……えぇ、結局間に合いませんでした、年内には。その代わり一万字ほどのボリュームになったので、許していただきたく。
「みんな、今日は私のために集まってくれてどうもありがとう」
にこやかな笑みを見せる加古の前で、風間を除く男達は既にガクガクと震えていた。生物は己の体に危機が迫った時、本能的にそれを察知するという。龍神達が恐怖を押さえ込もうとしても、彼らの舌と胃袋が全力で警告を発していた。
ちなみに柿崎はまだ目を覚まさない。この戦いにはついてこれそうにないので、隣の緊急脱出ルームに放りこんである。意識と胃袋が緊急脱出している彼を、これ以上戦わせるわけにはいかない。
「加古さん。麻衣先輩達はちょっと遅れるみたいです」
「あら、そう? じゃあ、先に始めていましょうか?」
頷いた加古は、懐からカードの束を取り出した。それこそクリスマスプレゼントを待ちかねた子どものように、やたらそわそわしているのが伝わってくる。
なんかもう、嫌な予感しかしなかった。
「それではこれより……第1回、神経衰弱チャーハン大会を開催します!」
ドン!という擬音が聞こえてきそうなほど、元気一杯に宣言する20歳女子。しかし、「イェーイ!」というパーティーっぽい歓声は巻き起こらない。龍神達3人は、顔をひきつらせながら拍手をするので精一杯だ。風間は元々「イェーイ!」とか言うタイプではないので、興味深そうに「ほう……」と目を細めていた。その余裕を少しでいいから分けて欲しいと、龍神は思う。
「双葉。例のアレを」
「はい、加古さん」
加古が軽やかに指を鳴らすと、それに合わせて双葉がホワイトボードをささっと滑らせて、ちょうど見やすい位置に持ってくる。無駄に無駄のない流れである。きっと練習したのだろう。
「ルールは簡単よ! 今から私が並べるカードには、それぞれチャーハンの具になる食材が記されているわ! みんなにはこれを1枚ずつめくってもらって、食材を決めてもらいます。そしてその食材を具に使って、私が炒飯を作るってわけ!」
いや、何のバラエティー企画だよ?というか、神経衰弱要素どこ? そう呟きそうになるのを、龍神はぐっと堪えた。
深く考えるまでもなく『炒飯の具になる食材』というのは、加古の基準で選ばれているはずだ。間違いない。佐鳥の首を懸けてもいいくらいに、龍神は確信した。
「どう? おもしろいでしょう!?」
ウキウキと加古が聞いてくる。なるほど、確かに作る方はおもしろいだろう。そして食べる方は恐怖するだろう。龍神はもう胃が痛くなってきた。事実、隣の堤は既にお腹のあたりを抑えている。
考えなければ……思考しなければ、生き残れない。龍神の脳細胞はかつてない勢いで、フル回転を始める。
加古が机の上に並べたカードは20枚。加古のチャーハンの平均死亡確率は約10分の2。つまり、あの20枚の中には少なくとも4枚以上、『普通の人なら絶対にチャーハンに入れない人を殺せる食材』が含まれているはずだ。
「でも柿崎くんが起きないし……折角だから、2枚ずつじゃなくて3枚ずつにしましょうか! 具はたくさん入ってた方がおいしいわ」
「柿崎ッ! 起きろ柿崎ッ! 加古がお前のためにチャーハン作ってくれるぞ! 起きろ! 今すぐ起きろ!」
叫びながら隣の部屋へ駆け込もうとする太刀川を、龍神と堤が押さえる。
「やめろ太刀川! 柿崎さんはもう眠っているんだ! ……これ以上は無理だ。そっとしておいてやろう」
「そうだぞ太刀川! 柿崎くんは疲れているんだ! ……はじめて加古ちゃんの炒飯を食べた柿崎くんに、もう1皿を強いるのは酷過ぎる。堪えるんだ」
龍神も堤も、後半部分はかなり小声で太刀川に呟いた。
「…………ッ」
個人総合1位、No.1攻撃手であるはずの男は、今にも泣き出しそうだった。
「じゃあ、はじめましょうか」
手を叩き、小気味良い音を響かせて。加古がゲームの開始を宣言する。
テーブルの上にずらりと並べられた20枚のカード。それらを見詰めて、龍神はごくりと生唾を飲み込んだ。堤や太刀川と、互いに視線を交差させる。口に出さなくても、言いたいことは分かった。
――おい、誰から逝く?
「ふっ……後輩が一番最初にご馳走をいただくわけにはいかないからな。まずは風間さん達から引いてくれ」
「おいおい。せっかくのクリスマスなんだぞ。かたくるしいのはなしだ。むしろ、こういうイベントは後輩からいくのが筋だろ」
――お前が先に死ね。
――いいや、お前が死ね。
にこやかな笑みを浮かべながら、龍神と太刀川は視線をぶつけ合う。その瞳から放たれる殺気の鋭さは、普段行われるランク戦のそれをはるかに凌駕していた。
そんな2人を横目で見ながら、
「ははっ! 2人は相変わらず仲がいいなあ! どうだろう? 最初は2人同時にカードを引くっていうのは?」
堤が横から刺してくる。
((この糸目野郎っ……!))
一緒に生き残ろう、という誓いを早速かなぐり捨ててきた糸目ボーズクソ野郎堤大地。しかし龍神は、それも仕方がないことだと思った。誰だって、一番最初に死にたくはない。当然のことである。自分に先に炒飯を食わせようとしてくる堤や太刀川が悪いわけではない。全ての元凶は、食べたら死ぬ炒飯にあるのだ。人の優しさ、人の思いやり、人の善性を、龍神はまだ信じていた。
無論。それはそれとして、堤と太刀川には先に死んでもらう。
「ふむ……しかしこういうイベントごとを一気に終わらせてしまうのは、やはりもったいない。どうだろう。ここは、年長者である風間さんの指名で最初の挑戦者を決めるというのは」
「あら、いいわね。風間さん、お願いできる?」
「ああ、わかった」
ほぼノータイムで、風間は答えた。
「太刀川、いけ」
「なんでっ!?」
「なんとなくだ」
にべもない風間の返答に、太刀川は絶句する。この場で最もちっちゃくっても、この場で最も年長者なのは彼である。指名には、従わざるを得ない。
「よかったな太刀川。トップバッターだぞ」
「いいなあ太刀川。最初に加古ちゃんの炒飯が食べられるなんて」
「……覚えてろよ、お前ら」
「? 太刀川くん何か言った?」
「なんでもないぞ加古!さあ引こうか!」
苦虫をまとめて500匹くらい噛み潰した顔を瞬時に切り替えて、満面の笑顔を加古に見せつける太刀川。しかし、ボーダーNo.1攻撃手であるはずの彼の手は、カードの前でピタリと止まった。
伏せられた20枚のカード。そこから感じる、果てしなく禍々しいプレッシャーに。
「どうした、太刀川」
「……」
「まさかとは思うが……」
押し黙った太刀川に向けて、龍神の唇が弧を描いて吊り上がる。
「カードを引くのが、こわいのか?」
先ほど廊下で晒していた自身の醜態は彼方へと放り捨て、龍神は彼のプライドを逆なでする一言を、全力で投げつけた。
「はあ!? こわいわけがないだろが!」
カッチーン、という擬音が聞こえそうな分かりやすい反応である。しかし、その一言がよほど効いたのか、太刀川はもう躊躇わなかった。
ボーダー正隊員最強の弧月使い。いつもなら二刀流を振るうその両腕が、2枚のカードに手をかける。
そうして、同時に2枚。さらに、目にも止まらぬ速さで1枚。
「なっ……!」
「は、はやい!?」
躊躇など一切ない選択。そのあまりにも潔い思い切りの良さに、龍神と堤は目を見開いた。
「はっ……こういうのはな、迷った方が負けなんだよ」
これ以上ないほどのドヤ顔で、太刀川は言う。ただし、引いたカードは見ようともしない。多分、見るのがこわいのだろう。
「もう!太刀川くんったら……こういうのはゆっくり引いた方がおもしろいのに」
「悪いな、加古。それでその、えっと……中身の方は……?」
両頬をぷっくりと膨らませた加古が、太刀川からカードを受け取る。
「えーと……あら?」
形のいい眉が、きゅっと眉間に皺を寄せた。
「ちょっと、太刀川くん。なぁに、このチョイスは?」
机の上に広げられたカードは、当然3種類。
いくら。
たまご。
そして、
「これじゃあ、前に太刀川くんにご馳走した『いくらカスタード炒飯』とほとんど同じになっちゃうじゃない!」
――カスタード。
「まあ、いいわ。ある意味、私の腕が上がってることを確かめるいい機会かも。ちゃんと前よりもおいしいのを作ってあげるから、ちょっと待っててね」
ひゅっ、と。太刀川の喉から変な音が漏れ出るのを、龍神は確かに聞いた。
◇◆◇◆
「はぁい、お待たせ」
もうちょっと心の準備の時間を作ってあげればいいのに……と思うほどの瞬速で、炒飯はお出しされた。
「『いくらカスタード炒飯・クリスマススペシャル』よ」
どこら辺が『クリスマススペシャル』なのかは一切不明だが、加古が『スペシャル』と言うからには『スペシャル』なのだろう、多分。見た目的にはたまごとカスタードの黄色に、うっすらといくらの赤が彩りを添える、美しい炒飯である。味の方は、これから太刀川が身をもって証明する。
「さあ、召し上がれ!」
「い、いただきます」
恐る恐る、といった様子で太刀川は一口目を口に入れた。
「……ッ!?」
そして一瞬だけ目と顔を白黒させると、そのまま残りを一気にかきこむ。
「た、太刀川……?」
反応はない。カラン、とスプーンを置く音だけが響いた。
戦いを終えた1人の男は丁寧に手を合わせる。
「ごちそう、さまでした……」
何かをやり遂げたような、すがすがしい表情で、
「なあ、加古。腹いっぱいになったから、俺もちょっと横になっていいか?」
「太刀川くんもお疲れなの? しょうがないわね……どうぞ」
「ああ……ありがとう」
――横になった太刀川は、そのまま動かなくなった。
「太刀川、オイ! 太刀川!」
小声で呼び掛けてみても、返事はない。ただの屍のようだ。
「すまん、加古さん。ちょっと太刀川を隣の部屋に放りこんできていいか?」
「太刀川くん、ほんとにおねむだったのね……お願いするわ」
龍神と堤は2人で協力して太刀川を隣の部屋に運び込み、緊急脱出用ベッドの上に寝かせた。そして、2人揃って深い深いため息を吐く。
「やはり、一撃か……」
相変わらずな威力に、堤が声を震わせる。
「ふん……太刀川は我々の中でも最弱。たった一皿で沈むとは、四天王の面汚しよ……」
「いや四天王誰だよ」
「今度もう1人募集しよう」
「誰も来ないよ」
太刀川を馬鹿にしながら馬鹿なやりとりをしつつ、それでも龍神は顔を伏せた。どんな形であれ、炒飯の元に召された魂は尊い犠牲だ。
「お前はよく戦った……」
「太刀川、安らかに眠れ……」
2人は手を合わせて合唱し、加古が待つ部屋に戻る。
「太刀川くん、大丈夫だった?」
「ああ、大丈夫だ」
「あいつも色々疲れていたんだよ。気にしないで、次に行こう、加古ちゃん」
「なら、次は俺がいかせて貰おう」
「風間さん!?」
やはり同じA級部隊の隊長同士。太刀川がやられたことに何かを感じ取ったのか。
A級3位風間隊、隊長。風間蒼也が遂に動く。
「なかなかおもしろい食材が入っているようだ。たまにはこういうパーティーも悪くない。考えたな、加古」
「風間さんに褒めてもらえるなんて、とっても光栄だわ。はやくめくってめくって」
「そうだな……では」
(どれをめくる気だ……)
(流石の風間さんでも、ここは慎重にならざるを得ないはず……)
選択肢を間違えば、それは死に直結する。これはゲームであってゲームではなく、出てくるのは炒飯であって炒飯と呼ぶには烏滸がましいナニカ。まさにデスゲームとダークマター。いかに風間蒼也といえども、相応のプレッシャーを感じているはず。しかも太刀川は己の直感を信じてカードを選び、爆死した。あの見事な爆死っぷりを見て、躊躇わないわけがない。
しかし。龍神と堤が固唾を飲んで見守る中で、
「これとこれとこれだ」
風間はあまりにもあっさりとカードを選び、そして捲った。
トンカツ。
カレー粉。
チーズ。
「……普通すぎておもしろみに欠けるな」
((なんでだぁあああああああ!?))
龍神と堤の心の絶叫が、見事に同調する。
信じられない神業であった。風間はこの地雷源の中で、完璧に当たり食材を引き当ててみせたのだ。しかも、自分の好物であるカツカレーを中心にしたラインナップを。
風間から3枚のカードを受け取り、加古は穏やかな笑みを浮かべた。
「また前に作ったような……でも、いい組み合わせね。普通すぎて創作意欲に欠けるけど、ランダムだから仕方ないわ。ちょっと待ってて、風間さん。まずはカツを揚げてくるから」
(そこから!?)
ジュージューと揚げ油が弾ける音と、カレーのいい匂いが作戦室に満ちる。十数分後。太刀川の時より少々時間をかけて、加古は完成した炒飯を風間の前に置いた。
「はい、どうぞ。『チーズカツカレー炒飯・クリスマス風』です。熱いから、気をつけて食べてね?」
その一皿を見て、龍神と堤は絶句する。絶句せざるを、得ない。
全体がカレー粉の色に染まった米には満遍なく火が通り、パラパラに仕上げられていた。揚げたてのカツは一口大にカットされ、衣が水分を吸わないように脇に添えられている。なによりも、スパイスからこだわったことが一瞬で分る、刺激的で食欲をそそる香り……
(な……)
(なんてうまそうな……)
ごくり、と。龍神と堤は生唾を飲み込む。
これが、加古の炒飯の残酷な一面である。ハズレの炒飯は金を貰っても食べたくないが、アタリの炒飯は金を払ってでも食べたくなるほどにおいしそうなのだ。
「いい香りだ。いただこう」
アツアツのカツとチーズと米を、風間は一気に頬張った。普段は小揺らぎもしない鉄面皮が、たった一口で幸せそうにほころぶ。
「うまい」
((そりゃそうだろうなあ!))
ハフハフと、もぐもぐと、黙々と。炒飯を幸せそうに食べる風間の横顔を存分に眺めた加古は、堤の方に向き直った。
「じゃあ、次は堤くんの番よ」
「……ふーっ」
遂に、この時がやってきた。
ソファーから立ち上がった堤は頭をわしわしと……いや、わっしわっしとかきむしりながら、大きく息を吐いて呼吸を整える。
「ふふっ……そんなに気合を入れなくてもいいのに」
「せっかく加古ちゃんの炒飯を食べるんだ。気合を入れるのは当然さ」
残りのカードは14枚。
だがしかし。堤の表情は今、悟りを開いた菩薩のように穏やかだった。この世全ての煩悩から解脱したような……それでいて、戦う意思は決して捨てていない。静かで穏やかな闘志を、龍神は感じ取った。
(まさか、堤さん……何も考えていない、のか……!?)
聞いたことがある。
明鏡止水。曇りのない鏡、あるいは澄み切った水面のように、波風を立てぬ心の持ちよう。その在り方は、人間の精神の一種の完成形だという。
(この土壇場で、その境地に至るとは……)
堤大地。炒飯を食べることに関しては、太刀川慶など足元にも及ばない。
――やはり天才か。
「俺が選ぶカードは」
最早、迷いなどあるはずもない。恐怖も躊躇も、決断を鈍らせる全ての感情は不要。
堤の手のひらは、引くべきカードを真っ直ぐに掴み取る。
「これだ」
そして、彼が引いたカードは――
「……いちごジャム、だと?」
――いちごジャム。
そもそもジャムとは果実の果肉を潰し、砂糖を加えて加熱濃縮することでゼリー化させた製品である。砂糖の添加量は原料の種類、熟度に応じて調整されるが、割合的にはほぼ等量ぐらいが適当。ちなみにジャム製品がゼリー化するのは有機酸の量が一定の場合だが、特にいちごジャムを製造する場合はペクチンを補うことが多い。朝食がパン派の人々には欠かせない……逆に言えば、ご飯とは逆立ちしてもマッチしない食品である。
「どうして……いちごジャムが……?」
「前に如月くんに『納豆いちごジャム炒飯』をご馳走した時、けっこう好評だったのよ。それで今回も入れてみようと思って」
(如月ぃ!)
(俺は悪くない。勝手にいちごジャムを引いた堤さんが悪い)
目線だけでキレている堤をガン無視する龍神。そんな2人のやりとりに加古が気づくわけもなく、わくわくと次のカードを引くのを催促する。
「それじゃあ堤くん! 2枚目いってみましょうか!」
「あ、ああ……」
すでに明鏡止水的なスーパーモードが終了した堤は、額に大粒の汗を浮かべながら視線を泳がせる。
もうミスは許されない。これ以上のゲテモノ食材の投入は、イコールで即死に繋がりかねない。しかも、今日は炒飯パーティー。2皿目が出てくることまで考慮して、1皿目の胃袋への負担は最低限に留めたいところ。
(ハム、ネギ、焼豚……そのあたりを引きたい! 来い!)
藁にもすがるような思いで、堤は2枚目のカードをめくる。
「な……」
「こ、これは……」
またしても。
あまりにも予想外の食材……否、『お菓子』の登場に、堤と龍神は揃って絶句する。
「サルミアッキ……だと」
――サルミアッキ。
別名『世界一まずい飴』。
北欧5カ国およびバルト三国、北ドイツ、オランダで伝統的に食されている、まさに北部欧州を代表する菓子である。特にフィンランドでは、キャンディの形である菱形そのものが『サルミアッキ』と呼ばれるほどの国民的商品……なのだが。
色は、まるで悪魔のような漆黒。塩化アンモニウムとリコリスを用いて完成するそのフレーバーは、まさしく悪魔の所業。口に入れた瞬間に、塩化アンモニウムが発する強い塩味、アンモニア臭とゴムの味に加えて、生薬特有の薬臭さと強烈な苦味が口の中で踊り狂う。外国人に口を揃えて「人の食べ物じゃない」と言わしめる、まさに正しく最凶最悪の飴玉。
「な、なんでこんなものが……」
「え? 入れたらおもしろそうだったから」
炒飯の具に、飴玉を?
「そもそも、炒められなくないか?」
「そこはほら。砕いたり、すりつぶしたり、粉末状にしてふりかけるとか。やりようはいくらでもあるでしょ? 大事なのはアイディアよ、アイディア!」
ここにきて、龍神は加古の炒飯へのスタンスを改めて痛感する。
――なにも成長していない。
と、
「……ははっ」
サルミアッキを引いてから沈黙していた堤が、乾いた笑い声をあげた。
「つ、堤さん?」
「なにがいちごジャムだ……なにがサルミアッキだ」
背けられた顔を覗きこんで、龍神は絶句する。ひどい。顔が完全に、凄まじい別の貌になっている。
「如月くん……もう俺は、なにもこわくない」
本当に、これはひどい。
「そうだ!もはや、俺にこわいものはない!全て食らってやる!うおおおおおおおおおおお!」
死亡フラグをこれでもかと満載したセリフを吐きながら、堤は最後の1枚を乱雑に引き切る。
そして。この日、はじめて。
「あー。それ引いちゃったのね」
終始笑顔だった加古の表情が、なにかまずいものを見たような曖昧なものに変わった。
「こ、これは……って、ほんとになんだ、コレ?」
「どうした、堤さん?」
「いや、この食材。よく知らなくて……シュール……ストレミング?」
「…………………………………………は?」
今度こそ。
龍神は、言葉を失って固まった。
――シュールストレミング。
別名『世界一臭い食べ物』。
一般的に臭い食べ物として認知されている『くさや』や『ドリアン』をぶっちぎる異臭を誇る、ニシンを塩漬けして発酵させ、缶詰にしたナニカである。
「ば、馬鹿な……なんでこんなものを用意してるんだ!?」
「友達が旅行のお土産にくれたのよ。せっかくだから、今日使おうと思って」
そう言いながら加古は、どこからか取り出したあやしい缶詰を持って立ち上がった。
「双葉。打ち合わせ通り、キッチンの封鎖処理をお願い。私は『コレ』の開封作業に移るから」
「了解です」
ゴム手袋やらマスクやらをいそいそと身につける加古。双葉もキッチンとリビングスペースの間にクリア素材のカーテンを引き、入念に臭いの遮断処理を進めていく。
「え……か、加古ちゃん。ソレ、ただの缶詰だろ? 缶詰だよね? なんでこんな……」
「なに言ってるの堤くん。これは『シュールストレミング』よ? いくら臭い対策してもしたりないくらいだわ。私も前に食べてみたけど……ええ、うん」
「なんで黙るんだよ!?」
「大丈夫よ、堤くん。今回はちゃんと入念に水洗いしてから調理に入るから」
「入念に水洗いしないと食えないモノのか、ソレ!? おい如月くん! アレなんだ! なんなんだ、あの缶詰!? 教えてくれ、頼む!」
もはや軽くパニックに陥っている堤は、すがるように龍神の両肩を掴む。龍神は、思わず顔を背けた。
「……自分でググってくれ」
「なんでそんな悲痛な顔してるんだよ!?」
懐からスマホを取り出した堤は検索エンジンを起動し、凄まじいスピードでネットの海から情報を拾い集めていく。そして、凄まじいスピードで彼の顔は青ざめていく。
無理もない。そもそも、あの食品は缶詰であって缶詰でないのだから。
納豆に代表される発酵食品は、総じてクセが強く、好き嫌いが分かれやすい。ましてや、長時間の発酵によってもたらされる風味は、腐敗と紙一重。そして当然、シュールストレミングはそのあまりに進みすぎた発酵により、腐敗臭といっても過言ではない凄まじい臭気を発する。しかもこの食品はあろうことか、殺菌せず缶詰にされ、販売されている。日本には缶詰の定義(JAS法)があるので、殺菌されていないものは缶詰と表記できないのだ。
「なんか、発酵で膨らみすぎて爆発物処理班が出動したとか書いてあるんだけど……」
「なんせ、殺菌されてないからな。放置していたら膨らみ続けるし、爆発するのは当然だ」
「詳しいですね、如月先輩」
「以前、うちの姉がなにをとち狂ったのか、家に持ち込んだことがあってな」
「食べたんですか?」
「ああ。鼻がもげるかと思った」
とりあえず、龍神は二度と食べたくない。
「しかし加古さん……いくらなんでもシュールストレミングを炒飯の具にするのは……」
「そうだぞ加古ちゃん! しかもさっきの発言から察するに、自分で食べてもあまりおいしくなかったんだろう? そんなモノを加古ちゃんが愛する炒飯に入れてもいいのか?」
その悪臭・刺激臭の強さにおいて、世界の食べ物の頂点に立つと言われる代物である。食べたら死ぬのは想像に難くない。
「……ええ。たしかに。味はともかく、鼻が異臭で溶け落ちるかと思ったわ」
「だったら!」
「でもね、堤くん」
なんか微妙に膨らんでいる気がする缶詰に、加古は果敢に挑みかかる。
「どんなに臭くても、どんなにまずそうでも……炒飯にいれたらおいしくなるかもしれない。もしかしたら、あり得ない奇抜な組み合わせから、至高の一皿が生まれるかもしれない」
冷蔵庫の残りモノでも、最高級の焼豚でも、米と卵で等しく優しく包み込む……それが『炒飯(チャーハン)』だ。
「そんな一皿を、みんなにおいしく食べてもらう瞬間が、私は最高に大好きなの」
マスクをつけて口元を完全ガードした加古の目元が、きゅっと吊り上がる。
「だから、私の炒飯作りの辞書に『不可能』の三文字はないわ」
じゃあこんな食材と呼べるかどうかも分からないゲテモノ用意するなよ、と龍神は思った。
「まあでも……火を通せばなんとかなるかもしれないしな」
大抵のものは、火を通せば食えるものである。炒められても死ぬのが加古の炒飯なので、所詮は気休めかもしれないが……それでも、生で食べるよりは幾分かマシなはず。
「……生で添えてみようかしら」
「頼むから火は通してくれ加古ちゃん!」
◇◆◇◆
結局、堤大地は一皿で死んだ。
出来上がった炒飯は加古の歴代炒飯と比較してもあまりにもアレなアレだったので、描写は割愛するが……ひとつだけ、言うとすれば。
――如月龍神は堤大地という漢を、心の底から尊敬する。
ゲテモノ三点盛りの炒飯を作って、流石に疲れたのだろう。加古と風間は休憩がてら外に出ており、部屋の中には龍神と双葉だけが残っていた。
「双葉」
「なんですか? 如月先輩」
「人は……なぜ死ぬと思う?」
尊敬する先輩から急に繰り出された哲学的な質問に、黒江双葉は首を傾げた。ボーダー隊員とはいっても、双葉はまだ中学。そんな小難しい問いに即答できるほどの、経験も知識も持ち合わせていない。しかし、尊敬する先輩の質問にはちゃんと答えたい。
悩みぬいた末に、双葉は言った。
「心臓が止まったり、脳が機能を失ったりした時でしょうか」
「ふっ……生物学的な意味で『死』を定義するなら、確かにその通りだろう。だがな、双葉。俺は今日、このパーティーで散っていった仲間達を見て、改めて確信した」
腕を組み、目を閉じ
「人は……炒飯でも死ぬ」
ひさしぶりに「なに言ってるんだろうこの人」と、双葉は思った。
「もう残っているのは、俺だけだ」
「そうですね。まだ引いていないのは如月先輩だけです」
「そうだ。しかし、残り物には福がある、という言葉があるように……」
「加古さんはまだまだおもしろ食材を用意してある、と言っていました」
「……とにかく、だ。結局、俺を残してみんなはいってしまった」
言い訳や理由をつけて自分を勇気づけることは、いくらでもできる。だが、龍神はもうそんなことはしない。
己を信じると、決めたからだ。
「だが、俺は諦めない」
そう。如月龍神は決して諦めない。
希望の光が見えないのなら、取り囲む闇を切り開けばいい。ゴールが見えないのなら、どこまでも走り続ければいい。
柿崎が始まる前に死に、太刀川も一瞬で死に、あの堤ですらも志半ばで倒れた。
希望はなく、絶望が満ち満ちたこの部屋の中に、残っているのは自分一人だけ。
しかし、それが一体なんだといういうのか?
「お待たせー、如月くん。準備はいい?」
魑魅魍魎(炒飯)跋扈する、この地獄変。
数多の希望が潰え、あらゆる光が吞まれたとしても、
(俺の胃袋は、炒飯になんて絶対負けない)
如月龍神はここにいる。
「いくぞ! 俺のターン!」
◇◆◇◆
日本ではきちんとした食事のイメージが強い炒飯だが、本場中国の一部地域では小さな器に盛られ、軽いおやつの『飲茶(ヤムチャ)』として振る舞われることもあるという。
体を丸め、ソファーの上でピクリとも動かない如月龍神の姿は、まさしくヤムチャしていた。
「如月先輩……おやすみなさい」
双葉はもう何も言わなくなった先輩に、そっと毛布をかける。
「うーん。みんなお疲れだったみたいね」
「そうですね」
「ほんとはおかわりいっぱい食べてほしかったんだけど……無理に起こすのは悪いし」
「はい。如月先輩達は寝かせておいてあげましょう」
最初の賑やかさはどこへやら。
室内は、すっかり静かになってしまった。
「どうしようかしら……誰か、他の人を呼んでみるとか? 佐鳥くんあたりは今から呼んでも来そうよね。あとはいっそ、城戸司令あたりに声をかけてみるとか……」
加古の不穏な呟きも、静寂の中ではよりいっそう響く。
だが、
「加古」
最初から変わらずに、そこに在る者(モノ)もいる。
「なに? 風間さん」
「おかわりだ」
シュールストレミング・サルミアッキ・いちごジャム炒飯・クリスマス仕様については、ほんとに作ったら死ぬと思うのでやめましょう。サルミアッキしか食べたことはありませんが、あれはマジでおかしい。
ちなみに、堤さんは加古さんに「まずかったら、残してもいいからね?」と、はじめて上目遣いで見られ、当然死にました。
そろそろ本編も更新します。