B級ランク戦ROUND3、当日。如月隊作戦室にて。
この期に及んでもなお、如月隊射手、甲田照輝は悩んでいた。
「俺はっ……俺は一体どうすればいいんだ!?」
それはもう、死ぬほど悩んでいた。
甲田が、食い入るように見詰めているのは、ボーダーから支給される個人用端末。防衛任務のシフト確認などの公的な業務だけでなく、隊員間の個人的なやりとりにも利用されるその画面には、もう何回確認したか分からない一通の電子メールが表示されている。
次の試合、お互いにがんばろうね。
雨取千佳
簡素ながらも、想いのこもった文面に。
なにより、試合前にメッセージを送ってくれた、千佳のその気遣いに。
曲がりなりにも中学生男子である甲田は、はじめて抱いた恋心を完膚なきまでに撃ち抜かれていた。そして、悲しい現実に打ちのめされていた。さらに言うなら、自分達を戦場という舞台で再び引き合わせた運命のいたずらを呪っていた。
彼は、心の中で自問自答する。
「う……ぬぅおああああああ! 俺に……俺にできるのか!? 雨取さんを……雨取さんを撃つことが俺にできるのか!?」
「すごいな、丙」
「ああ、すごいな早乙女。こんなに心の声がダダ漏れなリーダーは見たことがない」
「同情したくなるよな」
「でもちょっと気持ち悪いぜ」
激しい葛藤からソファーの柔らかい部分に頭を打ちつけ始めた甲田を、早乙女と丙は遠巻きに生暖かい目で見守っていた。
彼の苦悩は、単純明解であった。
――――好きな子撃って、嫌われたくねぇ。
とても分かりやすい、恋する中学生男子の苦悩だった。
「くそっ……俺は、俺はどうすれば!?」
「いっそのこと、ランク戦前に告るとかどうよ?」
「アリ寄りのアリだな!」
「なし寄りのなしだ! 早乙女、丙! お前ら、俺にそんな度胸があると思ってんのか!?」
「「ううん? 全然」」
「お前ら最近俺の扱い雑だろぉ!?」
膝から崩れ落ち、絶叫する甲田。自分達のリーダーのあまりの狼狽っぷりに、早乙女と丙は顔を見合わせてため息を吐いた。甲田が恋愛に関して『クソ』がつくクソ雑魚なのは重々承知していたつもりだが、これ以上ランク戦に私情を引きずっていくのは、いよいよ勝敗に関わる。
早乙女は、くるりと振り返って『リーダー』ではなく『隊長』の方に助けを求めた。
「隊長~。リーダーになんとか言ってくださいよー。説教してください。このままだと、何もできずに落とされる可能性濃厚ですよ」
「……そうだな。おい、甲田」
それまで何故か黙り込んでいた如月隊隊長……如月龍神は、おもむろに顔を上げ、甲田に声をかけた。
「ちょっと、こっちに来い。今から少しいいことを言うぞ」
「隊長……それはいいんですけど、どうしてそこから動かないんです?」
「ふっ……そんなことは決まっているだろう」
説教される側の甲田に問われ、龍神はいつも通りのどや顔で返答した。
「足が痺れて動けないからだ」
生身の私服姿で足をきっちりと揃え、既に小一時間正座している龍神は、やはりどや顔で答えた。首からはミニサイズのホワイトボードが下げられ、そこには『反省中』『勝手に模擬戦してすいませんでした』『次からはやる前にきちんと相談します』『私は厨二病の大馬鹿野郎です』等々、バラエティーに富んだ罵詈雑言が綺麗な字で書き記されている。
ちらり、と。龍神は後ろを見た。
ティーカップを片手に端末を操作している少女は、さっきよりは機嫌がよくなったように見える。
「江渡上。甲田に説教をしたいのだが、構わないな」
「構わないけど、そのままの状態でやってね。貴方も反省中なんだから、正座は崩しちゃダメよ」
「……そろそろ、よくないか?」
「ダメです」
「なんというか、その、俺も勝手に鋼さんと模擬戦をしたのは反省しているわけだし」
「ダメです」
「しかし、あの模擬戦には俺なりに考えがあったわけで……」
「あ。足が滑った」
するり、と。黒タイツに包まれた紗矢の足が伸び、長時間の正座で痺れきった龍神の足の裏を、つんつん、と刺激する。
「ふぅぬぉおおお!?」
悶絶する龍神を、紗矢は実に満足気に見下ろしていた。
勝手に村上と模擬戦を行った罰として、痺れた足をつんつんされている隊長。そのいつもより小さい背中を見て、早乙女と丙は心の中で呟いた。
――――威厳ねぇ……
なお、甲田は千佳のことで頭が一杯なため、それどころではない。
つんつんされた足の刺激でヒクヒクしていた龍神は、それでもなんとか前を向き、甲田に語りかけた。
「くっ……よく聞け、甲田」
「あ、すごい。この流れで何事もなかったかのように話を続けるんですね」
「黙っていろ、早乙女。いいか、甲田? お前の気持ちはよく分かる。お前の雨取への思いは俺も知っているし、できることなら応援してやりたい」
「な、ななな、なんで隊長がそれを!?」
「いや、ふつーに見てたら丸分かりだし」
「黙っていろ、丙。いいか、甲田? 雨取に嫌われたくないと思う……お前が抱くその感情は中学生男子として当然のものだ。しかしだからこそ、雨取の前に敵として立ちはだかるお前は、彼女が所属する玉狛第二に全力で立ち向かうべきではないのか?」
「まあ、そもそも甲田くんが雨取さんに好かれているかは、分からないけれど」
「黙っていろ、江渡上」
「あ。また足が……」
「ぬぅおおおおおおおおお!?」
ランク戦開始直前になっても、如月隊の雰囲気はいつも通りだった。
◇◆◇◆
今回、ステージ選択権を持っているのは、修達、玉狛第二だ。
「今回のステージは前に話した通り、ここでいく」
修の示したステージに、千佳と遊真はしっかりと頷いた。
「最初はバッグワームを起動。他のチームがステージ設定に気をとられている間に、ぼくと空閑は合流を目指す。千佳は見つからないように指定ポイントに移動。見つかりそうになった時は、ぼくか空閑がフォローに入る」
「大丈夫か、おさむ? あの三馬鹿とかならともかく、むらかみ先輩やたつみ先輩に見つかったら……」
珍しく遊真が口を濁す。けれど、言わんとすることは分かった。修の実力では、村上や龍神とタイマンを張ることはできない。時間稼ぎをする、とは言ったものの最悪何も出来ずにやられる可能性も全くないとは言えない。
「大丈夫だ」
だからこそ、修は肯定して頷き返す。
「村上先輩に当たったら地形を活かして退避するし……最悪、如月先輩と当たったら……」
「当たったら?」
「……それこそ、望むところだ」
今度は、遊真が修の珍しい……らしくないと言える修の発言に目を見開いた。
「如月先輩は、ぼくが止める」
「おおー、強気だねぇ修くん!」
「はい。今日の試合は、きっとどのチームにとっても今シーズンのこれからを左右するターニングポイントです。いやでも、気合いが入りますよ」
宇佐美に対して、やや苦笑を滲ませながら、
「解説役が、あの2人ですし……」
◆◇◆◇
「B級ランク戦ROUND3、夜の部のお時間がやって参りました」
まだ騒がしい観客席に、凛とした声が釘を差す。
「今シーズンの台風の目が集結した注目の第三戦。実況は嵐山隊の綾辻が担当させていただきます。解説席には、少々珍しいお二人に来てもらいました」
綾辻の右隣に座るのは、腰まで伸びたロングヘアーと癖っ毛が特徴的な、セーラー服姿の女子高生。一見、華奢でかわいらしい印象の彼女は、しかしその容姿とは裏腹に少し偉そうな態度で腕を組んでいた。
「A級玉狛第一所属、小南桐絵隊員と」
対し、綾辻の左隣に座る男。
隣の女子2人をまとめて、ようやくその横幅に届くかもしれない……と思わせるほどにがっしりとした体躯の彼は、背筋を伸ばしたきれいな姿勢で着座している。美少女といって差し支えない綾辻と小南の横にあって、彼の筋肉はその存在感を雄弁に主張していた。
「ボーダー唯一の『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)』木崎レイジ隊長です。お二人とも、本日はよろしくお願いします」
「うん。よろしく綾辻ちゃん」
「ああ。よろしく頼む」
玉狛第一。
本部ではなく支部所属でありながら、A級チームとして高い実力を誇る、明確な順位が定められていない特別なチーム。そもそも本部に来ること事態が珍しい2人の登場に、観客席の雰囲気もいつもとは違うものになっていた。
「試合の注目度が高いのでしょう。本日、観客席はフルシートで埋まっております」
綾辻は笑顔でそう言うが……元々、ボーダー内でも才色兼備のマドンナと名高い彼女に加え、外面だけは完璧美少女な小南が揃ったせいで、今回の実況解説席の顔面偏差値は凄まじいことになっていた。それに加えて、圧倒的な筋肉の存在感まで加わっているのだ。観客席のシートが満席なのは、試合の注目度だけでなく、実況解説目当てのミーハーな理由も大きい。
「では、今回の試合についてどう思われますか、小南隊員」
「うーん、とりあえず単純に……メインはそれぞれのチームの攻撃手で、実力勝負になると思うわ」
「玉狛第二の空閑隊員、如月隊の如月隊長、そしてNo.4攻撃手である村上隊員。今回の試合はB級中位戦でありながら、トップクラスの攻撃手が一堂に会することになりました」
「ウチの遊真はもうB級上位以上の実力はあるし、龍神も今まで埋もれていただけで、地力は持ってる。あたしは鋼さんとはあんまやったことないからよくわからないんだけど……試合前に3人でやって、遊真と龍神はボコボコにされたらしいし、やっぱりこの3人の中だと鋼さんがいちばん強いんでしょうね。まぁ、あたしはこの3人よりもさらに強いわけだけど」
余計な一言を追加しながら得意気に語る小南に、綾辻はニコニコと頷いた。俺サッカー強いんだぜ!と得意気に語る小学生男子を優しく見守るような、そんな笑みである。ちなみに綾辻の隣にいるのは、言うまでもなくお嬢様女子高の同級生である。
「如月隊はこの3チームの中で唯一の4人編成チームだ。数の理を活かした戦術を組み立ててきているだろう。如月単体で村上を抑えるのが厳しいなら、複数であたって確実に対処するはず。逆に他の2チームは、それぞれ如月隊にはいない『狙撃手』をどう使うかがカギになるだろう」
「玉狛第二の雨取隊員は、そのトリオン量で大きな話題になっていますね! なんでも、木崎隊長が師匠だとか……?」
レイジが千佳の師匠、という初出しの情報に「え、マジ?」「身長差半端なくね?」「まさか、あんな小さい子もいつか筋肉に……?」「つーかあの人、ほんといい身体してんな」と、好き勝手なひそひそ声が止まらなくなる。レイジは眉間を抑えて首を振った。
「……トリオン量が多くても、それだけで勝てるとは限らない。立ち回りやテクニックがものを言う狙撃手というポジションなら尚更だ」
「えーと、それはつまり……」
「照れてるのよ、レイジさん。察してあげて綾辻ちゃん」
「なるほど! 雨取隊員はトリオン量という才能に胡坐をかかず、木崎隊長の下で技術を磨いている、ということですね!」
「…………もうそれでいい」
「あ! 遊真はあたしの弟子だからね! そこんところよろしく!」
手を挙げて自分も師匠ポジションであることを主張する小南に、会場がどっと沸く。弛緩した空気を引き戻すように、レイジはわざとらしく咳払いをひとつ。
「……とにかく。攻撃力の高い遊真を主軸に順位を上げてきた玉狛第二。近、中距離戦に寄せた四人編成と奇抜な作戦を武器にする如月隊。そして、元々の高い地力と堅実な立ち回りで中位トップをキープしてきた鈴鳴第一。今日の戦いで、どのチームが一番上か……どのチームの『エース』が最も強いのか、はっきりする」
それはおそらく、誰もが望んだ直接対決。
「今日。勝ったチームが、一足先に上位入りだ」
試合開始までの時間を示していたタイマーが、ちょうどゼロを示す。
「それでは、B級ランク戦ROUND3。試合開始です!」
◇◆◇◆
転送されてまず最初に感じたのは、濃厚な雨と土の臭いだった。
「……森、か」
頭上を見上げて、龍神はポツリと呟く。顔に、少し気になる程度の薄い水滴が降りかかった。
『デルタ1より隊員各員へ。マップは『森林B』。天候は『小雨』よ。現在位置と敵の予測位置をマーキングして送るけど、視界が悪いから注意して。場合によっては霧が出てくるかもしれないわ』
『ファング2、了解』
『ファング3、了解っす。これ、リーダーがちょっと離れてる感じだなぁ……』
丙の発言を聞いてレーダーを確認すると、なるほど。確かに甲田の転送位置が少し悪い。龍神の位置は全体マップから見て西寄りで、甲田の位置は東の隅、木が少ない平原だ。合流しようとすれば、敵との交戦は避けられない位置である。
「ファング2はバッグワームを起動しろ。北の尾根伝いに移動しつつ、策敵。可能なら、狙撃手を探せ。仕留める必要はない。まずは、雨取と太一の居所を探るのが先決だ。分かっているとは思うが、エースアタッカーとの単独交戦は避けろ」
『了解です、隊長』
「ファング3は俺と合流。森の中を突っ切って、東に向かう。ファング1を迎えに行くぞ。バッグワームは使うな。鋼さんか空閑が釣り出せれば好都合だ。そのまま迎撃する」
『うわぉ……隊長と一緒とはいえ、あの2人と直接対決とかこえぇ……でもわかりました。そっち向かいます』
一通り指示を出しつつ、龍神は足元の地面を踏み締めて確認した。小雨にしては、じっとりと湿ってぬかるんでいる。おそらく、攻撃手対策……特に重い盾である『レイガスト』を使う村上を意識した設定だろう。気を抜いて普段通りに戦っていると、足元が滑りそうだ。
しかし、それにしても……
『少し妙ね』
「お前もそう思うか、江渡上?」
『ええ。天候設定をいじるなら『小雨』にする理由がない。一応、村上先輩や他の隊員の足回りに嫌がらせをする……という意図は分かるけれど……』
「それなら、ただの『雨』。もしくは『暴風雨』のような設定でいいはずだ。その方が、他のチームの出足も遅れる」
『しかもついでに、別役くんの狙撃も防げるわ』
そう。玉狛には狙撃手がいるが、狙撃はない。何故なら、狙撃手である千佳が人を撃つことができないからだ。大砲といってもいい『アイビス』の砲撃しかない以上、もっと尖った天候設定にして狙撃の視界を完璧に潰した方が、遊真や修は自由に動けるはず。
「……やはり、何かあるな。この天候設定」
とりあえず合流して、態勢を整えた方がいい。考えるのは後にすると決めて、走り出した瞬間。
頭上の木の枝が、不意に弾け飛んだ。
――――狙撃。
「はやいな。太一か」
咄嗟に身を屈め、龍神は身近で最も太い樹木の裏に身を隠した。まさか、開幕早々撃ってくるとは思わなかったが、弾は大きく逸れていた。距離が遠すぎる。この感じからして、1キロ以上は離れているはず。おそらく、スタート直後に自分を見つけ、はやまって発砲してきたのだろう。
「ファング3。北東から狙撃だ。注意しろ。合流は……」
『如月くん、まずいわ』
龍神の指示は、焦りを押し殺した紗矢の声に遮られた。
――――――――――――
鈴鳴第一狙撃手、別役太一は不安だった。
「来間さーん。いきなり如月先輩撃っちゃって、ほんとによかったんですか?。距離遠すぎて『イーグレット』でも絶対当たらないし、開幕早々おれの居場所丸分かりですよ?」
『大丈夫だよ。距離がある分、如月くんもすぐには詰めてこれないし』
来間辰也の優しい声は普段なら安心するのだが、こういう時は少し頼りない。太一は重ねて聞き返した。
「でも如月先輩、めっちゃはやいじゃないですか! ほんとに大丈夫ですか?」
『大丈夫だよ。多分……』
「多分て! 来間さーん!」
『うるさいわね! ごちゃごちゃ泣き言言わないの!』
太一の疑問提起(という名の弱気な泣き言)は、今の声に一蹴されてしまう。
「だって今せんぱーい!」
『だってもだからもないの! あんた狙撃手でしょう? せっかくそんないい位置にいるんだから、如月くんと丙くんの頭をきっちり抑えなさい! 仕事しなさい!』
「う……」
言葉に詰まる。今の言う通り、太一が転送された位置は西から東に沿って続いている尾根の上。今回のマップの中で最も標高が高い場所であり、狙撃手にとってはベストポジションといっても過言ではなかった。ここからなら南東方向の少し開けた平野も、ステージの大半を占める南西を中心に広がる森林も、一望できる。しかも加えて言えば、ここまで上ってくるためには、身を隠すものがほとんどない尾根を超えなければならない。客観的に分析すれば、この場所は本当に完璧だった。
とはいえ、それとこれとはまた話が別なわけで。
「はやく仕留めてくださいね、鋼さん!」
『ああ。お前はそこでどっしり構えてろ、太一。せっかくとったラッキーポジションだ。そのまま確保しておいてくれ』
鈴鳴第一が誇るエースの声は、
『すぐに『コイツ』を片付けて、次にいこう』
いつも冷静で落ち着いている。
――――――――――
如月隊射手、甲田照輝は窮地に瀕していた。
前面には、レイガストと弧月。異なる二つのブレードトリガーを構えるNo.4攻撃手、村上鋼。しかも、それだけでなく。
「悪い、オサム。いきなりむらかみ先輩と当たっちまった」
後ろには、両手にスコーピオンを携えた玉狛の白い悪魔……空閑遊真。
どうしてこんなにも、転送位置が悪かったのか?
どうしてよりによって、この2人の近くに。しかも、2人に挟まれる形で転送されてしまったのか?
甲田の中で、疑問は尽きなかった。一体、この凄まじい不運の原因は何なのか? もしかして、アレか。今朝のニュースの星座占いで下から二番目の順位だったせいか? そのせいなのか?
「すぐにコイツを片付けて次にいこう」
「でも、とりあえず三バカ一号からやる」
2人の視線は、真っ直ぐに甲田を射抜いていた。明らかに、間違いなく、どうしようもなく甲田を見ていた。
ランク戦は、誰を倒しても1点。そして、集団戦の原則は常に単純。弱いやつから落とされる。
じりじりと下がりながら、甲田は呟いた。
「隊長……俺、雨取さんにいいとこ見せる前に死ぬかもしれません」