イレギュラー・エンカウント
エネドラは危機に瀕していた。
「覚悟はいいか?」
これまで彼は、自身の黒トリガーの圧倒的な力をもって、数多くの敵を屠ってきた。いわば、弱者ではなく強者。敗者ではなく勝者として、その力を思うがままに振るってきた。
だが、今はどうだ?
「まて……おちつけ」
ラッドなどという、弱小トリオン兵の中に意識を閉じ込められ、
「いいや、またない」
胴体を掴まれてしまえば、逃げることすら叶わず、
「やめろ……オイ、てめぇ! こんなことをオレ様にしてただで済むと」
「知らんな」
悪態を最後まで吐くことさえできず、
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおお!」
スーパーのビニール袋に放り込まれたエネドラ……もとい、エネドラッドはそのままぐるぐると高速回転。ジェットコースターにでも乗っているような絶叫を、大音量で響かせた。
「前に!あれほど!教えただろう!「やったか」とか「勝ったな」とか、そういう類いの死亡フラグを観戦中に立てるのは禁止だと! 雷蔵さんから聞いたぞ! まさか、俺の試合中に特大のフラグを立てるとは……許せん!」
エネドラッドが入った袋をぶんぶんと振り回して高速回転させている張本人……如月龍神は、憤懣やるかたないという表情でそう言った。
ランク戦も無事に終了した翌日。いつものように開発室を訪れた龍神は、とある人物から「エネドラのやつ、観戦中にこんな特大フラグ立ててましたよ兄さん」と、報告ならぬ告げ口を受けた。よかろう、ならばお仕置きだ、と。龍神はどこぞの少佐のようなノリでエネドラを振り回すことにしたわけである。以上、説明終了。
「そもそも、玄界のサルの迷信なんざしらな……うわおおおおおおおおおおお!?」
「言い訳をするな!」
「か、勝ったからいいだ……ぬああああああああ!」
エネドラッドが反論する度に、龍神は手首のスナップをうまい具合に利かせて横回転や縦回転を織り交ぜ、変幻自在にシェイクする。振り回されているエネドラは溜まったものではない。体がトリオン兵になったとはいえ、ぐるぐると回転する視界は正しく地獄だった。そして、それを振り回している龍神は結構楽しかった。
「まあまあ、如月くん。その辺にしてあげなよ。エネドラも悪気があったわけじゃないと思うし」
コーラを片手にやんわりと回転するエネドラの停止を求めたのは、開発部のチーフメカニックの1人であり、最近は主にエネドラッドのお世話係となっている寺島雷蔵である。エネドラッドの飼い主とも言える彼の一声に、ちょっと楽しくなってきていた龍神も流石にエネドラッドを手放した。
「ふむ……そうだな。今日はこれくらいにしておいてやるか」
「くっ……目が、目がまわる……助かったぜ雷蔵」
「ふむ……普通の肉体とは異なるトリオン兵の体でも、振り回されれば目は回るのか。興味深いデータだ。如月くん、今からちょっとエネドラの意識データ、モニターして計測するから、もう少し回してもらっても……」
「やめろぉおおおおお!」
「冗談だよ、エネドラ」
「ふっ……そんなにいやがるとは、かわいいやつめ」
「ぶっ殺すぞてめぇら!?」
龍神と雷蔵に散々遊ばれたエネドラは息も絶え絶えに(もちろん実際に息をしているわけではないが)、カサカサと龍神の手から逃れ、最近定位置となりつつあるクッションの上に陣取った。
「けっ……オレはもう知らねぇぞ、タツミ! この前はたまたま気が向いて観戦して、ついでにお前が戦ってるから少しだけ肩入れして応援してやったが! こんな仕打ちを受けるくらいなら、もうてめぇらサルの試合なんざ観てやらねぇからな!」
「……ツンデレか?」
「うんうん。ツンデレツンデレ」
「意味はわからねーけど、バカにしてるのはわかんぞごらぁ!?」
両手を振り上げてキレるエネドラをはいはいといなしつつ、龍神は持ってきたバッグの中に手を突っ込んだ。
「そう言うと思って、また映画を持ってきたぞ。今回はきちんと、お前が『死亡フラグ』というものを学べる作品を揃えてみた」
「……けっ。おもしろくなかったら承知しねぇからな?」
文句を言いつつも席につくエネドラ。すっかり映画好きが板についてきた捕虜の姿を微笑ましく見守りながら、雷蔵は龍神に問いかけた。
「でも、いいのかい如月くん?」
「ん? 何がだ雷蔵さん?」
「いやほら、次のランク戦って如月くん達にとっては初の上位グループだろ? こんなところで映画観てる暇はないんじゃないかなーって」
「ふっ……そういうことか。もちろん、次の戦いが厳しいものになることは、俺だって理解している。だが、たまには息抜きも必要だろう?」
それに龍神とて、エネドラを振り回したり、映画を観るためだけにわざわざ開発室に来たわけではない。映画のDVDと一緒に取り出した自分のトリガーを、龍神は雷蔵に向けて放り投げた。
「おっと……」
「前の試合で鋼さんに勝てたのは、雷蔵さんが『レイガスト』の調整をしてくれたおかげだ。ありがとう」
「……それに関しては、お礼を言いたいのはこっちの方かな」
昨日の試合の後、一部のC級やフリーの正隊員からトリガー変更の要請がいくつかあったらしく。その全てが『レイガスト』だったという話だ。村上鋼、如月龍神、そしてついでに三雲修。レイガストの使用者が活躍する試合をみて、自分達も使いたくなった。言ってしまえばそれだけの単純な話だが、しかしそれでもレイガストの開発者としてこんなに嬉しいことはない。
「ではすまないが、またトリガーの調整をお願いしてもいいだろうか?」
「もちろん」
「じゃあ、レイガストを抜いて元の構成に戻してくれ」
こんなに、嬉しいことは……
「……如月くん、今なんて?」
「いや、だからレイガスト抜いてくれって。あ、もちろんスラスターも」
「なんでっ!?」
ふくよかな体型からは想像もできない俊敏な動作で龍神の眼前までテレポーターした雷蔵は、がしぃ!と龍神の両肩を掴んで左右に揺さぶった。
「前の試合であんなに活躍したじゃん! 鋼くんと互角以上に戦えてたじゃん! なんで抜いちゃうのレイガスト!?」
「前の試合は初見殺しの要素が強かったし……次の試合はガードを避けて攻撃を通してくるカゲさんに、全員追尾弾持ちで包囲射撃仕掛けてくる王子隊がいるからな……正直、レイガストはちょっと……」
ぐわんぐわんとなされるがままに揺さぶられる龍神は、歯切れ悪くそう言った。しかし、雷蔵は諦めない。
「いや大丈夫だって! 如月くんならいけるって! 鋼くんだって影浦くんとの勝率はそんなに悪くないし、レイガストを盾に使えば射撃戦でも有利に立てる! このまま一流のレイガスターとして高みを目指すんじゃなかったのかい!?」
「いや、しかし……鋼さんがカゲさんといい勝負してるのはサイドエフェクトがあるからだし……そもそも、俺は射撃戦には絡めないし……べつに一流のレイガスターになりたいわけでもないし……それにそもそも、一流のレイガスターならレイジさんや雪丸がいるだろう?」
「あいつらは微妙にこっちが想定しているのとは別な使い方してくるから認めづらいんだよぉ!」
たしかに。レイガストをナックルガード代わりにしてガンガンパンチを打ち込む筋肉ゴリラや、ダブルレイガストでぶいぶい言わせている雪丸は、雷蔵が想定していた使用法からは少し外れているのだろう。レイガストパンチに関しては龍神も最後の決め技として使ってしまったので何も言えないが。
しばらく捨てられた子犬のような目で龍神を直視していた雷蔵だったが、ようやく諦めたように肩から手を離して、ため息をついた。
「はぁ……まぁ、仕方ないね。トリガー構成は前の感じに戻せばいいんだね?」
「ああ、それで頼む」
「ん、りょーかい」
工具を取り出した雷蔵の後ろで、エネドラが吠える。
「おい、タツミ! いつまでグダグダ喋ってんだ!? はやく映画みせろ!」
「ああ、はいはい。少し待ってろ」
もはやすっかり使い慣れた開発部メンバー拘りの映像機器を操作する龍神。その後ろ姿を見ながら、雷蔵はふと気になったことを聞いた。
「そういえば如月くん。エネドラになに観せるの?」
「そうだな……とりあえず、黒猫が目の前をよぎって、子ども達が家で待っていて、鏡が割れた状態で戦闘機に乗り込む作品を……」
「いや、ギャグじゃんアレ」
◇◆◇◆
ボーダー本部では、平日や休日関係なく、多くの隊員達が毎日切磋琢磨している。
「……やっぱり玉狛とは違うな」
ラウンジのモニターを見上げながら、三雲修は思わずそう呟いた。
RAUND3の敗戦を経て、射撃戦の師匠である烏丸にアドバイスを求めた結果。彼から「それなら射撃戦のエキスパートに教えてもらってこい」ということで、アポイントメントを取ってもらった。今日は二つの部隊を訪ねる予定だが、約束の時間より早く着きすぎてしまったので、たまには本部でランク戦でもしようか、と。そう思ってブースに来た次第である。
「おい、あれみろよ」
「玉狛支部のメガネだ」
「土砂崩れやったやつだ……」
「土砂崩れ……」
「なんかちょっと、性格悪そうだな」
「如月隊の隊長の弟子なんだろ?」
「ブレードマスターの?」
「ブレードマスターの弟子か……」
三雲修は、注目の的だった。正直言って居心地が悪いし、冷や汗も止まらない。この前の試合は龍神と村上の一騎打ちが一番の見所だと思っていたが……どうやら自分の考えた作戦も予想以上に注目を集めていたようだ。修は今さらながらに実感した。
こうも視線を集めていては、個人戦の誘いもやりにくい。さっさと個人用のブースに入ってランダムマッチングに頼るか、また知り合いがいる日にでも改めて相手を頼もう……と、そう考えはじめた修の視界の隅を、何かがよろよろと横切った。
「……ん?」
それは、平均より少し小柄な少女だった。ちらりと見えた横顔から察するに、修よりは年上だろう。見るからに疲労困憊といった様子の彼女はセミロングの髪を揺らしながら、周囲の目も気にせず休憩用のソファーに倒れこんだ。周囲でひそひそ話をしていた訓練生達は、そんな彼女をみると目を背けるようにして話をやめ、何故かさっと散らばってしまった。
ソファーに倒れこんだまま、彼女は動かない。
「……えっと、あの……大丈夫ですか?」
「……ぁあ?」
のそり、と顔を上げた彼女とようやく目が合う。少しつり目気味の瞳に切り揃えれた前髪から、少々キツイ印象を受けるが、充分以上に整った顔立ちだ。声をかけたのはこちらからなのに、正面から見据えられて、修は思わず萎縮した。
「あの……えっと」
「なに、アンタ? ナンパ?」
「あ、いえ……べつにそういうわけではないんですけど……なんというか、大丈夫かなって思って……」
「なに? 心配してくれてんの?」
彼女は口こそ悪かったが、よくよく見てみれば顔色は悪いし、おまけに寝不足なのか目の下にはクマまで浮かんでいた。
なので、
「飲み物」
「はい?」
「水、買ってきて。はやく」
「あ、はい」
そんな傍若無人とも言える彼女の要望を、修はすんなりと聞き入れてしまった。というか、これではまるっきりパシリである。
「……おい、みろよアレ……」
「メガネがパシられてる……」
「哀れだなメガネ……」
「かわいそうなメガネ……」
再び周囲のひそひそ話が再開し、なんだかなぁと思いつつ。それでも修はお財布を取り出し、自販機で天然水を買い、彼女に渡した。
「なに? 水買ってこいとは言ったけど、ほんとに水買ってきたの?」
「す、すいません」
「はぁ、つかえな。どうせならジュースとか買ってきなさいよ」
なんで怒られてるんだろう、と思ったが、悪態を吐きながらも水を手に取ったあたり、やはり喉は相当乾いていたようだ。周囲の目など一切気にせず、ごくごくと喉を鳴らしながら水分を嚥下した彼女は、半分以上を飲み切ってからようやく息をついた。
「ふぅ……で、いくら?」
「え?」
「水。いくらだって聞いてんの」
「あ、はい」
修が値段を告げると、彼女は飾り気のないスウェットのポケットから小銭入れを取り出し、しばらくそのままにらめっこし、やがて何かを諦めたように通信端末を取り出した。
「あ、もしもし? 悪いけど、アタシの財布持ってきて、大至急。は? いいからはやく持ってきなさいよ。いつもみたいにランク戦のラウンジいるから。じゃ」
そのまま電話を叩き切り、彼女は少しも悪びれていない表情で「悪いけど」と言った。
「今、ウチのチームのヤツがアタシの財布持ってくるから少し待ってくれる?」
「わかりました。それはいいんですけど……」
「なに?」
「あ、いえ。どうしてそんなに疲れてたのかと思って……」
「は? アンタ馬鹿? ランク戦ブースにいたんだから、ランク戦してたに決まってるでしょ」
「そ、そうですよね……」
そういうことを聞いたわけではないのだが、そう言われると返す言葉もない。しばらく冷や汗を流しながら修は突っ立っていたが、逆に彼女の方が業を煮やしたのか、口を開いた。
「……100勝」
「はい?」
「1日、100勝。個人戦で稼いでこいって、言われてんのよ。今のクソ師匠に」
「ひゃ……100勝!? すごいですね……」
思わず、裏返った声で聞き返す。いくら個人ランク戦の一試合が短いとはいえ、それにしてもとんでもないノルマだ。
「はっ! ただの嫌がらせよ。あのクソ野郎、目つきは悪いし、陰険だし、性格悪いし、すぐ蹴ってくるし、ほんとクソ野郎。あの長い前髪切って丸坊主にしてやりたいわ」
好き勝手にその『師匠』とやらの悪口をまき散らしていた彼女は、しかし何かに気がついたように顔を上げた。
「そういえば、アンタC級?」
「あ、いえ。一応B級です」
「B級? へー、メガネのくせに?」
メガネ関係あるんですか?などと突っ込んでいる暇すらなく。修はびっくりするほどの力で腕を掴まれた。
「つきあって」
「はい?」
「個人戦、つきあって」
「え、ええと、はい。わかりました」
「よし」
頷いた彼女は先ほどまでの気だるげな様子がウソのように立ち上がり、トリガーを起動した。葉っぱがプリントされた飾り気のないTシャツが一瞬でかき消え、その姿が戦闘体に換装される。
黒と紫を基調にしたサイバーパンク風の隊服。細く華奢な腕はアームスリーブに覆われ、刻印されたB級の順位には『7』の数字。
(B級7位……上位グループ!)
「メガネ、名前は?」
「……三雲修です。あの、先輩は?」
「なに? アタシのこと知らないの?」
ふん、と鼻を鳴らして、彼女は一言。
「香取葉子。さっさとブース入って。やるわよ」
葉子ちゃん書くの楽しい!……楽しくない?
いよいよROUND4ですが、今回はスポーツ漫画でいうところの『ライバル校VSライバル校』みたいな展開だとお考えください。
うそ……このメガネ弱すぎ……?
あと、葦原先生の体調回復を心より祈っております。訓練されたワートリファンなら、この程度なんともないぜ!だから無理しないで(切実)