「殺っ……」
城戸の口から発せられた、おおよそ現実的とは思えぬその言葉に、叶は戦慄した。
確かに、彼の態度は以前より「何か」あったのだろうということは容易に察せられるものであった。カードショップで働いている際にも、「人を殺していそう」だとか、「壮絶な経験をしていそう」だという評価は、叶の耳にも入っていた。馬鹿馬鹿しいと思いはすれど、こうして彼の口から語られてみると、想像以上の恐怖が浮かぶ。
「……歩きながら、話そう」
と、城戸は大通りを指差した。確かに、この場にいつまでも留まっている理由は無い。叶は素直に頷き、彼の後を追う。
「十年前の話だ。俺と母は、親戚である深宮家に厄介になっていた」
語り始めは、極めて淡々としたものだった。
普段とまるで変わらぬ語調。感情の一切を排したかのようなその声は、突き刺さるようにして叶の心を抉る。
「……元々、母は体が弱かった。入院も決して珍しいことではなく、外に出て働くということにもハンデがあるほどだ」
だからこそ、疎ましく思われたのだろうと、城戸は推論を述べる。
「先にも言ったが、母は昔から体が弱かった。そうしたことから、昔から多額の保険金が継続してかけられていた。母が亡くなれば、俺が一人になるからというのもあるのだろうが」
「……一人?」
父親はどうしたのか、と叶が訊ねると、珍しく悩むような仕草を取り、城戸は言った。
「死んだ」
と。
城戸はそれ以上、父親のことを語ろうとはしなかった。
叶も、それ以上は追及する気になれなかった。「父親」という存在に対して、その方向性はともかくとしても――――思うところがあるのは同じだったからだ。それが悪感情であれ好感情であれ、追及してはならないことは叶にも容易に察せられた。
城戸が自ずから言わなければ、それは意味のないことだ、と。
「話を、戻そう」
告げられたその言葉からは、どことなく寂寥が感じられた。
「……狙いは、多額の保険金だった」
当時――――十年前。九歳という年齢であった自分に力は無く、遺産となった保険金は全て、「深宮」の家に持ち去られた。
城戸の語る内容を要約すると、そうした内容のものであった。
つまりは。
「保険金殺人だ」
感情を見せぬまま、淡々と、呟くように城戸は事実を述べた。
保険金殺人――――その言葉の意味は、叶にも容易に知れた。そして、その異常性も。
普通に生活を送っていても、たまには聞く話だ。ニュース。映画。漫画。情報と接していて、一度でも聞いたことのないというような人間は少ない。だが、普通の人間にとってそれは「遠く」の話だ。自制心や罪悪感というブレーキが存在する以上……法というものは定められている以上、それは「あってはならない」ものであるはずなのだ。
それ故に、それはあまりに現実と剥離していた。異常性が、はっきりと見て取れた。
「……それで、か」
そこまで聞いたところで、叶は納得したように呟く。
城戸が深宮才華という人間を警戒する理由。その警戒が、あまりに度を越しているという理由。殺人という事柄がそこに関わっているというのなら、それは理由としては十分だと言える。
そして、
城戸の声音は相変わらず無機質だが――――どことなく、彼の胸中から感情の存在を感じられた。
もっとも、それが「生きて」いるのか、「死んで」いるのかは、叶の理解の及ばない場所にあるのだが。
「だが……」
一方で、叶には疑念があった。
当時……ことの発端が十年前だとするなら、城戸は9歳だ。そして、議題の一つである「深宮才華」は、当時6歳。恐らくは小学校に上がったばかりか、もしくはそれ以前の年齢である。現在の彼女の態度や考え方はともかくとしても、その時分に才華が殺人に関わっていたとは考えづらい。
何より、彼女の語る価値観――――人間が「どうしようもなく汚いもの」であるとの認識は、そうした出来事を目にしたからではないのか。
「あの女まで、一括りにしなくてもいいのではないか?」
「だが、警戒には値する」
一方、未だに城戸は頑なだった。
「人間の性格は、環境によって形作られる。生来のものがあるとしても、それは僅かだ。
ただし、それは城戸にも当て嵌まる話だ。
思考の上で「そうしなければならない」と判断すれば、彼はその選択肢を採る可能性が高い。それどころか、状況次第では躊躇すらしないことだろう。だとしても、それを棚に上げてすら彼女を「警戒すべき」と判断した以上、才華の存在はそれ以上に危険であるということであろう。
それでも、と、叶は声を上げた。
「絶対的に話が通じない相手じゃあないのだ。それに奴は……何故か知らんが……お前に対して、何か、妙な執着を持っているようだった」
「……どういうことだ」
意味が分からないと言いたげに、城戸は叶の言葉に対して反応を示した。
どうやら、あの場に来る以前の話――――それこそ、立ち位置についての話などは、聞いていないようだった。
「それが……よく、分からんのだ。私の立ち位置がどうとか言っていて、邪魔だとかなんとか……」
「どういう、ことだ」
言いつつも、城戸はどこか悩みこむような表情を見せた。
何かしら心当たりがあるのだろう。しかし、それをうまく整理しきれていないような複雑な表情だ。
先に見せたそれと併せ、珍しい、と叶は感じていた。城戸が表情を変えるようなことが、そもそも稀有なことであるからだ。
もっとも、外見だけを見ればその表情にはまるで変化が無い。
多少なりとも彼との付き合いがあることから、叶が僅かな動きを察し、その思考を推察しているだけだ。
「……五年前、中学を卒業するまで、俺は深宮家に滞在していた。その間に、俺が深宮……才華という人間と出会っているかと言われれば、はっきりと否定はできない」
数秒の後に、城戸はそのようなことを告げた。
「当時、深宮の家の人間と会話を交わす機会は少なかった。五年以上も経って再開したことになるが、当時の印象とまるで違っていたこともあり、名前を聞くまで本人であるとは思えなかった」
「当時の印象……?」
胡散臭く、それでいて飄々としたその態度。五年前と言えば、才華は小学校を卒業する頃かそれ以前であろうが、その頃とまるで違うとなると、これまでに城戸は、才華のどういう部分を見てきたのだろうか。純粋に疑問を提示した叶に対して、彼の出した答えは、想定を大きく上回るものだった。
「今と違い、髪は肩まで。純粋で人懐こい、だろうか」
ぽかんと、叶は口を大きく広げた。
「……別人ではないのか?」
「身体的な特徴と、名前。記憶を照合する限り、同一人物だ」
ありえないと言いたげに、叶は目を剥く。
才華を見た印象として最も大きいものは、飄々とした陰謀家で、かつ胡散臭い……と言ったところだろう。現在のそれとは明らかに異なる。
城戸のいない4~5年の間に何があったか。それを理解し、あるいは想像するのは、叶にとっては難しいことだった。城戸の言うような少女に何があれば、今のような人間へと変貌を遂げるのか。その内容は察するに余りある。
しばし呆然と歩いていると、唐突に暗雲が立ち込めていくのが、叶の視界に映った。
「まずい」
呟く彼女の目に焦りが浮かぶ。
それは、今後何が起こるかを理解している故のことだろう。
「……雲行きが怪しいな。雨でも降るのか」
城戸はこの光景の異様さに気付いていない。正確には気付けない。
この世界のことを何も知らない以上は、あらゆる「前兆」というものに、反応を示すことができないからだ。
「いや、雨は降らん。だが……これは」
この世界、この時代における最初の大規模な「戦い」。――――その前兆である。
「ナルセ、アルカディア・ムーブメント……と言って分かるか?」
「精密機器の部品を製作している企業か」
以前に入社試験を受けた、と城戸は語った。
「話が早いな」
歯噛みしつつも、叶はそれを好都合と認めた。もっとも、城戸が就職活動の一環としてアルカディア・ムーブメントを受けていたことは初耳であったが。
アルカディア・ムーブメントという会社は、彼の言う通りに「表向きには」精密機器の製造業を営んでいる。その実はサイコデュエリストと呼ばれる、
現状において、その目的は衆目に晒されてはいない。しかし、その隆盛は今、この場で断たれることとなる。
――――総帥たるディヴァインの失脚だ。
実際にはそれだけではないものの、決定打となったのはその事実であろう。
それらの事実を前にして、確実に起きる事象というものが存在する。
2柱の「神」の降臨だ。
「場所は? ここからどのくらいの位置にある?」
「……おおよそ4駅、3キロ……と言ったところか」
遠い、と言うべきか近い、と言うべきか。叶の知る「現象」が起きる際に巻き込まれる危険性を考えるなら、もっと離れておくのが良いだろう。
移動する、と叶は城戸へ告げた。
「そちらへ向かうのか」
「逆だ。アルカディア・ムーブメントからできるだけ離れる。むしろ、帰宅するのが一番望ましい」
現在の叶たちの住居は、シティの中心部からは外れた場所にある。こうした場合に巻き込まれることの少ない位置と言えよう。意図してその場を選択したわけではないにせよ、今後の展望を話し合うには好都合な場であると言えた。
「諒解」
対し、一切の疑問を抱いたような様子も無く、城戸はそれに対して頷いてみせた。
この「世界」についてより多くのことを知る叶に逆らってまで行動する理由は無いと見た故の行動だろう。
しばし、家路を歩く。その間にも空は薄闇に包まれ、異様な雰囲気を醸し出していく。
そんな中でふと、思い出したように、城戸は「そういえば」と呟いた。
「エクシーズモンスターについて、言いたいことがある」
彼が自発的に、「言いたいこと」があるというのも珍しい話だ。うむ、と頷き、叶はそれに耳を傾ける。
自分のスタンスとは異なり、また、これまでの発言を撤回する形になるが。そう前置いて、城戸は告げる。
「――――あれの使用は、今後控えるべきだ」
しかして、彼の告げた言葉は、叶にとっては想定外なものだった。
「控えた方がいい」と、忠言するのならばある意味彼らしいと言えただろう。しかし、「控えるべき」だなどと、断定することは城戸としては珍しい。加えて、手段を選ばないという点においては才華と肩を並べるほどの彼がそう述べるとは、果たして何があったと言うのだろうか。
「何があった?」
「何も」
いつもと同じだ、と城戸は答えた。
それは、デュエルの度、
恐らく彼は、有我英人とのデュエルでそれを結実させたということなのだろう。
「まず、オーバーレイ・ネットワークとは、何だ」
「……こ、口上……?」
城戸の問いに対し、しかし叶の持ち合わせていた答えはただそれだけであった。
彼女にはあまりにも知識が不足している。一般用語としてのオーバーレイ・ネットワーク……ネットワーク上に、更に重ねて作られたネットワークという意味など、知らずとも仕方がない。その辺りは既に想定していたようで、城戸は「だろうな」と一言告げた。
もっとも、こうした用語を耳にする機会があるのかと言えば、疑問であろうが。元より原作たる「遊戯王」でこの単語が出なければ、叶が知る由も無い。
「……意味が無いなら、このような単語を発する理由は無い」
城戸は……恐らく才華にしても、物事には「意味」や「意義」を求めるタイプの人間だ。
それ故にそうした事柄に対しては鋭く、よく気が付く。たとえそれが利になることであろうとも、不利益を被る可能性のある事柄であろうとも。
もっとも、行動の基準は今のところ叶にあり、それらを度外視してでも行動するということも、現在は多々あるのだが。
「現状に、エクシーズ召喚の際に抱いた違和感はいくつかある。一つに、召喚の度に起こる現象……空間に開く孔だ」
「ソリッドビジョンのエフェクトではないのか?」
「ならば、他の召喚行動の際にそれが起きないのは何故だ」
「エクシーズモンスター固有の召喚エフェクトだからでは……」
確かに、と城戸はそれを軽く肯定した。その一方で「だが」、と注釈を入れる。
融合召喚の際にはモンスター同士が融け合い、渦の中で一体化するような状況が取られる。シンクロ召喚に際しては、チューナーが光の円環と化し、素材のモンスターを包み込むことで「進化」を遂げる演出が取られた。
そうした一方で、エクシーズ召喚は、モンスターが「星」へと姿を変え、一旦別次元へと移動するような演出が取られる。城戸の懸念はそこにある。
「別世界から来た俺たちの存在は、世界間移動は決して『不可能なことではない』ということを証明していると見ていい。無論、その際に必要なエネルギー等の問題もあるが、これに関しては永久機関であるモーメントの作用によってある程度は無視できる」
そして。
「……深宮の言を信ずるとするならば、ナンバーズ・カードには別世界の情報が込められているという」
それはある意味で
と、城戸はここに至るまでに得た推論を述べる。
「こうなれば、『世界』を移動するにはその手段さえあればいい。そして――――」
彼は己の左腕に装着した装置……つまるところの、デュエルディスクを指し示した。
その基底部には、話にも上がっていた永久機関、モーメントが存在している。
それは、世界を移動するための全ての条件が揃っているとも言えるのではないか。
しかし、その点についてはあくまで憶測だ。あえて口には出さず、城戸は現状で理解できることをそのまま叶へ伝える。
「……可能性の段階ではあるが、エクシーズ召喚の際に空間に開く孔は、別次元につながっているとも見ることができる」
「な、なるほど……? いや、うん、なるほど!」
わけが分からないというような様子を見せたものの、即座に納得したような表情を見せた叶。
彼女は、元よりこの世界についての造詣が深い。
カードのせいで超常現象が起きるなど日常茶飯事であり、次元の扉が開くといった事柄にしても、そう珍しいことではない。数十年に一度というような頻度ではあるにせよ、確かにそうした事柄は起きている。
故にと言うべきか、実質的に彼女が理解しきれているのは後半部分――――つい先ほど、城戸の発言した「可能性」の問題のみである。前半の話については話半分程度にしか理解していないとも言えよう。
「元より、これらのカードは『敵』が持っていたものであり、この世界にとってはイレギュラーな存在だ。使わないに、越したことはない」
結局のところ、話はその一点に絞られる。
「う……うむ。まあ、そういうことなら……でも、それなら使わないのはナンバーズだけでもいいのではないか?」
「『演出』が同じである以上、何が起きるか分からない」
モンスターとしての種類が同一である以上、何が起きても不思議はない。
ナンバーズの特異性について……それどころか、遊戯王というゲームそのものを知らない城戸にとって、そもそもこの世界に存在しえないエクシーズモンスターとはそれそのものが異端のカテゴリだ。そのような認識を持つのは当然だ。
一方で、より多くのことを知っているからこそ、叶には城戸の言を理解しづらい。
いや、より正確には理解してはいるのだろう。それを肯定しづらいというだけで。
力をひけらかし、他人へとそれを示す「欲望」を持つ者は数多い。珍しくない……どころか、そうした人間が大多数であろう。一種の自己顕示欲と言えようか。まして、叶は「王になる」などと嘯く――――ある種、自己顕示欲の塊とも呼ぶべき存在である。
カードはこの世界における「力」だ。誰も持ちえないそれを使うことへの欲望は、押し留めるには辛いものがあるだろう。元々は自由に行使できていたということもある。一種の制限がかけられてしまっていると言ってもいい。それは、叶にとってフラストレーションの溜まることだろう。その点は城戸も認識している。
しかし、それでも注意を勧告しなければならないのだ。今の時点で無駄であろうとも、叶の記憶の片隅に城戸の言葉は残る。元より彼女の判断能力は、歳の割に成熟している。いずれは自ずと自制することだろう。
「……むぅ。とりあえず……心がけては、おく」
承諾しつつも、叶は不満げな表情を覗かせた。
そうなるであろうことは想定していたのだろう。一言も発せず、変わらぬ表情で城戸は頷く。
遠方では、未だ黒雲が渦巻いている。
途方もなく、どうしようもないものを視界の隅に捉えながら、二人は住居に向かって歩いていた。
+ + +
――――「事故」から、数日。業務も終わり、帰宅した俺は、叶を外に待たせたまま住居のマンションで一人佇んでいた。
連日、テレビではアルカディア・ムーブメント本社ビルの崩落と、その周辺の住民の行方不明を報じている。崩落それ自体は、現状では「事故」として報じられており、真実を知る者はそう多くない。その事件に関わることとなった当事者――――事故からの生還者や、あるいはこの事件を知る者……つまりは異世界人たる叶や深宮たちだけであろう。
一応、と言うべきか。俺も叶から説明を受けることとなった。
この事件は冥府の神――――「地縛神」、「ダークシグナー」と呼ばれる者と、この世界の「主人公」たるシグナーと呼ばれる者たちの戦いの一環である、と。
この世界、時代において最重要とも言える事項――――多くの人間を巻き込んだ「戦争」と言えようか。その規模は、神々のそれという枕詞がある以上、現在見えるそれよりも拡大していくものと見ていいだろう。
が、いずれにしても、こちらに飛び火しなければ関係の無いことだ。とりあえずの目標……D-ホイールを購入するまでは、普通の生活を送るのが最上だろう。
何より、考察……それを基とした検証を行わなければならない。
日常生活で装着するのには不便ではあるものの、現在、俺の左腕にはデュエルディスクが装着されている。これから、一つの「検証」を行うためだ。
まず、一枚。《インヴェルズ・ガザス》を場に召喚する。と、黒を基調とし、体の各所に赤を散りばめた体色を持つ、有角のモンスターが現れる。
続いて、《インヴェルズ万能態》のカードを場に置く。黒い蓑虫状の――――細胞とも呼ぶべき存在が、場に湧き出した。
二体のモンスターは、いずれも守備力は0だ。この条件により、魔法カードである 《星に願いを》 が発動できる。この効果により、レベルをインヴェルズ・ガザスの8に合わせる。これで、レベル8のモンスターが2体となった。
これにより、ランク8のエクシーズモンスターが召喚できる。選び取ったのは、先日取得することとなった《
二体のモンスターの肉体が黒い星へと転じ、空間に開いた孔へと飛び込んでいく。
――――空間の、孔。
それは、どこに繋がっているのかも分からないものだ。そも、それはソリッドビジョンなのか、現実のそれなのかすら判然としない。
平行世界の情報が詰め込まれている、ナンバーズ。そして、永久機関であるモーメント。異世界へと移動するような状況は、この時点で構築されているようなものだ。
故に、検証の必要がある。
もしも危険が生じた場合、被害は少ない方がいい。叶が外で待っているというのは、そのためだ。
彼女はこの検証に対して、元々難色を示していた。怪我をしたらどうする、と。そこには言外に、「死んだらどうする」という言葉も含んでいたように思う。だが、こうしたことは誰かが行わなければならないのだ。
治験然り、人体実験然り、何かしら「犠牲」があって初めて成り立つものもある。
それが健康であるか、命であるかは別問題であるにして。
空間に開いた黒穴へ、左手を伸ばす。
ひと肌程度に温められた、粘質な物質。まず、最初に感じたものを喩えるならそのようなものであろうか。次いで、背に冷や水を浴びせられたような悪寒が走る。
このままこうしていることは危険だ――――と、機能を損なっているはずの本能が警鐘を鳴らす。
わずらわしい。そもそも、普段でさえまともに機能していないのだから、重要な時にしゃしゃり出てくるんじゃあない。不要だ。
僅かに芽を出す本能を叩き潰して思考の片隅に放り投げ、
どれだけそうしていただろうか。いつの間にか、左腕から軽い痺れを感じた。
――――ここまでか。
次の瞬間、吹き飛ばされるようにして左手が空間より弾き出された。
拒絶反応か。あるいは、そこに在る何かに干渉を受けたのか。空間に
いずれにしても理解した。やはりこれは危険であると。それを統括し、扱う者もまた、同様に。この現象を調整する余地があるのならば、まずはそれを探さなければエクシーズモンスターは使用できないことだろう。戦術の幅も狭まるだろうし、何よりもそれを主軸として戦う者がいる以上はこれを解決するべきだ。救急箱を持ち出して消毒を行い、包帯を巻きながら考える。
元凶はどこだ。
ここまでの件を鑑みるに、「黒幕」などと称された治安維持局長官……レクス・ゴドウィンがそうであろうか。いや、彼がそれを行う必要性が見られない。
深宮。近い位置にいることは確かであろうが、恐らくは彼女も違うだろう。もしも彼女が暗躍するのであれば、その痕跡すら残すことはすまい。俺たちの前に姿を現す理由も無い。よって、候補には入るという程度で留めてよい。
ともあれ、元より数日前の件である程度結論は出ているのだ。ほぼ部外者と言っても良い俺がいつまでも一人で無駄な考察していて、何の役に立つと言うのか。先の検証で得られた結果を皆のところに持って行って、改めてことを起こすべきだろう。
と、そうして動き出そうとした矢先だった。
電子音が室内に響く。
携帯電話の着信だ。鳴動を続けるそれを手に取り、発信者の名を確かめる。と、そこに表示されているのは「深宮」の名。
さて、普段の彼女のふざけぶりを考えると、対応すべきかどうか。いずれにしてもこちらから伝える用件はあることだ。一応、電話を取るべきではあろう。
「……どうした」
『……あ、もしもーし。聞こえる?』
機械の調子が悪いのか、あるいは電波に問題があるのか、その声はひどく濁って聞こえてくる。
いや、恐らくはそれだけではないのだろう。どこかその声音には疲弊したような色が見え、時折、喘鳴が漏れ聞こえてくる。
「何があった」
『いやー……あは。ドジったってか……うん、ちょっとやらかしたかなー……ってさ』
告げる深宮の声は、いつになく弱弱しい。数日前までの印象……飄々と、笑みを絶やさず他人を煙に巻いている、必要以上に胡散臭いそれとはまるで異なっている。
数日の間があったとはいえ、深宮に何が起きているのか。いや、そもそも彼女は――――
「今どこにいる」
電波が悪い。先程から聞こえてくる雑音は、恐らく風か何かであろう。となれば屋外であることは何とはなしにわかる。
だが、そこから先が分からない。それを訊ねると、深宮は息も絶え絶えに答えた。
『サテライト』
と。
サテライト。確か、それは牛尾さんの言っていた「掃き溜め」であるという場所だ。その性質上、犯罪者や立場の低い者が多く、故に治安の悪い場所であると。であるなら導き出される答えは少ない。
「何を、された。答えろ」
『んー……や、思うようなことは、無いからさ。別に。ボクはまだ清い体ですよん』
暗にこちらの思うことを察したのか、深宮はおどけるようにそんなことを言ってのけた。
『心配してくれたのは嬉しい、けどね。それとこれとは……また別問題で』
落ち着け、と己に言い聞かせる。だいいち、彼女がそう簡単に何らかの被害を受けるものであろうか。答えは否だ。俺にしても深宮才華という少女にしても、計画を立てたその上で行動する。あるいはそうしたがる。
血筋というやつだろうか。予測を立てたり答えを知った上でないと、妙に落ち着かないのだ。だからこそ思考を絶やすことはしないし、その思考の精度も、恐らくは高い。
『単刀直入に言うけど……
そこに、「元凶」がある。
彼女はそう断言した。
「元凶……?」
『ボクらがここにいる、理由。あの機械どもの統括者……あるいは、
そこから紡ぎだされるのは、彼女がやはり真実と呼ぶべきそれに最も近い場所にいたのだという事実。
そして――――今まさに、彼女がその場にいるという現実だった。
『――――全てを知りたいなら。もしもこの世界でこれからも生きるつもりなら、そこへ行くべきだよ』
その言葉は、毒か薬か。矢継ぎ早に伝えられる情報を脳内で整理し続ける。
以前、叶たちは旧モーメントがどうのという話をしていた。それがB.A.D.エリアに存在するという話を。アカモートらを統括するもの……例示するならサーバーであろうか。そうしたものがサテライトに存在するのではないかという疑惑を向けていた。
深宮は、それを確認するためにそこへ向かったのだろうか。それとも、
どちらにしても、現在彼女が何らかの下手を踏んだという点について変わりは無い。
今、彼女の身に何が起きているのか……それを知るには、あまりに情報が不足しすぎている。
と、徐々に胸中に焦りが浮かび始めた頃合いになって、声が聞こえてくる。
『……助けてよ』
ぽつりと、呟くような声。
それは独り言なのだろうか。それとも俺に聞かせたくて放った一言なのだろうか。その声はいやになるほど物悲しく、普段の彼女からはまるで連想できないほどに弱々しい声だった。
『あの時は、来てくれなかったんだから――――今度は……』
今度は、何だ。
そう問いかける前に、通話は途切れた。
ツー、ツー……と、無機質な切断音が、いやに耳に響く。
あの時とは。来てくれなかったとは。
彼女の言うことが分からない。これまでの記憶をいくら掘り起こしても、思い当たることは一つたりとも見つからない。いや、これも彼女の策略か。だとしてもあのような声音が出せるものだろうか。そう思わせることすら深宮の手の内であるとするなら。いや、しかし――――。
「――――――――」
埒が明かない。
どれだけ考えても、結局は事実を確認するまで何も解決されないのだ。ならば、すぐに行動すべきだ。
この世界で生きていきたいのなら、と深宮は言った。それはつまり、この世界そのものを揺るがす何かがこの先起こるということだ。恐らくは、本来の道筋とは関係のない場所で、誰にも気づかれず、ひっそりと。
俺たちがここにいるから、という可能性も、ありうる話だ。
ならば、俺たちがその負債を支払う義務がある。その方法は問わず、可能な限り早いうちに。
通話の途切れた携帯電話の電話帳を検索し、有我少年の名を見つける。
「こう」と決めてしまえば、人間の行動は存外に早いものだ。何か考える前に、俺は通話を始めていた。
『も、もしもし? どうしたんだよ』
俺から電話がかかってくることを想定していなかったのか、その声には多分に驚きの色が含まれていた。
俺個人としても、そう頻繁に電話をかける方ではない。他人との連絡は、必要性を感じるまでは控えているからだ。今回に限ってはその必要性を感じたからこそ彼に連絡を取ったわけだが、それでも珍しいことに変わりないと言える。
「……至急、叶を含めた三人で集合したく思います。どこかで合流できませんか」
『し、至急……? 何かあったのかよ』
「我々の探す『黒幕』が見つかったと、深宮から連絡がありました」
『……!』
それだけでおおよそのことを察したのだろう。神妙な声音で、有我少年は問いかける。
『それで、深宮……さんは?』
「連絡が途切れました」
『何かあったか……? いや、今はいいか。俺がアンタのとこに行く方がいいか?』
「こちらから向かいましょう。集合場所は……」
記憶の中から、叶の発言を拾い上げる。
治安維持局の長官、レクス・ゴドウィンは、この世界で繰り広げられている物語における黒幕の一人である、と。
ならば、と数秒にも満たぬ逡巡の後、俺は彼にその場所を告げた。
「治安維持局前に」
投稿の遅れ、申し訳ありません。
今回はありませんでしたが、次回はデュエルに入れるかと思います。