厨二なボーダー隊員   作:龍流

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厨二と生意気オペレーター その弐

 意外にも、色は白だった。

 何が、とは言うまい。

 実際、龍神もそれを指摘することを躊躇わなかったわけではない。本来ならば、まず卓上に仁王立ちしていることを突っ込むのが常識というものである。だが悲しいかな、彼女のその行動を『かっこいい』と認識してしまう程度には、如月龍神という男の常識は欠如していた。

 故に、である。

 龍神ははっきりと、江渡上紗矢に向かってそれを指摘したのだ。

 

「パ、パンッ……!?」

 

 反応は実に顕著だった。

 紗矢は慌てて下を、というか自身の下腹部から下を見ると、凄まじい反射でスカートの前を両手で隠した。雪のように白い肌が、すぐにうっすらと朱に染まる。そのまま机の上に立つことも憚られたのか、オペレーターとは思えない身のこなしで床へと飛び降りた。

 年頃の女子ならば、当然の反応。それはもちろん、龍神のうしろにいた3人も例外ではなかった。

 

「こんのッ……」

「ドアホウッ!」

 

 デリカシーの欠けた馬鹿を襲ったのは、正面ではなく背後からの衝撃。熊谷と小南は見事にシンクロした叫び声と共に、龍神の背中を蹴り飛ばした。

 女子の蹴りとはいえ、『トリオン体』で強化された脚力である。龍神はそのままつんのめるように頭から床へ突っ込み、机の脚に真正面から激突した。

 

「おぐっふ……」

 

 とてもかっこいいとは言えない情けない呻きをあげ、馬鹿はうつぶせに沈黙する。『トリオン体』なので痛みはないが、激突によるショックは相応にある。なんとか起き上がろうとしたが、その背中を黒タイツに包まれた足が容赦なく追撃した。

 

「バッカじゃないの? 初対面の女子相手に何言ってんのよ! このバカ! バカ! 厨二バカ!」

「く、くま……ちょっとま……」

 

 制止も聞かず、ぐりぐりとさらに強く背中を踏みつける熊谷。一部の変態には喜ばれそうなシチュエーションだが、生憎と龍神にはそんな特殊な性癖はない。うつぶせに踏みつけられる龍神からは見えなかったが、熊谷の顔は被害者以上に赤くなっていた。

 一方、熊谷が馬鹿をしばいている間に、小南と那須は紗矢の方へと歩み寄っていた。

 

「江渡上さん、大丈夫?」

「えっと……ごめんなさい。とりあえず、デリカシーがないバカでごめんなさい」

 

 彼女を毛嫌いする小南も、今回ばかりは本心から同情して声を掛ける。

 

「…………」

 

 床にしゃがみ込んだ状態の紗矢は上目遣いに小南と那須を見上げると、意地を張り直すようにフンと鼻を鳴らした。

 そしてすぐに立ち上がると、頬にうっすらと滲む汗を拭い、馬鹿をしばく熊谷に向けて言った。

 

「べ、別にいいわ……はなしてあげて」

「い、いいの?」

「そうだ。俺は無実だ。ただ事実を指摘しただけで……」

「だまれ」

「ぐぉ……」

 

 龍神の言い訳は、熊谷の踏みつけで完封されてしまう。その理不尽に、龍神は蹂躙されるしかなかった。

 

「…………」

 

 全員が反応を注視するが、許す、と言った紗矢もそれきり黙り込む。部屋の中に、気まずい沈黙が流れた。

 

「え、ええとね、江渡上さん。ちょっとデリカシーないし、変人だし、馬鹿だけど、こい……如月くんも悪いところばかりじゃないのよ。ねぇ、玲ちゃん?」

 

 なんとか空気を変えようと、口火を切ったのは小南だった。

 

(冗談じゃないわ……)

 

 ここで紗矢が龍神のことを初対面でパンツを見られた変態と認識してしまえば、彼女はそんな変態とチームを組む気をなくしてしまうかもしれない。たしかに龍神は馬鹿である。だが、そんな事態になってしまうのは小南としては非常に困る。とても困る。故に小南は不本意ながらも、最初からやらかした馬鹿のフォローに入った。

 手を振り回しながら必死に話を振る彼女に、振られた側である那須も慌てて調子を合わせる。

 

「う、うん。事情があって個人ポイントはそこまで高くないけれど、攻撃手の中でも一目置かれているもの。ね、くまちゃん?」

 

 熊谷も小南と那須の意図を察したのか、汗を垂らしながらも首を縦に振った。

 

「え? ああ、うん。そうだね。こんな馬鹿だけど、実力はあるわね! あたしも一緒に練習させてもらってだいぶ助かってるし!」

「くま……言行が一致していな」

「斬るわよ」

 

 どこを?なんて聞けるわけがなかった。龍神にできるのは、口をつぐんだままヒキガエルのように潰れていることだけである。

 現在進行形に床でのびている男のイメージフォローを語り終えた3人は、再び紗矢の方をちらりと見やった。

 

「…………」

 

 相変わらず黙り込んだまま、整った顔は能面の如く静止している。まだ火照りが冷めないのか、頬も赤いままだ。

 

「(ちょっとどうすんのよ!? 本当にどうすんのよ、この空気!?)」

 

 紗矢には聞こえない『トリオン体』の内部通信をオープンにして、小南が絶叫する。そもそも龍神達に対して演技をする必要もないのだが、表面上は取り繕ってきたお嬢様の雰囲気は完全にどこかへ吹き飛んでいた。

 

「(ちょっとまずいかな……初対面の印象って大事だと思うし)」

 

 那須が苦言を呈する。

 

「(絶対印象最悪よ、これ。アンタが責任とってなんとかしないさいよ)」

 

 熊谷が糾弾する。

 

「(分かった。分かったから、くま。とりあえず足をどけてくれないか?)」

 

 龍神は解放を求める。

 

「(あたしの苛立ちが収まるまでは無理ね)」

 

 却下された。

 

「(本当にこのバカは! これでこの偏屈お嬢様があんたのことを嫌いになったらどうするの!? 見ず知らずの他人なんかと組まれたらあたしの秘密が晒されちゃうのよ!?)」

「(……いや、だがな。他にどうすればよかったんだ? あのまま俺はあいつのパンツを黙って見ていればよかった、とでも?)」

「(ヘンタイ)」

「(サイアク)」

「(……イヤ)」

 

 上から小南、熊谷、那須の糾弾である。もはや何を言っても無駄だと悟り、龍神は罵詈雑言の嵐を黙って受け入れることにした。

 しかし、

 

「………………ないし」

 

 不意に。

 前髪をいじりながら黙りこくっていた紗矢が、何か呟いた。

 内部通信で龍神をこきおろす作業を一時中断し、3人は恐る恐る彼女を見る。

 

「え、江渡上さん?」

「別に……恥ずかしく、ないし」

 

 気の強そうな瞳を見開き、彼女は言った。

 

「…………パンツを見られたからといって、それがなんだというの?」

 

 ――衝撃だった。

 今度は、3人が黙り込む番だった。

 まさか堂々と、それもはっきりと自分の口からそんな単語を口にして。

 胸を張る女子がいようとは、誰も思うまい。

 

「……ええ、そうね。たしかに普通なら、顔を赤くして「キャー!?」なんて叫んで、恥ずかしがるのが女の子反応なんでしょうね。よくマンガとかアニメであるじゃない。ラッキースケベってやつ? ああいうの、男の子は好きでしょう? べつにそれを否定する気はないの。私はあの程度の写実的表現で恥ずかしがるほど子供でもないし、規制すべきだと喚き散らすほど頭が固いわけでもないの。古典的名作にも、性的描写は多々あるしね。でもほら、マンガとかアニメのパターンって、大体いつも同じじゃない? 俗に言うパンチラ。ヒロインの女の子は主人公の男の子に見られちゃって、お約束としてヒロインの子は必ず恥ずかしがるわけだけど……どう思う? おかしいと思わない? あんなに大袈裟に、恥ずかしがる必要があるのかしら? たしかにそんな男に見られたことは不愉快極まりないわ。でもね、私はそれをオブラートに包みながら、誤魔化して慰めてくるあなた達3人もとっても不愉快なの! だって、べつにそんなに恥ずかしがることじゃないでしょう? どうしてそんなに私の顔色を伺ってるの? パンツなんてね、しょせんは下着なのよ。水着だって特に変わらない。だって、ちゃんと隠すべきところは隠れているんですもの。恥じる必要はない。何も顔を赤くする必要はない。ああ、勘違いしないでね。べつに私は率先して見せるべきだって言うつもりじゃないの。ただ、そういう過剰な反応は、かえって男を喜ばせるだけなんじゃないかって、危惧しているだけ。分かる? だから私はそのデリカシーに欠けた男を、べつに許してあげてもいいって言ってるの」

 

 長い。実に長い主張だった。

 一気に語り終えた紗矢は、肩で息をしながら同意を求めるように3人を睨む。その威圧感に、小南も那須も熊谷も、コクコクと頷き返した。というか、そうするしかなかった。

 

「……とりあえず、失礼するわ。落ち着いて話をできる気分じゃないし」

 

 黒髪を揺らして、紗矢はドアに向かう。その途中で、床に張り付いたままの龍神を見下ろし、

 

「ほんとに、別に気にしてないから。ほんとに、しょせんはパンツだし。それに……」

 

 一瞬、躊躇うように息を詰まらせて、

 

 

「――みせパンだから」

 

 

 謎の宣言を残し、彼女は退室していった。

 室内の空気は、緊迫感からなんとも言えない微妙なものに変化した。

 踏みつけられたまま、龍神は言った。

 

「……なあ、くま」

「なに?」

「本人がみせパンと主張しているなら、べつに見てもいいんじゃないか?」

「あんた本当に斬るわよ」

 

 

◇◆◇◆

 

 

「最っ悪よ……怒ってるわ。アレ、絶対怒ってるに決まってるわよ……」

 

 小南桐絵はラウンジのテーブルに突っ伏して、絞り出すような声で呻いた。

 時刻はあれから10分後。

 紗矢に取り残された龍神達は、休憩スペースのラウンジに移動していた。作戦の練り直しの為である。

 自販機をはじめ、簡単な軽食もとれるこの場所は常に多くの隊員達で賑わっている。そんな喧騒の中では、小南の憂鬱な嘆きもあっさりと掻き消され、気にする人間などいなかった。

 

「そう悲観するな。あとで俺がもう一度会って話をしてくればいいだけだろう?」

「そう悲観するな……じゃないわよ! 誰のせいでこんなことになったと思って……」

 

 対面に座り、呑気にコーヒーを啜っている元凶に向かって、小南は噛みつかん勢いで吠えた。隣の熊谷がどうどうと、それを手で押さえる。

 

「ちょっと落ち着きなよ、桐絵。このバカを責めても何も変わらないんだから」

「そうだね。如月くんも悪気があったわけじゃないみたいだし……」

「自覚ないのがタチ悪いのよ!」

「自覚はあるぞ。だから俺が責任を持って話してくると言っているんだ」

「あんたねぇ……」

「なんだなんだ? 何をもめてんだ?」

「なかなかおもしろい取り合わせだな」

 

 不意に会話に割り込んできたのは、低い男の声だった。

 話し合いに夢中になっていたせいで気付かなかったのか。いつの間にかテーブルの横に、長身の2人組がニヤニヤと笑いながら突っ立っていた。

 

「……冬島さん」

「おう、如月。お前羨ましいな~かわいい女子高生を3人も引き連れやがって」

 

 オールバックにまとめた長髪。常に笑っているような特徴的な目元にアゴヒゲ。なにより冬場であるにも関わらず半袖を貫き通している彼の名は、冬島慎次。オペレーターも含めて構成員僅か3名という特殊部隊、A級2位冬島隊の隊長である。

 そして、もう1人は、

 

「太刀川……」

「おいこら。俺にも『さん』をつけろ。『さん』を」

「なんでアンタがいるのよ、太刀川」

「だから『さん』をつけろ」

 

 龍神と小南に呼び捨てにされ、その男はやれやれと肩を竦めた。

 A級1位太刀川隊隊長、太刀川慶。

 No.1攻撃手にして、個人総合1位。龍神の終生のライバルである。

 思いがけない人物の登場に、龍神は眉を潜めた。冬島はともかく、そもそも太刀川がこんなところにいるはずがないのだ。

 

「貴様、一体何の用だ? 出水からはレポートがヤバいと聞いているが?」

「はっはっは。いや、俺も一時はどうなるかと思ったんだが、風間さんが手伝ってくれたら予想外にはやく終わりそうでな。能率を上げる為には、ちょっとは気分転換も必要だろ? 冬島さんを誘って諏訪さんのとこに麻雀でも打ちにいこうかと思ってな」

「そうか」

「待て。どうしてケータイを取り出す?」

「風間さんに急用を思い出した」

「待て待て待て!」

 

 出会って数秒で取っ組み合いになる2人を見て、冬島の表情にニヤニヤが増す。

 

「相変わらずお前らは仲がイイな」

「「よくない!」」

「んで、なんでお前らはこんなところに集まってるんだ? 那須と熊谷はともかく、小南が本部に顔出すなんて珍しいじゃないか」

 

 野郎の絡みは放っておくことに決め、冬島は首を傾げてそんな質問を女子3人へと投げた。元々女子高生好きであり、女子高生が弱点な冬島である。具体的には言えば、麻雀に諏訪隊のおサノが入った途端に最弱になるくらいには女子高生がウィークポイントなのが彼である。

 なので、悩んでいる女子高生達を放っておくという選択肢は、冬島の頭の中にはなかった。

 

「…………うーん」

 

 小南は唸った。

 冬島はボーダーの現役隊員の中でも最年長に近い年齢であるし、何か有効なアドバイスが聞けるかもしれない。

 

「実は……」

 

 ポツリポツリ、と。

 小南は事情を説明し始めた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 そして数分後。

 

「アハハハハ!」

「なに笑ってんのよ! 太刀川!」

「クククッ……ハハッ……あー、笑いすぎて腹痛いわ」

「笑うな! あたしのまじめな悩みなのよ!」

 

 尚も笑う太刀川に、小南は目を剥いた。「悪い悪い」と、太刀川は息を整えて飲み物を口に運んだ。

 

「ふぅ……いやー、まさかそんなおもしろいことになっているとは。これは風間さんのとこから抜け出してきて正解だったな」

「如月……お前、女子高生のパンツ見たのか……羨ましいな。何色だった?」

「冬島さん、話題が逸れているぞ」

「冬島さん、そこらへんにしとこうぜ。マジで犯罪になるから」

 

 打ち明け話をしたことを、小南は心の底から後悔した。冬島はまだしも……と言っても彼もパンツの話に食いついているだけだが、なによりも龍神と取っ組み合っていた太刀川にまで一部始終を聞かれてしまったのが、また腹立たしかった。

 だが、笑うだけ笑って気が済んだのか、太刀川が意外なことを言い出した。

 

「その子なー、名前だけなら知ってるぞ」

「……なに?」

 

 顔を見合わせる龍神や熊谷とは対照的に、冬島は合点がいったと言いたげに頷いた。

 

「ああ、なるほど。『江渡上グループ』か」

「江渡上グループ?」

「お前達も聞き覚えくらいあるだろ。『江渡上グループ』といえば、三門市でも有名な会社だぞ。なんせ、うちのスポンサー様をしているくらいだからな」

 

 そういえば、聞き覚えがある気がしないでもない。

 組織が活動を継続する為には、後援組織の存在は必要不可欠だ。それはボーダーも例外ではなく、主に地元企業とスポンサー契約を結び、資金提供や様々な援助を受けている。唯我尊や来馬辰也の実家も出資を行っていることで知られており、特に唯我の両親が経営している会社はボーダーの中でも最大のスポンサーである。実力不足の彼がA級1位部隊である太刀川のチームに所属しているのも、そのあたりの事情が関係している。

 

「へえ……あの子、ほんとにお嬢様だったんだ。玲は知ってたの?」

「うん。詳しく本人から聞いたことはないけど」

「……おい、小南。そういう情報は前もって話せ」

「なによ。べつにあいつの実家がお金持ちなのはスカウトには関係ないでしょ?」

「だが知っておくに越したことはないだろう?」

「ああ、まあ待て、お前ら。冬島さんの言ってることも正しいが、俺が言った『名前だけは知ってる』ってのは、そういう意味じゃない」

「……どういうことだ、太刀川?」

「江渡上紗矢、だっけか? 俺はその子のことを、沢村さんから聞いたんだ。面倒そうに愚痴ってたぞ? 新しく入ってきたオペレーターが、めちゃくちゃクセの強い子だ、ってな」

 

 龍神は身を乗り出して、太刀川の発言に耳を傾けた。思えば、龍神達は紗矢のことをほとんど知らない。龍神や熊谷はそもそも今日会ったのがはじめてだし、小南や那須が知っているのは学校での彼女だ。ボーダーの『オペレーター』として、彼女がどんな仕事をしているかまでは知り得ていない。

 

「話す……というよりは、見た方がはやいんじゃないか? 冬島さん、端末ある?」

「ああ。持ってる」

 

 冬島は軽く頷くと、懐からボーダー支給のタブレット端末を取り出した。トリオンによる充電も可能な、開発部謹製の優れモノである。

 

「防衛任務の『記録(ログ)』とか見れる?」

「ちょい待ち」

 

 A級2位部隊の隊長でありながら、普段から開発部に入り浸って鬼怒田の補佐などもこなしている冬島である。機器類の操作はお手のもので、龍神達にはよく分からないページをいくつか経由して、あっという間に太刀川が言っていたページを表示してみせた。

 

「えーと、どれだっけかな……」

「オペレーターの研修だろ? データ残ってるやつなら、多分これじゃないか?」

「おお、それっぽいな! それ開いてくれ!」

「へいへい」

 

 苦笑いを浮かべて、冬島が画面をタッチする。すると、タブレットの画面に基地周辺の地形図をはじめ、様々な情報が表示された。

 全員がそろって、タブレットを覗き込む。

 

「なにこれ?」

「戦術展開図に地形データ……でも基地周辺だから……あ、だから防衛任務の?」

「正解だ、くま。さっき言っただろ? 防衛任務の記録を見せるって。これは部隊オペレーターを目指しているやつの為の研修画面だな。沢村さん曰く、あとで機器類の操作とかのチェックをする為に、こうやってモニターの記録をとっているらしい」

「へー、オペレーターから見るとこんな感じなのね」

「そういや、うちの理佐ちゃんが言ってたな。オペレーターは研修で、防衛任務中の部隊のオペレートを担当することがあるって」

「その部隊には専任のオペレーターがいるのに、ですか?」

 

 もっともな那須の疑問に、太刀川が答える。

 

「訓練やシミュレーションじゃ分からないことなんて、ざらにあるだろ? いざ部隊オペレーターになって実戦に望む時に『訓練で経験してないことだから分かりません』なんて泣き言は通用しない。防衛任務には練習なんてないからな」

 

 したり顔で「オペレーターも実戦を経験しろってことだ」と締めくくり、太刀川は腕を組んだ。

 

「……ほんと、沢村さんに相談しておいてよかった。これであたしの担当にあいつがなったら、それだけで終了じゃない」

「いや、お前のように1人で1部隊カウントの隊員は、オペレーターの方が練習にならないだろう」

「ああ、それもそっか」

 

 龍神が指摘すると、小南は素直に頷いた。やはり、よほど正体がバレるのがこわいらしい。

 と、

 

『――門(ゲート)発生。誘導誤差7.48。間宮隊は現場に急行してください』

 

 つい先ほど耳にした、涼やかな声が聞こえてきた。

 

「……江渡上の声だな」

「ふん、すかしちゃって」

「そうか? たしかにちょっとキツそうだけど、俺はわりと好きだぞ?」

「……冬島さん」

「太刀川さん? なんでそんなに笑いを堪えているんですか?」

「くくっ……まあ黙って見てろ、那須。ここからが傑作だからな」

 

『敵近界民の種別特定。モールモッド4。バンダー2。バムスター3です』

『間宮隊了解。現場に急行する』

 

 紗矢の声が響くと同時、龍神達が見ている地形図にも光点が表示される。赤い点が9つ、青い点が3つであることから察するに前者がトリオン兵、後者が間宮隊の3人のようだ。

 

『現着した。さて……どうしようか』

『ちょっと数が多いね』

『確実に減らしていこう。うちの戦術的にも、前に出るのは避けたいし』

 

「なんなのよ、こいつら。言ってることが情けないわね」

「まあまあ、桐絵ちゃん」

「みんなあんたみたいに強いわけじゃないんだから……」

 

 鼻を鳴らす小南を、那須と熊谷が諌める。間宮隊の3人はよくも悪くも斜に構えた口調なので、小南としてはそこも気に入らないのだろう。

 だが、それは彼らのオペレートを担当する彼女も同じだったらしい。

 

『あなた方は何をしているのですか?』

 

 底冷えするような声音は、タブレットのスピーカーからでもよく響いた。

 

『な、なにをって……』

『ぼく達は作戦を……』

『作戦? 現着してから悠長に作戦を立てるのですか?』

『そ、そんなことを今回限りのオペレーターに言われる筋合いは――』

『3時方向、砲撃きます』

『ッ!?』

 

 間宮隊の面々は声すら出さなかったが、息を飲む気配は伝わった。

 

『くっ……バンダーの砲撃か』

『とりあえず散開して撹乱を……』

『待ってください』

『なんだ!?』

『バムスターとモールモッドには遠距離攻撃手段はありません。まずは集中砲火でバンダーへの攻撃を。あなた方の『追尾弾嵐(ハウンドストーム)』なら可能な筈です』

 

 やや取り乱している間宮達とは対照的に、紗矢の声はいたって冷静だった。

 

『オペレーターが命令をッ……』

『現状、最も優先すべきターゲットはバンダーです。射手が3人というこのチームの構成を活かすには、距離をとって戦う必要があります。逆に言えばバンダーの砲撃に気を取られ、モールモッドに接近されたら……攻撃手のいないあなた達は対応できるの?』

 

 小南が苦い顔になる。話し方こそ変わらずフラットだったが、後半には龍神達が話した時の『素』が覗いていた。

 音声記録にもはっきり残るような、間宮の舌打ちが漏れた。

 

『ちっ……鯉沼! 秦! バンダーに『追尾弾嵐』を仕掛けるぞ』

『りょ、了解!』

『……分かった』

 

 直後、地形図に表示されていた2つの赤点が消失した。間宮隊が誇る必殺攻撃、『追尾弾嵐』が見事に成功したのだ。

 

『バンダーの沈黙を確認』

『よし! 次は……』

『鯉沼隊員はDポイントまで前進。モールモッドを引き付けてください』

『は……?』

『間宮隊長と秦隊員はそれぞれA、Bポイントへ移動。高台から、モールモッドの挟撃を』

『ぼ、ぼく1人で正面からモールモッドに当たるのはよくないんじゃないかな……?』

『引き気味に相手をするだけで構いません。散開されては面倒です。一ヶ所に固めて火力を集中できれば、それだけで楽に倒せます』

『だからどうしてキミが指揮を……』

『モールモッド接近』

『えぇい、くそ! 鯉沼、任せたぞ!』

『ちょ、ちょっとま……』

 

 聞こえてくる会話自体はひどいものだったが、画面上で推移していく戦況はいたって順調だった。引き寄せられるように集まった赤点は次々に消え、あっという間に敵は全滅した。

 

「と、まあこんな感じなわけだ」

 

 これ以上は言うまでもない。おもしろいだろう、と太刀川の表情が語っていた。

 冬島も軽く頷いて、開いていた画面を閉じる。

 

「よーくわかったよ。草壁ちゃんに近いタイプか。おもしろいけど、こりゃ沢村ちゃんが手を焼くのも分かる」

「そうでしょう?」

 

 

 冬島が名前を出した『草壁早紀』は、A級4位草壁隊の隊長。『オペレーター』でありながらA級部隊の隊長を勤めている、やや特別な人物だ。今は年少の緑川駿を残してA級8位の『片桐隊』と共に県外遠征に出ており、本部にはいない。もしも彼女がこれを見れば、思うところがあったに違いない。

 オペレーターとして見ることができる『盤面』から戦況を把握し、隊員に指示を出す。本質的なものは違うにしても、そういう意味で江渡上紗矢のオペレートは草壁のような『指揮』に近いものだった。

 

「でも、草壁さんとはやっぱり違うわよ。この嫌らしい口調と上から目線の指示。聞いているだけでむかっ腹がたってくるわ!」

「ひどい言い様だな。同僚になる以前に、まずクラスメイトなんだろ? そりゃないんじゃないか?」

 

 太刀川がたしなめると、小南はますますいきりたって目を剥いた。お嬢様の雰囲気どころか、そもそもの美少女が台無しである。

 

「だってあいつ、あたしにやたら突っ掛かってくるのよ!? ボーダーの支部でオペレーターやってるだけっていつも言ってるのに、トリオン量が少ないの?とか、妙に詳しい質問してくるし。平均くらいって答えたら、今度はなんで戦闘員にならないの?とか言ってくるし……もう、思い出しただけでめんどくさい」

「ほう。那須から見てもそうなのか?」

「はい。ボーダーのオペレーターになる前から、桐絵ちゃんにはよく話しかけていた気がします。オペレーターになってから、もっと頻度が増えた気もしますけど……」

「あれは話じゃなくて絡みに来てるって言うのよ……そもそも、あんなコテコテのお嬢様がなんでボーダーに入ったのか、わけわかんないわ」

 

 言いながら本当に嫌な記憶がフラッシュバックし、小南は再びテーブルに突っ伏した。

 ふーん、と太刀川が頭のうしろで腕を組み直す。

 

「だがまぁ、それはあくまでも小南の意見だろ。お前はそんな個性的なお嬢様をチームに加えるのを、どう思ってるんだ、如月?」

「……むぅ」

 

 テーブルに顔を密着させたまま、小南はほほを膨らませた。顔を伏せてアホ面を見なかったせいもあるかもしれないが、太刀川にしてはまともな質問だった。

 たしかに愚痴をいくら溢しても、何も始まらない。小南としては自分の秘密を守る為に、紗矢を龍神のチームに放り込みたいが、それはあくまで小南の事情であり、理想である。龍神本人に彼女とチームを組む意思がなければ、そもそも交渉を続ける意味がない。さっきのアクシデントだけならまだしも、今の記録を聞いて龍神の考えも変わったかもしれないのだ。

 だができれば……勧誘交渉続行の意思を示してほしい。

 小南はゆっくりと、伏せていた顔を上げた。

 

「…………は?」

 

 そして、絶句する。

 何故か?

 答えを聞くべき男の姿が、忽然と消失していたからだ。

 

「……くまちゃん。龍神は?」 

「……そういえば、記録を見ていた時から声を聞いていないような……」

 

 理屈ではない。

 小南の直感がけたたましく警報を鳴らしていた。

 いなくなった理由は深く考えなくても分かる。龍神のことだ。どうせ自分だけで紗矢に会いに行ったのだろう。小南にとってもプラスに繋がる行動なのだから、咎める理由はない。

 だが、理屈ではない。理由もない。本能なのだ。

 なんだか、とても嫌な予感がする。

 

「玲ちゃん、くまちゃん! また面倒なことをしでかす前に、すぐにあいつを見つけるわよ! ついでに、あのわがままお嬢様も探さないと……」

「ははっ! なんだなんだ、おもしろそうだな。それなら、俺も手伝ってやろうか?」

「その必要はないぞ、太刀川。俺がもう見つけたからな」

「違うぞ、風間さん。探すのはきさ…………え?」

 

 まるで、油が切れたロボットのように。

 ぎこちない動きで、太刀川慶はうしろを振り返った。少々視線を下げてみれば、やけに機嫌がよろしくなさそうな先輩隊員が1人。

 

「言い訳があるなら聞こう」

「……後輩の育成です」

「お前はまず自分の頭を育成しろ」

 

 怒りに満ちた風間蒼也をたしなめる為に、小南達の出足は大幅に遅れた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「見つけたぞ。こんなところにいたのか」

「……なに? まだなにか用?」

 

 三門市の中心にそびえ立つボーダー本部の屋上から見える景色は、当然ながらとても高い。しかしその景色が良いのかと問われれば、少々答えに困ってしまう。嫌でも最初に目に入ってくるのは、トリオン兵の襲撃によって積み上げられた瓦礫の山である。今の三門市を一望すると同時に、戦火の跡も見渡さなければならない。少なくとも、素直に景色を楽しむ気にはならないだろう。

 さらに季節が春や夏ならいざ知らず、わざわざ高台で冬の外気に身を晒すような物好きは滅多にいない。

 そんな条件が重なって。

 今、屋上にいるのは如月龍神と江渡上紗矢だけだった。

 

「さっきのお話の続き?」

 

 小首を傾げながら振り返った黒髪が、風に揺れる。白い肌は先ほどとは違い、夕焼けで薄い赤に染まっていた。

 

「ああ。実は――」

「言っておくけど、屋上だからといって都合よく風が吹くだなんて思わないことね」

「……ん?」

「とぼけないで。パンツの話よ」

 

 ――どうして。

 いきなり気まずい話題からぶっ込んでくるのだろうか、この女は。

 

「……すまん。謝罪が必要だというなら、今ここで謝らせてもらう。本当に悪かった」

「だから、べつに気にしていないとさっき言ったでしょう。謝罪は必要ないわ」

 

 言い切る彼女だったが、小声で「あの体勢で待ち構えていたのは私のミスだったし……」と漏らしたのを、龍神は聞き逃さなかった。

 

「パンツの話はもういいだろう」

「もういいってなに? 私のパンツに興味がないってこと? それはそれで腹が立つわね。だって、女として見られてないってことでしょう?」

 

 今度は空気を読んで触れないでおこうと考えていたのに、それをまさか、自分から掘り返してくるとは誰が思おうか。

 龍神は首を振った。

 

「……ああ、言い方が悪かったな。きみは充分綺麗だし、女性として気品に満ちた仕草をしているさ。反応が悪かったとすれば、それは俺の問題だ」

 

 我ながら歯の浮くような台詞だと思いつつ、さらりと言い返す。

 紗矢は考え込むように顎に手を当てると、何に納得したのか、大きく首を縦に振った。

 

「……白じゃなくて黒がよかったってこと?」

「どうしてそうなる?」

「……じゃあ、柄物? レース? いちご?」

「この際だからはっきり言うぞ。パンツから離れろ」

 

 我ながら変態染みた台詞だと思いつつ、言い切った。

 しかし紗矢の表情は、ますます訝しげなものに変化する。

 

「意味が分からない……さっき私のパンツを見ておいて、どうしてそんな風に平然としているの?」

「率直に言って、俺はお前の思考が分からん」

「ムラムラしないの?」

「言葉を選べ」

 

 小南といいこの女といい、彼女達が通っている学校本当にお嬢様学校なのだろうか? 龍神から見て最もおしとやかなのは、比較的一般家庭に近い境遇の那須に思える。

 というか、龍神はこんな馬鹿げたやり取りをする為に、わざわざ彼女を探したわけではない。

 

「江渡上」

「いきなり呼び捨て? その程度のアプローチで、私はドキッとしたりしないわよ?」

 

 つくづくめんどくさい女である。段々と、小南の気持ちが分かってきた気がする。しかし龍神はスルーして、言葉を続けた。

 

「間宮隊のオペレートを聞いた」

「……そう」

「とても的確で、いい指示だった」

「……あら、見る目があるじゃない」

「だが、その上でひとつ聞きたい」

「"言いたい"じゃなくて"聞きたい"なんだ。今度は変な指摘をされずに済みそう……どうぞ?」

 

 先ほどの出来事を茶化しながら、クスっと形のいい唇が笑う。

 なんとなくはぐらかすような彼女に、しかし龍神は容赦なく切り込んだ。

 

 

「どうして『ボーダー』に入ったんだ?」

 

 

 はじめての反応だった。

 気まずそうに顔を逸らし、紗矢は髪をかきあげる。今まで正面を見据えていた瞳が、横に泳いでいた。

 

「なんでそんなことを聞くの?」

「質問に質問で返すな。当然だろう? これからチームを組もうと言っているんだ。それくらいは聞いて然るべきだ」

「……ほんと、おもしろい人ね」

 

 観念したように。

 吐息を洩らして。

 

「じゃあ、ちょっと聞いてもらおうかな」

 

 わざとらしく軽い口調になって、紗矢はセーラー服の袖を二の腕が見えるまで一気に捲った。

 龍神は、息を呑んだ。

 

「……私は」

 

 夕日に映える、白い肌には、

 

「第一次大規模侵攻の被害者なの」

 

 絶対に消えないであろう、深い傷痕が刻まれていた。

 龍神の脳裏に、1人の少年の顔が浮かび上がる。

 そして、思う。

 もしかしたら。

 目の前にいる彼女が背負っているのは、姉を亡くしたあいつと同等のものなのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、べつにこの傷の復讐とか、そういうのじゃないから」

「…………は?」

 

 本当に、分からない女だった。

 


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