……もっと人格的にも影響受ければ良かったのに」
「まあまあ、加古ちゃん。それが二宮の『味』でもあるからさ」
「堤くんは人間ができているからそんなこと言えるのよ」
堤にたしなめられても愚痴を溢す加古。こちらに対しては二宮は睨んだだけで、返事を返さなかった。
「私なら焼肉になんて行くまでもなく、チャーハン作ってあげるのに」
「そうですね」
双葉は軽く頷いたが、龍神と堤はその発言に顔を青くする。2人の心情は声に出さずともシンクロしていた。
それだけは、絶対に食べたくない。
(うちに来ないか、如月くん。あのチャーハンは食べたくないだろう?)
(そうですね。あのチャーハンはもう食べたくありません)
今は『トリオン体』ではないので無線会話ができるはずもないが、龍神は確かに堤と言葉を交わせた気がした。
「…………ちっ」
さらに龍神にとって意外だったのは、二宮までもが苦渋に満ちた表情になり、顔を背けたことだ。いや、元チームメイトならあのチャーハンに似たナニカを食したことがあるのは当たり前か。
二宮に対する龍神の親近感が、以前よりもぐっと高まる。あの地獄を共に経験した仲だ。親近感が湧かない方がおかしい。
「……とにかく、ぐだくだと話し合っても時間の無駄だ。本人に聞くのが一番はやいだろう」
嫌なものを思い出してしまったせいか、無駄な会話にうんざりしたのか。
いずれにせよ、最初の質問からかなり逸れてしまった会話を修正するべく、二宮は再び龍神に問い掛けた。
「如月、正直に答えろ。お前はどこのチームに入りたい? 消去法でどこのチームには入りたくない、でも構わない」
「いやな言い方ねー」
二宮の質問に加古が文句を言うが、それについては龍神も同感だった。
この場に集まってくれた各部隊の隊長と隊員達は、龍神をメンバーに迎えようと本気で考えてくれている。龍神はそんな彼らに対して優劣を決めるような発言はしたくなかったし、どこに入りたい、と要望を言うことはあまりにも我が儘な発言に思えた。だが、このままダラダラと解答を先伸ばしにしても、状況が改善しないのは明白である。
意を決して、龍神は口を開いた。
「そうだな……まず、加古隊、荒船隊、諏訪隊――」
三つのチームの名前が、龍神の口からこぼれ出る。
加古は二宮に向かって勝ち誇ったように笑い、荒船は帽子のつばを上げ、諏訪は分かりやすく期待に満ちた表情になって、次の一言を待った。
しかし、
「――以上の3チームには、入ることを考えていない」
「え!?」
「な……?」
「あぁ!?」
次の瞬間の龍神の発言に、上記3チームの隊長は表情と態度が完全に裏返った。
「え、え……えぇ!?」
普段から漂わせている気品と余裕に満ちたオーラも完全に消し飛び、加古は大きく狼狽した。
今挙げられた3チームは、普段から龍神と仲が良い。ある意味、加古からみても荒船隊と諏訪隊は勧誘の『ライバル』と目していたチームだ。そんな2チームと一緒に、自分のチームが真っ先に勧誘を蹴られてしまった。
その事実が、加古には信じられなかった。
「……如月先輩」
加古ですら動揺しているのだから、隣の双葉にいたっては今すぐにでも泣き出しそうな勢いである。必死に双葉の頭を撫でて慰めながら、加古は語調を強めて龍神を問い質した。
「ちょっと!? どういうことよ、如月くん!?」
「俺達を最初に候補から外すとは、いい根性してるじゃねぇか」
「てめぇ、理由を説明しやがれ!」
3人の隊長から詰問されても龍神は動じなかった。
「すまない……加古さん、荒船さん、諏訪さん。だが、俺は――」
苦悶し、体を震わせながらも、正直に解答を吐き出す。
「――ジャージっぽい隊服は、ちょっと嫌なんだ……」
今度こそ。
今度こそ、先ほどを上回る衝撃の返事を寄越され、3人の隊長は文字通り崩れ落ちた。
そんな理由かよ、と。
が、3人の中でも復活がはやかったのは、やはり加古である。
「聞き捨てならないわね! ウチのチームはガールズチームよ! ジャージだってジャージに見えないくらいオシャレだわ!」
「加古さん、それだと結局隊服がジャージなことを解決できていません」
候補から外された理由がいかにも龍神らしい下らない理由であることを知った双葉が復活し、的確にツッコミを入れる。
「大体、そんなこと言ったら嵐山隊なんて赤いジャージだろうが! あれよりは俺らのチームの緑や、荒船の黒みたいなカラーの方が百倍マシだろ!」
さりげなく嵐山隊のジャージの派手さを貶めながら反論する諏訪。しかし龍神は首を縦に振らず、横に捻った。
「……でもなぁ、やっぱりジャージはジャージだしな……」
「……分かった。なら、ウチのチームの隊服は加賀美にデザインし直させてジャージから脱却する。それなら文句はないだろ、如月?」
「いや待て、荒船。まずいだろ、それは逆に。取り返しがつかないことになるぞ、ヤバいデザインになって」
荒船の提案を穂刈が止める。加賀美に聞かれたらただでは済まないだろう。
何はともあれ、最有力候補である3チームが下らない理由で除外され、水を得た魚のように元気になったのは、存在感が薄かった2チームである。
「じゃ、じゃあ如月先輩! オレ達は……」
「茶野隊の隊服はコートっぽくてカッコいいな。あとは裾があれば完璧だ」
「ぼく達の部隊もイケているってことでいいのかな?」
「間宮隊はゴーグルがイイ。隊服も前ボタンのデザインが凝っていて好きだ」
茶野と間宮は「おお!」とガッツポーズを取った。
次いで那須も、ここがチャンスと見込んで発言する。
「うちのチームの隊服は小夜ちゃんがデザインしてくれたから、自信があるわ。男性用も頼めば作ってくれると思うし」
「成る程……それはいいな」
「ちょっと待って、如月くん! じゃあコイツのチームの隊服はどうなのよ!?」
『コイツ』という代名詞と共に、加古に指差されたのは二宮だ。
「二宮隊なんて隊服がスーツよ! スーツ! それこそ面白みもなにもないじゃない!」
二宮隊の隊服はボーダー内でも珍しい、ブラックのスーツタイプ。全員がネクタイまで絞め、二宮や辻はベストも着用している。そのまま式典などにも参列できそうな、フォーマルなスタイルだ。
「いや、加古さん。スーツはなんか一周回ってカッコいいだろう?」
「な……?」
滅多に流さない冷や汗を浮かべて、加古は驚愕した。
「ジャージスタイルが主流のボーダーの中で、逆に黒スーツというのは異彩を放っている。正直言ってかなり好きだ」
スーツのジャケットは前を開ければ靡くので、龍神的にはポイントが高い。なんだかエージェントみたいでカッコいい、というのもある。
二宮は鼻を鳴らし、ジャケットを羽織りなおした。
「ふん……俺はダサいジャージや妙にSFめいた珍妙な服装をする気はないからな」
「なんですって!?」
「もっかい言ってみろ! 二宮ぁ!」
加古と諏訪が噛みつくが、二宮は相手にせずにそれを流す。
うんうん、と頷きながら龍神は言った。
「でも、他のチームからは明らかに浮いているから、逆にコスプレみたいではあるな」
その一言は、端的に言えば地雷だった。
仕方がない。龍神は知らなかったのだ。二宮も龍神と同様にジャージスタイルの隊服を嫌い、かといって龍神のように開き直ることもできず、現在の隊服をスーツにしたということを。その結果、逆に二宮隊の隊服が他のチームから浮いている事実を、実は少々天然が入っている二宮は自覚していない。
なによりも『コスプレ感』が出るのを嫌う二宮が、自分のチームの隊服を『コスプレ』と言われて黙っているわけがなかった。
「に、二宮さん……?」
当然、そのあたりの事情を理解している犬飼は、恐る恐る二宮に声を掛けた。正面に座っている加古が腹を抱えて必死に笑いを堪えている現状、プライドの高い二宮をフォローするのは隊員として必然の責務である。
「如月は……ほら、俺達の隊服カッコいいって言ってくれてるわけですし! 別に悪気があったわけじゃ……」
「犬飼」
「はい!?」
二宮はちらりと犬飼を見ると、椅子から腰を上げた。
「帰るぞ」
◇◆◇◆
「え、いやちょっとそれ……結局どうなったのよ!」
話を途中のいいところで打ち切られ、小南桐絵はテーブルに乗り出すような勢いで龍神に続きを促した。
時刻は夜。あの修羅場を潜り抜けた龍神は、せめて胃袋だけでも癒そうと玉狛支部に来ていた。
「いや、別にどうにもならなかったぞ」
小南に事情を説明しつつ食べているのは、レイジ特製のオムライスだ。特に高級食材が使われているわけではないが、鶏肉がゴロゴロ入っており、とても食べ応えがある。チキンライスのコクと風味はバターと牛乳で出したものだろうか。くどすぎず、かといって薄いなどという言葉が浮かぶ余地すらない絶妙な味付けは、上に乗せられた半熟の卵と最高にマッチしている。
相変わらず、上手い料理を作る筋肉である。
あまりの美味さに脳内食レポを綴っている龍神に痺れを切らし、小南はもう一度質問を繰り返した。
「どうにもならなかったってどういうことよ!?」
「言葉通りの意味だ。俺はどこのチームにも入らない」
「はあ!?」
小南が立ち上がった勢いで、ダイニングテーブルが揺れる。
「入らない……ってあんた、次のランク戦までにチーム組めって命令されたんじゃなかったの!?」
「ああ、そうだ」
「ああ、そうだ、じゃないわよ! どうすんのよ!? せっかくあんたみたいな変人を受け入れてくれるって、みんな集まってくれたのに! それを自分から蹴るとか……信じられないんだけど!」
「まあまあ、小南。龍神には龍神なりの考えがあるんだよ」
珍しくぼんち揚ではなくオムライスを食べている迅悠一は、相変わらず軽い調子で龍神をフォローした。
「考え? そんなもの本当にあるの?」
「……まあな」
ややバツが悪そうに、龍神は言った。
「あの状況で俺がどこかのチームに入ることを決めれば、チームの間に何かしらの禍根が残ってしまうかもしれないだろう? そんな原因に俺はなりたくない」
「ま、まあ、それはそうかもしれないけど……」
「かといってA級の加古隊にいきなり入るのも、二宮さんが指摘したように他の隊員から文句が出るかもしれないからな。それに上層部が認めてくれても、なにより俺が納得できない。誘ってくれたのはもちろんありがたいし、感謝しているが、こればっかりは仕方がない」
だから丁重にお断りした、と語る龍神に、小南は呻いた。
なんだかんだ言って、この馬鹿は色々と気を遣うタイプなのだ。
ケチャップで汚れた口元をナプキンで拭き、龍神はさらに続ける。
「それに、断った理由はもうひとつある」
「もうひとつ? なによ?」
「それは……」
スプーンを置き、龍神は小南を見据えた。その動作と視線だけでも、もうひとつの理由が龍神にとっていかに重要かが分かる。だから小南は口をつぐんで、じっと龍神の言葉を待った。
「俺は『隊長』って呼ばれてみたい」
「やっぱりあんたバカよ……」
もはやクッションを投げる気すら起きなかった。そのしょうもない理由には心底呆れるしかなく、小南は目の前でオムライスをきれいに食べ終えた馬鹿に溜め息を吐いた。
が、馬鹿本人は一向に気にしている様子はない。
「レイジさん、ご馳走さまでした。今まで食ったオムライスの中で一番うまかった。最高だ!」
「それはなによりだ。食器はそこに置いておけ。フライパンと一緒に洗う」
「ではお言葉に甘えて……宇佐美! 今日は三雲達は来ていないんだよな?」
「そうだよー。遊真くんもはやめに帰ったし」
「なら、訓練室を使わせてくれ。体を動かしたい。それとできれば『やしゃまるシリーズ』を仮想敵にしたいんだが……」
龍神の要望に、ソファーでぐうたらしていた宇佐美が飛び起きた。
「おおっ! いいよいいよ! どの子でいく? ブラック? ゴールド? ハニーブラウン?」
「ふっ……せっかく戦隊系のカラーなんだから、まとめて相手にしないと意味がないだろう?」
「さすが、たつみん! お目が高い! ならば私が持てるデータの全てを注ぎ込んで制作した最強のやしゃまる……その名も『やしゃまるレインボー』が相手をして差し上げよう!」
「ほう……腕が鳴るな」
ワイワイガヤガヤと盛り上がりながら出ていく龍神と宇佐美を見送り、小南はまた溜め息をひとつ。
「はあ……ねぇ、迅。本当に大丈夫なの?」
「なにがー?」
「なにがって……隊長って呼ばれたいってことは、あいつがチームを組むって意味でしょ? 今からで間に合うの?」
「それは大丈夫だろ」
小南の懸念に返事をしたのは、迅ではなくレイジだった。
「考えてもみろ。本当にまずい状況なら、お前の目の前にいるヤツが呑気にオムライスを食べていると思うか?」
「なはは……」
察しのいいレイジの指摘に、迅は困り顔で頬をかく。
唇を引き結んで、小南は迅を睨みつけた。
「……なに? また自分だけ何か『視えている』わけ?」
「まあ、それは否定できないけど……とりあえず、おまえはおまえなりに龍神のことは気にかけてやってくれない?」
「相っ変わらず、はっきり言わないわね……」
「だって言ったら、色々変わっちゃうかもしれないだろ? ふぅ……レイジさん、ごちそうさまー」
「おう」
立ち上がり、食器を片付ける迅。その含みある物言いに、小南はますます不機嫌になった。
未来を『視る』ことができる迅悠一は、同時にある程度の未来を『動かせる』立場にいる。迂闊に未来の出来事を教えられないのは理解できるが、それでも知りたいことを自分は知らずに相手だけが知っているというのは、面白くない。
さすがに気が引けたのか、迅は部屋から出る直前に小南の方を振り向いた。
「大丈夫だよ、小南。龍神はちゃんと、自分のチームにぴったりなメンバーを見つけるからさ」
「……ほんとでしょうね?」
もちろん、といつもの飄々とした笑顔で迅は頷いて、
「おれのサイドエフェクトがそう言ってるよ」
決め台詞を残して、部屋を出た。