厨二なボーダー隊員   作:龍流

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話数をミスしたので、再投稿しました。


厨二と迅悠一

 その部屋は、漆黒の闇に包まれていた。

 

「……遂にこの時がきたようだな」

 

 低く、それでいてよく響く声が闇の中に木霊する。すると、それに呼応するかのように声の主の周囲で人影が蠢いた。

 

「そうだな、隊長……感慨深いぜ」

「リーダーの言う通りだ。まさか、オレ達がこうしてここに集うことになるなんてな」

「これも一重に、おれ達を集めた隊長の手腕によるもの……お見事です、隊長」

「ふっ……よせ。世辞はいらん。本題に入るとしようじゃないか」

 

 惜しみない称賛を闇の中に溶ける手で制し、彼はおもむろに腕を組み直す。

 

「それではこれより、第一回、如月隊定例会議を執りお――」

 

 だが、場を取りまとめていたはずの男は、その記念すべき宣言を最後まで言い切ることができなかった。

 何故か?

 パチン、と。

 小気味良い音と共に、彼らの世界が輝く光に満たされたからだ。

 

「うおっ!?」

「まぶしっ!?」

「目がっ!?」

「なっ……にぃ?」

 

 周囲を包んでいた心地良い闇がかき消され、動揺から三者三様、追加でもう1人分の反応を見せる計4人。その反応から分かるように、彼らの内の誰かが部屋の電気を点けたわけではない。

 では誰が?

 実は先ほどまで闇に覆われていたこの室内には、まだ口を開いていないもう1人の人物がいた。

 

「なんの真似だ……?」

 

 呻いて向けた視線の先には、壁のスイッチに手を掛けて仁王立ちする1人の少女。

 突然の光量の変化に目を押さえて参っている残り3人は捨て置き、彼らのリーダーであるその男は彼女の名を叫んだ。

 

「江渡上ッ!?」

「馬鹿らしい」

 

 返事は即答。蔑むような視線付き。

 すっかり明るくなった室内を見回し、漆黒の闇を祓った張本人――如月隊オペレーター、江渡上紗矢は深い深い溜め息を吐いた。

 可愛らしい少女である。

 つい先ほどまで室内を満たしていた闇に負けず劣らずの艶やかな黒髪。背中の中くらいまで伸ばされたそれを今日は2つに結び、お下げ髪を前に垂らしている。

 

「あのね、如月くん。貴方は……もとい私達は、これから何をしようとしているのかしら?」

「記念すべき第一回会議だ」

「そう、会議。じゃあこれから会議をするのに、どうして室内を暗くしておく必要があるの?」

 

 続けて質問を投げ掛けられた如月隊隊長、如月龍神は訳が分からないとでも言いたげに首を捻った。

 いつも着用している『トリオン体』の白コートを脱ぎ、黒の長袖インナーシャツというややラフな格好の彼は、たっぷり10秒間は紗矢と見詰め合い、

 

「……雰囲気が出るからだ」

「そんなもの必要ありません」

 

 捻り出した解答は、一蹴された。

 

「ちょ、ちょっと待ってください、紗矢センパイ!」

「センパイの言うことはごもっともですけど、雰囲気も大事っすよ!」

「そうです! 雰囲気大事!」

 

 劣勢の隊長のフォローに回ったのは、残りの3名。名前は上から甲田照輝、丙秀英、早乙女文史。つい先日ボーダーへ入隊し、未だC級隊員の身でありながらも着々と実力をつけている前途有望なルーキー達である。

 

「あら? 誰が貴方達に発言を許可したの?」

 

 

 しかし、そんな彼らを待っていたのは先輩オペレーターのサディスティックな微笑みだった。

 

「貴方達はまだC級隊員。正確にはこの部隊(チーム)の一員ですらない。いわば見習い以下の雑用のような身分なのよ? 雑用の分際で私に意見するなんて、いい度胸ね」

「い、いや……それは」

「分かったらその3人ワンセットのお喋りな口を閉じなさい。そうすれば私も、部屋のインテリア程度の愛着を持って貴方達に接してあげられるから」

 

 淡々と告げられる数々の罵倒に甲田と早乙女は打ちのめされ、後輩隊員との修行でその手の心ない発言に対する耐性を得ていた丙だけが「センパイ、イイ……」と呟いて持ちこたえていた。というか、普通に楽しんでいた。

 もはや手遅れか、とハードな修行の副作用を流し目で確認しつつ、龍神は椅子にふんぞり返る。

 

「まあそう言うな、江渡上。コイツらはいずれこの部隊を支える存在になる。今でこそ未熟だが、大目に見てやってくれ。こいつらに成長してもらう為にも、お前という存在はうちのチームに必要不可欠なんだ」

「……まあ、この子達と貴方だけじゃチームとして正常に機能するわけがないし? 私が必要だっていうのは理解できるけど……」

「まったく面倒臭い」

「めんどくさいってなによ!? めんどくさいって!?」

「そんなだから、未だに小南から逃げられるんだ。お前はもう少し、人とのコミュニケーション能力を磨いた方がいい」

「ッ……よくもぬけぬけと偉そうに!」

 

 あの一件以来、誤解が解けた紗矢と小南だが、那須から聞くところによると前とは違った意味で2人の距離感はあまり縮まっていないらしい。具体的には、紗矢の過剰なスキンシップから小南が逃げているんだとか。

 

「貴方みたいな変人にだけは言われたくない!」

 

 一気にムキになって反論する紗矢だったが、龍神はどこ吹く風。右から左へ全て受け流すと、机の下をガサゴソと漁って、身体全体を覆うような四角い箱を取り出した。

 

「……なに? そのダンボール?」

「本当は暗闇の中でこれを被って会議をするつもりだったんだ」

「……そんな安っぽいダンボールを被って?」

「安っぽいとは何だ。きちんと色も塗ってあるし、文字やマークの部分は仕込まれたライトで発光するんだぞ」

「ちなみに俺が作りました!」

 

 龍神は感心したようにダンボールの凝ったマークをピカピカ光らせ、早乙女は満足気に頷いている。

 なんだかすごく既視感のあるダンボールである。具体的には人類補完計画でも練りそうな。

 

「……私はあんたバカぁ?とでも言えばいいの?」

「む? 何が馬鹿なんだ? 俺は至極真面目に、これからの計画を練るつもりでいたぞ」

 

 ダンボールを持った龍神は、ぐるりと室内を見回して、

 

「これから俺達の作戦室をどうコーディネートするか、な」

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 作戦室。

 そこは部隊が作戦を練る場所であると同時に、チームの憩いの場である。

 『近界民』はいつ現れるか分からない。ミーティングや休憩時間はもちろん、場合によっては泊まり込みで利用する機会も多々ある。なので多くの隊員達は、作戦室を自分達が過ごしやすいように様々に手を加えている。例えば諏訪隊の作戦室には麻雀卓が、影浦隊の作戦室にはこたつが、荒船隊の作戦室には大型プロジェクターが……という具合に。

 作戦室とは、各部隊の性格が色濃く反映される場所。ボーダーの構成員の多くが学生である以上、プライベートな空間を自分達の色に染め上げたくなるのはある意味当然と言えた。

 そんなわけで、

 

「さあ……この部屋を、俺達好みに仕上げようじゃないか!」

「ダメ」

 

 テンションが上がりハイになっている龍神をじっとりとした目で見据え、紗矢は待ったを掛けた。

 数日前に全員が集まり、顔合わせも済ませている如月隊メンバーが今日集まったのは、言うまでもなくこの部屋のコーディネートを行う為である。

 だが、

 

「悪いけど、この部屋を好き勝手にいじらせるわけにはいかないわ」

「……なんだ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」

「大アリよ。このまま貴方達に作戦室のコーディネートを任せたら、ロクなことにならないに決まってるじゃない」

「そんな、紗矢センパイ!?」

「オレ達のセンスを信用してないんすか!?」

「むしろ貴方達のセンスの何を信用しろと?」

「辛辣!?」

 

 本日何度目か分からない溜め息を吐き、紗矢はこれから整えなければならない室内を見る。

 龍神の強い要望で置かれた会議用長机(作戦立案用モニター完備、5人掛け、トリオン製)以外は、部屋に調度品はほとんど置かれていない。例外は壁を挟んだ先にある緊急脱出(ベイルアウト)用のベッドが4つと、オペレーター用の作業デスクだけだ。

 

「まったく……図面だけで大まかな設定をして、あとは開発室に任せればよかったのに」

 

 紗矢の言い分はもっともだった。

 ボーダー本部という建物は基本的に『トリオン』を物質化して建築されている。外壁やなどの基礎的な部分だけでなく、内装類も『トリオン』で作った方が圧倒的に時間を短縮できる。

 室内の棚などの家具の類いや間仕切りの壁などは『トリオン』で作ることができるので、部屋の図面やイメージ図さえ書いてしまえば、あとは開発室の面々が変態染みた技術力を存分に活かして大抵の要望を叶えてくれるのだが……

 

「こういうことは全員で集まって、実際に作戦室を見ながら決めた方がいいだろう?」

 

 隊長の意向で、最初からそれをやるのは却下されていた。

 

「だからってねぇ……」

「そう目くじらを立てるな。色々なものを置く前にこうして部屋の広さを確認しておけば、具体的なイメージができる。鬼怒田さんや開発室の皆さんに無理を強いることもないだろう」

「……分かったわ。じゃあまずは、大まかなイメージを聞きましょう。貴方はこの作戦室をどんな雰囲気に仕上げたいの?」

 

 たしかに龍神の言うことにも一理ある。紗矢は自分の隊長の美的センスを疑うのはやめて、とりあえず意見を聞いてみることにした。

 

「ふむ……そうだな。俺としてはとりあえず」

 

 龍神は悩むことなく、紗矢に向けて言い切った。

 

「何らかの変形ギミックは欲しいな」

「…………はい?」

 

 聞き間違いだろうか。紗矢は思わず間延びした声と一緒に首を捻った。

 部屋のインテリアイメージを聞いて、変形ギミックと返ってきたのだ。これで首を捻らない方がおかしい。

 しかし、紗矢の前に立つ馬鹿は平然と言葉を続ける。

 

「なんというか、こう……壁が2つに割れて液晶パネルがせり出してくるとか、床から椅子が出てきたりとか、そういう感じのギミックは欲しいな」

「…………貴方、さっきは鬼怒田開発室長や開発室のみなさんに、なるべく負担はかけないって言ってなかった?」

 

 どう考えても、龍神の所望しているギミックの数々の方が作るのに手間が掛かる。絶対に掛かる。めちゃくちゃ掛かる。

 

「案ずるな、鬼怒田さんに不可能はない。必ず成し遂げてくれる」

「…………」

「どうした?」

「とりあえず出ていきなさい。コーディネートは私がやるから」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 折角の第1回会議は中断となり、如月隊の戦闘員達は行く当てもなくぶらぶらと廊下をさ迷う羽目になった。

 

「追い出されましたね、隊長」

 

 隣を歩く早乙女が、やれやれと息を吐く。

 

「ふっ……まったく。ウチのワガママオペレーターには困ったものだ」

「でもまあ、紗矢センパイかわいいですから。少々のワガママは許せる気になっちゃいますね」

「でも流石にオレ達追い出すのは横暴っすよ! そういうキツイところがいいのも事実ですけど!」

「丙、おれはお前が非常に心配だ……」

 

 早乙女から非常に不安そうな目で見られても、丙は実に生き生きとしていた。龍神としてはスカウトしてきたオペレーターが隊員達に好かれるのは良いことなので、特に何か言うつもりはない。江渡上紗矢という女は性格面に問題があるので、むしろキツく当たられることを楽しめるなら大いに結果オーライである。

 

「さて。江渡上に追い出されて時間が余ってしまったな。どうするか……」

「おいおい隊長。そんなことは決まっているだろ?」

 

 黙って前を歩いていた甲田が振り返る。片手に『おしるこ缶』を弄びながら、彼は得意気に続けた。

 

「時間が余った? いいや、俺達に余る時間なんてない。何故なら今の俺達は、前に進むことだけを考えているのだから」

「リーダー!?」

「そいつはつまり……」

 

 龍神を隊長と呼ぶようになっても抜けない『リーダー』呼びで、早乙女と丙は聞き返した。

 

「タイムイズマネー! 時は金なり、さ。こんなところで油を売っている暇があるなら、俺達は少しでも自己鍛練に励んで師匠達との訓練をよりスムーズに行えるようにすべきだ」

「おお!」

「流石だぜ!」

「ふっ……言うようになったな、甲田」

 

 どうやら加古のところに放り込んで強くなったのは胃袋だけではないらしい。以前の彼からは考えられない発言に、龍神は思わず胸が熱くなった。部下、もとい後輩の成長は、こんなにも嬉しいことなのか。

 

「うんうん、いいねいいねー。やる気があるのは実にいいことだ」

 

 ボリボリ、と。

 何かをかじるような音と共に聞こえてきた声。振り返らなくても、その正体はすぐに分かった。

 

「奇遇だな、迅さん」

「おう、龍神」

 

 髪を上げた額にゴーグルを乗せ、いつもと変わらぬ『トリオン体』のジャージ姿。相変わらず左手にはぼんち揚の袋を携えて。

 元S級隊員、迅悠一はニヤッと笑った。

 

「なっ……」

「迅……? 迅ってまさか」

「あの『S級隊員』の……迅悠一さんですか!?」

「はっはっは。どうもはじめまして。残念ながら色々あって、今はA級の実力派エリートです」

 

 ピッと指を立て、挨拶をする迅。甲田、早乙女、丙の3人は「おー!?」とよく分からない叫びをあげて後ずさった。

 

「た、隊長は迅さんとお知り合いなんですか!?」

「ああ。所属は違うが、よくお世話になっている。俺に『スコーピオン』の取り扱いを教えてくれたのも迅さんだ」

「すげぇ!」

「ということは、隊長の師匠!?」

「いやいや、照れるな。きみ達もぼんち揚食う?」

「いいんすか?」

「遠慮しなくていいぞ。迅さんはこれを箱買いして部屋にストックしているからな」

「龍神、お前はちょっと遠慮しろよ」

 

 龍神は言った側から袋に手を突っ込み、鷲掴みにしてボリボリ食べる。例の黒トリガー争奪戦以来、迅と会う機会があまりなかったので、ぼんち揚をつまむ機会にも恵まれなかったのだ。久々に食べたが、やはりうまい。

 隊長の遠慮ない態度に感化されてか、甲田達もおそるおそる袋に手を伸した。

 

「い、いただきます!」

「どうぞどうぞ。代わりと言ってはなんだけど、ちょっときみ達の隊長の用があってね。借りても構わないか?」

「は、はい! じゃあ隊長、俺達は先に……」

「そうだな。先に模擬戦ブースに行っていてくれ。俺も迅さんの話が終わったらすぐに合流する。時間が掛かるようだったら連絡を入れる」

「了解です」

 

 ぼんち揚を食べつつ、「すげー、S級隊員にお菓子貰っちゃったぜ!」「バカ。さっきA級になったって言ってただろ」「でもどっちにしろすげー人だろ!」「……ていうか、ウマイなコレ」などと騒ぎながら遠ざかっていく背中を見て、迅はうんうんと頷いた。

 

「賑やかでいい仲間を見つけたな、龍神」

「少々賑やか過ぎるのが珠に傷だがな」

「それくらいの方がお前と組むにはちょうどいいだろ。小南から聞いたぞ? オペレーターもちゃんと見つかったって。なんか、そっちもおもしろい子らしいな」

 

 小南は紗矢に対する愚痴を玉狛支部の面々にぶちまけている筈だが、それを『おもしろい』の一言だけで片付けてしまうあたりはやはり迅である。

 

「ふっ……この俺をもってしても彼女の個性の強さには日々難儀している」

「おお……? それは本当にすごいな。かわいい? お尻とかどんな感じ?」

「忠告しておくが、彼女はボーダーのスポンサーの娘だ。悪いことは言わない。やめておいた方がいいぞ、迅さん」

「……お前がそこまで言うならやめておこう」

 

 セクハラエリートも相手は選ぶ。迅はやや冷や汗を流しながら頭を振った。

 

「さて。世間話はこれくらいでいいだろう」

 

 龍神はぼんち揚を食べきった手のひらをはたいて、

 

「本題は何だ?」

 

 自他ともに認める実力派エリートに、その真意を問い質した。

 驚いたように見開かれた目が、彼の心情を物語っている。

 

「……ありゃ、気づいてたのか?」

「なんとなく、な。普段の迅さんなら俺を借りると言って、あいつらを追い払うような真似はしない。できれば俺は、呑気にぼんち揚を食べながらあいつらを交えて談笑していたかったな」

「……それはおれも同じだよ」

 

 いつも飄々としている迅が、こんな表情を見せること自体、珍しい。龍神は眉を顰めて、壁に背中を預けた。

 

「何かよほど重要なことなのか? まさか、また空閑に何か?」

「いや、遊真の方の問題は全部解決してるよ。さっきの会議でも、隊務規定に従う限りは安全と権利を保証するって、城戸さんが確約してくれた」

「さっきの会議?」

「龍神も聞いてるだろ? 近々来るっていう、例の『大規模侵攻』についての対策会議だよ」

 

 その件については、龍神も聞き及んでいた。近い内に『近界民』の大規模な襲撃が予想されていることは、既に『C級隊員』も含めてボーダーの全隊員に通達されている。

 その予知をしたのは、他でもない。今、龍神の目の前にいる男だ。

 なら、迅がどうして自分に会いに来たのか。答えは深く考えなくても分かる。

 

「よくない未来が視えたのか?」

「察しがいいなあ、相変わらず」

 

 食べきったぼんち揚の袋を畳みながら、迅は笑う。ただしその笑みは、さっきまでとは違う躊躇いを含んだ笑みだった。

 

 

「――あの3人、敵に連れ去られるかもしれない」

 

 

 正直な話、龍神が予想していたのはもっと違う方向性での、よくない未来だった。

 自分がすぐに倒される、とか。くれぐれも油断はするな、といった忠告の類いの。

 

「数日前、偶然見掛けたんだ。最近は模擬戦ブースに入り浸って、がんばってるだろ? 熊谷ちゃんとかと模擬戦してたからな。それで『視る』ことができた」

 

 予想できなかったのは、龍神の想像力が足りなかったせいだ。

 迅悠一は未来という可能性を視る。それが実現するにしろ、しないにしろ、彼は"有り得る"未来しか知ることができない。言い方を変えれば"有り得ない"ものは絶対に視ない。

 大規模侵攻の情報は『C級』にも伝えられていて、避難や救助のサポートにはトリガーの使用許可が出ている。避難誘導の最中に戦闘に巻き込まれても、何らおかしくない。

 そういう可能性は、既に『現在』に散らばっている。

 

「あの3人は今度の大規模侵攻でピンチになる。お前が察した通り、だから忠告しにきたんだ」

「……だが、あいつらのことだ。窮地に陥ったらすぐに尻尾を巻いて逃げ出しそうだし、自分と相手の戦力差を考えるくらいの頭はある。そう心配するほどのことでも……」

「変わったんだろ」

 

 たった一言。

 告げられた言葉は、今まで迅と交わしてきた言葉の中で最も重い響きを伴っていた。

 

「お前と出会って、チームを組むことを決めて。熊谷ちゃん達みたいな師匠も見つけて……さっきも楽しそうだったしな」

 

 ふざけた根性は叩き直したつもりだった。強くなる為に前向きに努力するようになった彼らの変化を、龍神はついさっき喜んだばかりだ。

 けれど、もしも。

 その変化がプラスではなく、マイナスに働いてしまったとしたら?

 トリオン体でも汗はかく。じっとりと汗ばんだ拳を握り締め、龍神は喉から声を絞り出した。

 

「俺に"話した"ということは、伝えた方がいい未来なんだろう? なら、あいつらにもこのことを伝えて……」

「それは駄目だ」

「どうして!?」

「落ち着け」

 

 肩に手を置かれる。息が荒くなっている自覚はあったが、落ち着けと言われるほど狼狽しているつもりもなかった。

 

「未来はどこで繋がっているか分からない。前にも言っただろ? ありえるかもしれない未来の情報を伝えて、必ずしもその未来がよくなるとは限らない」

「だが……」

「それに、ピンチになるのはお前のチームメイトだけじゃない。メガネくんと千佳ちゃんも危ないんだ」

 

「三雲と雨取にも、危険な未来が視えたというのか?」

「……ああ。だから、下手につついて未来を刺激したくない。もちろん、あの2人にこのことは伝えていない」

「…………」

 

 龍神は唇を噛んだ。

 迅を責めることはできない。

 『未来視』の副作用(サイドエフェクト)。

 未来が視えると言えば聞こえはいいが、それは同時に視えた未来の責任を負う、ということでもある。あり得たかもしれない未来、それを形作る可能性、誰がどんな道を歩み、どんな結果がもたらされるか。それらを全て、迅悠一は知りたくなくても知ってしまう。

 知った上で、取捨選択しなければならないのだ。

 

「……すまない、迅さん。取り乱して……」

「謝る必要はないよ。こんなことを知れば誰だって動揺するし、当人達に伝えたくなる。おれだってそうだ。けど、それが最善とは限らない」

「このことを知っているのは?」

「レイジさんや風間さんには伝えてある。あいつらが結構なピンチになるから、助けて欲しいって。京介も感づいて聞いてきたから、それとなくは言ってある」

 

 自分を含めて、4人。いや、迅本人を入れれば5人か。

 

「…………ふっ」

 

 上等だ、と思う。

 現在から見る未来は、今はまだ可能性だ。その瞬間に至るまで、どのレールにのるかは分からない。変えることだってできるかもしれない。

 否、変えなければならない。

 

「なら、やることはシンプルだな。三雲も雨取も、甲田も早乙女も丙も……必ず守り切る。それだけだ」

「やっとお前らしい返事が聞けたな」

 

 よし、と迅が手を叩く。廊下に響く乾いた音は、龍神だけでなく自分自身も引き締める為に鳴らしたようだった。

 

「それなら早速、龍神に頼みたいことがふたつある」

「俺に可能なことなら、全力で協力しよう」

「じゃあ、ひとつめだ。お前には『あるもの』を受け取って貰いたい。まあ、それの受け取り自体はまた今度でいいんだが……」

 

 何故か急に口ごもる迅。その様は、さっきまでとはまた違う意味で何かに躊躇しているようで。

 

「迅さん、遠慮する必要はないと言ったはずだ。躊躇わずに教えてくれ」

「そうか? では遠慮なく、ふたつめなんだが……」

 

 そんなことを言った手前、龍神はその頼みを断ることができなくなってしまった。

 

「秀次のヤツと話しにいくから、ちょっと一緒に来てくれない?」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 好きなものは何か、と問われれば『姉』と答える。

 人前で口にすればシスコン、と馬鹿にされるのが必至の答えだが、三輪秀次という人間が口にすれば、それは別の意味を持つ。

 誰にも馬鹿にできるわけがない。彼の『姉』は、もうどこにもいないのだから。

 

「…………ちっ」

 

 無意識の舌打ちが漏れる。真冬の屋上に吹き込む風は眠気が一気に醒めるような冷たいものだったが、近頃ほとんど眠れていない体には関係ないことだった。

 三輪は屋上から見渡せる警戒区域を眺めながら――けれど、目に写る景色とは全くべつのものを見ていた。

 

 ――姉さんを助けてよ!

 

 目を閉じれば、今も瞼の裏に鮮明に浮かび上がる。

 

 ――仇討ちするなら、力貸そうか

 

 つい先刻の出来事だ。基地の中を我が物顔で歩くあの白髪の『近界民』が、そんなふざけた提案をしてきたのは。

 

 ――だがな、三輪。少なくとも迅さんは、近界民の襲撃で母親を亡くしている

 

 あのいけ好かない同級生の言葉が、ずっと耳から離れない。

 

「くそっ……」

 

 ぎり、と歯軋りの音が鳴るほどに、三輪は事実を噛み締める。

 『近界民』は敵だ。

 なのにどうして、玉狛支部は敵を庇う?

 なぜ、城戸は『近界民』のボーダー入隊を認めた?

 

 どうすれば――肉親を殺されて、あんなにへらへら笑っていられる?

 

 分からないことだらけで、頭がおかしくなりそうだった。

 聞けば分かるかもしれない。少なくとも、最後の問いについては答えを得ることができるだろう。だが、三輪はどうしてもそれを本人に対して問う気にはなれなかった。

 たとえ今、自分のうしろにいたとしても。

 

「……なんの用だ、迅」

「風間さんにお前がへこんでるって聞いてさー。クマすごいな、大丈夫か?」

「……放っておけ」

 

 三輪が今、個人的に話したくない人物は2人ほどいたが、その1人がこうして自分を訪ねてくるとは流石に想像していなかった。

 迅悠一はぼんち揚を片手にすたすたと近づいてくる。ずけずけと人の中に踏み入ってくるところは2人の共通点か、と三輪は内心で毒づいた。

 

「この前は手加減なしで斬って悪かったな」

「謝罪を受ける義理はない。それに、あんたは俺達を倒した『黒トリガー』をもう持っていない」

「ははっ。そうだな。『風刃』をもう城戸さんに渡したよ」

 

 まただ。

 師匠の形見を手放しておいて、この男はまた笑う。

 

「……あんたと話すことは何もない」

「そう言うなよ。おれも1人で来たわけじゃないんだ。たまには3人で話してみないか?」

 

 どういう意味だ、と問う前に、

 

「久し振りだな、三輪」

 

 その男は、強気な口調とは真逆の気まずそうな様子で現れた。

 なんなんだ、今日は。

 基地内で『近界民』と顔を合わせただけでも最悪だというのに、どうして会いたくない2人がコンビを組んでやって来るのか。

 

「お前と、話がしたい」

 

 実に数週間振りにまともに視線を合わせて、如月龍神はそう言った。

 三輪は答えた。

 

 

「うせろ」

 

 

◇◆◇◆

 

 

「はあ……」

 

 如月龍神は、基本的にため息を吐かない。

 幸せが逃げるから、というイタリア人的な思考が理由なわけではなく、単純にため息を吐くほど何かに対して悩むことがないのだ。龍神はもっぱら吐くよりも吐かせる側だった。

 なので、廊下を歩きながらため息を吐く姿を彼を知る者が見かけたなら、目を疑って声を掛けていたに違いない。

 とはいえ、深刻な悩みはつい先ほど解消し終えていた。ただ、解決する為に使った精神的なエネルギーが大き過ぎて、純粋な疲労を感じているだけである。

 

「……疲れたな」

 

 こちらも滅多に言わないレアなセリフを呟きながら、龍神は自分の作戦室の扉が見えてきたことにほっとした。やはり、帰れる場所があるというのは素晴らしい。

 そういえば、あの自信満々なオペレーターのコーディネートは終わっているのだろうか?

 やはり寝転がれるソファーくらいは置きたいな、などと考えながら、自動ドアの前に立つ。味気ない無機質なドアが横にスライドして、

 

「…………は?」

 

 心の底から驚いた、やや間抜けな声を漏らし、龍神はその場に立ち尽くした。

 入っていいか、分からなくなったのだ。

 目の前には揺れているのは白いレースのカーテン。視線を少々下へ向ければ、茶色のカーペットが床を埋め尽くしている。どこをどう捉えても、戦闘を支援する作戦室の趣ではない。

 

「……部屋を間違えたか」

 

 もしかしたら、龍神の知らないうちにリラクゼーションルームが新しく設置されたのかもしれない。ボーダーの施設内は同じような場所が多くて分かりにくいし、疲れ過ぎて別の階に迷い込んでしまった可能性もある。

 

「あら、おかえりなさい」

 凛とした声が響いた。

 

「…………」

 

 さっさと踵を返そうとした龍神は、これから『話し合い』をする為に使わなければならないエネルギーを考え、本気でそのまま出て行きかけた。

 しかし、逃げるわけにはいかない。

 意を決して、この部屋をこんな風にした張本人に、問う。

 

「なんだ、これは?」

「素晴らしすぎて感想がそれしか浮かばないのかしら? でも仕方ないわね。私自身、よくやったと思うわ。開発室の人に全面協力して貰ったとはいえ、この短時間にこれだけのものを仕上げたんですもの。この私のセンスがなければ到底不可能な所業でしょう!」

 

 部屋の中心に置かれた円形の白いテーブル。そこに座る江渡上紗矢は、紅茶を片手に穏やかな微笑を浮かべていた。

 入室してみて、あらためて絶句する。

 無機質な床をすべて覆い隠す、茶色のカーペット。メインの作戦会議を行うスペースにはよく分からない柱が立っており、壁面をよく分からない草が這っている。龍神が細かく注文をつけた近代的なデザインの会議机は、高そうなテーブルクロスで覆い隠されていた。

 ここまでなら、まだ良い。内装をヨーロッパ風にまとめてみました、ということでまだ許せる。

 問題は……

 

 

「どう? 落ち着くと思わない? ちょっとかわいらしい感じにデザインの方向を寄せてみたの」

 

 ピンク、ピンク、ピンク。

 少女趣味を全開にしましたと言わんばかりのピンク色で、室内は染め上げられていた。

 

「これでみんなリラックスして、作戦に打ち込めるでしょう?」

 

 確かに戦う気は失せるだろう。

 

「緊急脱出用のベッドには緊張がほぐれるように天蓋もつけてもらったわ。天井の高さギリギリだけど」

 

 明らかに方向性を間違った配慮に、もはや反駁する気力も起きない。

 というか、そもそも。

 

「お前……どれだけの負担を開発室の皆さんに強いたんだ……?」

「なんて人聞きの悪い。ちゃんと私は"無理だったら大丈夫です"と前置きしてから、心を込めてお願いをしました! でも、貴方が鬼怒田開発室長に敬意を表す気持ちがよく分かったわ。開発室の皆さんは尊敬に値する方ばかりね。まさか、ほとんどのアイディアが実現するなんて思わなかったもの!」

 

 かわいいとは罪である。それとも、かわいさに負ける男の方が悪いのか。

 

「……これで小南をお茶に誘ったら、来てくれるかな……? かわいいし、赤多めの配色にしたし」

 

 まったくもって馬鹿らしい。

 多分もうすぐ、あの3人が帰ってきて、またギャーギャーと騒ぎ出すだろう。

 めんどくさい、と思う。だが、そういう時間をもっと過ごすのもわるくない。そんなことを考えるくらいには、龍神はチームでいることに楽しさと意味を感じ始めていた。

 もう、孤高には戻れない。

 守りたい、と思う。

 わがままなオペレーターと、騒がしい後輩と。一緒に戦ってみたいと、心から願う。

 

 だけど、今は。

 

「江渡上」

「なに?」

「今すぐ全て元に戻せ」

 




次回より大規模侵攻編、開始

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