厨二なボーダー隊員   作:龍流

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彼だけが、己をヒーローと知らない

 穏やかな昼下がり。

 テーブルの上には、ホカホカのご飯とアツアツのクリームコロッケが並んでいたが、三雲修は大好物であるそれらに手をつける気になれなかった。

 修の隣に座る遊真はすでに「うまいうまい」と呟きながらクリームコロッケをハフハフと頬張っているし、向かいに座る修の師匠もクリームコロッケとご飯を次々に口へと放り込んでいる。簡潔に言えば、2人はめちゃくちゃうまそうに修の好物を食っていた。

 しかし、雰囲気に流されてはいけない。ゴホン、と咳払いをしてから、修は質問を切り出した。

 

「で、如月先輩はどうしてぼくの家にいるんですか?」

「はぁいきん、ほまえがたまこはにかほをだしえないときいへな……」

「すいません。とりあえず口の中のものを食べ終わってから喋ってください」

「……ふぅ。最近、お前が玉狛支部に顔を出していないと聞いてな。師匠として様子を見に来たんだ。いや、すまない。本当はお前達が帰ってきてから一緒にご馳走になろうと思っていたんだが……」

「待ってもらうのも悪いし、先にお出ししたの」

 

 そう言いながら、修の母――香澄は、龍神の前におかわりのご飯を置いた。また台所に戻ろうとする香澄を、遊真が呼び止める。

 

「めちゃくちゃうまいね。このコロッケ」

「それはよかったわ。おかわりも揚げるから、たくさん食べてね、空閑くん」

「ありがとう、オサムのお母さん」

 

 遊真の口から自然な調子で発せられた『お母さん』という単語。それを耳にした龍神は複雑な表情のまま、ご飯が山盛りになった茶碗を手に取った。

 

「……しかし、いまだに信じられん。聞かなかった俺も悪いが、完全にお姉さんだと思い込んでしまった。三雲、お前のお母さんは吸血鬼になれる仮面を被ったのか? それとも、何か独自の呼吸法を?」

「元ネタがよく分からないのでツッコミはできませんけど、とりあえず母は普通の人間です」

 

 台所に戻った香澄の方を見ながら、修は龍神に答えた。油のはねるいい音が聞こえてくるので、おかわりの分を揚げているのだろう。

 

「それにしても、この手作りクリームコロッケは本当に美味いな。ほっぺたが落ちそう、とはまさにこういう料理のことを言うんだろう。美人で料理上手……まったく、うちの姉に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ」

「はあ」

 

 言いながら、揚げたてアツアツのクリームコロッケに箸を伸ばす龍神。いつにも増して饒舌なあたり、おいしい料理でテンションが上がっているのが丸分かりである。

 心配してわざわざ様子を見に来てくれたのは嬉しい限りだが、それがどうしてそのまま昼食をご馳走になることに繋がるのか、修には理解できない。とはいえ、いつも予想がつかない行動をするという点においては定評がある師匠だ。ついでに、顔が広いことにも定評がある師匠である。

 

「しかし、元気そうでよかった。林藤さんや迅さんも気にしていたからな」

「すいません。玉狛には、これから空閑と一緒に顔を出そうと思っていました。ランク戦の準備もあるし、それに……」

「レプリカのことは、残念だった」

 

 そして、しばらく会っていないせいで忘れていたが。

 彼は普通なら躊躇うことを、躊躇なく言える師匠だった。

 

「お前がここしばらく顔を見せなかったのは、空閑と一緒にレプリカを探していたからだな」

「たつみ先輩、どうしてそれを知ってるの?」

「雨取も宇佐美も迅さんも知っているんだ。俺が事情を知っていても、べつに不思議じゃないだろう」

「そりゃそうだ」

 

 納得したように遊真が首を振る。だが、修はその事実を……レプリカがいないという事実を第三者の口からはっきりと聞いて、また居たたまれなくなった。視線も気持ちも、自然と下を向いてしまう。

 

「……ぼくの責任です」

「それは違う」

 

 修の呟きを、龍神は即座に否定した。

 

「うちの馬鹿3人は、お前の機転とレプリカのお陰で窮地を脱したと言っていた。お前がいなかったら、アイツらと雨取は敵に連れ去られていたかもしれない」

「……先輩の言うそれは、結果論です」

「だとしても、だ。お前が雨取とアイツらを助けてくれたことに、変わりはない」

 

 箸と茶碗をテーブルの上に置き、龍神は席を立つ。そして修の方へ向き直り、頭を下げた。

 

「ありがとう、三雲」

 

 何の混じりけもない、純粋で素直な謝辞。突然そんな誠意を向けられて、修はなんと返していいか分からなかった。

 龍神は決して、うわべを取り繕って感謝を述べるような人間ではない。修の行動に対して、きっと龍神は本気で感謝している。頭を下げて礼を述べるべきだと思ったからこそ、それを行動に移している。如月龍神とは、そういう人間だ。そんな風に思う程度には、修は師匠の人柄を理解できるようになっていた。

 だからこそ、分からない。あの時の自分の判断が、自分が選んだ行動が、それらがもたらしたこの結果が。彼に頭を下げてもらうほど、価値があるものなのか、修には分からない。

 なので、龍神に対してどう言葉を返せばいいのか……修は迷った。

 

「頭を上げてください。ぼくは、お礼を言われるようなことは何もしていません」

 

 かろうじて、そう返す。上目遣いに修を見る龍神は、何か言いたげな表情だった。沈黙が場を包み、気まずい雰囲気を作る。

 しかし、

 

「ん?」

 

 その空気を溶かすちょうどよいタイミングで、インターホンが鳴った。

 

「お客さんか? おさむ、たつみ先輩以外にも、誰か呼んだのか?」

「いや、呼んでないけど……あと、如月先輩もべつに呼んでない」

「冷たい弟子だな。コロッケは揚げたてアツアツだというのに」

「…………」

 

 さっきまで神妙な表情で頭を下げていたというのに、龍神はまた素知らぬ表情でクリームコロッケをパクついていた。この変わり身のはやさは流石と言うべきか、図太いと言うべきか。どうやら、三雲家の家庭の味がよほどお気に召したらしい。

 

「修、今手が離せないから出てくれる?」

「あ、うん」

「いえ、ここは俺に任せてください、おねえ……お母さん。どうせ新聞勧誘か何かでしょう。手早く追い返すので、お母さんはおかわりのコロッケを揚げるのに集中してください」

「いや如月先輩!?」

 

 修の制止を振り切り、龍神は茶碗を右手に携えたまま玄関まで突進。左手で玄関のドアを開けた。

 

「すまないが、ウチは新聞は……」

「……如月くん?」

「む?」

 

 そこに立っていたのは、平均よりもやや体格が良いスーツ姿の男性。龍神も修も、知っている顔だった。

 

「……何をしているんだ、唐沢さん」

「……いや、きみの方こそ何をしているんだ?」

 

 お茶碗を片手に三雲家から出てきた龍神を見詰め、唐沢克己は珍しく困惑の表情を浮かべていた。額には、うっすらと冷や汗も滲んでいた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「なるほど。つまり如月くんも三雲くんの様子を見に来るためにここに来た、と」

「ついでに昼飯もご馳走になった」

「ボーダーの方ですよね? よろしかったら、召し上がっていかれますか」

「いえ、どうぞお構い無く。三雲くんのお姉さんですか?」

「母です」

「え?」

 

 唐沢克己が1日に2回冷や汗を流すというレアな場面を眺めながら、龍神は修に耳打ちした。

 

「三雲、お前何かやったのか?」

「如月先輩だけには言われたくない台詞ですね」

「ふっ……生意気な口をきくようになったものだな。これが反抗期というやつか」

「そうですね。中学生なので」

 

 馬鹿な先輩には適当に応答しつつ、修は心当たりを頭の中で探った。しかし、上層部の人間に目をつけられるような心当たりはない。訓練生の身分でトリガーを使用した件が問題になったことはあるが、それに関しては既に不問に伏すと決定が下っているはずだ。

 

「今日、俺がここに来たのは、三雲くんに用があったからなんだ」

 

 香澄のごり押しとも言えるクリームコロッケのススメを回避した唐沢は、彼女が台所に戻った隙に話を切り出した。

 

「話というのは?」

「単刀直入に言わせてもらうが……きみが以前に起こした問題行動を、マスコミに取り上げさせようという動きが上層部にある」

「……根付さんと城戸司令か」

 

 心底不快そうに、龍神が呟いた。唐沢は苦笑する。

 

「俺の立場上、それが正解かは解答を控えさせてもらうよ」

 

 しかし、それが答えだ。まさかと思っていた予想が、的中した形である。修はテーブルの下の拳を、強く握り締めた。

 

「からさわさん、だっけ? その問題行動っていうのは、オサムがC級の時にトリガー使った事件のことでしょ? ボーダーのえらいの人達は、それについては許すってことで決着がついたと思うんだけど」

「だから、ボーダーの側から三雲くんを糾弾するわけじゃない。マスコミの記者に情報を握らせて、三雲くんの行動を世間の側から問題にさせるわけだ」

「どうしてそんな回りくどいことすんの?」

「そうすることで、世間からボーダーに向く批判の矛先を、ある程度は三雲個人へとそらせるからだ」

「ご明察だよ、如月くん」

「発想が随分と悪趣味だな。如何にもあの2人が考えそうなことだ」

 

 腕を組み直した龍神は、苛立ちを隠そうともせずに唐沢に言った。遊真も同様に、嫌悪感を剥き出しにして吐き捨てる。

 

「オサム。お前、怒っていいぞ」

「…………」

「そうだな。きみには、怒る権利がある」

 

 意外にも、遊真の言葉に答えたのは唐沢だった。

 

「その権利を正当に振るえる場所を、俺は用意できる。といっても、きみを記者会見の会場に連れて行くだけだが……まあ、関係者用の裏口から入ってしまえば、後はなんとかなるだろう」

「……会見の会場に乗り込む、ということですか?」

「そういうことになるね」

 

 随分と大胆な提案だった。少なくとも、大人が自分から言い出すようなアイディアには思えない。

 

「唐沢さん。何を企んでいる?」

「ひどい言い草だな。俺は打算的な考えを持って協力を申し出たわけじゃないんだが」

「好きか嫌いかは別にして、俺は上層部の中であなたが一番食えない大人だと思っている」

「……それは過大評価だよ。学生時代、ラグビーをやっていたからね。苦境に立たされている若者を見ると、どうしても手を差し伸べたくなるのさ」

 

 嘘か本当か分からないようなことを言いながら、唐沢は修に視線を向ける。

 

「これは強制じゃない。きみがこの提案に乗ってくれるなら、俺は責任を持ってきみを会場まで送り届ける。無論、嫌なら断ってくれてかまわない」

「……行きます」

 

 ほんの数秒、迷っただけで、修はそう答えた。家で記者会見を見ているより、何をするにしろ会場に赴いた方が、きっと後悔しないと思ったからだ。

 逆に言えばその判断は、悩み抜いた末に下したものではなく、半ばやけくそに近かった。

 じっとしているくらいなら、動いた方が良い。例えるなら、その程度の決断に過ぎない。

 

「分かった。如月くん。きみはどうする?」

「俺は……」

 

 唐沢に問われた龍神は、顎に手を当てて考え込んだ。

 彼は基本的に、何事にも首を突っ込みたがるタイプである。その習性のせいで修は何度かひどい目にあっているが、今回に限っては付いてきてくれる方が有り難い。

 だが、答えは修の予想を外れた。

 

「……俺は、このコロッケを食べ終わったら、玉狛に戻る」

「え!?」

 

 意外な返事に、唐沢ではなく修の方が声をあげてしまった。思わずそのまま、質問する。

 

「付いて来ないんですか……?」

「なんだその言い方は? 微妙に失礼なニュアンスを感じるぞ」

 

 言った通りの微妙に不機嫌な顔になった龍神は「しかし」と、話を繋げた。

 

「せっかく用意してもらったチャンスだ。わざわざ俺が首を突っ込むこともあるまい。それにこれは、唐沢さんが『お前に』用意してくれた、反撃の機会だ」

 

 師が言わんとしていることに、修は気がついた。

 『お前に』という部分を龍神が強調して言ったのは……要するにそういうことだろう。

 

「もちろん、あとで根付さんをぶん殴りたくなったら、俺が一緒について行ってアッパーをお見舞いしてやる」

「あ、いや、暴力に訴えるのはちょっと……」

 

 というか、どうしてアッパー推しなのだろう。

 

「もしも城戸司令に対する怒りが抑えられなくなったら、俺があの繋がっているのかいないのか微妙な眉毛を根こそぎ剃りに行ってやる」

「如月くん。一応言っておくが、俺はここにいるからな?」

 

 唐沢が困った顔で釘を刺したが、龍神の言葉は止まらない。

 

「もしも……仮に万が一、本当にもしもの場合、鬼怒田さんがお前に対して……くっ、鬼怒田さんはそんなことをしないとは思うが、しかしもしも本当に鬼怒田さんが」

「すいません、もう大丈夫です」

 

 とりあえず鬼怒田に何か言う場合は自分で言わなければならないことを再確認して、修は葛藤する龍神を押し留めた。この師匠、鬼怒田さんに弱すぎである。

 

「……とにかく、だ」

 

 気を取り直して、龍神が顔を上げる。

 

「やられっぱなしは性に合わないだろう? 俺だって、自分の弟子が『ダシ』に使われるのは気分が悪い」

 

 上層部をさりげなく刺す嫌みに、唐沢は肩をすくめた。

 

「行ってこい。会場に乗り込んで、一発かましてこい」

「……はい!」

 

 普段の気取った師匠とは、また少し違う激励の言葉。ここまで背中を押されて、頷かないのは嘘だ。

 表情が変わった修を見上げて、遊真が朗らかに笑った。

 

「おれはついていくぞ、オサム。ちょっと心配だからな」

「ああ。頼む」

「じゃあ、2人は車に乗ってくれ。あまりゆっくりしている余裕もないんでね」

 

 唐沢に促されて、修と遊真が立ち上がる。

 

「待ちなさい、修」

「……母さん」

 

 いつの間にそこにいたのか。どこから話を聞いていたのか。香澄が、静かにこちらを見詰めていた。

 例え止められたとしても、母を振り切って行かなければならない。思わず身構えた修だったが……香澄が差し出したのはアツアツのコロッケだった。

 

「か、母さん……?」

「出かけるなら、揚げたてだけでも食べていきなさい」

「……ありがとう」

「あと、唐沢さんでしたか? お口に合うかは分かりませんが、どうぞ」

「あ、いや……ですから自分は」

「是非」

「……いただきます」

「はい。修をよろしくお願いします」

 

 手渡された包みの温かさにやられたのか、それとも香澄の言わんとするところを察したのか。クリームコロッケを受け取った唐沢は、また苦笑した。

 

「息子さんを、お預りします」

 

 そうして、香澄と龍神の2人だけを家に残して、修達は出ていった。すぐに車のエンジン音が響き、遠ざかっていく。

 

「……行ったわね」

「……行きましたね」

「如月くん。おかわり、まだあるけど?」

「いただきます」

 

 龍神は残りのコロッケを、大急ぎで胃袋におさめた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 それから少し、時間が経過して。

 修の家を後にした龍神は玉狛支部に戻り、リビングでボーダー公式記者会見の模様を見ていた。

 

「キツネめー! おさむをわるものみたいに言いおってー! おさむはわるくないぞ! おさむをわるものあつかいするヤツはおれがゆるさん!」

「陽太郎。気持ちは分かるが落ち着け。画面が見えない」

「ほんとよ! なにふざけたこと言ってんの、このキツネ親父は! 全部修のせいにしようだなんて、こいつの脳ミソの中はどんだけ陰険なの!?」

「小南。お願いだから落ち着いてくれ。本当に画面が見えない」

 

 いや、見ていたというのは適切な表現ではないかもしれない。

 陽太郎と小南は無責任な発言を繰り返す記者達に対して、テレビの前で怒りのタップダンスを現在進行形で踊っている。おかげさまで、記者達が映る画面よりも2人の腕や頭が目に入る始末である。というか、ほとんど龍神の視界は塞がれていた。

 これなら、修の家に残っていた方がよかったかもしれない。

 

「ほんとっすよ! このおっさんはメガネ先輩が雨取さんを逃がすためにどれだけ力を尽くしたか、知らないからこんないい加減なことが言えるんすよ!」

「メガネ先輩は学校に近界民が現れた時、友人を守るために可能な限り最大限のベストを尽くした……その結果がこれじゃあ、あまりにも報われない。俺は断固、根付メディア対策室長に抗議するぜ」

「リーダーの言う通りだ。三雲先輩がいなかったら、おれ達はあの窮地を切り抜けることができなかっただろうし……ワープ女を退けた機転は、本当にすごかった。まったく、三雲先輩は大した人だよ」

 

 そこにさらに3人が加わるのだから、もう手がつけられない。

 いきり立ったり、静かに怒ったり、修を庇って称賛したりと三者三様の反応を見せているのは丙、甲田、早乙女の3人組。合計5人の人間がテレビの前を占領し、龍神の耳にはもはや音声すら届かない。

 

「……おい」

「なんすか隊長!? 隊長も何か言ってやってくださいよ!」

「俺達の心は今、怒りの炎で燃え上がっている……」

「いくら隊長といえども、おれ達の気持ちの昂りを鎮めることは敵いませんよ」

「3秒で床に正座しろ。でなければ、首を落として這いつくばらせる」

 

 胃がもたれ気味で少々機嫌が悪い龍神は低い声でそう宣言し、懐からトリガーを取り出す。彼らの反応は素早かった。

 

「そうっすよね! テレビは静かに観るものですよね!」

「ほら! 小南先輩も座ってください!」

「はぁ!? なんであたしがこんな記者会見を静かに観なきゃいけないのよ!? 大体、あんたら新入りの指図なんて受けな……」

「小南。怒りながらテレビを観ると視力が下がるらしいぞ。だから、そんなにむかっ腹をたてるな」

「え? そうなの龍神!? ちょっと、あんた知ってた?」

「は? え、ええ……もちろんっすよ!」

 

 やたらいい笑顔で、親指を立てる甲田。賢明な判断だと龍神は思った。

 

「そうなんだ……知らなかった」

「ふざけるなー! おさむをわるものにするなー! このキツネめー! おれがせいばいしてやる!」

「た、隊長! 陽太郎くんが止まりません!」

「こっちに投げろ。俺が抑える」

 

 指示を受けた早乙女は、陽太郎を龍神へとバトンパス。怒りに身を任せて暴れる5歳児を、龍神は胡座をかいた自分の足の上にすっぽりと納めた。ちょうど、座りながら抱きかかえるような格好だ。

 

「落ち着け、陽太郎。怒りにのまれるな。怒りにのまれた人間は、冷静な判断力を失う。お前はそんな愚か者ではないだろう?」

「む、むぅ……だが、たつみ! おさむが、おさむがわるくいわれているんだぞ!」

「大丈夫だ。三雲はこいつらにいいように言われて、それでも黙っている男じゃない」

「なるほどね」

 

 龍神の言葉に、涼やかな声が応答を返す。

 台所からティーポットを持って出てきたのは、如月隊オペレーター、江渡上紗矢である。彼女は龍神の方を見て、意味ありげな微笑を浮かべた。何故かすっかり玉狛支部のキッチンに馴染んでいるような気がするが、きっと気のせいだろう。気のせいだと思いたい。

 それはともかく、紗矢は得心がいったと言いたげに口を開いた。

 

「三雲くんの家までわざわざ行ったのに、空振りで戻ってきたのはどういうことかと思っていたけれど……この記者会見絡みだったのね」

「まあ、そういうことだ」

「でも、ちょっと意外」

「何がだ?」

「あなたの性格を考えれば、三雲くんと一緒に会場へ突撃しても、何もおかしくないでしょ? そんなお馬鹿さんがどうして、ここで大人しく彼を見守ることにしたのかな、ってね」

 

 実にわざとらしく、紗矢は小首を傾げた。ポニーテールに結われた艶やかな黒髪が、左右に揺れる。

 

「……お前までそういうことを言うか」

「なに?」

「いや……師匠が弟子を見守るのは、当然のことだろう? それに俺だって、自分が立つべき舞台は弁えている」

 

 ようやく落ち着いて観られるようになった画面に、動きがあった。今まで根付が立っていた檀上に、1人の少年が上ってきたのだ。

 

「うぇ?」

「なんで……」

「どうしてメガ――」

「どうして修が会場にいるのよ!?」

 

 龍神と紗矢の会話の中身をいまいち理解できていなかった甲田達3人と小南が、驚きで目を見開いた。陽太郎も同じような反応だったが、こちらは驚くよりも目を輝かせている。

 一方で、紗矢は全てお見通しといった様子で、カップに紅茶を注いでいた。

 

「大丈夫? 彼、あまり人前で喋り慣れているタイプには見えないけど」

「問題ない」

 

 あまり目立たない外見に加えて、特徴はメガネ。しかも、本人はいたって物静かな性格ときている。彼という人間は、これらの要素が重なっているせいで勘違いされがちだが……

 

「あいつは周りの人間が思っているよりも、ずっと頑固者だからな」

『B級隊員の、三雲修です』

 

 そして、現れたヒーローは落ち着いた口調で言葉を紡ぎだした。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 妙な感じだな、と修は思った。

 人前に立つのはそれほど得意ではなかったはずなのに、今は不思議と落ち着いている。数え切れない記者達の視線が、全て自分に集まってきているのにも関わらず、だ。

 ゆっくりと深呼吸してから、修は口を開いた。

 

「今の話に出てきた、学校でトリガーを使用した訓練生とは、ぼくのことです」

 

 その一言だけで。ざわめきが、動揺が、さざ波のように広がって加速する。

 

「質問があれば、ぼくが直接お答えします」

 

 泡を食って修を止めようとしたのは、当然ながら今までこの場を取り仕切っていた人物だった。

 

「きみ、何を勝手に! 下がりなさい!」

 

 ボーダーメディア対策室長、根付栄蔵。

 修には、彼を責めようという気はなかった。自分が批判の矛先を変えるための『ネタ』として用意されたことには、もちろん腹が立つ。むしろ、そんな形で利用されて怒りを覚えない人間などいないだろう。

 けれど、根付が記者達に対して述べたことは全て事実だ。

 訓練生の自分が、無断でトリガーを使用したことも。それによって、敵に情報が漏れた可能性があることも。全て事実なのだ。

 根付が記者を仕込まなくても、遅かれ早かれ、この事実は公になっていたかもしれない。もしかしたら、自分が取った行動はもっと悪い形で書きたてられていたかもしれない。だから修は、根付に対して怒りをぶつけようとは思わなかった。

 ただ、淡々と。記者達には聞こえないくらいの小声で、彼に対して言う。

 

「止めないでください。お願いします」

「……キミの事件を勝手に使ったことは謝る。だが、アレは私の仕込みだ。任せておいてくれれば、大事にはならない!」

 

 物分かりの悪い子供に道理を説くように、根付はそう言ってくる。

 この人に任せておけば丸く収まる。おそらくそれは間違いない。

 だけど、それは嫌だった。

 

「話の『ダシ』に使われたぼくには、発言の権利があるはずです」

「ッ……」

「それに、記者のみなさんが一番聞きたいのは当事者の話ですよね」

 

 根付に対して、修は一歩も退かなかった。

 

「そいつのせいで、緊急脱出の情報が漏れたんじゃないのか!?」

「喋らせろ! ボーダーは情報を隠蔽するのか!?」

 

 猛り狂う報道陣を横目で見ながら、修はさらに小声で続ける。

 

「仮に……このままぼくが檀上から下がったとして、この過熱した空気を鎮めることができますか?」

「キミは……」

「喋らせてください。これは、ぼくの責任です」

 

 ボーダー隊員といっても、修はまだ中学三年生の子どもに過ぎない。駆け引きをしているつもりでも、たった一言、根付が「つまみ出せ」と言ってしまえば、それで終わりだ。

 だから精々、大人ぶってみせる。強がりだけで虚勢を張ってみせる。格好をつけてみせる。

 自分が尊敬する、師匠のように。

 

「……危ないと思ったら、こちらで区切らせてもらうよ」

 

 そして、それは成功した。

 修に席を譲るために、根付が一歩後ろへ下がる。

 

「修」

 

 背後から短く呼ばれた声に、修は振り返った。ひさしぶりに顔を合わせる林藤は、少し疲れているように見えた。

 

「ホントに大丈夫か?」

「大丈夫です」

 

 問いに対して、即答する。ただ、懸念があるとすれば、

 

「……ボーダーには、迷惑をかけるかもしれません」

 

 その一言に根付はギョッとした表情になったが、林藤は逆に口元をニッとつり上げる。

 

「気にするな。好きにやれ」

 

 ボスの許しを得た修は、改めて記者達に向き直った。報道陣の中でも比較的年の若い記者が、立ち上がる。

 

「……では、まず私から質問を。先月、三門市立第三中学校に近界民が現れた事件があった。その際、訓練生でありながらトリガーを使ったのはきみということで……」

「はい。間違いありません」

「それがボーダーの規則に反するということを、きみは知っていた?」

「はい」

「……きみの勇敢な、しかし無謀とも言える行動によって、訓練生が使用するトリガーの情報が漏れた疑いがある。それについては、どう思うのかな?」

 

 学校での出来事を、修は可能な限り思い返した。

 あの時学校に開いたのは『イレギュラー門(ゲート)』。つまり、近くにはそれを開くための小型トリオン兵『ラッド』がいたはずだ。修とモールモッドの戦闘データを収集していたと考えるのは自然な予測であり、何もおかしくはない。むしろ、緊急脱出の情報がこの時に漏れたという仮定は、記者達の話と完璧に辻褄が合う。

 今さら、言葉を取り繕ったところで何の意味もない。修は自分が思うことを、そのまま素直に――馬鹿正直に――答えた。

 

「その可能性を、ぼくは否定できません」

 

 今度はざわめきではない。記者達の視線が、より一層険しさを増す。容赦ない糾弾が、彼らの口から飛び出した。

 

「ふざけるな!」

「その重大さを理解しているのか? 一体、何人が犠牲になったと思っているんだ!?」

「きみは五体満足で、何のケガもしていないからそんなことが言えるんじゃないのかね? 少しは被害にあった人々の気持ちを考えたらどうなんだ?」

 

「何のケガもしていないから、か」

 

 

 不意に響いた重い声に、最後の発言を口走った記者が固まった。

 

「仮にも、街を守るために戦った中学生に対して向ける言葉ではないと思うが……なるほど。君はつまり、彼が少しでも負傷してしおらしい態度を見せていれば満足できると、そう言いたいわけか」

 

 これまで沈黙を貫いてきたボーダーの最高責任者、城戸正宗だった。彼はその鋭い眼光を、遠慮なしに記者へと向ける。己の顔の傷跡を、指先でなぞりながら。

 

「現状、この街を防衛するために、我々はまだ成人していない子ども達の手を借りなければならない。それに伴う危険を極力回避するべく、先ほどから話題に上っている『緊急脱出(ベイルアウト)』という機能は備わっている。きみは負傷のリスク……ひいては危険を回避するための機能が訓練生に備わっていないことを糾弾しておきながら、正隊員である彼には傷つくことを求めるのかね?」

「あ、いえ……私は」

 

 かつて近界民と最前線で戦い続けた、今もまだ顔に傷を残す男がそれを言うのだ。説得力は、有り余るほどにあった。

 

「今回設けているのは、公的な記者会見だ。知っての通り、中継もされている。不用意な発言は控えてもらおう」

「……失礼しました」

 

 すごすごと記者が引き下がる。意外な人物からの援護に、修は内心で目を丸くした。隊務規定違反の事件の時から、城戸は自分のことをよく思っていないはずだが……。

 

「……話を戻しますが」

 

 場の空気を取り成すように、1人の女性記者が手を挙げた。

 

「今回の問題は、彼が訓練生の身分でトリガーを使ったということですよね? その違反行動に対する処分を、ボーダー側は行わなかったのですか?」

「彼は現在は正隊員であり、問題の隊務規定違反についてはすでに裁定が下されている」

 

 今度は城戸にかわって、忍田が前に出て解答する。しかし、女性記者も退く様子がない。

 

「それはトリガーの機密性や本来の規則を考慮した場合、甘い処分になるのではありませんか?」

「当時発生していた『イレギュラー門』の対応には、正規部隊の隊員達だけでは手が回らない状況だった。彼がトリガーを使用してトリオン兵を迎撃しなかった場合、学校と生徒達に甚大な被害が出ていたのは明白だ」

「ですが」

「重ねて言うならば」

 

 相手の発言を遮り、忍田はさらに言葉を続ける。

 

「彼は一連の『イレギュラー門』の発生原因を見つけた功労者であり、その時に授与された論功によって正隊員への昇格を果たしている。彼の働きがなければ、市内への門発生という重大な問題の解決には、もうしばらくの時間が必要だっただろう」

 

 市内を騒がせた、イレギュラー門発生事件。それを解決したのも問題の少年であるという新たな事実に、記者達は顔を見合せた。

 また別の記者が、発言する。

 

「では、今問題になっている行動を評価されたからこそ、彼は未だにボーダーに在籍していると?」

「隊務規定違反は、紛れもない問題行動だ。しかし、彼の全ての働きを評価した上で、我々は彼をボーダーに必要な人材だと判断した。さらに補足するが、彼は大型トリオン兵による市街への爆撃の際も、トリガーを用いて市民の救助に尽力している」

「その件については、テレビでの報道もありました。三雲隊員の行動によって、一般市民の命が救われたのは紛れもない事実です。この前例があったからこそ、我々はC級隊員に一般市民の避難誘導を任せるに至り……最終的に今回の大規模侵攻における『死者0名』という結果に繋がったことを、どうかご理解頂きたい」

 

 内心不本意だろうが、ここで根付も忍田の援護に入る。熱を帯びた空気が、段々と冷めていくのが修にも分かった。

 

「――しかしながら」

 

 その雰囲気を切るように立ち上がった記者は、年配の男だった。

 

「ボーダー側も、問題の彼も、訓練生でありながらトリガーを使ったという事実を否定していない。これはつまり、C級の情報が漏れた責任はボーダーにあると……」

「不確定な情報を元に、憶測で責任を問うのは……」

「失礼。わたしが質問をしたいのは、そちらの少年なのです」

 

 記者の発した言葉に、根付が表情を歪める。互いに互いの発言を遮った結果、会話の主導権を勝ち取った記者は修を正面から見詰めた。

 何か来る、と。修は直感で感じ取った。

 

「……公的な記者会見の場で、このような発言をする無礼をお許しください。行方不明のC級隊員31名の中には、私の息子の友人が含まれています」

 

 これまで浴びせられた、どんな罵声よりも。簡素な言葉で述べられたその事実に、修は凍りついた。

 

「私自身も、彼とは面識がありました。彼のご両親のこともよく知っていますし、家族ぐるみで付き合いもしていた。正直、ご子息の帰りを待つ彼らになんと声をかければいいのか、まだ分かりません」

 

 口調も態度も、彼はこれまでの記者の中で最も丁寧だった。だからこそ、言葉のひとつひとつが、鋭利なナイフのように感じられた。

 

「確かに、今回の大規模侵攻における死者はゼロだったのかもしれません。先ほど忍田本部長が仰ったように、あなたの行動で救われた人々が多いのは間違いない」

 

 しかし、顔を背けることは許されない。

 

「だが、まだ家族の帰りを待つ人々がいる事実を、その切っ掛けを作ってしまった可能性が自分にあることを知ってなお……あなたは、あの時の自分の行動が正しかったと言えますか?」

 

 視線を下げることも許されない。

 

「三雲隊員。答えていただきたい」

 

 自分の義務は、前を向いて口を開くことなのだから。

 

 

「はい」

 

 

 修が解答した、瞬間。

 記者達の何人かが口を開こうとしたが、それを手で押し止めたのは他ならぬ質問者の男性だった。

 その行動で、分かる。察することができる。

 きっと彼は、修だけに責任を求めようとはしていない。それでも、修の答えを聞きたがっている。

 ならば自分は、応えなければならない。

 

「あの時、ぼくのクラスメイトは命の危険に晒されていました。とても切迫した状況でした」

 

 救えた存在と救えなかった存在。それらを思い浮かべれば、きっと自分はどちらも救えていない。

 雨取麟児もレプリカも、修は救えなかった。

 だけどあの時。あの瞬間だけは、修が行動することで助けられる存在がいた。クラスメイト達がいた。

 

「もし仮に、情報が漏れると知っていたとしても……ぼくはトリガーを使っていたと思います。その時、自分が行動することで助けられる存在を、見捨てることはできません」

「……それは、きみがボーダー隊員だからですか?」

「いいえ」

 

 様々な感情が入り雑じった男の瞳を、修もまた正面から見詰め返す。

 

「ぼく自身が、そうすべきだと思うからです」

 

 記者は僅かに、息を飲んだ。

 

「……まだ中学生のあなたに、こんなことを問うのは酷かもしれません。しかし、あなたのその判断には、大きな責任が伴うのではありませんか?」

「仰る通りです」

 

 修はその発言を、静かに肯定した。肯定した上で、述べた。

 

 

「だから、取り返します」

 

 

 今度こそ。

 会場の空気は、完全に固まった。

 

「責任とか、今さら言われるまでもない……当たり前のことです」

 

 そう。これは修にとっては今さら言うまでもない、当たり前のこと。本当に、当然のことなのだ。

 近界への密航計画を知っていながら、麟児を止められなかった自分。すぐ側に、手を差し伸べられる距離にいたというのに、レプリカを助けることができなかった自分。

 そんな自分が、負うべき責任は――

 

「近界民にさらわれた皆さんの家族も、友人も」

 

 目の前の記者達に対して、ではない。

 テレビを通してこの会見を観ている人々に対して、でもない。

 誰よりも、自分自身に向けて。

 

 

「必ず、取り返してみせます」

 

 

 三雲修は、力強く宣言した。

 

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