厨二なボーダー隊員   作:龍流

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厨二の師匠探し

「うぅ……さっむ」

 

 呟きながら、熊谷友子は曇り空を見上げた。時刻は朝の7時45分。今朝は曇天も手伝って、また一段と寒い。家を出る時には半分眠っていた頭が、刺すような風の冷たさで完全に冴えてしまった。防寒対策を怠っていたわけではなく、マフラーに手袋、制服の上からコートを着た完全装備なのだが、それでも寒いものは寒い。

 周囲を歩く学友達も皆一様に眠そうな表情を顔に張り付け、マフラーに顔をうずめている。男子もつらそうな顔で通学路を足早に歩いているが、寒さに関しては彼らの方が自分達よりも数段マシだと熊谷は思う。なにせ、女子高生は冬でもスカートなのだ。女子とは過ごしやすさよりもお洒落さやかわいさを優先する生き物である。真冬でも生足を貫く剛の者も多い。

 

(そういえば、体の調子いいから今日は学校行くって言ってたけど……大丈夫かな、玲)

 

 心配なのは、チームメイトの体調だった。熊谷の所属する部隊の隊長であり、同時に親友でもある那須玲は生まれつき体が弱い。基本的に外出は厳禁。家にいる時でさえ、自室のベッドで横になっていることの方が多いくらいである。こんなに寒い日に外に出て逆に体調が悪くならないか、熊谷は気が気でなかった。

 

(『トリガー』使ったら寒さなんて気にならないんだけどな……冬場だと女子の需要も高いかも)

 

 我ながら下らない想像をして、溜め息を吐く。

 こういった日常生活の時に『トリオン体』を使えればどんなにいいか……とは、いつも思うことだ。実際の肉体とは違い、痛覚などの感覚を遮断する『トリオン体』なら暑さ寒さもへっちゃら。おまけに疲れ知らずときている。体の弱い玲が子供の頃からの夢だった『走り回るような運動』をできるようになったのも『トリオン体』のおかげだ。だったら普段から『トリオン体』で生活をすればいい、と熊谷は考えるのだが、玲は任務や訓練の時以外は『トリガー』を使用するのを控えていた。

 ボーダー本部での時間を『トリオン体』で過ごしている正隊員は多い。その方が訓練などに行く時にスムーズであるし、生身よりも疲れ知らずの『トリオン体』でいる方が楽だからだ。視力が弱い人間は、視力が回復するという利点もある(それでもメガネを外さない隊員は多いが)。玉狛支部の迅悠一などに至っては、大抵いつも『トリオン体』である(そのおかげでセクハラをされた際に容赦なく殴れるのは大きな利点)。さらに言うなら、玲の場合は『トリオン体で病気の人間を元気にできるか』という実験を目的に入隊したこともあって、上層部もトリガーの日常的な利用に一定の理解を示していた。これらの実験についてはテレビで特集を組まれたこともあるくらいなので、彼女の事情は学校側や周囲の人間も把握している。非難される謂れもないはずだ。

 

 ――どうして、普段から『トリガー』使わないの? その方が絶対、体も楽でしょ?

 

 まだチームを組んで間もない頃、そんなことを聞いたことがある。自室のベッドに横になっていた玲は、少し困ったように薄く笑みを浮かべた。

 

 ――そうだね。たしかにずっと『トリガー』を使っていれば体調を気にする必要もないし、くまちゃん達ともっとたくさん遊べると思うよ。『トリオン体』で運動するの、私もすごく楽しいし、大好き。

 

 でも、と彼女は綺麗なセミロングの髪を振って答えた。

 

 ――この体は私のものだから。この生身は私がずっと付き合っていかなきゃいけないものだから。それに……私だけが『トリガー』に甘えるのは嫌なの。

 

 

 玲は言った。

 自分以外にも『体が弱い人間』は大勢いる。自分はたまたま三門市に住んでいて、たまたま従兄弟がボーダーに入っていて、たまたま『トリガー』を手にすることができた。けれど『トリガー』に関する技術は不明な点も多く、外部に対して意図的に伏せられている情報も多々ある。いわば、機密の塊だ。今はまだ体の不自由な人々に行き渡らせるほど、数を製造できる設備も技術もない。

 だから嫌なのだ、と。自由に走れる体になったことが、生まれつきの弱さを克服する切っ掛けを得たことが……嬉しいからこそ、それを手にすることが叶わない人達に対して申し訳ない。

 そんな言葉を、玲はつらつらと重ねて続けた。

 

 ――『トリガー』が『近界民(ネイバー)』と戦う為だけじゃなくて……もっと色々な人が使えるようになったら、そんな時が来たらいいなって、私は思うの。そういう研究の役にたてるのは嬉しいし、その為なら私はどんな協力でもする。……でもね、くまちゃん。

 

 でも、だからこそ。

 彼女は、そんな『未来』を夢見る故に。

 『今』の生活を『トリガー』に頼りきりで過ごすわけにはいかない。

 それが、玲なりのけじめなのだろう。

 

(でもやっぱり、無理はしてほしくないかな……)

 

「なーに朝っぱらから難しい顔してんだよ」

 

 唐突に隣からふってきた声に、親友を想う思考は中断した。

 ふと横を見れば、日頃から見慣れた男子の顔がひとつ。

 

「……なんだ、日浦か」

「なんだとはなんだ、朝一番でご挨拶なヤツめ。オレが心配してやってるのに」

「べつに……これだけ寒ければ、あたしだって難しい顔くらいするわ」

「おまえは寒いくらいでそんな難しい顔にはならないだろ。まあとにかく、おはよう熊谷」

「……おはよ」

 

 いかにも寒そうな短髪だというのに、本人はまるで太陽のように朗らかだった。

 『日浦宙人(ひうらそらと)』

 熊谷のクラスメイトであり、ついでにチームメイトの『日浦茜』の兄である。妹がボーダー所属であることも手伝って、熊谷の所属する『那須隊』の内情についても色々と詳しい。

 

「んで、どうしたんだ? ランク戦に負けたか? あ、でもまだシーズンじゃないよな。チーム内で何か揉めたか? ……まさか、茜が何か迷惑を!?」

「あー、もう! ほんとに朝からうるさいわね! べつに何もないわよ! ただちょっと、玲のことが心配で……」

 

 言ってから、口を滑らせたことに気がつく。咄嗟に口を押さえた熊谷に対して、日浦はニカッと笑った。

 

「なるほどなるほど。相変わらず仲が良いようで何よりだぜ」

「……まったく、大きなお世話よ!」

「いやいや、仲良きことは美しかな。ウチのかわいい妹が熊谷達のチームで本当によかったよ」

 

 何気なくそんなことを言うあたり、妹想いのいい兄である。日浦は顔立ちも爽やかだし、部活動ではサッカー部のエースを張っている。女子達の人気もそれなりに高いのだが、何故だろうか。浮いた噂は全くない。

 

「ていうか、今日は朝練はいいの?」

「今朝は休みだ。おかげで熊谷に会えてラッキーだったな」

「ハイハイ。歯が浮くような口説き文句、嬉しいです」

「つれねぇなあ……」

 

 馬鹿なやりとりをしつつ校門をくぐり、下駄箱へ。いつも通りのルーチンワークで靴を脱ぎ、上履きに履き替えようとしたところで、

 

「…………ん?」

 

 手のひらに触れた感触に、熊谷は眉を潜めた。

 

「どうした?」

「いや、なんか入ってて……」

 

 果たして、下駄箱の中から『それ』を取り出して、固まったのは熊谷ではなく日浦の方だった。

 白い便箋。きっちりと封をされた『それ』には達筆で『熊谷友子へ』と記されている。

 学校。下駄箱。そこに入っている手紙。これらのシチュエーションが示すものは、ひとつしかない。

 

「く、くくく、熊谷ッ!? これ、コレ……まさか『ラブレター』じゃないよな!?」

 

 何故か贈られた本人以上に狼狽する日浦。自分以上に慌てている人間を見ると逆に落ち着くというのは本当らしい。ふーと息を吐いて、熊谷は手に持った便箋をまじまじと見詰め直した。

 今時こんな古臭い手を……とも思うが、ここは学校である。青春である。こういう甘酸っぱいイベントもあるかもしれない。だが、自分は玲のように華奢で綺麗でもなければ、茜のように可愛らしくもない。そんなイベントが自分に降りかかってくるとは、想像したこともなかった。

 

「く、熊谷……お前これ……これどうするんだよ!?」

「どうするも何も……開けるしかないでしょ」

「あけ……開けるのか!? 開けてどうすんだ!? その……付き合うのか!?」

「あーもうッ! 開けてみなきゃあたしだって分からないわよ!」

 

 半ばヤケクソで、熊谷は便箋の封を切った。

 そこに記されていたのは――

 

 

 本日の放課後、模擬戦ブースにて待つ。

 by如月龍神。

 

 

 馬鹿からの果たし状だった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「なに考えてんのよ、この馬鹿!」

 

 放課後。模擬戦ブースに、熊谷友子の怒声が響き渡った。周囲の隊員達は何事かと彼女の方を見るが、そこにいる人物を確認し、皆一様に納得して興味を失う。彼女が怒鳴りつけている相手が、筋金入りの変人であるからだ。

 

「ふっ……メールや電話での連絡では味気ないからな。少々洒落た演出をさせて貰った」

「させて貰った、じゃないわよ! 変な誤解するところだったじゃない!」

 

 熊谷に怒鳴られても一向に悪びれる様子なく、その男は肩を竦めた。白いコートに黒い弧月。腕と足を組んでラウンジの椅子にふんぞり返っている様は、いかにも偉そうである。

 かれこれ1年以上の付き合いになる変人馬鹿――如月龍神は、何かを思い出したように頷いた。

 

「変な誤解? ああ、そういえば、日浦のヤツがいきなり怒鳴り込んできたな……怒鳴るだけ怒鳴ったあとで、妙に安心した様子で去って行ったが……」

「そんなことはどうでもいい!」

 

 高校生男子の葛藤を一言で切り捨て、熊谷は人差し指を突きつけた。

 

「別に訓練ならいつもみたいに付き合うのに……どうしてこんな回りくどい誘い方するわけ!?」

「まあ、そう言うな。今日はいつもとは違う特別な日だからな」

「いつもと違う……?」

 

 熊谷が首を傾げると同時、龍神が指をパチンと鳴らす。

 そして次の瞬間、彼女は大きく目を見開いた。龍神の背後に何かが……正確には人影が三つ、飛び降りてきたからだ。

 

「……は?」

 

 自分でも間抜けな顔になっているだろうな、と思いつつ、それでも熊谷は彼らの突然の登場にそんな気の抜けた声しか出せなかった。

 

「……きまったぜ」

 

 目にかかるくらいの前髪をはらいながら、そばかす顔の少年が言った。

 

「完璧なタイミングだったな」

 

 ニットの帽子を被り直し、目付きのよろしくないもう1人もその意見に追従する。

 

「おいおい、俺達はこの程度で満足するような器じゃないだろ? そうだな……次は宙返りでもしてみるか」

 

 最後に、リーダー格らしき中央の少年が、残り2人を諌めるように言う。

 熊谷は思った。

 なんだ、こいつら?

 

「ふっ……紹介しよう、熊谷。俺のチームメイト達……甲田、早乙女、丙だ」

 

 彼女の疑問に答える絶妙なタイミングで龍神が彼らを紹介する。3人はやたらドヤ顔でポーズを決め込んだ。

 

「……チームメイト? あんたが?」

「遂に俺も孤高であることを捨て、仲間と共に歩み出す時がきたということだ」

「はあ……まあ、一応おめでとうとは言っておくけど……」

「ああ、ありがとう」

「……でも」

 

 熊谷は眉を潜めた。龍神が上層部から次のランク戦までに『部隊(チーム)』を組むように命令を受けていたことは知っているし、その為にボーダーの各部隊がスカウト合戦を繰り広げる事態にまで発展した。『那須隊』を蹴ってまで他の人間とチームを組もうとしているのは……正直言ってあまりおもしろくないが、それも彼らしいといえば彼らしい。どうせ「隊長と呼ばれたいから」みたいな下らない理由で新メンバーを募ったに違いない。この馬鹿はそういう男である。

 熊谷の懸念は、別のところにあった。

 

「その子達、まだ『C級』みたいだけど大丈夫なの?」

 

 訓練生である『C級』時代から仲の良い隊員同士でチームを組む約束をする場合もあるが、正式に『部隊』として認められるのは、正隊員である『B級』に上がってからだ。このままでは、彼らと龍神は『部隊』として上層部に認めてはもらえない。

 

「ふっ……指摘されるまでもない。そんなことは言われなくても分かっている。だから、俺はお前を呼んだんだ」

「……なんで私を?」

「くま、お前には、この3人の内の1人……丙の修行相手になってほしい」

「修行相手……?」

 

 いきなりの突飛な提案に、熊谷は首を捻った。

 

「こいつらそこそこ優秀で、初期ポイントにボーナスが入っている。上手く鍛えれば『B級』もすぐに見えてくるだろうが……俺が鍛えるにしても、3人を同時に見るのは流石に厳しい」

 

 特に射手の訓練なんて欠片も分からん、と龍神は呟いて、

 

「短期間で効率よく実力を伸ばすには、俺以外にも正隊員の練習相手がいた方がいい。格上と戦う習慣を身に染み込ませておけば、弱い相手から確実にポイントをとる……などという逃げ道に行く気も失せるだろう」

「は、はは……」

「や、やだなぁ……」

「そんなこと、考えたこともないですよ!」

 

 何故か3人は冷や汗を流しながら目線を逸らした。

 

「……なるほど。それで私にお呼びが掛かった、と」

「そういうことだ。急な願いで申し訳ないが……頼まれてくれないか?」

 

 言って、龍神は頭を下げた。

 人に何かを教えることは、自分にとってもいい復習になるというし、特に断る理由もない。熊谷は頷いた。

 

「……まあ、そこまで言うなら、私は別にいいけど……」

「……感謝する」

 

 龍神が言うと同時、彼に『丙』と呼ばれた少年が帽子をとり、頭を下げた。

 

「ありがとうございます! よろしくお願いします、熊谷先輩!」

「……意外と礼儀正しいわね」

「俺がしつけたからな」

「しつけ……?」

「こちらの話だ」

「でも、納得できません」

 

 不意に響いた、高い声。

 突然割って入ってこられるのは、今日で2度目だった。

 

「ふ、双葉ちゃん!?」

「……どうも」

 

 驚きの声に、一応の会釈が返される。いつの間に現れたのか。熊谷の隣から顔を出したのは、最年少A級隊員として名高いスーパールーキー、黒江双葉だった。いつものように『弧月』を背負った忍者スタイルの格好だが、その表情はいつもよりも無愛想で、より剣呑な雰囲気を醸し出している。

 要するに、とても機嫌が悪そうだった。

 

「おお、来たか双葉」

「……如月先輩、この人達がそうなんですか?」

「そうだ。コイツらが俺のチームメイトだ」

 

 あっさりした龍神の返答に、クセっ毛のツインテールがピクピクと揺れる。そんな些細な反応に気が付くわけもなく、龍神は3人に向き直って双葉を紹介した。

 

「お前達が会うのははじめてだったな。この子は黒江双葉。A級6位加古隊所属、現ボーダーで最年少のA級隊員だ」

「最年少A級隊員……」

「噂には聞いていたけど、本当にオレ達より年下なんだな……」

「だな。オレよりちっこいしな!」

「馬鹿者。小さいからといって見くびるな」

 

 アハハ、と笑う丙の顔面に、龍神のチョップが容赦なく振り下ろされた。

 

「おぶっ!?」

「いいか、丙? お前の練習相手はくまと……ここにいる双葉だ」

「なっ……年下とはいえ『A級隊員』とタイマンなんすか!?」

「不服か?」

「い、いや……そうじゃないっすけど……」

 

 何か言いたそうな丙は放置し、龍神は双葉に問い掛けた。

 

「頼みたいことは、事前に加古さんに伝えてある通りだ。くまと一緒に丙を任せてもいいか、双葉?」

「…………如月先輩のお願いですから……お引き受けします」

 

 双葉は龍神に対してそう言って……ギロリと丙を睨みつけた。

 

「ひっ……」

「……では、早速はじめましょうか。熊谷先輩、私からで構いませんか?」

「え、ええ!」

 

 双葉の威圧感に押され、熊谷は慌てて頷いた。蚊の鳴くような声で、丙が呟く。

 

「も、もうやるの?」

「何か問題が?」

「い、いえ、何もありません!」

 

 僅か数秒で主導権を握られ、年下の女子中学生相手に敬語になる丙。そんな彼の手首をがっしり掴み、双葉は個人戦用ブースに歩いていった。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 そして、数分後。

 模擬戦のフィールド『市街地A』に転送された丙は、震える手で『弧月』の柄を握り締めた。

 どうしてかは分からない。しかし確実に、自分はあの女子中学生に目の敵にされている。そんな確信が、彼にはあった。

 だって、めちゃくちゃ視線険しいし。超睨んでくるし。声音にはトゲしかないし。

 

「あなた個人に、恨みはありません」

 

 特徴的なツインテールをなびかせて、少女が丙の真正面に降り立つ。慌てて『弧月』を抜刀し、丙は距離をとった。

 しかし、少女はあくまでもゆっくり歩いて距離を詰めてくる。

 

「これはあくまでも私の個人的な感情です。単純に言って八つ当たりです。べつに私は会ったばかりのあなたのことが嫌いになったわけではありません。そこのところは、安心してください」

 

 言いつつ、少女は腰ではなく背中に背負った『弧月』を抜刀した。トリオンによって形作られた刃が、日の光を受けて妖しく輝く。

 まるで、血に飢えているかのように。

 もっとも、トリオン体は出血などしないが。

 

「お、お手柔らかに……」

 

「……お手柔らかに?」

 

 形のいい眉が、僅かにつり上がった。

 

「私は如月先輩からあなたを『鍛える』ように言われています。お手柔らかにやっては意味がないと思いますけど?」

 

 まずい。

 丙の直感が、全力で危機を告げていた。

 A級6位加古隊は女子だけで構成されたガールズチームであると同時に、様々な試作トリガーやカスタムトリガーを扱う『実験部隊』的な側面もあると噂で聞いたことがある。

 丙はまだ訓練生の身。使えるトリガーは『弧月』だけである。たった1種類のトリガーだけで、そんな相手に挑まなければならない。

 このままやれば……年下の女子中学生にボコボコにされるという、最高にカッコ悪い展開が待っているのではないか?

 それは、非常にまずい。

 

「……いきます」

 

 黒江双葉の『トリオン体』が、まるで電流がスパークするかのようにバチバチと迸る。

 咄嗟に、丙は叫んだ。

 

 

「ちょ、待っ――」

「『韋駄天』」

 

 

 彼の絶叫は、無人の市街地にむなしく轟いた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 仮想戦闘空間である市街地は無人だが、その戦いの様子を見る人間が1人もいないわけではない。むしろ、2人の戦いは多くのボーダー隊員達の注目の的になっていた。

 

「一方的だな」

「一方的ね」

 

 観戦用モニターを見上げ、龍神と熊谷は同時に呟いた。画面の中では、言葉通りのワンサイドゲームが展開されている。

 元気に『韋駄天』を繰り返す双葉と、一方的にぶった斬られ続ける丙。そんな2人の様子を見て、熊谷は堪らず呟いた。

 

「……あれ、あのままで大丈夫なの?」

「心配するな。ああ見えて、あいつのメンタルは強い。なにせ、俺に100回連続で叩き斬られたくらいだからな」

「いや、あんたもなにやってんのよ……」

 

 呆れた熊谷は半眼になるが、この組み合わせは丙の為であると同時に、双葉の為でもあった。

 丙は3人組の中でも特に威勢がよく、猪突猛進。もう少し悪く言えば、一番生意気である。なので、とりあえず年下の女子中学生にボコボコして貰い、メンタルをさらに叩き折る。その上で立ち直り、豊かな精神を育んで欲しい……というのが、龍神の願いだ。

 一方で双葉は、格下との戦闘やチームメイトとの連携が取れない状況では、どうしても攻め手が単調になる傾向にある。丙を相手に『韋駄天』を連続使用している今の戦い方がまさしくいい例だ。丙の戦闘センスは決して低くない。『韋駄天』の特性を丙が見切った時、双葉もまた得るものがあるだろう。

 

「……で、私と双葉ちゃんで丙くんをみるのは分かったけど、他の2人はどうするの? ポジションは?」

「『射手(シューター)』だ」

「じゃあ、ちょっと私達で教えるのは無理ね……どうする? 玲に頼んでみる?」

「玲……? それはまさか……」

「あの『那須隊』の隊長の那須玲先輩ですか!?」

 

 熊谷が那須の名前を出した途端、甲田と早乙女の鼻息が荒くなった。やはりテレビで特集を組まれたことと、あの美貌もあって2人も那須のことは知っているらしい。

 

「興奮するな、馬鹿者共め」

「ぐへっ!」

「おぐっ!」

 

 龍神は2人にダブルチョップを食らわせつつ、熊谷に言った。

 

「安心しろ。それについても問題はない。こいつら2人のことも、既に頼んである人物がいる」

「……頼んである人物?」

 

 熊谷が疑問をそのまま口にした、ちょうどその時。

 

 

「おー、やってるやってるー」

「あら……やっぱり双葉が暴れてるわね」

 

 染め上げた長髪を揺らす美女と、『千発百中』というなんとも言えないプリントのシャツを着た少年の2人組が、模擬戦ブースにやって来た。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「ふふっ……なるほど。あれがそうなの」

 

 模擬戦ブースの2階部分から、その少女は1人の男と、それを取り巻く人物達を見下ろしていた。

 

「A級1位部隊の隊員と、6位部隊の隊長まで引っ張り出してくるなんて、噂通り顔は広いのね」

 

 黒髪をハーフアップに纏めた彼女は、制服であるセーラー服の上から髪色と同じ黒のカーディガンを羽織っていた。

 控えめに言っても、可愛らしい少女である。身に付けているものはカーディガンからストッキングに至るまで基本的に黒で統一されているが、それがより一層彼女の陶磁器のような白い肌を際立たせている。

 ていうか、この3人が並んだらかなりかわいいわよね……と、彼女の右隣に立つ小南桐絵は内心で呟いた。

 

「ねえ、那須さん。彼はいつもあんな感じなの?」

 

 少女が、左隣に立つ那須玲に訊ねる。少女のような制服姿ではなく『トリオン体』の隊服姿の玲は、少々困ったように頬をかいた。

 

「……うん、そうだね。如月くんはいつもあんな感じだよ」

「そうなの。随分と個性的な性格をしているのね」

 

 クスクスと上品に笑いながら少女は言う。あんたも大概だろう、と小南は喉元まで出かかった。

 

「いいわ。彼、面白そうだし。紹介をお願いしてもいいかしら、小南さん?」

「……本当にいいの? あい……ゴホン。彼、筋金入りの変人よ?」

「構わないわ」

 

 ひらひらと、白く長い指が左右に揺れる。

 

「確かに子供っぽいところはありそうね。洋楽が好きとか言ってクラシックも全然聞かなそうだし……皆さんに好かれているというのはいいことだけれど、裏を返せば『偽善的』だということでしょう? そういう人は好きではないし、化けの皮を剥がしたくなるけど……でも、少なくとも彼の能力は私に少しは釣り合っているように思えるわ。とりあえずは、それだけで充分よ」

 

 長々と言葉を並べ立ててから、少女は小南と同じくらいの慎ましい胸に手を当て、あらためて言った。

 

「見極めてみることに決めたの。彼がこの私――ボーダーの期待を一身に負う新人敏腕オペレーター、江渡上紗矢(えとがみさや)の『部隊(チーム)』に相応しいかどうかを、ね」

 

 

 そんな宣言だけを残し、彼女――紗矢はまるでステップでも踏むかのような軽やかな足取りで階下へと降りて行った。

 

「……どうするの、桐絵ちゃん?」

「どうするもなにも……止めるに決まってるでしょ。いくら何でもあの大人数を前に誤魔化しきれる気がしないし……」

 

 本来の口調で言葉を返し、小南は足早に彼女のあとを追った。今はまだ、あのアホお嬢様とあの馬鹿を会わせるわけにはいかない。

 

「やっぱり隠しておくつもりなの?」

「そりゃそうでしょ。あんなヤツに本当のことを知られたら、何を言われるか……ああもう! この格好本当に走りにくいわね!」

 

 慣れないタイトスカート――『ボーダーのオペレーター制服』に身を包んだ小南は、止まらない文句を溢しながら足を急がせる。

 

 ――とりあえず、おまえはおまえなりに龍神のことは気にかけてやってくれない?

 

 実力派エリートの意味深な発言が、今更になって頭の中で反響する。

 

「なんでもっとちゃんと教えてくれなかったのよ……迅のばかぁ……」

 

 もはや半分涙目になっている小南桐絵は、ボーダー入隊後最大の危機に瀕していると言っても、過言ではなかった。

 




オペ子登場回でした。厨二病のさらに先を目指したら、なんか面倒臭そうな性格になった。同時に小南と那須さんと双葉ちゃんとくまをぶっこむことで登場人物の女子比率を引き上げつつ難易度を上げていくスタイル。チャーハン? 誰それ?

BBFのQ18に「小南は学校ではネコを被っている。役職も『オペレーター』だと偽っている」とある。こんなおいしい設定、使うしかねぇ!

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