厨二なボーダー隊員   作:龍流

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彼の瞳が視るものは

 ボーダーが公式に記者会見を開くという情報は、様々なメディアで大々的に告知されていた。第一次大規模侵攻から約4年半。『近界民』に対する人々の恐怖は風化しかけており、ある意味今回の大規模侵攻はその脅威を再認識させる形になった。だからこそ、世間の注目は再びボーダーという組織に向いている。

 当然、その組織に所属する……当事者とも言える隊員達の多くも、記者会見の模様を見守っていた。

 

「なんか威勢だけはいいよね、このメガネ」

 

 菊地原士郎はモニターの画面を見詰めたまま、つまらなそうに呟いた。身長のわりに長い手足はソファーの上に投げ出され、爪先がふらふらと宙に浮いている。

 

「前に見た時はおとなしそうなタイプだと思ったんだが……ちょっと意外だな」

「歌川は人を見る目がないんだよ。コイツ多分、頑固でめんどくさい性格してるから」

「お前がそういうことを言うのか……?」

 

 相変わらず毒を吐く菊地原に、歌川遼がツッコむ。A級3位、風間隊のメンバーは防衛任務前という時間的な事情もあって、全員が作戦室に集合中だった。

 

「もう! 菊地原くん、お行儀悪いよ。コーヒー淹れたからちゃんと座って!」

「はいはい」

 

 ボーダー内でも面倒見が良いことで知られている風間隊オペレーター、三上歌歩の姉力はこんな時にも発揮される。三上はソファーでだらけている菊地原をきちんと座り直させて、その前にコーヒーが入ったカップを置いた。

 

「はい、歌川くんも」

「ありがとうございます」

 

 菊地原とは向かいに座っていた歌川遼には、同じくコーヒーを。

 

「風間さんはホットミルクで大丈夫ですよね?」

「ああ、すまんな」

「いえ」

 

 そして、隊長である風間蒼也の前には温めた牛乳を置く。

 

「遠征のこと、マスコミにバレちゃいましたね……」

「いつまでも隠し通せることでもない。公表するタイミングとしては最良だろう」

 

 ――現在ボーダーでは、連れ去られた人間の奪還計画を進めている。

 

 テレビ画面の中ではボーダー司令、城戸正宗が機密であるはずの『遠征計画』について、淡々と説明を述べていた。三雲修から会話の主導権を受け取った流れだが、そのバトンタッチはあまりにも自然に見える。

 三上は首を傾げながら、風間に尋ねた。

 

「城戸司令はこの展開を予想していたんでしょうか?」

「絶対そうでしょ。今までも遠征には行ってたのに、あたかも"これから行く"みたいな言い方に変えて誤魔化してるし」

 

 風間が答える前に菊地原が言う。たしかに城戸は記者達に対して「近界への遠征を計画している」と現在進行形で説明している。言うまでもなく、この作戦室にいるメンバーは全員が遠征経験者だ。ボーダー上層部はこれまでの『近界遠征』については秘匿し、これから『初の遠征』を行うということにしたいのだろう。

 

「この記者の人達、ぼくらが平気で死体とか触れるの知ったら発狂しそうだよね」

「おい」

「…………菊地原くん」

 

 あまりにもズケズケと物を言う菊地原に、歌川と三上の声のトーンが一段下がる。

 近界遠征は、いわば未知の世界へ赴く命懸けの冒険。『緊急脱出(ベイルアウト)』機能のおかげで自分達が本格的な命の危機に晒されることはほとんどないとはいえ、人の生き死にに関わる場面に遭遇することも、また少なくはない。菊地原が言うように、死体のひとつやふたつは見慣れたものになってしまうのが事実である。

 しかしながら、その事実を軽く言い捨てるのは如何なものか――

 

「口を慎め、菊地原」

 

 冷たい声が響いた。それが当然の義務であるかのように、このチームを率いる隊長は部下を諌めるために言葉を発する。

 菊地原はあからさまに唇を尖らせた。

 

「でも風間さん」

「言う必要のない情報まで喋って一番喜ぶのは、お前が今馬鹿にしているマスコミだぞ?」

「…………」

「戦場でのミスは、その場にいる人間の危険にしか繋がらない。だが軽率な発言は、時に組織全体の立場を危うくする。俺達の活動が、根付メディア対策室長や嵐山隊をはじめとした広報部に支えられている事実を忘れるな」

「……はい」

 

 言い終えた風間は、そのまま席を立って扉を開けた。

 

「風間さん、この後は防衛任務が……」

「分かっている。生駒隊との交代時間までには戻る。先に準備していろ」

 

 それだけ言い残して、小さな背中はさっさと作戦室から出て行く。

 風間蒼也は、基本的に真面目な人間だ。作戦室での待機時間中に外に出ることなど、まずあり得ない。残されたメンバーは思わず顔を見合わせた。

 

「……まったく、お前が余計なこと言うから。風間さん、ああ見えておれ達に後ろ暗い任務をやらせるの、結構気にしてるんだぞ」

「えぇ……? アレ絶対、ぼくのせいだけじゃないと思うけど」

「菊地原くん、ちゃんと反省しないとコーヒーのお代わりないからね」

「えぇ……?」

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 逃げ遅れた一般市民の救助や、破壊された市街地の復旧活動など、様々な事後処理に時間を取られたせいだろう。風間が城戸正宗に呼び出されたのは、大規模侵攻から3日後のことだった。

 

「では、『風刃』はお返しします」

「御苦労」

 

 城戸正宗は、机の上に置かれた『黒トリガー』を一瞥し、風間に視線を向け直した。

 

「今回の働き、実に見事だった」

「恐縮です」

「このまま、きみが『風刃』を持つことになっても構わないと、私は考えているが」

「……それは、少々過剰な評価でしょう」

 

 表情を少しも崩さぬまま、風間は城戸の賛辞を押し止めた。

 

「自分があの『人型』を仕留められたのは、迅のお膳立てがあったからです。『風刃』だけでは、あの敵を倒すことはできませんでした」

「特級戦功を辞退したのも、それが理由かね?」

「一級戦功は、部隊として頂いています。それが不当な評価だとは、自分は思いません。むしろ、適切な評価として受け取っています。それに、自分はまだ今のチームを解散する気もないので」

 

 そもそも風間隊は、三輪隊と並ぶ城戸の直轄部隊だ。三輪隊は構成員が全員未成年であることに加えて、隊長の三輪が近界民を強く憎むあまり、冷静さを欠く嫌いがある。必然、表に出せない汚れ仕事の大半は、風間隊が負う形になっていた。

 使える戦力である自分達を手元から失うのは、城戸からしてみても好ましくない事態。『風刃』を返すと言えば、彼がそれを拒まないであろうことを風間は予想していた。

 

「そうか。分かった」

 

 となれば、問題は所有者がいなくなった『風刃』を誰に預けるか、である。

 

「今後の『風刃』の運用について、意見を聞きたい。何かあれば、遠慮なく述べたまえ」

「……実際に使用してみると、やはり『風刃』は攻撃に特化し過ぎていると感じました」

 

 間合いを問わない遠距離斬撃は、確かに強力無比の一言に尽きる。だが、リロードの必要がある『斬撃』の弾数制限は決して無視できない弱点。なにより、攻撃性能だけを見れば天羽の黒トリガーの方が数段優れている。

 スコーピオンより軽く、弧月より硬いブレードとしての性能は素晴らしい。それでも太刀川が言ったように、『斬撃』を撃ちきった風刃はどこまでいってもただの高性能ブレードだ。シールド等のオプションを併用できるノーマルトリガーの汎用性には及ばない。黒トリガーである以上、強力なことに間違いはないが、ただ使えば『強い』というわけでもない。それが、風間が『風刃』に抱いた印象だった。

 そして同時に、そんなピーキーな黒トリガーを平然と使いこなし、自分の隊を含むA級トップチームを潰走させた迅悠一はやはり化け物であると、改めて痛感もしていた。「おれと風刃の相性は良すぎるんだ」と、言い切るだけのことはある。最上宗一が残した黒トリガーの力を十全に振るえるのは、彼の愛弟子である迅を置いて他にいないだろう。

 しかしながら、城戸が自らの手元に『風刃』を残すつもりであることは明白。これからの使い手は、基本的に城戸派の人間の中から選ばれるに違いない。

 それらの事情を踏まえた上で、

 

「汎用性ではノーマルトリガーに劣り、攻撃面でも『斬撃』の伝播という特殊な性質と弾数制限のせいで不安が残ります」

 

 慎重に言葉を選びながら、風間は言葉を紡ぐ。

 

「特定の隊員に専用装備として与えるよりは、適合する隊員同士でミーティングを行い、状況によって使用者を変える方が適切な運用ができるかと。幸い、風刃は適合者が多い『黒トリガー』です」

 

 黒トリガーは優れたトリオン能力の持ち主が持てる全てを注ぎ込み、己の命と引き換えに作り上げた力。制作者の意識が色濃く反映されるせいか、黒トリガーは『黒トリガーに選ばれた者』にしか使用できない。

 が、幸いなことに『風刃』は適合者が多いタイプの黒トリガー。迅悠一はもちろん、嵐山隊の嵐山准と木虎藍。加古隊の加古望に、草壁隊の佐伯竜司。三輪隊の三輪秀次。片桐隊の片桐隆明と一条雪丸。B級には、生駒達人、弓場拓磨、村上鋼……風間自身も含めれば、正隊員の適合者は計12名に上る。他の黒トリガーと比較しても、少々異常なほど多い数だ。

 ボーダーという組織を守るために、『風刃』を遺した最上宗一は多くの人間に適合する黒トリガーとなったのか。彼にその答えを聞くことは叶わないが、適合者の多さは『風刃』の紛れもない特徴のひとつである。ならば、それを活かさない手はない。

 

「……ふん。これも、奴の計算通りか」

「……どういう意味でしょうか?」

「その提案は、既に迅の方から書類にまとめられて提出されている。懇切丁寧に、迅自身が適合者への指導を担当するつもりのようだ」

「……なるほど」

 

 風間と同じ考えを、迅も持っていた。先んじて動いていたのは、やはり流石と言うべきか。

 

「では、『風刃』については基本的に本部預かりとし、状況に応じて適合者に貸与する」

「はい」

「適合者を集めた訓練は迅に監督させるが、きみも風刃を使用した経験者だ。メニューやシフトの調整には協力してもらう」

「了解しました」

 

 望んでいた形で『風刃』の処遇が決まり、内心で息を吐く。これで話は終わりだと、風間は思っていた。

 

「もうひとつ。聞きたいことがある」

 

 しかし城戸は、風間に重ねて問いを投げた。

 

「……きみは以前、自分は風刃を使う気はない。たとえ推薦されたとしても、候補者を辞退する、と言っていたな」

「それが何か?」

「これは命令ではない。私からきみへの一個人としての質問だ。答えたくなければ、答えなくて構わない」

 

 そう前置きした上で、

 

「どうして今回、『風刃』を手に取ることを承諾した?」

 

 何を聞かれるか、どんな意見を求められるか。それらをある程度予想していた風間だったが、その問いは完全に予想外の方向から飛んできたものだった。そもそも、城戸が個人の心情を探るような質問をしてくること事態が非常に珍しい。

 

「……私情を多分に含みますが、少し話をしても?」

「構わん。続けたまえ」

 

 軽く頷く城戸。

 改めて、風間は口を開いた。

 

「我々は先日の戦闘で、迅の『風刃』を相手に完膚なきまでに敗北しました」

 

 12月の末に勃発した、空閑遊真の黒トリガーを巡る争奪戦。

 太刀川隊、冬島隊、風間隊の3部隊に、7位の三輪隊を加えたトップチームは、城戸派の最高戦力と呼ぶに相応しいメンバーだった。長期遠征から帰還したばかりというコンディション的な問題で本調子ではない隊員がいたとはいえ、玉狛第一が出てきても迎え撃てるだけの体制で望んだ戦いだった。

 しかし、風間達は負けた。そのほとんどが、迅の『風刃』にやられる形で。

 

「……あれは『風刃』の性能をこちらが正しく把握していなかったせいでもある。迅だけでなく、嵐山隊と如月の介入もあった」

「結果は結果です。我々が敗北したという事実は変わりません」

「生真面目だな」

「性分ですので」

 

 迅と風刃の相性を正しく認識した今なら、少なくとも五分の勝負に持っていくことはできるはずだ。作戦を練ってもう一度挑めば少なくない確率で、今度はトップチーム側が勝利するだろう。

 だが逆に言えば……情報アドバンテージを握った状態で作戦を練らなければ、ボーダートップチームの力をもってしても勝利の確信を得ることができない。

 『黒トリガー』とは、そういう類いの理不尽な力だった。

 

「あの戦闘で、自分は『黒トリガー』の力を再認識しました」

「そうだろうな。そういう意味では、あの戦いはトップチームの意識を引き締める良い機会になった」

「はい。だからこそ、自分はこう思いました」

 

 端的に。簡潔に。風間は言う。

 

 

「悔しい、と」

 

 

 黒トリガー争奪戦で、風間が直接対峙していたのは如月龍神だ。彼の予想外の粘りに、多大な苦戦を強いられた。それでも、風間は龍神を正面から実力で打ち倒した。

 そしてその結果、勝利の瞬間の隙を、致命的な一瞬を風刃の遠隔斬撃に突かれ、敗北を喫したのだ。

 あの状況、あのシチュエーションで自分の思惑通りに敵を引き込み、勝ちの絵を描くだけの力。個人としての戦闘力だけではない。戦術的にも戦略的にも、風間達は迅と風刃に負けていた。

 

「A級部隊とは、本来『黒トリガー』を打倒する力があると認められた部隊。それが4チームも揃って、たった1本の『黒トリガー』に、ああも簡単に蹴散らされてしまった。これはあまりにも、恥ずべき事態です」

 

 

 黒トリガー争奪戦は、言ってしまえばボーダー内での武力衝突。二度と起こしてはならない事件だ。風間が風刃と再び対峙する機会は、おそらくもうないだろう。

 しかし、だとしても。

 

「二度と『風刃』に負けないために……自分自身が『黒トリガー』を手に取り、その力を確かめる必要がある。自分は、そう考えました」

 

 常に厳戒な城戸の表情が、ほんの少しだけ弛む。

 

「……きみらしくもない理由だな」

「我ながら、子ども染みた理由だと思っています。申し訳ありません」

「気にするな。責めているわけではない」

 

 片手を上げて、城戸は頭を下げようとした風間を止めた。冷たい印象を持たれることが多い城戸だが、その行動の端々に不気用な優しさが見え隠れすることがある。

 

「鍛練と研鑽を重ねる若者を、咎める理由はないからな」

 

 城戸正宗は変わった、と。林藤や忍田が言っているのを、風間は何度か耳にしているが……

 

「御苦労だった。もう下がりたまえ」

「はい。失礼します」

 

 今はもういない自分の兄は、今とは違う彼の姿を見ていたのかもしれない。風間はふと、そんな風に思った。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 城戸との会話を振り返りながら、風間蒼也は1人で廊下を歩く。

 城戸に吐露した気持ちに、偽りはない。しかし彼に伝えた言葉は、風間が『風刃』を手に取った理由の全てではない。

 

 ――そもそも、自分の意思だけではなかったのかもしれない。

 

 これは仮定に過ぎないが、もしも迅が大規模侵攻の際も『風刃』を所持する『S級隊員』だったとして。彼が、手練れの『黒トリガー使い』の迎撃に赴いた場合。

 迅悠一は、ボーダーは、あの底知れぬ強さを持つ老剣士を、倒せていただろうか?

 答えは否。最後のトドメを担ったからこそ、まず『風刃』だけでは仕留め切れなかったと、風間は断言できる。不可視の遠隔斬撃を回避し、敵の注意を引きつけることができるのは未来予知のサイドエフェクトを持つ迅のみ。そこに『ガイスト』を使用した如月龍神と烏丸京介、さらに菊地原の『聴覚共有』が加わり、ようやく勝利の方程式を見出だしたのだ。いくら『風刃』を持つ迅でも、たった1人であの敵を倒せるわけがない。

 だからこそ、風間は考えてしまう。ひとつの可能性に、行き着いてしまう。

 

(迅は、今回の大規模侵攻で自分以外の人間に『風刃』を使わせるために、空閑の入隊と引き換えという条件を提示した)

 

 あの剣士を倒すために。大規模侵攻で、ボーダー側に勝利をもたらすために。その時利用できる人物と所有物を、迅は最大限に利用した。あえて、師匠の形見を手離した。

 彼の行動は全て、先に繋がっている。

 

(俺が『風刃』を使う未来を、奴は視ていた……)

 

 だから、そうなるように仕向けていたのだとしたら?

 

 それだけではない。

 記者会見に乱入した少年、三雲修。

 大規模侵攻の前、彼と模擬戦を行った風間は、調べられる範囲で『三雲修』という隊員のデータを全て洗い直した。

 結論から言えば、三雲修にボーダー隊員としての素質はない。単純に、トリオン能力が正隊員の基準に達していないのだ。本部のデータベースには、通常の入隊試験を受けて落とされた記録まであった。本当に、その程度のトリオン能力だったのだ。

 にも関わらず、彼がボーダー隊員になれたのは、警戒区域内で近界民に襲われたところを、1人の隊員に助けられたからだ。

 三雲修を助け、ボーダーに推薦したのは迅悠一である。

 言い方は悪いが、彼の入隊方法はコネを使った裏技のようなものだ。S級隊員の口利きと交渉があって、はじめて成立する裏技。どうして彼にそこまで肩入れするのか、人事部の人間は実力派エリートの行動に疑問を抱いたに違いない。

 だが現に、迅の助けを得て入隊した少年は今、この組織を大きく動かそうとしている。

 

(三雲の入隊と、それに伴って変わる未来……これらを踏まえて考えれば、思い当たる節はまだある)

 

 三雲修と同じような経緯で入隊した隊員を、風間は知っている。自分の予想が正しいか確認するために、風間は数日前に太刀川隊の作戦室を訪ねた。当時の詳細を、太刀川慶に問い質すためだ。

 元々の地頭があまりよろしくないせいで、太刀川がそれを思い出すのには、少々の時間を要した。風間が正確な日付と場所を提示し、当時の太刀川自身が書いた報告書を見せることで、ボーダーNo.1攻撃手はようやく手を打った。

 

 ――ああ、思い出した思い出した。如月の馬鹿を助けた時の防衛任務だろ!

 

 なんでもないように、アゴ髭をこすりながら、

 

 ――珍しく、迅に任務のシフトをウチの隊と代わってくれって頼まれたんだよな。

 

 やはりか、と。

 三雲修と如月龍神の入隊経緯は、似通っている。警戒区域への無断侵入。近界民の襲撃。ボーダーによる救助と保護。

 保護した一般人は通常なら記憶封印等の措置を施すが、隊員として入隊する場合はその限りではない。そもそも、近界民から狙われるのはトリオン能力が高い人間だ。保護された人間が平均以上のトリオンを持っていて、そのままボーダーに入隊する……というパターンは、そう珍しいものではない。草壁隊の緑川駿などがそうだ。

 だから、考え過ぎだと言ってしまえば、この仮定はそれまで。

 これはあくまでも、結果から逆算した推測。邪推、と言ってもいい余計な疑念かもしれない。

 

 迅から『風刃』を受けとった時、城戸は彼に尋ねた。

 

 ――お前には、どこまで視えている?

 

 風間の思いも同じだった。

 果たして、迅悠一には『何が』、『どこまで』視えているのか。

 

 

◇◆◇◆

 

 

『……ボーダー公式記者会見の模様を生中継でお送りしました。ここからは予定を変更して、先ほどの発表内容について……』

 

 記者会見が終わるのと同時に中継も終了し、テレビの映像が切り替わった。

 

「ふっ……また随分と大きな啖呵を切ったものだな」

「うむ。さすがはおさむだ」

「遠征のことまで言っちゃうなんて……なんか、ほんとにあんたの弟子って感じがしてきたわ。馬鹿なところまで感染してるんじゃないの?」

「教育の賜物だ」

「ほめてないから。……でもまぁ、ちょっとはスッキリしたけどね」

 

 陽太郎を抱えたまま偉そうにソファーでふんぞりかえる龍神に、呆れた目を向ける小南。自分自身で言った通り、彼女の表情と態度は数分前よりも幾分かマシになっていた。修の堂々とした記者達への対応に、腹に据えかねていた怒りも少しは落ち着いたらしい。

 だが、

 

「あー、でもまだイライラが収まらないわ……そこの3人組! 誰でもいいからついてきなさい! このアタシが直々に指導してあげるわ!」

 

 指導と書いて『ストレス発散』とルビを振りそうな小南の発言に、甲田と早乙女が「ひっ……」と短い悲鳴をあげる。しかし、丙は勢い込んで手を上げた。

 

「はい! それならこのオレが喜んで相手をさせていただきます!」

「威勢がいいわね。アンタ名前は?」

「丙っす! よろしくお願いします! 小南センパイ!」

「ふーん、丙ね。言っとくけどアタシ、弱いヤツ嫌いだから。ついでに今イライラしてるから、とりあえずギタギタにしちゃうと思うけど、途中でリタイアするんじゃないわよ」

「大丈夫っす! むしろ大好物です!」

「好物……? まあいいわ。ついてきなさい!」

「ういっす!」

 

 さっさと部屋を出ていく小南と、それについていく丙。2人を……というか、丙だけを半眼で見やりながら、今まで黙ってテレビを観ていた紗矢が口を開いた。

 

「如月くん。3人の指導に関してとやかく言うつもりはないけれど、これだけは聞きたいわ。丙くんの性癖が歪んでいる気がするのは、私の気のせい?」

「気のせいだ。べつに丙は女子中学生に斬られ続けた結果、敗北の痛みと悲しみを快楽に変換できるようになったわけではない。元々あいつにその素養があっただけだ」

「なんでわざわざ伸ばさなくてもいいステータスまで伸ばしてるのよ……?」

「いや、メンタルは大切なステータスだぞ」

「それ、マイナスに振り切ってない?」

 

 言いながら、紗矢は龍神の前に湯気が立ち上るカップを置いた。2人の会話を聞いていた陽太郎が、興味深そうに首を傾げる。

 

「ふむ? たつみ、ひのえはまぞなのか?」

「陽太郎。そんな言葉をどこで覚えた?」

「おれははくしきだからな!」

 

 あまり5歳児には知っていてほしくない言葉である。

 龍神は抱えていた陽太郎を雷神丸の背中に戻し、目の前に置かれているカップの中身を見た。

 

「淹れてくれるのは嬉しいんだが……これは?」

「紅茶だけど?」

「コーヒーは?」

「あなた達も飲む?」

 

「はい! いただきます紗矢センパイ!」

「ありがとうございます」

 

「おい、スルーするな」

 

 龍神の追求はするりとかわし、紗矢は慣れた手つきで甲田と早乙女の分をカップに注ぐ。どうして彼女が玉狛のキッチンを我が物顔で使うようになっているのか、少々気になったが、ここに入り浸っているのは龍神も同じである。しかも紗矢を玉狛の面々に紹介したのは自分なので、とやかく言う筋合いもない。

 と、そこで台所の下を覗き込んだ紗矢が、困ったように眉根を寄せた。少しだけ悩んだあと、近くに置いてあったケータイを手に取って耳に当てる。

 

「あ、もしもし木崎さんですか? すいません。お醤油が切れているので帰りにお願いできますか? あと……」

「ちょっと待て」

 

 今度は冷蔵庫を開きながらそんなことを言い始めた紗矢に、龍神は目を剥いた。いくらなんでも、この短期間で馴染み過ぎである。

 

「はっはは。紗矢ちゃんは紅茶だけじゃなく、料理やお菓子作りもすごくうまいからなー。最近は龍神のいない時でも、レイジさんと一緒にごはん作ったりしてくれているんだよ」

「……迅さん。いつの間に」

 

 龍神の背後に気配もなく現れる、神出鬼没の実力派エリート。おそらく防衛任務帰りなのであろう迅悠一は、テーブルの上に置かれたカップを見て「おっ」と呟いた。

 

「紗矢ちゃん紗矢ちゃん! おれにも一杯ちょーだい」

 

 実にかるーい感じで、紅茶をおねだりする迅。ところが、レイジとの電話を切った紗矢の反応は冷たかった。

 

「ご自分で淹れてください。私は玉狛の家政婦ではありません」

「……あれ? なんか怒ってる?」

「黙ってください。このセクハラエリート」

「……ねぇ、龍神。なんか紗矢ちゃん、やけに冷たいんだけど。おれ、何かしたかな?」

「自分の胸に聞け」

「私は沢村さんみたいに優しくありませんから。次に『あんなこと』をしたら確実に訴えます。それとも、1回までなら大丈夫だとサイドエフェクトで見えていたんですか? ああもう本当に、甲田くん達を助けてくれた借りがなかったら今すぐにでも警察につき出して」

「本当にすいませんでした。もう二度としません」

 

 早々に全面降伏の意思を示すべく、ボーダー屈指の実力派エリート迅悠一は床に這いつくばった。土下座返しの異名を取る佐鳥賢の土下座にも匹敵するであろう、素晴らしく実力派な土下座である。

 龍神は諦めて手に取った紅茶に口をつけながら、呆れた目で見るしかない先輩に言った。

 

「迅さん……いい加減懲りたらどうだ? くまもこの前、次にやったらガチで訴えると言っていたぞ」

「ふっ……龍神風に言うなら、それは愚問だな。おまえ、おれの好きなものが何か知っているだろ?」

「『ぼんち揚げ』と『暗躍』。そして『女子のおしり』だ」

「そう。そういうことだ」

 

 好きなものは好き。そこは譲れない。

 土下座をしながらドヤ顔で答える迅だったが、残念ながら土下座をしているせいでドヤ顔が見えない。そもそも彼のドヤ顔は、土下座をしているせいでまったくかっこよくないという、致命的な欠陥を孕んでいた。

 

「すげぇ……流石は紗矢センパイだぜ。元S級隊員にして、ボーダー有数の実力派エリートに土下座をさせるなんて!」

「この光景だけ見てたら、迅さんがただのバカな変態にしか見えない……」

 

 ついでに、後輩達からの信頼と憧れ的な何かも、ガラガラと音をたてて崩れていく。

 しかし、実力派エリート迅悠一はそんなことではめげなかった。むしろ迅は、床に膝を付いた状態で後輩女子を見上げながら、状況を挽回するためにフォローの言葉を口にする。

 

「そんなわけで紗矢ちゃん。おれは、胸より尻派だから!」

 

 江渡上紗矢の地雷を踏み抜く言葉を、口にする。

 瞬間、龍神は悟った。

 迅悠一のサイドエフェクトは、決して万能の未来予知ではない。実力が拮抗した戦闘や、移ろいやすい乙女心など、どうしても予測しきれない情報はある。

 故に、龍神はどうしようもなく確信した。

 

 ――読み逃したな。

 

 どんな人間にも、絶対に触れてはいけない逆鱗というものがある。

 

「……迅さん」

「うん?」

「それは私の胸が貧相で、女性的な魅力に欠けていることを遠回しに指摘しているのでしょうか?」

「……あれ? いやいやいや。べつにそんなつもりで言ったわけじゃないよ。俺はただ……」

「迅さん」

「はい」

「迅さんは、今トリオン体ですよね?」

「そ、そうだけど?」

「それはよかったです。先に謝っておきますね」

 

 江渡上紗矢は笑う。残念ながら、おそらく小南よりも小さいであろう胸部を両手で覆い隠して。

 

 

「蹴ります。ごめんなさい」

 

 

 黒のタイツに包まれた、すらりと長い脚を後ろに振り上げて、

 

「おぶっふぅ!?」

 

 情け容赦なく、迅悠一の顎を蹴りあげた。

 吹っ飛ぶサングラス。吹っ飛ぶ迅悠一。唖然として固まる陽太郎。縮こまる甲田と早乙女。

 

「……沢村さんは前に『ローキック』だったらしいので、私はハイキックにしてみました。今日はこれで勘弁してあげます」

 

 鼻息荒く台所に引っ込む紗矢を恐る恐る見つつ、後輩2人組は小さな小さな声で呟いた。

 

「……紗矢センパイ、制服だと思ったらトリオン体だったんだな」

「こえぇ……あ、でも黒タイツで蹴られるとか、丙は喜びそうだな」

「た、たつみ……さやちゃんがおこったぞ。じんがふっとんだぞ」

「よく覚えておけ、陽太郎。女の子に、身体的特徴の話を振ってはいけない」

 

 1人だけ優雅に紅茶の香りを楽しみながら、龍神は将来有望な5歳児に大切な教訓を授けた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 江渡上紗矢が迅悠一をふっ飛ばしたのと、ちょうど同時刻。

 大仕事を終えた相棒に向かって、空閑遊真は片手を挙げた。

 

「お疲れ、オサム」

「……ああ、疲れたよ。こういうのは柄じゃない」

「でも、言ったからにはやるんだろ?」

「もちろんだ」

 

 力強く頷いて、修は即答する。2人は、肩を並べて歩き出す。

 

「連れ去られたC級も、レプリカも、必ず取り戻す。そのために、まずは全速でA級入りを目指す」

 

 修の声には、もう迷いは感じられない。後悔している暇があるのなら、その後悔を新しい行動で塗り変える。そんな強い意思が……強い決断が感じ取れた。

 

「やるぞ、相棒」

 

 だから遊真も、短く言葉を返す。

 

「おう」

 

 ランク戦の開幕まで、あまり時間はない。まず目指すべきは、自分自身のB級への昇格。他にも、チームとしての戦術や戦法も煮詰めていく必要がある。やるべきことが盛り沢山だ。

 だからこそ、遊真はこう思った。片付けなければならない問題は、早めに処理しておいた方がいい、と。

 

「……あの人は」

 

 どうやら修の方も気づいたらしい。立ち止まった頬に、うっすらと冷や汗が滲んでいた。修は彼に対してあまりいい印象を持っていないだろうから、ある意味それは当然の反応と言える。

 

「オサム、先に玉狛に行っていてくれ。おれもあとから行く」

「でも……」

「大丈夫。前よりも仲良くなってるから、いきなり撃たれる心配とかはないよ。それに、あの人が話したいのは、多分おれだけだしな」

 

 ひらひらと手を振って、遊真は歩き出した。扉の前で待ち構えていたその人物は、組んでいた腕をほどいてこちらをじっと見据えてくる。

 遊真は、彼の鋭い視線に負けずに笑顔で言った。

 

「どうも、ミワ先輩」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 慌ただしかった1日もようやく落ち着きを取り戻し、川の水面に夕日が落ちる頃。

 如月龍神は、来訪者のために玉狛支部の玄関を開けた。

 

「そろそろ来る頃だと思っていた」

 

 扉の先に立っていた人物は、龍神の姿を見て眉をひそめた。

 

「……どうしてお前がここにいる、と聞きたいところだが……そうか。大規模侵攻でお前が玉狛の隠し玉を使っていたのは、そういうことか。普段からここに入り浸っているのなら、多少納得はできる」

「玉狛支部にはよくお世話になっている。『ガイスト』を俺に回してくれたのは、迅さんの判断だ」

 

 ますます固くなる仏頂面に対して、龍神はあくまでもフランクに応じる。

 

「なら、こちらの事情も把握しているだろう? 用があるのはお前ではなく雨取だ。さっさと案内しろ」

「焦らなくても、雨取なら応接室で待っている。そんなに冷たくしなくてもいいじゃないか。ゆっくり話すのは、あの時の模擬戦以来だ」

 

 ここは玉狛支部。龍神にとっては勝手知ったる玄関だ。来客用のスリッパを出し、床に置く。

 

「まずは上がってくれ、二宮さん」

 




更新に時間がかかったわりに、またややこしい話で申し訳ないです。

迅のサイドエフェクトは直接見た人間の未来しか視えませんが、何を、どこまで、どんな風に視ているかっていうのは、ワールドトリガーの中でもかなり大事なポイントだと思うのです。多分、麟児さんの謎とか、鳩原さん失踪の原因とか、生駒さんのカメラ目線の秘密並みに重要。

いつになったらランク戦始まるの?というみなさん。次回からランク戦スタートなので、どうかご容赦を!
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