厨二なボーダー隊員   作:龍流

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終結

 地面に着地した空閑遊真は、すぐに背後を振り返った。"戦闘用のトリオン体"ではなくなった遊真の姿は、既に黒いボディスーツから学校の制服に置き変わっている。

 向けた視線の先。まだトリオンの煙が晴れていない中心で、1人の男が片膝をついていた。戦闘体を完全に失い、生身に戻った彼は苦々しげに呻く。

 

「……くっ」

 

 飛び回り、泳ぎ回っていた『鳥』や『サカナ』達にも、明らかな変化があった。生物のように群れを成して動き回っていたそれらは、唐突にコントロールを失って落下していく。うっすらと発光していた羽や鱗からも光が消えて、小さなキューブに戻っていった。

 

「よくやった」

「どうも」

「後は任せろ」

「じゃ、おねがいします」

 

 遊真と簡潔なやりとりをしながら、二宮はハイレインに歩み寄っていく。コンクリートを踏む革靴の音が、やけに乾いて響いた。

 

「投降しろ。お前を捕虜として、本部に連行する」

「……大人しく、捕まるとでも?」

「抵抗するなら、安全は保証しかねる」

 

 二宮の傍らにトリオンキューブが出現し、即座に分割される。発射寸前の状態で止められたそれらは、ハイレインに対する明確な脅しだった。

 

「変なことは考えない方が身の為よ、黒トリガーさん? 彼、冗談が通じないタイプだから」

 

 いつの間にか遊真の側に……ハイレインの背後に回り込んだ加古が、茶化すようにそう言う。

 ボーダーの弾丸には、民間人に流れ弾が当たる可能性を考慮してセーフティ機能が備わっている。例えば『通常弾(アステロイド)』を生身に浴びたとしても、大きな怪我はせずに昏倒する程度で済む。

 逆に言えばだからこそ、二宮はハイレインが妙な動きを見せた瞬間に、躊躇なく彼を撃つことができる。当てたところで、絶対に死なないからだ。

 

「もう一度だけ言う。大人しく投降しろ」

「…………」

 

 ハイレインは答えない。

 撃つか、と二宮は思った。投降の意思がないのなら、意識を奪ってしまった方が手っ取り早く事が進む。何より『ワープ』を使う『黒トリガー』が戻ってくる前に、彼の身柄は押さえておきたかった。後で問題になるかもしれないが、責任の取り方は後から考えればいい。

 口を開かないハイレインに向けて、『通常弾』のキューブを発射しようとする二宮。しかしその判断は、数秒だけ遅かった。

 

「二宮さん!」

 

 唐突に響いた、三輪の叫び声。振り向いた二宮は、すぐに気がついた。

 三輪と対峙していたはずの『新型』の姿が消えている――

 

「…………チッ」

 

 ――頭上に開いた『黒い門(ゲート)』。そこから躍り出たラービットの一撃を、二宮は背後に跳ぶことでなんとか回避した。

 

「ハイレイン隊長! ご無事ですか!?」

「すまない、ミラ。金の雛鳥はどうした?」

「……申し訳ありません」

「そうか、分かった。離脱するぞ」

「かしこまりました」

 

 現れたミラに支えられるようにして、ハイレインが『門』の中に入る。

 

「逃がすとでも思っているのかしら?」

「ええ。癪だけど、退かせて貰うわ……ラービット!」

 

 二宮が放った『通常弾』は、ラービットの身を呈した防御に受け止められる。だが、加古が放った『追尾弾』は別方向からの攻撃。ラービットではカバーしきれない弾丸の雨は、ハイレインとミラを捉えたように思えたが、

 

「ッ……モールモッド!?」

 

 ミラが転送したトリオン兵は、1体だけではなかった。

 ラービットが現れたのと同じ『門』から出現したのは、2体のモールモッド。それらの個体も自らの体を楯にして、ミラとハイレインを弾丸から守り抜く。

 

「残念だったわね」

 

 ミラが捨て台詞を吐き捨て、『門』が閉まるその瞬間。東春秋の狙撃の射線が『門』の中のミラと一直線に繋がったが、弾丸が届く前に扉は閉ざされた。

 

『逃がしたか……』

 

 無線を通して、東の嘆息が漏れた。長い金髪をかきあげながら、加古が問う。

 

「東さん、追撃は?」

『無理だろうな。奴らがどこに『ワープ』したのか分からないし……男の方は戦闘体を失っている。おそらく、遠征艇に戻ったんだろう』

 

 こちらから『門(ゲート)』を開かない限り、敵の遠征艇に直接乗り込むことはできない。今のボーダーの技術力では、それは不可能だった。

 

「残念。もうちょっとで『黒トリガー』を確保できたのに」

『そう言うな。ひさしぶりの連携なのに、全員よくやってくれた。二宮も秀次も、成長したな』

「いえ、東さんの指揮のお陰です」

「二宮さんの言う通りです。自分の指揮はまだまだだと、痛感しました」

「ええ~? 東さん、私は? 私の成長は誉めてくれないの?」

 

 普段のクールビューティーっぷりからは想像できない反応。甘えたがりで構ってほしい子どものように、加古は唇を尖らせた。それを見た二宮が、ポツリと呟く。

 

「…………お前は何も変わってないだろが」

「二宮くんなんか言った?」

『こらこら、喧嘩するな。冗談だ。加古が『ワープ使い』を抑えてくれて、本当に助かったぞ。ありがとう』

「ふふっ……どういたしまして」

 

 昔の隊長から誉め言葉を賜って、加古はご満悦な様子だ。二宮と三輪は苦笑いすらしなかったが、彼らが醸し出す雰囲気は、不思議と悪いものではなかった。

 

「いいチームだな。どうりで強いわけだ」

「何言ってるの? 勝利のキーマンは、あなたでしょう?」

 

 加古は頭の後ろで腕を組む遊真に向かって、にっこりと微笑んだ。

 

「……空閑、東さんから伝言だ。『容赦なく撃ち抜いてすまなかった』だそうだ」

「いやいや、たのんだのはおれだし。『気にしないでください。いい狙撃でした』って言っといてください」

 

 遊真は東の代わりに、二宮に頭を下げた。本当なら直接会ってお礼を言いたいところだが、距離的に無理がある。

 実際、お世辞でも何でもなく、遊真は東のことを優秀な狙撃手だと思った。たった1回の援護だったが、それだけでも充分に彼の実力は伝わった。常に冷静に敵を観察し、的確な指示と正確な狙撃をこなせる現場指揮官は、近界の戦場でもお目にかかったことがない。何より、この場にいる全員から敬意を寄せられている時点ですごい。今度本部に行った時には、ぜひ顔を会わせてみたいと思う。

 そんなことを考えていたせいか、遊真は背後から近づいてくる、怪しい動きの手に気がつけなかった。

 

「それにしても、本当にびっくりしたわ。まさか、生身で攻撃を仕掛けちゃうなんて」

 

 加古の細くて白い指が、遊真の頭をワシワシともみくちゃにする。別に撫でられるのが嫌なわけではないので、遊真はされるがままの状態で答えた。

 

 

「いやいや、それほどでも」

「あら、謙遜しなくていいのに。だって生身で攻撃だなんて、普通なら考えられないじゃない? それとも……」

 

 軽い語調ががらりと変わったのは、きっと気のせいではない。

 見上げた先で、好奇に彩られた瞳がすっと細められる。

 

「『今の体』も、トリオン体だったりするのかしら?」

「……ふーむ、どうでしょう?」

 

 肩を竦めて、遊真はすっとぼけた。共同戦線を張った仲間とはいえ、初対面の相手にそこまで教える義理はない。

 

「詮索はそこまでにしろよ、加古。本隊は撤退したとはいえ、敵はまだ残っている。"戦闘体を失った"そいつとは違って、俺達は呑気にお喋りをしている暇はない」

 

 二宮からの意外なフォローに、遊真は目を丸くした。どうやら彼は、『そういうこと』にしてくれるらしい。

 

「……ハイハイ。言われなくても分かってるわよ。ほんとに二宮くんは、グチグチとうるさいっていうか……」

「何か言ったか?」

「なんでもないわよー」

 

 刺された釘に、加古の唇がまた不満気に尖る。けれど、二宮のもっともな正論にそれ以上反論ができるわけでもなく。レーダーを起動して残存のトリオン兵を確認した加古は、

 

「お先に失礼するわ。のんびりしてたら、また誰かさんに文句を言われそうだし。遅れた分も取り返さないと。またね、空閑くん」

 

 言い残し、颯爽と去っていった。別れ際の最後まで、加古望は自由気ままであった。

 彼女が向かった方角を確認した二宮はオペレーターといくつかのやりとりをしつつ、三輪に問う。

 

「俺は犬飼達と合流するつもりだ。秀次、お前はどうする?」

「俺も二宮隊に同行させてください。トリオンも残り少ないので、そちらのフォローに」

「分かった。先行して犬飼達と合流しろ」

「了解」

 

 指示を受けた三輪は、すぐに走り出した。視線がちらりとこちらを向いた気がしたが、三輪が何も言わなかったので、遊真も何も言わなかった。

 

「……お前も、いつまでもうろちょろするな。本部への避難ルートも、そろそろ確保されているはずだ。行く当てがなければ、そちらに向かえ」

「そうだな……おれはもう『生身』だし、おとなしく避難します」

「ああ。そうしろ」

 

 頷いて歩き出した二宮だったが、何かを思い出したようにその足が止まる。ポケットに両手を入れたままの彼は、遊真を見下ろして言った。

 

「……近い内に、お前達の支部に出向くつもりだ」

「ふむ?」

「雨取千佳に伝えておけ。話はきちんと聞かせて貰う、と」

 

 言いたいことは、本当にそれだけだったのだろう。ある意味、らしいと言うかなんと言うか。

 最後まで硬い仏頂面のまま、射手の王の背中は遠ざかっていった。

 

「カコさんとにのみやさん……それにあずまさん、か。ボーダーにはまだまだおもしろい人達がいっぱいいるな、レプリカ」

 

 こちらの世界に来てから色々あったが、ボーダーに入ったのはやっぱり正解だったようだ。遊真はいつもの調子で相棒に同意を求めたが、普段ならすぐに返ってくる返事がない。

 おかしい。遊真は眉を顰めた。

 

「……レプリカ?」

 

 カラン、という軽い音を伴って。

 レプリカ本体の分身とも言える『子機』が、浮力を失って落下した。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 トリオンの煙が晴れた先で、白髪の老人は地面に腰を下ろしていた。

 

「完敗、ですな」

「いやいや。こっちからしてみれば、辛勝だよ」

 

 驕りが感じられないヴィザの言葉に、迅は苦笑いを浮かべながら答えた。

 予知をフル活用し、行動を先読みし、『ガイスト』を使った龍神と烏丸の協力を得て、最後に切り札である『風刃』まで投入して、それでようやく倒せたのが、目の前の老人である。化物と言う以外に、適切な表現が見つからない。

 

「私を捕まえなくて、よろしいのですか?」

「片手と片足がちょん切れてる人間に、無茶言わないでよ。それにどうせ『ワープ使い』が回収しにくるんでしょ?」

「ほっほ……はてさて、どうでしょう」

 

 どこまでも食えない老人である。勝負には勝ったはずなのに、迅はまだ彼の上に立った気がしなかった。

 

「それにしても、あなた方の技術の進歩は目覚ましいですな。近界有数の軍事国家である我らを退けたのです。もう玄界を、トリガー技術の後進国とは呼べません」

「ははっ……そりゃ光栄だね」

「兵は皆若いのに、練度が高いことにも驚かされました。特に、最後まで私に"噛みついてきた"あの少年……」

 

 先刻までの戦いを己の内で反芻するように、ヴィザはどこか熱の籠った口調で語る。

 

「できることなら、あの少年はぜひとも欲しかった。平和な国で腐らせておくには、彼の力はあまりにも惜しい」

「……ダメだよ。龍神は、お前達には渡せない」

 

 やはりか、と思う。

 迅には『その未来』も視えていた。本人には言わなかったが、迅が龍神に『ガイスト』を託したのは、修や千佳、甲田達を守る為……だけではない。確かに、修の死や千佳の危機は、絶対に回避しなければならない未来だった。だがそれと同時に、迅は『如月龍神がアフトクラトルに連れ去られる』という結末を変えるべく、今日まで様々な根回しを行ってきた。

 迅が龍神に『ガイスト』を渡した最大の理由。それは何よりも、龍神に自分自身の身を守って貰う為だった。

 パワーアップはできる時にしておいた方がいい、というのが迅悠一の持論である。『ガイスト』を龍神に渡すことで、味方側の戦力は増強される。結果、龍神は敵の『人型』を倒すのに、大きな役目を果たす。それらは未来の可能性として、はっきり視えた。

 そして『ガイスト』には、時間制限がある。使用開始からカウントダウンがスタートし、タイムリミットを迎えた時点で、強制的に緊急脱出が作動する。『ガイスト』があれば、龍神は馬鹿な無茶をしようとしてもできなくなるのだ。

 自分の身は、自分で守らせる。

 本来は玉狛支部専用のトリガーである『ガイスト』を本部所属の龍神に使わせる為に、迅はこの理屈でボーダー上層部の面々を説き伏せた。林藤や忍田の他に、城戸派であるはずの鬼怒田が賛成に回ってくれたのは嬉しい誤算だった。

 未来というのは、不確実で予想がつかないものだ。改めて、迅はそう思う。如月龍神に『ガイスト』を渡す。たったそれだけで、危惧した結末がこんなにも書き換わるのだから。

 

「なるほど……彼の名は『タツミ』というのですか」

 

 噛み締めるように、ヴィザは言った。

 

「覚えておきましょう。出来ることなら、彼とはまた剣を交えてみたいものです」

「……また随分と、龍神のことが気に入ったみたいだな」

「ええ。それはもう。気に入りましたし、気にもなりますとも」

 

 こちらを見据える眼光が、鋭さを増す。

 

「あなたと同じく、彼も『持っている』人間なのでしょう?」

 

 迅は答えなかった。

 沈黙が2人の間を満たす前に、ヴィザの背後に『黒い門』が開く。

 

「ヴィザ翁。回収に参りました」

「助かります、ミラ嬢。ハイレイン殿は?」

「隊長は……戦闘体を失って、既に遠征艇に帰還されています」

「……なんと。ハイレイン殿までやられるとは」

 

 驚きの表情で自分を見るヴィザに、迅は片目を瞑ってみせた。

 

「ウチの仲間も、結構やるでしょ?」

 

 自慢気な迅の言葉を聞いて、ヴィザは笑みの色を一層強くする。しかし彼の隣に現れたミラは、迅の態度が気に入らなかったらしい。

 

「……貴方だってボロボロのくせに。よくもそんな生意気な口がきけたものね」

 

 黒い門の輪郭が、不穏に揺らめく。

 残存トリオンをかき集め、ミラは迅にトドメを刺そうとする。だが、そんな彼女の行動を押し留めたのは、他ならぬヴィザだった。

 

「おやめなさい、ミラ嬢。勝負はもう決しました。この戦いは紛れもなく私の……いや、我らの敗北です」

「しかしヴィザ翁!?」

「……失礼。よく聞こえなかったようですね」

 

 尚も反駁するミラの肩に、ヴィザはそっと手を置いて、

 

 

「――やめろ、と。私は申し上げましたよ?」

 

 

 駄々を捏ねる幼子に、理屈を言い聞かせるような。決して強い怒気を孕んでいるわけではなく、むしろ穏やかと言ってもいい口調だった。

 にも関わらず、迅は背筋が寒くなった。その言葉を直接突きつけられた彼女は、尚更だろう。

 

「……失礼、致しました。撤退します」

「ええ。そうしましょう」

 

 ゆっくりと閉じていく『門』の中で。ヴィザは、迅に向けて一礼した。別れの際まで敵への礼節を忘れない生粋の武人は、決着がついた後の立ち振舞いも堂々としていた。

 

「本当に良い勝負でした。あの少年にも、そうお伝えください」

 

 やはり、笑みを浮かべたまま。

 彼は最後に、こう付け加えた。

 

「また会える日を、楽しみにしております」

 

 細く儚い、黒い電光が迸る。次の瞬間には、2人の姿は跡形もなく消えていた。

 

「ふぅ……」

 

 溜め息を吐きながら、迅は再び地面に腰を下ろす。緊張が途切れて、強張っていた全身から一気に力が抜けた。

 

「また会える日を、か……」

 

 あの難敵が、最後に遺していったメッセージ。

 伝えよう、とは思う。敵とはいえ、言葉を託されたのだ。それを果たすのは、当然の義務である。

 ただし、

 

「おれは、もう二度と会いたくないなぁ……」

 

 ヴィザが最後に見せた、あの表情。あれは、老人が浮かべていい種類の笑顔ではないと思う。獰猛極まる含み笑い。例えるなら、まるで悪童のような。

 最後の最後に垣間見せたあの一面が、おそらくは彼の本質なのだろう。

 もう一度、迅は深い溜め息を吐く。

 彼との再戦。

 それだけは本当に、御免被りたいものだ。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 ボスン、と。

 緊急脱出用のベッドに体が落ちる音を聞いた紗矢は、椅子から慌てて立ち上がった。

 

「如月くん! 大丈夫!?」

 

 作戦室の構造上、オペレーターのデスクからはベッドが置かれた小部屋の中は見えない。それが、すごくもどかしい。狭い室内をほとんど小走りに近い速さで駆け抜けて、紗矢は小部屋の中に飛び込んだ。

 龍神は黒いベッドの上で、うつ伏せに倒れ込んでいた。表情は見えない。

 

「如月くん?」

 

 返事はない。呼びかけてみても、反応なし。背中に、何か冷たいものが流れた気がした。

 龍神の戦いは、激戦に次ぐ激戦だった。それはある意味、彼のオペレートをしていた紗矢が一番よく分かっている。

 戦闘体は、トリオンで構成された疑似的な肉体だ。両腕を切られようが、首を落とされようが、本物の肉体は緊急脱出(ベイルアウト)で本部基地に戻ってくる。怪我もしないし、肉体へのダメージもない。だから、何の心配もいらないはずなのに。

 ベッドの上の龍神は、ピクリとも動かなかった。

 

「…………え?」

 

 喉から出た声は、自分でも間抜けだと思った。

 ネクタイを絞めた首元が、やけに息苦しい気がする。うっすらと、冷や汗が垂れる。生唾を飲み込んでから、紗矢は自分に言い聞かせた。

 馬鹿馬鹿しい。龍神は起き上がれないのではなく、ただ単に寝ているふりをしているだけだ。そうに決まっている。どうせ、自分が近づいたら急に起き上がって驚かせようとか、そういう魂胆なのだろう。このふざけた男の考えは、全てお見通しだ。

 意を決した紗矢は、ベッドの側に膝をつき、龍神の肩に手を掛けて、

 

「……起きなさいよ! このバ――」

 

 息を飲んだ。

 結論だけ、言ってしまえば。

 如月龍神には、意識がなかった。枕元まで近づいてみて、紗矢はそのことにようやく気がついた。

 何故なら、

 

「………………」

 

 耳をすませなければ分からないほどの、小さな呼吸音。規則正しい寝息が、聞こえてきたからだ。

 龍神は眠っていた。それはそれはもう、ぐっすりと眠りこけていた。

 

「……戻ってきて、すぐに寝落ちって……ほんとに、ウチのバカ隊長は、ほんとにもう……」

 

 へなへな、と。

 床に膝をついていた紗矢は、そのままその場に座り込んだ。

 まさかいたずらではなく、本当にただ眠っていただけだったなんて。

 トリオン体は肉体的な疲労や痛みを軽減するが、精神的な消耗まではカバーできない。龍神の戦いは苛烈を極めていた。極度の集中状態で張り詰めていた糸が切れれば……まあ、こうなるかもしれない。

 しかし、一瞬でも万が一の事態を想像してしまった自分が、本当に馬鹿みたいだった。

 

「毛布、どこだっけ……」

 

 あれだけの激戦を潜り抜けたヒーローが、風邪をひいてダウン、というのも笑えない。内装を整えたばかりの隊室の中で、紗矢はあちこちの棚を開いて毛布を探した。

 

「…………むぅ」

 

 それにしても、帰ってきてすぐに寝落ちというのは感心しない。

 今回の大規模侵攻は、紗矢にとってもはじめて経験する規模の集団戦闘だった。はっきり言って緊張もしていたし、心臓は常にバクバクと音を鳴らして落ち着かない状態だった。だが、そんな状態でも自分のオペレートは的確で、満点とまではいかなくても、及第点は付けられる出来だったんじゃないかと思う。完全に、自画自賛だが。

 要するに、紗矢はがんばったのだ。

 別に誉めて欲しいわけじゃない。ただ、少しくらい感謝や賛辞があってもいいんじゃないか、と。思わずにはいられない。

 

「……でもまぁ、しょうがないか」

 

 オペレーターの制服に包まれた、腕の裏側を意識する。オレンジのラインが入ったジャケットの上から、紗矢は自分の右腕をそっとさすった。今の体はトリオン体であるが故に、そこに傷跡はない。傷跡はないが、それでも何となく触ってしまう。

 今回の大規模侵攻。ボーダーはトリオン兵の大半を警戒区域内で食い止めていたが、それでも少なからず街に被害は出ていた。怪我をした人もいるし、壊された家もある。それは事実として、受け止めなければならない問題だ。防衛ラインの組み方を再考し、自動砲台の配置や部隊間の連携も考え直す必要があるだろう。

 けれど。

 第一次大規模侵攻と比べれば……自分の身体に消えない傷痕がついた4年前と比べれば、街の被害はずっと少なく済んでいる。

 それは間違いなく、目の前で眠りこけている彼と、今も最前線で戦う隊員達の、努力の成果だった。

 だから、とりあえず。

 彼が目を覚ましていたら、きっと素直に言えない言葉を。紗矢は眠ったままの自分の隊長に顔を寄せて、小さな声で囁いた。

 

 

「おつかれさま、如月くん」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 戻ってきた遠征艇の中は、やはり狭苦しかった。しかしそんな狭い空間に戻ってきたことで、ハイレインは自分の中で張り詰めていた緊張が、ようやくほどけたような気がした。

 人員の回収も完了し、遠征艇は既にアフトクラトル本国への帰還航路についている。

 

「んぅ……」

 

 気の抜けたあくびを漏らしながら、対面に座るランバネインが大きく伸びをした。

 

「エネドラは死んで、ヒュースは置き去りに、か。2人いなくなっただけで、艦の中が随分と広く感じられるな」

「寂しくなった、とも言えますが」

 

 やんわりと、ヴィザが付け加える。どちらの発言にも、皮肉が含まれているのは明白だった。

 眉を顰めたミラが口を開こうとしたが、ハイレインはそれを手で制した。

 

「……俺のやり方は厭わしいか? ランバネイン、ヴィザ」

「……いや、当主の決定だ。文句は言わんさ」

「ランバネイン殿に同じく。指揮官の命に従うのは、兵士として当然のことです」

 

 ランバネインに続いて、ヴィザも涼しい顔でそう答えたが、視線は誰もいない席に……ヒュースが座っていた場所に向いている。

 まだ幼かったヒュースに戦いの基本や剣の技術を一から叩き込んだのは、他ならぬヴィザだ。2人の師弟関係は、ハイレインも知るところだった。

 

「とはいえ、ヴィザ翁。ヒュースは本当に惜しかったのではないか? アイツは愛弟子だろう?」

「……ランバネイン、いい加減にしなさい」

「おお、こわいこわい」

 

 話を蒸し返そうとするランバネインを、ミラが睨む。しかしヴィザは、軽く微笑むだけだった。

 

「無論、惜しくないと言えば嘘になります。彼はとても優秀な人材でしたから。しかし先ほども申し上げたように、上官の命令には従うのが兵士の勤め」

 

 紡がれる言葉は、あくまでも淡々としていた。

 

「今回の指揮官は、ハイレイン殿です。ならば私は、ハイレイン殿が下した決定に従いましょう」

「……このまま連れ帰ればヒュースは我々の『敵』になっていた」

「ええ、承知しております」

 

 表情を崩さない老人に、ハイレインは溜め息を吐いた。

 ヴィザの気持ちも分かる。が、仕方のないことだ。『金の雛鳥』の捕獲に失敗してしまった以上、次の『神』候補はハイレインの配下から選び出さなければならない。そして、その第一候補である『エリン家』の当主は、ヒュースの主だ。あの忠誠心に満ちた青年は、自分の主が命を捧げることを絶対に了承しないだろう。そうなれば、次に噛みつかれるのはハイレインだ。

 不穏な芽は、早めに摘んでおくに限る。

 

「うーむ、もったいないな。『金の雛鳥』が手に入っていれば、ヒュースを置いて行く必要もなかったというのに」

「そう言うな、ランバネイン。結果は結果だ」

 

 ミラの苛立ちが限界に達する前に、ハイレインは弟に釘を差した。

 実を言えば、ハイレインも『金の雛鳥』を逃したのは惜しい。だが、プラスかマイナスかで考えれば、今回の成果は明らかにプラスである。

 

「それに、思わぬ収穫もあった……ミラ」

「はい」

 

 ゴトリ、という重い音を響かせながら、ミラはテーブルの上に『それ』を置いた。全体的に曲線で構成されたシルエットに、黒で統一されたカラーリング。本来は楕円形なのであろう『それ』は、ちょうど中心に近い部分でバッサリと両断され、内部機構が見え隠れしていた。

 

「ん? なんだこれは……トリオン兵か?」

「ああ。玄界の黒トリガー使いが連れていたトリオン兵らしい。ミラが捕獲して持ち帰った」

「ほう……『トロポイ』の自律型トリオン兵とは、また珍しい」

 

 ヴィザは感心したように言葉を溢したが、ランバネインは訝しげな目を机上の『それ』に向ける。

 

「しかしこいつは……もう壊れているんじゃないか? 役に立つのか?」

「この状態でも、しばらく稼働していたことは確認しているわ。今はスリープモードになっているようだけど、外部からトリオンを注入すれば、また起動するはず」

「解析に回せば、玄界の機密情報を吸い出せるかもしれん。本国に持ち帰る価値はある。よくやった、ミラ」

「ありがとうございます」

 

 ミラの機嫌も、少しは直ったらしい。ハイレインはこの場にいる全員を見回して、告げた。

 

「作戦は終了だ。本国に着くまでゆっくり休んでくれ。『金の雛鳥』を逃がしたのは痛かったが……」

 

 予め行っておいた根回しのおかげで、ヒュースとエネドラの処理も滞りなく終わった。捕獲した『雛鳥』の数も30を越える。総じて見れば、首尾は上々と言えるだろう。

 

 

「当初の目的は、達成した」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 曇っていた空は、いつの間にか晴れていた。

 

『……迅。この結果は、お前の予知から見て何番目の出来だ?』

 

 通信機越しに響く城戸の声は、いつもと変わらず淡々としている。しかし彼との付き合いが長い迅は、その声音の中にほんの僅かだが、安堵の色が滲んでいることに気がついた。

 とはいえ、そのことに関して口は出さず。城戸の問いに迅は答えた。

 

「そりゃもう、文句なしに一番でしょ。A級やB級が連れ去られるパターンもあったし、民間人が死にまくる可能性だってあった。なにより、死人が出てないっていうのが大きい」

 

 流れていく雲を見上げながら、言葉を続ける。

 

「みんな、本当によくやったよ」

『……なるほど。分かった。御苦労』

 

 通信が切れる。

 迅は大きく深呼吸をして、それから胸の内に貯めた空気を吐き出した。

 嘘をついたわけではない。多くの人間が全力を尽くし、掴み取ったこの『未来』は、迅が視た『未来』の可能性の中で間違いなく最良の『現在』だった。

 それでも。

 失ったものは大きい。戻ってこないものは少なくない。

 この『未来』を選び取った者として、それらの重さを背負う責任が、迅悠一にはあった。

 

 

 

 民間人、死者0名。重傷25名。軽傷73名。

 ボーダー、死者0名。重傷0名。行方不明31名。

 近界民、死者1名(近界民の手に因る)。捕虜1名。

 

 対近界民大規模侵攻、第二次三門市防衛戦、終結。

 


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