あれから一週間が経った。
俺もようやくアルバイトとこの世界に慣れてきた。無論、元の世界の常識との齟齬は多いが、それでもどうにか生活することはできている。それもひとえにカードショップの店主や叶のおかげだろう。
というよりも、俺はこの二人以外とは滅多に関わらないのだが。
俺の適性に合わせてくれたのだろうが、カードショップは接客よりも品出しや陳列の方が多く、そもそも俺が客と話すことは滅多と無い。ただでさえ言葉数少なめなのだ。客から話しかけてくるときも事務的な質問が多く、交流を深めるには至っていない。時折合間を見てフリーのデュエルスペースに向かっているが、一方でそちらで知り合った人間とは、それ以降出会わないことも多い。クロウという男とも、あれ以来出会っていない。
叶はこの店に入り浸っている。
俺が店の業務をしている最中「暇だ」と訴えかけてきたり、あるいは適当に、店にやってきた者と野良デュエルを行ったりと、なんとも元気なものだ。年相応の幼さゆえに、元気が有り余っているということなのだろうか。
そんな風に、ある種暢気に日々を過ごしていたときのことだ。
「おっ、そういや、そろそろフォーチュンカップか」
ふとした拍子に、店主が呟く。
フォーチュンカップ。正式名称をデュエル・オブ・フォーチュンカップという。ネオ童実野シティと呼ばれるこの街……殆ど世界の中心とも言うべきこの街で行われる、デュエルの世界大会のようなものだ。
数多くの実力者がそこに集められ、しのぎを削る。
金も無く、実力も無い俺には縁のないものだ。
「ふん……参加もできない大会になど、興味は無い」
などと嘯きながら、叶はデッキの調整を続ける。
恐らくは彼女なりの強がりだろう。デッキ調整を行う叶の手元は、まるで焦っているかのようにせわしなく動き続けている。仮に大会に出るつもりが無いにしても、心中穏やかでないことは確かなはずだ。
「店長。テレビを設置しておけば、ある程度の集客が見込めます」
フォーチュンカップは世界規模の大会だ。その注目度も桁外れだろう。
夏にほど近いこの時期、冷房を出すにはまだ早いと考える者は多いだろうが、それでも暑い時期であることに変わりはない。加えて、多くの人間が注目する大会の放送だ。会場で見ることができずとも、せめて涼しい場所で観たいと思う者は多いだろう。
「何を現実的な話をしろと言った……」
「……何か、違ったか?」
「フォーチュンカップの話だ! まったく、見ているだけなど、なんだ、ふ……ふぇ……ふる……」
「フラストレーション」
「そう、フラストレーションが溜まって仕方がないのだ!」
本音はそこにあるらしい。見ているだけという状況に耐えられないということか。
とはいえ、俺はただの初心者だ。あの大会に招待されることなどありえない話だし、身元の確かでないを叶に権利を譲り渡してくれる者がいるというのも現実的でない話だ。
「そういえば、疑問だが」
「何だ?」
「……ライディングデュエルとは、何だ?」
フォーチュンカップで行われるデュエル形式のひとつ、らしいのだが、俺にはいまいち理解できなかった。ライディング、ということは、何かに乗って行うデュエルのことなのだろうか。
「馬にでも、乗るのか」
「馬であってたまるか! バイクだバイク!」
バイクに乗って、デュエル。
「危険ではないのか」
「ん? 自動操縦あるから大丈夫だと思うぜ?」
叶ではなく、レジの前で立つ店主が俺の疑問に答えた。
自動操縦。なるほど、元の世界ではそういった技術は開発されていなかったが、こちらではあるのか。ただし、それがバイクだとなると、姿勢や体重移動の関係で、多少ならず難しいものになるだろう。
「免許は、必要なのですか」
「D-ホイールのライセンスってのがあるぜ。金ができたら取ってみたらどうだ?」
「………………」
一応、車の免許だけは所有しているのだが、バイクの免許は持っていなかったと思う。ライセンスを取ってみるのも、悪くはないか。
「というより取れ。移動が格段に楽になるし、ライディングデュエルもできるぞ。今後のためにもなる」
「そうなのか」
思案する俺に、促すように叶が告げる。
今後のためとは言うが、「今後」とはどういうことか。
叶のことだ。この世界の今後を知っているからこその発言なのだろうが、実際のところは分からない。勢いのままに発言したという可能性もあるが。
とはいえ、給料日は月末になる。どちらにせよ、あと数日は待たなければならないだろう。
「イィーヒッヒッヒ。お邪魔しますよ」
と、思案している折に、来客を示すベルが鳴る。直後、甲高い男の声が耳についた。
「いらっしゃいませ」
客商売の基本は何よりもまず挨拶だ。快い挨拶を行う店というのは活気づいているのが常である。また、そうした店の評判は多少なりとも向上するものでもある。
出自の面や元々の感情の薄さもあり、笑みという表情には慣れていない。笑顔で接客――――という基本が成り立ってはいないが、仕方のないこととしてもらえば幸いである。
一方、叶と店長の反応は、露骨なものだった。
叶は叶で眉間に皺を寄せ、店長は店長で、男の姿を見たとたんに萎縮してしまっている。
何があったのだろうか、と逡巡する間に、叶が口を開いた。
「イェーガー……治安維持局の……なんだ、なんたら室長が、こんな寂れたショップに何の用だ?」
「まおちんそれ言い過ぎ」
少なくとも、「寂れた」は不適切であろう。少なくとも、店長のいる場で聞かせるべき単語ではない。
この場合、「閑散とした」が良い表現ではなかろうか。ショップ店員二人に客が一人。荒れ果てているわけでもなく、元から賑やかであったわけでもない。よって、「仕事が無くて暇である」「売買・取引が少ない」という言葉であるこちらを使いたいとも感じる。
それはともかくとして、治安維持局室長。
治安維持組織の中でも実力者とも呼ぶべき人物である。そのような人物が、どこにでもあるようなカードショップを訪ねてくる理由があるのだろうか。
ともかく、接客が大事であろう。ピエロのような風貌のその男へ、俺は言葉を投げかけた。
「現在当店ではストラクチャーデッキがお求め易くなっております」
「いえいえ、それは良いのですよ。それと私は特別調査室長です。本日はあなたに用事があって参りました、城戸成瀬さん」
「は……自分にでしょうか」
実に珍しいこともあるものだ。こうした場合は奇妙なことだと訝しむべきだろうか。叶に視線を送ると、首を横に振って返した。どうやら、何も分からないようだ。
「ゴドウィン長官からあなた宛てに招待状です。お受け取りください」
「は」
イェーガー室長が、封筒を手渡す。
表には、「デュエル・オブ・フォーチュンカップ招待状」と明記してあった。
「…………は」
「開催は五日後。開会は午前10時から。集合は午前9時……こんなところでしょうか。確かにお伝えしましたよ。それでは……」
「待てぇぇぇぇぇい!!」
悠々と店を出て行こうとするイェーガー室長へ、叶が凄まじい形相で追いすがった。仮にも女の子だと言うのに、あの表情はいかがなものか。
「なぜナルセ!? 何でナルセなんだ!? 適切な人間がここにいるだろう! この私が!」
「イーヒッヒッヒ……それが、招待状は彼に宛てられたものなのですよ」
「はぁぁぁぁぁ!? 納得いかん!」
大いに憤慨し抗議する叶へ、イェーガーは苛立ったような表情を見せる。
その抗議も当然であろう。そもそも、俺がこのカードゲームに触れてからひと月も経ってはいない。実力は叶に及ばず、まして、このような大きな大会に出場できるほどのものではないのだ。
勝率も左程高くはない。最近は徐々に善戦できるようになってきてはいるものの、
それでも歴戦の士と肩を並べるには至っていないのだ。
そんな俺に招待状などと。
「辞退させていただきます」
率直に述べた。
空気が凍り付いた。
「お、おまっ……そこで辞退するか、普通!?」
「だいいち、何故辞退などと……長官のご厚意を無下になさるおつもりですか?」
「……まだデュエルモンスターズを初めてひと月も経っていない自分では、力不足です。どういった事情であれ、そのような大会に出場するには経験と経歴が圧倒的に不足しております。まして、素性の明らかでないような人間を参加させるようなことがあれば、スポンサーも観客も納得しないでしょう」
最悪の場合、推薦した者の顔に泥を塗ることになりかねない。そうした場合に、果たして責任を取ることができるのだろうか。少なくとも、社会的立場の低い俺にはどうしようもない。
「――――どうしてもと仰るならば、叶……真岡へお渡しください。素性はともかく、実力ならば申し分ないはずです」
「お……そ、そうだぞ! 私は強いぞ!?」
えっへんと、得意げに胸を張る叶。年相応に可愛らしい挙動だと思うのだが、この子がやると微妙に痛々しいのは何故だろう。
「しかしですね……ヒヒ。うーむ……長官に連絡しても?」
「どうぞ」
促すと、イェーガー室長は、何処からか携帯電話を取り出して通話を始めた。数度のやり取りの後、再びこちらへ向き直る。
「失礼しました。只今協議が終わりまして……許可が出ました。改めて、真岡叶さん。デュエル・オブ・フォーチュンカップへあなたを招待したします」
「うむ、苦しゅうない!」
仮にもこちらの立場は下だと言うのに、この態度はいかがなものだろうか。
軽くたしなめるように、叶の頭を小突く。恨めしげな視線を向けられたが、務めて気にしないことにした。
「――――それに際してですが、イェーガー室長。一つよろしいでしょうか」
「はい、何でしょう?」
「自分と真岡は、諸事情あって住民としてのデータが存在しません。大会に出るに際して多少の不便が出ると予想されるのですが、これを機にデータを作成していただけませんか。最低限、身分証をいただきたく思います。今後、生活に際して不便が出ることが予想されますので……切に。よろしくお願いします」
深々と頭を下げて頼み込むと、イェーガー室長は「ふむ」と、考え込むようなしぐさを見せた。
「ナルセ……なんでそう簡単に頭を下げるんだ」
呆れたように、苛立ったように叶が言葉を投げかけてくる。思ったことを正直に口に出すのは、叶の美点でもあり欠点だと思う。
だが、必要なことだ。時にプライドと言ったものは、生きていくために邪魔になることがある。今回が恐らくそのケースであろう。無用なプライドを持ち込んでしまっては、この町で過ごすために必要なもの――今回の場合は住民票や身分証――が、得られない。
泥を引っ被るのは、年長者たる俺の役割だ。
「ヒッヒ。では、長官へ掛け合ってみましょう」
「ありがとうございます」
「明日にはできているでしょう。身分証は……区役所に行って名前を告げれば、代替品が貰えるでしょう」
流石に、警察組織の上層部の人間。この程度はお手の物か。不正に対して寛容であるとも言えてしまうが、生活が成り立つかどうかという瀬戸際のこの状況、文句は言っていられない。
「それでは、改めて失礼いたします。イィーッヒッヒッヒ……」
慇懃に一礼すると、足音も無く、イェーガー室長は店の外へと出て行った。
後には、無言で呆けている店長と、不可解そうに眉をひそめる叶と、ありがとうございました、と告げる、店員としての義務を果たす俺だけが残された。
さて。そろそろ清掃を始めなくては。箒を手に取ったその時、叶の全身が妙に震えていることに気が付いた。
「……どうした?」
「ど、っどどどどっどどどっどっどっどっど! ど、どうしよう……適当にそれっぽいこと言ってたら、あれよあれよと参加することになってしまったぞ……!? な、なな、ナルセ、私は一体どうしたら……」
「…………………………」
なるほど。
つまり、先の発言は、興奮したやら動揺したやらでついつい衝動的に言ってしまったことだということか。
「出場すればいい」
「そ、そそ、そうか!? だな、そうだな、そうだよな! うん、あははっ! よ、よし、みなぎってきたぞ!」
「………………」
何とはなしに理解しているが……やはり、こうした大きな大会に出場するというのは、彼女にとっても喜ばしいものなのだろう。まして、この世界のことを知っている叶のことだ。動揺し、あるいは高揚するのも、不思議ではない。
もっとも、俺はこの大会が何を意味するのかは、知らないのだが。
ともあれ、まだ叶は13歳という年齢だ。保護者という名目ででも、ついて行った方が何かと面倒が無いだろう。
「店長、数日ほど夜間は休んでも構わないでしょうか」
「いいけど、ライセンスでも取りに行くん?」
「はい。移動に便利だそうですので」
自家用車でもあれば話は別なのだろうが、生憎とそこまでの金銭は無い。技術の発展と共に、値段も随分と安くなったようだが、たかが数日間のバイト代ではどうしようもない。
とはいえ、それはかのバイクにしても同様だが。
「むぅ……Dホイールのライセンス、私も欲しいのだが……」
「年齢制限の問題もある。今は諦めた方がいい」
元の世界の自動二輪の免許に関しても、取得可能な年齢は16歳からだ。13歳だと言う叶では、あと三年は待たねばならないだろう。
「身分証の年齢を弄ってもらってくる」
「詐称罪という言葉を知っているか」
指摘するや、叶は悔しさに歯噛みした。そこまで重要なものなのだろうか、そのD-ホイールとやらは。
「あーあ……くそう。何でこう、私は物語の中心に潜り込めないんだ。いや、フォーチュンカップに参加できるだけマシか……」
「……そうか」
「うむ……」
彼女の言葉を聞くに、この大会というものは、この世界にとってはかなり重要なものであるらしい。当の俺は、なぜ重要なのかは一切理解できていないのだが。
物語の中心と言うくらいだ。この世界において「主人公」と呼ぶべき立場の人間、あるいは、それに類する中心人物が大会に出場する……と考えるのが自然だろう。
「……情報を集めてこよう」
「う、うむ。任せたぞ。それと、デッキ調整の相手も頼む」
「諒解した」
ある程度、業務が終わったら、相手をするのも悪くない。叶自身がそれを望んでいるのもあるし、何よりも、自分自身のためになるだろう。悪い申し出ではない。
思考を中断して後、俺は清掃を始めた。
+ + +
「…………………………」
「…………………………」
数時間後、マンションの部屋のリビング。
叶のデッキの調整――――実際には、ちょっとした対戦。その五度目が終わった。
俺はいつもの口下手。叶に関しては、何を考えているのか。考え込むように腕を組み、じっと盤面を見据えている。
「……弱っ」
「まったくだ」
何度分かり切った現実を突きつければ気が済むのか。率直な感想を述べることは悪くはないが、時に限度を知ってほしいものである。
「……弱い……が、しかしだ。そもそも、何でその頭の出来でそこまで弱いのだ?」
「……記憶力だけなら、ある程度自信は……あるが」
「応用力の問題かもしれんな。いや、しかし……だとするなら、あの時クロウにコンボを決めていたのは何だ? 暴走召喚からのワーム展開、スクラップ・ポリッシュによる強化と直接攻撃……。並みの相手なら確実に屠れるだろうよ」
それは、単純に自分が「並み」でないと示す言葉なのだろうか。
「――――だが何故それ以外できん!?」
「……何故、だろうな」
場数の問題もあろう。定石を知らないということも大きいはずだ。それらの多くの理由は、「無知」という一言に尽きる。
情報を、知識を、より多く集めなければならない。でなくては、そもそも頭が回らない。
思考の元は知識であり、知識は経験によって作られるものだ。たかが一週間程度の経験しか持ちえぬ俺に、デュエルモンスターズの知識など数えるほどしかあるまい。恐らくは、俺の数十倍以上の経験を持つ叶に敵わないのは至極当然。
ならば、それに劣らぬ密度の経験を得ることができれば。
「……戦法、カードの効果、特徴、構築、こういったものを知ることのできる場所は、無いか」
「一朝一夕で身に付くもの……かと言おうとしたが、割と何とかなったな貴様」
自慢ではないが、記憶力にはある程度自信がある。
「……そうだな、ネットを見れば情報は集められる、と思うぞ。詰めデュエルもできるし、初歩的な戦術の勉強にもなるだろう」
「なるほど」
インターネットの役割は、こちらもあちらも変わらないものらしい。よって、気を付けるべきは情報の取捨選択となるだろう。無駄な知識ばかりを取り入れても、一切の益になりはしまい。むしろ、思考の邪魔になりうる。
「戦術は……そうだな、私が紹介しよう。これでもかなり長いことこのゲームをやっていいるんだ。それ以外となると、過去の大会の映像などを見ればだいたい分かると思うぞ」
「諒解した」
戦術、戦法、戦略。言葉によって飾り付けられてはいるが、結局は過去の人間が行ったことの模倣のようなものだ。後は、そこにどれだけ自分の独創性を組み込むことができるか、である。
手札は多い方がいい。過ぎたるは及ばざるが如しと言うが……思考の引き出しは、多いほど対応が楽になる。もっとも、それにのみ拘泥していては、想定外の出来事が起きた際に、何もできなくなるのだが。
かの大軍師、諸葛孔明を目指すわけではないが……彼女が「王」というものを目指すのならば、そこには相談役、あるいはブレーンと呼ぶべき者が付随しているべきであろう。
特に叶はまだ年若い。まだ19の俺が言うのもおこがましいものだが……13歳という年齢は、時に己を特別視しがちなものだ。些細なタイミングの違いで、何かしら重大な過失をしでかしかねない。
ならば、その行動を評価する者が必要だろう。評価し、判断する者が必要だろう。
時に批判し、否定の意を示すべきであろう。
それは、俺の役割であるように思う。
元より死人のように、ただ生きて……否、動いていただけの人間だ。だとしても……まだ、人の役に立てる。
それは喜ばしいことで、何よりも、己の最も望んでいたことだ。ただ、人間たる理由も無いままに、ただ漠然と思い描いていた、目標。「どこか遠い場所」であるここでなら、果たせるかもしれない。
――――もう一度、生きなおせるのかもしれない。
「……あぁ」
「どうした?」
「……いや」
……もう一度、人生をやり直したい。
延々、今日まで生きてきた19年の年月の中で考えてきた事柄だ。必要として、あるいはされていたはずの人間を喪って、ずっと考えてきたことだった。
今、俺は図らずも、その目的を果たすことができるかもしれない場所にいる。
それが……少しだけ、嬉しいと。
――――同時になぜか、寂寥を感じた。